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2020年9月 1日 (火)

長期戦略のない日本の政府・官僚の質の低さ、失われた20年も竹島問題等の外交課題も

Wdm0102thumb900xauto36496  失われた20年、それはバブルがはじけた時期と重なるように、少子高齢化の進展で人口減少(生産年齢人口は1995年、労働力人口は1998年、総人口は2008年にそれぞれピーク)が進み、ソ連の崩壊に伴うグローバル化の進展が一気に進んだ結果の所産だと思います。

 人口ボーナスがオーナスに反転、国家歳入の頭打ちが訪れるとともに、高齢者の増加に伴う福祉関係の歳出が激増し、一気に国家財政の悪化を招きました。

 一方土地や株式の暴騰を抑えるための緊急の金融緊縮政策が、逆にそれらの暴落を招き、これが戦後初めてのデフレへと一直線に進んだ結果、相対的な円の価値が急騰し、超円高の為替状況を作り出しました。

 このデフレ経済の中で、超円高と経済グローバル化の波が、輸出産業の業績悪化を急襲し、その対応のため海外移転が加速、それが国内の空洞化を招いたため、更なるデフレの状況をもたらしました。小泉政権による数年間の時期を除き、政治の混乱もこの状況に拍車をかけました。

 小泉政権の後を引き継いだ、第1次安倍政権はその継続を期待されましたが、相次ぐ閣僚の失態と持病に倒れ、福田、麻生と続いた政権も予期せぬ失策を重ねた結果、国民の自民党離れが一気に進み、あの民主党政権が誕生したのです。

 その悪夢のような民主党政権が倒れ、失われた20年を取り戻すべく、第2次安倍政権はアベノミクス3本の矢をもって、金融政策、財政政策、成長戦略をフル回転させて、デフレと円高を食い止めるため奔走しました。その結果デフレも円高も止めることができましたが、成長戦略は失速、そしてここへ来てのコロナ禍で、止め処がない財政出動を余儀なくされ、失われた30年と言う囁きが聞こえて来ています。

 こうした背景には、前にも述べたように政府、官僚に10年20年先を見据えた長期戦略がないこと。特に官僚には「先例踏襲」「形式主義」そして「事なかれ主義」が蔓延し、創意工夫やイノベーションを率先して取り組む姿勢が希薄なことが挙げられます(なぜそうなったかはいくつも要因がありそうですが)。

 その一つが近隣外交への戦後一貫した「謝罪」姿勢にも見えてきます。戦争責任と言うものの根本を検証する努力を忘れ、GHQの占領政策を無批判に受け入れ(これは仕方がなかったとは思います)、その影響をもろに受けた国内の売国分子を放置し、彼らが作り上げ火をつけた日本の戦争犯罪とその近隣諸国への拡散を、それこそ「事なかれ主義」をもって「謝罪」のみでやり過ごしてきた結果が、今の日韓、日中問題の根源となっているのでしょう。

 戦争責任の再検証を、その後出てきた「ヴェノナ文書」をも積極的に取り上げて、再考しようとしているのでしょうか。「事なかれ主義」ですから今度はアメリカやロシアに忖度して、表立ってやらないように思いますね。同時に韓国の歴史捏造について、折角「反日種族主義」という、韓国の学者による捏造歴史の素晴らしい否定証言が出てきたのに、その学者たちと連携して真の歴史を追求しようとしているのでしょうか。これもそんな動きは聞こえてきません。

 先日安倍首相のやり遂げられなかった3つの悲願、憲法改正と北方領土問題の解決と北朝鮮拉致被害者の奪還を取り上げましたが、その中には竹島と尖閣の問題がありません。いみじくもこの二つは日韓、日中の問題です。官僚が避けたい近隣諸国問題とも邪推できます。

 日本の失われた20年その時代に、日本の経済停滞に反して、ウォン安という追い風を受けながら破竹の勢いで経済発展していった韓国。アジアの金融危機では手痛いダメージを受けましたが、その後も含めて中国とともに東アジアの奇跡と言われる経済発展は、どうしてできたのでしょうか。

 韓国の代表的企業サムスンと竹島問題に関わった、下條正男拓殖大学教授が産経新聞に寄稿したコラム『「日本に学べ」の韓国が今は…サムスンの躍進と竹島の現状』(9/01)を以下に引用します。

 日本政府による新型コロナウイルス対策は、1980年代に韓国の三星(サムスン)電子の半導体工場で目撃した作業場と似ている。当時、三星グループでは、将来の海外進出に備えて龍仁(ヨンイン)の地に外国語生活館を建設し、外国語教育を始めていた。その初代の専任講師となり、日本の半導体工場に研修生を送る課程を担当するため、三星の半導体工場を視察することになった。(注・下條氏は1983年、韓国に渡り、三星綜合研修院主任講師。98年まで三星電子マーケティング室諮問委員を務めた)

歴然としている日韓の組織運営能力の差

 そこで見たのはマイクロチップに加工する工程のようで、かなり高温の作業場で切断作業が行われていた。だが室内を見ると換気扇が1つ作業場の片隅にあるだけで、熱を発する数台の機械には、排熱用のダクトが設置されていなかった。

 この状況は、陽性患者の管理を怠って「Go To トラベル」キャンペーンを強行し、感染症罹患(りかん)者を全国に拡散させた現在の日本と同じである。

 一方、韓国政府の新型コロナウイルス対策は徹底しており、三星グループの半導体事業の躍進も周知の事実である。竹島問題に関しても、奪われた日本側が無関心で、奪った韓国側の方が溌剌(はつらつ)として、日本批判を続けている。

 この違いはどこから来ているのだろうか。私の限られた経験から見ても、日韓の組織の運営能力の差は、歴然としている。

 私は1983年に三星グループの会長秘書室に所属し、翌年、韓国の大学に移ったが、三星との関係は1998年まで続いた。そのきっかけは、貸与された家電製品に関してまとめたリポートだった。そのリポートを研修生の1人が三星電子のマーケティング室に提出したことで、その室長から「会いたい」と連絡を受けたのが始まりである。

 大学に転職して、三星電子を訪れると、帰り際に当時の労働者の1カ月分相当の車代を渡された。その後、私は週に1回、三星電子のマーケティング室に通うことになるが、手ぶらでは行けないので、その都度、リポートを提出することにした。その提案の中には、キムチを製造する冷蔵庫や三星電子のアフターサービス制度の確立など実現したものも少なくない。

 だが三星電子での諮問活動は98年に終止符が打たれた。竹島問題に関する論争を韓国内で行ったからなのか、大学側から契約の打ち切りを通告され、帰国を余儀なくされたのだ。その間、室長も交代し、私の提案の一部は『ある日本人の発想』として小冊子にされた。

Images-2_20200901165401 島根県と日本政府の仕事ぶりにも大きな違い

 帰国後、島根県でも同様の体験をすることになるのである。2005年3月16日、島根県議会は「竹島の日」条例を制定するが、それはその2年前、同県・隠岐ノ島の西郷町(現在の隠岐の島町)で開催された講演会に呼ばれたのがきっかけだった。

 そこで島根県は2005年6月、「島根県竹島問題研究会」を発足させると、竹島問題に対する日韓の論点整理を求めた。その研究会では、研究会のメンバーの得意な分野で自由に研究することが許され、担当された歴代の県職員の方々のサポートも徹底していた。翌年、韓国の欝陵(うつりょう)島に渡り、現地調査ができたのも、島根県の協力があったからだ。

 さらに2007年、島根県では「竹島資料室」を開設した。これは県議会議員に設置を提案したところ、県の建物の空き室を転用したのである。霞が関に移転した日本政府の「領土・主権展示館」は、年間、億に近い賃料を払っているようだが、その金額は島根県の竹島関連予算の3年分に当たる。同じお役所でも、島根県と日本政府とでは大きな違いがある。

持続的な活動が期待できない日本政府

 島根県では、韓国の国策研究機関「東北アジア歴史財団」が小・中学、高校生対象の教科書(『独島を正しく知る』)を編纂(へんさん)すると、それを論破した『韓国の竹島教育の現状とその問題点』を刊行。韓国の中学生たちがその『独島を正しく知る』に依拠して、島根県の中学校に抗議の手紙を送ってくるようになると、『日韓の中学生が竹島(独島)問題で考えるべきこと』として、日韓の中学生が共に考える小冊子を作った。

 それは日本でも竹島教育が本格化し、副教材が必要だったからだ。その必要性を島根県に提案すると、実現してくれたのである。これらがいわゆる「島根県方式」である。

 この「島根県方式」は、国会議員の先生方に竹島問題や日本海呼称問題、尖閣問題の対処法を提案した時とは大きな違いがある。一部の国会議員を除き、提案すればそれを自身の業績とするか、一過性の問題にしてしまうのが常だからだ。

 それは無理もないことで、日本には「島根県竹島問題研究会」と類似の機能を持った研究機関がないからである。日本の役人がいかに優秀だとしても、2~3年で担当が代わるようでは、持続的な活動は期待できない。

 それに、近年の国会議員は「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」(自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、自分で行きつきたいと思えば人を行きつかせてやる)ことが、できなくなった。そのため、下問(かもん)(他人の意見を聞くこと)を恥じているのだろう。

 三星電子のマーケティング室の室長は、後に三星グループの技術部門のトップとなったが、さしずめ私はその掌で遊んだ孫悟空だったのかもしれない。そして今は、島根県の掌で踊っている。

 バブル崩壊まで、戦後の廃墟の中から涙ぐましい努力をして築き上げた日本の経済力と技術力。下條氏のコラムにもあるように、何の躊躇もなくお人好し丸出しで、中韓に資本の投下と技術を注入し、今や経済と軍事のモンスター中国と、反日を国是とする厄介者韓国を、育て上げてしまいました。

 そして下條氏は、日本の竹島問題の取り組みにおける県と国の違いを明示しています。県は県が続く限り県民の意思が長期間維持され、子供も巻き込んでの対応を続けていますが、国の政治家や官僚は、「一部の国会議員を除き、提案すればそれを自身の業績とするか、一過性の問題にしてしまうのが常だからだ」、「日本の役人がいかに優秀だとしても、2~3年で担当が代わるようでは、持続的な活動は期待できない」と指摘しているように、そもそも「国の領土を守る」と言う信念も乏しくかつ思い入れも少なく、それを長期間維持していく環境もなければ、「事なかれ」で終わってしまうのでしょうね。

 ですから国のトップが率先して事を構えなければ、絶対に前に進みません。外務省のホームページに「竹島の領有権に関する我が国の立場と韓国による不法占拠の概要」として見解を載せていますが、「平和的解決」を謳うだけで「何もしない」ことの言い訳にしているようにも思えます。

 確かに官僚はものすごく忙しいそうです。その大きな理由は「野党の馬鹿げた質問」の答弁づくりに奔走していることが大きな要因の様です。そんな馬鹿げた質問には、かつての吉田茂首相のように、「バカヤロー」と言って済ませたいですね(その後国会は解散になったようですが)。

 その馬鹿げた仕事を国会改革も含めてやめさせて、結果として彼らに時間を与え、現場をよく観察させ、民間からもどんどん新しい人材を取り入れ、専門家として仕事に打ち込むようお互いに政策競争させながら、「先例踏襲」「形式主義」そして「事なかれ主義」を打ち破っていかなければ、日本の未来は真っ暗でしょう。

 失われた40年、50年そしてついには崩壊、とならないためにも霞が関改革は緊喫の課題です。もちろん国会改革も。

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