「不安」「不満」「困惑」の声では、何の解決策にもならない
今やテレビのスイッチを入れれば、新型コロナウィルの話題ばかり。新聞も週刊誌もその話題で持ちきりです。実はこの話題に限ったことではないのですが、テレビでの街角インタビューや今クローズアップされている自粛要請業種へのインタビュー、「不安」、「不満」、「困惑」の言葉が飛び交っています。
確かに得体のしれない疫病で、どこまで感染が拡大するかわからない、感染拡大のための自粛もいつまで続くか見当がつかない、業者としてもどれだけ来店が減り、収入が減っていくのかわからない、休業要請を受けてもどれだけどのように補償してくれるのかわからない。
当然「不安です」、「不満です」、「困惑しています」という言葉が出てくるでしょう。それが連日、報道番組の度に街の声として映し出されます。
局とすればそうした街の声を拾って報道すれば、それはそれで実態を示すものとして有益かもしれません。しかしこうした声は感染拡大を防止させる効果は殆どないと言っていいでしょう。インタビューを受けた人は実感を述べたものと思いますが、半分以上はストレス解消にしかなりません。何故ならそれによって問題解決にはならないからです。
「不安です」という言葉の裏にも、いろいろな要因があると思いますから、一律には言えませんが、効果的な答えとしては「こういう不安があるが、これにはこうした解決策を考えている」。こうした答えの方が他の人に参考になります。
「不満です」も同様です。「ここに不満があるのですが、これついてはこうした対策をしていただければ、より良い形になると思います。」「効果と実現性を考えればこれが可能な方法だと思います。」というように。
「困惑しています」も同様でしょう。つまり「不安」「不満」「困惑」を言いっぱなしでは何の解決策にもなりませんし、そういうシーンを見ていても、「インタビュアーが言わせているのではないか。又繰り返し報道している。うんざりしてくる」としか思えないのは私だけでしょうか。
もちろん感染の統計的な分析や、医療現場の実態報道、疫病の感染予防などの報道は有益ですし、それは評価すべき点が多いと感じます。しかし街の声に限って言えば、ほとんどの番組がその声に同調し、コメンテーターがそれに上乗せして「不安」「不満」「困惑」を煽っているようにも感じます。
繰り返しますが、それは何の解決にもなりません。野党の政権批判と同じ類の論調です。「ではこうしたらいい」、「こういう対策や処置を取るべきだ」という提案型に変えることが求められます。もちろん効果と実現性を基にした提案です。尤も野党と同様、これをテレビ局に求めるのは無理でしょうか。
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