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2019年3月24日 (日)

国益無視の外務省、その要因は

Sty1712070012f1 アメリカ東部時間で1941年12月7日午後1時に、日本の駐米大使野村吉三郎がアメリカの国務長官ハルに所謂「最後通告」を届けることになっていましたが、日本大使館の1等書記官奥村勝三のタイプライターでの英翻訳文作成作業が手間取り、届けられたのが1時間20分遅れの2時20分になりました。例の真珠湾攻撃は1時30分に開始されましたから、通告前の攻撃開始になり、アメリカが言う「騙し討ち」になった経緯は今では公知の事実です。

 しかしこの奥村書記官は前日夜遅くまで外出していました。本省から「いつでもアメリカに手交できるよう万端の手配をしておくこと」という通達がなされていたのにも関わらず、館務の責任者井口貞夫参事官は大使館内に緊急体制を敷かず、奥村書記官の外出を許してしまったわけです。

 確かに通告が時間通りに届いていたとしても、先制攻撃を仕掛けたわけですから、アメリカの反撃への初期対応としてはそれほど違っていなかったかも知れません。だが後に広島に原爆を落とした際、当時の大統領トルーマンは「パールハーバーの騙し討ち」への報復の権利として、この投下の理由を挙げています。つまり原爆投下はできなかった可能性が高いのです。又アメリカ人の日本人に対する激怒と憎悪ももう少し少なかったかも知れません。

Fc2_20140719_183954227 ただこの先制攻撃に関しては、今では開戦時のアメリカ大統領ルーズベルトの「思う壺」だったことが、その後の研究によって明らかになりつつあります。そのため「ハル・ノート」を含む様々な工作が開戦までに日本側に展開されています。その大きな役割を担っていたのが、アメリカによる日本側の電報などの通信傍受と暗号解読でした。それと、今回のブログのテーマである、外交官の稚拙な対応です。

 「あなたの息子ををいかなる外国の戦場に送ることはしない」と言って大統領選に勝利したルーズベルトは、公約を守るためには日本に戦争を仕掛けるわけにはいきません。そこが解っていれば野村大使としては、アメリカから和平交渉を決裂させ宣戦布告できないことは、予測できたはずです。また様々な状況の変化を細かく分析すれば、通信傍受や暗号解読を疑うことが出来たかも知れません。

 日本は対米和平交渉進展のため背水の陣で、近衛文麿首相のルーズベルトとのトップ会談の模索を続けましたが、ルーズベルトの参戦への思い入れで潰されてしまいます。そして近衛内閣がトップ会談の挫折を受けて退陣し、代った東条英機内閣の外務大臣、東郷茂樹も和解の妥協案を送ったものの無視され、逆にハルノートを突きつけられたのです。

 当時平均33才の研究員で構成された「総力戦研究所」の模擬内閣で、日米が戦えば「日本は必敗である」という結論が出されましたが、東条英機は「これはあくまで机上の演習である。実際の戦いというものは計画通りに行かない」と言い、口外するなとも言ったようです。その内閣の一員である東郷外相はその事実を知っていたかどうか分りませんが、この緊迫した時点で外相が知らなかったとすれば大問題でしょう。

414e03uamyl_ac_ul436_ いずれにしろ「最後通告」の遅延という大失態をしてしまったその責任は大きく、またそれ以前の和平の機会を逃してしまった外務省は、軍同様日本を戦争への道に引きずり込んだ一方の当事者でもあります。ところが戦後この事実は外務省によって隠蔽され続け、あろう事かこの通告遅延の責任者と当事者の、井口貞夫と奥村勝三は外務大臣経験者である吉田茂内閣時にいずれも前後して外務次官になっています。「騙し討ち」の事情を知っている吉田首相の隠蔽工作のため、と言う可能性が高いと思われます。又当時の野村大使も戦後参議院議員を2期務めています。

 そして外務省は戦後この失態、つまり「騙し討ち」の原因を作ったことを隠蔽するため、更には省の廃止を言われないため、GHQに取り入り開戦理由をすべて「軍」に押しつける様に画策しました。ですから日本軍を一方的に悪者にするため、「自虐」の道に走るようになったものと思われます。

 こう考えれば、ことのほか近隣諸国にへりくだった対応をしてきた理由も頷けます。竹島問題にしても南京大虐殺や慰安婦強制連行、また教科書問題にしても、外務省としてこの問題に正面から反論せず、寧ろ河野談話発表や教科書問題の近隣諸国条項策定などに於いては、積極的支援もしているようです。国益無視の外交そのものです。いや寧ろ国益を敢えて損なうような外交までしていると言えます。(以上杉原誠四郎氏の著書「外務省の罪を問う」を参照)

 話を変えて、外務省の役人はまた外交官として、特に大使「全権大使」と言われるように日本を代表して外国に赴任します。赴任国の情報を収集分析、つまりインテリジェンス活動に励むと共に、日本の国益を守り、在留邦人の生命と財産を守るのも役目であるはずです。その役割の重大さから国内勤務より破格の報酬が支払われているそうです。

 ところが私が実際に経験したのですが、サウジアラビア滞在時にアラブの春が勃発しました。隣の国エジプトで大規模なデモが始まったとき、真っ先にエジプトを離れたのが大使だと聞きました。それより古くイラク軍がクウェートに侵攻したときクウェートの大使も不在、近くのバーレーンでは大使も参事官も不在だったと言います。

 なぜ有事に不在になるのでしょうか。これでは「全権大使」の役割を果たしていません。在留邦人のことはどう考えているのでしょうか。一説によると最も早く情報が耳に入るから逃げ出したのでは、と揶揄する向きもあります。

 外務省には外交官の知恵として、危機管理に関し「逃げろ」「対応するな」「抗議は後でする」という行動指針が有ると言います。まさかこの指針を忠実に守っているのではないでしょうが、上の例では大使は「抗議を後で受ける」ことになってしまいます。

 このようにどう見ても「国益を優先して考える」べき外務省として、あるまじき実態が白日の下に晒されています。ですから「害務省」などと言われるのでしょう。もちろんそうではない、日夜日本のために頑張っておられる人も多いと思いますが、外務省全体としては、省員の教育を含め出直し的改革が待ったなしだと思われますね。

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