自虐史観
戦後日本では日本のことを、特に戦前の日本の軍や教育、治安制度等を否定し、またそれらに異を唱えない政権に対し、批判を続けている人たちがいます。その思考の根拠は「自虐史観」とでもいうべき思想で、日本の歴史の負の部分をことさら強調する一方で、正の部分を過小評価し、日本を貶める歴史観のことを指します。特に大東亜戦争(大平洋戦争)を発動し実行した戦前の政府、およびそれを推進した陸海軍を初めとした組織、グループを絶対悪とし、糾弾の対象とする考えです。
そしてその考えに賛同する人たちは、多くのメディアの関係者、ジャーナリスト、弁護士、政治家、大学教授その他小中高校の教師と幅広く存在し、作家やタレント、映画関係者にも広がっています。
そもそも「自虐史観」とは、GHQによる占領政策中に東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本人のみが被告となり、一方的に戦争犯罪者として裁かれた(戦犯の擦り込み)ことや、WGIPという、「戦争を起こした日本は悪である」という意識の擦り込を目的とした、NHKのラジオ番組「真相はかうだ」などを通じて、当時の国民に植え付けられました。さらに戦前の戦争に協力したと思われる人々を公職追放し、これらの植え付けられた思想に異を唱えない人たちで、公職は固められました。そしてGHQの意を強く反映した「日本国憲法」の起草を行ない、正式に憲法として国会で承認をさせています。
そうして戦前の日本国民が共有していた価値観(国家神道、日本の神話、教育勅語など)を否定し、マルクス主義の影響を強く受けた歴史研究が主流となり、教育界や言論界は大きく左傾化します。しかし朝鮮戦争の勃発によりGHQの政策は一転し、共産主義の弾圧や警察予備隊の創設など実施しました。しかし憲法は正式に施行されており、深く大学や言論界に入り込んだこの思想は根強く残りました。
そして「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍首相に対して、徹底的に「反安倍」闘争を展開しています。「自虐史観」は中国、韓国、北朝鮮に対して「謝罪」と「償い」をする立場と繋がりますから、基本的に日本の国益とは相容れない形となります。そして特に国内にいる「在日」韓国人、北朝鮮人を擁護する立場となり、またその「在日」の人々もこの「自虐史観」日本人と協力し、自分たちの擁護をより高めるよう、執拗に要求しかつ反政府活動に加担しています。さらにこれら「在日」の相当な数の人たちが、メディアや言論人として、反安倍政権活動に一翼もになっています。
安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」は喫緊の課題です。日本を蝕み陥れる「自虐史観」から脱却し、真の日本を取り戻す。もちろん中国、朝鮮とは敢えて争う必要は無いにしても、「自虐外交」からだけは絶対に脱却しなければならないと思います。つまり言いたいことは率直に言う。相手に慮ってばかりの今までの外交から、しっかり者を言う外交に転換しなければならないと思います。そうでなければ日本のアイデンティティは保てません。
そうした外交を後押しするのはしっかりした軍事力です。軍事的パワーの無い外交は、とても言いたいことを言える外交とはなりません。北朝鮮のような小国でも、米国と渡り合えるのは核という軍事パワーがあるからです。日本がそのパワーを持つためには、一番の阻害要因、憲法第9条を改正しなければなりません。改憲こそ日本のアイデンティティを取り戻す最大の課題でしょう。
GHQ占領政策一覧(引用)
(1)1945年8月28日:米軍横浜に初上陸、8月30日:マッカーサー厚木基地に到着、GHQの占領統治始まる
(2) 9月6日:「降伏後における米国の初期対日方針」公表
※この方針で、GHQはポツダム宣言に定められた条項の実現について、日本政府と「協議」するのではなく「日本政府に対して一方的・無制限に命令を下す」という見解が初めて示される
※これに対して、外務省条約局長(萩原徹)が条件違反として抗議したが、米側は無視(萩原局長はのちに左遷)
(3)9月10日:「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」発令(報道検閲開始、反発した朝日新聞等を発禁に。この処分以降、朝日・毎日など各紙が急速に左傾化)
(4) 9月11日:東条英機元首相ら39名を戦犯容疑で逮捕(最終的には1,000名以上を逮捕拘禁)
(5) 10月15日:治安維持法廃止、徳田球一ら共産主義者を釈放(共産党再建、これにより共産党は1950年まで米軍を解放軍と見なした)
(6) 10月22日:「日本教育制度ニ対スル管理政策」発令(教職追放開始、以降教育界は左傾化・自虐史観が強まる)
(7) 12月8日:各新聞「太平洋戦争史」掲載開始、12月9日:NHKラジオ放送「眞相はかうだ」開始 (WGIP「戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるプログラム)
(8) 12月15日:「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証支援保全監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」発令(神道指令)
※GHQは戦争時の日本軍の強さの根源は神道にあると考え、これを国家から切り離して日本人が伝統的に培ってきた国家・国土・天皇に対する神聖感の喪失を狙った。
※また同指令で「大東亜戦争」等の用語の使用を禁止 (米側呼称 The Pacific War または WWⅡ The Pacific Campaigns をそのまま翻訳した「太平洋戦争」の使用を強制 )
※更にGHQは靖国神社の解体も図ったが、これはカトリック教会の猛反対で中止となる。(ローマ法皇庁が戦争中、日本を反共の砦とみて支持していた為)
(9)1946年1月1日: 天皇の神聖性を否定する詔書の公表 (いわゆる「人間宣言」)
※ 昭和天皇はこの詔書の作成にあたって、日本の民主主義は明治天皇の「五箇条ノ御誓文」により始まったのであり、米軍の要求により始まったのではないことを明らかにして国民を勇気付けたが、このことは戦後教育では殆ど語られていない。(「米軍の占領が始まる前の日本は暗黒の軍事独裁国家だった」とする刷り込みだけが大々的に行われている)
(10) 1月4日:「好マシクナイ人物ノ公職ヨリノ除去覚書」発令(公職追放開始、政界/官界/財界/言論界からGHQの方針に反する人物(約21万人)を除去)
(11) 2月3日:新憲法の英文原案を日本政府に提示
(12) 5月3日:東京裁判開廷
(13) 11月3日:日本国憲法公布
(14) 11月28日:対日賠償問題に関する「ポーレー案」最終報告、日本の重工業・基礎工業の極小化を提言
(15)1947年3月31日:教育基本法施行、日本の伝統や文化、郷土・国を愛する心の涵養が教育方針から欠落
(16) 5月3日:日本国憲法施行
(17) 6月19日:教育勅語の失効確認決議
(18)1948年9月15日:母子衛生対策要綱を通達(病院出産や母子別室制等を勧告)
(19) 11月12日:東京裁判結審、12月13日:東条英機元首相ら7名を処刑
(20)1949年10月1日:中華人民共和国の建国宣言
※これを契機に米本国で、共和党マッカーシー上院議員を中心にいわゆる赤狩り開始。米政府の対日方針が転換。公職追放解除が始まる。
(21)1950年5月13日:対日賠償の取立中止指令(無賠償主義に転換)
(22) 6月25日:朝鮮戦争勃発
(23) 7月24日:共産党指導部の追放指示、併せて官界/言論界/一般企業から共産主義者(1万数千名)を追放(レッドパージ)
(24) 8月10日:GHQの指令に基づき、警察予備隊(自衛隊の前身)創設
(25)1951年9月8日:サンフランシスコ講和条約締結、併せて、日米安全保障条約締結(日米同盟を構築)
(26)1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約発効(日本の主権回復)、併せて、日米安全保障条約発効
(下記バナーの応援クリックをお願いします)
« はっきりものを言う文化の重要性 | トップページ | 理論と現実の乖離 »
「歴史」カテゴリの記事
- 通州事件など、昭和史に埋もれていた「事件」に光を当てよう、そして先の戦争の真の要因にも(2021.08.10)
- 「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀(2020.08.16)
- 三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(後編)(2019.11.12)
- 三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(前編)(2019.11.11)
- そこに「自分の言葉」はあるか…原爆投下に関して(2019.09.15)