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2019年11月15日 (金)

謝罪の声が聞こえない、神戸いじめ教師と教育委員会

Photo_20191115180501  今回は神奈川大学人間科学部教授杉山崇氏のコラム『神戸いじめ教師と教育委員会が逃げ込んだ「いつもの世界」』(iRONNA 11/11)を取り上げます。

 「学校」は、日本人であれば誰もが経験してきた場です。良い思い出が詰まっている人もいれば、苦い思い出を残す人もいることでしょう。

 人生初期の多感な時期を過ごす場ですから、子供同士のいさかいもあるわけで、決して「天国」ではありません。しかし、その場が「地獄」にならないように、力を尽くしてくれる存在が教師です。

 私はたくさんの公立学校でスクールカウンセラーを務めてきましたが、「教師を信頼しているから、辛いことがあっても学校に行ける…」と漏らす生徒さんもいました。信頼できる教師の存在が生徒の支えになっているのです。

 しかし残念ながら、学校と教師に対する信頼が揺らぐ出来事が神戸市でありました。市内の小学校で起きた同僚教師に対する集団いじめです。

 被害教師たちの日々の絶望や苦悩を思うと、胸が痛くなります。被害教師にとって、小学校は地獄のように感じられていたかもしれません。

 この出来事だけでも十分酷いことで、あってはならないことです。しかし、その後の学校や教育委員会の対応にも疑問の声が上がっています。

 まず、加害者は被害者に対して謝罪することが何よりも必要なはずですが、加害教師ら本人の謝罪の声が聞こえません。神戸市教育委が謝罪の言葉を公表していますが、被害者当人よりも家族に謝罪している加害教員もいます。

 あまりにトンチンカンな内容に、インターネット上で謝罪文を添削する「赤ペン先生」が全国で続出するありさまです。私も文章を読ませてもらいましたが、被害者へのおわびの気持ちが伝わらない印象はぬぐえませんでした。

 また、ツイッターでは「教師たちの反省文じゃないからです。教育委員会が、事情聴取で聞いた言葉を拾って作りました(中略)」という指摘もあります。この指摘が本当であれば、加害教員らは何の反省もしていないのかもしれません。

 被害者は被害教師だけにとどまりません。ショックで不登校になった児童もいると報じられています。

 また、登校している児童も、学校と教師に不信感を抱いている可能性は十分にあるわけで、心中穏やかでないことでしょう。学校に行かせている保護者も心配のことと思われます。

7023147_ext_col_03_0  そのような中で、校長が涙の謝罪会見を行ったのは救いです。ただ、カレーが暴行に使われたということで、市教委が打ち出した「給食のカレーを休止する」「家庭科室を改装する」などといった対応策は、児童や保護者の心中をどこまで考えているのか、疑問に思ってしまいます。

 では、なぜこのような事態に陥ってしまったのでしょうか。私がスクールカウンセラーを務めていて、まず気づいたのは教師の構造的な忙しさです。

 2018年調査の経済協力開発機構(OECD)国際教員指導環境調査(TALIS)によると、世界で最も勤務時間が長いのは日本の教師で、小学校で1週間あたり54・4時間、中学校では56・0時間にも上りました。世界平均では38・3時間なので、ダントツに長いことが分かります。授業時間そのものは世界平均の水準なのですが、特に課外活動の指導や事務業務、授業の計画や準備の時間が長いのが特徴です。

 私は教育委に勤務していたこともありますが、教師と同じく極めて多忙です。統計や国際比較のデータはありませんが、学校現場と同様に業務に忙殺されていることと思われます。

 このような忙しさの中では、「いつも通り」物事をこなすのが精いっぱいになってしまいます。今回のような問題が起こったとしても、真剣に事態と向き合って考える余裕もないことでしょう。

 また、多忙は、考えると苦しくなる問題から目をそらして否認する「道具」にもなり得ます。「強迫性障害」という異常心理がありますが、これは気にしなくてもよいことを気にしてしまって、無意味な行動を繰り返したり、本当に必要な行動が取れなくなる状態を言います。

 強迫性障害の全ての人に当てはまるわけではないですが、何かを気にして心を忙しくすることで「本当にヤバいこと」を考えないように逃げていることが知られています。

Images-10_20191115180601  実際、いじめの「首謀者」とされる女性教師の謝罪の言葉に、「子供たちを精いっぱい愛してきたつもりですが…」という件(くだり)があります。被害者と向き合うのではなく、教師としての自分の仕事に向き合おうとする姿勢がうかがえます。これでは、加害者としての自分から逃げているかのように感じられてしまいます。

 心理学では、このように「いつも通り」に逃げ込んで、問題と向き合わない現象を「恒常性錯覚」と呼びます。この錯覚は、防災などの危機管理を考える際のキーワードとしてよく使われます。危機的な状況でこの錯覚に陥ると、危機がさらに拡大するからです。全ての人とは言いませんが、加害教師らも市教委も恒常性錯覚に陥っているのかもしれません。

 錯覚にはまる要因は、先に指摘した多忙さだけではありません。日本の学校には、100年以上も脈々と受け継がれた文化と伝統があります。

 また、義務教育は日本国憲法で定められた国民の三大義務であり、決して無くなりません。実は、このような特徴にも恒常性錯覚を起こしやすい背景があると言えるでしょう。

 今回の教師いじめは一種の集団暴行であり、学校教育は大きな危機を迎えたといっても過言ではありません。その中で恒常性錯覚に陥ったままに対応を誤ると、学校教育への信頼がますます揺らぐことでしょう。

 恒常性錯覚は、心理学者としての私が指摘した懸念ではありますが、これが本当に懸念にすぎないことを祈っています。日本の学校教育に育ててもらった一人として、国民に広く信頼される学校教育であってほしいと思うばかりです。

 学校における教師同士のいじめ事件、それも先輩教師が後輩の教師をいじめる、その手口ややり方はいじめを通り越してもはや暴行です。そしてまた今度は消防署で同様な事件が起こりました。それはむしろもっとひどい手口のような気もします。

 両方とも狭い閉鎖された組織内の出来事です。以前のブログでも取り上げましたが、公序の欠落した個人の自由を謳歌する戦後教育の影響は少なからずあるものと思われます。日本が少しずつ崩壊しているように思われてなりません。

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