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2020年5月26日 (火)

コロナ感染対策の最中(さなか)での、立憲民主の「不徳」の実態

2020051200000016jct0004view  昨日の新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言の全面解除を受けて、最後に残った5都道県の休業要請、自粛の解除が動き出しました。今後は第2波の発生を抑えつつ経済の回復を目指す、難しいかじ取りが続きます。いずれにしろ政府や自治体の自粛要請に応えてきた業者や国民の、強い協力があったからこそ収束できたことは間違いないでしょう。

 そうした中で政府に対し与党に限らず、野党からも様々な提言がなされました。だが野党第一党の立憲民主党の動きは、必ずしも感染拡大防止に対する、国民へ向けた真摯な動きではなかったようです。本日の産経新聞の記事から引用掲載します。タイトルは『支持低迷の立憲民主 コロナ禍で見えた「3つの不徳」』(千葉倫之氏 5/26)です。

 立憲民主党の支持率が低迷している。産経新聞とFNNの合同世論調査では4月時点で3・7%、5月も5・9%にとどまっている。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い安倍晋三政権が国民の厳しい視線にさらされる中、なぜ野党第一党が批判の受け皿になれないのか。いくつも理由は挙げられるだろうが、コロナ禍であらわになった立憲幹部の「3つの不徳」を指摘したい。

 不徳の第1は「傲慢さ」だ。上から目線と言い換えてもいい。端的な一幕は5月11日の参院予算委員会だ。

 「私が言っていることについて答えてください」

 「全く答えていただけませんでした。残念です」

 コロナ問題をめぐり、福山哲郎幹事長が政府諮問委員会の尾身茂会長に恫喝まがいの言葉を浴びせた一件はネット上で大炎上した。

 立民幹部は、一斉休校や布マスク配布に際しては「首相官邸が専門家の意見も聞かずに決めた」と批判していたはず。自分たちが専門家の誠実な答弁に耳を貸さず、怒声を浴びせる姿は傲慢で言行不一致だ。福山氏は謝罪したものの、蓮舫参院幹事長はその後も、福山氏を擁護するツイートを引用して投稿し続けた。

 傲慢で攻撃的な態度が政府・与党側だけに向けられたものであれば、まだ理解できなくもない。しかし、「身内」相手にも、上から目線の態度が目立つ。破談に終わった国民民主党との合併協議で、枝野幸男代表や福山氏は「何か勘違いしているのではないか」「何を言っているのか分からない」など、公の場で国民の玉木雄一郎代表を軽んじるような発言を繰り返していた。

 そんな立民も、コロナ禍に際しては政調を中心に、政府・与党と協調し、家賃補助や学生支援など、苦しむ人々の救済に動いている。国民のための与野党を超えた協調は歓迎すべきことだが、立民幹部の発信には疑義がある。不徳の第2は「手柄の横取り」だ。

 「私たちは2月から緊急事態の宣言を求めてきました」

 枝野氏は政府による緊急事態宣言の発令を受け、4月6日にそうツイッターに投稿した。先見の明を誇ったようだが、枝野氏は3月4日には「現状は緊急事態宣言の要件を満たした状況ではない」「安易な緊急事態宣言は避ける必要がある」と記者団に語っている。

 実は、2月時点から宣言発令を主張していたのは国民民主だ。玉木氏は2月22日の党大会で「新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発し、できることを全てやり切るべきだ」と語っている。

 全国民への一律10万円の現金給付も、国民民主が各党に先駆けて提唱した政策。野党統一会派の提言にも採用されたが、もともと立民は冷淡だった。ところが、政府が10万円支給にかじを切った途端、幹部らは「私たちは一貫して10万円」(枝野氏)、「野党がずっと主張してきた」(福山氏)と誇った。

 「野党」や「私たち」が統一会派を指すとすれば嘘ではない。しかし、さんざん玉木氏らを軽んじながら、成果だけは一緒にいただこうという姿は見ていていい気分がしない。

 「人のふんどしで相撲を取る」やり方は、今に始まったことではない。

 「桜を見る会」問題を掘り起こしたのは共産党だ。検察官の定年延長に関する一連の問題に火がついたのも、立民ではどこか浮いた存在だった山尾志桜里衆院議員の質疑がきっかけだった。その山尾氏は「(党の)風通しが悪い」と言い残して離党している。

 そんな状況では支持率低下も無理はないと思うが、ここに第3の不徳「責任は人に押し付ける」が加わる。高井崇志衆院議員は緊急事態宣言の最中に「セクシーキャバクラ」で遊興し、立民を除籍となった。4月21日の記者会見で、支持率低下の理由を問われた福山氏は「高井議員の不祥事が原因と考えている」と言ってのけた。

 「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」を政治信条としたのは自民党の竹下登元首相だった。人の心をつかみ、組織を掌握し、ゆくゆくは大仕事を成し遂げるための一つの要諦といえる。

 立民にかかわる人すべてがそうだとは言わないが、「傲慢で、人の手柄を取り、責任は押し付ける」というスタイルでは、人の心は離れていく一方ではないだろうか。

 傲慢なのは立憲民主だけではなく、共産党もその上を行く存在です。中朝という東アジア国家の流れを汲んでいるのでしょうか。いずれにしろ日本国民は「謙虚さ」を好み、この「傲慢」な態度にはとりわけ不快感をもちます。それが分かっていないのでしょうか、それとも地で行っているのでしょうか、枝野氏、福山氏、辻元氏、蓮舫氏、いずれも政府に対しての批判発言は傲慢そのものです。

 確かにコロナ対策に関してはそれまでの批判一辺倒から、提案型へ少し舵を切り替えた感じはしますが、傲慢さとパクリと責任回避があっては支持率は上がるはずはありません。結党時の十数パーセントの支持率は半分以下に落ち込んでいるのもそうしたことが原因だと思います。

 以前からこのブログで取り上げているように、日本がよくなるためには与党とまともに議論できる、与党の穴を埋めるべくしっかりした政策を提案できる、そういった野党が出てくる必要があります。そして数千万の歳費に見合う仕事をしてもらわなければ、全くの税金泥棒と言わざるを得ません。そうなるように国会議員改革をどうしていけばいいか、制度面での議論が急務だと思います。

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