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2020年5月 8日 (金)

日本国憲法、歴史的意識欠如の欠陥と制定時のまやかし

Iwata3  5月3日は憲法記念日でした。新型コロナウィルスの感染拡大に日本全体が巻き込まれ、その話題集中の中で各界要人の出された談話は、マスコミの報道からはすっかりかすんでしまいました。しかし憲法は特措法より上位にあります。その憲法を見直すことは特措法の見直しと並行して重要だと思います。大和大学政治経済学部政治行政学科准教授で政治学者の岩田温氏が産経新聞に歴史的意識欠如の欠陥と制定時のまやかし」と題して寄稿しているので、以下に紹介します。

 憲法を論じる上で最も大切な視点は、国家を全体主義に陥らせないということだ。その意味で、近代立憲主義、つまり法を超えた権力は認めないという思想は重要だ。権力が暴走し、国民が不幸になってはならない。国民が持つ基本的な諸権利を守るため、立憲主義は決してないがしろにしてはいけない。

 立憲主義は大日本国帝国憲法(旧憲法)が制定された明治以後、わが国にしっかりと根付いていた。それは、全体主義国家とさえ評された先の大戦下でも旧憲法が機能し、徴兵や徴用なども法に基づき執行されていたことから明らかだ。また、旧憲法に先立って制定されたオスマン帝国憲法がわずか2年で停止されたことと比べても好対照だ。

 とはいえ、立憲主義だけでは不十分だ。確かに権利の制限はしない方がいい。それでも「危機に陥った時には私権の制限に踏み切る」という、いわゆる緊急事態条項がなければ政治は機能しない。それは、日本国憲法下のわが国が、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるための社会活動抑制を強制できず、混乱を招いたことで証明された。

 立憲主義と緊急事態条項はいわば車の両輪で、いずれも必要だ。「憲法守って国滅ぶ」とならないよう、早急に緊急事態条項を書き加えなければならない。

1条こそ危うい

 ただ、このような議論は、憲法についてほんの一部分しかとらえていない。それは国家について考えてみるとよく分かる。

 国家とは、過去-現在-未来を垂直に貫く歴史的共同体と、水平的、つまり同時代的共同体という縦、横2つの軸の交わりで理解するべきだ。そして憲法を考える際も、両軸を意識する必要がある。どちらを欠いてもおかしな姿になる。

 例えば、ルールを守っている限り、最大限の自由を享受できるという社会契約論が掲げる国家像には横軸しかない。そこには、自分を育ててくれた存在に対して当然抱くはずの感謝や愛着はない。自分の命を守るために国家を作ったのだから、国家のために命を尽くすわけがない。はっきり言って空理空論だ。

 そして、現在の国民が持つ諸権利を守ろうと志向する立憲主義は、横軸しか持たない社会契約論と同根と言わざるを得ない。

 “立憲主義者”を自称する憲法学者らは批判するが、国家最高の法である憲法に「過去どのような国であり、将来どのような姿を目指すのか」という歴史的な理念を書き込むことは、大いにやるべきだ。

 現在の憲法論議に欠けているのは、この意識だ。それを最も象徴しているのが「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とする1条だ。

 この条文はわが国の歴史を語る上で欠かせない天皇陛下の地位を危険にさらす。9条以上に問題だ。

 なぜなら、陛下の地位が国民の総意に基づくのであれば、崩御された際や御代替わりのたびに国民投票を実施するべきだという論理を否定できないからだ。

 そもそも、1条が掲げる「国民主権」という理念はフランス革命期の政治家、エマニュエル=ジョゼフ・シェイエスが編み出したものだ。彼は国民主権を君主主権の対概念として位置付け、王の主権を、人民が奪い取るべきだと考えた。

 このような経緯を持つ概念は、わが国の歴史にはなじまない。

 有史以来、わが国には君臣共治の伝統がある。さらに、旧憲法下でも、陛下は「統治権の総攬者」でしかなかった。王と人民が対立したヨーロッパのような歴史はない。

 そのようなわが国の憲法で、国民主権を強調する必要はない。にも関わらず、なぜこのような内容となったのか。それは、日本国憲法の制定経緯をつぶさに見れば理解できる。

「マック憲法」

 日本国憲法の草案を審議した旧憲法下最後の帝国議会は異例づくめだった。

 昭和21年4月の総選挙に先立ち、連合国軍総司令部(GHQ)は、多くの立候補予定者を恣意的に公職から追放した。その上、選挙後には、比較第一党の党首だった鳩山一郎をも追放した。このような議会でGHQの意向を忖度しない自由な議論がされたと考えることは不可能だ。わが国の歴史を意識した議論など、交わされるはずがない。

 それだけではない。検閲も厳しかった。「こんな憲法を作りやがって」という批判はもちろん、「素晴らしい憲法を作ってもらった」という肯定的な論調も対象だ。GHQが憲法改正に関与したとわずかでもほのめかせば出版を許可しないという徹底ぶりだった。

 憲法を定める権力は帝国議会議員にはなかった。国民にも、昭和天皇にもなかった。GHQの最高司令官、ダグラス・マッカーサーが握っていた。故・中曽根康弘元首相が名付けた「マック憲法」という表現が一番しっくりくる。

 この点からして日本国憲法の三大原則の1つ、国民主権が、いかにまやかしであるか分かる。

「つまらぬ一歩」でも

 日本国憲法は戦後、一言一句変えることができない「不磨の大典」だった。

 そんな中、安倍晋三首相は9条に自衛隊を明記するという案を掲げ、憲法改正に意欲を示した。

 原理原則からいえば、この改正案が可決されても大学の法学部から自衛隊違憲説が消えるだけで、現実はほとんど変わらない。つまらぬ一歩でしかない。

 しかし政治家は革命家ではない。そんな一歩でも進むことこそが大事だ。政治日程を考えると、非常に厳しい。それでも安倍首相には憲法改正を成し遂げてもらいたい。現実は一歩一歩しか変えられないのだから。


6_20200508114901  現実に自衛隊は存在していますし、かつ様々な形で活動し、特に災害などの国難の時に大きな力を発揮していて、殆どの国民にその存在を肯定されていながら、解釈論はいろいろあっても憲法条文9条の2項には完全に違反しています。そして多くの憲法学者が違憲と判断している。こんな条文を自衛隊発足後そのまま70年も放っておいて、なおかつ自衛隊を認めているどの野党も憲法改正を言い出さないのは、本当に異常だと思います。

 この問題は、9条を改正すれば戦争できる国になる、世界の隅々まで自衛隊が行ってまた戦争に加担する、戦前の軍国主義に戻ってしまう、徴兵制もしかれる等々、リベラル左派の主張に国民の多くが洗脳されているからでしょう。マスコミもそういった主張の方に傾いた報道をします。

 岩田氏が述べているように、こうした国民を納得させるためには、つまらない一歩でも、という考えは同調に値します。しかし本当に有事が発生する。今回の新型コロナウィルスの状況をはるかに超えた有事、例えば多数の死者を出す国際テロや北朝鮮のミサイルの本土着弾のような有事が発生しなければ、本当に多くの国民はその必要性を感じないのかもしれません。残念なことですが。

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