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2020年3月 8日 (日)

今は国民一体となって、コロナ対策に向かうべきだ

6_20200308120801 私はかつてある研修会で「理入と行入」と言う言葉を聞いたことがあります。あることをしようとする場合、「理入」つまり理論、理屈から入る場合と、「行入」つまり実践、行動から入る場合がある、と言うことだったように記憶しています。

 私はテニスが好きで(もちろん下手ですが)テニスを例にとると、「理入」は本を読んだりビデオを見たりして、一生懸命サーブやレシーブ、ストロークやボレーの理論を学習して、実践に生かそうとするやり方。一方「行入」はまずはラケットを振って、ボールに慣れて、相手と練習をして・・・、と言うやり方、と言うことでしょうか。

 テニススクールの教え方はどちらかと言うと「行入」かもしれません。コーチに理論を教わることは少なく、実践の方が多いかなあ、と感じます。一方学校での教育は「理入」に位置するのでしょうか。理科や数学はまさにそうでしょう。体育や美術などの例外はありますが。ただいずれにしてもどちらかに重点があるにしても、完全に一方だけと言うことはないでしょうね。

 そういう意味では新型コロナウィルス対策の中で「小中高の休学」「行入」に近いのかもしれません。その効果を理屈で考えるよりも、結果はやってみなければわからないという意味で、まず実践、やってみようと決断したのではないでしょうか。

 一方「中国・韓国からの入国規制」は、「理入」、つまり多くの感染者を出している国からの入国者を対象に、入国後の行動規制をする。やる前にこうすれば感染が広がらない、とあらかじめ理屈で考えて結論を出した、と言うことになります。時期の問題は別にして。

 ところが「理入」「行入」がままならない場合もあります。検査や治療です。これは理屈では片端から検査したほうがいいに決まっていますが、その能力の問題があり、そう簡単にはいかない、又検査が仮にできたとしても、治療体制が整っていなければ絵に描いた餅になります(死者が急増している韓国、イラン、イタリアなどがそうではないでしょうか)。つまり「行入」に制約が大きいのです。又治療に欠かせない新薬については、未知のウィルスと言うことで新薬開発に理論的な展開が難しい。「理入」がしづらいという現実があります。

 別に「理入」「行入」を持ち出さなくても、未知の疫病の対策は困難を極めます。ですから医療機関は勿論、政府、国民一体になって感染防止に取り組まなければなりません

 ですが政権批判をしたい人たちは、「行入」つまりまずやってみようとした政策には、理屈に合わない、根拠が薄弱だ、と批判し、「理入」つまりやる前にいろいろ考えて、やるのが遅れれば、やるのが遅い、なぜやらない、と批判する。

 「行入」「休校要請」も関係者が困惑していると批判し、「理入」「入国規制」も遅すぎると批判するのです(実は私も遅すぎると思う一人です)。規制するな、と言う暴論もありますが。

 政治評論家の田崎史郎氏はテレビの報道番組で政府を代弁して、「やっても批判され、やらなくても批判されるのなら、やって批判される方がいい」と最近の矢継ぎ早の対策の裏話をしていました。ただ残念ながら検査、治療に関してはどんどんやる、と言えないところにこの感染症のむずかしさがあるのでしょう。

 繰り返しになりますが、この緊急事態を突破するのは「批判」ではなく「政府、国民、医療機関の一体化」だと思います。今批判をしている人たちは、批判ではなく代案を出すなり、有効な提案をして欲しいとつくづく思います。

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