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2018年11月25日 (日)

支那事変への2大国の画策

 韓国の反日は止まりません。当然その元はかつての「韓国併合」にあり、主権を日本に奪われた時代の「恨」にあります。中国も反日国家ですが、日本の侵攻はあっても主権は国民党政府にありましたから、当然意味合いは違います。韓国の方がより大きいものがあるでしょう。何故韓国を併合したか、なぜ中国に侵攻したかは、ご存じの通りでここでは取り上げません。また韓国については何度も取り上げましたので、今回は中国に絞ります。

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 以前にも述べましたが、日本が中国(当時は清)と直接関わるのは、日清戦争です。ロシアの南下とそれに対応すべく、日清相互の朝鮮での権益上の争いでした。1895年日清戦争に勝利した後、独仏ロの三国干渉を受け、遼東半島割譲に反対された日本は、その後朝鮮半島と満州の権益を争って、1904年ロシアと開戦、これに勝利して大連と旅順の租借権および東清鉄道の一部の租借権も獲得し、満州への進出が決定しました。


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 その後第1次世界大戦への参戦で、敗戦国ドイツの所持していた山東省の租借権を引き継ぎます。またそれに先だって1915年、辛亥革命により清を倒して建国された中華民国に、悪名高い「対華21箇条の要求」を提示します。そこから支那の反日運動は加速され、泥沼の戦争へと入り込みます。

 大東亜戦争終結の1945年まで、戦闘と停戦が何度も繰り返されます。その間、支那の権益を狙う米国の排日行動が進みます。1921~2年のワシントン会議での日本に不利を押しつけた軍縮提案や、日英同盟の破棄と4カ国条約締結、1924年の排日を目的とした移民法の成立と、矢継ぎ早に日本への対抗政策を進めます。

 いっぽうロシアは第1次大戦中に勃発したロシア革命により、共産主義国家ソ連となり、中国の共産化を狙って、中華民国国民党内部に共産党員を潜り込ませ、次第に主導権を奪い始めます。そして1924年共産主義に寛大だった孫文を手名付け、第一次国共合作を実施し、本格的な共産化を狙っていきます。しかしその後孫文が死去し蒋介石が総統の座を得ると、共産党を抑えましたが、それと同時に支那の統一を目指して北伐を開始します。これが満州で控える日本軍との戦闘の伏線となります。

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 その後蒋介石軍は1927年の南京事件、1928年の済南事件と居留民を狙った事件を起こし、日本の反支那の国論を誘発します。ただこの裏には国民党内部に潜んだコミンテルンの暗躍が有ったと言われています。そしてとうとう1931年の満州事変の発生へと繋がってしまいます。

 その後の経過は史書に詳細記載されていますが、忘れてはならないのは、上記米国とソ連の背後での暗躍です。ソ連は中国の赤化狙いとドイツ、日本による東西からの2面作戦を阻止すべく、日本に支那との戦闘を継続するよう、巧みに蒋介石を誘導し、トラウトマン工作などの日本との停戦協議を拒否させると同時に、北からの武器の支援を行なっています。


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 また米国も蒋介石軍に、フライングタイガーに代表される兵員支援や武器、物資の支援を積極的に行ない、日本に消耗戦を続けるよう、画策しています。時の大統領ルーズベルトは、親支那反日で、共産主義にも寛容だったため、ソ連の南下は気にせず、ひたすら日本叩きに集中していたのです。

 こうした結果、満州は確保を続けたいが、支那との戦闘はやめたかった日本は、結局大東亜戦争終戦まで、支那から手を引けない形となってしまいました。

 しかし落合道夫氏の著書など見ると、殆ど史実には上がっていませんが、日本軍は拠点拠点で小さな産業を興し、土地の人を雇い、生活の面倒を見たので、ただ戦闘だけの蒋介石軍より喜ばれ、娘を嫁にして欲しいと言われたという逸話もあるようです。
 
 いずれにせよ過ぎたこととは言え、2大国から背後で画策されながら、支那から引揚げられなかった日本軍は、それを見抜けなかった軍中央の、甚大な被害者と言えるでしょう。


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