大村知事のリコールに賛同する河村市長が語る、知事の罪と反日2大新聞の呆れた論調
今愛知県は大村秀章知事のリコール問題で、リコール賛成派と反対派が互いに舌戦を繰り広げています。これは例の「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展・その後」の開催に関し、大村知事のとった対応への強烈な批判を込めた行動です。
リコール運動の仕掛け人ともいえる美容外科「高須クリニック」院長の高須克弥氏が、6月2日記者会見を開きました。その様子を毎日新聞の記事から引用します。タイトルは『高須氏が大村・愛知知事リコール運動へ 「不自由展に税金、許せない」』(6/02)です。
美容外科「高須クリニック」院長の高須克弥氏は2日、名古屋市内で記者会見し、2019年に愛知県内で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展を巡る対応に問題があったとして、芸術祭実行委員会会長を務める同県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を始めると発表した。
高須氏は会見で、芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」で昭和天皇の肖像をモチーフにした作品などが展示されたことを批判。「天皇の写真を燃やしたり英霊を辱めたりするような作品に、税金を使うということが一番許せない」と訴えた。8月上旬には署名活動を始めたいとしている。県選挙管理委員会によると、大村知事のリコールには、6月1日時点の有権者数から試算すると86万人超の署名が必要となる。
企画展を巡っては、名古屋市の河村たかし市長も大村知事を批判。芸術祭への市の未払い分の負担金約3300万円の支払いを拒否しており、芸術祭実行委員会が市を提訴する事態に発展している。河村市長はリコール運動について「ありがたい。訴えられている名古屋市民の名誉、税金を守るため応援、協力する。自分のツイッターで協力を呼びかける」と話した。
一方、大村知事は「(高須氏の)話が正確に分からないので、コメントはない」としている。
この運動に支援を表明した河村たかし名古屋市長は、夕刊フジのインタビューに応じて以下のように述べています。タイトルは『河村たかし名古屋市長に単独インタビュー! 愛知・大村知事リコール運動に“助太刀”の真意と戦略は… 「高須氏を応援する。街頭演説も」』(zakzak 6/07)です。
名古屋市の河村たかし市長が、夕刊フジの単独インタビューに応じた。美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が、地元・愛知県の大村秀章知事の解職請求(リコール)運動を始めると発表したことを受け、即座に応援を表明したのだ。名古屋市長と愛知県知事のバトル勃発。前代未聞といえる、助太刀の真意と戦略を聞いた。
「高須氏の、私利私欲のない行動に突き動かされた」「名古屋市民や日本国民の税金や名誉を守るために応援する」
河村氏はこう語った。
高須氏はリコールの理由として、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の実行委員会会長としての大村知事への不信感などを挙げた。芸術祭の企画展では、昭和天皇の写真をバーナーで焼き、その灰を足で踏み付けるような映像作品などが公開された。
実行委員会会長代行だった河村氏は、そうした作品が公共施設で、税金を投入して公開されることを知らず、公開後に強く抗議した。全国から批判が寄せられて企画展は一時は公開中止となったが、大村知事は「表現の自由」を盾に再公開を認めたのである。
河村氏は「表現の自由にも限度がある。皇室を敬う、多くの人々の心情はどうなるのか。税金投入が許されるのか。公開の見直しを求めても、大村知事は独裁的で話し合いのテーブルにもつかなかった」と怒りをあらわにした。
芸術祭をめぐり、名古屋市が負担金の一部(約3400万円)の支払いを「留保」していたところ、大村知事が会長を務める実行委員会は先月、名古屋市を提訴した。
河村氏は「市が訴えられるのは、市民が訴えられるのと同じ。この問題では、多くのメディアが真実を伝えていない。アンフェアだ。高須氏のリコール運動を応援する。街頭演説もどんどんやる」と語った。
実は、河村氏はリコールを主導した経験がある。
2009年の市長選で「市民税10%減税」を公約して初当選したが、名古屋市議会が拒否し続けたのだ。河村氏は現職市長としてリコールを進め、11年の住民投票で市議会解散が確定した。
大村知事へのリコールに向けた署名運動は8月にも始まるとされる。
河村氏は「まずは、署名活動を担うボランティアの『受任者』集めが重要だ。名古屋市議会のケースでは、市の100万世帯全戸にお願いの紙を配り、4万人の『受任者』が集まった。今回は、高須氏の周辺に、作家の百田尚樹氏といったスーパー応援団が何人もいて心強い。私も自分のツイッターなどで受任者を集め、署名も呼びかけたい」と語った。
一方、大村知事は2日の記者会見で「(リコールへの)コメントしない。一般論として法に触れない活動は自由だが、事実に基づけなければ誹謗(ひぼう)中傷になる」と指摘している。
このブログでも以前、この「あいちトリエンナーレ」の蛮行を何度か紹介してきましたが、10か月ほど経った今、再びこの問題が取り上げられるのは、天皇への冒涜という、日本人に対して最も忌まわしい内容が含まれていることにあり、根が深いものがそこにあるからです。
しかしながら開催当時この「あいちトリエンナーレ」を支援する朝日と中日の新聞2社がありました。その2社に異論を唱える河村市長が公開質問状を出しています。その内容が今月Hanadaプラスに掲載されましたので以下に引用転載します。タイトルは『【表現の不自由展問題】中日と朝日への公開質問状|河村たかし』(6/04)です。 ピントのぼけた社説
2019年10月24日、私はツイッターで中日新聞と朝日新聞へ送付した「抗議申入れ」(中日)、「見解書」(朝日)を公開しました。
抗議したのは「表現の不自由展・その後」をめぐる問題で、私を名指しで攻撃した記事についてで、9月12日付で送付していたにもかかわらず、現時点(2019年11月15日)で2社から何の返答もないため、公開に踏み切りました。
抗議した当該記事を紹介しましょう。一つは中日の社説「社会の自由への脅迫だ」(8月7日)で、私をこう批判しています。
〈河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として少女像などの撤去を要請。菅義偉官房長官も、国の補助金交付について慎重に検討する考えを示した。これは、日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように、明らかな政治による圧力だ〉
ピントがずれていると言わざるを得ません。私はなにも、展示物がけしからんから撤去しろと言っているわけではないのです。これは、月刊『Hanada』2019年12月号の門田隆将氏との対談でも言ったことですが、名古屋市主催の公共事業だからまずいと言っているだけで、作家に「日本人を侮辱するような作品はつくるな」などとは一度も言っていません。
私は一応、名古屋市民の信託を得て市長をしています。市長の仕事は、市民の皆さんから預かった税金を適切に使うこと。そのために、税金を投入する際には最低限、公共性をチェックする必要があります。あいちトリエンナーレは名古屋市の主催。昭和天皇の肖像をバーナーで燃やし、足で踏みつける映像や少女像などの展示がある催しに税金を投入するのは、どう考えてもまずい。
だから、私はそれらの展示物については撤去すべきだと言ったわけで、もしこれを「検閲」というのならば、公共性をチェックする県や市の議員、職員、みな検閲官ということになってしまう。中日は県議会、市議会などを「検閲だ」といって否定するのでしょうか。
高橋純子の“薄っぺらい”文章
私からいわせれば、「検閲」しているのは中日をはじめとするマスコミのほうです。私は、抗議書を公開してから、記者会見で立て続けに中日、朝日の報道に抗議したことを話しているのですが、マスコミが「検閲」して、どこもそのことを報じてくれません。
朝日の記事は、高橋純子編集委員のコラム「多事奏論」の「表現の自由 『権力なんかないよ(笑)』に震える」(2019年8月21日)と題する文章です。
〈無自覚でカジュアルな権力行使は、自覚的なそれよりある意味おそろしい……はい。同様のことは、名古屋でも。
彼はきしめんのように薄い男だった──とはおそらく誰も書いてないが、名古屋市の河村たかし市長は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像の撤去を求め、「日本人の心を踏みにじる」 「表現の自由は相手を傷つけないことが絶対(条件)」などと語ったという。この認識がいかに浅薄かはさんざん指摘されているので繰り返さないけれど(後略)〉
正直、持って回ったような文章で、何が言いたいのかよくわからないコラムだったのですが、薄っぺらい男と中傷されて黙っているわけにはいきません。薄っぺらいのは高橋氏の文章のほうでしょう。
コラムのなかでは、私の認識が「いかに浅薄かはさんざん指摘されている」と書いていますが、はたしてそうでしょうか。私への批判はいろいろ読んでいますが、耳の痛かったものは一つもありません。
しかも高橋氏は、名古屋名物のきしめんをネガティブなものとして使っている。きしめんは薄いけれど噛めば味があり、名古屋市民のみならず、全国で親しまれている郷土料理。朝日に送付した「見解書」の末尾に、私はこう書きました。
〈なお、「きしめんのように薄い男」という表現は、名古屋の名物であるきしめんを宣伝していただき大変光栄であるが、きしめんは、薄いが幅があり、味も良いので、肯定的な表現として使っていただきたい〉
ありえない意見広告拒否
中日、朝日の報道を見たときは、「はぁ、またか」と思いましたが、他の報道に比べ、あまりにひどいので、抗議するに至りました。朝日に抗議したのは初めてですが、中日とは過去二回、やりあっています。
最初は、2012年、私が「南京事件というのはなかったんじゃないか」と発言して批判されたときです。「南京事件」否定発言に対するバッシングに疑問を持った有識者らが、中日に、南京事件について自由な議論を呼びかける意見広告を掲載しようとしました。
中日は一度、許可したのですが、あとから「社論に合わない」と言い始め、掲載を拒否したのです。裁判で争ったのですが、東京地裁は有識者団体の申し立てを却下。
「あくまで編集権の範囲内」というのが、その理由でした。もちろん、新聞社には編集権があって然るべきです。明らかに、悪意のある、ろくでもない広告であれば、拒否するのは当然だと思います。
しかし、南京事件の一件は、「議論をしませんか」という意見広告で、そんなにひどい内容のものではありません。東海地区で最大の発行部数を誇る中日には、広告を載せる責務があるのではないか。
アメリカのジャーナリストの友人に掲載拒否の話をしたら、「それだけ大きな影響力のある媒体なら、普通は載せなくちゃいけない。アメリカではありえないな」と言っていました。
もう一つ、中日とやりあったのは、2018年の名古屋城の天守閣木造復元のときです。1945年の空襲によって天守閣が焼失。その後、市民の多大な寄附により、1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣を再建しました。
しかし、再建から約60年が経過し、設備の老朽化や耐震性の確保などへの対応が必要になってきた。そこで、私は改修に伴い、木造だった本来の大天守を復元しようと決めました。
事実に反した中日の社説
私が木造にこだわるのには理由がありました。復元には、木造建築の伝統技術が欠かせません。大規模な木造建築物の築造が減少し、職人技の消滅が危ぶまれるなか、天守閣の木造復元は伝統技術を次代へ継承する機会になります。
人類には、先人がつくったものを次世代に伝える義務がある。名古屋城という四百年前の叡智の賜物を1000年後まで残すことは、いまを生きるわれわれの社会的使命でしょう。
しかし、これが中日から大バッシングを受けた。
中日は「名古屋城木造化 シンボルになり得るか」(2018年7月4日)と題する社説で、木造復元をこう批判しました。
〈市民の不戦平和への思いが詰まった現在のコンクリート製天守には、文化庁も言うように「本物」の価値がある。あえて「本物」を壊して造る──。その意味をいま一度、十分かみしめるべきだ〉
中日は「市民の不戦平和への思いが詰まった」と、まるでコンクリート再建が民意だったかのように書いていますが、はたして本当なのか。私はしつこい性格なので、過去の名古屋城再建に関する報道を調べてみました。
私が生まれた昭和23年、中日が名古屋城再建について地元市民へアンケートをとっており、その結果を見ると、なんとコンクリート派より木造派のほうが2割も多かった。
これで「市民の思いが詰まっている」とは言えないでしょう。中日は自社の過去のアンケートを知らなかったのかどうかは定かではありませんが、右の社説は明らかに事実に反しているし、ミスリードです。
「社会の自由への脅迫」をしているのはどっちだ!
話を中日と朝日への抗議に戻します。中日、朝日に問いたいのは、以下の3点です。
①陛下の写真をバーナーで焼いて足で踏みつぶす動画が展示されている事実を執筆前に知っていたのか。
② ①の展示内容が展示開始まで隠されていたことを知っていたか。
③このあいちトリエンナーレは、公共施設を使用しているだけではなく、愛知県名古屋市主催のいわば公金(税金)による公共事業であり、民間での展示会ではないことは知っていたか。
もし知っていたのなら、堂々と「昭和天皇の作品は何でもないし、隠して出品したことも、市の主催であることも問題ない」と反論すればいい。
ひどいのは、人を脅迫犯扱いしたり、薄っぺらい男と書いたりしておきながら、抗議書を送っても無視を決め込んでいることです。9月に送って、現時点で3カ月経っていますが、まったく音沙汰がない。人格攻撃をするだけして、抗議されたら無視というのは無責任極まりない。
このまま返答がない場合、今度は座り込むことはできませんが(笑)、何らかの手立ては講じようと考えています。
ジャーナリズムの基本は、事実を事実として伝えることですが、いまの新聞はまったくそれができていない。新聞は相互批判もしないし、不買運動にも遭いません。要は、ぬるま湯に浸かっているのです。
だから私が記者会見やツイッターで、中日、朝日のことをいくら批判しても新聞社は報じない。読者を甘く見ているとしか思えません。そんな新聞が軽減税率の対象になっているのですから、許しがたいことです。
社会の自由、表現の自由は、マスコミが事実を伝えて初めて担保されます。中日、朝日には、「社会の自由への脅迫」をしているのは、いったいどちらなのかを、きちんと自問していただきたい。
この河村市長の公開質問状の内容に、今の新聞をはじめとするメディアの問題点が凝縮されています。「表現の自由」や「検閲の禁止」など自身に都合のいい解釈のみをして、反論は許さないし、決して掲載しない。
そしてイデオロギー先行で、この展示会の内容に関しては「反天皇」「韓国贔屓」などの「WGIP」つまり「自虐史観」に立脚した論点から、反対どころか賛同に回っているのが透けて見えます。まさに反日新聞の証左です。
半ば公的性格を持つこれらのメディアは、今や視聴者に対する反日洗脳媒体となっています。そして「表現の自由」を錦の御旗に、自身のシナリオに沿った記事のみ記載し、反対の見解は「報道しない自由」を使いまくる。
しかしそうすることによるメリットは何なのでしょうか。反日の読者が多数を占めるとは思いません。あくまでも推測ですが、中国・朝鮮(韓国主体)による、「対日世論工作費」が潤沢に入ってくるのではないでしょうか。ですから購読者が増えずとも、一定の購読者を洗脳し続ければ、存在が可能となる。一度これらの新聞社の、会計の詳細をそれこそ「検閲」してもらいたいものです。そして廃刊にもっていくのが私の願いでもあります。
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