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2019年11月

2019年11月15日 (金)

一年余りを振り返って

F67862e308454d690596a40d09c317dc_s  昨年の8月から1年余り、拙ブログを綴って参りました。今年の後半からは識者の綴ったコラムの転載を進めてきましたが、本来はやはり自書が当然だと思います。そういう考えから、全300項を数えたここで一区切りをつけた方がいいと思うに至りました。

 生まれ育ったこの国、「美しい日本」を大事にしたいという思いから、このブログをはじめました。私の本意は日本の社会において「機会の公平性に基づく自由な競争、論理的で公正な結果の評価、公序良俗の重要性の確保、および自由と責任のバランスのとれた態度」が保たれることが重要だと、常日頃感じています。もちろん全人的な人間とは程遠い私には、完璧な言動はとてもできてはいませんが。

 ただ今の政治の世界や社会において、私が重要だと感じていることに、あまりにも相反する事象が目立ちます。日本や日本人のためと言う優先度を無視し、スキャンダル中心の重箱の隅をつつくような野党政治家の審議姿勢や、時として事故や犯罪犠牲者の方が、加害者より人権と言う意味で低く見られている法制度、公共の福祉より表現の自由を過大視するマスコミや一部知識人の風潮、海外からのユスリタカリに毅然と対峙しない政府の外交姿勢など、じわじわと日本を壊す方向へと進みつつあることに懸念を感じます。むろん少子化も放っておけない重大な課題です。

 これからは諸先輩方のご意見を参考にさせていただきながら、少しの間筆を休めた後に、再び書き出すことができるようになれば幸いかと存じます。まずは陰ながら応援くださった皆さまのご多幸をお祈りいたします・・・美しい日本

謝罪の声が聞こえない、神戸いじめ教師と教育委員会

Photo_20191115180501  今回は神奈川大学人間科学部教授杉山崇氏のコラム『神戸いじめ教師と教育委員会が逃げ込んだ「いつもの世界」』(iRONNA 11/11)を取り上げます。

 「学校」は、日本人であれば誰もが経験してきた場です。良い思い出が詰まっている人もいれば、苦い思い出を残す人もいることでしょう。

 人生初期の多感な時期を過ごす場ですから、子供同士のいさかいもあるわけで、決して「天国」ではありません。しかし、その場が「地獄」にならないように、力を尽くしてくれる存在が教師です。

 私はたくさんの公立学校でスクールカウンセラーを務めてきましたが、「教師を信頼しているから、辛いことがあっても学校に行ける…」と漏らす生徒さんもいました。信頼できる教師の存在が生徒の支えになっているのです。

 しかし残念ながら、学校と教師に対する信頼が揺らぐ出来事が神戸市でありました。市内の小学校で起きた同僚教師に対する集団いじめです。

 被害教師たちの日々の絶望や苦悩を思うと、胸が痛くなります。被害教師にとって、小学校は地獄のように感じられていたかもしれません。

 この出来事だけでも十分酷いことで、あってはならないことです。しかし、その後の学校や教育委員会の対応にも疑問の声が上がっています。

 まず、加害者は被害者に対して謝罪することが何よりも必要なはずですが、加害教師ら本人の謝罪の声が聞こえません。神戸市教育委が謝罪の言葉を公表していますが、被害者当人よりも家族に謝罪している加害教員もいます。

 あまりにトンチンカンな内容に、インターネット上で謝罪文を添削する「赤ペン先生」が全国で続出するありさまです。私も文章を読ませてもらいましたが、被害者へのおわびの気持ちが伝わらない印象はぬぐえませんでした。

 また、ツイッターでは「教師たちの反省文じゃないからです。教育委員会が、事情聴取で聞いた言葉を拾って作りました(中略)」という指摘もあります。この指摘が本当であれば、加害教員らは何の反省もしていないのかもしれません。

 被害者は被害教師だけにとどまりません。ショックで不登校になった児童もいると報じられています。

 また、登校している児童も、学校と教師に不信感を抱いている可能性は十分にあるわけで、心中穏やかでないことでしょう。学校に行かせている保護者も心配のことと思われます。

7023147_ext_col_03_0  そのような中で、校長が涙の謝罪会見を行ったのは救いです。ただ、カレーが暴行に使われたということで、市教委が打ち出した「給食のカレーを休止する」「家庭科室を改装する」などといった対応策は、児童や保護者の心中をどこまで考えているのか、疑問に思ってしまいます。

 では、なぜこのような事態に陥ってしまったのでしょうか。私がスクールカウンセラーを務めていて、まず気づいたのは教師の構造的な忙しさです。

 2018年調査の経済協力開発機構(OECD)国際教員指導環境調査(TALIS)によると、世界で最も勤務時間が長いのは日本の教師で、小学校で1週間あたり54・4時間、中学校では56・0時間にも上りました。世界平均では38・3時間なので、ダントツに長いことが分かります。授業時間そのものは世界平均の水準なのですが、特に課外活動の指導や事務業務、授業の計画や準備の時間が長いのが特徴です。

 私は教育委に勤務していたこともありますが、教師と同じく極めて多忙です。統計や国際比較のデータはありませんが、学校現場と同様に業務に忙殺されていることと思われます。

 このような忙しさの中では、「いつも通り」物事をこなすのが精いっぱいになってしまいます。今回のような問題が起こったとしても、真剣に事態と向き合って考える余裕もないことでしょう。

 また、多忙は、考えると苦しくなる問題から目をそらして否認する「道具」にもなり得ます。「強迫性障害」という異常心理がありますが、これは気にしなくてもよいことを気にしてしまって、無意味な行動を繰り返したり、本当に必要な行動が取れなくなる状態を言います。

 強迫性障害の全ての人に当てはまるわけではないですが、何かを気にして心を忙しくすることで「本当にヤバいこと」を考えないように逃げていることが知られています。

Images-10_20191115180601  実際、いじめの「首謀者」とされる女性教師の謝罪の言葉に、「子供たちを精いっぱい愛してきたつもりですが…」という件(くだり)があります。被害者と向き合うのではなく、教師としての自分の仕事に向き合おうとする姿勢がうかがえます。これでは、加害者としての自分から逃げているかのように感じられてしまいます。

 心理学では、このように「いつも通り」に逃げ込んで、問題と向き合わない現象を「恒常性錯覚」と呼びます。この錯覚は、防災などの危機管理を考える際のキーワードとしてよく使われます。危機的な状況でこの錯覚に陥ると、危機がさらに拡大するからです。全ての人とは言いませんが、加害教師らも市教委も恒常性錯覚に陥っているのかもしれません。

 錯覚にはまる要因は、先に指摘した多忙さだけではありません。日本の学校には、100年以上も脈々と受け継がれた文化と伝統があります。

 また、義務教育は日本国憲法で定められた国民の三大義務であり、決して無くなりません。実は、このような特徴にも恒常性錯覚を起こしやすい背景があると言えるでしょう。

 今回の教師いじめは一種の集団暴行であり、学校教育は大きな危機を迎えたといっても過言ではありません。その中で恒常性錯覚に陥ったままに対応を誤ると、学校教育への信頼がますます揺らぐことでしょう。

 恒常性錯覚は、心理学者としての私が指摘した懸念ではありますが、これが本当に懸念にすぎないことを祈っています。日本の学校教育に育ててもらった一人として、国民に広く信頼される学校教育であってほしいと思うばかりです。

 学校における教師同士のいじめ事件、それも先輩教師が後輩の教師をいじめる、その手口ややり方はいじめを通り越してもはや暴行です。そしてまた今度は消防署で同様な事件が起こりました。それはむしろもっとひどい手口のような気もします。

 両方とも狭い閉鎖された組織内の出来事です。以前のブログでも取り上げましたが、公序の欠落した個人の自由を謳歌する戦後教育の影響は少なからずあるものと思われます。日本が少しずつ崩壊しているように思われてなりません。

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2019年11月14日 (木)

実は激しかった中国人の嫌韓

Images-7_20191114160101  今回は中国・上海在住のブロガーでかつては通信社の記者だった花園祐氏のコラム「また韓国人が居やがる!実は激しかった中国人の嫌韓」(JBpress 11/11)を取り上げます。

「また韓国人が居やがる」

 かつて筆者が中国の東北地方を旅行していた際、近くを歩く韓国人団体ツアー客を見た中国人ガイドが、憎々しげにこうつぶやきました。

 ここ数年、決して良好とは言えなかった日韓関係は、レーダー照射事件や徴用工問題などによってさらに悪化しました。韓国人に対して露骨な嫌悪感情を示す日本人も増えているようです。

 実は中国でも韓国人を露骨に嫌悪する人が少なくありません。中国で暮らしていると、もしかしたら日本人以上に韓国人のことを嫌っているのではないかと思う時すらあります。そこで今回は、中国人の韓国に対する感情について、筆者が実際に見聞きした内容を交えて紹介したいと思います。

Images-9_20191114160601 中国人をも手玉に取る韓国人

 中国人はなぜ韓国人を嫌うのか? 冒頭のセリフをつぶやいた中国人ガイドにその場で尋ねてみたところ、「韓国人はよく中国人を騙すから」との答えが返ってきました。

 そのガイドによると、中国経済の拡大とともに中国と韓国の間の取引が増えていき、韓国に近い中国の東北地方に多くの韓国系企業が進出して来たそうです。ただ、現地の中国系企業が韓国系企業と取引すると、代金支払いの不履行をはじめ、韓国企業に騙されることが多かったといいます。

 上記の中国人ガイドも、知り合いがそうした被害を受けたことから、韓国人に嫌悪感を持つようになったと話していました(この会話をすぐそばで聞いていた筆者の知人は、「日本人をよく騙す中国人を手玉に取るとは、韓国人ってすごいんだな」と妙な感心をしていました)。

「夜逃げ」していなくなる

 実際に中国内では、韓国系企業の進出が多い東北地方や山東省出身の人のほうが、他の地方の人よりも韓国人を嫌っているように感じられます。韓国人との接触が頻繁なため摩擦も多くなることが、その一因なのかもしれません。

 また、韓国系企業に騙されるパターンとして「夜逃げ」を挙げる中国人も少なくありません。

 よくあるのが、韓国人の経営者が大量の製品を受け取っておきながら債務を履行しない、または従業員に賃金を支払わないまま行方をくらますことです。中国では夜逃げが韓国系企業の典型的な不正手段として認知されています。

(もっとも、中国系企業でも、ある日突然経営幹部が行方をくらまし、海外逃亡する例が数多くみられますので、どっちもどっちと言えるかもしれません。)

 企業間の摩擦だけでなく個人間のトラブルから韓国人を嫌う中国人も見られます。飲み屋で働くある中国人女性によると、韓国人客は酒が入ると女性店員への態度が豹変し粗野になる人が多いそうです。また、支払いの際に、あれこれ理由をつけて決済を拒もうとする人も見られるそうで、飲み屋で韓国人は嫌われる傾向があると話していました。

 なお、この中国人女性によると、日本人客は「お触りが多いけど、お金をきちんと払ってくれるのでまだ許せる」とのことでした。

なんでも「韓国発」が許せない

 日本でもお馴染みの「韓国起源説」、つまりなんでも「韓国発」にしてしまうことも、中国人が韓国人を嫌う理由でしょう。

 中国発祥の文化であるにもかかわらず韓国が勝手に起源を主張しているモノ・コトとしてよく取り沙汰されるのは、「端午節」や「漢字」などです。

 韓国は2005年、自国内の「江陵端午祭」をユネスコ世界無形文化遺産に申請、登録しました。この韓国の動きに対し、中国では「文化窃盗」だとして大きな非難の声が沸き起こり、嫌韓感情を高めることになりました。

「漢字は韓国の発明である」とする韓国側の一部主張についても、中国では、呆れながら、その根拠のなさを指摘する声が数多く聞かれます。

 ある中国人ネットユーザーは、「韓国の首都ソウルの漢字表記は長らく『漢城』だったが、2005年に発音に合わせて『首尓』へと変更された。それで、どうして漢字は韓国起源だと主張できるのか」と指摘しています。この指摘には、筆者も妙に納得してしまいました。

 こうした文化面での衝突のほか、政治面での衝突も嫌韓感情を高めています。具体的には、2017年に起きた「THAAD」(地上配備型ミサイル迎撃システム)問題です。

 中国政府は韓国のTHAAD配備に反発して、韓国に対する公式ネガティブキャンペーンを展開しました。この効果は大きく、同年に行われた英BBCの世論調査では韓国を「嫌い」と答えた中国人の割合が、2位以下を大きく突き放して71%に達し、ぶっちぎりのトップとなりました。

日中韓の間の複雑な感情

 ただし、中国人が韓国のことを“全否定”しているかというと、もちろんそんなことはありません。

 たとえば韓国の化粧品は比較的安価で、かつ流行にも乗っていることから、中国人女性の心をとらえ、大量に消費されています。また韓流アイドルは中国でも人気があり、韓流ドラマや映画に熱中する人も少なくありません。こうした側面を見ると、現在の中国と韓国の関係は、かつての日中間の“政冷経熱”のような状態と言えるでしょう。

 また、筆者の周りには、韓国を激しく嫌悪する中国人が確かに数多くいますが、特別な感情を持たずに「ただの隣国」としか見ていない中国人も存在します。韓国人を嫌っている人の中でも、その程度には開きがあります。よって、一概に中国人全員が激しく嫌韓であると言うことはできません。

 それを踏まえた上で最後にみなさんに伝えておきたいのは、日本人と韓国人がお互いに複雑な感情を持っているように、中国人もまた韓国人に対して複雑な感情を持っているという事実です。総じて言うと、「日中韓の東アジア3カ国は互いに仲が良くない」ということです。

 互いに仲は良くありませんが、3カ国間の経済的な結びつきは、その地理的な要因もあって非常に強固なものとなっています。今後の3カ国の関係を築いていくうえで、中国人の韓国人に対する感情をある程度把握しておくことは決して無駄なことではないと思います。

 さすがに韓国人は日本に対してのように、歴史問題を出しながら激しく中国を非難することは少ないようです。そもそも歴史的には中国の属国であり、非難どころかこのコラムのように、その態度でもって逆に嫌われているのが現実でしょう。日本、中国に限らず多くの国から嫌われる韓国、その要因は嘘と分不相応な尊大な態度にあると言えるでしょう。

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2019年11月13日 (水)

池袋暴走事故、なぜ「上級国民」を「容疑者」と呼べないのか

Images-6_20191113142001  今回は上武大学ビジネス情報学部教授田中秀臣氏のコラム『池袋暴走事故、なぜ「上級国民」を「容疑者」と呼べないのか』(iRONNA 11/12)を取り上げます。

 今年4月、東京・池袋で自動車の暴走事故を引き起こした旧通商産業省工業技術院元院長が、書類送検される方針が固まったことが、捜査関係者の話としてマスコミに報じられた。この暴走事故で、はねられた母子2人が死亡し、元院長と同乗していた妻を含む男女8人が重軽傷を負った。誠に悲惨な事件であった。

 事故現場は、筆者も30年ほど利用する生活道路というべき所で、事故当日も現場の近くの都電を利用していた。道路は事故後の対応で、警察によって閉鎖されていて、物々しい雰囲気が漂っていた。

 重軽傷を負われた方の精神的や肉体的な後遺症も深刻だろうし、亡くなられた小さいお子さんとお母さんのことや、残された遺族の心中を思うと、本当にやりきれない気分になってしまう。車の運転を行う者としても、慎重で安全な運転をしなくてはいけないと改めて自戒している。

 また、この事件を契機にして「上級国民」という言葉が注目を浴びた。身柄を拘束されないことや、また「容疑者」ではなく常に「元院長」などの肩書で、テレビや新聞などで呼称されたことも問題視されていた。

 「特権」的な優遇がありはしないか、そう多くの国民が考えていたため、元院長に「上級国民」という言葉が与えられたのだろう。だが、筆者はこの論説であえて「飯塚幸三容疑者」を使わせていただきたい。

 飯塚容疑者は当初「ブレーキをかけたが利かず、またアクセルが戻らなかった」と証言していたという。だが、捜査関係者の話では、事故直後から車に異常は認められなかったことが明らかになっており、飯塚容疑者がブレーキとアクセルを踏み間違えた疑いが極めて強い。

 飯塚容疑者本人も最近では、踏み間違いを認める証言をしているという。書類送検の結果が、飯塚容疑者に対する重い罰則になることを、筆者はやはり願わずにはいられない。なぜなら、飯塚容疑者の現在の発言があまりに無責任で、信じられないくらい人の道を違えたものだからだ。

 あくまで私見であるが、飯塚容疑者の犯した罪は法規にのっとり、厳正に処断されることを期待したい。彼がいわゆる「上級国民」や高齢であろうがなかろうが、法は誰にも等しく適用されるべきだと思う。

 日本銀行前副総裁で学習院大の岩田規久男名誉教授は、著書『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)の中で、明治の啓蒙(けいもう)思想家、福澤諭吉の議論を借りて、次のように述べている。

 多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)のいうように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。【岩田規久男『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)】

 岩田氏の指摘を今回の事件に援用すれば、飯塚容疑者について、メディアは「元院長」ではなく「容疑者」と呼称すべきだし、マスコミの一部も飯塚容疑者の自己弁護も甚だしい発言を安易に報道すべきではないのだ。その「自己弁護甚だしい発言」というのは以下のような趣旨である。

O1200063014635544750  TBSのインタビューに答えた飯塚容疑者は「安全な車を開発するようメーカーに心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい」という旨を述べた。被害者への配慮はごくわずかであり、ほとんどが自分の行いよりも自動車メーカーなどへの注文であった。まさに驚くべき責任逃れの発言である。

 福澤諭吉の先の発言では、このような人物にも法的な適用は差別してはならないという。だが、同時に、福澤はこのような官僚臭の強い詭弁(きべん)に厳しい人であったことを忘れてはならない。このような人物が社会的な批判にさらされるのは当然と考える。

 飯塚容疑者に厳罰を求める署名が約39万筆集まったという。この署名が裁判で証拠として採用されるなどすれば、量刑の判断に影響することができる。

 これもあくまで私見ではあるが、飯塚容疑者の上記のインタビューがあまりにも責任逃れにしか思えず、反省の無さを処断するために、署名が証拠として採用され、効果を持つことを期待したい。

 日本の官僚組織、また個々の官僚は「無責任」の別名だといえる。著名な政治学者の丸山真男はかつて、人が目標を明示し、その達成を意図してはっきりと行動することを「作為の契機」と表現した。

 それに対して、官僚としては成功者といえる飯塚容疑者は、それとは全く真逆の「不作為の契機」、つまり責任をいつまでも取らない、むしろ責任というものが存在しない官僚組織の中で、職業的な習性がおそらく培われていたに違いない。そして、その習性が仕事だけではなく、彼の私的領域にも及んでいたのではないか。

 ここに私がこの問題をどうしても論評したかった一つの側面がある。飯塚容疑者の発言のパターンが、今まで日本の長期停滞をもたらしてきた官僚たちや官僚的政治家たちと全く似ているからだ。

 もちろん、高齢ドライバーをめぐる問題は、論理と事実検証を積み重ねた上で取り組んでいかなければならない。飯塚容疑者だけを糾弾して済む話ではないのだ。何より冒頭にも書いたように、筆者も自動車運転をする身として、今回の事件はまさに何度も自省を迫られる問題にもなっていることを忘れてはいない。

 田中氏の言う「責任をいつまでも取らない、むしろ責任というものが存在しない官僚組織の中で、職業的な習性がおそらく培われていたに違いない」と言う言葉から、すぐに天下り斡旋をはじめ数々の不祥事を起こしながら、辞任してもなおかつその非を全く認めず、嘘と悪意に満ちた政府批判を繰り返す、前川喜平氏を思い出しました。

 それと同時に反社会的組織や反日外国人とのつながりが噂されながら、追及もされず言いたいことを発言しまくっている、議員と言う特権の職にある辻元氏のように、「上級国民」はそこら中にいます。つまり「上級国民」とは日本の国のための「上級」ではなく、あくまで本人の特権のための上級だということでしょう。

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2019年11月12日 (火)

三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(後編)

20190823151153 今回は前回に続いて朝鮮近現代史研究所所長松木國俊氏のコラム『日韓全国民必読の全真相 三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(後編)』(Hanadaプラス 11/8)を取り上げます。



「日本が三一独立運動を弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺した」という韓国側の主張は全くの嘘である。韓国の歴史歪曲にはきっちりと反論し、貶められた日本の名誉を回復しなければならない。そのためにも三一独立運動の真の姿を知る必要がある。日韓全国民が最低限知っておくべき歴史の真実。

目次

  • "英雄"柳寛順は拷問死ではない
  • 三一運動を批判した韓国人もいた
  • 朝鮮人が歴史上初めて公正な裁判を受けた瞬間
  • 主要リーダーはその後、強烈な親日家に転身
  • 愛国者なるがゆえに親日になったと主張した李光洙(イグァンス)
  • 中心的役割を演じた崔燐(チェリン)
  • 「独立宣言」を起草した崔南善(チェナムソン)
  • 真実の歴史を突き付けよ

"英雄"柳寛順は拷問死ではない

韓国で三一運動の英雄とされている柳寛順については、東京書籍の教科書(平成14年発行)にも「16歳の少女柳寛順は三一独立運動への参加を呼び掛けたために、日本軍に捕らえられて、厳しい拷問を受けて命を奪われました」と書いてある。   

だが、これも朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』に基づいた記述に違いない。朴殷植はこのなかで、「逮捕されて拷問にかけられたものは10万人に達した」、さらに「逮捕された女学生は裸体で十字架に張り付けられ、髪を引っ張られると髪の毛も皮膚もともにげ落ちて血が溢れるように流れ、大地を染めた。日本の野蛮人どもは大笑いしてこの残虐を楽しんだ」と書いている。これでは、まるで変質者だ。  

しかしあろうことか、韓国の教科書ばかりか日本の教科書までがこれをそのまま信じて、独立を叫んだために残虐な拷問で殺された「ジャンヌ・ダルク」として柳寛順を描いているのだ。  

実際には、日本統治時代を通して朝鮮総督府は拷問を禁止しており、拷問した者は懲役3年以下の罰則も設けられていた。金完燮は『親日派のための弁明2』(扶桑社)のなかで、「当時憲兵警察6人と警察2人を殺害し、官公署を破壊放火した朝鮮人被疑者に対しても拷問を加えなかったという日本政府の記録から見て、1年6カ月の軽犯罪である柳寛順を拷問したというのが虚偽捏造であることは明らかだ」と断言している。  

さらに彼は、「彼女の死因はデモ現場での負傷や獄中での反抗による体力消耗などが原因だった」と指摘している。  

彼女の両親はプロテスタントの「監理教」の信者であり、幼い頃から教会で反日思想を叩き込まれていた。間違った思想の犠牲となった点において、「大韓航空機爆破事件」を引き起こした金賢姫と同列ではないだろうか。

三一運動を批判した韓国人もいた

三一運動において一般大衆は過激な暴徒による暴力や放火、略奪の被害者であり、この運動は決して朝鮮民衆の支持を得たものではなかった。  

知識階級のなかには朝鮮の置かれた立場を冷静に分析し、外国の植民地にされずに朝鮮民族が近代化を達成する道は日本と一緒になる以外にないと考え、三一運動を批判した人々も大勢いた。  

閔妃の血統に繋がる閔元植(ミンウォンシク)もそのなかの一人である。彼は1887年に生まれ、12歳の時に単身日本に渡った。そこで副島種臣に出会い、福岡県知事の庇護を受け、その後、伊藤博文に拾われて統監府で働いている。併合後は利川や高陽の郡守(市長)に任じられた。彼は郡守時代に三一運動に遭遇しており、事件後に「朝鮮騒擾善後策―鮮民の求るところは斯(か)くの如し」という論文を書いて三一運動の本質を総括している。長文なので、その核心部分のみ引用してみる(『日韓2000年の真実』名越二荒之助編著・株式会社国際企画より)。

「このたびの三一独立運動の近因は、米国大統領ウィルソンの提唱した民族自決主義を、欧州戦争となんら関係のない朝鮮にも適用されるものとする誤解から起こった。もしくは誤解を装うて、ひょっとしたらうまくゆくかもしれないと狙った在外朝鮮人の煽動に由来した。もっと言えば初めから実現できないと知りつつ妄動を企てた感がある。常識的にみれば狂気の沙汰と言えよう……。

日本政府は併合以来10年近く朝鮮人の生命財産を保護し、国利民福を向上させる点において用意周到であった。運輸交通、金融機関の整備、農工各種産業の発達等、旧韓国時代の悪政から朝鮮人を解放し、夢想もしなかった恵沢をもたらした。にも拘らず朝鮮人の性情が偏狭・我執に傾いているためか、口では感謝しながら、心では淋しさを感じ、朝鮮人の自尊心を傷つけるなどと思うものが多い。

さらに朝鮮人は米国を世界の自由郷、現世の楽園のように思っているものが多い。しかしそこは白人の天国であって、有色人種の人権はほとんど認められない。  

パリ平和会議で日本が人種差別撤廃を提案したが、オーストラリアのヒュース首相が強硬に反対し、それを真っ先に支持したのはウィルソン大統領ではなかったか。米国の庇護に頼って光栄ある独立が達成できるなど不可能の事である。日本統治下の朝鮮人は、米国に比べて遥かに幸福であることを認識し、穏当な方法によって民権を拡大してゆくことを構ずべきである」  

閔元植のような考えが正しかったことは、その後の朝鮮半島の急速な発展によって実証されている。

朝鮮人が歴史上初めて公正な裁判を受けた瞬間

日韓併合によって、朝鮮半島は古代国家の体制から一挙に近代法治国家体制へと脱皮した。  

李氏朝鮮時代の残酷な刑罰や拷問は禁止され、先に述べたように拷問した者は「3年以下の懲役」という刑罰も設けられている。  

しかしながら、どこまでも日本を貶めたい朴殷植は『朝鮮独立運動之血史』のなかで、三一運動を含む独立運動への憲兵・警察の対応について、次のように書いている。

「憲兵警察の朝鮮民族に対する彼等が行った数々の犯罪について、これをいちいち例証するならば、万巻の書をもってしても不可能であろう(中略)。およそ警察が犯罪者だと目すると、彼等は朝鮮人に限り、司法上きめられた手続きによらずして、ただちに逮捕を行い、当事者だけに限らず、その親族や朋友にまで累を及ぼし、事実の有無、事の軽重などは少しも頓着なしに、無差別な拷問を加えた。そのうえで尋問をし、その後数十回に及ぶ非人道的拷問がくりかえされ、被疑者が人事不省におちいり、すてばちになり自暴自棄の心理状態に陥ること数日(中略)彼等の調査に一度ひっかかると間違いなくそのまわりの人々が累災にあい、重罪に処せられた。(中略)刑事被告人には二十種以上の責め道具で拷問を加え、自白をすれば犯罪調書を偽造し、絶対に被疑者等の免罪を再審することができないように仕組まれていた」  

時代考証が全くできていないフィクションである。親族にまで累を及ぼす「連座制」は、日本では江戸時代1742年の公事方御定書でとっくの昔に廃止されている。朝鮮では日韓併合によって最終的に廃止された。日本が統治する20世紀の近代法治国家で「連座制」などあるはずがない。また、前述のとおり拷問は禁止されており、「20以上の責め道具で拷問」したのは李朝時代の話なのだ。

では、実際に日本は三一暴動をどのように処理したのだろうか。金完燮『親日派のための弁明2』(扶桑社)によれば、三一暴動で検察に送検された被疑者は、1919年5月8日時点で12668人、このうち3789人が不起訴処分で釈放され、6417人が起訴されている。(残りは調査中)その後一審で3967人が有罪判決を受けたが、日本人の憲兵6名と警官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、最高裁判所の判断で内乱罪は適用されず、保安法と出版法しか適用されなかった。  

そのために死刑は1人もおらず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人にすぎない。しかもその後、大幅に減刑され、実際にこの事件で3年以上の懲役刑はほとんどなかった。さらに、1920年の大赦免でそれぞれの刑期が半分以下となっている。  

極刑を嫌う日本人の加える罰は極めて軽く、朝鮮人は歴史上初めて近代的な司法制度のもとで公正な裁判を受けたのであった。

主要リーダーはその後、強烈な親日家に転身

この時に逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟(チェリン)、李光洙(イグァンス)、崔南善(チェナムソン)、朴熙道(パクヒド)たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な親日家となって、1930年代の言論界をリードすることになる。では、その後の彼らの主張を見てみよう。

愛国者なるがゆえに親日になったと主張した李光洙(イグァンス)

独立宣言に先立って学生たちによって発表された「二・八独立宣言」を起草した李光洙は、一端上海に亡命したがすぐに転向し、2年後に次のように主張している。

「半島人自身を救うのは、決して自由でも、独立でもない。勤勉と努力である。彼らはいたずらに半島の独立を叫ぶより、まず精神の独立を図らなければならない」  

李光洙は当時の朝鮮の実状を冷静に見据えながら、人々にそう説いたのだ。  

さらに彼は日鮮同祖論の立場をとり、「2000年前は一つの民族であった……朝鮮人は朝鮮人であることを忘れなければならない。わが国日本を守るために、我々は大日本帝国の臣民としての責務を全うしよう」と呼びかけている。  

終戦後、彼は若者を親日に煽動した代表的売国奴として投獄されたが、一切懺悔せず、自分は愛国者なるがゆえに親日になったと主張した。彼が無謀で実益のない独立運動から身を引いて朝鮮人の地位向上に尽くしたのは、彼の良心と勇気、そしてなによりも朝鮮民族に対する深い愛情がそうさせたに違いないだろう。

中心的役割を演じた崔燐(チェリン)

三一運動の首謀者として中心的役割を演じた崔燐は懲役3年に処せられたが、2年後には仮出獄した。出獄後は独立運動から自治権獲得運動へ方向を変え、当局の計らいでアイルランド等への視察にも出かけた。1934年には中枢院参議に任じられ、その折に次のような言葉を述べている 「真心と赤誠をもって朝鮮人は帝国臣民たることを自覚・自認し、日本人は朝鮮人を真の同胞国民として認めねばならない。内心に爆弾と剣を抱いて、日本国民でござると仮装・偽装し、同一同胞と言いながら優越感を示すならば、これまた渾然一体の日鮮一家は成立し得ない。朝鮮の民族性を尊重し、朝鮮文化を崇拝しながらも、我々は日本帝国臣民たることができ、日本帝国の世界に対する使命に貢献しながら、大東亜の平和に尽力することができるのである」  

複数の民族が共存して一つの国をなすうえで、現在の世界にも十分通じる言葉ではないだろうか。

「独立宣言」を起草した崔南善(チェナムソン)

崔南善は三一運動において「独立宣言」を起草し、懲役2年6カ月の判決を受けたが、刑期満了を待たずに1921年10月に仮出獄した。出獄後、彼は朝鮮銀行総裁美濃部俊吉の資金援助によって雑誌『東明』を発行。日本の出版物の翻訳など日本文化の普及に力をいれた。1928年には朝鮮史編集委員となり、中枢院参議にも選ばれている。  

1943年に彼は李光洙らとともに勧説隊として渡日し、明治大学、東洋大学その他の大学に学徒兵督励のために遊説した。その時の彼の演説は次のようなものであった。 「昔から、春秋に義戦はないといわれているが、今度の戦争を義戦──聖戦といわずして何といえようか……大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに行くことは何と快心事であることか。……日本国民としての忠誠と朝鮮男児としての意気を発揮して、一人残らず出陣することを願う次第である」  

このような三一運動の闘士たちの熱烈な呼びかけによって、多くの朝鮮の若者も大東亜戦争の大義のために立ちあがった。戦いには敗れたものの、大東亜戦争を戦ったからこそ人種平等の世界が地球上に実現した。そしてその陰に、数多の朝鮮の人々の活躍があったことを我々日本人は記憶に留めておかねばならない。

Images-4_20191112110701 真実の歴史を突き付けよ

韓国では戦後歴史を歪曲し、日本統治時代を「不法な植民地支配だった」と決めつけて徹底した反日教育を行っている。その主要題材となっているのが三一運動であり、日本の官憲や軍隊による「残虐な弾圧」を子供たちに徹底的に教え込んでいる。しかもその根拠とされているのは、ここで明らかにしたように朴殷植が日本を貶めるために書いた『朝鮮独立運動之血史』という日本を貶めるために書かれた「ホラー小説」なのだ。  

今回の日本政府による貿易管理強化に対して韓国人が「クレージー」と思えるほど過激に反応しているのも、「ホラー小説」を信じて日本を「悪魔の国」と思い込んでいるからにほかならない。相手が悪魔であるからには、日の丸を焼こうが何をしようが構わないのだ。  

だが、日本は部品や素材の供給ばかりか金融面でも韓国経済を支えている。日本のメガバンクが韓国から資金を撤収すれば、韓国はひとたまりもないだろう。反日に狂い盲目的に突っ走って日本との断交を招けば、韓国は滅亡するしかないのだ。  

彼らを目覚めさせ、同時に日本人の名誉と誇りを守るためには、歪められた史実を糺し、真実の歴史を彼らに突き付けなければならない。それなら、まず三一運動をめぐる韓国の歴史歪曲に対し、次のように敢然と反論すべきであろう。

「日本が三一運動を弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺した」という主張は全くの嘘である。なぜなら三一運動に内乱罪は適用されておらず、日本の憲兵隊や警察は破壊活動を行った暴徒を取り締まったのみである。拷問もなく、刑罰も軽微であった。そして何よりも柳寛順をはじめ「三一運動に加わった」という理由で逮捕された者は一人もいなかったのだ。

戦後70年以上にわたって刷り込まれてきた、「日本=悪魔の国」の概念は、一朝一夕には拭えないでしょう。そして歴史の真実を説く朝鮮人は悉く親日派のレッテルを貼られ投獄されていく。これでは「真実の歴史」を彼らに突き付けても、それに同調する流れは韓国内で容易に起こることはありません。しかしそれでも韓国のみならず全世界に向けて、韓国の嘘の歴史を正し、真実の歴史を複数の国の言葉で拡散していく努力は惜しむべきではありません。

それと同時に、日本の併合時代の投資や制度・インフラの改善が朝鮮の近代化に資したということの裏返しに、多少遅きに失したきらいもありますが、今後経済金融一切の交流を止めてしまい、日本の影響力を彼らに知らしめることも重要かと考えます。

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2019年11月11日 (月)

三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(前編)

Images-3_20191111153401 今回は朝鮮近現代史研究所所長松木國俊氏のコラム『日韓全国民必読の全真相 三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(前編)』(Hanadaプラス 11/6)を取り上げます。

「日本が三一独立運動を弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺した」という韓国側の主張は全くの嘘である。韓国の歴史歪曲にはきっちりと反論し、貶められた日本の名誉を回復しなければならない。そのためにも三一独立運動の真の姿を知る必要がある。日韓全国民が最低限知っておくべき歴史の真実。

目次

  • 朝鮮は植民地ではなかった
  • 暴徒による破壊、放火、殺人、掠奪、テロ
  • 韓国教科書の歴史歪曲
  • 日本人への偏見と侮辱で満たされ捏造本が全てのベースに
  • 捏造の首謀者・朴殷植の正体
  • 水原堤巌里事件の真

朝鮮は植民地ではなかった

今年3月1日、日本からの独立運動だったと韓国が主張する「三一運動」の100周年記念式典がソウルで行われた。出席した文在寅大統領は、「この運動こそが大韓民国の建国に繋がった。平和な独立運動であったが、デモ参加者のうち7500人が無慈悲に虐殺された」と演説した。  

一国の大統領がこのような「嘘」を滔々と述べることに、筆者は戦慄を覚えざるを得ない。  

文大統領は1919年4月、三一運動の最中に朝鮮の独立運動家たちが上海で樹立した「大韓民国臨時政府」(臨政)なるものを「大韓民国の根っこ」だ、と主張している。  

しかし、李承晩が初代大統領となった臨政は「一部の政客が作ったクラブ」と見なされ、これを承認した国はひとつもない。実態はテロリストの集まりであり、内紛ばかりに明け暮れていたから当然だろう。終戦時には、「臨政」の肩書で海外から帰国することさえ連合国は許していない。  

では、その「臨政」を誕生させた「三一運動」とは、はたしてどのようなものだったのだろう。この運動は、植民地であった朝鮮の人々が日本から独立するために立ち上がって繰り広げた平和的運動であり、これを日本が弾圧し彼らを虐殺したというイメージを多くの人が持っているのではないだろうか。だとすれば、「日韓併合時代」は韓国が主張しているように「日本による不法な植民地支配」だったことになる。  

しかし「日韓併合」はあくまで国際法や国内法に則って、国同士が正式に締結した条約により実現したものだ。これによって朝鮮の人々は天皇陛下の下で日本人と「一視同仁」とされ、彼らに日本人と同等の権利と義務が生じている。  

当然、日本の憲兵や警察は法律に基づいて朝鮮の人々を保護していた。その憲兵・警察が、彼らをむやみに殺害するはずがないのだ。 「三一運動」における「朝鮮人虐殺」は、歴史の歪曲によって出来上がった「幻想」に過ぎない。  

だが、これを事実と信じて疑わない韓国人は、日本人に対して永遠に土下座を要求することだろう。それは日韓双方にとって大きな不幸を招くだけである。  

両国が未来志向の関係を築くためにも、韓国の歴史歪曲にはきっちりと反論し、貶められた日本の名誉を回復しなければならない。そのための一助として、本稿では「三一運動」の真の姿を明らかにしたいと思う。

暴徒による破壊、放火、殺人、掠奪、テロ

三一運動とは、第一次大戦後、アメリカ合衆国ウィルソン大統領が打ち出した民族自決思想に刺激された在日朝鮮人留学生が、1919年2月、東京で決起集会を開き、独立要求書を日本政府に提出しようとしたことが発端だった。  

しかしそのウィルソンは、第一次大戦後のパリ講和会議で日本が国際連盟の規約に盛り込むよう提案した「人種差別撤廃条項」を議長として拒否した張本人である。もともとウィルソンは人種差別主義者であり、彼が唱えた民族自決も「白人の民族独立」だったのだが、朝鮮人留学生たちは有色人種も対象であると思い込んで独立要求書を出そうとしたのだ。  

この動きはすぐに朝鮮半島にも伝わり、同年3月1日、京城(現・ソウル)のパゴダ公園に宗教家33人(天道教代表15人、キリスト教16人、仏教2人)が集まって独立宣言が読み上げられ、非暴力・無抵抗主義を標榜して街頭で「万歳デモ」が行われた。  

ところが、欧米宣教師たちに反日思想を植え付けられてきた朝鮮人キリスト教徒たちが破壊活動に走ったことから、様相が一変してしまった。商人や労働者も加わって、デモは瞬く間に全国的暴動に発展し、朝鮮全土で暴徒による破壊、放火、殺人、掠奪が行われるに至ったのだ。  

欧米宣教師のなかでも、特にアメリカから来たプロテスタント各派は学校を各地に建て、朝鮮の貴族階級(両班)の子弟に反日意識を刷り込んでいた。有色人種間での反目を利用して、白人支配体制を構築する植民地統治の伝統的手法が布教活動にまで及んでいたのだ。  

日本主導による近代化の推進でそれまでの特権を奪われつつあった両班たちのなかには、日本を恨み、旧体制への復帰を夢見て積極的にキリスト教を受け入れる者もあった。軍制改革によって職を失った旧軍人たちも反日意識が強く、このような近代化に反対する反動的不満分子が人々を煽ったために、当初の「朝鮮の独立」という旗印は置き去りにされたまま大暴動となったのが実態である。  主要都市から地方に広がったこの騒動は、農民たちが武装して村役場、警察・憲兵事務所、富裕地主等を襲撃するという凶悪な行為へと発展した。さらに学校も焼き打ちされ、在鮮日本人は「日本に帰れ」と投石をもって脅迫された。まさにテロそのものである。  

地方の多くの朝鮮人も、暴徒を恐れて憲兵や警察に保護を求めたが、駐在所や憲兵分遣隊の兵力は10人から多くても20人しかおらず、数が圧倒的に足りない。社会秩序を維持し、暴徒から住民を守るために憲兵隊はやむをえず武器を使用したが、全国的な騒擾の渦中であくまで治安維持や正当防衛として使われたに過ぎない。

韓国教科書の歴史歪曲

ところが、韓国では事実を徹底的に歪曲しており、暴虐行為を働いたのはすべて日本の憲兵・警察や軍隊だったことになっている。韓国の国定教科書の次の記述をお読みいただきたい。 「万歳デモが拡散すると、日帝は憲兵警察はもちろん軍人まで緊急出動させ、デモ群衆を無差別殺傷した。晴州、砂川、孟山、送安、南原、陜川などの地では日本軍警の銃撃により数十人の死傷者を出し、堤岩里では、全住民を教会に集合させたあと、監禁して火をつけ虐殺した。  

Images-2_20191111153501 また、デモに参加したという理由で無数の人々が投獄され、日本警察に非人道的な刑罰を受け、多くの人々が命を失った。当時、万歳デモに参加した人員は200万余人であり、日本軍警に殺された人は7500余人、負傷者は16000余人、逮捕された人は47000人余であり、壊されたり燃やされたりした民家は720余戸、教会が50カ所、学校が20カ所だった」  

また、韓国小学校社会科教科書には次のように書いてある。 「日本は独立万歳を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。彼らは太極旗を持って万歳を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家や教会、学校に火をつけ、はなはだしくは一村の住民すべてを殺してしまったこともあった。柳寛順(ユグアンスン)をはじめ、数多くの人びとが死んだり投獄されたり、あらゆる拷問で苦しめられた」  

さらに、国定中学校国史教科書にもこう書いてある。 「10歳にならない少女と婦女子、そして女学生らが自分の祖国のため情熱を注ぎ、独立を叫んだという単純な罪名で、恥辱的な扱いを受け、体をなぐられた。幼い少女たちも残酷になぐられ、7歳以下の幼い少女ら300余名がすでに殺害されたと知らされた」  

上の韓国の教科書の記述に対して、金完燮は『親日派のための弁明2』(扶桑社)のなかでこう反論している。 「学校の教科書では(日本に関連した他の部分も同じだが)事実を概して糊塗し捏造している。まるで平和なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警が無差別に虐殺したかのように述べている。もし日本軍警がそのように対応したとしたら、万歳デモは初期に鎮圧され、全国に拡散さえしなかっただろう。  

当時の日本軍警は、平和的なデモに対してはデモ隊を保護し、殺人と破壊を行う暴徒や鎮圧軍警を攻撃するデモ隊に対してのみ、治安維持と正当防衛の次元で武力を行使したのである。堤岩里事件についても『全住民を教会に集めて虐殺した』という主張はとんでもない」  

金完燮が指摘しているように、当時すでに近代的法治国家であった朝鮮で、教科書に書いてあるような蛮行が日本の官憲や軍によって行われるはずがないだろう。

日本人への偏見と侮辱で満たされ捏造本が全てのベースに

では、なぜ教科書には日本の官憲や軍が蛮行を犯したように書いてあるのだろうか。実は、これは一冊の本がベースになっている。朴殷植(パクウンシク)という人物が、上海亡命中の1920年に書いた『朝鮮独立運動之血史』(戦後韓国では『韓国独立運動之血史』と名称変更された)である。

「朝鮮人の民族意識鼓舞」のために書かれたとされているが、全編を通して日本への侮蔑意識が溢れ、日本の官憲や軍隊の蛮行がこれでもかとばかり書き連ねてあり、筆者もこれを読んで、そのあまりの偏見と事実歪曲、数字の誇張に絶句した。  

この本のなかで彼は「日本では母子が結婚すると聞いたことがある」と述べ、「日本民族の古来から受け継がれたその野蛮な習慣をわが民族に強制し、倫理を冒したことも稀ではなかった」と記述している。  

さらに、「絶海の野蛮民族を教導してやったのが朝鮮である」 「ふんどし一つの裸であることや、淫売の習慣や男女間の風紀の紊乱などを朝鮮人は嘲笑ってきた」 「大きいものでは国家、ちいさいものは個人財産に至るまで、みな狡猾に詐欺と暴力によって奪ったもの」等々日本人への偏見と侮辱で満たされている。

捏造の首謀者・朴殷植の正体

朴殷植は1859年、黄海道黄州に生まれ、儒学に没頭し、1898年にソウルで発行された反日的性格の強い「皇城新聞」創刊に参加して主筆となった。その後、1900年には経学院、漢城師範学校の教師、1905年に「大韓毎日申報」主筆となり、韓国で反日活動を続けたあと、上海に亡命して、臨政の二代目“大統領”となった人物である。  

この本はその彼が日本を攻撃するためにありとあらゆる嘘を動員し、悪意をもって著述した一種の「ホラー小説」なのだ。  

この本によれば、三一運動に対する日本の弾圧は悪逆非道を極め、水原堤巌里の虐殺から始まり、狩川と花樹里の惨殺、江西の虐殺、大邱の虐殺、密陽の虐殺、陜川の虐殺、天安の惨事、義州の惨殺、江界の惨殺、郭山郡の惨殺、その他全国各地で朝鮮人の虐殺、惨殺が次々に行われたそうだ。たとえば、晋州の虐殺については次のように書いている。 「日本の守備隊は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性を発揮したが、どれだけの人が被害をうけたか数えきれないほどである」  

これはまだ軽いほうであり、子供や老人や女性に対する残虐行為など、あまりに酷すぎて引用するのも憚られる記述が延々と続いている。  

そして散々書いた揚句に、彼はこう述べている。 「水原堤巌里の虐殺のように、西洋人が視察しておおやけに伝えた事件はその真相を天下にさらした。しかし、そのような西洋人の足跡の及ばない土地でも、村落の湮滅、人命の殺傷など、水原よりひどい例はたくさんあるにちがいないが、その実際をあきらかにすることはできない」  

何のことはない。水原堤巌里以外は、全部想像で書いたことを朴殷植が自分で認めているのだ。  しかし、戦後の反日教育を推し進めるうえでこれほど都合の良い本はなく、韓国ではこれが正式な歴史書として取り上げられ、そこに書かれた「野蛮な日本による虐殺物語」を「史実」として学校で教えているのだ。先に引用した教科書にある死者7500余人という数も、この本を根拠にしたものである。  

実際は朝鮮総督府の正式記録によると、3カ月間でデモに参加した者延べ人員106万人、死亡者は553人、負傷者は1409人であり、鎮圧過程で憲兵と警察官8人が暴徒により殺害され、158人が負傷したとなっている。後述するように、殺害された警察官のなかにはむごたらしい姿で発見された者も何人もいる。  

なお、韓国の国家機関である国史編纂委員会ですらも、2019年2月20日に三一運動の死亡者数を725~934人と発表している。冒頭の文在寅大統領の「平和な独立運動だったが朝鮮人が7500人虐殺された」という言葉は真っ赤なウソなのだ。

水原堤巌里事件の真実

ここで、水原堤巌里事件についても反論しておこう。朴殷植は次のように書いている。 「4月15日午後、日本軍の一中尉の指揮する一隊が、水原郡南方の堤岩里に出現。   

村民に対して論示訓戒すると称して、キリスト教徒と天道教徒30余名を教会に集合させた。そして、窓やドアをきつくしめ、兵隊がいっせい射撃を開始した。堂内にいたある婦人が、その抱いていた幼児を窓の外に出し、“私は死んでもよいが、この子の命は助けてください”と言った。日本兵は無残に子供の頭を刺して殺した」  

しかし、4月24日付英国紙「モーニング・アドバタイザ」の京城特派員は「殺害されたキリスト教信者12名、天道教信者25名全員が男性」と記述している。婦人も幼児もいなかったのだ(木原悦子『万歳事件を知っていますか』平凡社より)。  

朴殷植は、日本憲兵の残虐性を強調したいあまり、余計なエピソードを書いて自滅している。  

水原堤巌里事件については、金完燮がその顛末を著書『親日派の為の弁明2』(扶桑社)に詳しく述べているが、要約すれば次のとおりだ。 「三一暴動の主役となったキリスト教(監理教)と天道教の信者が水原地域で大規模なデモを行い、警察署を襲撃し巡査2人を殺して凌辱(遺体から鼻と耳をそぎ落とし陰具を切断)し、小学校を燃やし日本人の家も襲撃した。  

付近の日本人や朝鮮人から小学校に火をつけた犯人を捕まえてほしいという要請が殺到し、憲兵隊が被疑者40人を教会に集めて尋問したところ彼等はひどく抵抗した。わずか10人の憲兵隊は正当防衛でやむを得ず発砲し、また警告にもかかわらず被疑者が逃走したことから発砲して死者が出た。  少数部隊が圧倒的な数の暴徒に包囲された状況で彼らが反撃して逃走しようとするならば、発砲は正当な行為であった」  

朴殷植が「日本の官憲が耳をもぎ、鼻をそぎ取った」と書いているのは、実際には朝鮮人暴徒が警官に対してやったことだった。いずれにしても、犯人逮捕のために武器を使用することはいまの日本でも認められている。韓国側の「水原堤巌里で日本の官憲が虐殺した」という主張は、自衛隊機へのレーダー照射事件で「自衛隊機が低空飛行で威嚇した」と事実を捻じ曲げて日本を非難しているのと同じ詭弁なのだ。(後編につづく)

松木氏の言う通り、これは間違いなく気分が悪くなるほどの捏造です。まさにホラー小説。これが反日韓国人の正体です。こんな国を併合し統治したことは、悪魔に資本と人を与えてしまったのと同じでしょう。

以前このブログで朝鮮統治時代の真実を複数回取り上げましたが、ここまでの悪意に満ちた韓国人の記述は私も初めてです。多くの日本人に知ってもらいたい内容です。特に反日親韓の左翼人に。

次回は松木氏のコラムの後編を紹介する予定です。

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2019年11月10日 (日)

「反日韓国 親日台湾」由来は何か

Images-1_20191110151001  今回は拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏のコラム『「反日韓国 親日台湾」由来は何か』(正論 11/6)を取り上げます。同じ併合統治をした二国なのになぜこうも日本に対する態度が違うのか、氏が語ります。

 韓国が反日的である一方、台湾が親日的なのはなぜか、としばしば問われる。“日本が両者と関わるようになった近代史の起点を振り返れば理解できますよ”というのが私の答えである。

 ≪近代史の起点振り返る≫

 日清戦争での勝利により清国から割譲された海外領土が台湾である。日本が台湾に足を踏み入れた時点、この島に住まっていたのはマレーポリネシア系の原住民と対岸の福建・広東から移住してきた言語と習俗の違う諸群族であり、台湾は典型的な異質社会であった。群族は原住民を山間地に追いやり相互に耕地と支配権を奪い合う殺伐たる状況下にあった。「分類械闘」といわれる。分類とは原籍を異にする者、械闘とは格闘、闘争のことである。コレラ、ペストなどの熱帯病も蔓延(まんえん)していた。

 清国は1684年に台湾を福建省台湾府として自国領とした。しかし台湾の開発には関心がなく、天子の徳の及ぶことのない蕃地(ばんち)「化外の地」として放置した。日本が新たに領有することになったこの島には政治も社会統合も不在であった。統治開始のためには、清国兵と現地住民よりなる反日武装勢力、「土匪(どひ)」と呼ばれるアウトロー集団を排除しなければならない。日本は台湾で「もう一つの日清戦争」を戦わざるを得なかった。その制圧に成功した日本を待っていたのは、社会の末端を深く冒していた熱帯病と「アヘン禍」であった。台湾は文字通り「難治の島」だった。台湾の開発が軌道に乗り始めたのは、総督・児玉源太郎、民政長官・後藤新平が着任して以降のことである。

 台湾には日本が継承すべき歴史や文化は何もなかった。しかし、このことは初期の難題を克服すれば、その後の開発を遮るものがなかったことを意味する。実際、児玉と後藤は自ら描いたデザイン通りに開発を進め、全島の隅々にわたる社会統合を史上初めて実現することができた。以来、第二次大戦での日本の敗北による「台湾放棄」に至るまでの間に、日本が台湾に根付かせたものが、日本の社会秩序と社会規範であった。

 ≪支配エリート「両班」の観念≫

 台湾放棄の後、台湾を占領した国民党の苛烈な政治、38年に及ぶ戒厳令下で、日本時代の社会秩序と社会規範は崩れ去ったかにみえたが、李登輝氏による民主化の時代に入るとともに記憶が鮮やかに蘇(よみがえ)り、台湾アイデンティティの淵源(えんげん)となった。

Images_20191110151001  対照的に朝鮮はどうか。日本の統治が朝鮮に及ぶ以前の500年余、朝鮮は李朝と呼ばれる厳たる王朝国家であった。この時代に支配エリート「両班」の中に強い観念「小中華思想」が刻み込まれた。形式上は清国に「事大」するものの、中華の本流は満族の征服王朝・清朝にではなく、実に「我に在り」と考えられた。中華より中華的なるもの、中華をより純化したものが朝鮮の小中華思想である。日本は小中華の埒外(らちがい)、朝鮮よりはるかに劣る道徳も正義もない「蛮夷」とみなされた。あろうことか、朝鮮はこの蛮夷・日本に併合されたのである。

 李氏朝鮮は朱子学を原理とする圧倒的な専制国家であった。妻は夫に従い、子は親に従い、身分の低いものは高いものに従う。この血族道徳が政治道徳となっては、民は王を取り巻く支配エリートに盲従する以外に生きる道はない。

 血族社会原理が政治統治原理となれば、これはもう一元的専制主義と同義である。この時代の朝鮮には「奪う者と奪われる者」しか存在しなかった。この間、中産階層が生まれることはついぞなかった。ここに身分制の廃止、私有財産の不可侵、契約自由の原則などを持ち込んだのが日本であったが、これは支配エリートには既得権益の侵害以外の何ものでもなかった。日本統治は彼らには心底受け入れ難いものであった。

 ≪日本のなすべき外交は≫

 大戦敗北により日本が統治を放棄、韓国の「光復」がやってきた。しかしたかだか36年の統治により500年以上も続いた観念が払拭されるはずもない。現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリートはその観念において紛れもなく新しき両班なのであろう。統治時代の「対日協力者」が清算されず、独立運動家たちは建国の主役になれなかった。新たな権力者となった李承晩や朴正煕は反共主義者として朝鮮分断の道を歩み、自らを侵した日本、日本と同盟関係にある米国と手を組んで大韓民国を作ってしまった。これは道義において許し難い。文在寅氏の感覚はそういうものに違いない。

 反日の旗を降ろすことは自らの正統性を棄却するに等しいのであろう。エリート達は韓国は「間違って作られた国」だと考えていると李●(火を横に二つ並べ下にワかんむりに水)薫教授は指摘する。そうに違いない。「過去史清算」とか「積弊清算」とかいう物言いは、そういう彼らのセンチメントを政治用語化したものなのであろう。

 日本は韓国には客観的事実を伝えるだけでいい。他方、台湾にはその親日感情に甘えるのみでいいのか。なすべき外交をなさないでいいはずがない。

 氏の言う通り台湾には親日感情に甘えるだけではなく、台湾の国家としての承認と独立へのサポートをすることが必要でしょう。もちろん中国の反発は計り知れないかもしれませんが、アメリカと協力して、少なくともそういった方向への態度を示すべきでしょう。そしてそれを具体化するためには、強力な軍事力が背景になければ、とても中国には太刀打ちできません。もちろん中国対応のみならず、すべての外交力の原点ともいえる軍事力強化のため憲法改正が急がれます。

 また韓国に対しては客観的事実を伝えるだけでは、あの国の姿勢は微塵にも変わらないでしょう。従って思い切った対応策、つまり彼らが言う日本の統治は耐え難い蛮行だったというのなら、その施策の逆を行く対応、つまり一切かかわらないという意味での経済的な面での断交をするべきでしょう。もちろんビザを復活し人の交流も止めるべきです。そこで初めて日本のありがたさを知らしめてみたらどうでしょう。

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2019年11月 9日 (土)

無理強い対話と無限の謝罪要求、韓国の「お約束」に付き合うな

6_20191109154201  今回は上武大学ビジネス情報学部教授田中秀臣のコラム『無理強い対話と無限の謝罪要求、韓国の「お約束」に付き合うな』(iRONNA 11/6)を取り上げます。

 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権のイメージアップに、日本がまた利用されている。日本の報道ではめったに取り上げられないが、韓国内では、文政権に対する抗議デモが展開されていて、数十万人(主催者発表は最高で200万人)も集まる大規模なものであった。

 デモの大きな契機になったのが、文大統領による曺国(チョ・グク)前法相の任命と早期退陣であったことは確かだ。しかし、韓国経済の失速の鮮明化や朝鮮半島情勢の硬直化など、文政権が内外で手詰まりを見せていたことも、韓国民の多くが不満に思う背景にある。

 事実、文政権の支持率は40%を割り込み、「危険水域」と評されてきている。政権としては、国内外でイメージアップを採用する動機が強くなるはずだ。

 その矛先の一つが日本に対する「柔軟」な外交方針の採用にある。もちろん、「柔軟」は単に言葉だけで、中身は空っぽなものだ。

 つまり、韓国によるイメージアップの「だし」に日本が使われているだけである。実質的な外交成果を狙うものではないことに注意すべきだ。

 日本への韓国の外交攻勢は二つの方向から行われた。一つはタイの首都バンコク郊外で開かれていた東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の首脳会議が舞台だった。

 安倍晋三首相と文大統領は会議の控室で11分間、言葉を交わしたという。この「対話」は、形式的なあいさつをして立ち去ろうとする安倍首相を文大統領が着座するように促すことで実現したとされる。つまり無理強いである。

 韓国では、今回の動きにより日本との本格的な対話が開始されたと解釈するむきもあったようだ。だが突発的な対話で、日韓問題の解決の糸口が見いだされるわけもない。

 両首脳は、日韓関係が重要であるとの認識と懸案事項の対話による解決という原則の確認に終始した。特に安倍首相は、いわゆる元徴用工問題について、日韓請求権協定に基づき、既に解決済みであるという従来の日本側の正当な主張を繰り返した。

 これに対する文大統領の対応はなかった。つまり、外交交渉などと呼ぶものではなく、単なる文政権の国内向けのイメージ戦略でしかない。

 報道によれば、文大統領は「必要があれば、高位級協議も検討したい」と一応提案したという。だが、実務者レベルで、輸出管理問題や自衛隊機へのレーダー照射問題に関し、あれほど不誠実な対応を繰り返した韓国側に、より高位級の要人で協議に応じる筋合いが日本側に全くない。

 むしろ、高位級レベルで応じるのであれば、いわゆる元徴用工問題における現在の韓国側の対応から、報復措置を通告することが望ましい段階とさえいえる。

 韓国の外交攻勢は、文大統領の「無理強い対話」だけにとどまらない。韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長が20カ国・地域(G20)国会議長会議で来日したが、今回の文議長の言動にも韓国の常套(じょうとう)手段が見て取れる。

41db9_1641_a08a3421_56a64f72  文議長といえば、譲位前の上皇陛下に謝罪を求めた発言で知られている。天皇陛下を海外の重職者が自国のために政治利用しようという無法な態度といい、単に日本国民に対しても計り知れないほどの無礼を行った人物である。

 最近の朝日新聞のインタビューで、文議長がこの件について「謝罪」したとする見出しのついた記事が掲載されていた。ところが一読すると、トンデモない内容だった。

 文議長は「謝罪」どころか、日本国民が元徴用工などに謝罪すべきだと述べているのである。まさに「無限の謝罪要求」という韓国の常套手段である。

 日本に対する政治的なマウント取りの手段として、韓国が慰安婦問題、元徴用工問題などを謝罪と賠償の無限ループで利用していることは、よほどの無知か、韓国への偏愛がない限り自明である。その意味では、文議長に日本に対する謝罪の意思はなく、謝罪要求だけが強いとみて差し支えない。むしろ日本の国益上、入国を拒否すべきぐらいの人物ではないだろうか。

 このような指摘を書くと、日本では「ネトウヨ」などと戯言(たわごと)並みの批判が出てくる。しかし、日本国憲法では、天皇の政治的な言動が禁じられている。他国の憲法を踏みにじり、天皇陛下に謝罪させるという政治的利用を狙った人物に日本政府が明確な「ノー」を突き付けることは正当な対応である。

 会議に先立って、山東昭子参院議長が文議長に書簡を送り、発言の撤回と謝罪を要求していたことが分かった。その要求に文議長は事実上返答しなかったため、山東議長との会談は見送られた。

 このような山東議長の対応は評価すべきだ。他方で、政治的な腐臭にまみれているのが、超党派の日韓議員連盟に属する何人かの政治家たちだ。

 文議長は、いわゆる元徴用工問題について、日韓の企業と個人から寄付をもとにして、日本企業に訴訟を起こした元徴用工らに金銭を支給する法案を作ったと述べている。バカげた案という他はない。

 いや、バカげた案以上に、仮に法案が韓国で成立しても、訴訟を起こされている日本企業は乗るべきではない。韓国の無限の謝罪と賠償要求のゲームに付き合わされるだけである。

 個人レベルでは、鳩山由紀夫元首相のように無限の謝罪や賠償に付き合うことを私的に表明している人もいるので、どうでもいい。もちろん、元首相の行動という観点から、批判を受けるべき行いになることだろう。

 それにも増して問題なのが、エネルギー分野など経済協力名目の日韓共同ファンドの創設が可能だとの認識を示した日韓議連の河村建夫幹事長(自民党)だ。エネルギー分野に限るとはいえ、今のタイミングで賠償のバイパス(抜け穴)にもなりかねない「提案」をするとは、国益を見ないまさに「韓国に媚(こ)びている」と批判されるべき姿勢である。

 日韓企業が賠償額相当の金額を出資する案について、日本政府は公式に否定している。つまり、日本政府側から積極的に関与することを拒否しているわけだが、当たり前の話だ。

 現在、韓国の裁判所の決定により、日本企業の資産が差し押さえられ、処分が進められている。これは国際法上、全く許容できる事態ではない。

 そのような中で、日本政府が7月から始めた輸出管理の強化を、韓国への報復措置とみなす筋違いの見解があるが、それは違う。日本は韓国側の無法に対して、いまだ報復措置を執っていない。

 人的交流の制限になるか、金融面での制約になるかは分からないが、具体的な対応はこれから可能だ。韓国側の「無法」に対して、法をもって厳しく「しっぺ返し」すべきだ。

 そのことが韓国による日本への謝罪を引き出し、賠償要求という政治利用の歯止めにもなる。さらには、日韓議連などに象徴されるように、日本の政治家による他国に媚びる姿勢を牽制することにもなるだろう。

 組織は内部から崩壊するともいわれています。日本には日本自体の国益を考えず、戦前間もない時に生まれた、「反日イデオロギー」に凝り固まった人たちがいます。政治の世界にも特定野党のみならず、与党の中にも、意識しているかどうかは別にして、反日とはいえないまでもそうした勢力に加担している人がいます。

 世界中で変えられている憲法も、変えられない日本の政治の弱さ、国家犯罪の拉致被害者も奪還できない外交の弱さはそういった国内反日勢力の影響力が、かなり反映しているものと思えます。日韓議員連盟の議員たちもその反日勢力とその影響を受けた人たちでしょう。

 終戦直後の混乱に乗じて、日本に蔓延ったこの敗戦利得者たちによる反日教団は大学、マスコミ、ジャーナリスト、労組、弁護士、映画・音楽・芸能界など幅広く拡散浸透し、日本を貶めています。

 韓国の呆れかえるほどの日本に対する蛮行は、こうした日本の内部事情を見透かされて、繰り返されている可能性もあります。韓国への対応とともに、日本国内の対応も同時に重要課題として取り組まなければなりません。とくに表現の自由の異常なまでの拡大解釈のもとに、「あいちトリエンナーレ」のような馬鹿げたイベントが出来てしまう日本を、変えないとならないと強く思います。

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2019年11月 7日 (木)

米国で流行る造語と慰安婦問題

Origin_1  今回は麗澤大学准教授・ジェイソン・モーガン氏のコラム「米国で流行る造語と慰安婦問題」(正論 11/5)を取り上げます。 

 最近の米国で流行(はや)っている「新しい英語」がある。日本ではまだあまりなじみがないと思うが、「woke」「virtue signaling」という2つの「造語」だ。この単語を知ると、米国で左翼系の人々を中心に、なぜ「慰安婦問題」が誤って理解され関心が持たれるのか、問題点が分かるかもしれない。

 ≪「woke」の新たな意味≫

 「woke」は、みなさんが中学などで習った語彙リストにも出たかと思うが「wake」の過去・過去分詞形で、普通は「目を覚ました」を意味する。しかし最近の米国では、使い方が大きく違ってきた。人々を「啓蒙(けいもう)している」などの意味合いで使われている。つまり、眼球が覚めたではなく、心の目が覚めた、というわけだ。

 この使い方で人々を「啓蒙している」人と、「啓蒙していない」人を分けられる。普通の、一般市民より自分の知識や理解がはるかに優れているという意味を持つ。「He is so woke」という英語は、文法的に間違っているが、「彼は、本当の物事の動きが分かっていて、社会の本当の問題などに目が覚めている」という意味になる。

 いうまでもないが、左翼同士で「woke」と言って褒め合っている。(ちなみに、左翼の目から見ると、保守系は決して「woke」ではない。「原始人」と呼んでいただいているわけだ)

 同じように「woke」の人は、「virtue signaling」をすることで、自分の「目が覚めた」状態を周りの人に知らせる。「virtue」(美徳)と「signaling」(発信)の造語で、自分のポリティカル・コレクトネス(政治的公正)を社会に発信して、自分の「wokeness」を伝えようとしている行動を指す。

 例えば、アメリカンフットボールの試合が始まる前に、星条旗の前で米国の国歌を斉唱するときに、歌うのを拒んで、跪(ひざまず)く選手がいる。本人に言わせれば、自分が「woke」だから跪いている、と答えるけれど、保守系の人によると、それは「virtue signaling」にすぎない。

 ≪自分をアピールしたい意識≫

 つまり、自分が人々を啓蒙している、自分が政治的に公正だとみんなに思われたい、という心境、精神が動機で、公の場で明らかに礼を失したことをあえてする。

 自分の道徳の優秀さを周りの社会に知らせている行動を「virtue signaling」と言う。それが事実を無視して独り善がりなら、「法螺(ほら)を吹く」と言う面白い日本語があるが、私はこれに近いと思う。

 「慰安婦問題」を例にしてみたい。韓国や米国の左翼の感情的な反応は半端ではない。最近もワシントン近郊の南部バージニア州に全米5体目の慰安婦像が設置されたことが報じられた。どうしてだろう。少しでも勉強すれば、韓国などによる「慰安婦は性奴隷」などという主張は、事実に基づかず嘘だと理解できるはずなのに。米国の人々は、そんなにだまされやすくないのに、自称エリートの人たちも、慰安婦問題の嘘を、なぜ信じ込むのだろうか。

 しかし、ポリティカル・コレクトネスにこだわる人は、自分の理解の深さ、知識の広さを常に宣伝して、アピールしたいと思っている。そこでは「慰安婦問題」がとても役に立つ。

 左翼系の人たちにとっては、慰安婦は、犠牲者だからだ。「woke」な人は、現在の人も過去の人もみな、「犠牲者」と「加害者」に分ける。「奴隷」と「白人」、「全世界」と「アメリカ」、そして「慰安婦」と「日本」など。前者は被害者で、後者は加害者だ。

 ≪歴史事実に関係なく責める≫

 いずれの場合にも、犠牲者の方を取って自分の優しさとポリティカル・コレクトネスを見せたいので、慰安婦問題に便乗して自分の「加害者」と「犠牲者」の分け方の腕を振るっている。

 とりわけ米国の左翼系の大学教授らはこの通りに動いている。米国の教授らは、慰安婦問題について話すと、歴史の事実が分かっていないにもかかわらず、居丈高に日本を責めることが少なくない。

 このパラドックス(逆説)の解読は、左翼系の人たちにとって慰安婦問題を追及する上で結局、歴史の事実は関係ない、ということではないか。

 正しいかどうかではなく、「virtue signaling」が目的なので、「慰安婦は性奴隷」などという誤った理解をしていても関係ない。繰り返して語ると自分も「woke」だと思われると考え、慰安婦問題を取り上げたり、慰安婦についての大騒ぎをあおったりするわけだ。歴史のファクトはどうでもいいのだ。

 昔は、野球といった米国の国民が共有する趣味のスポーツがあったが、今は残念ながら左翼はそれに興味を失い、「virtue signaling」に取り組んでいるように見える。悲しいのはそれは日本に対して大きな影響を与えていることだ。

 このコラムを読んで、造語のことはさておき、これはアメリカの左翼学者の事だけではない。まさに韓国の反日政治家や反日知識人、そして反日市民活動家の考え方、主張そのものではないか、と思いました。

 さらには日本におけるリベラル(注:実態は反日売国)知識人たちもまさに同じ穴の狢です。彼らは「戦前の日本」と「アジア諸国」を加害者と犠牲者に分けるだけではなく、今でも「日本」と「中国・朝鮮」、さらには「政権」と「一般国民」をさえ、加害者と犠牲者に無理に分け、まさに実際がどうかの検証はなくひたすら日本叩き、政権叩きをしている、このコラムと全く同じだと感じました。これでは日本がよくなるわけはありません。

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2019年11月 6日 (水)

手段と目的をはき違えず、政治や外交を考えよう

Images_20191106153701  今回は作家・演出家の鴻上尚史氏の連載コラムの中から『「日本の校則はなぜ厳しいのか」19歳の問いに鴻上尚史が明かした高校時代の闘争』(AERA dot. 11/5)を取り上げます。長い記事なのでお忙しい方は後半の「さてビックさんの疑問です。・・・」(赤色文字にしています)から読み始めたらいいかと思います。
 鴻上氏の言いたいことは「手段を目的にしないこと」だと思いますが、私もその意見に同感で、最近手段と目的をはき違えている向きが多く、政治の世界や国家レベルでも散見されることから、あえて政治とはかけ離れているように見えるテーマのこのコラムを取り上げました。

 鴻上尚史の人生相談。高校時代に校則改革をすべく生徒会長になった経験をもつ19歳の大学生。「学校の先生はなぜ校則に頑なか」と問う相談者に、鴻上尚史が語った自身の高校時代の校則との戦い。

Cade1f69915e69e7a8a814958715423b 【相談47】日本の校則が厳しいのはどうしてですか?(20歳 男性 ピック)

 鴻上さんの校則についてのtwitterをみて、高校時代の古傷を思い出し、投稿しています。元・私立共学の生徒会長、現在は大学生です。

 生徒会長の選挙時の公約は「マフラー禁止」「靴下と鞄の指定」「男子の長髪禁止」「女子の髪のリボンの黒、紺、茶指定」の撤廃で、そのときはけっこう盛り上がり、支持されて生徒会長になりました。

 ・あたりまえですが防寒にマフラーは必要

 ・「靴下と鞄」については、学校指定のメーカーは高額。それぞれ生徒が選んだほうが合理的(これは言いませんでしたが、学校がこれで利益を得るという私立のあるある話のようです)

 ・男子の長髪の禁止、女子の髪のリボンを黒、紺、茶に指定している意味がわからない。好きな髪形、リボンの色を楽しみたいと訴えて、けっこう支持されて生徒会長になりました。

 生徒会長に決まったとき、学年主任には、廊下で通りすがりに「やりすぎるなよ」と釘をさされました。でも、公約なので、行動しないわけにはいきません。

 そこで、まずは、先生たちと生徒で校則についてのディスカッションの場を作りました。

 先生側の言い分はだいたいが、

 ・マフラーは、以前に引っ張り合って遊んでいた生徒が気分を悪くしたという問題があった

 ・靴下も鞄も学校の制服と同じこと

 ・女子のリボンの色は制限を設けないと風紀が乱れる。男子の長髪は清潔感がなく、高校生に似合わない

 話し合いは並行線で、副会長が「それならばリボンは白だと風紀が乱れるのですか」と言ったら「線引きの問題だ。どっちにしても白なんてちらつくし、教える側の集中力もそぐ」などと理由にならない理由を返され、あと昔、すごく学校が荒れた時代があり(昭和のことらしいですけど)、近所にもこの学校の評判が悪い時期があり、校則を変えて生徒を指導して、いまのいい雰囲気が保たれ、いい学校(たぶん偏差値があがったという意味)になったのだそうです。

 そして学年主任は「そういう校則だと理解して入学したのではないか」とも。

 結局そのディスカッションは、僕が「学校は生徒が作り上げるものではないですか。必要なら校則も変更したいです」と返したところで時間切れになりました。

 とりあえず、そのディスカッションははじめの一歩でしたが、発言したのは生徒会の人間ばかりで、参加した他の生徒は拍手はするけど自分から手を挙げて発言してくれる人は少なかったです。

 そういった生徒側の中途半端な雰囲気があり、その後、いろいろ学校側の妨害工作とか紆余曲折あり、もめにもめ、結局僕らは戦いに敗れました。本当に情けなく苦い思い出で、高校時代のことは全部忘れたいとすら思いました。

 でも、思うのです。そもそもなんで日本はこんなに校則が厳しいのでしょうか。当時アメリカにいた高校生のいとこに、僕の学校の話をしたらびっくりされ「リボンの色? 時々そういうの聞くけど本当なんだね、日本の高校、Crazy!」と言われました。いとこの高校の服装は、制服がないどころか服装も髪も自由。まあ、アメリカの高校と比較してもしょうもないですが。

 鴻上さんが校則についてtwitterで書いているのをみて、びっくりしました。鴻上さんと同じくらいの昭和のうちの高校の先生と、なんでこんなに考えが違うんだろう。

 そもそもが知りたいのですが、日本の高校の校則が厳しいのは、やっぱり昭和に学校が不良ばかりですごい荒れた時代があったからなんですか?

 学校の先生たちの、あのかたくなな校則への執着が、今でも謎です。

Blakou_teaser_web 【鴻上さんの答え】

 ピックさん。少し、僕の高校時代の話を聞いて下さい。僕は、昭和の時代、公立高校の生徒会長をしていました。

 立候補した時の公約は「校則の自由化」でした。

 僕の時代も、ピックさんの高校とあまり変わってなくて、女子の「リボンの色」や男子の「髪は耳にかぶさらない」などの他に「女子のストッキングの色は黒」なんていう「どう考えても無意味としか思えない」校則がたくさんありました。

 ピックさんと同じように廃止を訴えて、それなりの支持を得て、当選しました。すぐに、なくすために先生達に働きかけましたが、生徒指導の先生に「お前はこの高校を荒れた高校にしたいのか」ときつく抑えられました。

 僕は、「無意味な校則を無くすことこそ、学校を健全にすること。無意味な校則を押しつけられることが、学校と教師に対する不信感を生み、生徒の心を無気力・無関心にしている」と感じていました。

 僕は、先生達と話すだけではムダだと考えました。僕は愛媛県出身なのですが、「愛媛県全体の高校生徒会がまとまらないと力を発揮できない」と決意しました。

 生徒会が集まり、情報を交換し、知恵を出し、共に戦うことでしか、この状況を打開する方法はないと考えたのです。

 ただし、学校側はそんな集まりは絶対に許さないだろうと思いました。すべては、先生に知られないように秘密に進めなければいけないと考えたのです。

 その当時、愛媛県には公立高校が52校、私立が11校ありました。僕は、友達を頼ったり、友達の友達を頼ったりしながら、各地の生徒会長と連絡を取り、土日を使って会いに行き、『愛媛県高校生徒会連合』を作らないかと提案しました。

 愛媛県は、東西に細長く広がり、東予、中予、南予と三つの地域に分かれています。僕の住む新居浜市は、東予にありました。松山市がある中予と八幡浜市がある南予は、それぞれに電車で数時間かかる距離で、頻繁に会議をするのは、高校生の立場では不可能でした。

 僕は、中予と南予の生徒会長を一人選び、それぞれの地域で『愛媛県高校生徒会連合』を進めてくれないかと熱く頼みました。

 そして、自分達の東予地区18校の生徒会長と何度も会いました。

 14校の生徒会長が賛同してくれて、『愛媛県高校生徒会連合 東予支部』を発足させました。

 全員で学校に無届けで合宿し、14校が「各学校で校則がどれぐらい違うか?」を話し合いました。

 僕の学校では黒色のストッキングが指定で、ベージュのストッキングは「華美である」という理由で禁止されていました。

 隣町の高校では、ベージュが指定で、黒色は禁止でした。その理由を尋ねた生徒会長に、生徒指導の先生は「黒色は娼婦っぽいだろ」と答えたと教えてくれました。ということは、僕の高校の女子生徒は、みんな娼婦っぽいのかと、僕は怒りを通り越して笑いました。

 東予地区14校の校則を比べるだけでも、いかに「校則に根拠がないか」がよく分かりました。

 僕は、生徒会名義の学校新聞を配布して、他の高校との比較を載せました。データに基づいた反論ですから、校内ではかなりの反響が起こりました。その行動に先生達は怒り、締めつけはさらに厳しくなりました。

 そのまま、どうにもならずに、任期は終わりました。公約だった校則がなんにも変わらなかったじゃないかと、僕は何人かに責められました。「お前は嘘つきだ」と。

 僕は、『愛媛県高校生徒会連合』を作ったんだ、着々と力を付けているんだ、もう少ししたらなんとかなると思うと言いたかったのですが、発表してしまうと、学校側は間違いなくつぶしにかかると考えて、黙っていました。

 そして、高三の冬、何人かで協力して、東予地区14校の校則をまとめ、比較した本を『愛媛県高校生徒会連合東予支部』名義で300部ほど作りました。

 記録として『愛媛県高校生徒会連合』の二期目のメンバー達に残そうとしたのです。

 僕の高校では、僕が頼んだ後輩が立候補して、生徒会長に当選していました。彼は、『愛媛県高校生徒会連合』を引き継ぎ、発展させると約束してくれていました。

 卒業式の日、突然、生徒指導の先生に呼ばれました。そして、「鴻上は、生徒会連合って知ってるのか?」と聞かれました。僕は全然、知りませんと答えました。すると、「××高校の生徒会長が、『生徒会連合』の会合に出ていいかと生徒会顧問の教師に聞いてきたんだ。どうやら、『生徒会連合』なるものがあるみたいじゃないか」とさらに聞かれました。僕は「全然、知りませんねえ」と答えました。生徒指導の先生は、「大人が平気で嘘をつくから、若者も嘘をつくようになったのかねえ」と僕をじっと見ました。

 ロッキード事件という世界的な汚職事件が社会問題になり、「いっさい、記憶にございません」という言葉が流行語になった時期でした。

 それからはあっと言う間で、各高校で「絶対に『生徒会連合』に関わってはならない」という厳しい指導がされて、一年弱で、『愛媛県高校生徒会連合』は無くなりました。

 その時、作った本は結局、どこにも配れないまま、今でも、ある高校の生徒会の書記だった女性の家にあります。

 さて、ピックさん。長い話をしてしまいました。

 僕はこの時から今まで、ずっと無意味としか思えない厳しい校則に対して怒っています。

 日本の校則に根拠はないのです。リボンが「白なんてちらつくし、教える側の集中力もそぐ」なんて言葉は、正気の大人が言う言葉ではありません。

 もし、民間の会社で「女子社員のリボンの白は、ちらつくし、集中力をそぐ」と発言した上司がいたら、「疲れているんだね。休んだ方がいいよ」と心配されるでしょう。

 アメリカにも、もちろん校則というかルールはあります。でも、それは「銃、ナイフは学校に持ち込んではいけない」とか「下着姿で学校に来てはいけない」というものです。銃やナイフを持ち込むとケガ人や死人が出る可能性があるし、下着姿で教室にいると、あきらかに男子生徒は困ります。ちゃんと根拠があるのです。

 でも、リボンの色が白になっても誰も困りません。なのに、先生達は「かたくなな校則への執着」を見せるのです。ピックさんが疑問に思うのももっともです。

「やっぱり昭和に学校が不良ばかりですごい荒れた時代があったからなんですか?」とピックさんは聞きますが、違います。

「生徒指導困難校」とか「教育困難校」と呼ばれたりしますが、こういった高校は昭和の時代も令和の時代もあり、全体から見ると少数派、一部です。

 けれど、無意味に厳密な(場合によっては、「ブラック校則」と呼ばれる)校則は、日本の高校、ほとんどすべての高校にあります。厳しい校則が荒れた結果なら、日本のほとんどすべての高校に荒れた過去があることになります。そんなバカな、です。

 一般的に偏差値の高い高校ほど、校則が自由になる傾向があります(もちろん、例外もありますが)。

 そして、荒れている高校は厳しく指導されます。僕が問題にするのは、特別荒れてもいない、平均レベルの高校でも、無意味な校則が多いということなのです。

 そして、無意味な校則は、「高校生らしい」「中学生らしい」という、じつに何の根拠もない言葉で「思考停止」を強制します。

 少し前、ツーブロックという髪形が「高校生らしくない」という理由で禁止だと報道されていました。すぐに、「ホテル業界では、ツーブロックは清潔感ある髪形とされています」とか「『サザエさん』に出てくる中島君はツーブロックだぞ」とか(笑)、いろんな反応が出ていました。

 僕が危惧するのは、比較的真面目で優秀な生徒こそが「高校生らしくない」という根拠のない言葉で、「思考することをやめる」習慣に染まることなのです。

 真面目な生徒は、根拠のないことを几帳面に受け入れるのです。そして、思考しても答えがないと予感するから、思考することをやめるのです。

 もし、中年の先生が「ツーブロックは私の高校時代にはなかった。私の高校時代になかったものは、すべて、許せない」と言うのなら、その正しさは別として議論ができます。

「先生の高校時代になかったものは、なぜダメなのか?」と、思考を続けることができるのです。

「なぜ?」という疑問を追及することが「思考すること」の原点です。たくさんの「なぜ?」を考え、それをひとつひとつ、自分で解決していくことが教育だとも言えます。

 でも、「ツーブロックは高校生らしくない」という断定は、議論をするきっかけがありません。なんの論理もないので、思考を停止するしかないのです。

 今の子供達は、中学生の時から、「なぜ?」という疑問を追及することではなく、「そういうものだ」という思考停止を受け入れることが日常になっていると僕は思っています。

 そして、(説明が長くなってしまうのでいきなり論理が飛んだと感じるでしょうが)ソニーとか任天堂とか、かつて、グローバル企業を生んだ日本ビジネス界が、現在、まったく創造的な世界的カンパニーを生み出せていないのは、優秀な生徒ほど、子供の頃から「思考停止」を受け入れてきたからだと僕は思っているのです。

 さて、ピックさんの疑問です。なぜ、学校の先生達は、「かたくなな校則への執着」を続けるのでしょうか?

 僕の考えは、学校というのは、日本に数少なく残っている強力な「世間」だから、ということです。

 この連載で、何度か日本特有の「世間」について説明しました。

 自分と関係のある人達で作っている集団が「世間」です。無関係な人達を「社会」と呼びます(詳しくは、ニュースサイト「AERA dot.(アエラドット)」に掲載されている【相談2】「帰国子女の娘がクラスで浮いた存在に… 鴻上尚史が答えた戦略とは?」、【相談4】「鬱の妹を隠そうとする田舎の家族… 鴻上尚史が訴える30年後の悲劇」を読んで下さい)。

「世間」の特徴は、「所与性」と言われるものです。これは、「今のままでいい。大した問題が起きてないのだから、わざわざ変える必要はない。昔からある、与えられたシステムを続けよう」という考え方です。

 長い時間、日本の「世間」は変わらないまま、あり続けることができました。変えることより、今までのやり方を続けた方がうまくいく、と思われてきました。事実、昭和の真ん中ぐらいまでは、それでなんとかやってきました。

 わざわざ、別なやり方をやることは、失敗の可能性の方が大きいと思われたのです。

 けれど、今までのやり方では、はっきりと通用しない時代がやってきました。価値観が多様化し、グローバル化が変化を加速しました。

 気付いた企業は、試行錯誤を続けながら、生まれ変わろうとしました。けれど、「今までのやり方でいいじゃないか」と思ってしまった企業は、どんどんと傾き始めました。まさかと思われるような大企業が倒産したり、合併したりしています。

 学校は完全に取り残されました。世の中がどう変わろうと、「今までのやり方でいいじゃないか」と思っています。そんなことはない、日々、努力していると反論する人もいるでしょうが、今までの枠組みの中での努力です。枠組みの根本的な問い返しをしている人は本当に少数派です。

 と書くと、「お前は学校の何を知っているんだ?」と突っ込まれます。

 ですから、学校の当事者が書いた一冊の本を紹介します。

『学校の「当たり前」をやめた。生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』(千代田区立麹町中学校長 工藤勇一著 時事通信社)です。

 工藤さんは、さまざまな学校の当り前をやめました。

「服装頭髪指導を行わない」はもちろんのこと「宿題を出さない」「中間・期末テストの全廃」「固定担任制の廃止」などです。

 驚くと思いますが、全部にちゃんと理由があります。そして、麹町中学校の生徒達の成績は下がるどころか、上がっています。

A98b1120712ae2558c294773114e59b3833  工藤さんは学校では「手段が目的化」してしまっていることが一番の問題だと指摘します。

 なんのために「服装指導しているのか?」という「目的」がよく考えられないまま、服装指導という「手段」が目的化している。学習指導要領や教科書という「手段」でしかないものが、絶対的基準の「目的」となって、消化してこなす対象になってしまっている。

 そもそも学校の「目的」とはなんなのか?と、工藤さんは問いかけます。

 それは「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ことではないのか。そのために考えられたいろいろな「手段」なのに、それを厳密に実行することが「目的」になっていないか。

 1ページ1ページ、本当に発見と感動がある文章で、僕は思わず涙ぐんでしまいました。僕が中学の時、この文章に出会っていたら、どれほどムダな怒りと痛みを避けられたことか。

 多くの人にぜひ、読んで欲しいのですが、工藤さんの書く「手段が目的化」している状態というのは、じつは、「所与性」の大きな特徴です。

「今までのやり方でいいじゃないか」と思って倒産した大企業は、利益を追求するという「目的」ではなく、今までのやり方という「手段」を一番の「目的」としたのです。「目的」ではなく「手段」を一番に考えるのは、「とにかく今までのやり方を続けよう」と思う「所与性」です。

「クラスのまとまりを大切にしよう」とか「絆」「団結」なんて「目標」が、学校では盛んに語られます。

 けれど、これらは、「何かをするため」の「手段」です。「何かをする」ためにまとまり、団結するのです。ですが、何をするかという「目的」は語られず、ただ、まとまろうという「手段」が声高に語られ、「目的」にされるのです。

 工藤さんは書きます。

「『みんな仲良くしなさい』という言葉があります。この言葉によって、コミュニケーションが苦手な特性を持った子どもたちは苦しい思いをしているのではないでしょうか。よかれと思って、多くの教師が使っている言葉で、結果として、子どもが排除されることになってはいけません。『人は仲良くすることが難しい』ということを伝えていくことの方が大切だと私は考えています」

 これが、教育評論家ではなく、民間人校長でもなく、教育界プロパーで育った、現場の中学の校長先生の言葉であることに僕は心底、感動します。

 工藤さんは「手段の目的化」以外に、もうひとつ、「より上位の目的」を忘れてしまうことが問題だと書きます。

 買い食いをした生徒を厳しく叱っている先生に対して、「どうでもよいことと、どうでもよくないことを、分けて叱りませんか」と提案します。

 より上位の目的、最上位目標は何か?と常に問いかけることは、「所与性」の対極に位置します。

 ワークショップをしていると、参加者がいつのまにか床に「体育座り」をしている風景をよく見ます。足を折り曲げて、手を足の前側で抱えるように組んで座る「体育座り」は、小学校低学年から指導されます。大人になっても無意識にやっている姿を見ると、本当に日本人の身体に染み込んでいるんだなと感じます。

 でも、この座り方は、曲げた太股が下腹部を圧迫し横隔膜を下がりにくくするので、呼吸が浅くなり、身体に良い影響は与えないのです。特に、運動する前、深く呼吸して気持ちを落ち着け、身体に酸素を行き渡らせるという大切な目的に対して正反対の座り方で、運動する時には最も不適切な座り方なのです。

 けれど、ずっと「体育座り」の指導は続いています。

 どうしてでしょうか? それは、「体育座り」の目的が「子供達を秩序よく座らせる」ということだからです。足を閉じて手を前で組むことで、手遊びを防止し、ヨロヨロウロウロする余計な動きを防ぐことが目的です。

 体育という教科の一番大切なことは、「秩序を作ること」でしょうか? 僕は、体育の最上位の目的は「子供達を健康にすること」だと思います。

「所与性」は「何が一番大切か?」と問いかけません。今あるシステムを続けることが目的ですから、「何がより上位の目的か?」と問いかける必要がないのです。

 もちろん、常に「より上位の目的は何か?」と問い続けることは、タフな精神とエネルギーを必要とします。でも、それが結局、よりよい結果を生むのです。

 工藤さんは書きます。

「校長が覚悟を持って、自らの学校が置かれた立場で何が必要かを真剣に考え抜くことができれば」学校は変われると。「覚悟」という言葉が素敵です。

 ピックさん。

 長い文章になりました。「校則」の問題は、言いたいことがたくさんあるのでヒートアップしてしまうのです。でも、同時に、こんなに長く長く書いたのは、あなたの戦いは無駄ではなかったと言いたいからです。

 僕は、ずっと高校時代の自分の戦いが自分を支えていると感じています。『愛媛県高校生徒会連合』は、政治党派や宗教団体、あらゆる組織と一切関係なく、純粋に「無意味な校則に怒った生徒達」が集まりました。一年弱で潰されましたが、その時の怒りは本物で貴重だと思っています。

 大きな目で見れば、世界は、じつは「個人の自由・権利」がより守られ、拡大する方向に動いています。そんなバカな?と思うかもしれませんが、LGBTQ+への理解や、反ヘイトの潮流、同性婚の拡大など、世界的規模で見れば、「個人を尊重する」方向に時代は動いています。私達は、希望の時代を生きているのです。

 もちろん、世界的視点ですから、地域によっては、逆行している人達もいます。生まれつき茶色の髪を染めろと女子生徒に命令した大阪の高校は、生徒の代理人弁護士に「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒く染めさせる」と豪語しました。本当に実行して、世界的な問題になればいいなと僕は本気で思いました。

 ピックさん。「本当に情けなく苦い思い出で、高校時代のことは全部忘れたいとすら思いました」なんて思わないで下さい。あなたの体験は、きっと将来、役に立ちます。「所与性」に安住した大人達と戦ったこと。「手段」を「目的」にしないこと。「より上位の目的」は何か?と常に考えること。そんなヒントをくれたのです。

 とても素敵なことだと思います。高校時代の戦いを胸に、どうか素敵な人生を歩まれることを祈ります。

51729t5bxfl_sr600315_piwhitestripbottoml  野党の中には「韓国との友好関係を維持発展させることは重要だ」と言うようなことをよく言います。与党の中にもそういう発言が散見されます。ではなぜ友好関係を維持することが重要なのでしょうか。それは何かの目的のための手段ですよね。つまり上位目的は「日本の国益を守り、より発展させる」ことにあるはずです。すべての外交の原点はそこにあると思います。

 そのために本当に韓国との友好を維持発展させた方がいいのでしょうか。少なくとも韓国が同じ考えを持っていればその通りだと思いますが、今の文政権を見ていると、真逆だと言えるでしょう。反日侮日の数々、歴代政権の中でも突出して敵対した行動を続けています。つまり日本の国益に反する行動の連鎖です。

 もちろん一連の反日行為の一つ、日本製品の不買運動によって、日本企業の一部、アサヒビールやデサントなどが被害を受けています。しかし国際情勢の変化により一部企業の業績悪化が発生するのは普通の事であり、それより、日本というブランド、アイデンティティのあらぬ誹謗中傷による毀損の方がより重大だと思います。つまり国益に反する国とは友好関係を保つより、無視したほうがいいはずです。

 それともう一つ、国益を守るということはやはり手段であって、その上位目的は「日本国民の自由の確保と生活の安定、そして生命財産を守る」ことにあると思います。そのための手段が「憲法」であり、「憲法」が上位目的に来ることは本末転倒だと断言できます。そうであれば「国民の生命財産を守る」手段として、どうして9条が存在するのか、9条教信者に説明して欲しいと思います。

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2019年11月 5日 (火)

悪質な北朝鮮船に「放水」しかできない日本が情けない

Afr1910090040p1  今回は元海上保安官一色正春氏のコラム『悪質な北朝鮮船に「放水」しかできない日本が情けない』(ironna 11/05)を取り上げます。

***

 水産庁の漁業取締船と北朝鮮船の衝突事件で、改めて日本の対応の甘さが浮き彫りになった。北朝鮮は賠償を求めているが、日本が公開した動画には、放水を受けた漁船が急旋回し、接触する様子が記録されている。違法操業を繰り返す悪質な北朝鮮船に、警告と放水しかできない日本。これでは、北朝鮮に舐められても仕方ない。

 水産庁の漁業取締船と北朝鮮漁船との衝突事件は、当初こそニュースにもなり、巷(ちまた)でも話題に上がったものの、絶好の政府攻撃材料であるにもかかわらず、マスコミや野党が騒がず、いつの間にか尻つぼみになってしまいました。

 9年前に中国漁船がわが国の巡視船に対して故意に衝突させた事件や、昨年に起きた韓国海軍による自衛隊航空機に対する火器管制レーダー照射事件のように、今回も有耶無耶(うやむや)な形で終わりそうです。

 しかし、この事件は北朝鮮によるわが国の主権侵害という問題だけではなく、わが国の安全保障にぽっかりと空いている穴を浮かび上がらせてくれました。その穴が何なのかという話の前に、今回の事件における問題点を整理しますが、誤解がないよう用語の説明から始めたいと思います。

 まず、排他的経済水域(EEZ)というのは公海であり、国際法上、主権が及ぶのは領域(領土、領海、領空)に限られ、公海というものは、どこの国にも属さない自由な海です。接続水域やEEZというのは「海洋法に関する国際連合条約」(国連海洋法条約)によって、例外的に沿岸国の一部の権利のみが保障されているにすぎません。

 では、今回の事件のように公海上で船籍の異なる船が衝突した場合は誰が裁くのかというと、国連海洋法条約で下記のように定められています。

第九十七条 衝突その他の航行上の事故に関する刑事裁判権

1 公海上の船舶につき衝突その他の航行上の事故が生じた場合において、船長その他当該船舶に勤務する者の刑事上又は懲戒上の責任が問われるときは、これらの者に対する刑事上又は懲戒上の手続は、当該船舶の旗国又はこれらの者が属する国の司法当局又は行政当局においてのみとることができる。

 これを今回のケースに当てはめれば、わが国の官憲は水産庁の漁業取締船の乗組員に対しては司法権を行使できますが、北朝鮮の漁船乗組員に対しては行使することはできず、北朝鮮漁船の乗組員を裁くのは北朝鮮国家であるということです。

 北朝鮮国家が自国の漁船乗組員に対して、どのような処置をとるのかは分かりませんが、おそらく水産庁漁業取締船の乗組員は日本国海上保安庁の捜査を受け、よほどのことがなければ、不起訴になるとは思いますが、業務上過失往来危険容疑で書類送検されるでしょう。

 このように、衝突事件に関しては、わが国の官憲は北朝鮮漁船乗組員に対して事実上何もできませんが、果たして他に方法がないのかということを考えてみましょう。

 まず、現場はわが国が主張するEEZであることから、「排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律」(EEZ漁業法)の適用が考えられます。

 なお、北朝鮮は国連海洋法条約を批准しておらず(米国も同様に批准していない)、そもそもわが国のEEZを認めていません。その上、わが国との間には国交がなく、日中や日韓のように漁業などに関する協定を結んでいないため、細かい話をすると国際法上ややこしいのですが、本稿は厳密な法律論を述べることを目的としておりませんので、世界中で160カ国以上が締結している国連海洋法条約をベースにわが国の立場で話を進めていきます。

 今回のケースは漁船が沈没してしまったため、おそらく違法操業に関する決定的な物的証拠を押さえられていないと思われます。たとえ漁船が沈没していても、映像などの証拠があれば法令上は検挙することは可能なのですが、有罪率99%を誇る完璧主義なわが国の検察はそれだけでは、なかなか起訴してくれません。ですから実務上、このようなケースにおいて違法操業の容疑で検挙することは難しいので、考えられるのはEEZ漁業法の

第十五条の二 漁業監督官は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、漁場、船舶、事業場、事務所、倉庫等に立ち入り、その状況若しくは帳簿書類その他の物件を検査し、又は関係者に対し質問をすることができる。

第十八条の二 第十五条の二第一項の規定による漁業監督官の検査を拒み、妨げ、若しくは忌避し、又はその質問に対し答弁をせず、若しくは虚偽の陳述をした者は、三百万円以下の罰金に処する。

 の罰条です。北朝鮮漁船は水産庁の船に自ら体当たりしてきたので、漁業監督官の検査を拒み、妨げ、もしくは忌避した可能性が高いのですが、問題は漁業監督官に検査を行う意思があったのか、あったとすれば、その意思を相手に明確に伝えていたのかが争点になり、かつ、それが映像などで記録されていなければ、同様の理由で検挙することは難しいです。

 また、物理的に60人もの人間(北朝鮮は徴兵制なのでほぼ軍隊経験者であり、どのような武器を隠し持っているかも分からず、しかも衛生環境が悪いので、どのような感染症に罹患(りかん)しているかも分からない)を、狭い船内に確保することは、相当のリスクを負います。

 さらに、日本に入国させるとなると法務省入国管理局(入管)、検疫、税関などの手続き、拘束すれば食と住の手当てだけではなく監視する人員、嫌疑不十分となれば帰りの飛行機の手配など、手間のかかることばかりです。それだけではなく、取り調べなどの捜査に、ただでさえ足りない人員や船舶を割かれるため通常業務に支障が出るだけでなく、その穴を突かれ、結果的に違法操業が増える可能性もあります。

 リーズナブルに考えると、その場で「無罪放免」するのが一番ですから、今回、北朝鮮漁船の乗組員を、その場で帰してしまったことは、ある意味では正しいと言えます。しかし、司法手続きを費用対効果だけで考えれば治安が保たれません。今回、北朝鮮漁船はわが国の公船である水産庁の取締船に対して故意に体当たりしてきたのですから、わが国の主権に対する明白な挑戦と真摯(しんし)に受け止め、厳正な対応をとらねばなりませんでした。

 今回の対応が前例となり「日本の船から何か言われても、ぶつければよい」と思われれば、公船は言うに及ばず日本の漁船に対しても体当たりをしてくるかもしれません。実際に接近してこなくても威嚇だけで日本の漁師は、多大なプレッシャーを感じるでしょうし、最も懸念されるのが、今後、水産庁の腰が引けてしまうことです。

Images-3_20191105112201  それでなくとも彼らはわが国の公船が、放水しかしないことを分かっているので軽く見ている節があり、わが国のEEZ内において公船が自国の領域であることを主張しながら小銃によりわが国の船に対して威嚇するほどです。そんなことは中共(中国共産党)でもやりませんし、何よりも北朝鮮はわが国の同胞を何百人も奪ったままの国であることを忘れてはいけません。

 では、どうすればよかったのかというと、現行法で考えられるのは刑法の殺人未遂罪の適用です。刑法は基本的に国内の犯罪を取り締まるためのもので、かつては日本人が被害者の殺人事件でも発生場所が国外であれば、根拠法令がないため犯人の身柄を拘束するなど、わが国単独では強制力を行使できませんでしたが、ある事件をきっかけに刑法が改正されました。

 それは平成14年にわが国の海運会社の現地法人が所有し運航するパナマ船籍タンカーの船内で起きた、日本人が被害者となった殺人事件です。発生場所が公海上であるためパナマ国内で発生したとみなされ、その直後に同船が日本に入港してきたにもかかわらず、海上保安庁は刑事裁判管轄権を持つパナマから委託を受けるという形での捜査協力しか行えませんでした。

 結果としてフィリピン国籍の犯人は旗国であるパナマに移送され、現地の裁判所で無罪判決が下されました。そして、それを受けた海運業界から法令改正を要求する声が高まり、その翌年に刑法が改正され「殺人の罪及びその未遂罪」については日本国外においても日本国民に対して行われた場合には適用されるようになりました。

 単なる衝突事件ではわが国に管轄権がないことは前述しましたが、今回は故意に船をぶつけてきたわけですから

ここで舵(かじ)を切れば、水産庁の船に衝突するだろう

       ↓

衝突すれば、水産庁の船が沈むかもしれない

       ↓

船が沈めば人が死ぬかもしれない

       ↓

別に相手が死んでもかまわない

 という「未必の故意」を立証すれば立件可能です。実務的にはかなり難しい、いわゆる「無理筋」ですが、相手は国際法の枠外でわが国に対してくる国なのですから、教科書通りに法令を順守する優等生的対応では限界があります。実際問題として他国では似たようなことがしばしば行われており、わが国の漁民は、そうやって散々痛めつけられてきました。

 何よりも北朝鮮漁船乗組員を拘束することで拉致問題に何らかのプラス効果があったと思われます。少なくとも、現場で「無罪放免]したことにより、北朝鮮から侮られることはあっても感謝されることはありません。最低でも、救助治療を名目に日本国内に連れていき、日本の社会の様子を見せて返すだけでも北朝鮮にダメージを与えることができたはずです。

 現政権は拉致問題が最重要課題と考えるのであれば、今後は今回のような甘い対応ではなく、片っ端から拿捕(だほ)するくらいの姿勢で臨んでいただきたいものです。実務上、難しい面もあるとは思いますが、ロシアは今年の9月に5隻の北朝鮮漁船を拿捕し、300人以上の乗組員を拘束しています。ロシアにできることが日本できないわけはありません。トップがやる気を見せれば日本の優秀な現場は動くのです。

 どれだけ日本人が拿捕され拉致され拘束され、最悪の場合は殺害されても日本政府は甘い対応しかしてこなかったのが、戦後の日本外交です。日本人を保護し救出するためであっても武力を使ってはならない憲法上の制約や、過去の日本の戦争の過剰な反省からか、中国漁船に対するインドネシアの対応や、このコラムにあるような北朝鮮漁船に対するロシアの対応など、絶対にとりません。

 考えてみればこれは憲法25条の生活権の蹂躙であり憲法違反です。憲法9条を守るために25条を蹂躙する、これも現行憲法の欠陥の一つではないでしょうか。9条が戦前の他国への侵略(と言うことにされている)の反省であるとしたら、日本国民の安全や保護のためには9条がどのように貢献しているのか、9条信者に聞いてみたいですね。

 いずれにしても一色氏の言われる通り、「トップのやる気」が必要です。私はそのやる気を見せるためには「覚悟」が必要だと思います。国の内外にはこの当たり前の国民と国益保護を果敢にやろうとする行動に対し、とんでもない反発をする人たちが多くいます。その人たちに対し果敢に論破できる勇気と覚悟が必要でしょう。

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2019年11月 3日 (日)

日韓議連 「隣国とは仲良く」の幻想を捨てよ

4_20191103154201  今回はzakzakの記事から『日韓議連やはり平行線…「隣国とは仲良く」幻想を捨てよ 日本政府「ボールは韓国側にある」姿勢明確に』(11/3)を取り上げます。


 超党派の日韓議員連盟と、韓国側の韓日議連は1日、国会内で合同総会を開いたが、平行線で終わった。いわゆる「元徴用工」の異常判決や、国会議長による「天皇陛下(現上皇さま)への謝罪要求」など、韓国側の相次ぐ「反日」暴挙によって、史上最悪まで冷え込んだ日韓関係の改善はできなかった。文在寅(ムン・ジェイン)政権の本性があらわになるなか、「隣国とは仲良く」という幻想は捨てるべきだ。

 「韓国の歴代政権は日韓基本条約と日韓請求権協定を順守した」「文政権でも国家間の約束を守り、日韓両国が未来に向かって前進していくために、対立ではなく協力体制を構築することを希望する」

 日韓議連の額賀福志郎会長は合同総会のあいさつで、こう語ったという。中央日報(日本語版)が1日報じた。極めてまともだ。

 これに対し、韓日議連の姜昌一(カン・チャンイル)会長は「強制動員賠償・補償など歴史問題の解決のためには対話を継続的に持たなければならない」「被害当事者が負った傷と結びつくデリケートな事案だけに…」などと語ったというが、これはおかしい。

 日韓の請求権問題は、1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決」している。徴用工は「合法的な戦時労働者」であり、賃金も支払われていた。韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員は「朝鮮人が奴隷のように使われたとする主張はまったくのウソだ」という研究成果を国連で発表している。

 超党派の日韓議員連盟と、韓国側の韓日議連は1日、国会内で合同総会を開いたが、平行線で終わった。いわゆる「元徴用工」の異常判決や、国会議長による「天皇陛下(現上皇さま)への謝罪要求」など、韓国側の相次ぐ「反日」暴挙によって、史上最悪まで冷え込んだ日韓関係の改善はできなかった。文在寅(ムン・ジェイン)政権の本性があらわになるなか、「隣国とは仲良く」という幻想は捨てるべきだ。

 今回の合同総会にあたり、日本政府は安倍晋三首相の祝辞を出さず、韓日議連による表敬の機会も設けなかった。「ボールは韓国側にある」という明確な姿勢を示した。

Maxresdefault-1_20191103154301  日韓議連周辺から、日韓関係の改善に向けて、エネルギー分野など「経済協力名目の基金創設」という“狂気の譲歩案”が浮上したが、安倍官邸は相手にしていない。「韓国の不当な要求に譲歩してきた過去の政権が、韓国の異常な『反日』行動を助長させ、日韓関係を悪化させた」「韓国とは長期戦でやる」という認識なのだ。

 親韓の左派政党やメディアは「日本は歩み寄れ」「韓国と仲良くしろ」などと大騒ぎしているが、世界を見渡しても、大半の国が隣国とは問題を抱えている。「文政権とは関係改善できない」と覚悟して、それ以外の国々との関係を深めるべきだ。

 この記事の最後の文『「文政権とは関係改善できない」と覚悟して、それ以外の国々との関係を深めるべきだ』それに尽きると思います。「隣国とは仲良くすべきだ」と言うのは理想であって、現実には無理でしょう。特に反日で固まっている韓国や北朝鮮とは。

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2019年11月 2日 (土)

全国自治体を蚕食!血税で『赤旗』購読の異常

2_20191102152701 今回は世界日報「しんぶん赤旗」問題取材班のコラム「全国自治体を蚕食!血税で『赤旗』購読の異常」(Hanadaプラス10/31)を取り上げます。

***

私たちの血税が日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の購読料として使われている!共産党議員によるパワハラ勧誘の実態、地元住民からの懸念の声、自治体職員の悲鳴――。日本共産党は本当に"弱者の味方"なのか? 報じられない日本共産党のタブーを暴く!

知らない間に血税で「しんぶん赤旗」を購読

全国47都道府県庁で公費によって購読されている政党機関紙のなかで、日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」の部数が突出していることに注目し、世界日報「しんぶん赤旗」問題取材班は、3年あまり調査取材を行ってきた。  

2017年度の調査では、全国の都道府県庁の共産党系機関紙(日曜版、県版を含む)購読部数の総合計が1021部に達しており、年間の総支出でざっと3200万円を超える金額だった。それが毎年、都道府県民の血税から“知らない間”に出費されていたのである。  

昨年は、同党機関紙を20部以上購読していた千葉、神奈川、北海道など14都道府県を対象に調査。今年度も同じ14都道府県を調査し、購読部数に変化があるか調べた。その結果、大きく減紙した県庁と、ほとんど変わらない、あるいは増紙した県庁のほぼ二つに分かれることが分かった(下の表参照、一部調査中)。

_______  

問題を重視し、議会で是正を求める動きに出た千葉県庁では部数が半減。問題を軽視し、放置してきた愛媛や大阪府などでは部数にあまり変化がなかった。相変わらず、税金の無駄使いが行われているのだ。

「しんぶん赤旗」の問題は、都道府県庁や市役所での公費による購読だけではない。私費で県庁や市役所の職員が購読する場合でも、共産党県議や市議が購読を強要したり、押し付けやパワハラに及ぶケースもある。中立、公正が求められる庁舎や役所内で購読させられることが多いのにも問題がある。なかでも東京都庁では異例の配達許可証が出され、管理規則違反の勧誘が行われている可能性もある。

Images-2_20191102152801 共産党収入の85・1%を占める赤旗関連収入

「しんぶん赤旗」は、共産党の組織、宣伝、教育活動の有力なツールであるばかりでなく、党財政を支える主柱だ。2017年度の政治資金報告による党収入の総額は約217億円、うち赤旗関連収入は約184億円で全体の85・1%を占める。  

政党助成金を1円ももらっていない共産党にとって、部数の減少は党活動の後退に直結する。そのため、4月の統一地方選で後退した党勢を反転させようと、党中央は「しんぶん赤旗購読を呼びかけよう」との檄を飛ばした。今後、公正中立が保たれるべき庁舎内で、あの手この手の購読勧誘が展開される可能性が大きい。  

取材班が政党機関紙の公費購読の問題に取り組んだのは、3年あまり前のことだった。「地方の自治体で、かなりの数の赤旗が、政党機関紙のなかでも偏って多く庁内で公費で読まれているらしい。それは問題ではないか」との声が、読者から寄せられてきたからだ。

異常な部数を県議が指摘

当初、岡山や兵庫の県庁担当者に話を訊くと、いずれも「情報収集」のためという決まりきった答えが返ってきた。たしかに、さまざまな情報源を活用して物事を多角的に分析し、行政に活かすことは必要なことだ。しかし、「本当にこの部数が必要なのか」と首を傾げたくなるケースがいくつも出てきたため、全国調査に踏み切った。  

今回の調査で明らかになったのは、世界日報が「しんぶん赤旗」の購読部数を問題視して報道した自治体のなかで、議員が委員会や本会議で取り上げるなどの行動を起こしたところでは、翌年度には購読部数の偏りが大幅に改善されていることだ。  

最も顕著だったのが千葉県である。2017年度の「しんぶん赤旗」購読数(日刊・日曜版)は115部だったが、昨年度は120部に増え、全国最多となっていた。それが今年度は、日刊紙が38部、日曜版が16部の計54部にまでカットされた。すべての部局で削減され、年間で約202万円の経費削減となったのである。  

きっかけは、県議会議員の質問だった。昨年7月25日付の世界日報報道のあと、中村実県議(自民)が10月の決算審査特別委員会で取り上げた。  

中村県議は、購読理由に一定の理解を示しつつも、120部という数字の異常さを指摘。そして、これは県民の常識からかけ離れており、不偏不党の県庁が特定の政党の活動を公費で支援することは間違っている、と主張したのである。  

同様の質問が岡山県でも行われた。同県は、2017年度には100部の共産党系機関紙を公費で購読していた。波多洋治県議(自民)が17年9月の定例議会で、「(機関紙の購読に)多額の公費を費やすことは許されない」などと主張。その結果、18年度の購読部数は20部にまで激減した。

埼玉県では、2017年度に購読していたすべての政党機関紙227部のうち99部を「しんぶん赤旗」日刊と日曜版が占めるなど、共産党系が極端に突出していた。中野英幸県議(自民)が17年12月の企画財政委員会で取り上げ、購入部数が偏っている状況を是正するよう求めた。県は見直しをする姿勢を示し、翌18年度には「赤旗」の購読部数は59部まで減った。40部が一挙に削減されたのである。

県土整備部だけで64部も購読

兵庫県の場合は大幅に減少した一方で、問題点も残った。世界日報は2017年2月17日付で、〈公費購入の政党機関紙 「しんぶん赤旗」が突出/兵庫県庁県土整備部、共産党系計64部〉の見出しで報道。県土整備部だけで64部(県共産党委員会発刊の機関紙を含む)も購読していることに焦点を当てた。すると、17年度には、県土整備部の赤旗購読数は一挙に4部にまで減少したことが分かった。  

その理由について、同部の担当者は「他と比べて多かったため。報道があったことや県民から(見直しを求める)意見も賜ったため」と述べた。だが県議会でこのことが問題にされることはなく、減紙についても県土整備部が対応しただけで、依然として多数購読している他の部局にはほとんどメスが入っていない。  

公費購読している政党機関紙のなかで「しんぶん赤旗」の占める割合が高い自治体でも、委員会や本会議で取り上げられていないところでは、購読部数の変化はあまり見られない。  

昨年より4部増えている大阪は、24部と全体数は多くはないが、過半数が共産党系機関紙だ。同様にほとんど変化のない三重では25部中、20部が「赤旗」関係である。静岡は一部減少したが、依然として半数以上が共産党系機関紙である。

他に、愛知や東京でも共産党系が多い。「しんぶん赤旗」が73部で全国1位の和歌山では、「社会新報」が78部と共産系より多い。「公明新聞」も同数の78部で、「自由民主」が84部で一番多い。同県は「赤旗」に限らず、政党機関紙購読が異常に多いのである。  

すべての政党機関紙が、たとえ多くても横並びであれば問題はないというわけにはいかないはずである。これらは、すべて県民の税金で支払われていることを忘れてはならない。地方財政が厳しいと言われるなかで、経費の無駄にメスを入れて是正しないのは、県および県議会の怠慢だ。適正部数なのかそうでないのか、検証のための議論を始めるべきだろう。

庁舎内で勧誘・配達・集金

自治体職員が私費で購読する「しんぶん赤旗」についても、庁舎内での勧誘・配達・集金が行われていることを問題視する議論が活発化している。自民党本部が全国の都道府県連の幹事長宛に通達を出し、注意喚起したことで広がった。  

この問題に火が付いたのは、2013年12月の福岡県行橋市議会での小坪慎也市議による発言だろう。 小坪議員は、共産党市議らが管理職職員を対象に「しんぶん赤旗」の購読を勧誘し、市役所内で配布・集金していることを是正すべきであるとして、「赤旗の購読は事実上、共産党への政治献金であり、庁舎内での勧誘・配布は禁止すべきだ」と主張。全国47都道府県と1700あまりの市町村の地方議会に、同様の行為がないか実態調査を求める陳情書を発送したのである。  

これに危機感を抱いた日本共産党は「中央委員会書記局」名で都道府県委員会、地区委員会に対し、「陳情への対応」についての電話連絡を行った(2014年5月20日)。このなかで、小坪氏の陳情を「自治体、議会を反共と反動の党派的意図でもてあそぶもの」と切り捨て、詳細かつ具体的な対応を指示した。  

自民党中央も動いた。同党組織運動本部は竹下亘本部長と吉野正芳地方組織・議員総局長の連名で、各都道府県連の幹事長に対して、注意喚起と実態把握を同年6月18日付で通達。「議員の立場を利用して半ば強制的に地方公務員に購読させているのであれば看過できない事態だ」などとし、議員の地位利用や庁舎管理規則に反している場合には「必要な対応」を取るよう呼び掛けた。  

もちろん、自治体の職員が政党機関紙を購読すること自体に問題があるわけではない。公務員は政治的中立性が求められる立場だが、プライベートで政党機関紙を購読することは、憲法第19条に規定されている「思想・良心の自由」で守られた権利だ。  

しかし、職員個人が庁舎内で政党機関紙を購読する場合は微妙な問題が生じる。何が問題かというと、「赤旗」の勧誘・配達・集金が庁舎内で行われていること、また、県議や市議が立場上弱い職員に対し、半ば強制的に勧誘を行っていることだ。この「強制勧誘」の実態については後述する。

地元住民からも懸念の声

庁舎内で勧誘・配達・集金が行われていることについて、懸念を抱く声は地元住民からも上がっている。たとえば配達についてだが、誰が配達するのかは自治体によってさまざまで、赤旗販売所の配達員が行うこともあれば、共産党議員が行うこともある。ある自治体では、職員のなかの労働組合員が配っていたりする。

いずれにしても、購読している職員のデスクまで届ける形がほとんどだ。デスクの上には、さまざまな個人情報や、一般には公開されない文書などが置いてある。守秘義務を課せられていない人が近づくとなれば、セキュリティ上の懸念が生じる。  

東京都世田谷区では17年11月、区民の女性がこれらのことを懸念し、区議会に陳情を提出した。女性は陳情を出すに至った経緯について、友人が区役所を訪れた際に職員の机上に「赤旗」が置いてあったのを見たことがきっかけだと説明した。  

また、労働組合に加入している区職員が早朝に職員のデスクへ配達し集金を行っていることや、昇任時に勧誘があり、断り切れず購読しているケースがあることを知ったという。陳情では、勧誘・配達・集金や購読の強制が行われないよう管理を徹底することなどを求めた。  

これに関して、世田谷区議会の企画総務常任委員会で、共産党区議は「思想・良心の自由」の観点から問題はないと主張したが、会派を超えて多くの区議から批判が噴出した。板井斎区議(公明)が、配達している職員が販売店から報酬を受け取っている可能性を指摘し、これを受けて区は報酬に関する調査と職員へのヒアリングを行った。  

区から報告を受けた陳情者の女性によると、配達していた職員と販売店の間に雇用契約は結ばれていないので賃金は発生していない、パワハラ的な勧誘が行われたという声はないとの回答だった。この陳情については、一応「問題なし」で片づけられた形だが、女性は「しっくりこない。公務員としての中立性はどうなっているのか、市民感情として疑問もある」と納得がいかない様子だ。  

前述したように、「赤旗」は共産党の機関紙なので党の宣伝の役割も果たす。選挙期間になれば、候補者の名前や写真が掲載される。職員の机の上に「赤旗」だけが置いてあれば、住民から政治的中立性を疑われても仕方がない。世田谷区が住民の不安を拭い去ることができたのかは疑問だ。

自治体ごとにかなりの温度差がある

一方、庁舎内での購読が禁止されるに至った自治体も存在する。神奈川県鎌倉市や福岡県行橋市では、議員の一般質問などをきっかけに庁舎内での勧誘・配達・集金が禁止になった。また、これらの動きを受けて、東京都中野区などでは、庁舎内で政党機関紙を購読することを禁止する通達が自治体側から発せられている。  

比較的最近の事例では、2018年6月、東京都狛江市議会の総務文教委員会で、職員の政党機関紙の購読状況に関して調査と問題の是正を求める陳情が審査された。  

市議からの批判も受け、市は庁舎内での「赤旗」の勧誘・配達・集金を禁止する意向を示し、「職員が(市民から)政治的中立性を疑われる可能性があるならば、庁舎内での勧誘・配達・集金は原則として禁止していきたい」 「(個人的に購読する場合は)自宅への配達が好ましい」と答弁。現在は、庁舎内で配達などが行われることはなくなった。  

また、集金についても問題視する声は多い。地方自治体では庁舎の保全や秩序維持のため、自治体ごとに庁舎管理規則が定められており、物品の販売や勧誘などについては事前に許可を得る必要があるとされている。ただ、政党機関紙の勧誘・配達・集金についての対応には、自治体ごとにかなりの温度差がある。  

政党機関紙の配達は「弁当の注文のように受動的な配達行為」であり、そもそも許可は必要ないと開き直る自治体もある。他方、神奈川県藤沢市は当初、議員による配達などの行為は市庁舎管理規則の適用対象外と判断したが、市民から昨年陳情が出され、賛成多数で採決。その後、執務室内への職員以外の立ち入りなどが制限された。

都庁で異様に多い配達員

一方、東京都は配達員に「営利行為・立ち入り許可証」を発行しているが、全国で他に発行している自治体はなく、異例の措置だ。この許可証はほかの機関紙の配達員にも同様に発行されているが、なぜかここでも「赤旗」配達員の数だけが圧倒的に多い。18年度時点では「公明新聞」の場合、公費での購読部数15部に対して許可証が発行されていた配達員が1人だ。一方、「赤旗」は35部(日曜版、都版を含む)に対し10人だ。19年度も、購読部数は36部とほぼ変わっていない。  

いくら都庁が広いといっても、36部なら配達や集金は1人で十分だろう。これを本庁舎に8人、議事堂に2人が現在も担当しているのだ。詳細については調査中だが、公費ではなく都庁内で個人購読している職員らに配達している可能性が大きい。その数は1000部近くに上るとみられる。

自治体職員の悲鳴

機関紙というのはその団体に所属する会員が購読するもので、その部数は通常、会員数を下回る。だが、「赤旗」は逆で、日刊・日曜版の合計購読部数が党員の4倍ほどに上る。全国の市町村の共産党議員が、支持者以外の人々に血眼になって「赤旗」を拡大しているためだが、その犠牲者は他ならぬ役所の職員なのだ。彼らの“悲鳴”を以下に紹介しよう。  

福島県の(株)東邦出版発行の月刊誌『政経東北』の2017年9月号は、庁舎内での政党機関紙の配達・集金・勧誘問題を特集。同県の地方公務員の次のような投書を掲載している。 「地方公務員への『しんぶん赤旗』販路拡大につきましては、日本共産党議員は、役所内で管理職に昇進した職員がいると、すぐにやってきて『しんぶん赤旗』の購読を迫ります。(中略)下手に断ると議員活動等で何らかの嫌がらせを受けるのではないかと思い、やむを得ず購読しているという実態です。  

さすがに、日刊版までとは言ってきませんが、党勢拡大を狙った日曜版の読者拡大が狙いです。これは公務員の弱みにつけ込んだ押し売り以外の何物でもありません。  

日本共産党は弱者の見方といいつつも、公務員の弱みにつけ込んだ手法で自分のノルマを果たしているのでしょう。しかも、日本共産党議員は、公務員の勤務時間中に職場にやってきて、勧誘、配達、集金をやっております。庁舎内での営業許可を取得しているかどうかは分かりませんが、政治的中立を求められる公務員に自らの政党機関紙を売りつけ活動資金にしているのです。個人の政治信条に反していても購読せざるを得ず、それが共産党の資金源になっていることは耐え難いと感じている公務員が大多数であると思われます。(中略)全国の都道府県庁、市区町村役所の本庁については、(管理職の「赤旗」購読が)8割を超えているのではないかとの印象です。それぐらい我が職場における日本共産党の押し売り営業はひどいものがあります」

共産党議員のパワハラ勧誘

石川県金沢市では、自民党の坂本泰広市議が昨年12月の議会で、政党機関紙の購読に関する独自調査の結果を公表した。同氏が、係長以上の職員で無作為に選んだ百人に電話調査を実施。その結果、課長級以上の職員の87%以上の購読が判明。購読者の約85%が議員からの勧誘によるもの、うち45%の人が圧力を感じ、しかもその全員が「断りにくい」と感じていたと伝えたという。  

さらに、坂本市議は職員から届けられた手紙を読み上げた。 「この手紙には職員の悲痛な叫びがつづられていました。大学に通う子供を抱えているのに、無駄な支出がふえ、いい迷惑だ。彼らが反対している家庭ごみ有料化よりもはるかにお金がかかります。家庭ごみ有料化でごみは減るが、政党機関紙はごみをふやすだけです。さらに、議員の個人名、そして複数の政党機関紙名を挙げたうえで、はっきりとパワハラだと。パワハラを受けていると書いているんです。職員に対するパワハラです」

これを受け金沢市は今年2月下旬、課長補佐級以上の一般職667人に対して、政党機関紙の購読勧誘に関する無記名調査を行った。その結果、うち537人が回答。「市議に庁舎内で政党機関紙の購読勧誘を受けたか」との問いに「ある」217人(40・4%)、「ない」314人(58・5%)だった。「ある」と回答したうち、「勧誘の際に心理的圧力を感じた」と答えたのは171人(78・8%)に上った。

元共産党市議の重大証言

“押し売り営業”の実態を、元共産党市議の証言で浮き彫りにしてみよう。  

兵庫県加古川市で、現在は無所属の井上津奈夫氏は2010年6月に共産党市議になった(のちに無所属となり、昨年6月引退)。職員の昇進が発表される3月下旬から4月はじめの間に、集中的に機関紙拡大を行ってきたという。当時を振り返って、井上氏はこう語る。

「職員の昇進が発表されて、次の新しいポストの席に異動する間が勝負でした。この時期が、1年のうちでもっとも『赤旗』拡大に力が入る時です。私を含む共産党の3人の市議が揃って昇進が決まった職員さんの席を訪ねて、『昇進おめでとうございます!』とお祝いの言葉を述べます。 議員3人から祝福されたら、たとえ相手が共産党であろうと悪い気はしない。『俺も、議員から祝福されるような立場にようやくなったのか』と嬉しい気分でいる、その瞬間を逃さず、『幹部になられるのですから、職務上「赤旗」も読んでください』と畳み掛ける。最初は『赤旗』日曜版。また、部長昇進の際は『赤旗』日刊紙に切り替えてくれるよう頼みます。一度、購読してくれた職員さんは、よほどのことがない限り、退職されるまで読者でいてくれます」

「昇進おめでとう」作戦の対象は、係長級、副課長級、部長級などで毎年百人ほどにのぼる。だが、このうちの半数近くはすでに購読しているため、残りの約50人の職員に対して、3人で3日間かけて取り組んだ。うち、30人以上が購読を了承してくれたという。井上氏は、こうした強引な拡大手法に嫌気がさして、3年目は1日だけ付き合い、4年目には1日も参加しなかったという。  

東京都庁でも例外ではない。ある共産党関係者は、「共産党都議団は人事発表のある1日か2日前に、人事の情報をいち早く入手。誰が課長や部長に昇進するかをチェックするとともに、退職者についても目を通す。昇進する職員を都議が手分けして回ってお祝いの言葉を述べ、『赤旗』購読を勧誘する。  

一方、『赤旗』購読者で退職する職員も訪ねて、ねぎらいの言葉のあとに、これからは自宅で引き続き『赤旗』を購読してくれ、と頼むのだ」と内情を明かした。

「共産党、社民党の議員さんからクレームが来ました」

先述した金沢市の山野之義市長が実態調査に踏み切ったのは、2016年2月以降、全市議に「政党機関紙の購読勧誘に当たって公務の中立性・公平性を保つための配慮を求める文書」を通達したものの、一向に改善の兆しが見られなかったためだった。  

今回の調査結果を踏まえて、同市長は3月22日付で「政党機関紙の購読勧誘にかかる配慮について」と題する文書を同市議会の清水邦彦議長あてに送った。勧誘・購読の自由を認めながらも、「庁舎内におけるそのような行為によって、公務の執行が中立かつ公平に行われていないのではないかという懸念を市民が抱く可能性も否定できない」として、適正な対応を求めたのである。  

坂本市議によれば、同氏の議会質問や市長が出した「是正」依頼文のお陰で、職員が政党機関紙購読を断る理由、根拠になり、既購読者の解約が進み、購読者数は大きく減ったという。

「共産党、社民党の議員さんからは私にクレームが来ましたけど、多くの職員からは、異口同音に感謝の言葉をいただきました。平成27年7月1日に初めてこの問題を取り上げてから3年半余りの歳月を要しましたが、一つの成果が上がって嬉しく思っています」と坂本氏は語る。  

このように狛江市や金沢市など、公務員の中立や公正に意識の高い議員や首長のいる自治体では、問題が大きく改善されている。その一方で、東京都はじめ全国の庁舎内では、依然として共産党員が大手を振って赤旗の勧誘・集金を行っている実態を忘れてはならない。

C8nqavaxsaatv2l  以前購読した杉田水脈氏の著書「なぜ私は左翼と戦うのか」に、彼女の西宮市役所勤務の時の経験が語られていましたが、「市役所の職員になるとすぐに労働組合加入を強制され、係長になると、赤旗購読が義務付けられた」と、まさにこのコラムの通りの体験をしたことが綴られています。

そして勇気をもって赤旗を取らなかった彼女の上司に対しては「彼の部署の職員全員に、共産党の市議による執拗な嫌がらせが始まった」そうです。そして赤旗を取ることが逃れられない宿命のよう感じたと述べています。

このような政党が「弱者の立場」に立った政党とはとても思えません。資金を調達するためには恐喝も辞さない、まるでヤクザと同じではありませんか。日本のためではなく政党のためにしか働かない議員たち。このような政党の議員を一人たりとも当選させないよう、日本人は自覚をもって選挙に臨むことを希望します。

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2019年11月 1日 (金)

バグダディの襲撃、トランプ氏「泣き叫び犬のように死んだ」

20191101_ms_ns15thumb1920x10807813  今回は星槎大学大学院教授佐々木伸氏による投稿記事『「泣き叫び犬のように死んだ」トランプ氏、IS指導者の自爆を発表』(WEDGEInfinity 11/1)を取り上げます。直接日本とは関係のない作戦のようですが、無関心では済まされない出来事であることには違いありません。

 トランプ米大統領は10月27日朝緊急会見し、生死が謎に包まれていた過激派組織「イスラム国」(IS)の指導者アブバクル・バグダディが前日、シリア北西部で米特殊作戦部隊の急襲を受け、自爆して死亡したと発表した。ISはバグダディの死亡でその象徴を完全に失うことになった。トランプ氏にとってはシリアからの米軍撤退の追い風になった。

追い詰められ3人の子供を道連れ

 大統領の発表によると、バグダディの隠れ家を特定する作戦は2週間前から始まった。当日は米軍部隊が8機のヘリコプターに分乗し、急襲の現場まで行った。大統領やペンス副大統領、エスパー国防長官らがこのもようをホワイトハウス地下の戦況分析室で見守った。国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの殺害作戦が行われた時も、オバマ前大統領らが同じように作戦を監視していた。

 大統領は明らかにしなかったが、他の情報によると、バグダディの潜伏先はトルコ国境まで約5キロのシリア北西部イドリブ県のバリシャ村だった。ヘリはシリアに介入しているロシアの管轄空域を飛行するため、ロシアから攻撃を受けないよう、作戦に先立って「大切な任務」と伝え、了承を得た。急襲の米部隊は「デルタフォース」が中心だった。

Kuroi_baghdadi_bombingw640  バグダディの潜伏先にヘリが到着した際、地上から銃撃を受けたが、米側に損害はなかった。この際、IS戦闘員ら約10人が殺害された。潜伏先の建物の正面入り口には、わな爆弾が仕掛けられている可能性があったため、米部隊は建物の側壁を爆破し、そこから突入した。

 バグダディは、軍用犬に追われて、建物から通じたトンネルに逃げ込んだが、トンネルは行き止まりになっていた。追い詰められたバグダディは3人の我が子を道連れに、身に着けていた自爆ベストを爆破し、吹っ飛んだ。遺体の一部のDNA鑑定でバグダディであることが特定されたという。

 大統領はバグダディが終始「泣き叫んでいた」とし、「犬のように死んだ」「臆病者のように死んだ」と述べた。さらに「異常で、邪悪なヤツだったが、今や消え去った。米国にとっては素晴らしい日になった」と成果を誇示した。大統領はバグダディが死亡したことを、シリアからの米軍撤退の“大義名分”にしたい考えで、撤退の動きが加速すると見られている。

 米紙などによると、作戦の発端はイラク情報当局がISの捕虜の尋問から、バグダディの隠れ家数か所を突き止めたことだという。米部隊が急襲したのはそのうちの1つだった。バグダディは米部隊の急襲作戦の48時間前にその隠れ家に到着したばかりだった。

アルカイダとの統合を協議か

 意外だったのは、潜伏先がシリア北西部のイドリブ県だったことだ。壊滅される前のISの支配地はシリア北東部からイラク北部にまたがっており、バグダディが潜伏しているとすれば、シリアとイラクの国境地帯の可能性が高いと見られていたからだ。しかもイドリブ県は、ISとはけんか状態にあった国際テロ組織アルカイダ系の「シリア解放委員会」(旧ヌスラ戦線)の根城である。

 イドリブ県は、シリア反政府勢力の最後の拠点だ。「シリア解放委員会」は「自由シリア軍」などの反政府勢力と混在する形で、約3万人の武装勢力を保持していると見られている。バグダディはそうしたアルカイダの支配地に潜伏していたわけで、アナリストは「壊滅状態のISとアルカイダの統合の話を協議するためだったのではないか」と指摘している。

 ISの首都ラッカが陥落した後、逃亡したIS戦闘員の一部が「シリア解放委員会」に合流しており、バグダディが組織的な統合を図ろうとした可能性は十分あり得る。特に、シリアのアルカイダ系組織の中で、最も危険だとされる「フラス・アルディン」という謎の組織の存在が浮上している点も懸念の的だ。

 同組織は、元々はアルカイダの指導者アイマン・ザワヒリが西側への攻撃を画策するためシリアに送り込んだものとされる。米国が小規模ながら最も危険なテロ組織として警戒していた「ホラサン・グループ」の後継で、2018年初めに「フラス・アルディン」に変わった、という。この組織がISと接触しているとすれば、「極めて深刻な事態」(アナリスト)と言わざるを得ない。

 バグダディ亡き後、ISは誰が指導していくのか。ほとんどの幹部は米軍などに殺害されて残っていない。唯一名前が知られているのは、ISの公式スポークスマンとされるアブ・ハッサン・ムハジールという人物だが、その実態は全く不明だ。トランプ大統領は「バグダディの死亡で世界はより安全になった」と宣言したが、バグダディが示した「カリフの府」の過激な思想は中東から、アフリカやアジアにまで急速に拡散を続けている。

 トランプ大統領は成果を誇張していますが、この記事の終わりに述べられていることが事実だとすれば、ぬか喜びに終わっているのかもしれません。いずれにしてもイスラム過激派によるテロは今後とも続くのは間違いなく、日本にその火の粉が飛んでこないことを祈るばかりです。

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