平等と民主主義
貴乃花が相撲協会を退職しました。退職の理由に関して貴乃花側と協会側の意見がかなり異なっていますが、正直なところなぜこうなったのか、よく解りません。とにかく相撲界の内情はなぜか霞がかかっていますね。
ところで白鵬が先場所全勝優勝し、41回目の優勝を飾りました。前人未踏の幕内1000勝も達成しました。しかしこの大記録にもマスコミはそれほど騒ぎません。貴乃花の引退騒動は数日間騒いだのに。同じ大横綱でも日本人とモンゴル人では、どうしても人気に差が出るようですが、それは仕方のないこと、と多くの日本人は思うでしょう。
でも、新旧の違いはあれど同じ力士で、同じ横綱、日本人とモンゴル人でも同じ人間、平等に扱えよ、と言う意見もあるかも知れません。それはそれで一つの意見ですね。このように平等というのは前提の置き方で、受け取る印象が変わるようです。
それより報道で問題なのは、政治や社会の分野で、一方の意見を恣意的に多く報道し、他方を明確に少なく報道することでしょう。以前にも述べましたので割愛しますが、これこそ平等な取り扱いが必要です。
話は飛びますが、選挙における一票の格差という、昔から続く問題があります。選挙の度に違憲訴訟が行なわれてきましたが、最近では衆議院選挙ではおおむね2倍以内、参議院選挙では3倍以内という線で落ち着いてきているようです。
しかし国民みな平等という憲法第14条の規定からすれば、これはあきらかに違憲の筈ですね。しかし選挙は、基本都道府県単位の候補者選出という、昔からの慣例があり、この慣例からどうしても、人口少数県の議員を一定数確保しようとすれば、格差が生まれる。参議院では合区も行なわれましたが、それでも3倍の格差は生じています。
ここで格差是認側の意見では、どの県も最低限の議員を選出する権利が有り、また地方県(人口少数県を意味する)の意見を反映するのが民主主義だ、と強調します。これもまさに「大きな県(人口が多い都会地区の県)は小さな県(人口の少ない地方の県)と平等に扱え」という、結果的には小さな県の一票の重みを大きくすることに、異論を挟まないようにする主張ですね。
このように民主主義とは「最大多数の最大幸福」ではなくて、少数者の権利保護が重要視され、強いものは弱いものを保護すべき、LGBTや障害者に光を当てよ、と言う論調が目立つようになってきています。もちろんマイノリティに優しい社会作りは必要でしょうが、マイノリティに特権を与えるべきと言う議論はいかがでしょうか。これでは強くありたい、多数側でありたい、という人々が逆差別を受けることにもなりかねません。
本当のフェアとは何なのか、もう一度考え直す時期に来ていると思います。そうでなければ民主主義と言う概念が壊されていくような気がしてなりません。
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