« 文政権の「徴用工問題」への呆れた対応、日本はしっかり「報復」を準備せよ | トップページ | 「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀 »

2020年8月15日 (土)

75回を数える終戦の日、「お花畑」が揺るがす日本の安全保障

13_20200815121101  本日8月15日は、75回目の終戦の日、多くのメディアで特集が組まれ、二度とあのような悲惨な戦争はしてはならない、と多くの人が語ります。私ももちろんそう思います。

 しかし現実は、もはやそんな戦争など日本にはできないのです。憲法にも謳われていますし、また憲法を持ち出すまでもなく、大東亜戦争で戦ったアメリカはもとより、中国やソ連などの軍事大国と戦えるような軍事力はありません。

 左側の人々は、安倍政権が戦争をできる国にしようとしている、と言っていますが、全くの絵空事です。ロシアは勿論、中国も恐ろしい数の核弾頭を備えたミサイルを持ち、日本に照準を合わせています。あの最貧国北朝鮮も、数は少ないにしても核とミサイルを保有しています。アメリカの核の傘に頼っているだけの日本が、仮に戦争を仕掛けても、どうやって守れるのでしょうか。絶対にできないと思います。

 ただ日本が仕掛けなくても、他国から仕掛けられることはあり得ます。その時日本はどうするのでしょうか。専守防衛、軍事研究や武器輸出の足枷、非核三原則の維持、そんなことをやっていてどうして国が守れるのでしょうか。

14  今月6日の広島、9日の長崎で、恒例の被爆者慰霊の平和記念式典が行われました。広島の式典の日、ニュージーランド首相から「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者に報いる唯一のこと」とビデオメッセージが送られてきました。

 それについての意見も交えて、作家の山本一郎氏が今の日本の国防意識の低さを鋭く突いたコラムを、JBpressに寄稿しています。タイトルは『核兵器廃絶の「お花畑」が揺るがす日本の安全保障 75回を数える終戦の日、次世代につながる安全保障を議論しよう』(8/14)で、以下に引用掲載します。

「戦争」が非日常ではなくなった今日この頃

 この時期になると、広島や長崎に核爆弾が投下され、非戦闘員である多くの日本人が殺害された悲しい記憶を思い出さざるを得ません。8月15日の終戦記念日に向けて、「もう戦争だけはしたくないな」と思い返す一週間を過ごすのが定番になりました。

 一方、香港では、民主化活動の女性スポークスマンであった周庭さんが意味の分からない中国の法律に違反したとして逮捕され、重罪を意味する後ろ手に手錠をかけられた姿が動画で流れています。こういった映像を見ると、「戦争」の二文字は決して非日常ではないのだという思いが冷たい汗とともにこみ上げてきます。状況によっては、日本もチベットや新疆ウイグル、香港、台湾などとともに中国の外縁として緊張の中で暮らしていくことになるのでしょうか。

ニュージーランド首相の戯れ言に呼応する人々

 先般、広島に原爆が投下された悲しい日に、ニュージーランドのアーダーン首相が核兵器の根絶を訴えるビデオメッセージをツイッターに投稿しました。「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者に報いる唯一のこと」、すなわち日本こそ核兵器禁止条約に批准すべきだとアジるメッセージです。まあ、ご意見あることは素晴らしいことだと思います。

 ところが、日本とは状況が全く異なるニュージーランド首相の、お花畑的なメッセージに呼応する人たちが、日本でも後を絶ちません。大丈夫なのでしょうか。例えば、沖縄県知事の玉城デニーさんはツイッターでこう応じています。「唯一の被曝国が掲げなければならないことなのではないでしょうか」と。

 それ以外にも、続々と与太ツイートが重ねられています。たぶん理解されてないんだろうなあと思うわけですよ。もちろん、玉城デニーさんもバランス感覚の優れた政治家であることは間違いないので、今おられるポジションで最大限のことを考えての発言であろうとは思いますが、同じ日本人として、政治的立場を超えてもう少しお互い歩み寄れないものでしょうか。

 確かに、世界で唯一の被爆国として日本が核兵器廃絶を目指して声を上げるというのは美しいことではあります。「核兵器廃絶しましょうよ」「そうですね」となれば、それが一番素晴らしいことです。しかしながら、現実には今なお9000発以上の核弾頭数が残り、軍拡著しい中国では毎年200発以上の新規核兵器が配備されているとされます。朝日新聞が渾身のインフォグラフィックを展開していたので、是非見てみてください(「世界の核兵器、これだけある」)。

北朝鮮や中国が核兵器を捨てると思う?

 そして、日本は同盟国である米国の保有する核の傘に守られながら、毎週のように罵声込みの恫喝をしてくる隣国・北朝鮮と、日本の同盟国である米国と新たな冷戦を迎えようかというアジアの大国・中国と対峙しています。まさに隣の国からの核の圧力を受けている我が国と、隣でコアラを撫でているオーストラリアしかおらんニュージーランドとでは、核兵器に対する脅威という点で全く異なる地政学的状況にあります。

 そのニュージーランド首相の煽りに乗って我が国が「核兵器はんたーい」と述べたところで、「日本を地図上から消し去る」と威嚇してくる北朝鮮や、日本列島全体をすっぽり包むミサイル網で納めている中国が「分かりました。明日から核兵器をゼロにしましょう」と言ってくれる保障はありません。

 それどころか、彼らが核兵器を日本に対して直接使わない理由は日本が平和国家だからではなく、万が一、日本に核ミサイルを打ち込んだら米国が核兵器で反撃してくる、という抑止の期待があるからです。本当に米国が被害を受けた日本のために核兵器で反撃してくれるのかは保証の限りではありませんが、仮に米国の大統領がトランプさんであろうと、米国は同盟で約束した内容をきっと守ってくれるだろうという前提で東アジアの安全は保たれ、平和が実現しているのです。

 その日本が「核兵器はんたーい」と叫んだところで、中国や北朝鮮から「じゃあ、日本は米軍がぶっ放すかもしれない核兵器を日本周辺から除去してくれるんですね??」とさらに煽られることになります。

中国の膨張主義を加速させる空想的平和主義

 極論を言えば、「核の脅威に直面していない」and「核兵器を保有していない」国が、条約において「核兵器はいかんことですね、廃絶しましょう」と主張することは基本として寝言であり、憲法第9条がある限り日本は戦争に巻き込まれないと思い込む精神構造とさして変わりはありません。「丸腰であれば脅迫されることはない」という緊張感のなさこそが、これから冷戦状態に陥るかもしれない、尖閣諸島だけでなく南シナ海も領海だと主張して人工島を作り軍事拠点を建設する、中国の膨張主義を黙認することに他ならなくなります。

 終戦の誓いが意味していること、それは我が国を引き継いだ世代として「私たちや子々孫々の世代のために戦争をしない平和国家・日本をどう築くか」ということであることです。それは、戦力や核兵器による均衡によって戦争が容易に起きない安全保障の体制をいかに築くかということと同義です。無闇に軍拡することは過去の日本の反省から厳に戒められるべきで、戦争など絶対に起こすべきではありませんが、他国の脅迫に動じなくてすむだけの軍備を行うことは安全を維持するうえでは必須です。平和を願う心とナメられない力を持つことは両立するはずです。

 しかしながら、急速に軍事力を拡大する中国という外的要因に加えて、人口減少と国力低下に見舞われた日本がミサイル防衛やサイバー攻撃、海上・沿岸警備、スパイ対策など多岐にわたる防衛テーマに即応できるよう、内側の体系をいかに築くかは考えなければなりません。

 この問題を考えるにあたっては、核抑止力を自ら放棄するような核兵器廃絶を日本が謳うこと自体が問題です。「そもそも核兵器を持っていない」のに「隣の核兵器の危機に晒されている」から「米国との安保条約(同盟)にすがって米国の核兵器の力に頼らざるを得ない」日本の現状を忘れてはいけないのだ、と毎度のように思います。

「核廃絶」は核兵器保有国に言うのが筋

 ニュージーランド首相が言うべき相手は、まずは大量の核兵器保有国である米国やロシア、中国、北朝鮮その他の核兵器クラブの皆さんであって、隣国の核の脅威に晒されながら核兵器を持っていない日本ではありません。

 ちなみに、この論法で核兵器廃絶を訴えた日本の総理大臣がおりました。その名を鳩山由紀夫さんと仰有るのですが、09年8月30日の総理就任後、国連演説でいきなり「核廃絶」をぶち上げ、米国からの協力を得ると言い放ち、(米国など大国以外から)大喝采を受けました(鳩山首相:日本は核廃絶で先頭に、非核三原則を堅持-国連安保理)。その後、在日米軍再編に手を付けて二転三転した挙句、当時の米オバマ政権から大変な不興を買い、ワシントンポストのコラムニストであるアル・カメンさんから「ルーピー(間抜け)」という素敵なあだ名を頂戴したことは記憶に新しいのではないかと思います。

 確かに、我が国が唯一の被爆経験国であるのは間違いありません。ただ、その事実をきちんと踏まえ、私たちの世代から未来の世代につながる大事な安全保障議論は何かということを、煽られることなく議論をし、吟味し、積み重ねていく以外ないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 日本の政治は「ゆでガエル」的、つまり漸進的な変化には極めて対応が疎い。それに状況把握力も、先進国と言われる中でも最も低いでしょう。インテリジェンス機能の貧困さは最悪です。戦後唯一の被爆国家かどうかは別にして、終戦時にはアメリカしか保有していなかった核を、ソ連、中国、フランス、イギリスと、あれよあれよと開発保有してしまいました。

 アメリカによる占領から解放され主権を取り戻した日本は、経済は勿論ですが、安全保障政策にも直ちに取り組むべきでした。明治維新の後の最大の課題だった富国強兵の、戦後版をやるべきでした。そのための憲法改正もできたのです。

 ところが時の吉田政権は、日米安保に胡坐をかき、経済だけに邁進しました(もちろん疲弊した日本を立ち直らせるためにやむを得なかった部分もあります)。その日米安保も明治維新後の列強との通商条約同様、不平等条約だったのを岸内閣が改定。その時、なんと国民の多くは学生を中心に、大変な反対運動を重ねました。安全保障条約は戦前の戦争できる日本に戻る、と言うことからでしょう。その時の反対運動を指揮した多くは、ソ連共産党に洗脳された人々でした

 結果的には改定は実施され、その時以来アメリカにおんぶにだっこの国防政策が始まり、今に至っています。

 問題は、現状のような安全保障上の外部環境の大きな変化に対しても、国民の多くはコロナの方だけを向き、政治家も本気にならない。憲法論議も全く蚊帳の外。安全保障だけではありません。少子化やそれに伴う様々な危機にも「ゆでガエル」対応。これでは日本の安全を、子や孫への贈り届けるなどは絶対できません。カエル同様ゆであがって、日本と言う国の死を迎えるかもしれません。

 国会議員が真摯に議論を重ね、良案を生み出すという責務を果たさない日本、せっかく多数を占めている与党が、少数の野党に国会審議や運営を左右されている現状。まるで戦前の、機能しない政党政治を繰り返している感があります。

 これではまたまた全体主義が頭を出しかねません。中国と結託して。

(よろしければ下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらもポチッとクリックをお願いします)

にほんブログ村 政治ブログ 保守へ
にほんブログ村

 

« 文政権の「徴用工問題」への呆れた対応、日本はしっかり「報復」を準備せよ | トップページ | 「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀 »

安全保障政策」カテゴリの記事