« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月

2018年10月31日 (水)

韓国徴用工裁判の判決を絶対に受け入れてはならない

 韓国がまた一歩日韓関係を揺るがす暴挙に出ました。昨日10月30日、韓国の徴用工訴訟で最高裁判所が原告勝訴の判決を下したのです。以下産経新聞ニュースの記事でこの内容を引用します。

Download_7  韓国人の元徴用工が新日鉄住金を相手取った訴訟で、韓国最高裁は原告勝訴とし、1965年の日韓請求権協定で「解決済み」である請求権問題を蒸し返した。同協定に基づけば、個人が訴えを起こそうが、請求権は法的には救済されないもので、前代未聞の判断だ。 

 韓国政府も当時、「我々が日本国に要求する請求権に国際法を適用してみれば、領土の分離分割に伴う財政上及び民事上の請求権解決の問題なのだ」(1965年の韓日会談白書)と明言している。民事上の請求は請求権協定で解決したことを韓国側も認めたわけで、韓国は日本政府による個人への補償を拒み、韓国政府が義務を負うことを選んだ。 

 それから40年の2005年。盧武鉉(ノムヒョン)大統領(当時)は日韓国交正常化に至る外交文書を公開し、当時の確約を再確認しつつも、日本の「謝罪と賠償」の必要性を訴えた。12年5月、上告審で最高裁は戦時の徴用だけでなく「植民地支配(日本の統治)」の不法性にまで解釈を拡大し「損害賠償請求権が請求権協定で解決されたとみるのは難しい」とし、高裁に差し戻した。 

 ただ、韓国政府は「日本は何も償っていない」という協定を無視した世論にも関わらず、国家間の合意上、「請求権問題は解決済み」との立場は守ってきた。だが、ここに来て国際条約(請求権協定)をほごにする司法判断が出た。

 また別の記事では盧武鉉大統領や文大統領の意向に関する、次の記述もあります。

58e8f665s  徴用工をめぐる裁判の流れが変わったのは、2012年に韓国最高裁が、「個人の損害賠償請求権は消えていない」との判断を下してからだ。このときの主任判事も、やはり反日色が強かった盧武鉉政権によって任命されている。韓国の司法は、世論におもねる傾向も強い。まともな判決はもともと期待できなかった。

 最高裁長官を務める金命洙氏は、反日姿勢を鮮明にしている文在寅大統領によって、昨年9月に任命された。最高裁判事どころか高裁判事さえ経験していない。麗澤大学客員教授の西岡力さんによれば、異例の人事である。金氏はその後自分と同じ左派系の裁判官を次々に指名してきた。

 このように、1965年日韓条約締結時の、日韓請求権協定で「解決済み」の問題を蒸し返してきたわけで、国際法上の協定違反となります。韓国は慰安婦問題でも同様な協定や合意違反をとり続けており、もはや無法国家の体を表していると言っても良いでしょう。同様に産経新聞ニュースでは次のようにも記述されています。

 また、日本政府としては法的対応として、国際司法裁判所(ICJ)への提訴に踏み切る可能性がある。

 請求権問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みだ。韓国政府が「司法の判断を尊重する」(文在寅(ムンジェイン)大統領など)とはいっても、国際法上、国家条約である請求権協定は司法、立法、行政の三権より優越しており、協定違反となる。同時に判決の不当性が国際的に注目されることになる。

 ただ、この場合、韓国が義務となるICJからの管轄権を受け入れず、日本の提訴に応じない可能性は高い。韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)の領有をめぐり、日本政府は2012年にICJへの提訴を検討したが、韓国はICJでの裁定を一貫して拒否している。

 つまり国際法上の協定違反をICJに訴えることは可能ですが、違反当事国の韓国が管轄権を受け入れなければ、前に進みません。そうした対応は十分予想されます。

Images_5  安倍首相も河野外相も「あり得ない」、としたこの際高裁判決を、強い調子で批難しています。その結果として、被告側の日本企業に代わって、韓国政府が賠償金を支払えば一応の決着にはなります。ただ韓国の世論が、簡単にこの政府の決定を認めないかも知れませんし、それを恐れて韓国政府が支払いを躊躇するかも知れません。そこでここまで来たら次善の策に移る必要があると思います。

 それは「制裁」です。先ず第一段階は、韓国から徴用工訴訟対象企業の資本と人の引揚げ、更にはその他の企業の資本と人の引揚げ、そして様々な経済合意事項の解消、それでも解決の芽が出なければ、大使館要員の引き上げと大使館閉鎖、最終的には断交と進めるべきです。

 もう絶対に甘い顔はしてはいけません。こんな無法国家に舐められ続けては日本の恥です。ここは日本政府も徹底的に戦い、国民に覚悟を見せて欲しいと思います。
 

(この記事 イイネ! と思われたら、下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月30日 (火)

総論賛成、各論反対

 今朝のテレビ番組で、東京港区での保育施設の建設に関する、住民説明会の様子が報道されていました。場所は高級住宅街の一角で、児童公園の中に建設する計画ですが、住民の強い反対の意見が音声で流されていました。説明会は6回目で80人が参加したようです。

20180404143952

 住民の意見の大半は「反対」で、内容は「初めからきちんと説明がなされていない」というそもそも論から、「住宅街のここに造る必要があるのか」「公園の樹木が伐採されるのは反対」「子供の遊び場がなくなる」というものから、「公園のトイレが使用できなくなる、高齢者は15分に一回はトイレを使用する」とか「朝の日差しで目が覚める、朝日が入らなくなる」などの極めて個人的なものまで、様々でした。

20181014_02_edited  一方、ごく一部賛成者の意見もあり、「子育て中の人には子育て施設は重要」「子育てへの支援を皆でしていくべきだ」と言っていますが、その間もそれを揶揄する声や反論も聞こえてきました。総じて反対者の声は大きく、感情的な様子でした。

 番組のMCは必要になったから造るという、後追いの施策ではなく、初めから街作りの中で計画的に造るべきだと、模範的な意見を述べていましたが、結果論でしょう。

 この例と同様に、焼却場やゴミ処理施設、近年では幼稚園や保育園など、公共な建物としては必須であるけれども、近くに建てられるのは嫌だ、即ち「総論賛成、各論反対」の一つの例として、日本の各所で持ち上がっている問題になっています。

 「総論賛成、各論反対」の例は他にもいくらでもあります。国の予算を全体的に抑制するのには賛成だが、自分の省庁だけは嫌だとか、交通渋滞緩和のためにバイパス道路を造るのには賛成だが、自宅の前を通すのには反対だとか、卑近な例だとイベントの開催には賛成だが役員になるのは嫌だとか、いろいろありますね。

Hqdefault  この問題の根底には、行政側の公共施設の建設義務と個人の自由、権利の保護という、相反する立場の対立から生じます。古い例では成田空港建設に対する地域住民の反対があり、政治も絡んで来て、長期にわたり対立が続く場合もあります。もっと政治的には沖縄の米軍辺野古移設基地の建設と反対派の対立があります。反対派が周辺住民かどうかは分りませんが。

 ところでまた、この保育施設のように、サービスを受ける側の人が少数派の場合、合意はより難しくなります。成田空港の場合も地域住民の多くは、利用しない人だったのかも知れません。この二つの例では総論とは市や国の意見となり、利用者も含めての総論にはなりにくいのかも知れません。

 いずれにしろ、このような公的な施設が、周辺住民の所謂「迷惑施設」となるような場合は、国土の狭い日本では、今後も地域の問題として残るでしょう。一つ一つ状況が異なりますから、そこでの行政の手腕が問われます。

(この記事 イイネ! と思われたら、下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月28日 (日)

弱いから戦争に走ったのかも知れない

 1853年浦賀にペリーが4艘の艦隊を引き連れて来港しました。いわゆる黒船の来航です。それまでの徳川幕府による鎖国の方針を覆す、開港の要請です。そして翌年日米和親条約、5年後日本は屈して日米修好通商条約を結びます。関税自主権等のない不平等条約です。その後薩英戦争で薩摩藩が英国に、下関砲撃事件で長州が4カ国の連合艦隊に敗れ、軍事力の差を見せつけられます。

Ryoma_02

 明治維新を経て、欧米列強の軍事力と、それを背景とした植民地の窮状を目の当たりに見た日本は、富国強兵とそのための殖産興業にひた走ります。そして維新後僅か27年で日清戦争、37年で日露戦争に勝利します。

 ただこの両戦争は、局地戦での戦いであり、それに日清戦争の後は大国ロシア、フランス、ドイツの3国干渉を受けます。また日露戦争は米国の斡旋もあり終結できた、かなりきわどい勝利でもありました。

 いずれにしてもこの2つの戦争に勝利し、大国の仲間入りをした日本は、続く第1次世界大戦に際しても、先に締結した日英同盟の関連で、連合国側に付き、戦勝国の仲間として、敗戦国ドイツのアジアでの権益を引き継ぎました。

 第一次世界大戦中の日本は、戦時特需に沸き、領土や権益も最大になりましたが、やがて特需も去り、徐々に深刻な不況に陥って行きます。資源や耕地も少なく、人口が多い日本は、満州に活路を求めます。またロシア革命によるソ連共産党の脅威もあり、朝鮮防衛の盾として満州が重要になります。そうした大陸進出に対し、同時に支那の権益を狙う米国が、やがて反発し始めます。

 米国主導の1921年のワシントン会議にて、日本が継続を望んだ日英同盟を廃し、日米英仏の4カ国条約の締結に追い込まれます。更には海軍軍縮条約、所謂9カ国条約で米英の艦船に対し日本は6割に抑えられます。

Download_6

 その後1923年関東大震災で大きなダメージを受けた日本は、ますます経済的に苦境に陥りますが、追い打ちをかけるように、翌年米国で排日を目的とした移民法が成立します。そして1929年の世界恐慌と続く不況は、ますます満州への進出を不可欠たらしめます。そんな中1930年ロンドン条約で補助艦や巡洋艦で、またもや対米7割弱と決められました。

 そして1931年満州事変、翌年満州国の建国と続く日本の行動に、国際連盟加盟国はノーを突きつけ、結果日本は連盟脱退へと進みます。満州では北はソ連、南は中国国民党に紛れた中共の共産党の侵攻が深刻となり、対ソ連をにらんで1936年日独防共協定を締結します。そして更に翌年中国側の仕掛けた盧溝橋事件で、支那事変が始まります。

 石油を始め、くず鉄など戦略的物資の大半を輸入していた米国が、1939年ついに日米通商航海条約の破棄を通告。禁輸制裁へと舵を切ります。たまらぬ日本は石油ゴムを求めて、南部仏印へ進駐。破竹の勢いだったドイツを横目で見て、1940年日独伊3国同盟を締結。これがドイツの敵国米英の日本叩きの決定打となります。そして米国は石油禁輸を決定します。

 もう一つ忘れてならないのは、日本の暗号が日米開戦前に既に米国に解読されていたことです。例の最後通牒に等しいハルノートも、暗号で日本の事情をよく知った上で、日本に提示されたのは間違いありません。当時の米国大統領ルーズベルトは、親支那で、アジアの黄色い猿を叩きたくて仕方が無かった、と言われています。不戦を公約に大統領選を戦ったルーズベルトにとって、叩くきっかけが欲しかったのです。

700pxnewdeal

 したがって真珠湾攻撃も知っていた、それでわざと攻撃させた、しかも日本の大使館員の大きなミスで、宣戦布告が遅れたのも、極めて都合が良く、これが米国国民を奮い立たせるのに極めて有効だった。それが事実のようです。

 こうしてみると日本は、①資源がなく土地も狭い、貧乏国だった。②条約締結に対しいつも負けて、不利な締結を余儀なくされていた。③その結果、軍事力は抑えられて軍人は不満を抱いた。④戦略構想力が弱く、不利な状況ばかり作っていた。⑤暗号解読に見るように、情報力が決定的に弱かった。

 ですから、結局無謀な戦争に走ってしまったわけです。もちろん戦争に善悪はありませんし、結果論を後から述べても仕方ありませんが、軍の独走だけでなく、様々な要因が大戦に走らせたのは事実でしょう。しかも強いからではなく、弱さの究極の結果として。

 国も国民一人ひとりも、強くなければなりません。そして経済力も、軍事力も、情報力も、戦略策定能力も。それらの強さが相手に戦う意志を喪失させ、戦争抑止力となる、「強く」そう思います。

(この記事 イイネ! と思われたら、下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月27日 (土)

護憲派の非論理、非現実性

 いわゆる護憲派と言われる人たちの、最重要視している憲法の条文は第9条に違いありません。このブログでも度々取り上げてきましたが、その骨子は「戦争の放棄」そのための「戦力の不保持」と「交戦権の否定」です。しかしすでに自衛隊という戦力の存在があり、条文の解釈の如何に拘わらず、違憲状況である可能性が高いと言えます。したがって自衛隊の条項を明記しようというのが、安倍首相を初めとする改憲派の第一の狙いです。

001ec949c2cd12f6d72c01  護憲派代表格の共産党の志位委員長は、10月18日の報道番組プライムニュースで、自衛隊の件について
「今すぐはなくせない。日本を取り巻く環境が平和になって、9条完全実施しても大丈夫だとなったら着手できる」と言っています現状自衛隊の存在は認めるが、将来はなくすという意味でしょうね。でも今はなくせないのだったら、憲法違反を認めることになる。これは完全に矛盾しています。もう一つ言えば、共産主義というのはもともと暴力革命を是としているので、自衛隊を共産党軍に改変するのは目に見えていますが。

01_fig02  そして護憲派の9条信者たる所以の
「日本の平和はこの平和憲法があるから」そして改正すると「戦争が出来るようになる」「戦前の軍事独裁国家に戻る」というバカの一つ覚えのような理由を挙げています。これらの危惧について、以前にも述べましたが、繰返し以下に反論したいと思います。

1)
日本の平和が続いたのは、憲法のおかげではなくて、日米安保条約での米軍の抑止力と、自衛隊の存在のおかげというのは、今や通説となっています。

2)戦争が出来るようになる。日本から仕掛ける戦争はもちろんしません。だが他国に武力行使を伴う侵略をされようとしたら、それに反撃するのは独立国として当たり前の権利(自衛権)です。反撃すること自体これも戦争であり、それが出来ないと言うことは、武力攻撃されたままで、国土は焦土化し国民は殺戮されるのは自明の理。誰かのように我慢していれば良い、というのは平和ぼけの戯れ言です。

3)
戦前の軍事独裁国家に戻る。戦前は第一次大戦後のブロック経済の締め付けの元、資源の確保と人口のはけ口を求めて、満州、支那に出て行かざるを得なかった。そのため軍事行動が必須となった環境が先ずあります。

2016061613284053f  また法の不備から首相に閣僚の任命、罷免権がなく、更に軍の大臣は現役武官制がしかれ、度々軍の大臣が組閣をボイコットすることにより、軍が政権を倒したり、政権の意向を支配することが出来ました。加えて軍の大臣や参謀本部、軍令部のトップは統帥権の独立を保持し、首相を通さず天皇に直接輔弼ができたので、これらのことから、軍の独走を許してしまった背景があります。

 この点については、現行法の下、自衛隊への文民統制がしっかりしかれ、防衛大臣の任命、罷免権は首相にあり、統帥権などの制度も廃止されていますので、クーデターでも無い限り、軍(自衛隊)の独走はあり得ません。

 これらのことから、護憲派の言うすべてのことが、理屈にも現実にも合っていないことになります。寧ろ見方を変えれば戦前の日本は弱すぎたから、戦争に走ったと言えます。それを次回述べてみます。

(この記事ちょっと気になるなと思われたら、下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月26日 (金)

安田純平氏拘束解放、帰国へ

Images_2  フリージャーナリスト安田純平氏が拘束から解放され帰国ましした。再三にわたる警察や外務省の制止も聞かず戦地に入国し、時をおかずに拘束され、「私の名前はウマルで韓国人です」などと拘束中の映像で語り、その理由を武装集団から強制されたと語っています。また「助けてください。これが最後のチャンスです。安田純平」と書かれた紙を持った映像も流れました。拘束から約3年、突然解放されたわけです。解放された理由は現時点でよく分っていません。

Images_4  彼は帰国途中の記者の質問に対し「荷物をすべて奪われたので、そのことがとにかく頭にきている」とか「日本政府が動いて解放されたなんて思われたくない」というようなことを言って、解放された喜びや感謝の言葉は一切ありませんでした。

 危険な国に行かないように説得する政府に対し、彼はかなり反感を持っていたようです。彼のツイートをWIKIPEDIAから引用すると、

「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで、行かせないようにする日本政府を『自己責任なのだから口や手を出すな』と徹底批判しないといかん。」

「シリアのコバニには欧米からもアジアからも記者が入っていて、フェミニストの若い女性やら学生メディアやってる大学生やらまで集まっている。経験ある記者がコバニ行っただけで警察が家にまで電話かけ、ガジアンテプからまで即刻退避しろと言ってくる日本は世界でもまれにみるチキン国家。」

「 トルコでも爆破事件があったし、コバニなんてあのあたりではかなり安全といえるんでないか。 いまだに危ない危ない言って取材妨害しようなんて恥曝しもいいところだが、 現場取材を排除しつつ国民をビビらせたうえで行使するのが集団的自衛権だろうからな。」

「現場を否定するということは個々の人間の存在を否定するに等しいと思う。せっせと取材の邪魔をする安倍政権とかその支持者。」

Images_3  相当な反政府ジャーナリストだと言うことが窺えます。このようなジャーナリストにはおきまりの反日メディアが飛びつき、朝日新聞始め賞賛の嵐です。また日刊ゲンダイなどは安倍首相の歓迎談話を大きく批判しています。

 そもそもジャーナリストであろうが誰であろうが、危険地帯に行って活動するのは構いませんが、拘束されないよう細心の注意を払うのは当たり前で、彼のようにシリア入国後間もない内に拘束されたのは全く論外です。拘束されれば政府やその他の関係者に大きな迷惑が及ぶし、身代金など当然金銭要求が発生し、渡せば武装組織の資金源となるのは目に見えています。

 自己責任で行くのを、それを止めたしたとして政府批判をして、解放されたら日本政府が動いて解放されたなんて思われたくない、などと本当に勝手なことばかり言う、どうしようもない人間のように映ってしまいます。戦地ジャーナリストのすべてが彼のようだとは思いませんが、少なくとも安田氏はジャーナリストはやめた方がいいのではと思いますね。

(この記事ちょっと気になると思われたら、下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月25日 (木)

真に日本のための国会に

 数年前、民生委員児童委員の地区会長を経験しましたが、この民生委員児童委員の委嘱を受けて思ったことがあります。委嘱状が国(厚生労働省)、県(県知事)、市(市長)3者から与えられるのです。理由の詳細はわかりませんが、なぜこのようなことが放置されているのでしょうか。このことは考えるまでもなく、まず第一に無駄です。コストがかかるのです。

 同様なことが様々な場面で生じているのではないでしょうか。これは国、これは県、これは市町村と、一応は区分けされているのでしょうが、その区分けの基準がよくわからないし、冒頭のような事例もいろいろな場面で存在するようです。

Par_134039_01  視点を変えて、国のやるべきことは何か、県は、市町村は・・・と言う、その存在目的の考察から始めなければならないでしょう。国というのは国家公務員がその主体を運営している組織体で、国全体の行政を預かります。目的・対象別に各省庁に分かれ、そのトップは閣僚として、国政選挙で選出された国会議員で構成される内閣の、各大臣が任に当たっています。行政の基準となる法については、国会議員が国会において策定します。その他司法はその法に基づき、紛争等を処理します。国はそれら組織の総合体です。

Download_2  国がやらなければならないことは、国全体に及ぶ行政であり、外交、防衛、教育、防災、情報、治安等、国全体の安全・保全と国民生活の維持向上を司ることだと思います。従って行政に関わるすべての国家公務員のみならず、立法に関わる国会議員も、基本的には当然、国全体のことを第一義に考えるべきだと思われます。

 ところが古くは、大野伴睦の新幹線岐阜羽島の駅、近年でも福岡県の古賀誠の「まこと橋」に代表されるように、特に地方出身の議員は地域代表の考えが強く、地元への利益誘導に汲々としているのが現状です。

 確かに何かの代表で選出されるのですから、その何か(地元、団体等)に見返りを確保しなければ、票がもらえません。かくして衆愚政治がはびこるのでしょう。


Senkyo  「私は国のために外交に力を入れます」「私は安全保障を最重要と考えています」「教育、特に学力を世界トップレベルに持って行くために政治生命を賭けて戦います」これでは票になりません。「この地方にもっと高速道路を走らせます」「空港のターミナルを整備し、国際線の発着枠を広げます」から最近は、「医療・介護関係の福祉の充実を図ります」「子育て家庭への補助を充実させます」と財源を無視した公約が激増してきています。地元還元と衆愚政治の大合唱です。 

 国の立法、行政のかなめは前述の外交、防衛、教育、防災、情報、治安等であり、これらの課題解決の為の政策を立案し、法制化するのに、国会議員は100名もいればいいのではないでしょうか。全国を100の地区に、ほぼ同数の選挙民になるよう区分けし、それぞれの地区で一人ずつ選出するよう、選挙制度を大幅に変えるのも一案です。国をどうするか、だけが選出されるためのテーマとし、地元のことは以下に述べるように地元に任せる。そうすれば、具体的な国家感を持たない候補者(今はかなり多いと思われます)は排除されるでしょう。

 そしてこの議員は公費で必要なスタッフを抱えて良い仕組みとし、秘書なり調査員として議員の補佐に当たらせます。官庁からの一時移動や引き抜きでも良いでしょう。議員の政策の質の向上には欠かせません。

 団体の代表というのは、そのような仕組みでは困難となるでしょう。医師会の代表や農協の代表、企業組合の代表という捉え方は出来なくなり、すべて国の代表となります。そして各選挙区で、最も日本全体のためによい政策を掲げた候補者が当選する。

そうすれば議員数も減りコストが減るし、議論の中身も充実し、いつも時間を要している、無意味な政党間のスキャンダル論争も減るでしょう。また万が一そのような論争を仕掛ける議員は、国の課題とは異なるということで、それこそ査問委員会にかければよいと思います。

1401 一方、地方のことは地方自治体に任せる、また地方間の課題はその全国組織で議論する。そうすべきだと思います。ただ現状、地方の県と市町村の行政区分がよくわかりません。国民生活の主要な部分は市町村が担っているとすれば、都道府県の存在は何のためなのか、もう一度考え直す必要があります。

 一つの案としては市町村の一括りとして県が存在し、これが市町村の意見を総括し、全国県知事会でその意見の反映をおこなう、と言うのがありますが、今後の課題でしょう。

 ただ県は人口の開きが余りに大きくて、東京と鳥取県では20倍前後となっています。国政選挙の選挙区分が現在この県が基準となっていることから、一票の格差問題が大きくなっている現状があります。国の制度を上述の方法に変えれば問題はなくなりますが、地方自治体の問題を考えるときは、今の都道府県の垣根を白紙に戻す必要があると思います。

 以上一つの考え方を述べてみました。この目的はあくまで国政の充実を願う点から発想したもので、効果と実現性は全く不透明と言えましょう。ただいずれにしてもスキャンダルの追求を最優先にしているような、現状の国会と議員ではよりよい日本の国作りは到底不可能です。何らかの改革が必要です。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月24日 (水)

論理的な思考の重要性

 かつて企業内人材育成部門に携わっていたとき、企業戦略やその元になる論理思考の研修の講師をしたことがあります。特に論理思考の観点から、今の日本人の思考の癖について、僭越ながら少し述べてみたいと思います。

 ご承知の通り、論理的なものの捉え方のポイントとなる項目が幾つかあります。その中でも因果関係の明確化と手段と目的の峻別。そして目的や手段の優先順位付けは、かなり重要な位置を占めるでしょう。その点から見て企業の世界は別として、政治や報道の世界においてもこの二つは重要なのに、欠ける面がよく見られます。


Images_1

 事例1、ある野党の高官の発言。
「安倍政権下での憲法改正は絶対認められない」 これについて「なぜ」と問えば、安倍首相が鷹派だからだとか何とか言うでしょうが、そもそも憲法改正の賛否を決めるのは国民であって、安倍首相ではない。つまり憲法改正の是非と安倍政権の間には因果関係はないのです。論理破綻しています。

 事例2、今朝の玉川一郎氏の安田純平氏の解放へのコメント。民主主義を守るジャーナリストだ。国民は兵士と同じく彼を英雄として扱うべき」彼だけでなく、日本のジャーナリストは皆民主主義を守ろうとしているのではないのか(玉川氏は共産主義かも知れないが)。戦地に行けば民主主義が守れるのか。また自衛隊派遣を絶対阻止しようとする玉川氏が、「兵士と同じく英雄と扱え」と言えますか。完全に論理が壊れています。

 事例3、これも今日の立憲民主党辻元氏の発言
「今回の国会の争点は、安倍晋三総理そのものだと思う」これなど言っていること自体意味不明ですね。好意的に解釈すれば「モリカケ騒動」を起こしている安倍総理への追求、と捉えられますが、もしそれが目的だとすれば1年以上追求して、証拠も何も出なかった案件を争点にすると言うことは、いかに優先順位を逸脱しているか。国の現在と将来の課題の論議が最優先の目的の筈なのに、論理もへったくれもないお粗末な物言いですね。

Dabteztwkaavebl

 これらの事例はほんの一端。毎日のように目的や理由のよく分らない発言や枝葉末節の追及が行なわれています。これでは日本はよくならない。理路整然と優先順位をつけた政策提言と運営、そしてそれを補佐する筋が通った論評を政治と報道の世界に求めます。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月23日 (火)

国会の現状は機能不全、改革必至です

 明日10月24日秋の臨時国会が召集されます。立憲民主党の福山幹事長の「決裁文書の改ざんなど、財務省で大きな問題があったにもかかわらず、麻生財務大臣が責任を取っていないことも含め、閣僚の資質を問いただしていきたい。国会内では野党の共闘は不可欠であり、安倍政権を倒すためのスタートが、あすからの臨時国会だ」と言う発言にもあるように、自分たちのしたいことは、「自分たちの政策を発信すること」ではなくて「安倍政権の人事や政策を批判すること」に主体を置いています。これは極めて異常なことではないでしょうか。

1  国会は立法府であり、その真の姿は政策論議であって、その最終段階がその政策を行政にうまく落とし込めるようにするための、法案審議の筈です。ですから与党であれ野党であれ、国民の生活の維持向上や安全保障、災害への対策等、国の様々な現状や将来への課題を提起し、それを解決するために政策を立案し、議論し、よりよい案へ収斂した上で法制化する、それが国会であり、そのための議員であるべきだと思います。

 ところが冒頭述べたように、野党は立法府の人間でありながらそれを怠り、政権与党のスキャンダルを掘り出しては、それに多くの貴重な審議時間を浪費して、揚げ足取りに奔走しているのが今までの姿です。場合によっては審議拒否というサボタージュまでします。

 これでは法案の中身も質もより充実したものにはならないでしょう。もちろん国民のそれぞれが、皆同じ方向を向いているわけではありません。でもそのためにも野党はただ反対するのではなく、きちんとした対案を以て、より深い議論をすべきなのに、スキャンダルの追及に時間を無駄に費やし、墓穴を掘っているのが現状です。

Images  明日からの臨時国会でも、また同じような光景が繰り返されるでしょう。そうした状況を改善するためには、国会改革が必須ですが、国会議員にそれをやれと言っても限界があるかも知れません。ここは権限のある「国会改革第三者委員会」でも作らないと改革は難しいでしょう。

 そして改革の骨子は、「国会は法案作りのための議論の場であり、最終的には憲法を含め国民のための最良の法律の策定」と言う本来の目的に合うよう、国会の制度、組織、議員資格と選挙制度、等を包括的に改革して欲しいと強く願うものです。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月20日 (土)

自衛力保持は独立国の必須条件

 憲法改正論議が今各党の間で高まってきています。それは昨年の安倍首相の自衛隊加憲論を皮切りに、9条改定の議論が議員やメディア間で様々交わされてきたからです。ただ9条改正を目玉とするこの憲法改正については、殆どの野党、そして与党の公明党でさえ慎重なのが実態です。

6a92901884869de6ea0bfb91089b59a2

 そして改正派の中でも、9条2項の取り扱いに於いて、安倍首相が提起した残す案と、削除する案とが交錯し、議論になっています。この2項については以前にも述べたように、独立国家として甚だ疑問が残る条項です。

憲法9条

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 もともと2項の「前項の目的を達するため」という文言はありませんでしたが、いわゆる芦田修正として追加され、上記の条文となりました。この追加文言の解釈として、自衛のための戦力は認める、と言う解釈と、それも含めて戦力保持は認めない、と言う解釈に分かれるようです。

 しかしどう解釈しようが、自衛権無き独立国なんて無いわけですが、この条文の解釈から、自衛隊は違憲だという見解が、未だに一部の憲法学者や政党にもあるのは事実です。そこで先ず自衛隊違憲論を封じる必要性から、安倍首相は削除反対論の多い2項を残してでも、自衛隊加憲の提案をしたのだと思います。


 それでも各野党はこぞって反対、憲法改正論議に前向きな国民民主党でさえ、この自衛隊加憲の9条改正に関し、「戦力不保持を定めた9条2項を空文化させ、歯止めを無くしてしまう」と玉木代表が言っています。公明党も完全に及び腰で、与党協議をしない形となっています。

Images_1
 こうした動きに対しどうしても理解できないのは、こういう人たちはいわゆる「戦力」が無くても、国の安全を守れる、と本気で思っているのかどうかです。今現実には自衛隊という「戦力」があり、日米安全保障条約に基づく、米軍の国内基地があり、かつ日米同盟のもと、核の傘にも守られているから、安全が保たれているのではないのでしょうか。

 もし自衛隊もなく、米軍基地もなく、米軍の抑止力や核の傘もなく、丸裸の日本であったなら、どうなるか考えたことがあるのでしょうか。そして中国艦艇や北朝鮮のミサイルが、自由に日本を襲うことが出来るようになったら、この人たちは白旗を掲げて降参するのでしょうか。本当に外交だけで安全が保たれると、本気で思っているのでしょうか。自国民でさえ平気で粛清するような国を相手にして。

Img_a2541d59d6bc1072c45af2683013aca


 憲法は神の声でも天の声でもありません。国の独立を守り、国民の安全と財産を守ると言う目的のための手段です。もちろん最高法規ですから絶対守らねばなりません。ですがその法が国の独立を危うくし、国民の安全と財産を守るためには、欠陥があるとしたら、これはそれこそ絶対に変えねばなりません。

 戦力(防衛力)無き国は継続できません。他国の侵略を守れないからです。有史以来の歴史がそれを物語っています。「世界に誇れる平和憲法です」、と誇ってみても、どこかの国の委任統治国や属国になってしまうでしょう。世界はそんなに甘くありません。日本が戦力放棄すれば、特に中国など長期戦略に長けた国は、小躍りして喜ぶでしょう。そして技術その他をすべて奪われ、属国化は目に見えています。

Img_1_m
 兎に角今の平和は日米同盟と自衛隊の戦力のおかげです。それをきちんと憲法に明記する、当たり前のことを成し遂げるのが、日本の独立維持のための最大の国民の使命だと思います。それに反対するのは、設備、組織に加えて、憲法が整備され、日本がきちんと防衛できる国になることを、阻止したい国の代弁者としか思えません。

 もちろん戦前の軍の独走を、再現させたくない思いはあるでしょう。しかし今は文民統制がしっかりし、防衛大臣は自衛官であってはならず、また首相に閣僚の任命権、罷免権がきちんと加えられている現状では、当然防衛大臣が首相に反旗を翻したり、自衛隊が防衛大臣を無視して独走するなど、考えられません。したがって戦前のような軍の独走などあり得ないのです。寧ろポジティブリストに代表されるように、自衛隊の手枷足枷はありすぎるほどです。これも自衛隊法で変えていく必要はありますが。

 何度でも言います。独立国としてまともに憲法で国の防衛
規定し、国際社会で堂々と発言できるよう、外交力の後ろ盾としても重要な、戦力をしっかりつけていくことが肝要だと思います。


 

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月19日 (金)

日本の教育について考える

 教育は将来の日本の安全と豊かさを担保する、重要な手段の一つであると言えるでしょう。従ってその入り口である学校教育をどう企画、運営し、その結果をどう反映していくかが、まず第一に問われることになります。

 1947年3月、教育勅語に代わって教育基本法(旧法)が施行され、小・中学校は原則男女共学となり、国公立学校での宗教的中立が規定されました。それより前の1945年12月には、GHQの指令により「民主化」の一環として教員組合(とりわけ主に、日本教職員組合、いわゆる日教組)が編成されます。

20090622_634408

 また戦前の思想に固まった教員の大量追放に伴い、この日教組の主流は大きく左翼思想に傾き、主権回復後も戦前の日本を軍国主義として過度に批判し、国旗、国歌を認めず、義務や道徳を軽視し、憲法の規定する自由や権利を主張する教育を推し進め、また政治運動にも大きく関与していくようになりました。

Clm15103114010005p1  いわゆる団塊世代がこの教育の強い影響を受け、彼らが大学生になった70年安保当時に、日共系、反日共系全学連(マル学同革マル派、中核派、社青同解放派等)が組織され、各大学を拠点に反安保の暴力的学生運動を展開しました。しかし彼らを第1世代とした日本は、彼らの大学卒業後は戦前生まれの上司の指導の下、企業戦士となり高度経済を引っ張って行くようになります。

 だが彼らの子の第2世代、いわゆる第2次ベビーブーマーの時代になると、社会の指導層は団塊世代となり、戦後教育のリベラル思想をリーダー、フォロワーとも共有するようになります。そういう社会になって個人主義が行き渡り、地域社会の協調意識も薄らぎ、核家族化が急速に進んで、さまざまな弊害も生まれてくるようになります。経済も第1次、2次オイルショック、バブル崩壊と続き、高度成長の終焉を迎えることになります。
 
Mig  また社会全体が豊かになり、個人の生活の優先からか、急激に結婚しない、結婚しても子どもを産まない世帯が増えていきます。加えて中学、高校で学級崩壊が続くようになり、いじめも陰惨となり、不登校も増加してきます。更にはゆとり教育の弊害で学力が低下し始めて、少し前の状況(平成生まれの第3世代と呼びます)に至っているのが現状です。

 一方組織率大幅低下で、日教組のパワーも下火になり、また2006年ようやく教育基本法も改定されましたが、先進国の中でも最も将来に希望を持てない若者の率が高いという、豊かさとは矛盾した現象が起きています。甘えと自立心の欠如の構造が顕著に表れているように思えます。

 こういった状況の下、行き過ぎた自由や個人主義の転換、現状改善のための自立心や論理的能力の向上、またそれを支える教員の質の向上等課題は多く残っています。
  
 教育行政を預かる文部科学省においては、教科書検定や学習指導要領の策定を通じて、高校までの教育内容の指導を行なってきましたが、その行政内容に一貫性があまりなく、その時々において、いわゆる世論の影響を受けて、右往左往している面も多々あります。さらに最近になって文科省幹部の不正が表に出て来て、文科省自体の省内改革が待ったなしの段階に来ていると言えます。

Sirabee20180901yutori600x404  こうした教育環境の悪化を挽回すべく、最近になってゆとり教育の反省や、歴史教育や道徳教育の強化、いじめや無気力の背景にある問題への対応を、真剣に取り上げるようになってきたのは事実でしょう。ただ一昔前に、甘やかされて育ったその親の再教育も、問われているのが現状ではないかと思われます。また核家族化や近隣住民の無関心化と言う社会の変化も、子供の教育には逆行しているように思われます。

 教育は家庭、学校、社会の三位一体となった指導が必要です。その連携への施策も待たれます。そして自立を以て行動し、とにもかくにも人には迷惑をかけるな、これだけは家庭、学校、社会で徹底して教育してほしいものです。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月18日 (木)

人口問題を考える

   今回は人口問題を取り上げてみます。日本の人口は2010年に12,806万人でピークに達した後、減少に転じました。戦後初めての総人口の減少です。

 国や地方財政と人口の問題とは切り離せません。これからの日本の最大の課題でとも言えるでしょう。戦後の占領時GHQは、戦前の日本が溢れる人口問題を抱えていて、そのはけ口を求めて満州に進出、そして日中戦争、大東亜戦争に至った点を重要視していたので、産児制限を基本とする人口対策を指示しようとしていました。しかも1949年まで250万人前後の出生数が続き、いわゆる戦後第1次のベビーブームと言われる状況が後押しをしました。


 しかしGHQの最高司令官マッカーサーは、アメリカにおけるカトリック教会の反対を恐れ、表向き直接指示を躊躇しました。そこへ当時積極的産児制限主義者であった、加藤シズエ議員(衆議院、のち参議院議員)に、その施策実現を期待しました。 

 当初二の足を踏んでいた吉田内閣も、最後には優生保護法による妊娠中絶に、経済的理由を認めることとなり、一気に産児制限の流れが出来てきました。これにより1953年の妊娠中絶数は100万件を超え、出産数の6割程度、この先ほぼ同数にまで急増して行きました。避妊の知識もあわせ向上していき、これにより出生数は急速に下降していったわけです。

9

1967年には合計特殊出生率が2となり、厚生省が懸念を持ち警鐘を鳴らし始めます。ですがその後1971年からベビーブームの親から生まれた子供たちの、第2次ベビーブームが到来し、再び200万人を超える出生数を数えると、一気に産児制限の考えが復活しました。

 そして1974年第2次ベビーブームの終わる年、「子どもは2人まで」と日本人口会議が宣言を出しました。それはタイミング的には最悪でした。そしてとうとう、1990年合計特殊出生率が、戦後最低であった「ひのえうま」の年(1.58)を下回りました。これが所謂1.57ショックです。

1995年にはいよいよ労働生産年齢人口が減少に転じました。これによる影響は甚大です。財政的な影響は第1で、経済の担い手、働き手が減少していくため、それに伴い、税収の増加が見込まれないまま、雪だるま式に福祉の経費は増大します。

B8349c4ef41934c62972c34a5339d38f

 約600兆の国の資産が有るとは言え、まだ増え続けている1千数百兆の国と地方の借金を、どうやって返すことができるのでしょうか。加えて過疎化の進展、空き地や空き家の増大などさまざまな問題が山積してきます。

 人口政策は戦後最大の失政とも思われます。しかしながらそうは言っても、結婚や、子作り等個人的な問題に政治や行政が踏み込むのは、きわめて難しい課題です。それに社会が成熟していく過程では出生率の低下は、自然な流れかも知れません。

少子化と同時並行的に進むのが高齢化の問題です。一般論で言えば高齢化というのは長寿化であり、個人的には喜ばしいことです。ところが国や地方自治体には財政の問題として、大きくのしかかってきます。

 高齢化による年金や医療、介護費の増大は加速度的に進み、財政を逼迫させています。さらには生活保護費がこれに加わります。政治は票がほしいので福祉の充実を声高に謳い、財源を半ば無視した公約を掲げるのが常です。国民は甘い言葉につられ、そういった公約を掲げる候補に投票する傾向にあります。諸外国同様、衆愚政治化が進行していきます。

こうやって国や地方自治体の借金は、ますます増えていく懸念が強くあります。最後にはブーメランで、国民にそのツケが帰ってくるのは目に見えています。

 ですが今の仕組みでは、高齢者のツケは、一世代か二世代あとの国民に回るようなので、当人は気がつかず、またツケを回される若い人たちも余り関心を持っていないように思われますね。それは若年層の投票率に如実に現れています。しかし、あと10年か20年で破綻の時期が来るかも知れません。

 その対策待ったなしでありますが、人口の減少はもう停められません。どうすればその影響を最小にするか、国民の英知が求められています。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月17日 (水)

消費税増税に思う

 安倍首相により、来年10月から消費税を予定通り10%にするという方針が、発表されました。今後開催される国会でも議論が交わされるでしょう。特に軽減税率の扱いを巡って、様々な予測や意見が交わされるものと思われます。

Download_4
 この税の問題を巡っては、いつも賛成、反対の意見が交錯しますが、納税者側から見ればやはり「取られる」という思いが先に立ちます。ですから原則的には反対意見の方が多く、行政側が財政の逼迫などを理由に、推進側に立つという構図となるのが一般的です。

 しかしこの税の論議、いつも欠けていると思うのは、受益者側の視点。即ち様々なサービスを受ける側にとっては、そのサービスの質、量ともにより充実されることを望むはずです。そのためにはお金がいる。そのお金の殆どは税に依存しているのが現状です。

 サウジアラビアのように現状石油収入が潤沢で、税率の低い特殊な国を除いて、殆どの国はこの税を以て、インフラ整備や福祉政策などのサービスを賄っているのです。日本も例外ではありません。


_29

 ですからこの問題を提起するときは、特に日本のように人口減少、少子高齢化の社会の国では、「サービスの維持だけでもお金がもっと必要です。増税でそれを賄うか、それともサービス低下を我慢するか、どちらを選びますか?」と国民に問いかかる必要があると思います。

 そうするとサービス低下は困るから増税はやむを得ない、と言う結果になるかも知れませんし、増税するのは良いが、所得税、法人税に限ってやって欲しいという、と言う税の構成を変えるような意見も出るかも知れません。いずれにしろサービスの低下は人気が無いと思います。

 いずれにしろ、「取られる」という一方的な概念から、実態に合わせて、サービスを「受け取る」という逆からの概念も、国民に認識して貰う必要があります。

 戦後新憲法によって、「自由」と「権利」の部分が大幅に強調されましたが、その対局の「責任」と「義務」が、日本人の意識からかなり薄れてきているように感じます。納税も憲法に「義務」と明記されているのを、どれくらいの人が認識しているのでしょうか。

Download_5

 もともと財政は税のような「収入」と「支出・配分」で構成され、高所得者と低所得者の間の所得再配分機能がありますから、累進課税という構造になっていて、所得税、法人税がよりそれに沿った形で機能しますが、行き過ぎると人や資金の国外移転に繋がり、ほどほどの割合に落ち着いています。

 したがって消費税が残る手段となるのですが、よく逆累進だという批判があります。しかし高所得者の方が低所得者より購買力があり、消費税に於いても高所得者の納税額は多くなるでしょう。逆に受けるサービスは特に福祉関係においては、低所得者の方が多くなるものと思われます。

 いずれにしても、「取られる」部分と、「受け取る」部分、両方の視点でものを見ることが重要です。それともう一つ、人口が減って、高齢者割合が増えれば、1人あたりの「取られる」部分は、間違いなく増えていくでしょう。高齢者は福祉の金食い虫だからです。それは覚悟しなければなりません。(高齢者切り捨てという政治決断が無い限り現実となります)

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月15日 (月)

偏ったテレビ報道 - 「行政代執行」

 昨日の昼のテレビ、「たけしのテレビタックル」で行政代執行の話題が取り上げられていました。この番組、時々「ちまたの大問題」と称して、身近な話題を取り上げ、いろいろな見解を持ったコメンテーターが出演するので、思ったほど偏りがなく、よく見る番組の一つです。Download_3

 報道された行政代執行の二つの事例を記憶していますが、その一つは例の「ゴミ屋敷」の事例。100回にも及ぶ行政側の説得にも拘わらず、大量のゴミを放置しているその家の住人が、代執行をされているシーンです。

 もう一つは確か九州の高速道路で、その通り道に当たったミカン農家が、これも行政側の説得に応じず、最終的に山の切り崩しの代執行を受けるシーンです。こちらは代執行当日も、農家の主人が身体を張って阻止しようとしていたが、最後には数人がかりで、現場から外に出されるシーンも映っていました。

 ゴミの撤去の件は、言うまでも無く、異臭や衛生面での近隣への迷惑が、具体的な形で及ぶ問題ですから、コメンテーターからも、執行側への苦情はもちろん出ませんでした。話題はもっぱらどの時点で執行の判断を下すか、とか、執行後再びゴミをため始めた住人もいて、それをどうするべきかとか、そんな意見でした。

20150714183728ssaopi2_2  しかしミカン農家の場合は、これをやむを得ないとする、北川正恭氏や中田宏氏等の意見と、行政側はやり過ぎだという、大竹まこと氏らの意見に分かれました。このミカン農家の主人は執行後も「戦いは終わっていない」と、行政側との闘争をにおわせていました。それに対し大竹氏は出演している弁護士の一人に、「闘争の手伝いを依頼してきたら受けるか?」と質問したところ、「まず勝てないので受けない」と返されたので、言葉は覚えていませんが、批判的態度を返していました。

 公共の利益と、個人の財産のどちらを優先するか、難しい面もありますが、「成田闘争」の時のように、両者が真っ向から対立しても、両者とも損です。このミカン農家の事例も、代執行の判断が下されたのだから、ミカン農家の方ももう少し柔軟な態度であるべきだったろう、とは思いましたね。弁護士も勝ち目がないと思われる闘争などせずに。

 この番組で大きく疑問に感じたことが一つ。それはレポーターがすべて代執行される側の意見のみインタビューしていること。行政側の意見としては、ゴミ屋敷の件で100回説得に出向いたこと(これも事前に聞いていたようで、インタビューのシーンは無し)以外、全く聞いていないのです。ミカン農家の件はゼロでした。(ただ聞いたけど映像にしなかったのかも知れませんが)。これでは視聴者は、執行される側に心情的に寄り添うことにもなりかねません。

 特にミカン農家の場合、執行後畑が分断され、片方からもう一方へ行くのに、大回りをしなくてはいけなくなったとか、分断された後鹿がよく出て来て、木の幹を食い荒らすとか、インタビューに答えていました。それを聞いての先ほどのサヨクコメンテーター大竹氏の発言となっています。これでは完全にミカン農家側へ寄り添いますよね。

 筆者のようにそのつもりで見ていると、こんなに偏向報道されているんだ、と思いますが、何も考えていない人には、行政はなんて酷いことをするのだ、と言う印象を与えてしまいます。弁護士が「勝てない」と言ったり、北川氏、中田氏が行政の立場を述べたので、まだ良いのですが、それがなければ行政の横暴と捉えられかねません。

 政治だけでなく社会問題も、公平な意見の聴取を行なうことが肝要です。意図的に偏向した番組作りは論外ですが、意図せざるところに偏向が生じる、と番組制作側は留意すべきです。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月14日 (日)

自虐を捨て、強くなろう

 その昔聖徳太子が17条の憲法を唱え、その第一条に「和を以て尊しとなす」と記したことは有名です。農耕民族だった日本人は、お互い周りの人たちを信頼し、農作業を助け合い、和を以て村社会を維持してきました。

20121107_2590428
 それに島国という環境が周囲からの侵攻、攻撃を避けるのに非常に役立ち、徳川時代の鎖国も手伝って、江戸末期まで先進諸国の植民地にもならず、平和な生活が続けられてきました。

 ところが例の黒船の来航以来、状況は一変し、殖産興業、富国強兵の必要性を強いられますが、千年近く続いた日本人の心的態度はそれほど変わらず、和を重んじ、規律を守り、他人を信じやすい性格のまま、海千山千の諸外国の権謀術数に嵌まり、最終的には大東亜戦争に巻き込まれ、手痛い敗戦に帰すことになったわけです。

 戦後GHQのWGIPによる自虐史観を叩き込まれた日本人は、さらに反省と謝罪のマインドコントロール下、自分たちの国、そして父母や祖父母は戦争を引き起こし、多くの周辺諸国の人に死をもたらし、迷惑をかけるという悪いことをしてきたのだ、と洗脳されてきたのです。

 ところがその後明らかになった多くの史実から、日本が一方的に悪かったのではない、いやあるいは被害者かも知れない、と言うことが少しずつ分ってきました。しかしそれは今まで日本を悪者にしてきた、特亜の国々には都合の悪いこと。そして今でも自虐洗脳の解けない、あるいは特亜を信奉するメディア関係者や政治家、教育関係者、弁護士等の人々は、日本悪者論を引きずっているのです。

 そう言う人たちは、日本が戦前のように強くなっては困るのです。表向きはまた侵略戦争に加担するからと言っていますが、要は情緒的に戦前の軍嫌いか、特亜におもねているに過ぎないのでしょう。そして過度に軍隊を嫌いますし憲法改正に反対します。

 しかし個人でも国でも強いに超したことはない。武力だけとは限りません、経済力でも、団結力でも、愛国心でも何でもそうです。オリンピックでもメダルを取ることの出来る強い選手を望むでしょう。強いことは決して悪いことではない、逆に弱ければ国も国民も安定した生活が送れません。

 日本人のように、和を重んじ、規律を守り、性善説を持つ民族は希です。逆に特亜の人たちは儒教の影響も有り、一族以外は敵視し、規律は無視しがちで、性悪説に立って考える傾向があります。外交でこの違いを認識しておくのは極めて重要です。そしてしっかり防衛する。そのために国も国民も強くなる必要があります。お花畑思考はもう捨てましょう。

Hqdefault_72

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

理不尽な韓国に今こそ立ち向かう必要性

Download_18  韓国の反日行為が止まりません。「2018大韓民国海軍国際観艦式」で、日本の艦艇に旭日旗を掲揚するのを自粛するよう要請したのに対し、日本がこれを拒否、参加を見合わせました。ところがその式典で、自国の艦艇には豊臣秀吉軍を撤退させた、イスンシン将軍の旗を掲げるという暴挙に出たのです。

 この
観艦式では3つの反日行動があります。①旭日旗を掲揚拒否し軍旗無しでの参加要請、②自国の艦艇には軍旗掲揚は認める(実は他国の艦艇も自粛要請を無視して、ロシア以外は掲揚したようです)、③韓国の艦艇は対日戦勝利の将軍旗を掲揚、です。

Download  ここまでされても政府は抗議するのみ。数十年の歴史を振り返っても、韓国は抗議を受け入れたことなどありません。それどころかまた同様なことを繰り返すのみです。即ち抗議しても聞く耳を持たないのですから、全く埒があきません。この繰返しです。

 今回の旭日旗問題、以前述べたように旭日旗そのものは海上自衛隊の公式な軍旗ですし、どこで掲揚しようが何ら問題があるはずもありません。ましてや「戦犯旗」などと言うのは、韓国の勝手な言い方であって、韓国以外どこの国もそんなことは言っていません。

 この問題以外にも、慰安婦問題や徴用工問題など、日韓条約や慰安婦合意を経て解決済みだとされる問題を、一部活動家の扇動の元に煽られた世論に押されて、何度も蒸し返しています。

Ianfu3  慰安婦については3年前に日韓合意で取り交わされ、「最終的、不可逆的な解決を確認した」はずなのに、文政権になってまた蒸し返してきており、合意を元に設立された「和解・癒やし財団」も、一方的に年内に解散すると言ってみたり、まるで無法国家のようです。また日本政府の撤去要求にも拘わらず、韓国内のみならず米国等外国にまで慰安婦像が設置されています。

Download_1  また徴用工問題についても、1965年の日韓条約締結に伴い、請求権協定で解決済みの案件です。ところが個人請求権は別だと訴訟が起こされ、1,2審では日本側が勝訴しましたが、個人請求権は認める立場の最高裁で差し戻されています。差し戻し裁判では日本側は敗訴、今上告中ですが、年内に出されるだろう最高裁判決では日本側の敗訴の可能性が高いとされています。

 日韓請求権協定の趣旨に沿えば、個人の請求があっても、韓国政府が支払う立場にあるのに、なぜこんなことになるのでしょう。慰安婦への賠償についても同様なことが言えます。いやどちらの場合も賠償責任があるのかどうかもあやしいものです。強制連行や強制労働があったという証拠があるのでしょうか。

 いずれにせよ、韓国がここまで次々と所謂「難癖」をつけてくるのには、日本側の「甘い」対応があると思います。その理由は戦前の「日韓併合」を韓国側が「非道な植民地支配」と勝手な論理付けを行ない、日本に対し戦前戦中を通じて「被害者」という立場で攻め続け、日本側はGHQに押しつけられた「自虐史観」のもと、これに反論することなく「謝罪」と「賠償」を続けるという、最悪のスパイラルが続いているからでしょう。

 だがもう戦後73年経過し、いくつかの合意を通じて、賠償と十分な謝罪は済みました。これ以上の要求にはきっぱり断りを入れる必要があります。そしてなおもそう言う要求や理不尽な態度を示した場合は、今度は「制裁」を用意する必要があるでしょう。なぜなら「甘い」対応がこれまでの要求や態度の元ですから、「制裁」を以て気づかせる必要があるからです。

Download_2  更には「竹島」の問題が残っています。これは明らかに戦後の混乱に乗じて、不法に占拠された領土です。歴史的にも国際法に照らしても日本の固有領土である「竹島」は、絶対に奪還しなければなりません。

 そのためには強い態度で「制裁」を発動できる外交力をつけるため、「軍事力」の後ろ盾は絶対必要です。9条を改正し、日本を取り戻す。それが喫緊の課題だと考えます。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月13日 (土)

民主主義と公平(フェアネス)

Bhunlfpcyaaif_o  前回は平等と公正をテーマに取り上げましたが、今回は民主主義と公平というテーマで考えてみたいと思います。民主主義は今では多くの国が取り入れている、政治、社会体制ですが、北朝鮮のように「朝鮮民主主義人民共和国」と国名に謳っていても、実際は金一族の独裁主義ですから、国名だけでは分りません。

 具体的には、その国民が選挙で選んだ代表によって、立法が行なわれ、これまた選挙により選出された者が行政の長となり、更に行政または立法府より選ばれた者が司法の長として、立法、行政、司法の3権分立の元で物事が進められる、国民主体の国の仕組み、とでも言いましょうか。

 そして民主主義には大切な物事の決め方、即ち多数決、と言う者があります。立法府では原則この多数決の元で法案が成立していきます。ですからこの立法府、日本国で言えば国会の議員の選挙は物事を決めていく上で、大きな意味を持つことになります。

D1a6db1ad06209d1ab2c68808de9c41f  しかしこの多数決、公平という意味では必ずしも適当ではない制度です。なぜなら多数決で何かが決まった場合、少数派は意図せぬ結果に従わなければならないからです。

 わかりやすい例で言えば、学校の服装で、制服派と自由派が多数決でその服装を決めるとします。その結果、制服派が多数であった場合、その学校は制服を採用しますが、この決定のもと、自由派も嫌でも制服を着なければなりません。即ち、決まったことには従うというルールがあるのです。満足する人と不満の人が並立し、公平という意味からは外れてしまいます。

 それは仕方が無いことと言うルールで多数決が成り立っているのですが、国会での議決では「数の暴力」という言葉で、少数派の野党が多数派の与党を攻撃するのが常態化しています。「数の暴力」というなら、良い政策を国民に訴えて、選挙で多数を取ればいいのにと思いますが、実際は殆ど野党のままですから、こういう態度を取るしか無いようです。

 日本はつい30年前までは、国民の努力もあって、経済的に豊かな社会を作り上げてきました。その結果社会福祉政策も順調に拡大することが出来、少数者であっても障害者や貧困所帯、高齢者などに手厚い福祉の手をさしのべてきました。

 しかしバブルが崩壊し、失われた20年余りの低迷期を経て、今漸く安倍政権が低迷打破を実現しようとしています。しかし少子化は止めることが出来ず、人口オーナスの負の影響はますます大きくなって行くでしょう。財政的な逼迫感は年々増大してきます。

Cc9b5e21  ですから以前にも述べたように、これからは少数者に特権を、と言う考え方は先ず出来なくなるでしょう。山本太郎議員が「所得が少ない人には国が補填を」などと訴えていますが、そんな金はどこからも出て来ません。税をしっかり払える「自立」し「強い」人間が、今後の日本では特に必要になってくるでしょう。そうでないと日本は持ちません。個人が強くなければ国も強くなりません。国が強くなければ、母子家庭や障害者、高齢者に十分な福祉政策が出来ないのです。

 自立し強く生きる人間が評価を受ける、それこそ公平な社会だと思います。弱者切り捨てはもっての外ですが、弱者優遇や特権はあり得ません。自立人間に対し不公平になるからです。民主主義の元、公平な社会作りに向けて、行政はその政策を進めていくことが肝要だと思います。
 

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月12日 (金)

平等と公正を考える

 前回も取り上げましたが「平等」という概念。今回はこれに加えて「公正」も取り上げてみたいと思います。

J14  憲法第14条に「すべて国民は法の下に平等であって・・・」と謳われています。この平等という言葉の意味は元々仏教用語で、ネットからの引用ですが「個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに遇するシステムとなっていること」ということのようです。選挙における投票の権利はこの「平等」にあたりますね。

 よく「機会の平等」と「結果の平等」が取り上げられ、例えば「どんな学生でも就職先を平等に選択出来る」というのが「機会の平等」、「同期入社の社員であれば仕事が別々でどこで働こうが給料は同じ」と言うのが結果平等でしょう。

 しかし結果平等はその結果に至るプロセスを無視しています。ですから、例えば労働者でどれだけ真剣に働こうがサボろうが、同じ給料では真剣に働く人のモチベーションが下がりますから、機会の平等を優先するのが一般的です。共産主義が破綻したのも結果平等を謳ったからだと思います。

 さて機会の平等、権利の部分では機会を生かそうが生かすまいが、個人の自由です。選挙権がいい例です。行かない人が多くなるのも、平等と謳っていてもその有り難みが実感としてわかないからでしょう。しかしこのグループに属していれば均等に五つ星レストランの食事券が貰える、と言う権利であれば、まあ貰っておこうかという人は居ても、要らないという人は少ないかも知れません。少し違った面では、生活保護を受ける権利は、ある一定の基準を満たせば平等に受けられるでしょう。

 だが義務の面で見るとどうでしょう。納税の義務では収入の多寡に拘わらず平等に支払えなんて、とんでもないと言うことになります。教育の面では小中学校が義務教育で、親は子供を通わせなければなりませんが、居住地の関係で必ずしも平等な教育レベルの学校を選べるとは限りません。

 更に突っ込んでいくと、権利の面でも例えば兄弟同士で親からものを貰う場合、年齢、性別関係なく同じものというわけに行かない場合が多い。小遣いでもそうでしょう。今では少なくなったかも知れませんが、飲食店で先輩が後輩より多く飲食代を出すとか、運動会で勝ったもから多くの賞品を貰うとか、いくらでも平等でない面はあります。

 このように平等と言ってもあくまで「法の下」であって、実社会の中では、必ずしも平等にはそぐわない点も出て来ているようです。

Download_15  「公正」というのはこれもネットからの引用ですが「
公平で偏っていないこと。また、そのさま」、とありこの「公平」とは「公に平らなこと、すなわち一定の集団において、偏らないということである」、さらに「義務履行の結果として、平らに報じるとの概念である」、とあります。

 

 

 

 「公正」(equity)と「平等」(equality)の違いをネットから引用してみましょう。

 「公に平等」という意味の公平であるが、実際には「平等」とは異なるものと言える。例えば、個のリンゴを人で分けるとき、個ずつなら平等かというと、リンゴの大小や味などの要素があり、厳密には異なる。大きさについては、歳の順で、年少からあるいは年長から大きいものをとっていく、などという決め方も考えられるが、味のほうは外見ではわからないので、結果が平等とは限らない。

Images_16  また、カステラを等分する場合、もし金尺とノギスを使って厳密に測って等分しようとしても、真ん中と端では異なる。そもそも、物差しがあってもふつうは目測で等分することになる。厳密に等分されることは期待できないので、おおよそ等分だろうというところを切り、切らなかった人から好きなところを取っていくなどのやり方をしたり、あるいはじゃんけんで決めたりする。「俺はカステラ嫌いだから人で半分ずつにしてくれ」と人が言う場合もあるだろう。いずれも、少なくともその場にいる人が納得していれば、「平等よりは公平がふさわしい」場合と言える。

 違いがよく見えてきます。つまり「平等」とは、あらゆる他の条件は無視しての平等であって、「公正」になると、その対象者の属性なり対象物の物性などの配慮も含むことになりますね。

Download_17  スポーツの世界で格闘技、即ちボクシングや柔道、レスリングなど、「体重」によりレベル分けしています。これは属性を加味した、選手にとって「公平」な競技にしようという意味からでしょう。そう言う意味では「身長」の配慮は無いようです。バレーボール、バスケットボールなど明らかに身長の高い方が有利なのに、です。

 話を戻して、選挙権の件では、対象者の属性は全く考慮に入れてはいません。かつては資産に応じて、とか男性のみ、とか所謂不平等であったのが、今では「法の下」に平等です。したがって政治のことなど全く分っていない若い人や、関心がなく選挙に行かない人、判断力も失いかけた高齢者でも、属性は問いませんから「平等」に一票の投票権があるのです。

 ですからこの選挙権は対象者は平等であっても、
履行の結果として、平らに報じるとの概念」に反し、即ち「公正」ではないことになりそうです。そして前回も取り上げた地域ごとの一票の格差。地域では不平等と言うことは、それ即ち不公正、と言うことになります。

 地域による一票の格差は、これからも違憲訴訟で議論されていくでしょうが、選挙権については、憲法で保障された国民固有の権利であって、「法の下」に平等ですから、いくら「公正」さを欠くのが実態であっても、覆せません。


 加えて小選挙区比例代表並立制という選挙制度そのものも「公正」な民意を正確に反映するとは言えませんが、これも政党間の利害に直結する課題で、よりよい方向に、と言っても簡単には変えられないでしょう。

 人間にはそれぞれ意志があり、想いがあり、欲がありますから、万人に共通の「公正」な制度は望むらくもないのかも知れません。ただ日本人一人ひとりが、この「公正」な社会を維持発展するよう、努力していかなければならないと思います。「自由」の元でもっとも大事なのはこの「公正」さだと考えます。

 

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

2018年10月 8日 (月)

平等と民主主義

Download_13  貴乃花が相撲協会を退職しました。退職の理由に関して貴乃花側と協会側の意見がかなり異なっていますが、正直なところなぜこうなったのか、よく解りません。とにかく相撲界の内情はなぜか霞がかかっていますね。

 ところで白鵬が先場所全勝優勝し、41回目の優勝を飾りました。前人未踏の幕内1000勝も達成しました。しかしこの大記録にもマスコミはそれほど騒ぎません。貴乃花の引退騒動は数日間騒いだのに。同じ大横綱でも日本人とモンゴル人では、どうしても人気に差が出るようですが、それは仕方のないこと、と多くの日本人は思うでしょう。

 でも、新旧の違いはあれど同じ力士で、同じ横綱、日本人とモンゴル人でも同じ人間、平等に扱えよ、と言う意見もあるかも知れません。それはそれで一つの意見ですね。このように平等というのは前提の置き方で、受け取る印象が変わるようです。

 それより報道で問題なのは、政治や社会の分野で、一方の意見を恣意的に多く報道し、他方を明確に少なく報道することでしょう。以前にも述べましたので割愛しますが、これこそ平等な取り扱いが必要です。

7  話は飛びますが、選挙における一票の格差という、昔から続く問題があります。選挙の度に違憲訴訟が行なわれてきましたが、最近では衆議院選挙ではおおむね2倍以内、参議院選挙では3倍以内という線で落ち着いてきているようです。

 しかし国民みな平等という憲法第14条の規定からすれば、これはあきらかに違憲の筈ですね。しかし選挙は、基本都道府県単位の候補者選出という、昔からの慣例があり、この慣例からどうしても、人口少数県の議員を一定数確保しようとすれば、格差が生まれる。参議院では合区も行なわれましたが、それでも3倍の格差は生じています。

 ここで格差是認側の意見では、どの県も最低限の議員を選出する権利が有り、また地方県(人口少数県を意味する)の意見を反映するのが民主主義だ、と強調します。これもまさに「大きな県(人口が多い都会地区の県)は小さな県(人口の少ない地方の県)と平等に扱え」という、結果的には小さな県の一票の重みを大きくすることに、異論を挟まないようにする主張ですね。

Images_15  このように民主主義とは「最大多数の最大幸福」ではなくて、少数者の権利保護が重要視され、強いものは弱いものを保護すべき、LGBTや障害者に光を当てよ、と言う論調が目立つようになってきています。もちろんマイノリティに優しい社会作りは必要でしょうが、マイノリティに特権を与えるべきと言う議論はいかがでしょうか。これでは強くありたい、多数側でありたい、という人々が逆差別を受けることにもなりかねません。

 本当のフェアとは何なのか、もう一度考え直す時期に来ていると思います。そうでなければ民主主義と言う概念が壊されていくような気がしてなりません。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)

保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月 6日 (土)

旭日旗問題に思う

 韓国の反日活動が止まりません。海上自衛隊の艦艇が2018大韓民国海軍国際観艦式」に参加予定でしたが、「旭日旗」を掲げて参加するのを韓国民が阻止しようとし、韓国政府もその動きを押さえられないため、日本側が派遣を見送る問題に発展しました。

Imageskoku  もともと海上自衛隊の軍旗「旭日旗」は、
自衛隊法で掲揚が義務付けられているほか、国際慣例上も認められている以上、日本としてこのような要求は飲めないのが当然でした。その結果派遣見送りの方針となった訳です。

 この「旭日旗」問題、産経新聞によると、

「2011年のサッカーアジア杯日韓戦だ。試合中に猿まねをした韓国選手が、その理由として観客席に旭日旗があったことを挙げ、韓国メディアは「怒りを抑えられなかった」などと報じ、旭日旗が広く知られるようになった。 

2つ目は、日本の極右団体のデモなどで、旭日旗が掲げられている様子が韓国でも盛んに報じられるようになったことだ。これらがきっかけとなり、韓国人の間で徐々に旭日旗が日本軍国主義の象徴と認識されるようになったとみている。」 

と報じられています。

 韓国のさらなる見方、即ち「旭日旗」は「戦犯旗」だと言う極論に至っては、当然日本人としては許しがたい見方であって、慰安婦や徴用工に次ぐ反日の象徴となってきています。

Img_0  韓国は以前にも述べましたが、日本の併合を「植民地」と捉え、日本の大東亜戦争敗戦を以て独立を勝ち得た、と信じ込んでいます。もちろん戦後の教育によってですが。ですから日本の併合の真の理由や、併合統治時代の様々な日本の施策を、教えられず、例によって自分たちの都合の良い歴史にすり替えています。

 日本が戦争犯罪国だというのも、東京裁判(極東国際軍事裁判)の結果理不尽に植え付けられた考え方で有り、「戦犯旗」などと言うのは言い掛かりもいいところです。慰安婦も徴用工も言い掛かりですから、言い掛かりの三セットとでも言えるでしょう。

 いずれにせよ捏造された歴史とそれを元にした教育によって、日本の併合統治時代を日本帝国主義による劣悪な植民地時代だと捉え、自分たちより下等な民族と思っていた日本に、もっとも酷い恥辱を受けたという腹いせに、今の反日構造はできあがっていると言えましょう。

 もちろん近隣諸国とは、親交を深めるに超したことはありません。ですが自尊心が非常に高い民族ですから、この考えは千年変わらないでしょう。したがって保守先人の言われたとおり、日本は反日を続ける韓国に対し「非韓三原則」(助けない、教えない、関わらない)を基本外交として、取り進めていくべきと考えます。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)

保守ランキング

(お手数ですがこちらの応援クリックもお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月 5日 (金)

安倍首相は戦争をやりたがっている、というサヨクプロパガンダ

 第4次安倍内閣発足により憲法改正の動きが具体的になってきました。それに伴い野党やマスコミの一部から「安倍首相は戦争をしたがっている」という声が強まってきています。もともと「鷹派」と言われる首相に対しての、サヨク界隈からの批難めいた言葉として、この「戦争をしたがっている」ということが以前から言われてきました。

1437258658_201507016seisakuanpoboei  3年前、集団的自衛権の容認を含む、安保法案(平和安全法制整備法)の国会提出から成立までの審議期間中も、共産党や社民党などは、この法案は「戦争法案」だと頻りに発信してきました。また多くの憲法学者はこの法案は憲法違反だと訴え、野党の動きに同調していました。

 もっとも安保法案を論ずる前に、自衛隊そのものが憲法違反だという憲法学者も多く居るのは、前に述べたとおりです。であれば、自衛隊の存在を憲法に明記しなければ、違憲状態の継続を認めることになるので、サヨク陣営は自衛隊を認めるならば、憲法の改正は不可欠な筈なのに、そこが全く矛盾していますね。

 いずれにせよ、サヨク陣営は憲法改正、即ち自衛隊(実質的には軍)を明記することが、「戦争をしたがっている」、と言うことに結びつけようとしているのです。これに韓国のメディアは悪乗りして、「安倍政権は戦争をしたがっている」、とサヨク陣営と同じことを言っています。

 しかし良識のある日本人ならば、日本が他国に「戦争を仕掛ける」ことなんて、全くないことは自明のことと考えるでしょう。先ず第一に、第2次世界大戦前の国際状況や日本の社会状況とは、現在は全く異なり、戦争をしなければならない根拠が全くない。また日本の世論や国際世論も戦争を仕掛けることは絶対許さない。仮に安倍首相が「戦争をしたがっている」としても出来る訳がないのです。

 ですから「安倍首相は戦争をしたがっている」というのは、憲法改正を良しとしないサヨク陣営や韓国メディアによる「プロパガンダ」に過ぎません。憲法改正は中国も反対の姿勢です。

Reuters20170811114410thumb720xauto  このことから、日本が自衛隊を憲法に明記し、自衛隊の活動範囲と防衛の質を上げ、国際的発言力が増すことにより、尖閣の防衛や竹島の奪還の動きが加速することを恐れている、中韓の思惑が見え隠れしますし、これらの国に親交関係を持つ左翼陣営も改正阻止に動く訳です。

 戦争はしなくても、防衛力を整備する必要はあります。それは前に述べたように憲法前文の「平和を愛する諸国民・・・」とは理想郷の話。実態は領土に限らず様々な形で、他国に侵攻としようとする国は必ずあります。ですから武力という戦力だけではなく、情報力や外交力、いずれもそう言う侵攻を跳ね返すことの出来るよう、総合的な防衛力を備えることが求められていると思います。

(下記バナーの応援クリックをお願いします。)

保守ランキング

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月 4日 (木)

外交では「国益」優先で臨もう

 子供の頃親からよく言われたことの中に、「人の迷惑になることをするな」、「恥となるようなことはいうな」、「悪いことをしたらきちんと謝りなさい」、「どうしてそんなことをしたか反省しなさい」、というようなものが有りました。これらは今でも日本人として大事なこととして、その文化・風土の中に溶け込んでいます。

Download_12  日本は古事記、日本書紀に記されているように、神話の世界からはじまり、以来ずっと万世一系の天皇を中心とした統治機構を以て、歴史を刻んできています。基本は神道ですが仏教も深く取り入れ、和と慈悲を中心とし、その統治の中に組み入れています。もちろん藤原氏を初め「家」を元にした、結構ドロドロの後目争いも中にはありましたが、催事を中心にこの考え方を基本として、国の長としての役割を務めてきました。

 一方鎌倉幕府に始まった征夷大将軍と言う武士の組織は、幕府とも言われますが、今でいう軍隊でしょう。元々蝦夷を撃つための役職でしたが、実質的な行政に関しては鎌倉時代以降、江戸時代まで朝廷に代わってこの幕府が担ってきています。この幕府は近世に向うにつれ戦う部分が薄れ、江戸幕府に至っては完全に行政のためだけの組織になっています。そしてお互い規律を重んじ、上下関係は俸禄と奉公の間柄になっています。そしてそこに武士道という1つの概念ができあがったと思われます。

41r05gqvr8l  明治維新後天皇を中心とする行政機構に戻るのですが、実際政治を動かしたのは、この元武士たちでした。明治天皇は五箇条の御誓文を示されましたが、それに加えこの武士道が相まって、日本の政治や風土の中に考え方として溶け込んだものと思われます。それが外交の基本にもなり、戦時に於いてさえも、規律を守り、相手を騙さず、傷ついた相手には慈悲を以て接する、そういう国家観を持つ国になったと言えましょう。

 ところが白人国家と言われる欧米の当時の先進国は、後進国の南米やアジア、アフリカを次々に植民地とし、自前の宗教・文化を押しつけ、資源を略奪し、先住民を虐殺してきました。

 同様に中国に於いても、満州事変後の日本人に対する裏切り、虐殺は枚挙に遑はありません。今もチベット、ウィグルで他民族虐待を重ねています。朝鮮人も終戦前後の日本人を始め、ベトナム人への蛮行を行なっています。

 西洋に於いても中国に於いても、近世までは王や皇帝がトップに君臨し、代替わりや隣接国との戦争の度に、凄惨な殺戮を繰返して来た歴史があります。朝鮮も大なり小なり似たような歴史でしょう。こうした中国風にいうと易姓革命を繰返し、王や皇帝がその地位を保全するために、時には肉親まで手にかけるような歴史が、人を虐殺しても平気な神経の持ち主を産んだと思われます。そしてそれを見ていた周りの人間も、やがてその風土に染まっていった、と見ることが出来るでしょう。

 そして日本では映像や紙面では、凄惨な死体を直に見せないようにしています。しかし日本以外ではそんなことはあまりなく、もろに見せているようです。これもこのような歴史的経緯からでしょうか。

 こうした人間の感覚の根本的な違いが、戦前日本が第一次大戦以降大東亜戦争まで列国にいいように騙され続けて、結局歴史的な敗戦に繋がり、また戦後に於いても「反省」と「謝罪」を繰り返す大きな要素になっているのだと思います。

20409501  日本の和や慈悲や思いやり、そして謝罪や反省はいい文化だと思います。しかし外交に於いては負の部分が大きすぎます。こと外交に於いては世界標準の対応で臨まなければ、また騙され続けることになります。世界標準、それは「国益」最優先です。この姿勢、河野
外務大臣に強く望む次第です。




(下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

2018年10月 3日 (水)

安倍新内閣への期待と出てこい健全野党

96958a9f889de1e4e2e7e0e1eae2e2e0e3e  安倍新内閣の顔ぶれが決まりました。12人の初入閣組を含め「明日の時代を切り開く全員野球内閣」と銘打って、出発しました。麻生財務相や河野外相、菅官房長官など留任した6人の閣僚は、いずれも直近の安倍内閣の重鎮でもあります。

 野党各党はお馴染みの辛口批判。
立憲民主党・福山哲郎氏は「女性活躍と言いながら女性が1人しか入閣しておらず、「女性が1人しかいないかく(内閣)」、「全くわくわくしないかく(内閣)」と言い、共産党・小池晃氏は「閉店セール内閣」と揶揄しています。

 こうした批評そのものが子供っぽく、これがいったい国会議員の批評なのかと呆れるしか有りませんが、いつも同じような批評、というより揶揄が繰り返されます。世界に目を向けても与野党の間には、同様な批判はあるでしょうが、ここまで子供っぽいのはあるのでしょうか。

 いずれにせよ、「3期目の安倍内閣に期待するもの」の項で述べたように、新内閣には内政、外交の他、期待するものが多くありますが、その筆頭は憲法改正、これを是非成し遂げていただきたいと思います。

 ところで話を元に戻して、野党はなぜ政権の批判ばかりに明け暮れるのでしょう。しかもあの「モリカケ」を担いで、マスコミを巻き込んでの一年以上の批判の嵐を吹き荒らしても、一向に支持率を回復しない、それが分っているのに。その分析をしても仕方がありませんが、一言で言えば国民の信頼がない、野党には任せられない、と言うことなんでしょうね。

 支持率を回復して、この先政権を目指そうとするなら、国民の信頼を得ることが一番でしょう。そのためには政策を研究し、国民のための、部分最適ではなく全体最適となる政策立案をすることに、尽きるのではないでしょうか。そうでなければ、枝野立憲民主党代表が言う「ポスト安倍は野党第一党の自分だ」には、到底ならないと思われます。3年の内に、いや次の衆議院総選挙までに、その可能性はあるでしょうか。答えはノーでしょう。

 批判するのは実は非常に容易いのです。余り理由を言え、とは問われないからです。でも政策を立案実行するには、理由・根拠とその実現性、更には予算の裏付けが必要です。今の野党にその実現能力があるでしょうか。答えはノー。野党慣れした彼らには先ずありません。ですから安倍政権に日本を託すしかないし、3年後もやはり自民党を中心とした政権に、期待するしかないと思います。

1  そしてその政権が、日本のため、日本国民のために、よりよい政策を実現実行していくためには、野党や野党の応援団であるマスコミに、邪魔をして欲しくない。チェックは必要ですが、邪魔はまずい。そのための国会制度改革や、放送制度改革も是非この政権下で実現していただければ、と思います。

 兎に角少子化・人口減少が急速に進んでいる現状では、国民が一致団結してこの難局を克服していかねばなりません。経済、財政、教育、福祉、外交、安全保障、災害対策、どれもこれも重要な課題が山積しています。そう言う課題を解決していくために、本当の意味での健全野党の出現が必要とされています。出てこい健全野党。

(以下のバナーの応援クリックをお願いします)


保守ランキング

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »