自己責任では済まされない行動
フリージャーナリスト安田純平さんの今回の事件、拘束、解放に至る過程で浮上してきた「自己責任論」。今日のフジテレビ「バイキング」でも取り上げられ、様々な意見が交わされていました。番組では記者会見での安田さんの話した内容から始まり、後半でこの「自己責任」のテーマに移っています。
話を総合すると、戦地などの危険地帯に取材に入る行為は、その環境で何が起ころうが本人としては所謂「自己責任」で対処しなければならない。しかし拘束されたりして身の安全が脅かされていることが判明した場合、生命の安全確保には、どんな事情があるにせよ、政府は責任を持たなければならない。それは海外に於いて日本人の生命を守る義務が政府にあるからです。その観点からは、身の安全に十分すぎるほどの配慮をして、行かなければならない、と言ったようなことでした。
そういった事情に対し、安田さんは本当に分っているのか、その地域に入る際の行動も、解放された後の言動にも、その意識は薄いと感じられることが多かったし、更には記者会見の発言でも、「自己責任」ですと認めているにしても、結局は「政府が何とかしなければならない」義務があるということを、本当に分っていっているのかは疑わしい、という意見が多いようでした。
ここまでシリアスな例ではありませんが、「自己責任」とだけでは済まされない例は他にもあります。
例えば冬山登山です。周りから、「危ないから止めたら」という制止も聞かず、無理に決行して遭難、救助隊の手を借りて助けられる、その場合も「自己責任」では済まされません。同様に台風が近づいているのに、釣りに出かけて、洪水に飲み込まれて助けを求める、と言うのもあるでしょう。
したがって、本当に「自己責任」で済まされるのは、自分や最悪の場合でも家族友人の間で、その結果対応が出来る場合に限られそうです。逆に言えば公的または準公的な機関の、援助や救助が必要な結果を伴う行動は、「自己責任」では済まされない、行動を起こす前にその点をよく考えなければならない、と言うことになります。
ですから安田さんの今回の行動結果は「自己責任」では片付けられない、それだけ重大な結果だったと、言うことでしょう。彼は本当に分ったのでしょうか。
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