2022年1月18日 (火)

支持率低迷の立憲民主党に突き刺さった、「CLP問題」というブーメラン

4_20220117150001  昨日から通常国会が開会となり、岸田首相の施政方針演説の後、与野党の本格論戦がスタートします。野党第一党の立憲民主党は、泉新代表が「誰よりも国民に寄り添う政党として、政治に対する監視機能を発揮して国会論戦に挑みたい」と語ったようですが、「誰よりも国民に寄り添う党」か、どうかは疑問のあるところですが、それは別にして、「監視機能」とは何を言うのでしょうか。

 つまり自身の主張はなくて、政府与党のアラ探しをしようとしか受け止められません。これでは、はたして政権を目指す政党なのか甚だ疑問が残ります。そうしたなか、先に発覚したCLP問題には、極めて中途半端な終結の仕方をしました。政府与党のアラ探しには躍起となるのに、自身の「アラ」は、明確な説明なしで済ませようとするのでしょうか。

 その辺の詳細を含め、立憲民主党の現状を、政治ジャーナリストの安積明子氏が現代ビジネスに寄稿した記事を、取り上げます。タイトルは『「支持率は維新以下」立憲民主党に突き刺さった、「CLP問題」というブーメラン 「このまま終わり」で本当にいいのか?』(1/17)で、以下に引用します。

疑念を残したまま終わった“調査”

「私からは幹事長に調査を指示をして、幹事長から必要な調査を終えたと、そして会見に至ったというふうに報告を受けております。ですので、幹事長の説明ということでわが党としての説明を終了しているということであります」

1月14日の会見で立憲民主党の泉健太代表は、CLP問題に終止符を打つことを宣言した。CLP問題とはインターネット番組を制作・配信する「Choose Life Project(CLP)」に、立憲民主党から「動画制作費」として2020年8月7日に447万5390円、「企画広報費」として9月4日に563万7090円、10月9日に251万1420円と238万4370円の計1500万8270円が広告代理店を通じて支払われた件だ。

同党の西村智奈美幹事長は12日の会見で、(1)フェイクニュースや不公平な差別が横行する現状に対抗するため、新しいメディアを作りたいというCLPの考え方に福山哲郎前幹事長が共感し支援を行った、(2)番組編成について立憲民主党が影響を与える意図はなく、番組内容に関する請求は行われていないことを確認したことを公表。

2020年7月にCLPが法人化してクラウドファウンディングを開始したため、9月に支援は打ち切られたが、立憲民主党はこれに関与していないと発表した。

その上で現執行部としては、「本件の支出は違法なものではないものの、公党としては適切ではなかった」との判断を発表した。すなわち刑法の背任罪などには該当しないものの、公党が特定メディアに対して資金提供した点、その資金提供を公表しなかった点、そして立憲民主党からの支援の妥当性について党内で議論・検討されていない点について疑念を残したのだ。

過去の「セクハラ問題」が思い出される

しかしながら西村幹事長による「調査結果」は口頭での報告のみで文書としてまとめられておらず、疑念について存在を“宣言”するのみで、国民の不信を解消しようという努力は見られない。ここで思い出したことがあった。2017年の衆議院選で立憲民主党の公認候補として出馬し、比例復活した青山雅幸前衆議院議員の元女性秘書に対するセクハラ問題だ。

青山氏は枝野幸男代表(当時)の東北大学の先輩で、立憲民主党の公認候補(社民党の推薦も得た)として静岡県第1区で出馬して3万8531票を獲得し、39.93%という低い惜敗率にもかかわらず比例区で当選した。ところが当選直後の10月26日発売の週刊文春によってセクハラ問題が発覚したため、無期限の党員資格停止処分が下された。

これに対して佐藤成子静岡市議らが2018年4月11日、東海地方の女性地方議員31名の署名を立憲民主党に提出して青山氏の議員辞職を求めたところ、対応したのが当時の党ジェンダー平等推進本部長だった西村氏。西村氏は「党はすでに青山氏を処分しており、被害者との間で『二度と表にしない』との合意が成立している」とさらなる処分に消極的だった。

旧立憲民主党は党規約の中にジェンダー平等を盛り込み、セクハラ禁止やDV防止、そのための刑法改正などに取り組んできたが、その実態はまさに「仏を作って魂を入れず」というものだったのだ。

巨大な「ブーメラン」ではないか

そうした体質は、国民民主党の一部が合流し、新・立憲民主党となった後でも残っているようだ。1月7日の代表会見で筆者が泉代表に第三者委員会などの調査を問うた時、泉代表は「必要なら行う」と述べたが、14日の会見で再度問うた時には泉代表は再調査を否定した。疑念が残るにもかかわらず、政治責任を放置する姿勢は、自分には甘いと批判されても仕方ない。

そもそも立憲民主党は2020年9月に旧国民民主党から一時的に結成した民主党を通じた振替金など26億円余りを取得した。さらに10月と12月に国から支給された政党交付金や衆参の立法事務費などを含めると、70億7074万9346円の収入を得ているが、その原資の多くは国民の血税に相違ない。その使途が「適切ではなかった」のなら、国民が納得できる形での説明が是非とも必要だ。

さらにいえば、己の疑惑を曖昧にして他人の疑惑を追及できない。ヨハネの福音書は「罪のない者だけが、石を投げよ」と神イエスは述べていると記している。立憲民主党は森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会問題などで安倍政権の政治責任を追及してきた。森友学園問題で安倍晋三元首相による「私や昭恵が関与していたら、政治家を辞める」との発言に飛びついたのはその一例だ。

支持率は低下していく一方だ

そうした側面を国民が見ていないはずがない。2022年1月の立憲民主党の政党支持率は、NHKの調査によれば前月比3.3ポイント減の5.4%で、時事通信による調査では1.0ポイント減の4.0%。いずれも昨年10月の衆議院選で41議席を獲得して躍進した日本維新の会(NHKの調査では5.8%で、時事通信の調査では4.3%)に負けている。野党第一党の政党支持率が他の野党の政党支持率より少ないとは、これまでの前例にないことだ。

CLP問題は、ブルージャパン株式会社の問題もあぶり出した。ブルージャパン社は2015年に安保法制反対を叫んだ団体「シールズ」と関係が深い企業だとも言われている。そして2017年の結党以来、立憲民主党からブルージャパン社に2017年に1846万8000円、2018年に1億7015万2052円、2019年に3億8469万7197円、2020年には3億4591万8640円もの支出が行われていた。

これについて西村幹事長は、「CLPとは関係ない」ということで調査から除外。だがもし問題があるのであれば、膿を出し切らなくては傷口は悪化する一方だ。

昨年の衆議院選で議席を減らした責任をとって、2017年に結党以来の枝野・福山体制が崩れた。国民民主党出身の泉代表の就任によって新しい風が吹き込まれるかと思っていたが、空気がよどむ閉ざされた空間の中にいて、彼らは希望の光すら見失っているのかもしれない。

 ◇

 日本では保守対革新の政治構造のイメージが強く、与党の保守に対し野党の革新という対立構造が想定されていますが、立憲民主党の体質は革新でも何でもなく、極めて古い政治体質のまま、過去の流れを受け継いでいるようです。ですから与党の「アラ」の部分をそっくり自身の「アラ」として持ち合わせているのでしょう。

 枝野前代表が自身を、革新ではなく本当は保守だ、と言っていましたが、自己保身の「保守」、もっと言えば自分には甘く他人に厳しい、と言う誤った「保守」感覚を持っていたのではないでしょうか。代表変われど党の体質は変わっていないことが、このCLP問題で露見されたわけです。政府与党への「監視機能」ではなく、むしろ自党への「監視機能」が必要だと思います。

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2022年1月17日 (月)

民主主義と権威主義、どちらの「社会経済パフォーマンス」が上なのか?

Img_c220a728010bcb0e7769aeb184fab0064947  中国やロシアなど、いわゆる権威主義国家と言われる国が、現状変更の動きと共に周辺国を脅かしています。特に急速に経済力を増大させてきた中国の動きが、目を引くところです。

 ところでこの権威主義という民主主義とは一線を画す、と言うより対極にある国家が、なぜかこの地球上には増えている印象があります。それは経済的な優位性なのか、社会的安定性なのか。

 この問題を解き明かそうと研究を重ねている、東北大学大学院准教授で比較政治経済学、権威主義体制、中央アジア政治が専門の東島雅昌氏が、現代ビジネスに小論文を記載しました。今回はこの話題を取り上げます。タイトルは『民主主義と権威主義、どちらの「社会経済パフォーマンス」が上なのか? データ分析が示す驚きの結果』(1/9)で、以下に引用します。

 ◇

「民主主義の危機」?

「民主主義の危機」が叫ばれている。代表民主制への高まる不信、ポピュリスト政治家の台頭、そして極端な党派対立の進展などがその背景をなしている。一方、中国をはじめとした権威主義諸国は、自らの統治の実績上の優位を強調している。新型コロナウイルスへの迅速な対応や、急速な経済成長の喧伝は、その一端だろう。

危機にある民主主義と影響力を増す権威主義の対峙は、米バイデン大統領の主導で先月おこなわれた「民主主義サミット」やそれに対する中国・ロシアの反発によって、いっそう深刻なものとなっている。エスカレートする民主主義と権威主義の対立は、国際政治を規定する最重要のファクターとなっているといえよう。

しかし、はたして、民主主義は権威主義よりも社会経済パフォーマンスで劣っているといえるのであろうか。この小論では、民主主義体制、権威主義体制といった「政治体制の違い」が、多様な社会経済的帰結に与える影響について、政治学や経済学で蓄積されてきた実証的知見をもとに考える。結論を先取りしておけば、民主主義はそれ自体改善の余地があるものの、過去のデータを分析する限り、少なくとも権威主義と比較して望ましい社会経済的パフォーマンスをもたらしてきた、ということになる。

まず、民主主義とはどのような体制として位置付けられるだろうか。現代の民主主義とは、権力の抑制と均衡の仕組みを憲法に規定し、市民への政治的権利と自由の保障をつうじて公正な選挙をおこなう政治体制である。…と言うと、かなり堅く聞こえてしまうと思うので、順次説明しよう。

この民主主義の定義には2つの次元がある。一つは、多様な考えや利害をもつ人々の代表が相互に競争し、過剰な権力行使を抑制しあう「自由主義」の側面であり、執行府・立法府・司法府(日本の国政で言えば、政府・国会・最高裁)や様々な監視機関のあいだの権力のバランスを意味する「水平的アカウンタビリティ」を含む。もう一つは、自由かつ公正な選挙をつうじて、市民の意思(民意)に政策決定者が応えようとする「民主主義」の側面であり、「垂直的アカウンタビリティ」と呼ばれる。

逆に、権威主義体制とは、2つのアカウンタビリティが十分機能せず、1人の政治指導者(独裁者)が権力を専有し、選挙が公正ではない政治体制を指す。

自由民主主義の2つの要素は、功罪両方の側面があると考えられてきた。「自由主義」の側面は、恣意的な権力の行使を抑え、いわゆる「多数者の専制」を食い止めることが期待される。他方、そうした制約はタイムリーな政策対応を困難にするかもしれない。

「民主主義」の側面は、大衆の求めることを政治家が実行に移すことを促す。他方、政治家は選挙で再選されることを望むあまり、長期的視野に立たず大衆に「パンとサーカス」を与える近視眼的な政策を実施するかもしれない。

こうした自由民主主義体制の負の側面を強調して、権威主義体制の利点を考えてみるとどうなるだろうか。権威主義体制の場合、意思決定は独裁者1人の手に委ねられているため、(たとえばパンデミックなどの)様々な事態に臨機応変に対応でき、選挙など目先の利益を考えずに長い目で物事を決められるという「開発独裁論」の主張に行き着く。

民主主義と権威主義の特徴、そしてそれらの功罪を念頭に置き、社会科学者たちは政治体制と様々な社会経済パフォーマンスの関係について、多くの実証的知見を積み上げてきた。以下では、筆者が共同研究者たちと発表してきた実証分析を中心に据えながら、権威主義と民主主義のうち、いずれが優れた社会経済パフォーマンスを生み出しているのかみていこう。

民主主義は経済成長を阻害するのか?

民主主義の社会経済パフォーマンスを実証的に考えるとき、政治学者や経済学者によってもっとも旺盛に研究が進められてきたトピックの一つが、民主主義が経済成長に与える影響についての分析である。民主主義は、水平的アカウンタビリティをつうじて法の支配が尊重され、市民の財産権を保障する。財産権が保障された市民は、財産が公権力に没収されるのを恐れず投資に専念できるため、結果として経済成長につながる。

他方、民主主義には垂直的アカウンタビリティの経路もある。選挙で勝利するために、政府は投資指向のビジネスエリートよりも消費志向の大衆の支持を優先しうる。そうであるなら、民主主義の導入は経済成長の原動力である投資を減退させる。この見方をとれば、投資指向のビジネスエリートの意見に耳を傾けやすい権威主義体制の方が、経済成長に向いているかもしれない。

データによる実証分析は、これら2つの相反する理論的予測のいずれを支持するのか。政治体制と経済成長の膨大な研究は、サンプルや統計モデルの違いなどにより異なる実証結果が報告されてきた。

しかし最近、イタリアのサクロ・クオーレ・カトリック大学のロシグノリ助教授らの研究グループは、過去約35年の間に発表された、民主主義と経済成長の関係について調査した188本の論文、計2047 の統計モデルを含めた過去最大規模のメタ分析をおこない、既存の研究知見が全体としていかなる傾向を示しているのか検討している (Colagrossi et al. 2020)。彼らのメタ分析が示唆するのは、民主主義が経済成長に対して正の直接効果をもつこと、そしてそのような傾向は、因果推論手法や洗練されたデータをつうじ信憑性の高い統計分析を用いる最近の研究でより顕著にみられることだ。

経済成長率など経済パフォーマンスに関するマクロ経済指標は、権威主義体制において政権に都合よく操作されやすいことは複数の研究で指摘されている (Magee and Doces 2015; Martinez 2021)。独裁政府に有利なバイアスがかかりやすい経済成長率であるにもかかわらず、それが民主主義と頑健な正の相関関係をもつというメタ分析の知見は、民主主義は経済成長を阻害するものではなく、むしろ促進するものである、という見方を支持している。

民主主義は公衆衛生を改善するのか?

民主主義と経済成長の議論は、民主主義の水平的アカウンタビリティよりも垂直的アカウンタビリティの方が、経済パフォーマンスに負の影響をもたらすかもしれない、という可能性を示唆していたと考えることができるかもしれない。しかしながら、公正で自由な選挙の存在、そして選挙をつうじて政治家が大衆に目を向けることは、本当に大衆へおもねる「衆愚政治」をもたらすのだろうか。

社会政策や公共政策をつうじて国民の健康を守るのは、政府の重要な役割の一つである。お金持ちは自らの財力をつうじて十分な医療や福祉を享受できるが、貧しい人々は自らの力で必要な社会福祉を受けられない。公正で自由な選挙の導入は、選挙での勝利を望む政治家に、少数派のお金持ちよりも多数派の貧しい人々へ耳を傾けやすくする。その結果、貧しい人々の健康を向上させる政策が推進されて医療が改善し、人々の社会厚生が向上するだろう。

言い換えれば、垂直的アカウンタビリティは、公衆衛生という人々の根本的な政策ニーズへの政治家の真摯な対応を高める可能性がある。

このことを実証的に確かめるために、早稲田大学の安中進講師と筆者は、172カ国の1800年から2015年までをカバーする乳幼児死亡率のパネル・データを用いて、公正な選挙の導入が公衆衛生の改善にどれだけ寄与するのかを分析した (Annaka and Higashijima 2021)。

分析結果が示唆するのは、政府は民主化後直ちに社会政策や公共政策を貧しい人々寄りにシフトさせ、そうした政策変更は、公衆衛生の向上という政策帰結に長い持続力をもって正の効果をもつというものだ。すなわち、政府は自由選挙の導入直後には、公共政策をより広範な人々をターゲットにした内容へと変更し、さらにそうした公共政策の変更は、その後の乳幼児死亡率の漸進的改善に貢献していた。逆に、自由で公正な選挙の実施が妨げられたとき、そうした権威主義化は徐々に乳幼児死亡率に負の影響をもたらしていた。

また、テキサス大学オースティン校のゲリング教授らの研究グループがおこなった調査では、公正な選挙の実施が継続し、したがって民主主義が長く持続すればするほど、乳幼児死亡率の減少により大きく寄与することが示されている (Gerring et al. 2020)。これらのデータ分析が示唆するのは、垂直的アカウンタビリティの導入とその持続によって、政治家が社会的弱者の政策ニーズを汲み取るようになり、結果として多くの市民の公衆衛生が顕著に改善する傾向にあることだ。

民主主義と経済政策

これまで見てきた分析は、経済成長や公衆衛生といった政策帰結に関して民主主義が与える影響についてであった。しかしそもそも、国家は経済政策をとおしてこれらの社会経済パフォーマンスを生み出そうとする。政策帰結に政治体制が影響しているのだとすれば、経済政策にも民主主義と権威主義の違いが影響することになると考えることができるだろう。

多くの国では、政府は財政政策を策定し、中央銀行は金融政策を決定するというかたちをとっている。不景気のときには、金回りを良くするために拡張的な財政金融政策をとって経済を刺激する。アベノミクスの金融政策はその典型例だろう。他方、好景気のときには、インフレやバブルを抑制するためにこれらの政策を引き締める。経済状況に応じた適切な経済政策の決定が、物価高騰を防いだり、財政を健全したりして、長期的には経済成長や貧困の削減につながっていく。

こうした政策合理性と天秤にかけられるのが、為政者の近視眼的な、政治的生き残りの手段としての経済政策である。特に政治競争が存在する民主主義体制下で、有権者の歓心を得るために、政治指導者は経済政策を利用しやすいのではないか、という懸念は常に存在してきた。政策合理性ではなく、政権維持という思惑により経済政策が決定されるとすれば、民主主義の方が権威主義よりも恒常的に拡張的な財政金融政策が採られ、結果として深刻な財政赤字やインフレにつながってしまうかもしれない。

しかし、この民主主義と経済政策の関係の見方は民主主義の垂直的アカウンタビリティの側面を過度に強調したものであり、水平的アカウンタビリティの側面を過小評価している。ミシガン州立大学のボデア准教授と筆者は、いかなる条件のもとで法律上規定された「中央銀行の独立性」が政府の財政政策を統制できるのか検討した (Bodea and Higashijima 2017)。

中央銀行は、金融政策を引き締めることで――すなわち公定歩合を引き上げ、政府への貸し出しを制限することで ――政府の財政政策を律することができる。この中央銀行の金融政策の権限と自律性の程度は、中央銀行法に定められている。問題は、こうした中銀の独立性に関する法律上の定めを政府が遵守するかどうかだ。

権威主義体制の場合、独裁者は一手に権力を握っているため、法律上の取り決めをやぶってしまうかもしれない。したがって、中銀の独立性の高さは、法律に規定されていても金融政策への期待形成をおこなう多くの人々にとって信憑性をもたないかもしれない。逆に、民主主義体制の場合、執行府の首長は一度取り決めた法律を遵守するよう立法府や司法府、メディアなどによって監視・統制されている。したがって、法律上の中銀の独立性は高い信憑性をもつこととなり、政府の財政政策、そして人々の政策期待に大きな影響を与えるようになる。

民主主義は財政赤字を深刻化させるのか?

我々は、世界78カ国の財政収支と中銀独立性のデータを用いて、財政赤字が拡大する条件について実証分析をおこなった。我々の分析は、その国が権力の抑制と均衡を発達させ、メディアの透明性や司法の独立性が担保されていればいるほど、法律上規定された中央銀行の独立性の高さが財政赤字を改善する傾向にあることを見出した。

つまり、民主主義の両輪の1つをなす水平的アカウンタビリティがあるからこそ、中央銀行は「張子の虎」を超えて政府の財政政策を縛ることができ、政策合理性を高める可能性を、分析結果は示唆するのである。

選挙目的の政府の経済政策の操作、いわゆる政治的景気循環について考える際にも、水平的アカウンタビリティは重要になる。数多くの研究が示唆するのは、インフレや財政赤字を生み出す選挙目的の財政政策操作は、先進民主主義諸国で観察されにくく、民主化したばかりの国で特に生み出されやすいということだ。

筆者は、民主主義国と権威主義国を含む131カ国のサンプルを用いて、いかなる条件下で、選挙年の財政赤字の悪化が起こるか統計的に分析した。民主主義国家ではあるものの未だ民主主義の諸制度がしっかり確立されていない国々、あるいは複数政党選挙をおこなうものの選挙不正が原因で政権交代が起きない「選挙権威主義体制」と呼ばれる国々において、選挙年の財政赤字が統計的に有意に悪化していた (Higashijima 2016)。

民主化したばかりの国々では、選挙は自由かつ公正になったものの、執行府の権力を縛る水平的アカウンタビリティが未だ十分発達していない (O’Donnell 1994)。また選挙独裁制の国々は、権力の十分な統制がないことはもちろん、選挙前に大規模な財政出動をして市民の票を買い取り、選挙に圧倒的に勝利することで体制の頑健さや人気をアピールする誘因をもつ (Higashijima 2022)。

つまり、民主主義が高度に発達し水平的アカウンタビリティが担保される条件においてこそ、政策合理性をもった経済政策が採用されやすいのである。民主主義を「衆愚政治」と捉える見方とは、相反するものであろう。

民主主義は富の不平等を減らすのか?

ここまでみてきた様々な社会経済的帰結に関する実証分析の知見は、民主主義の発展がもたらす正の効果に軍配を上げるものであった。では、民主主義体制は万能であるといえるのであろうか。残念ながら、必ずしもそうであるとはいえない。いくつかの社会経済的帰結に関して、民主主義のメカニズムでは不十分なことが示唆されている。

最も深刻な事象は、富の不平等である。多数派である貧しい人々に寛容な政策が民主主義のもとで取られやすいのであれば、民主主義は富裕層への課税や低所得者への再分配をつうじて富の平準化を促進すると期待できる。しかし、民主主義と経済不平等の実証分析は頑健なかたちでそのような傾向を見出していない。

ニューヨーク大学のスタサヴェージ教授とスタンフォード大学のシーヴ教授は、富の平準化をもたらす上で富裕層に課税するという政策は理にかなっているが、現代では、たとえ低所得者であっても富裕層への課税が公平かどうかをめぐって意見の相違があるため、十分な政策支持が得られない事実を指摘する。

また、米国など経済不平等が高まった国々では、富裕層が豊富な資金を背景に政党や政治家にロビー活動をおこなう結果、高所得の有権者に有利な税制が維持されやすい (Stasavage and Scheve 2016)。有権者間の公正性認識の断絶や富裕層のロビー活動が原因となり富の不平等が維持・強化されているのだとすれば、民主主義に内在する2次元のアカウンタビリティをいくら高めたとしても、解決できる問題ではない。

民主主義の「意図せざる帰結」: 民主主義と金融危機

また、民主主義を発展させることで我々が警戒しなければならない「意図せざる帰結」もある。その一つが経済危機に対する政府の対応である。

トロント大学のリプシー准教授は、1800年から2009 年をカバーする69カ国のパネル・データを用いて、政治体制が金融危機発生に及ぼす影響を調査している。彼の分析は、民主主義が発達した国であるほど、金融危機、つまり銀行の閉鎖・合併・国有化につながる取り付け騒ぎに代表される深刻な信用逼迫が起こりやすいことを示す。そして、水平的アカウンタビリティが強く迅速な政策対応が遅れることが、銀行危機を生み出すメカニズムの1つとなっていると主張する (Lipscy 2018)。

また、カーネギーメロン大学のハンセン氏の研究は、低インフレの政策選好をもつ中央銀行が高い独立性をもつとき、銀行危機後の失業率が高止まりし、さらには国内銀行信用や株式時価総額をも引き下げてしまうことを示す (Hansen 2021)。これらの分析結果は、民主主義の権力の抑制と均衡の原理の負の側面は、とくに危機への迅速な対応が必要となる段階では、如実に現れてしまうかもしれないことを示唆する。

民主主義と権威主義の対立が深まる今日、権威主義諸国は自らの統治の優位性を誇示するかもしれない。そして、民主主義国に生きる人々は、民主主義が抱える様々な問題の深刻さの前に立ち尽くしてしまうかもしれない。

しかしながら、政治体制と様々な社会経済的帰結に関する多くの研究が示すのは、民主主義の諸制度を発展させていった先人たちの努力が、結果的に望ましい社会や経済へと我々を導いていったという事実だ。

しかしこのことは、民主主義の現状に我々が満足していいということを意味するわけでもない。ハンガリーのオルバン政権やトルコのエルドアン政権、ベネズエラのマドゥロ政権などを典型例として、水平的アカウンタビリティが、民主主義の後退や民主主義の崩壊によって切り崩される国が相次ぐなか、民主主義が望ましい社会経済的帰結をもたらす基盤は危機にある。

また、先にみた富の偏りなど、既存の民主主義の枠組みでは解決できそうにない課題も浮き彫りになっている。民主主義が「未完の革命」である以上、現在の民主主義の仕組みでは解決できない問題を正しく理解し、民主主義刷新の道筋を定めることが喫緊の課題だ。

 ◇

 民主主義において選挙での勝利を得るために、その公正で有効な政策を提言するよりも、より短期的な利益を与えること(いわゆるバラマキ)をアピールして支持を得ようとする、ポピュリスト政治家が多いのが現実です。そしてそれが多くの財政赤字を生む元凶になります。

 更には民主主義国家の多くは、資本主義的経済運営により、貧富の格差を生む必然的な傾向もあります。アメリカの実業家のトップや、著名なスポーツ選手など、一般の人が1000人以上かかっても稼げない報酬を、得ているのも現実です。

 この記事にあるように、民主主義の至らないところはあるのは事実です。所詮人間はその他の生き物にはない「欲」というものがあり、どうしてもそれがその至らないところを増大させる。そうした宿命はなかなか消えることはないでしょう。

 しかし財政赤字にしても、格差にしても、権威主義国家が優れているのかというと、甚だ疑わしいと思います。経済指標や結果を正確に公開しているのかは不明ですし、特に独裁制を敷いている国の指導者層と、一般市民の間の格差は想像以上だと推定されます。

 そして何よりも、個人の行動や思想の自由が、担保されているかどうかの違いは、決定的と言えると思います。中国など、個人の行動は常に監視され、政府に批判的な市民は拘束され、更には当局の非民主的な裁判で投獄される。少数民族は弾圧される。この違いは何よりも大きいと言えます。

 いくら中国やロシアが、その統治形態を誇っても、そうした個人の表現や思想信条の自由が制限される限り、民主主義の方が勝っていると断言できるでしょう。かりに経済的豊かさは大事だとしても、経済結果だけがすべてではないと言えます。


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2022年1月16日 (日)

国民民主党と都民ファーストの会、合流を視野に連携へ

K10013390151_2112152115_2112152142_01_02   前回の衆議院選で、日本維新の会と共に野党では議席を伸ばした国民民主党。ただ維新の41議席に対し、国民民主は11議席と4分の1にしか過ぎません。そしてこの夏の参議院選では、12人のうち7人が改選となり、かなりの苦戦が予想されます。

 そこで小池百合子東京知事率いる、都民ファーストの会と連携を深めようとしています。大阪の維新に対し東京の国民民主を狙っているのでしょうか。もちろん大阪に集中する日本維新の会より、国民民主の方が全国的ではありますが、何しろ党勢は弱い。そこで小池都知事の人気に乗って、比例票を増やしたいというのが本音のようです。

 そのあたりの動静をNEWSポストセブンの記事(ジャーナリスト藤本順一の政治コラム「永田町ワイドショー」)から拾ってみます。タイトルは『国民民主党と都民ファーストの会、合流へ 近く正式発表』(1/13)で、以下に引用します。

 ◇

 1月13日、国民民主党は、小池百合子・東京都知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会(都ファ)」との合同勉強会を開催した。玉木雄一郎・代表が、かねてより近い関係にある小池百合子・都知事との合流に向けて本格調整に入るなか、すでに国民民主党執行役員会の了解を得ており、週明け17、18両日には、党所属議員、地方議員に報告。今月中には都ファの荒木ちはる代表との共同記者会見に臨み、両党の合流を正式発表する予定であることが国民民主党関係者からの独自取材で分かった。国民民主党関係者が語る。

「都民ファに所属している都議と区議は国民民主に入党する形となりますが、一方で都民ファ政党そのものは、大阪維新の会のような独立した地域政党として存続させる方向で調整しています。小池都知事は最高顧問に就任するとみられています」

 国民民主と都民ファ両党の合流は、2021年12月15日に行なわれた玉木、小池会談で本格的に動き出した。翌16日の記者会見で玉木氏は、コロナ対策について問われた際、「国政では我々、国民民主党、都政では都民ファが連携して、より徹底した対策を求めていく」と述べていたが、この発言は2022年夏の参院選に向けた両党連携への意欲を暗に示したものだった。

 玉木、小池両氏の関係は、2017年に起こった玉木氏が所属していた民進党と小池氏が立ち上げた「希望の党」の合流、分裂騒動にまで遡る。2017年夏の衆院選で希望の党が惨敗した際には、小池氏は責任を取って代表辞任しその後継は玉木氏となった。今回も小池氏が都民ファを玉木氏に託す形の合流だ。

 その背景にあるのは、陰りが見える小池氏の政治力と健康問題だった。2021年10月の衆院選で独自候補の擁立に動いた都ファの国政進出は頓挫し、2022年夏の参院選を占う試金石とされた東京都の東久留米市長選(12月26日投開票)では、都ファ推薦の候補が自公候補に大差の敗北を喫した。

 また都庁関係者によれば、「小池氏は2021年の6月と10月に『過度の疲労』を理由に入院しましたが、政務復帰後も体調は不安定で国政復帰に踏み出せないようです」という。

 一方、地方組織が脆弱な国民民主にこれを拒む理由はない。来夏の参院選に向けて、大票田の東京選挙区での得票増に直結する都ファとの早期合流は、第3極野党としての足場固めに必須だからだ。

「今夏の参院選で国民民主の改選議席は7議席(2016年選挙)で、このうち比例は4議席です。2021年の衆院選の比例での獲得票数は260万票で、参院選で議席を積み増すには最低でもプラス150万票が必要でしたが、都ファとの合流で目処がつきました。それに独自候補の擁立や他党との候補者一本化調整の選択肢が広がります」(前出・国民民主党関係者)

 参院選は7月10日投開票の方向で調整されている。玉木氏は9日に放送されたNHK番組「日曜討論」に出演した際、都ファとの連携について「政策的な一致の先に選挙協力できるのであれば、それは排除するものではない。先頭に立って日本を改革していく勢力の結集、またその拡大を進めていきたい」と述べていた。

 風雲急を告げる国民民主、都民ファーストの会の合流劇である。

 ◇

 「希望の党」の立ち上げの時は、小池都知事の「排除」の一言で、多数の議員が党を離れ、枝野氏の「立憲民主党」立ち上げの一因となり、「希望の党」はそれこそ希望を失うような惨敗を喫したのでした。

 今回はその轍を踏まないように、事前のすりあわせを十分するといった配慮を重ねているようです。いずれにせよ、立憲民主党や共産党などの、社会主義政党とは別の、中道野党が力を持つことは歓迎したいですね。前向きで有意義な議論が日常となる、本来の国会の姿を実現してほしいものです。


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2022年1月15日 (土)

「敵基地攻撃」で中国抑止 揺らぐ米の核の中、台湾有事どう防ぐ

Maxresdefault_20220115100301  「敵基地攻撃能力の保有も含めてあらゆる選択肢を排除せず検討し、必要な防衛力を強化する」。昨年11月、岸田首相は自衛隊観閲式でこう演説しました。自衛隊の観閲式とはいえ、こう明言した首相は果たして本気なのでしょうか。

 長い間政府与党は、「専守防衛」という憲法9条の理念に基づく、およそ抑止力としては心もとない考え方を、日本の安全保障の基本に据えてきました。しかし中国の現状変更の意図が、ここに来て急速に明確になるにつれ、もう「専守防衛」などと言ってはいられない、差し迫った状況が近づいてきているのが現状です。

 そうした日本の安全保障上のリスクと課題を、産経新聞のコラム「主権回復」シリーズに寄稿された記事から、紐解いてみましょう。タイトルは『「敵基地攻撃」で中国抑止 揺らぐ米の核 台湾有事どう防ぐ』(1/13)で、以下に引用します。

 ◇

2030年、中国が核戦力で米国と肩を並べる時代が始まるかもしれない。そんな「現実」を突きつける2つの報告書が昨年11月、米連邦議会に相次いで提出された。

「中国は恐らく30年までに少なくとも核弾頭1千発を保有する意図を有している」。米国防総省は中国の軍事動向に関する年次報告書でこう指摘した。

米議会の諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」(USCC)の報告書はまた、中国が核弾頭の運搬手段となる地上発射型の戦略ミサイルの数で30年までに米国と「対等」となる可能性に言及。米国の戦略核戦力の優位が崩壊する恐れが出ていると警告した。

「核の影」。USCCの報告書には、こんな聞きなれない言葉が登場した。

米国の核の優位性が低下すると、米国は中国による米本土への核攻撃を恐れ、同盟国を守るための核使用を躊躇(ちゅうちょ)する可能性が生じる。インド太平洋地域における通常兵器の軍事バランスは、米国から中国優位に傾こうとしている。中国が米国の核を抑止できれば、地域で軍事行動をとる自由度が増すことになる。

米国の核の優位が崩壊することで地域紛争の脅威が高まることを「核の影」という。30年はその意味で、台湾統一を「歴史的任務」とする中国の習近平政権が台湾侵攻に動く危機が最も高まる時期ともいえる。

中国を手詰まりに

在日米軍や自衛隊の基地をミサイルで攻撃し、日米の制空能力を低下させた上で、台湾周辺の空海域で優勢な状況を確保し、米軍の増援排除を図る―。台湾有事では、中国がこうした行動に出ることも想定されており、日本も影響を免れない。台湾有事は「日本有事」でもある。

日本に迫る危機をどう防ぐのか。「核の影」の危険を米側に説いてきた一人、米政策研究機関「ハドソン研究所」研究員の村野将(まさし)は「射程2千キロ以上の弾道ミサイルの配備が最も効率的だ」とみる。

中国軍機の出撃拠点となる航空基地を巡航ミサイルよりも速度が速い弾道ミサイルで攻撃し、一時的に無力化させる。日米はこの間に態勢を立て直す。「そうなると中国は手詰まりになるので、緒戦におけるミサイル攻撃を思いとどまらせることにつながる。作戦妨害能力が日本の対中抑止の要だ」と村野は語る。

北朝鮮対応で議論される敵基地攻撃能力が中国にも有効となりうる。USCC報告書も、米国の中距離ミサイル配備を同盟・パートナー諸国に求めるべきだと唱えた。

時間との戦い

「敵基地攻撃能力の保有も含めてあらゆる選択肢を排除せず検討し、必要な防衛力を強化する」

首相、岸田文雄は昨年11月27日、自衛隊観閲式でこう強調した。元首相の安倍晋三すら曖昧にした表現を改め、「敵基地攻撃能力」と明言し、それ以降、前向きな発言を繰り返す。その保有は1956(昭和31)年、鳩山一郎内閣が「法理的に自衛の範囲」との統一見解を示している。

だが、与党・公明党は「理論的な可能性を肯定しても、現実の防衛装備として取らないと一貫してやってきた」(代表の山口那津男)と慎重だ。メディアなどからは戦後堅持してきた専守防衛から「逸脱」しかねないとの指摘も上がる。NHKの世論調査(2020年7月)では能力保有の支持が40%で反対が42%。国民世論も割れている。

中国は台湾侵攻能力の向上を急ぐ。議論は時間との戦いだ。防衛省関係者は「米軍との役割分担を決めて計画を作り、訓練を行う際に『敵基地攻撃能力』を明確に位置づけないと前に進めない」と漏らす。

「日本の支えがないと米国も台湾を支援できない。中国がそう自信を持てば、抑止が崩れる」(村野)。自国の安全保障を米国に頼るだけではすまされない時代が本格的に到来した。 

国境の島の危機感

日本最西端の沖縄県・与那国島は人口1700人弱の小島だ。面積は東京都世田谷区の約半分、わずか29平方キロ。島西側で海を望むと、晴天下では台湾の山並みが見える日もある。最短距離は111キロ。沖縄本島までの約5分の1だ。

「与那国が巻き込まれるのは確実だ」。昨年11月下旬、与那国町長の糸数健一(68)は産経新聞の取材に対し、台湾有事への強い危機感を語った。

島には2016(平成28)年、陸上自衛隊の駐屯地が開設され、沿岸監視隊員約170人が東シナ海で脅威を増す中国軍の動向を監視してきた。23年度までには陸自電子戦部隊約70人の追加配備が予定され、航空自衛隊の移動警戒隊も常駐を始める。中台関係の緊迫化を受けた措置だ。

昨年11月には米インド太平洋軍司令官のジョン・アキリーノが駐屯地を視察した。アキリーノは昨春、台湾有事は「大多数が考えるより間近に迫っている」と語っていた。米統合参謀本部議長のマーク・ミリーは昨年11月、台湾有事は「向こう12~24カ月はない」と指摘したが、国防総省高官は、中国軍が27年までの近代化目標を達成すれば、台湾有事で「より実効性の高い軍事的選択肢を確保し得る」との認識を示した。

中国軍に対する日米同盟の「耳と目」となる与那国島など先島諸島は、中国が台湾侵攻に踏み切れば戦域に含まれる恐れがある。

政府に対する不信

与那国町議会の議長、崎元俊男(56)によると、駐屯地開設前に強かった反対運動は「下火」になった。自衛隊誘致をめぐる当時の住民投票では賛成632票に対し、反対も445票を数えたが、20年にあった電子戦部隊配備への抗議集会の参加者は7、8人にとどまったという。

「国境・離島防衛は不可欠と(の意識が)住民に浸透してきている」。地元選出の沖縄県議、大浜一郎(59)はそう説明した。

ただ、自衛隊が部隊を増強しても駐屯するのは「守備隊ではない」(糸数)。有事の島民避難や台湾からの邦人退避、多数の避難民は町だけではとても対応できない。「国はシミュレーションをしているのか」。糸数は政府への不信感をのぞかせた。

「武力侵攻でも平和統一でも、台湾が中国に併吞(へいどん)されれば島の周りに中国軍が出没し、漁はできなくなる」。与那国町漁協組合長の嵩西(たけにし)茂則(59)の言葉は切実だ。そうなれば住民は島を離れ、日本最西端の領土は「自衛隊だけが残る国境の島になる」。

島西部の高台にある駐屯地に島に1台しかないタクシーで訪れると、警衛隊員が駆け寄ってきた。「門柱以外は撮らないで」。島に張り詰めた空気が漂う。

防衛強化急ぐ台湾

海の向こうの台湾には中国の圧力が高まっている。

防空識別圏(ADIZ)への中国軍機進入は昨年10月4日に1日当たりで過去最多の延べ56機を記録。昨年1年間の累計は延べ970機に上り、20年1年間の延べ約380機から激増した。

軍出身の台湾の国防部長(国防相に相当)、邱国正(きゅうこくせい)は、状況は「40年余りの経験で最も深刻だ」と説明。25年には中国軍が台湾への全面侵攻能力を備えるとの認識を明らかにした。

台湾は防衛強化を急ぐ。米政府によると、米国が台湾への売却を決めた武器総額は17年以降、約190億ドル(約2兆2千億円)相当。蔡英文政権は22年度国防予算を過去最高の3726億台湾元(約1兆5千億円)とし、さらに今後5年で約2400億台湾元を投じてミサイルや艦船を増強する。

台湾では少子化や徴兵制から志願制への移行で兵士のなり手が減っている。今年から予備役の増強を図り、兵士不足を補う対策も始めた。訓練に昨年参加した予備役の男性(27)は「どれだけ戦力の向上につながるか分からないが、台湾を守る意思が強まる」と気を引き締めた。

吉田茂が抱く思い

日本が主権を回復した1952年のサンフランシスコ講和条約発効から今年4月で70年。日本が問われているのは「自分の国を守る意思」だ。条約に署名し、日米同盟の下での軽武装・経済成長路線の道筋をつけた元首相の吉田茂は、63(昭和38)年出版の著書「世界と日本」でこう語り、未来の世代に期待を託した。

「(日本が)いつまでも他国の力を当てにすることは疑問であって、自らも余力の許す限り、防衛力の充実に努めねばならない」

 ◇

 日本が戦後復興を急ぎ、経済を軌道に乗せるために、他国(米国)に日本防衛の肩代わりをしてもらったのは、当時としてはやむを得ない選択だったのでしょう。しかし復興を成し遂げ、世界第2の経済大国になってからも、延々と米国の核の傘と基地の米軍にその役割を委ね、「専守防衛」の理念を持ち続けたのは、「主権国家」の体をなしていない、と言えるのではないでしょうか。

 ようやくここへ来て、政府も重い腰を上げ、国の安全保障の考え方の方向転換をしようとしているのは、歓迎されることです。ただあくまでも「主権回復」との論理的帰結ではなく、日本を取り巻く地政学的リスクがそうさせたというのには、やや不満が残りますが、ここにも戦後メディアや大学教授などの有識者が植え付けた「軍は悪」との国民意識が、根強く残っているからでしょう。

 あるテレビ番組で、若いコメンテーターが、「国防」それにつながる「軍隊や軍備」を話題として取り上げるのを、忌避してきた歴史がある、と言っていましたが、その通りで、今後はメディアでも教育でも、民間の話題にでも、「国防」を避けることなく取り上げることが、重要になってくると思いますね。


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2022年1月14日 (金)

福島香織氏:北京五輪は専制主義プロパガンダの祭典で、中国共産党のための五輪

3_20220113153301  3週間後に迫った、北京冬季オリンピック。アメリカなどの参加ボイコット(実際は政府関係者の不参加)と、オミクロン株の世界的蔓延に揺れている中での開催になります。

 しかし中国共産党は、あの手この手でこの国家的イベントを、権威を誇示するための道具にしたいようです。フリージャーナリストの福島香織氏はJBpressへの寄稿文において、その現状を紹介しています。タイトルは『北京五輪は専制主義プロパガンダの祭典になってしまうのか 世界に見せつける「中国共産党のための五輪」』(1/13)で、以下に引用してその内容を記述します。

 ◇

 中国の北京に隣接する直轄市、天津市で新型コロナ「オミクロン株」の地域感染が拡大するなか、3週間後に北京冬季五輪が開幕する。

 当局は1月4日、冬季五輪開催前に「閉環(閉鎖環境)式管理」を発動。北京冬季五輪組織委員会によれば、これは国際イベントにおける最も厳格な管理方式で、日本の「バブル方式」を一層徹底したもののようだ。オミクロン株という極めて感染力の強いコロナウイルスが北京に隣接する天津市で拡大し始める中で、あくまで「ゼロコロナ」に固執する中国は果たしてどんな北京五輪を行うのか。

 そして、ウイグル人弾圧や香港の民主活動家拘束問題について、何ひとつ国際社会に向けて前向きな対応を見せず、性暴力を告発した女子テニスプレイヤーの彭帥(ほうすい)や人権派弁護士の唐吉田(とう・きつでん)ら多くの人たちが「失踪させられて」いる状況で、また日本を含む多くの国が外交的ボイコットを行っている状況で、中国は強引に五輪を開催してどのようなメリットを得られるのだろうか。

「外界」との直接接触は一切禁止

 中国の管理方式は、東京五輪の「バブル方式」をさらに厳密にしたものだ。外界と隔絶した比較的大きな閉鎖環境を作り、そこに五輪スタッフを開幕1カ月前から閉じ込め、まず「滅菌消毒」する。その数は、ボランティア、清掃員、調理師、運転手なども含めて数千人におよぶ。これを冬季五輪開幕前閉環(閉鎖環境)管理プロセスと呼んだ。いったん閉鎖環境に入ると、その後はいかなる理由があっても外界とは直接接触できない状況に置かれる。

 閉環には「大環」といくつもの「小環」、つまり大きな閉鎖空間の中に小さな閉鎖空間がいくつもある格好になっている。小環とは、選手村、訓練施設、競技会場、メディア取材会場など個別の場所で、それぞれが小さな閉鎖環境となっている。

 国外から来た選手、スタッフ、来賓、記者らは、それぞれがこうした小環に入ることができるが、たとえば小環から自由に出て大環の中を自由に動きまわれるかというと、それはできないらしい。そこが日本のバブル方式よりも厳格だ。

 小環と小環の間は決められたバス、専用高速鉄道などの交通機関で移動できるが、この交通機関も閉鎖空間のひとつであり、バス、鉄道の中も外界の人との接触はない。

専制国家ならではのルール徹底

 外国から来る五輪関係者は、空港でワクチン接種状況を確認され、PCR検査を全員受ける。ワクチン未接種者は専用の交通機関で隔離施設に移動、21日間の高度集中隔離措置(つまりホテルから一歩も出られない)を受けたのち、専用の交通機関で選手村、あるいは五輪組織委契約のホテルに移動する。

 選手村、ホテル、競技場や開幕閉幕式会場、五輪関係者用飲食施設、メダル授与式典会場、メディアセンターなどを含めた地域は「大環」という形で閉鎖環境となっているが、その閉鎖環境内にいても、毎日のPCR検査、検温や自覚症状などのチェックは必須という。海外からの観客は一切受け入れない。

 外国選手、コーチ、スタッフらは再び出国するまでの間、この閉鎖環境から一歩も外に出ることはできず、毎日、PCR検査など必要な検査を受け、必ずマスクをつけることが義務付けられる。

 入境手続きなどの際に選手らに接触するスタッフは、すべて防護服を着ることになる。移動の車が専用車であるだけでなく、通行する道路も専用道路となり、一般の中国民衆とは完全に隔絶されるという。

 東京五輪では決められたルールを守らない選手やスタッフがいたが、中国当局を相手にルールをあえて破ろうとする人はいないのではないかと思われる。これだけルールを徹底して、有無を言わせず守らせることができるのが、専制国家である。

 1月10日に江蘇省無錫市でオミクロン株感染者が確認され、今、中国では少なくとも6都市でオミクロン株感染が確認されている。しかも北京に隣接する天津では市中感染が広がっており、オミクロン株の感染拡大のスピードを考えると北京でも市中感染は起きていると想像できる。

 オミクロン株の症状は軽くはないがデルタ株ほどは重症化しにくいとされ、普通の風邪と判別しづらく、「隠匿性」が高いとみられている。中国の場合は「社会面清零」という政策、つまりコロナ感染が分かれば、濃厚接触者、準濃厚接触者、たとえば同じアパートの住人を丸ごと隔離施設に放り込むといった厳格な措置をとっているので、「もしかしたら自分は感染したかも」と思っても多くの人は「隠匿」してしまうことだろう。

 そうした中国社会の状況を踏まえた上での閉環方式であり、このやり方であれば、おそらく外国選手の健康が危険にさらされる可能性はほとんどゼロに近いであろう。

 ただ、そういう状況で行う五輪は、いったい何のための五輪なのか、ということも考えさせられる。

裏切られた「中国が生まれ変わる」という期待

 2008年の北京夏季五輪は私も現地で取材したのでよく覚えている。この五輪の意義は、中国の一種の「国際社会デビュー」であった。海外の観光客、メディアに中国の発展ぶりを見せつけ、また中国の一般市民がホストとして外国人と交流する機会がふんだんにあった。北京の市民は、国際社会から田舎者と思われないように「文明化」運動を市民レベルで行い、社区の共産党員を中心に英語やマナー研修が行われた。それまで、路ばたや地下道、ときには地下鉄内のごみ箱などにトイレをいたす子供やおばあさんも、公衆トイレにいくまで我慢しましょうと教え込まれたし、唾やたんをところかまわず吐くのは文明的ではない、公共交通に乗り込むときはきちんと並んで横入りはやめよう、などと学びあったのだ。この北京夏季五輪時、北京市民のみならず中国人の“お行儀”が大きく向上したことは、私も目の当たりにしている。

 同時に海外からは、中国の市場がより開放され、自由化され、国際社会との触れ合いを通して価値観や文化の影響を受けて人権意識なども向上することが期待された。2008~2011年ごろに中国で労働者の権利向上を求めるデモや労働争議が増えたのは、こうした五輪効果が少なからずあったのではないか、と私は思っている。

 思えばこうした流れの中で、2009年7月に新疆ウイグル自治区ウルムチ市でもデモが行われた。広東省の工場で発生したウイグル人の暴行死事件について中国の司法がきちんと真相を捜査し裁くことを要求するもので、市民の“正当な権利”を求める平和的なデモであった。ところがなぜか最終的に「ウルムチ騒乱」という形で中国当局から武力弾圧され、「東トルキスタン独立派が裏で糸を引いていた」みたいな粉飾をされてしまった。

 結果的には、中国が国際社会とふれ合うことで人権問題などが改善し、文明国になる、という期待は見事裏切られた。その裏切られた原因はどこにあったのか、というのは別のテーマなので割愛する。

中国共産党のための五輪

 北京冬季五輪には、もはやそうした期待すら抱くことが許されない状況だ。コロナ禍なので致し方ないとはいえ、最初から中国庶民と国際社会のふれ合いなどありえないし、今は中国人同士ですら、自由に人と会ってモノを言える環境であるか疑わしい。中国の人権問題は2008年時点より大幅に悪化し、今や人権問題が存在するということを容易に認めることすら許されないほどの厳しい監視社会、言論・思想統制が徹底されている。

 この中国の厳しい人権問題が北京冬季五輪を契機に改善したり、国内外の共通認識として解決に動こうという運動になったりすることは、まずあり得ない。

 本来、「平和とスポーツの祭典」である五輪大会を開く意義は、争いや対立を超えて、五輪憲章にある人権や自由をはじめとする普遍的価値観を共有し、世界に広く伝えることではなかったか。

 北京冬季五輪では、選手は完全隔離された「無菌のフラスコ」の中で安全に競技を行えるかもしれない。しかし、生身の中国庶民と触れ合うことはできず、この国にどのような人権問題があるかを知らないまま、新彊ウイグル自治区やチベット自治区、香港の人々が何に苦しんでいるのかを知らないまま、多くのウイグル人、知識人、人権派弁護士たちが「失踪させられている」現状を知らないまま、ゼロコロナ政策によって「社会面」から排除された人々が隔離施設でどのような境遇にあるかも知らないままではないか。

 見る側も、フラスコ越しに美しい昆虫をめでるように、インターネットやテレビ越しに選手たちの活躍を見て応援できるという意味では、スポーツ競技観戦の目的は果たせるかもしれない。だが、五輪の本来の精神や意義を伝えることは不可能だろう。だとしたら何のための五輪か。

 答えは一つだ。中国共産党のための五輪なのだ。共産党にしてみると、この五輪は、おそらく中国の専制体制の素晴らしさを世界に披露する場であり、その成功は秋の党大会で習近平独裁任期継続を決めるための追い風になるだろう。

専制主義の素晴らしさを喧伝する場

 五輪およびパラリンピックの開幕式、閉幕式の総合プロデューサーは、2008年北京夏季五輪に続き著名映画監督の張芸謀。現代美術作家の蔡国強がビジュアル芸術デザインの責任者となり、2008年五輪開幕式で一緒に働いた沙暁嵐、陳岩らが再びライティングと美術設計を分担する。おそらく直前に芸術スタッフの更迭などもなく、5Gやお得意のドローン技術を駆使した演出はテレビ越し、インターネット越しに多くの観客に息をのませ、いろいろと東京五輪と比較されるかもしれない。

 国際的に有名な建築設計事務所「POPULOUS」が造った国家スピードスケート館「冰絲帯(氷のリボン)」や、5G4K放送室を備えて競技場をつなぐ五輪専用高速鉄道などをテレビで見て、世界がコロナ禍の経済悪化に苦しむ中でこれほどの潤沢な投資を五輪に向けられたことに素直に驚く人もいるだろう。

 そして、こう思う人もいる。ひょっとして、専制主義のほうが民主主義よりも経済発展や国家的大イベントの運営に都合がいいのではないか、ウイルス感染症をコントロールするにも専制主義の方がうまくいくのではないか、と。中国共産党の専制政治こそが、アジア的民主、中国式民主として、欧米の傲慢な民主主義にとって代わる新しい政治体制モデルではないか──、と思い始める人もいるかもしれない。

 要するに中国にとって今回の五輪は、国内的には国威発揚イベントであり、対外的には専制主義の素晴らしさを喧伝する大プロパガンダ、つまり洗脳工作なのである。

 もし今回の北京冬季五輪を見て「素晴らしい」と感銘を受ける人が世界に多ければ、我々の価値観は徐々に変わっていくかもしれない。人道や人権、自由よりも、全体が一つになって、安定して発展することが重要であり、そのためなら少数者も意見の異なる人も、人権も人道も蹂躙してもよし、と。

 2008年北京五輪では、国際社会に触れた中国の価値観や社会が、人権、人道重視に変化していくことが期待された。しかし、2022年北京五輪では、逆に中国側が成功をみせつけることで国際社会の価値観を変えていこうと目論んでいる。こうした洗脳を最も受けやすいのは、いまだウイグル問題や中国の人権問題について言及を避けがちな日本の政財界の人たちかもしれない。

 私個人としては、五輪が専制国家の宣伝に成り下がるのを何とか阻止したいとの思いでこの原稿を書いた。昨年の東京夏季五輪から、選手が表彰台などで政治的パフォーマンスを行うことが解禁となっているが、北京冬季五輪ではそんな自由が許されるのだろうか? 「すべてのウイグル人が自由に家族に会える日がきますように」などと表彰台でコメントしたり、中国メディアのインタビューで、「失踪中」の人権弁護士、唐吉田に触れてくれる選手がいるだろうか?

 北京冬季五輪を楽しみにしている人も、見ないと決めている人も、参加する人もしない人も、この五輪がもたらす影響が少しでも人権・人道と平和のために利するものになるにはどうすればいいのか、少しだけでも考えてほしい。
 ◇

 前回のブログでは、中国の人口が減少に転じ、このままの推移で30年後には半減するという記事を取り上げました。習政権もそれに気づいているのでしょうが、10年後くらい先までは、極端な影響は出てこなくて、今のような権威主義は続けられるかも知れません。

 しかしそうは言っても経済は先を見ますから、人口減少の影響の兆しが見えてくれば、日本のように「失われた○○」がスタートしていくでしょう。そう言った経済衰退の予想される未来に、中国国民が今のように、共産党による水を漏らさぬような監視社会の中で、声を上げずに我慢し続けるかどうか。

 中国共産党とそれに支配された国民を、一つの巨大な組織と見なせば、組織の崩壊は内部から起こってくるでしょう。それも共産党内部の不協和音と国民の不満が同時発生し、不満と混乱の導火線に火がついたとき、大きな爆発となってこの国の崩壊につながるかも知れません。情報共有と相互信頼が極端に欠けたこの専制国家では。


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2022年1月13日 (木)

人口減少が既に始まった中国。30年後には半減も、企業進出にはリスクあり

2_20220113103701  日本の少子高齢化が問題になり始めた時期と、バブル崩壊後の時期がほぼ同時だったと記憶しています。それは失われた30年の起点でもあるわけです。今後ともこの問題は、国内景気の減衰やそれが生み出す税収の落ち込みと共に、様々な問題を引き起こしていくことが予想されます。

 ただこの問題、豊かさを享受している先進国では、共通の課題となっています。そして日本同様、急激な少子高齢化の波に見舞われそうなのが、東アジアで隣国の韓国、中国です。特に中国は、豊かさを満喫する前に少子化が進む異例の国ですが、その背景には一人っ子政策という、政治が絡む問題があったからでしょう。

 その中国の状況を、ジャーナリストで高知大学客員教授の河合雅司氏が、現代ビジネスに寄稿した記事から見てみます。タイトルは『2050年、「中国の人口が半減する」という衝撃事実 合計特殊出生率「1.3」は本当か』(1/13)で、以下に引用します。

 ◇

日本で人口減少が叫ばれる一方、世界では14億人もの人口を抱える中国が大きく変貌し始めていることをご存知だろうか。2050年には人口が半減するとも言われているのだ。『世界100年カレンダー』著者の河合雅司氏が、中国の人口激減とその衝撃実態を描き出す――。

*************

中国マーケットは魅力的か

2020年の国勢調査は、日本の総人口を1億2614万6099人だとした。国勢調査における人口減少は2回連続である。

国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2040年までの20年間だけで1500万人以上も減る。その一方で出生数の減少スピードはコロナ禍の影響もあって加速しており、人口減少が下げ止まる気配は全くない。

このままではズルズルと国内マーケットは縮小していく。だからと言って、外国人をあてにするのも難しい。国勢調査によれば外国人人口は前回調査より43.6%増加し過去最高となったが、この5年間の増加数はわずか83万4607人にとどまる。とても日本人の減少幅を穴埋めできる数ではない。外国人観光客も、感染症の波が繰り返し起きている現状を考えると過度の期待は禁物だ。

まさに八方塞がりである。もはや多くの企業は国内マーケットの縮小を前提として経営戦略を立てざるを得ない。

高付加価値化による収益構造の転換が急がれるが、海外マーケットに活路を見出せる企業は軸足を移すのも選択肢となろう。

だが、「海外マーケット」と言っても広い。進出する国を間違えたならば、大きな痛手を受けるだけで終わる。

海外マーケットの取り込みには時間がかかるためだ。現状では魅力的に映っても、数十年後には先細りしていく国もある。こうした国は避けたほうが賢明である。

その代表格が中国だ。経済にかつての力強さが見られなくなったからでも、米中対立の狭間で苦しむことを危惧しているわけでもない。もっと構造的な問題が横たわっているからである。

人口激減の未来地図

2020年の中国の国勢調査によれば、同国の総人口は世界最多の約14億1178万人だったが、これから人口減少によって巨大な消費マーケットや豊富な労働力を短期間で失っていく予測されているのだ。

言うまでもなく中国は巨大な人口を武器として短期間で経済発展を遂げたが、現在ピークにあると言ってよい。経済的に結びつきの強い隣国ではあるが、深追いしすぎると命取りとなりかねないのである。

中国の総人口がどれぐらい減るのかを見ていこう。人口減少については中国政府も認めている。問題はそのペースだ。速ければ社会の負担は大きく、経済成長にブレーキをかける。

そこでポイントとなるのが合計特殊出生率となる。中国政府は2020年の国勢調査に合わせて「1.3」と公表した。これは国連の低位推計が前提としている値に近い。そこで、低位推計による2100年の総人口を確認してみると6億8405万人だ。80年かけてほぼ半減するということである。

ところが、「1.3」という数値については、中国国内の学者からも「実態より高い」といった異論が噴出している。中国国家統計局は2000年の合計特殊出生率を1.22、2015年については1.05としてきており、各国の研究者には「実際には1.0~1.2程度」との見立てが少なくないのだ。

「1.3」に否定的な見方が強いのは、中国政府が発表した他のデータが深刻なこともある。例えば、2020年の年間出生数は1200万人とされたが、2019年の1465万人と比べて18%もの大激減であった。

わずか1年で2割近くも減るというのは尋常ではないが、中国が毎年発表してきた年間出生数にも疑いの目が向けられてきた。それが国勢調査で一挙に表面化した形だ。国勢調査は0~14歳人口を2億5338万人としたが、該当する年の年間出生数を足し合わせても2億3900万人ほどにしかならず、1400万人もの食い違いが生じたのである。

各年の出生数は政府が発表してきた数値よりも少ない可能性が大きく、中国の人口はすでに減少に転じていると分析する学者が少なくない。北京大経済学院の蘇剣教授も、2019年に北京で開催されたマクロ経済に関する会議において、「2018年に減少に転じた可能性がある」との分析結果を公表している。

衝撃的な研究レポートの中身

さらに「1.3」を疑わせることになったのが、中国国家統計局の年報だ。2020年の出生率(人口1000人当たりの出生率)を8.52人と発表したのである。これは比較可能な1978年以降で最低であり、10人を下回ったのは初めてであった。

そもそも人口統計に限らず中国の統計データはかねて信憑性を疑われてきた。これらのデータを総合的に判断するなら、多くの研究者が指摘する1.0~1.2台と考えるのが自然だろう。

合計特殊出生率が1.0~1.2台ならば、母親世代と娘世代と比較して出生数がほぼ半減していくこととなり、総人口はとてつもなく速いスピードで減っていくこととなる。

これを裏付けるような衝撃的な研究レポートがこのほど西安交通大学の研究チームによって発表された。合計特殊出生率が1.0の場合、2050年には中国の総人口は7億人台になるというのだ。中国政府の“言い値”の通り「1.3」が持続したとしても2066年には7億人台になるとしている。

あと30年を待つことなく総人口が半減する事態となったならば、社会の各制度を改革している暇がなくなる。半減に至るまでもなく年金をはじめ人々の暮らしにひずみが生じ、社会の混乱が避けられないだろう。

『大国空巣』(=空っぽの巣の大国という意味)の著者でもある米国のウィスコンシン大学の易富賢研究員は、2020年に発表した論文で中国の総人口を12億6000万人と推計している。さらに、2100年の総人口は4億人を割り込み、3億人台にまで落ち込む可能性があるとの予測も示している。ここまで減ったならば、中国社会は現在とは全く異なる姿となる(中国の人口データの詳細については、拙著『世界100年カレンダー』を参照いただきたい)。

3人に1人が高齢者に…

中国が激しい人口減少を招くことになった要因は「一人っ子政策」である。中国政府は、自らまいた種に苦しんでいるのだ。

危機感を募らせた中国政府は1組の夫婦が子どもを3人までもうけることを認める政策の大転換を図ったが、その効果は疑問視されている。かつて条件付きで2人目の子どもを認める緩和策を講じた際も、思うような出生数の回復につながらなかったからだ。多くの人は、国の政策で制限を受けているから子どもを1人で諦めているわけでなく、個々の夫婦が意思として1人しかもたないようにしているのである。

人口が減ることだけが課題ではない。むしろ、中国は人口減少の過程で起きる高齢化の進行に苦しむこととなるだろう。

国家衛生健康委員会によれば、2020年11月1日時点における65歳以上は日本の総人口を上回る1億9064万人を数えた。高齢化率は13.5%だ。すでに圧倒されそうな人数だが、中国の高齢化スピードは速く高齢化の本番はこれからだ。2060年には高齢者数のピークを迎え、この時点の高齢化率は33.8%に達する。3人に1人が高齢者という社会である。

高齢化の進行に伴って勤労世代(20~64歳)は減っていく。国連の低位推計によれば、2020年の9億2978万9000人から、2100年には3分の1の3億752万7000人になるという。今後40年間は、日本と同じく勤労世代が減りながら高齢者だけが増えるいびつな社会になるということである。

これを65歳以上の高齢者に対する25~64歳の人口比率でとらえ直すと、2050年には1.9となり、早くも2人の勤労世代で1人の高齢者を支えなければならなくなる。合計特殊出生率が「1.3」よりも低ければ、もっと早い段階でこうした社会が到来する。

すでにいくつもの省の年金積立金の枯渇危機が伝わってきているが、勤労世代の負担は年を経るごとに大きくなる。それは、やがて若者の不満の高まりや労働意欲の減退という形で表れることだろう。

年金生活になれば、若い頃のようには消費できなくなる。必要とするモノやサービスも年齢とともに変わる。すなわち、実際の人口が減少する以上にマーケットは縮むということだ。中国政府は人口減少に伴う経済面のマイナス要素を技術革新によってカバーすると考えているようだが、社会としての“若さ”を失うにつれてイノベーションを起こす力も弱っていく。

中国には、十分に豊かになる前に衰退がはじまることを指す「未富先老」という言葉があるが、これらの人口データを見る限りそうした未来は避けられそうにない。いくつかのシンクタンクは、中国のGDPが米国を追い抜くといった予測をしているが、夢物語に終わるかもしれない。実現したとしてもつかの間のことだろう。

中国は今、大きく変貌し始めているのである。幻想にいつまでも追いすがり、闇雲に突っ込んでいったならば、日本企業は国内マーケットの縮小と中国マーケットの変質という2つの課題を同時に抱え込むことになりかねない。日本の人口が増えていた時代ならまだしも、国内マーケットが崩れていく過程においてはあまりに重荷だ。これまで多くの企業が成功した国だからといって、今後もうまくいくとは限らないのである。

どこの国のマーケットに将来性があるのかを知るのに、既存のイメージに頼り、中途半端な情報に振り回されるのではあまりに危うい。初めて本格的な海外進出を目指す企業はなおのことだ。現地のデータを可能な限り収集し、慎重に分析する必要がある。

 ◇

 中国の人口減少による問題は、先行する日本と同様な問題に加え、高齢者福祉や年金と言った部分には、日本以上に大きな問題が残るようです。更には共産主義一党独裁による弊害も付きまとうでしょう。よその国のことを、とやかく言えるような日本の状況ではないにしても、河合氏の指摘のように、中国のマーケットを将来的にも当てにするのは、極めてリスクが大きいことは念頭に置くべきでしょう。

 加えて日本は豊かさを経て少子化に移行した分、企業も個人も資産の蓄えはある程度あります(2020年で2千数百兆円)。それを有効に活用して何とか経済を活性化し、少子化のスピードを少しでも緩める努力は是非必要でしょう。岸田政権の言う「成長と分配」の分配の原資は、成長がなければ達成できないので、そのためにうまくこれらの資産を活用していけるかが、問われるところだと思います。


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2022年1月11日 (火)

中国で「AI検察官」を導入?果たして検察能力は?そして日本の検察は?

Photo_20220110164501  日本の検察が扱う刑事裁判の有罪率は、99%を超えていると言われています。これほど高い有罪率の要因の一つは、警察から送検された事件を、起訴するか不起訴にするかを決めるのは検察官で、起訴した場合に、その人が有罪であることを刑事裁判で証明しなければならないのも検察官です。そのため、検察官としても、今ある証拠できちんと証明できるかということを真剣に検討してから、証明できると判断した事件だけを起訴しています。そのため、起訴された案件が有罪になる可能性がこれほど高くなるのでしょう。

 もちろん検察官自身の能力も高いことは、間違いないと思います。しかし検察官の処理する能力を上回る起訴事件が発生した場合、AIに部分的に頼ることができれば負担軽減になりそうです。そういう背景があるかどうかは分かりませんが、中国において「AI検察官」システムを開発し導入されたようです。

 ジャーナリストの松岡由希子氏が、Newsweek誌に寄稿したコラムからその様子を見てみます。タイトルは『AIが97%の精度で起訴する『「AI検察官」が中国で開発される』(1/7)で、以下に引用します。

 ◇

<中国上海市浦東新区人民検察院によって「AI検察官」が開発され、試験的に導入された>

中国の研究者チームは「人工知能(AI)を用いて人々を訴追するシステムの開発に世界で初めて成功した」と発表した。香港の日刊英字新聞「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が2021年12月26日に報じた。

1_20220110164601  犯罪が疑われる事件の記述をもとに97%超の精度で起訴できる

この「AI検察官」は、中国で最も広範で多忙な地方検察庁である上海市浦東新区人民検察院によって開発され、試験的に導入された。犯罪が疑われる事件の記述をもとに97%超の精度で起訴できる。

研究者チームは「意思決定プロセスで、ある程度、検察官に置き換えられる」と評価。「AI検察官」の導入によって、検察官の業務負荷が軽減され、検察官がより難易度の高いタスクに集中しやすくなると期待している。

中国では、法執行機関においてすでにAI技術が活用されている。2016年には、証拠評価や逮捕の要件、容疑者が公共の危険を生じさせるおそれがあるかの判断を支援するAIツール「システム206」が導入された。

2017年8月には、オンライン購買、オンラインサービス、インターネット上の著作権侵害、ドメイン名紛争などに関する民事・行政案件を一審として審理する「杭州インターネット裁判所」が設立された。起訴・応訴・仲裁・審理・判決といった裁判手続がインターネットで行われ、裁判文書はAIを用いて作成される。裁判官は一連の裁判手続をモニタリングし、AIが作成した裁判文書を修正して、判決を下す。

1万7000件超の刑事事件を用いて学習させた

しかしこれまで、AIの意思決定プロセスへの関与は限定的であった。このような意思決定には、複雑な人間の言葉を識別し、コンピュータが理解できる形式に翻訳するマシンが必要だからだ。テキストや音声、画像を分析する「自然言語処理(NLP)」と呼ばれるプログラムや検察官がアクセスできないスーパーコンピュータが必要となる。

そこで、研究者チームは、標準的なデスクトップコンピュータで動作する「AI検察官」を開発。2015年から2020年までの1万7000件超の刑事事件を用いて学習させ、人間が作成した事件の記述から1000の特性をもとに起訴できるようにした。

現時点で、上海で犯罪件数の多いクレジットカードの不正利用、賭博、危険運転、窃盗、詐欺、傷害、公務執行妨害のほか、日本語で「騒乱挑発罪」とも訳される「寻衅滋事罪」を起訴する。

「AI検察官」の導入に対し、懸念も示されている。広州市のある検察官は「技術的見地に立てば、97%の精度は高いのかもしれないが、判断を誤る可能性は常にある。間違いが起こったとき、いったい誰が責任を負うのだろうか」と指摘。「AIはミスを見つけるのに役立つかもしれないが、意思決定において人間の代わりにはなりえない」と主張している。

 ◇

 現状ではあくまで「AI検察官」は、検察官の補助的作業をこなすのに用いるのが適当なようです。それにしてもこの分野も含めて、中国の方が日本より「AI」の活用は進んでいるようです。

 ところで日本の検察における有罪率は高いのですが、平成27年のデータによれば、刑事裁判の終了件数は74,111件、そのうち有罪件数は53,120件、無罪件数は70件となっており、単純に有罪と無罪の件数から有罪率を計算すれば、99.9%になります。ただ有罪、無罪になった件数以外に、免訴、控訴棄却、管轄違い、併合、その他というのが有り、これらを有罪ではない項目に含めると、正味の有罪率は71.7%になります。しかし何れにしても無罪より有罪の方が圧倒的に多く、起訴した事件は殆ど有罪になるという見方は間違いないのかも知れません。

 一方警察の検挙率は、これも平成27年のデータでは35.7%で余り高くありません。これは窃盗などの軽犯罪が多く見逃されているからで、殺人や強盗などの重要犯罪に限ると検挙率は80.3%に達しています。

 しかしその後の起訴率に関しては、これも平成27年には、刑法犯における起訴率は39.1%、起訴猶予率は50.4%で、道路交通法違反を除く特別法犯においても、起訴率は53.3%、起訴猶予率は41.5%となっています。不起訴の中で起訴猶予を除く部分は「嫌疑なし」、「嫌疑不十分」で、いわゆる警察で取り調べを行っても証拠がないか不十分で起訴できなかった部分になります。

 ここで言いたいことは、通報等で確認した犯罪者を何とか検挙しても、約半数は起訴できていないことになります。つまり決定的な証拠がないために、不起訴になるか、罪が軽いとか情状酌量の結果だとかの理由で、あるいは検察官の判断で起訴を見送られるのが、半数はいると言うことです。

 よくドラマで、取り調べに素直に応じない容疑者や、黙秘を続ける容疑者のシーンが映し出されますが、警察で起訴に持って行くのは大変なようです。これも日本の刑事訴訟では、「疑わしきは罰せず」あるいは「疑わしきは被告の利益に」という原則があるからです。

 憲法でも第31条から40条まで、被告人の権利を守るように規定されています。冤罪を防ぎ不当な取り調べが行われないよう、謳っているのです。それはそれで重要なことですが、しかし被害者の権利は何処にも謳われていません。弁護人も特別な場合を除いては、被害者側にはつきません。検察が間接的に被害者の弁護人のような形を取りますが、原則として検察官は訴状に対し証拠を固めて、被告人の有罪を立証するのがその役割なので、厳密には弁護人ではありません。

 何れにしても、日本では犯罪者に有利な法体系になっていると言えます(日本だけではないかも知れませんが)。しかも個人情報の保護やプライバシイ擁護の観点から、犯罪者を特定しにくく、また検挙してからの警察の捜査も、非常に制限が多くなっています。また起訴を逃れた被告人の再犯も予想されます。

 その結果この先、犯罪の多様化や過激化、複雑化に対処しにくく、一般市民にとってリスクが高くなる恐れを感じています。もっと被害者保護に目を向けた制度改正を願ってやみません。AI導入の検討はその後でしょう。


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2022年1月10日 (月)

苦戦の日本製造業、果たしてその復活はあるのか

L_ikko_20160531panaekishou01  以前このブログで、世界食料争奪戦で日本が買い負けている実態を取り上げました。今回は家電や半導体に代表されるように、製造業の衰退とその要因を探りたいと思います。強い日本の復活を願うものとして、見逃せないテーマでもあります。

 そして実際復活が可能なのか、その経緯と要諦を経済評論家の加谷敬一氏がJBpressに寄稿した記事に見てみます。タイトルは『凋落の日本製造業、復活までのハードすぎる道のりを進めるか? パナソニックのテレビ事業整理から考える日本経済の構造変化』(1/10)で、以下に引用して掲載します。

 パナソニックが中国の家電大手TCLにテレビの生産委託を決めた。自社生産は上位機種だけとなり、大半の機種は外部企業が生産する。同社は白物家電についても合理化を進めており、生産をベトナムに集約化している。日本メーカーによる生産拠点の海外シフトは今に始まったことではないが、モノ作りの代表格のひとつだったテレビの海外シフトによって、製造業からの脱却がさらに進むことになる。(加谷 珪一:経済評論家)

************

日本メーカーはもはや商社のようなビジネスになった

 パナソニックは洗濯機や冷蔵庫など白物家電を得意とするメーカーだったが、その後、テレビやビデオなどAV機器の事業を拡大、ソニーと人気を二分していた。2000年代にはテレビ薄型化の流れに伴い、プラズマディスプレイに巨額投資を行ったものの、液晶パネルの躍進によって、同社のテレビ事業は縮小に転じた。一方、韓国サムスンやLG、中国TCLなど後発メーカーは2000年代後半から一気にシェアを拡大し、2010年代に入るとパナソニックは市場での存在感を急速に失っていった。

 今回、同社が中国TCLに生産を委託するのは大半の低価格機種で、自社生産を行うのはごく一部の上位機種となる。加えて各国の生産拠点からの撤退も進んでおり、最終的にはマレーシアと台湾のみになる。国内唯一の拠点だった宇都宮工場(栃木県)も有機ELの生産に限定される見通しだ。メーカーとしては相応のラインナップが必要であることから、生産委託という形で販売を続けるが、収益という点ではほとんど貢献しないだろう。

 白物家電についてはすでに事業の整理が進んでおり、三洋電機を子会社化したのち、同社の白物家電部門は中国のハイアールに売却。パナソニック本体についても、タイなど海外への生産拠点の移管を進めてきた。だが中国企業とのコスト競争がさらに激しくなったことから、タイでの生産からも撤退しており、さらにコストの安いベトナムへの集約を進めている。

 家電の世界シェアを見ると、冷蔵庫は中国のハイアールがトップとなっており、エアコンは珠海格力電器を筆頭に中国メーカー4社が市場の50%以上を占めている。パナソニックや三菱電機、シャープといった日本メーカーは、国内市場だけで何とか売上高を維持しているに過ぎず、グローバル市場では競争力をほぼ失った状況にある。

 先ほど取り上げたテレビについても、日立製作所はすでに自社生産を終えており、三菱電機も生産終了を決めた。ここまで生産台数の減少や海外への移管が進んでしまうと、日本メーカーはもはや純粋な製造業ではなく、製品を輸入して国内で販売する商社のようなビジネスモデルに近くなる。

 実際、日本の産業構造は限りなく商社型にシフトしており、こうした動きはマクロ経済的にも大きな影響を及ぼしている。

日本の交易条件は年々悪化している

 日本の製造業が商社型になれば、国内生産は行わず、海外から必要に応じて製品を調達する経済構造にシフトしていく。そうなると日本の交易条件は悪化せざるを得ない。

 現実問題として、近年、日本の交易条件は悪化する一方となっている。交易条件とは輸出価格指数を輸入物価指数で割った指標で、1単位の輸出によってどれだけの輸入を賄えるのかを示している。交易条件が良いと、輸出によって賄える輸入が増えるので、輸出によるメリットを享受しやすくなる。一方、交易条件が悪いと、海外に流出する富が多くなってしまう。

 交易条件が悪化しているのは、日本企業の輸出競争力が低下し、貿易面で不利になっていることが原因である。

 輸出競争力が低下すると、企業は安値販売を強いられるようになり、十分な収益を上げられなくなる。企業はコスト削減に走るようになり、場合によっては製造拠点を海外に移してしまう。こうした製品戦略では付加価値を高めるのは難しく、結局は輸出単価の下落につながり交易条件をさらに悪化さてしまう。

 日本の製造業の競争力が低下したのは為替が原因であるとの指摘があるがそれは事実ではない。アベノミクス以降、為替が円安に進み、見かけ上の輸出額は増えたが、数量ベースではほぼ横ばいの状況が続いてきた。数量が増えていないということは、商品の販売が伸びていないということであり、よほど付加価値の低い製品でもない限り、輸出競争力を決めるのは製品そのものであって為替ではない。

 為替と輸出競争力が無関係であることは、過去の経緯を見ても明らかである。1985年のプラザ合意をきっかけに日本は猛烈な円高に見舞われたが、この時、日本企業はむしろ輸出額を増やしている。競争力さえあれば、通貨高になっても販売は落ちないものだ。

輸出競争力が低下したのは為替が原因ではない

 企業の競争力低下に加えて、交易条件に影響するのは、海外の物価動向である。交易条件の長期的推移を見ると、1970年代前半に大幅に交易条件が悪化しているが、これは73年に発生したオイルショックが原因である。産油国が一気に原油価格を引き上げ、それに伴って多くの一次産品の価格が値上がりしたことで、全世界的にインフレが進んだ。当時の日本企業はまだ輸出競争力を保っていたが、輸入価格の大幅な上昇は交易条件を一気に悪化させた。

 79年に発生した第2次オイルショックを経て、日本の交易条件は多少持ち直したが、90年代半ばから再び悪化が始まっている。今、進んでいる交易条件の悪化は、まさに日本企業の競争力低下が原因である。

 日本はすでに輸出ではなく、消費や投資で経済を回す消費主導型経済にシフトしているが、経済構造は依然として輸出主導型のままである。日本企業の賃金は圧倒的に製造業の方が高く、経済の主役となっているサービス業の賃金は低い。こうした状況で円安が進んでしまうと、輸入価格の上昇による購買力の低下によってさらに消費が悪化するという悪循環に陥ってしまう。

 こうした事態を防ぐためには、一刻も早く、消費主導によって経済を成長させる道筋を確立する必要があるが、うまくいっているとは言えない。

 国内の一部には、日本の製造業の競争力は依然として高く、売り方が下手なだけであるとの見解も根強く残っている。だが交易条件の継続的な悪化というデータを見れば、その見解は単なる願望でしかないことが分かる。

 輸入条件が変わらない場合、交易条件が悪化しているということは、輸出価格が下落していることを意味している。輸出企業の競争力が高ければ、中国や韓国企業とコスト勝負に巻き込まれることはなく、高い価格を維持できたはずだ。どうしても欲しいと顧客が考える製品を提供できておらず、これが競争力低下につながっているという現実についてしっかりと受け止める必要があるだろう。

本当に製造業の復活を望んでいるのか?

 もし、輸出競争力を復活させる形で、かつての成長軌道を取り戻すという場合には、ドイツのような徹底した企業改革が必要となる。ドイツは高付加価値な製造業へのシフトを進めるため、競争力を失った分野は容赦なく切り捨て、経営者にも労働者にも高い目標を課すことで改革をやり抜いた。

 高付加価値な製造業で成功するためには、顧客の問題を解決するいわゆるソリューション型のビジネスを実施する必要があり、高度な英語力が必須である。ドイツは英語圏ではない国としては突出して英語の通用率が高く、これが製造業の競争力維持に貢献している。

 製造業のソリューション化を進めるためには高いITスキルも求められる。ドイツにはSAPという世界を代表するIT企業が存在しており、これが製造業のIT化に大きな役割を果たしている。

 つまり今の時代において、製造業の国としてやっていくためには、(1)経営者や労働者に対する高い成果目標の設定、(2)高度な英語力の獲得、(3)高度なITスキルの習得、が必須となるが、これら3項目は日本社会がもっとも忌避してきたことでもある。

 製造業を強化せよと叫ぶのは簡単だが、今の日本人に上記3項目を本気でやり切る覚悟はあるだろうか。1億人の国内消費市場を生かす形での成長を模索した方が、はるかに現実的だと筆者は考えている。

 ◇

 中国の脅威に備えるためにも、中国への経済依存度を下げたいと思っていても、加谷氏のこの記事にあるように、多くの日本企業が中国に買収され、また製品の競争力も圧倒されているのが現状です。

 かつて急激な円高に伴って、多くの企業が生産拠点を海外に移し、国内の空洞化が進みました。海外移転した企業の収益を、国内の投資に還元せず、海外でのさらなる投資につぎ込んだ結果、ますます空洞化が進み、加谷氏の指摘の通り、今や多くの製品は輸入に頼っているのが現状です。

 以前取り上げた農産物や畜産品と同じように、製造業の製品もかなりの部分が海外で製造されたものとなっています。衣料や玩具など100%に近いでしょう。円安も進んだ今輸入価格は上がり、ますます製造段階での付加価値は海外に流れてしまい、日本で残るのは取り扱い企業の販売の収益のみとなります。

 最近拡大している100円ショップの製品もほぼ100%海外からの輸入品です。製造の付加価値も一切なく、また日本でのデフレの一因ともなっています。消費者には喜ばれますが、日本全体としては海外へ金をばらまいていることにもなります。

 農業や畜産業、林業でも国内産業を強化する必要があるのと同時に、製造業も然りだと思います。これらの産業が復活すれば、日本全体の付加価値も増え、雇用も増えて、少子化も止められるかも知れません。加谷氏の指摘する3項目を含め、この問題が政治の注目するところにならなければ、日本の凋落は止められません。

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2022年1月 9日 (日)

韓国は中国の属国になるか、経済依存度が高くもはや危険領域

M_recordchinarc_887459  今回は中韓の関係の話題を取り上げてみます。経済的な結びつきの大きい両国ですが、韓国の国別貿易額の中国の占める割合が、輸出24.8%、輸入20.5%と、4分の一から5分の一を占めていて、いずれも国別ではトップです。それに対し中国の国別貿易額の韓国の占める割合は、輸出4.5%、輸入9.6%で、順位はそれぞれ4位と1位です。

 韓国にとって中国は貿易の多くを占めているのに対し、中国は韓国とは輸入先としては大きいのですが、輸出先としてはそれほどではありません。しかも輸入先についても日本、台湾、アメリカなどと、金額では大差がないのです。

 つまり韓国にとって中国は経済依存度がかなり大きいと言えますが、中国にとっては多くの国の一つとしての存在でしかない様です。そこでこの2国の関係は主従関係のようになってしまいます。そのあたりの状況をRecordChinaの記事から拾ってみます。タイトルは『中韓国交正常化30年、韓国で中国は”拡大”、中国で韓国は”縮小”=韓国ネット「数十年後には属国?」』(1/3)で、以下に引用します。

 ◇

2022年1月3日、韓国・朝鮮日報は「中韓国交正常化30周年、中国の中の韓国は小さくなり、韓国の中の中国は大きくなった」と題する記事を掲載した。

記事によると、韓国と中国の関係は国交正常化からの30年で貿易量と人的交流において飛躍的に成長した。韓国の対中国輸出は53.8倍、中国の対韓国輸出は29.3倍に増えた。中韓の貿易額は最高を更新している。

しかし最近、中国における韓国の相対的重要性と地位は低下傾向にある。一方で韓国は中国に過度に依存しており、「一歩主義(ユニラテラリズム)」現象が起きているという。

韓国の貿易において中国が占める割合は1992年の4%から2020年は24.6%にまで増えた。一方、中国市場でサムスンスマホの市場シェアは1%未満に下落した。中国の貿易において韓国が占める割合は6.1%だという。

また、中国政府内における韓国の地位は北朝鮮と比べて大きな向上がみられない。中国は駐在大使として韓国に局長級、北朝鮮に次官級を派遣している。王毅(ワン・イー)外相は最近、中国国際問題研究所で2021年の対アジア外交に関して演説し、日本、インド、北朝鮮、韓国、モンゴルの順に言及した。これについて外交界では「中国の官僚の頭の中の優先度順」と分析されている。さらに、韓国で中国大使はVIP待遇を受けており、大企業関係者と自由に面会して重要情報を蓄積しているが、北京の韓国大使が大使館の外で中国社会の高位者と会うことは制限されているという。

韓国において中国はほぼすべての領域で強い存在感を放っている。韓国国税庁によると、2017年から外国人が購入したマンション2万3167世帯のうち中国人が取得した物件は1万3573世帯と集計された。韓国の大学に在学中の中国人留学生は5万9774人に達し、外国人留学生全体の半分を占めている。大学からは「中国人留学生がいないと経営が成り立たない」との声が出るほどだという。

一方、中国における韓国の存在感は徐々に薄くなっている。ある北京在住の韓国人は「数年前までは韓国ブランドの広告をよく見かけたが、今はまったくない」と話した。中国政府は現在も韓国語を公式外国語(英語・日本語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語・アラビア語)に含めていないという。

韓国産業研究院によると、中国の国内総生産(GDP)において両国貿易が占める割合は2006年に5%に迫っていたが、20年は1.9%に減少した。中国が韓国から輸入する品目は減少傾向にあるが、韓国は相変わらず中国の原材料などに依存している。国交正常化直後に中国は韓国から技術や中間財を調達し、互恵的な関係を築いていた。しかし中国が半導体や素材分野で韓国を追い上げ、その関係が変わりつつあるという。

この記事を受け、韓国のネットユーザーからは「ほぼすべての産業で中国に依存しているから、数十年後には中国の属国になっているのでは?」「韓国は自国民より中国国民が自由に暮らせる国になりつつある」「文大統領はなぜ中国に何も言えないのか。北朝鮮のせい?」「恥ずかしい。なぜこんな国になってしまったのか。日本に強く、中国に弱いだなんて恥ずかしすぎる」「こんな状態なのに外国人にも投票権を与える韓国はどうかしている」「中国とは協力関係を縮小し、米国や欧州と拡大していく政策が必要だ」などの声が寄せられている。(翻訳・編集/堂本)

 ◇

 日本の経済的な中国依存にも警鐘が鳴らされていますが、韓国はもっと酷いようです。もともとその昔両国関係はまさに主従の関係だったのが、今またそういう関係になりつつあるようです。そして日本に対しては悪態の限りをつく韓国ですが、中国にはからっきし弱いのが見て取れます。

 その根底には経済的依存度以外に、日中の軍事力の差がそうさせているのもあるでしょう。日本もこの韓国の反日、侮日を押さえるためにも、しっかりした軍事力を備え、外交的発言力を増大させる必要があるでしょう。もうこの先二度とユスリ、タカリをさせないためにも。

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2022年1月 8日 (土)

「敵基地攻撃能力」の要諦、「専守防衛」に浸りきった日本に必然の発想の転換

0002p1  中国習近平政権の「中国の夢」構想による、南シナ海への侵攻や香港の中国化、そして台湾の統一への動きが具体化するにつれ、日本への脅威も年々増大して来ています。

 この中国の覇権を果たして食い止めるための準備が、日本にできているのか。米軍依存はいいが、米軍が本当に日本の防衛に真剣に取り組むのか、不透明な部分は残っています。

 その中で最近にわかに浮上してきた、日本の「敵基地攻撃能力保持」の議論。今まで一貫して態度を保持してきた「専守防衛」の考えと、一線を画せるのか。そのあたりの実情を元陸上自衛隊の幹部で現在軍事研究家の樋口穰次氏が、JBpressに寄稿したコラムに見てみます。タイトルは『米軍教本が教える、敵基地攻撃なし・専守防衛の大問題 日本人はなぜ安全保障音痴になってしまったのか』(1/7)で、以下に引用します。

 ◇

日本人を軍事音痴にした戦後体制

 戦後、わが国では、先の大戦の責任の大半を一方的に軍と軍人に負わせ、問答無用の姿勢で軍事、戦略そして地政学は「悪」として断罪し、その定着化が図られてきた。

 結果として、これらの用語・概念は、長い間、政治家をはじめ多くの国民にとって、邪悪な領域として忌避され、政治、社会、学問的研究や教育などの場から排斥された。

 例えば、日本における最難関大学とされる東京大学は、「一切の例外なく、軍事研究を禁止」している。

 東京大学の研究に関する内規は、「東京大学は、第二次世界大戦およびそれ以前の不幸な歴史に鑑み、一切の例外なく、軍事研究を禁止する」と定めている。

 この内規は、平成23(2011)年3月に「科学研究ガイドライン」として情報理工学系研究科(ロボット研究室)が明文化したものである。

 軍事研究の禁止を明文化したのは同科だけであるが、東大広報課は「他の学部でも共通の理解だ」と説明している。

 このため、東大のロボット研究者たちは、米国国防省の国防高等研究計画局(DARPA)が主宰する人型ロボット(例えば、放射能漏れ事故を起こした原子炉建屋で作業するロボットへの応用)の開発に関するコンテストへ参加するため、同ガイドラインに抵触することを避ける必要から、東大を退職せざるを得なかった。

 戦前、東京帝国大学(現東京大学)には「(工学部)造兵学科」が存在したが、戦後廃止され、行き場がなくなった当時の学術資料は、現在ファナック(FANUC)社の蔵書庫で保管されているようだ。

 また、1949年に国(内閣府)の特別機関として創設された日本学術会議は、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」をそれぞれ発表している。

 その大本である「戦争の放棄及び陸海空軍の戦力の不保持並びに交戦権の否認」を規定した「国防なき憲法」の下では、政治家も、学者・研究者も、まして一般国民も、軍事音痴に陥るのは仕方のないことだ。

 そこで、米陸軍の『OFFENSE AND DEFENSE(攻撃と防御)』(Army Doctrine Publication No. 3-90, Headquarters Department of the Army Washington, DC, 31 July 2019、以下ADP3-90)を題材に、専守防衛を防御と対照しつつ、敵基地攻撃を含めた基本的な作戦原則を確認してみたい。

専守防衛・敵基地攻撃能力なしの問題点

 ADP3-90第4章「防御(The Defense)」の「防御の目的(PURPOSES OF THE DEFENSE)」の項では、以下の通り記述している。

 攻撃は、より決定的である一方、防御は、通常、強力である。しかし、普通、防御のみによって戦闘の結果を決することはできない。陸軍部隊は、一般的に攻撃のための好条件を作為するために防御を行う。

 この記述のポイントは、防御のみによって戦闘の結果を決めることはできないという点にあり、そのため、防御によって好条件を作為し、機を見て攻撃に転移するとしているのである。

 わが国の「専守防衛」は、相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいうものであり、我が国の防衛の基本的な方針である。

(参議院議員・小西洋之氏の提出した安倍晋三内閣における「専守防衛」の定義に関する質問に対する答弁書)

 すなわち、「専守防衛」が、いわゆる防御だけに限定され、攻撃あるいは逆襲を伴わないとすれば、それをもってわが国の防衛目的を達成することはできない、とADP3-90の基本的な作戦原則は示唆しているのである。

 歴代政府の統一見解は、「専守防衛」は軍事用語の「戦略守勢」と同義語のように言われるが、そのような積極的な意味を持つものではないと説明している。

 戦略守勢の場合は、必要によって敵基地や策源地を攻撃することも含んでいるが、「専守防衛」はそれを積極的に肯定していない所に重大な瑕疵・弱点があるのだ。

 また、ADP3-90第4章「妨害(DISRUPTION)」の項では、以下の通り記述している。

 防御部隊は、敵部隊の準備を混乱させる行動によって攻撃を妨害する。妨害行動は、敵偵察部隊に対する欺編や攻撃、戦闘隊形の解体、(攻撃)梯隊の分離、敵諸職種連合部隊の連携能力の妨害を含む。防御部隊は、敵の戦力集中を阻止する無効化攻撃を遂行する。また、逆襲によって敵部隊の展開を妨害する。防御部隊は、電子戦、サイバー戦や敵の指揮統制組織に致命的打撃を与えるシステムを運用し、敵の上級司令部と前方部隊を縦深にわたって分離する。(かっこ内は筆者)

 さらに、同「縦深の作戦(OPERATIONS IN DEPTH )」の項では、以下の通り記述している。

 縦深の作戦は、(敵基地・策源地を含めた)すべての作戦地域にわたって戦闘力を同時運用することである。指揮官は、縦深の作戦を計画する。そして、敵の長距離火力、継戦能力、指揮統制を妨害することによって(防御が成り立つ)条件を創出する。これらの妨害は、敵の戦力を弱め、敵の早期成功を阻止する。縦深の作戦は、敵の(攻撃)衝力の維持を妨害する。防御において、指揮官は、警戒地域と戦闘地域の前縁(FEBA)に連接する主戦闘地域(MBA)を構築する。(1・2・3番目の括弧は筆者)

 以上は、米陸軍のADP3-90が示した防御を成功に導くための条件の一例である。これらをわが国の敵基地攻撃論争に当てはめて考えると、2つのポイントを指摘することができる。

 その一つは、わが国の専守防衛政策を成功させるためには、時期的に見て「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使」するのでは遅すぎ、中国軍の行動をその準備段階から妨害する必要がある。

 2つ目は、中国軍の弾道・巡航ミサイルなどの長距離火力、兵站施設や軍事基地などの継戦能力、そして侵攻作戦を指揮統制するためのC4ISRなどの作戦・戦力重心を、マルチドメインの各種手段を駆使して攻撃・無効化することである。

 もしも、これらの要件が専守防衛政策や敵基地攻撃能力から欠落するとすれば、わが国の防衛は危いと言わざるを得ないのである。

専守防衛における攻撃能力の保持と敵基地攻撃に必要な能力

専守防衛における攻撃能力の保持

「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」によると、日本に対する武力攻撃が発生した場合、自衛隊は防勢作戦を主体的に実施し、米軍は自衛隊を支援し及び補完するため、打撃力の使用を伴う作戦(攻勢作戦)を実施することができる、と定められている。

 つまり、専守防衛における攻撃能力については、米軍に依存する役割分担を基本としているが、それはあくまで「打撃力の使用を伴う作戦を実施することができる」のであって、実施の可否は米国・米軍の判断に委ねられているのである。(以上、下線は筆者)

 2021年8月の米軍のアフガニスタンからの撤退は、米国の軍事的コミットメントの強さや信頼性に対して国際社会の疑念が深まったことは否定できない。

 首都カブール陥落後、台湾では「米国は有事の際に台湾防衛に動くのか」との警戒感を引き起こしたように、インド太平洋地域の当事国の間では期待外れの感は否めず、落胆・不安は解消されていない。

 台湾に対する「曖昧戦略」の見直しの必要性も指摘されているが、具体的な動きは見られない。

 これらを踏まえれば、米軍の打撃力の使用を伴う作戦(攻勢作戦)実施の確約が得られていない現状において、わが国が専守防衛政策を抜本的に見直すことができない場合でも、その政策を最低限担保するには、独自の攻撃力を保持しておくことが必要不可欠である。

 なお、米軍が攻勢作戦を実施する場合は、日米共同作戦調整所における情報の共有や役割分担など、緊密な二国軍間調整に基づいて実施されることになろう。

敵基地攻撃に必要な能力

 敵基地攻撃に当たっては、長距離対地ミサイルやサイバー戦、宇宙戦などマルチドメイン作戦における全領域・全手段を総動員するのは当然である。

 目標となる海空軍基地やC4ISR等の重要インフラなどの固定施設・サイトは、偵察衛星等で事前に偵知が可能である。

 問題は、わが国にとって死活的な脅威である移動式弾道・巡行ミサイルや隠蔽秘匿された弾道ミサイルの地下式格納施設(サイロ)である。

 それらを攻撃するには、ミサイルの所在(目標情報)をピンポイントかつオンタイムで把握しなければならないからである。

 特に移動式については、今、ここに在るという確実な情報が不可欠であるが、それを偵察衛星などのハードウエアで偵知することは困難で、最後は特殊部隊や潜入工作員(例えば米国のCIA)などのヒューミント、そして長時間滞空(MALE)無人機による偵察・監視・目標標定システムなどに依存せざるを得ないのである。

 また、攻撃後の戦果の確認も大事であるが、それもまた、ヒューミントなどの出番となる。

 つまり、敵基地攻撃能力については、「目標発見→捕捉追随→攻撃→戦果確認」のサイクルをしっかり確立しなければならないのである。

 1990年1月17日に始まった湾岸戦争では、イラクが隣国のサウジアラビアやイスラエルにソ連製のスカッド・ミサイルを撃ち込んだ。

 同ミサイルは移動式のため、偵察衛星等ではその所在を掴めず手を焼いた米軍は、英軍の特殊部隊などを地上から投入し、移動式スカッド・ミサイルの位置を特定し、その誘導によって航空攻撃や砲撃等を行い、ようやく制圧に成功した。

 2021年9月、米軍がアフガン撤退直前に実施した空爆は、民間人10人の命を奪う誤爆だったと判明した。

 空爆の前に、情報機関(CIA)が標的のエリアに一般市民がいると警告したが、米軍が頼ったのは無人機(ドローン)による情報収集で、情報機関と軍との意思疎通の失敗が誤爆の原因だったと見られている。

 いかに軍事科学技術が発達しても、「戦場の霧」を晴らすには、最後は人間の力に頼らざるを得ないのである。

 わが国は、目標を発見し捕捉追随する決め手となるヒューミントの能力を欠いており、その整備が最大の課題である。

 陸上自衛隊には、2004年に創設された陸上総隊隷下の「特殊作戦群」が存在する。

 部隊の性質上、その任務や訓練の内容、保有する装備などは一切公表されていないが、アメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー、デルタフォースなど)と同様、他国における特殊偵察や直接行動、情報戦などの多様な任務を遂行することができる世界水準の特殊部隊を目指しているといわれている。

 海上自衛隊にも、能登半島沖不審船事件を機に、2001年、全自衛隊で初めて特殊部隊としての「特別警備隊」が創設された。

 海上警備行動発令下に不審船の立ち入り検査を行う場合、予想される抵抗を抑止し、不審船の武装解除などを行うための専門部隊として新編されたものである。

 同警備隊は、米海軍Navy SEALsに代表される海軍コマンドと同様に、海岸・沿岸地域の偵察や陸上における人質救出作戦などの多様な任務にも耐えうるものと見られている。

 また、航空自衛隊は、ヒューミントではないが、「長距離を飛行し、空から超高性能なカメラを使って地上の様子を分析し把握するための航空機」である「RF-4E/EJ」偵察機を保有している。

 今後、長時間滞空(MALE)無人機による偵察・監視・目標標定システムとともに攻撃型無人機(ドローン)の整備も避けて通れない。

 まずは、これらの部隊に、中国大陸や朝鮮半島において、特殊作戦に従事できる任務・権限を付与し、その目的に資するよう早急に育成することである。

 この際、敵基地攻撃は統合作戦をもって遂行されるべきであり、陸海空の特殊部隊を統合部隊として編成することも検討課題の一つとなろう。

 他方、現在の敵基地攻撃能力は、航空自衛隊が保有する「JSM(ジョイント・ストライク・ミサイル)」や「JASSM(ジャズム)-ER」の空中発射巡航ミサイルに限られている。

 しかし、航空機の運用には、航空優勢の帰趨や天候気象条件に左右されるなどの問題点や欠点があり、地上発射あるいは海上・海中発射の対地攻撃ミサイルなど、多様な手段を準備し、相互に補完・強化できるようにしておくことが重要である。

 例えば、陸上自衛隊は地対艦ミサイル(SSM)と呼ばれる巡航ミサイルを装備しているが、それを長射程化し地上・海上・空中発射型スタンドオフミサイルとして開発を進め、また、海上自衛隊の水上艦艇や潜水艦に、米軍のトマホーク巡航ミサイルを搭載するのも有力な選択肢である。

 岸田文雄政権によって、国家安全保障戦略などの戦略3文書が年内を目標に見直され、敵基地攻撃についても積極的な取り組みが行われようとしている。

 それを実効性ある戦略に高めるためには、「戦場の霧」を晴らすなど、まだまだ為すべき措置対策の多いことを重々認識し、わが国の敵基地攻撃能力のシステム構築を急がなければならない。

 ◇

 樋口氏の言を俟つことなく、日本の置かれた状況は厳しく、またそれに反して学会や識者・マスコミのなんとも「大甘」な考え方が、対照的に浮き彫りになっているのが、日本の現状でしょう。

 もし本当に中国の攻撃が日本に向けられた場合、自衛隊と国内基地の米軍だけで果たして対抗できるのでしょうか。武力だけでなく、サイバー攻撃や稀少金属などの禁輸も当然畳みかけてくるでしょう。「対話」で事が済むほど相手は甘くありません。

 ですから、樋口氏の指摘の通り、敵基地攻撃能力の早急な整備や特殊作戦部隊の大幅拡充など、抑止力としてできることは、すべてやる必要があります。またそうすることによって、日本の技術の進歩がはかられるでしょう。大学や日本学術会議の「軍事研究は排除する」取り決めなど、即刻取り払うべきです。それに抵抗する大学には補助金は一切出さないようにするのがいいでしょう。学術会議のメンバーで、それに反対するものは任命拒否するのも当然すべきです。「軍事音痴」の研究者の一掃を図ることも、岸田政権の課題だと思います。

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