「国家はなぜ衰退するのか」、2千年以上続く日本を守るために考えよう
昨日は「日本復活の処方箋」というタイトルで出口治明氏の講演内容を引用して論じましたが、様々な要因で日本の未来に暗雲が立ち込めているという意味での前提がそこにあり、それへの警鐘の意味を込めて記述したものです。
ところで日本は、2千年以上その国体を継続した世界でも唯一の国と言われています。その他の国々はこの間に、生まれては消えて、つまり日本のように継続した国はないと言うことです。
他の国に滅ぼされたとか、王や為政者が代わったとか、統治形態がまるっきり変わったとか、いずれにしても日本のように天皇というひとつの冠のもとに、継続してその国体を保った国はないのです(終戦直後はかなり危うかった経緯はありますが)。
何故続かなかったか、その最大の要因は戦争でしょう。勝者が敗者を駆逐し、その国のトップを抹殺し、勝者と入れ替わる。敗者はそこで国の断絶を余儀なくされます。次には植民地化、先住民の土地や資源や住民を収奪凌辱し、宗主国の傀儡国にする。そして中国に代表される易姓革命、次のトップが前のトップとその一族を滅ぼしてトップの入れ替えが起こり、体制も変えていく。
しかし20世紀に入ってからは、新しく独立した国は数多くありますが、滅んだり新たに植民地になった国は殆どありません。しかし国同士の様々な意味での格差は広がりました。その最大の格差要因は経済力です。つまり富める国と貧困にあえぐ国。もちろんその中間もありますが、なぜこのような格差が生じたのでしょう。その解の一つをダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソンが著した「国家はなぜ衰退するのか」に求めることができます。
彼らは象徴的な例として、アメリカとメキシコの国境に位置する町、ノガレスを取り上げます。アメリカではアリゾナ州、メキシコではソノラ州に属するその町は、国境を境にフェンスで区切られていますが、もともと同じ民族であり、同じ文化を持っていたようです。ところがその昔メキシコだったこの地は1853年にこの二つの国に別れました。その後現在に至って、アメリカ側の住民はメキシコ側の住民より3倍の所帯収入を得、インフラも充実、一方メキシコ側の住民は大人の殆どは高校すら卒業していない、公衆衛生は劣悪で乳児死亡率は依然として高い、と言ったような格差が生じているようです。
その要因は何か、一括りでいうと「公平、開放的な経済制度と収奪する経済制度」ということなのでしょう。この本の書評を公開した原真人氏の見解は次の通りです。
書評 自由・公平な制度が経済発展もたらす
世界には豊かな国と貧しい国がある。その差はどこから生まれるのだろうか。素朴だが、深遠な問いだ。つい決定論に走りやすいこの設問に、本書は、国家の経済的命運は経済的な制度が決める、つまり自発的な努力によって豊かになれるのだという仮説を示す。
ノーベル賞受賞の経済学者たちから大きな反響があったこの話題の書は、著者らが15年かけた共同研究の成果を一般読者に向けてまとめたものだ。英国の名誉革命や日本の明治維新、世界各国の過去300年の歴史を「制度」という視点から解釈し直した。
これまで国家間の格差の要因にはもっともらしい説がいくつもあった。地理説は進化生物学者のジャレド・ダイアモンドも提唱しているし、信仰や風習などの文化的要因、遺伝的要因に理由を求める説もあった。為政者無知説は経済学者に支持が多いという。本書はそのいずれも退ける。
実証研究から浮かびあがるのは豊かな国には自由で公平、開放的な経済制度があることだ。所有権が守られ、分配ルールが確立した社会では技術革新が起き、新産業が勃興(ぼっこう)しやすい。逆に貧しい国には権力者が国家を食い物にして民衆から収奪する経済制度がある。
本書がもう一つ強調するのは、経済制度を決めるのはその国の政治制度だということだ。豊かな経済をつくりあげたとしても、法の支配や政権交代が可能な民主制度の支えがなければ、結局それを維持できず国家は衰退してしまう。
本書の制度説は、一見ごく当たり前のようにも見えるのだが、実は多くの「常識」を覆す問題提起をはらんでいる。
たとえば米国の対中外交やイラク政策の根底にある近代化理論。すべての社会は成長とともに民主化に向かう、というこの考えを、本書は「正しくない」という。
また近年急成長する中国などの新興国は、いずれ先進国の経済水準に追いつくだろうと多くの人は信じている。ならば日本もやがて中国に追いつかれ、賃金や物価は中国並みになるのだろうか。それまで日本のデフレは続くのか。
本書の見解に従うなら、必ずしもそうとは言えない。中国の国家資本主義はいまは強さが目立つものの、民主化されていない政治制度のもとでバラ色の未来は描けない、と著者らはみる。私たちは中国発のデフレに極度におびえる必要はないのかもしれない。
昨今、世の中では効率が悪い民主主義や、政府の意にそわない頑固な中央銀行への批判が絶えない。だがそれらは長い目でみるなら、豊かな経済社会の礎を築くのに必要な機能なのだ。そんな点も含め、この本には、そこかしこに論争のタネが仕込まれている。
確かにアフリカや東南アジア、中東、南米に見る最貧国の多くは、為政者が独裁、収奪的で、国民の事より、自身や一族の利益を第一に考える傾向にあると言えるでしょう。それも発展途上の特徴であり、過渡期だと言えるかもしれません。
しかし今、日本や欧米の先進国の経済発展した制度や技術はいつでも移転可能でしょう。国民教育やインフラの整備にいくら時間がかかるとも、数十年のスパンで考えれば、韓国やマレーシアなどの成功例を見れば、可能だと思われます。
しかし恐らくこれらの国の為政者は、そんな長いスパンで考えることを忌避するのでしょう。自身の時代にしか目が届かないのかもしれません。そして自身や一族の蓄財に走る。国民は如何に貧困生活にあえいでも、自己の周りがハーレムであればいい。そもそも一代で成り上がった指導者はそういう罠に陥りがちです。
また資源の多い国であれば、米中欧などの巨大資本が虎視眈々とその資源を狙い、為政者を傀儡化して、つまり賄賂のようなものを渡して、お互いの利益を得る。そういった構図かも知れません。いずれにしろ、国を思い国民を思う「偉人」のような指導者が出てくるのを待つしかないのが現実でしょう。残念ながら「自発的な努力によって豊かになれる」というのはこうした指導者の下でなければ無理なような気がします。
以上述べてきたことを総括しても、日本は世界でもかなり大きな成功を収めた国の一つではないでしょうか。公平、開放的な経済制度は一応合格点でしょうし、しっかりとした法治国家でもあります。しかし上述のような、他の国を食い物にして日本を守ることは法的にも国民信条から言ってもできません。資源なき日本はそれ以外の方法で、国を永続させねばならないのです。
それは従来から言われているように、科学技術の発展向上に基づく産業の育成です。特にこれからは情報技術の向上が欠かせません。すでに米国のみならず中韓などより遅れを取っています。そして少子化のくい止めです。いくら技術を向上し産業を発展させようとしても、人がいなければ絵に描いた餅でしょう。さらに言えば・・・。
2千年以上国体が続いているのは本当に誇るべきだと思います。しかしその誇るべき国を危うくする要因はいくつかあります。その要因に向かって効果的に対応できるかどうかが、これからの日本の最大の課題でしょう。
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