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2019年11月12日 (火)

三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(後編)

20190823151153 今回は前回に続いて朝鮮近現代史研究所所長松木國俊氏のコラム『日韓全国民必読の全真相 三一独立運動の韓国資料は「ホラー小説」(後編)』(Hanadaプラス 11/8)を取り上げます。



「日本が三一独立運動を弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺した」という韓国側の主張は全くの嘘である。韓国の歴史歪曲にはきっちりと反論し、貶められた日本の名誉を回復しなければならない。そのためにも三一独立運動の真の姿を知る必要がある。日韓全国民が最低限知っておくべき歴史の真実。

目次

  • "英雄"柳寛順は拷問死ではない
  • 三一運動を批判した韓国人もいた
  • 朝鮮人が歴史上初めて公正な裁判を受けた瞬間
  • 主要リーダーはその後、強烈な親日家に転身
  • 愛国者なるがゆえに親日になったと主張した李光洙(イグァンス)
  • 中心的役割を演じた崔燐(チェリン)
  • 「独立宣言」を起草した崔南善(チェナムソン)
  • 真実の歴史を突き付けよ

"英雄"柳寛順は拷問死ではない

韓国で三一運動の英雄とされている柳寛順については、東京書籍の教科書(平成14年発行)にも「16歳の少女柳寛順は三一独立運動への参加を呼び掛けたために、日本軍に捕らえられて、厳しい拷問を受けて命を奪われました」と書いてある。   

だが、これも朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』に基づいた記述に違いない。朴殷植はこのなかで、「逮捕されて拷問にかけられたものは10万人に達した」、さらに「逮捕された女学生は裸体で十字架に張り付けられ、髪を引っ張られると髪の毛も皮膚もともにげ落ちて血が溢れるように流れ、大地を染めた。日本の野蛮人どもは大笑いしてこの残虐を楽しんだ」と書いている。これでは、まるで変質者だ。  

しかしあろうことか、韓国の教科書ばかりか日本の教科書までがこれをそのまま信じて、独立を叫んだために残虐な拷問で殺された「ジャンヌ・ダルク」として柳寛順を描いているのだ。  

実際には、日本統治時代を通して朝鮮総督府は拷問を禁止しており、拷問した者は懲役3年以下の罰則も設けられていた。金完燮は『親日派のための弁明2』(扶桑社)のなかで、「当時憲兵警察6人と警察2人を殺害し、官公署を破壊放火した朝鮮人被疑者に対しても拷問を加えなかったという日本政府の記録から見て、1年6カ月の軽犯罪である柳寛順を拷問したというのが虚偽捏造であることは明らかだ」と断言している。  

さらに彼は、「彼女の死因はデモ現場での負傷や獄中での反抗による体力消耗などが原因だった」と指摘している。  

彼女の両親はプロテスタントの「監理教」の信者であり、幼い頃から教会で反日思想を叩き込まれていた。間違った思想の犠牲となった点において、「大韓航空機爆破事件」を引き起こした金賢姫と同列ではないだろうか。

三一運動を批判した韓国人もいた

三一運動において一般大衆は過激な暴徒による暴力や放火、略奪の被害者であり、この運動は決して朝鮮民衆の支持を得たものではなかった。  

知識階級のなかには朝鮮の置かれた立場を冷静に分析し、外国の植民地にされずに朝鮮民族が近代化を達成する道は日本と一緒になる以外にないと考え、三一運動を批判した人々も大勢いた。  

閔妃の血統に繋がる閔元植(ミンウォンシク)もそのなかの一人である。彼は1887年に生まれ、12歳の時に単身日本に渡った。そこで副島種臣に出会い、福岡県知事の庇護を受け、その後、伊藤博文に拾われて統監府で働いている。併合後は利川や高陽の郡守(市長)に任じられた。彼は郡守時代に三一運動に遭遇しており、事件後に「朝鮮騒擾善後策―鮮民の求るところは斯(か)くの如し」という論文を書いて三一運動の本質を総括している。長文なので、その核心部分のみ引用してみる(『日韓2000年の真実』名越二荒之助編著・株式会社国際企画より)。

「このたびの三一独立運動の近因は、米国大統領ウィルソンの提唱した民族自決主義を、欧州戦争となんら関係のない朝鮮にも適用されるものとする誤解から起こった。もしくは誤解を装うて、ひょっとしたらうまくゆくかもしれないと狙った在外朝鮮人の煽動に由来した。もっと言えば初めから実現できないと知りつつ妄動を企てた感がある。常識的にみれば狂気の沙汰と言えよう……。

日本政府は併合以来10年近く朝鮮人の生命財産を保護し、国利民福を向上させる点において用意周到であった。運輸交通、金融機関の整備、農工各種産業の発達等、旧韓国時代の悪政から朝鮮人を解放し、夢想もしなかった恵沢をもたらした。にも拘らず朝鮮人の性情が偏狭・我執に傾いているためか、口では感謝しながら、心では淋しさを感じ、朝鮮人の自尊心を傷つけるなどと思うものが多い。

さらに朝鮮人は米国を世界の自由郷、現世の楽園のように思っているものが多い。しかしそこは白人の天国であって、有色人種の人権はほとんど認められない。  

パリ平和会議で日本が人種差別撤廃を提案したが、オーストラリアのヒュース首相が強硬に反対し、それを真っ先に支持したのはウィルソン大統領ではなかったか。米国の庇護に頼って光栄ある独立が達成できるなど不可能の事である。日本統治下の朝鮮人は、米国に比べて遥かに幸福であることを認識し、穏当な方法によって民権を拡大してゆくことを構ずべきである」  

閔元植のような考えが正しかったことは、その後の朝鮮半島の急速な発展によって実証されている。

朝鮮人が歴史上初めて公正な裁判を受けた瞬間

日韓併合によって、朝鮮半島は古代国家の体制から一挙に近代法治国家体制へと脱皮した。  

李氏朝鮮時代の残酷な刑罰や拷問は禁止され、先に述べたように拷問した者は「3年以下の懲役」という刑罰も設けられている。  

しかしながら、どこまでも日本を貶めたい朴殷植は『朝鮮独立運動之血史』のなかで、三一運動を含む独立運動への憲兵・警察の対応について、次のように書いている。

「憲兵警察の朝鮮民族に対する彼等が行った数々の犯罪について、これをいちいち例証するならば、万巻の書をもってしても不可能であろう(中略)。およそ警察が犯罪者だと目すると、彼等は朝鮮人に限り、司法上きめられた手続きによらずして、ただちに逮捕を行い、当事者だけに限らず、その親族や朋友にまで累を及ぼし、事実の有無、事の軽重などは少しも頓着なしに、無差別な拷問を加えた。そのうえで尋問をし、その後数十回に及ぶ非人道的拷問がくりかえされ、被疑者が人事不省におちいり、すてばちになり自暴自棄の心理状態に陥ること数日(中略)彼等の調査に一度ひっかかると間違いなくそのまわりの人々が累災にあい、重罪に処せられた。(中略)刑事被告人には二十種以上の責め道具で拷問を加え、自白をすれば犯罪調書を偽造し、絶対に被疑者等の免罪を再審することができないように仕組まれていた」  

時代考証が全くできていないフィクションである。親族にまで累を及ぼす「連座制」は、日本では江戸時代1742年の公事方御定書でとっくの昔に廃止されている。朝鮮では日韓併合によって最終的に廃止された。日本が統治する20世紀の近代法治国家で「連座制」などあるはずがない。また、前述のとおり拷問は禁止されており、「20以上の責め道具で拷問」したのは李朝時代の話なのだ。

では、実際に日本は三一暴動をどのように処理したのだろうか。金完燮『親日派のための弁明2』(扶桑社)によれば、三一暴動で検察に送検された被疑者は、1919年5月8日時点で12668人、このうち3789人が不起訴処分で釈放され、6417人が起訴されている。(残りは調査中)その後一審で3967人が有罪判決を受けたが、日本人の憲兵6名と警官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、最高裁判所の判断で内乱罪は適用されず、保安法と出版法しか適用されなかった。  

そのために死刑は1人もおらず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人にすぎない。しかもその後、大幅に減刑され、実際にこの事件で3年以上の懲役刑はほとんどなかった。さらに、1920年の大赦免でそれぞれの刑期が半分以下となっている。  

極刑を嫌う日本人の加える罰は極めて軽く、朝鮮人は歴史上初めて近代的な司法制度のもとで公正な裁判を受けたのであった。

主要リーダーはその後、強烈な親日家に転身

この時に逮捕された三一運動の主要リーダー崔麟(チェリン)、李光洙(イグァンス)、崔南善(チェナムソン)、朴熙道(パクヒド)たちは日本の裁判のあまりの公正さに感激し、やがて強烈な親日家となって、1930年代の言論界をリードすることになる。では、その後の彼らの主張を見てみよう。

愛国者なるがゆえに親日になったと主張した李光洙(イグァンス)

独立宣言に先立って学生たちによって発表された「二・八独立宣言」を起草した李光洙は、一端上海に亡命したがすぐに転向し、2年後に次のように主張している。

「半島人自身を救うのは、決して自由でも、独立でもない。勤勉と努力である。彼らはいたずらに半島の独立を叫ぶより、まず精神の独立を図らなければならない」  

李光洙は当時の朝鮮の実状を冷静に見据えながら、人々にそう説いたのだ。  

さらに彼は日鮮同祖論の立場をとり、「2000年前は一つの民族であった……朝鮮人は朝鮮人であることを忘れなければならない。わが国日本を守るために、我々は大日本帝国の臣民としての責務を全うしよう」と呼びかけている。  

終戦後、彼は若者を親日に煽動した代表的売国奴として投獄されたが、一切懺悔せず、自分は愛国者なるがゆえに親日になったと主張した。彼が無謀で実益のない独立運動から身を引いて朝鮮人の地位向上に尽くしたのは、彼の良心と勇気、そしてなによりも朝鮮民族に対する深い愛情がそうさせたに違いないだろう。

中心的役割を演じた崔燐(チェリン)

三一運動の首謀者として中心的役割を演じた崔燐は懲役3年に処せられたが、2年後には仮出獄した。出獄後は独立運動から自治権獲得運動へ方向を変え、当局の計らいでアイルランド等への視察にも出かけた。1934年には中枢院参議に任じられ、その折に次のような言葉を述べている 「真心と赤誠をもって朝鮮人は帝国臣民たることを自覚・自認し、日本人は朝鮮人を真の同胞国民として認めねばならない。内心に爆弾と剣を抱いて、日本国民でござると仮装・偽装し、同一同胞と言いながら優越感を示すならば、これまた渾然一体の日鮮一家は成立し得ない。朝鮮の民族性を尊重し、朝鮮文化を崇拝しながらも、我々は日本帝国臣民たることができ、日本帝国の世界に対する使命に貢献しながら、大東亜の平和に尽力することができるのである」  

複数の民族が共存して一つの国をなすうえで、現在の世界にも十分通じる言葉ではないだろうか。

「独立宣言」を起草した崔南善(チェナムソン)

崔南善は三一運動において「独立宣言」を起草し、懲役2年6カ月の判決を受けたが、刑期満了を待たずに1921年10月に仮出獄した。出獄後、彼は朝鮮銀行総裁美濃部俊吉の資金援助によって雑誌『東明』を発行。日本の出版物の翻訳など日本文化の普及に力をいれた。1928年には朝鮮史編集委員となり、中枢院参議にも選ばれている。  

1943年に彼は李光洙らとともに勧説隊として渡日し、明治大学、東洋大学その他の大学に学徒兵督励のために遊説した。その時の彼の演説は次のようなものであった。 「昔から、春秋に義戦はないといわれているが、今度の戦争を義戦──聖戦といわずして何といえようか……大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに行くことは何と快心事であることか。……日本国民としての忠誠と朝鮮男児としての意気を発揮して、一人残らず出陣することを願う次第である」  

このような三一運動の闘士たちの熱烈な呼びかけによって、多くの朝鮮の若者も大東亜戦争の大義のために立ちあがった。戦いには敗れたものの、大東亜戦争を戦ったからこそ人種平等の世界が地球上に実現した。そしてその陰に、数多の朝鮮の人々の活躍があったことを我々日本人は記憶に留めておかねばならない。

Images-4_20191112110701 真実の歴史を突き付けよ

韓国では戦後歴史を歪曲し、日本統治時代を「不法な植民地支配だった」と決めつけて徹底した反日教育を行っている。その主要題材となっているのが三一運動であり、日本の官憲や軍隊による「残虐な弾圧」を子供たちに徹底的に教え込んでいる。しかもその根拠とされているのは、ここで明らかにしたように朴殷植が日本を貶めるために書いた『朝鮮独立運動之血史』という日本を貶めるために書かれた「ホラー小説」なのだ。  

今回の日本政府による貿易管理強化に対して韓国人が「クレージー」と思えるほど過激に反応しているのも、「ホラー小説」を信じて日本を「悪魔の国」と思い込んでいるからにほかならない。相手が悪魔であるからには、日の丸を焼こうが何をしようが構わないのだ。  

だが、日本は部品や素材の供給ばかりか金融面でも韓国経済を支えている。日本のメガバンクが韓国から資金を撤収すれば、韓国はひとたまりもないだろう。反日に狂い盲目的に突っ走って日本との断交を招けば、韓国は滅亡するしかないのだ。  

彼らを目覚めさせ、同時に日本人の名誉と誇りを守るためには、歪められた史実を糺し、真実の歴史を彼らに突き付けなければならない。それなら、まず三一運動をめぐる韓国の歴史歪曲に対し、次のように敢然と反論すべきであろう。

「日本が三一運動を弾圧し、多くの朝鮮人を虐殺した」という主張は全くの嘘である。なぜなら三一運動に内乱罪は適用されておらず、日本の憲兵隊や警察は破壊活動を行った暴徒を取り締まったのみである。拷問もなく、刑罰も軽微であった。そして何よりも柳寛順をはじめ「三一運動に加わった」という理由で逮捕された者は一人もいなかったのだ。

戦後70年以上にわたって刷り込まれてきた、「日本=悪魔の国」の概念は、一朝一夕には拭えないでしょう。そして歴史の真実を説く朝鮮人は悉く親日派のレッテルを貼られ投獄されていく。これでは「真実の歴史」を彼らに突き付けても、それに同調する流れは韓国内で容易に起こることはありません。しかしそれでも韓国のみならず全世界に向けて、韓国の嘘の歴史を正し、真実の歴史を複数の国の言葉で拡散していく努力は惜しむべきではありません。

それと同時に、日本の併合時代の投資や制度・インフラの改善が朝鮮の近代化に資したということの裏返しに、多少遅きに失したきらいもありますが、今後経済金融一切の交流を止めてしまい、日本の影響力を彼らに知らしめることも重要かと考えます。

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