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2018年12月 7日 (金)

自由は無条件の権利ではない

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 「自由」というのは極めて重要な権利の一つです。先月26日のブログでも述べましたが、憲法にも10条から40条まで、権利や自由の項目が列挙されています。ただ自由奔放という言葉もありますが、むやみに認められるのではなく、「公共の福祉」に反しない範囲で、と言う但し書きが当然ついています。即ちあるべき「責任」の範囲内での「自由と」言うことですね。

 この「自由」が極めて重要と言ったのは、思想、信条、学問、信教など、その人の生き様、考え方に対して、縛りを入れてはならないと言うことに繋がるからです。しかし憲法に規定され、民主主義の日本に於いては、「自由」とい概念が、所謂「空気」のような、当たり前の環境の中にいますので、ともすればその有り難さを忘れることがあります。

 筆者がステイの経験がある、サウジアラビアなどの中東の国や、中国に代表される共産主義国家などは、この自由が極めて制限されています。タリバンの勢力の強いアフガニスタンの女性など、学問の自由も奪われています。共産主義国家では思想や信教の自由が完全に制限されています。中国ではノーベル賞受賞作家も思想が共産党と合わないと言って、監禁され続け、不幸な死を遂げました。

 世界的には多くの国で広がっているこの個人の「自由」も、歴史的にはつい近年になって、所謂先進国から解放されてきた経緯がありますが、実は弊害も大きいと思います。

 米国が先行しましたが、社会の退廃化が進んだり、格差が広がったり、犯罪が増えたりします。「自由」は原則性善説が基本にあり、人間の「欲」の部分を軽視しています。ですから「欲」に絡めて自由を求めすぎる弊害が出て来ます。そこで「自由」の暴走を止めるべく、法がその抑止役となりますが、更には法に触れなくては何をしても良いだろう、と言う人も出て来ます。これこそ「性悪説」の対象となる人たちです。

 日本でも最近話題の東名あおり運転死亡事件や、渋谷ハロインの軽トラ横倒し事件など、最終的には法律違反で逮捕されましたが、実行段階では「自由」をはき違えた暴走程度の認識だったのだと思います。

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 「最近になって日本は・・・」などと言うと、「昔からそうだったよ」という反論もあるでしょうが、筆者はこと「自由」のはき違えの傾向は、強くなっているように思えてなりません。「人に迷惑をかけるのではないよ」と言われて育った人間としては、「ゴミ屋敷」「あおり運転」などの増加や、モンスターペアレント、モンスターペイシャント、モンスタークライアントなどの増大も気がかりです。「ルール」と「マナー」の日本の崩壊が始まっているのではないかと大変危惧します。

 国会議員、特に野党議員からして、大声で他の議員の発言をやじったり、審議拒否やサボタージュをしたり、委員席に詰め寄って暴行紛いのことをしたりと、「責任」のない「自由」を、衆人環視のテレビ中継の中でやっているのですから、それを見ている国民が、自然に崩壊して行くのもやむを得ないのかも知れません。


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