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2018年11月26日 (月)

自由という権利は、公共の福祉のために利用する責任を負う

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 戦後新憲法の下、国民の権利がより具体的に明記され、自由と平等の概念が強化されました。「第3章 国民の権利および義務」の章では、第10条から40条までの間に様々な権利や自由、平等が謳われていますが、義務は僅かに勤労と納税だけです。

 ただしこの自由や権利はその第12条に「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」となっています。

憲法第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ

 しかし現実にはこれを無視した例が数多くあります。以前にも紹介した「ゴミ屋敷」、「犬・猫などの大量飼い」、「河川敷などの土地の無断使用」などに見られる迷惑行為があげられます。

 この12条の但し書きの部分を明確に規定しているのが法であって、極端な例だと「人を殺す自由」に対しては「殺人罪」という刑法がそれを禁じていますし、もし実際に殺人を犯せば、殺人罪に対する刑罰が加えられます。ですから普通であればこの法で縛られた行為に対する自由はないことになります。傷害、窃盗、詐欺などいくつもあります。

 問題は法で規定されていない、あるいは法の解釈によっては罰せられにくい場合で、上記の迷惑行為などや、大声で人を威嚇したり、乗り物の中で大騒ぎしたり、騒音を立ててバイクを乗り回したりする行為です。そしてこれが近年増加傾向にあるように思われてなりません。

 さらには申告すれば刑に処せられるようになってきましたが、あおり運転や、店員への暴言、最近ではパワハラやセクハラ、これらも増加傾向に有るのでは無いでしょうか。(もっとも取り上げる機会が増えてきたせいかもしれません)

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 もう一つやっかいなのが、表現の自由です。メディア上やネット上での閣僚や政治家への誹謗中傷、有名人へのヘイト行為、思想信条の意図的拡散等、法での規制が困難な分野での、自由の一人歩きが目立ちます。特に攻撃する側は、表現の自由を錦の御旗にしますし、攻撃される側の基本的人権に対しては、名誉毀損が適用されるかどうかの基準がはっきりしません。どちらかというと泣き寝入りが多くなってしまう傾向があります。

 自由は大事ですし、守らなければなりませんが、このように相対する一方の自由は、他方の側の不自由、人権毀損、迷惑に繋がることが多いと思います。以前のブログでも述べましたが「犯罪者」と「被害者」の関係のように、相対する他方の側の自由の毀損が、ないがしろにされる傾向が強いのではないかと、危惧しています。まさにこれを濫用してはならないと思います。


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