安倍首相を引き継ぐリーダー、首相道半ばの「戦後レジームからの脱却」の完遂を望む
昨日安倍首相が辞意を表明しました。7年8か月を超える長期に亘り、日本の政治をリードしつつ歴代最長の期間、政権を担ってきた首相に、心からお疲れさまでしたと言いたいと思います。まだ次期首相にバトンタッチするまでの間、政務が続くわけですが、有終の美を飾っていただきたいと思います。
安倍首相は2006年自らの政治信条を綴った著書「美しい国へ」を出版しましたが、「美しい国」の定義を『活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」 』としていました。さらに自身の政権の立場を『「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出』と位置づけて、その脱却を図ることを旨としました。つまり現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが、時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとして出発したのです。
この安倍首相の理念に共感し、このブログのタイトルも『美しい日本』とさせていただきました。辞任されることとなったのは大変残念に思いますが、しかし安倍首相の果たせなかった現行憲法の改定については、是非とも次の首相にも引き継いでいただきたいと思います。
今購読している山岡鉄秀氏の「新・失敗の本質」の中で、山岡氏は「今第3の敗戦と言う現実に直面している」と述べています。「第1の敗戦」は大東亜戦争という実戦での敗戦、「第2の敗戦」はGHQによる「弱体化政策」に伴う思想・精神面での敗戦、そして「第3の敗戦」は、日本人が持つ負の特異性、「前例踏襲・形式主義」がグローバル化の波の中で足枷となって経済の埋没を生み、また第2の敗戦の結果、自虐にとりつかれ自己の主張をできず「周りに媚びへつらうだけの国になってしまった」外交力の凋落です。
安倍首相は確かに「価値観外交」と「主張する外交」を外交の基本路線とし、地球を俯瞰する外交で世界各国を飛び回り、外交の安倍を印象付けました。しかし日本人特有の八方美人気質は、中国や韓国などの特異な国とは、安倍外交をもってしても、山岡氏の言う通りの「媚びへつらうだけの国」から脱却できたとは言えません。
また憲法改正に取り組む姿勢も前面に押し出してはいたものの、このブログでも再三取り上げているように、中韓に影響をもろに受けている反日似非知識人や反日メディア、又それをバックに暗躍する反日野党議員がこぞって反対の大合唱を繰り広げています。
挙句の果てには憲法を改正すれば「戦争できる国になる」「徴兵制が復活する」等々のありもしない宣伝工作をもって、国民を憲法改正反対へ誘導していることも手伝って、国民の間に改正機運は盛り上がらず、またそうした背景から野党の反対姿勢は強く、憲法審査会もまともに開けない状況で、頓挫してしまっています。
つまり安倍首相の理念は、この第3の敗戦と言う渦中に巻き込まれ、残念ながら道半ばで辞任という形で幕を引きかけているのです。第1、第2の敗戦は、日本人の潜在力をもって、「エコノミックアニマル」と世界から揶揄されながらも、乗り越えてくることができました。
しかし第2の敗戦で被った思想・精神面の痛手は事の他大きく、それがゆえに第3の敗戦を迎えようとしている今、安倍首相を超えるくらいの信念を持った次期首相が出て来ていただかなければ、世界の中での日本の地位は、経済、外交、安全保障のいずれの面でも、地滑り的に落ちていくでしょう。具体的には中国にひれ伏し、ロシア、南北朝鮮から威嚇され続ける日本です。
さて安倍首相辞任の関連の話題はここまでにして、今回は第2の敗戦の結果第3の敗戦の渦中にある日本、その主役を占める反日親中朝の面々を取り上げたコラム「河村直哉の時事論 戦後の左傾 源流は日本否定にある」(産経新聞 8/25)を以下に引用掲載します。
この夏、戦後も75年を数えた。四半世紀を3度、重ねたことになる。戦後生まれが大半になり、敗戦と戦後の関係が意識されることも少なくなっているかもしれない。しかし現在もなお残る戦後日本の左傾が、戦争への反動として起こっていることは指摘しておきたい。
■知識人の偏向
現在も尾を引く戦後的な思考の類型の多くは、昭和20~30年代に出ていると筆者は考えている。いわゆる進歩的知識人ないし文化人と呼ばれた人らによってである。
「国家の権力は(略)不当に国民個人の権利や利益を圧迫することがあってはならないというのが近代憲法の精神」「無責任にも、憲法改正論が大手を振って横行している現状である」
憲法学者、中村哲(あきら)「憲法入門」(昭和27年)から。安全保障関連法に関してしきりといわれるようになった立憲主義や、最近の憲法改正に反対する声を思い出さないだろうか。
あるいは次のような文章。「君が代の拒否権を私はもつ。(略)内容いかんによっては『道徳』の授業を私の子に受けさせない権利を私はもつ」。教育学者、宗像(むなかた)誠也「教育と教育政策」(昭和36年)から。道徳は最近ようやく小中学校で教科となったが、「価値観の押し付け」などと反対する左派の声は多かった。
ところで、「進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集」(昭和32年)という本がある。進歩的文化人の戦前戦後の発言を並べたものである。それによると中村は昭和16年の文章では、「帝国憲法は日本憲法の永遠の根本規範であって(略)その永遠性は聖慮(せいりょ)によって明確にされるところである」と書いていた。
宗像も同年、こう書いている。「心身が異常でない限り、少し位からだが弱くても凡(すべ)て兵役に取ってはどうか。実践的な国民的信念、国民的教養を作り上げる精神教育をすることは勿論だ」
■悔恨共同体
知識人の豹変(ひょうへん)ぶりをあげつらいたいのではない。終戦までの発言に、後悔も反省もあっただろう。進歩的知識人を代表する一人、政治学者の丸山真男は、敗戦後に知識人が「悔恨共同体」を形成したと書いた。過去の根本的な反省に立った出直しが必要ではないかという感情が焦土の上に広がった、と。また戦後の自分の仕事について触れ、それらは日本社会の「恥部」をあばこうとしており、絶望的な「自虐」の表現を見て取る者もいるかもしれない、と書いた(「後衛の位置から」)。
このような見方が戦後の知識界の主流だったといってよい。自らの言説が戦争に加担した、しないにかかわらず、戦争に至った日本を徹底的に批判し、否定する構図となる。そのうえで現行憲法や戦後民主主義という戦後の価値観に固執する。
しかしこれは一種のリセットである。敗戦に至ったことへの反省は必要でも、国家を否定して新しく造ることはできない。先に引いた文で宗像は国歌も否定していた。宗像は日教組の理論的指導グループ、中央講師団のメンバーでもあった。その国歌観や道徳観は教育現場にも広がったことだろう。
この、終戦までの日本の否定が、戦後の左傾の源流であると筆者は考えている。なにかを健全に批判し改革することは大切である。しかし日本という国を否定しリセットすることが健全であるとは、筆者にはとても思えない。戦後日本の改造は連合国軍総司令部(GHQ)が行ったものだが、日本人もまた国家の左方向への改造を積極的に行った。そしてこの日本の左傾はなお終わっていない。
■朝日の靖国参拝批判
今年の終戦の日、閣僚4人が靖国神社に参拝した。翌日、朝日新聞は社説でこう書いた。「侵略の被害を受けた国々を中心に、日本が過去の過ちを忘れ、戦前の歴史を正当化しようとしていると受け止められても当然だ」
国のために命をささげた死者を、政治家も含めた後世の国民が追悼すべきなのは、当然である。筆者はむしろ安倍晋三首相が参拝しなかったことを残念に思う。そして朝日のこのような論調も、戦争に至った日本の否定に源流があることを指摘しておきたい。
朝日も産経も戦争に協力した。朝日は昭和20年10月24日、戦争責任を明確にするため全重役が辞任することを紙面で伝え、「新聞の戦争責任清算」という社説を掲載した。
「固(もと)より新生日本の出現のために、この種の過去一切への仮借なき批判と清算とが必要なる第一歩をなすことは確かに否めない。されば吾人(ごじん=われわれ)は同胞各方面に残存する誤れる旧殻(きゅうかく=古い考えやしきたり)に対しては断然切開のメスを揮(ふる)うを躊躇(ちゅうちょ)すべきでないが、しかしながら、他を裁かんとすれば先(ま)ず自らを裁かねばならぬ」
この後しばらく朝日は左旋回する。自らを裁いたあと他を裁く。反省はわかるとしても、それが「同胞」に対して誠実な姿勢なのだろうかと筆者は思う。ちなみに産経が左旋回しなかったことは別のところで見た(「昭和20年代の産経を読む」産経新聞平成30年11月25日など)
このコラムを読むと、第2の敗戦で思想転換したメディアや、似非知識人たちが、今もなお日本を貶め第3の敗戦に導こうとしている様が、はっきり記されています。何度も言うようですが、安倍首相がなしえなかった「戦後レジームからの脱却」、つまりこうした反日メディアや知識人、左翼政党の国民洗脳を阻止し、「戦後レジームからの脱却」の完遂を実現することのできるリーダーの出現を切望します。第3の敗戦が現実化しないように。
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