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2020年9月11日 (金)

おもしろくない「お笑い」を乱造する同業者とテレビ

Main  以前にも話題にしましたが、今回も「お笑い芸人」に関して取り上げます。最近思うのは、なぜこんなにお笑い芸人が地上波テレビで目に付くのか、と言うことです。本来の漫才番組やバラエティ番組だけでなく、報道番組の司会やコメンテーター、クイズ番組の司会や回答者、食べ歩きや旅番組のナビゲーターや随行者、歌番組、特集番組の進行役、そしてドラマやCMの出演者等々、あらゆるところに出没しています。

 俗に6000人と言われる吉本興業所属タレント、また5000組と言われるM1グランプリの出場者から見ても、1万人と言われる俳優、女優の数に匹敵します。俳優、女優でも実力、人気のある人はそのうちの僅かでしょうが、お笑い芸人でも同じことです。

 でも俳優、女優は、様々なキャラクターをカバーしなければならないため、役柄につぶしがききますが、お笑い芸人は基本面白く人を笑わせなければ、それほどつぶしは効きません。勢い、場違いなトークやしぐさで失笑を買うような、軽薄なタレントは多くいます。それでも番組側が使いたがるのは、出演料でしょうか、それともシナリオを作る手間が省けるからでしょうか。

 そして彼らの最大の価値、「面白さ」に疑問を持たせるような失格芸人の詳細を、評論家でエッセイストの勢古浩爾氏がJBpressにコラムを寄稿しています。タイトルは『お笑い芸人がおもしろくないのは当たり前 おもしろくない「お笑い」を乱造する同業者とテレビ』(9/9)です。多少独善的な要素が入り混じっていますが、以下に引用して掲載します。

 お笑い芸人がおもしろくない。「お笑い」と自称しているくせに、腹が立つほどおもしろくないものがいる。

 漫才・コント番組以外にも、「ジョブチューン」「秘密のケンミンSHOW極」「世界一受けたい授業」「アメトーク」などのバラエティ番組を見れば一目瞭然である。それで本人たちは、笑わせてやったぜ、と得意顔なのが腹立たしい。「おまえ個人の感想ではないか」といわれればそのとおりだが、しかしすべての感想は個人の感想である。

 ここ10年ほどで「街ブラ」や「バス旅」番組がやたら増えた。そこに、明石家さんまの「これはテレビや、声を張らんかい」が浸透していると見えて、街なかや店なかやバス内で、大声をあげて我が物顔にふるまうものがいる。もともとテレビが傲慢なのだ。そんな芸人に接して泣かんばかりにありがたがる一般人もいるが、「邪魔だな」と迷惑に感じている人もいるはずである。

 わたしは「お笑い」が嫌いではない。夢路いとし・喜味こいし、獅子てんや・瀬戸わんや、ダイラケ(中田ダイマル・ラケット)、岡八郎(岡八朗)・花紀京の時代から見ている。電撃ネットワークが懐かしい。大晦日の「笑ってはいけない」シリーズは、周囲からばかじゃないの? といわれながらも毎年録画し、正月の真夜中にみっちり6時間見ている。あれは9割くだらんが、1割おもしろいのだ。

 もちろん、おもしろいと思う芸人もいる。ナイツ、サンドウィッチマン、銀シャリ、中川家、麒麟の川島、クリームシチューの上田。その次に、ハライチ特に澤部、千鳥特にノブ、かまいたち特に濱家、ジャルジャル、和牛、ミルクボーイらである。かれらはみな本業のネタ作りがしっかりしていて、しかもわたしの笑いのツボに合うのである。それだけでなく、当意即妙で発言やアドリブもうまい。

おもしろくない原因を作っているのはテレビだ

 わたしには全然おもしろくない芸人のお笑いを一番笑うのは同時に出演している同業者の芸人たちである。かれらはおなじ笑いのプロのはずなのに、どうしてそんな程度のネタで笑えるのだろうと不思議だったが、お笑い芸人の世界は互助会だったのである。仲間の気づかれないネタや発言や合いの手も、他の仲間たちが「拾って」やり、お付き合い笑いをしてやるのである。発言の少ない人間には、話を「振って」(助け舟を出して)救ってやる。芸人は相身互いというわけである。

 どの番組のだれがおもしろくないのか、ここで実名を挙げるべきかもしれないが、そこまで日本の言論は自由ではないから差し控える。おもしろくない原因を作っているのは、かれらを使いつづけるテレビ局の責任でもあろう。テレビでは「まずいもの」や「おもしろくないもの」はあってはならないのである。そして、いまや芸人たちがいなければ大半の番組が成立しない。

 いまの「笑点」で、おもしろくない答えに一番笑っているのは司会の春風亭昇太である。役目柄しかたがないのだろうが、昔、立川談志が司会をやっていたときは、平気で「おもしろくねえや、座布団とれ」とやっていた。あの頃の「笑点」はおもしろかった。いまではすべてにおいて馴れ合いになってしまった。見ているほうは白けているのだ。テレビで正論やホンネをいえば「毒舌」「辛口」「面倒くさい」と忌避される。

「おもしろくない」ことを批判せよ

 いまでは軒並み衰退したが、小説にも映画にも音楽にも批評が存在する。しかしお笑いの世界には批評がほとんど存在しかなった。

 3年前、茂木健一郎が日本のお笑い芸人を批判したことがある。海外の芸人は権力者批判や政治風刺をするが、日本の芸人は「上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無」、さらに「大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』」と痛罵した。ところが爆笑問題や松本人志らから反論されるや、茂木はいささかも抗戦することなく、あっさり尻尾を巻いて遁走したのである。

 松本人志に「(茂木は)笑いのセンスが全くないから、この人に言われても刺さらない、ムカッともこない」といわれたのがなぜか、茂木には一番堪えたらしい。茂木は「一番刺さったのが、松本さんの“センスがない”だった」というが、茂木健一郎に笑いのセンスがあるかないかなど、どうでもいい話である。松本は、茂木には笑いがわからない、といいたかったのだろうが、それを指摘する方も、指摘されて反省する方も、まったくピントがずれている。

 お笑い芸人批判をするのはいいが、茂木のいう権力批判だの政治風刺だのはどうでもいいのである。日本の芸人にそんなことできるわけがないし、だれも芸人に権力批判など求めてはいない。むしろ首相の桜を見る会に招待されれば嬉々として出かけるのである。首相に呼ばれれば手もなく会食するのである。「終わっている」か否かも、「国際水準のコメディアン」も、どうでもいい。お笑い芸人を批判するなら、眼目は、お笑い芸人なのに笑えない、つまりおもしろくないという一点でなければならない。

「おもしろい」が社会的価値になってしまった

 いまやお笑い芸人は偉くなってしまった。ダウンタウンはテレビ局の幹部連が玄関口まで出迎え・お見送りをするという。すっかり芸人枠というものができて、映画、テレビドラマ、コメンテーターに起用されるのもあたりまえになった。CMにも起用され、ワイドショーの司会者(生意気にもMCという)にも抜擢されるようになった。

 一発当てれば、バカみたいな報酬が払われる。「ヒロシです」のヒロシでさえ、全盛時の月収が4000万円あったという。80年代の漫才ブームのとき、ビートたけしは「200億円稼いで税金が180億円」だったという。

「おもしろい」ということが社会的価値になった。政治家たちが受け狙いで笑わせようとして失言して問題になり、俳優もおもしろいと思われたくて芸人にすりよる。芸人はいまや、ほとんど怖いものなしの状況である。

 一攫千金と女にもてることを夢見ているのか、漫才のコンクール「M-1グランプリ」の参加者がほぼ5000組いるという。いかにも供給過多である。仕込まれたかのように「お笑い第7世代」と称されて、芸人が次々と誕生する。その結果、やっているパフォーマンスと破格のギャラとが釣り合わない。お笑いというも愚か、ただの軽口と悪ふざけに堕しているものが多くなってくる。

おもしろくないのになぜ大御所

 まるでおもしろくないのに、いまだにテレビ界で大御所として君臨しているのがビートたけしである。やはりたけしはまだ視聴率が取れるのだろう。お笑い界のビッグ3はビートたけし、明石家さんま、タモリらしい。これに所ジョージを加えてビッグ4ともいうらしい。この4人がなぜビッグになったのかわからないが、日本の芸能界ではそういうことがある。内田裕也然り、和田アキ子然り。

 漫才のおもしろさからいえば、B&Bのほうがツービートよりもおもしろかったのである。ビートたけしはもともと「コマネチ」のジェスチャーと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」だけである。しかしいまではビッグ4のなかで押しも押されもしない一番の大物である。

 芸人のなかでもインテリで、芸人の価値を高めた。数学の計算を解き、映画監督もやり、絵もうまく、エッセイも小説も書き、ピアノも弾く。しかも信じられないほどの高額所得者。タモリもインテリではあるが、多芸多才ということでいえばたけしは抜群である。

 わたしはたけしは好きでも嫌いでもない。かれの漫才をおもしろいと思ったことも、映画に感心したこともない。「その男、狂暴につき」や「キッズ・リターン」などはよかったが、「BROTHER」「龍三と七人の子分たち」は最悪だった。フランスで勲章をもらっても、ベネチアで賞をとってもだめなものはだめ。小説は読んだことがないが、ビートたけしの才能で一番すぐれているのは、週刊誌に連載して本になったエッセイだと思う。

 蛭子能収はたけしを芸能界で一番尊敬するといっている。蛭子にたいしても謙虚で偉ぶらず、ていねいで敬語を使ったというから、人間的にはいい男なのだろうと思う(たけしと蛭子は昭和22年生まれの同い年)。日本人がフランス料理やワインの蘊蓄を語るようになったとき、なに生意気をいってやがる、味噌汁とタクアンで育ってきたくせしやがって、というようなことをいったたけしはよかった。無理せず、素のままのたけしはいいのである。

 たけしは各局にそれぞれレギュラー番組をもっている。しかしたけしは介添えがいないと番組に出られない。「情報7daysニュースキャスター」では安住紳一郎、「たけしのニッポンのミカタ!」の国分太一、「ビートたけしのTVタックル」の阿川佐和子。そのあたりが所ジョージやタモリやさんまと違うところだ。「情報7days」でコロナ以前に「刮目ニュース」をやっているころはまだよかった。滑舌がわるく、なにをしゃべっているかわからなかったが、それなりの企まざるおもしろみがあった。それが、おもしろいことをいおうとすると失敗するのだ。

 8月22日の「情報7days」で、福岡の女子小学生記者が藤井聡太2冠に、走るのが速いらしいがどれくらい速いのですか? とインタビューした映像が流れた。ところがこれを見たたけしが「どんな女が好きか、とか、もう女は知ってるのか、とか聞けばいいのに。だめかな」というようなことをいったのである。わたしは、あほか、と思った。自分ではおもしろいことをいったつもりだったのか? 安住は流したが、自分でなにをいったかの判断がつかなくなっているたけしは、ほとんど老害であった。

 もともと「お笑い」芸人だからおもしろい、というのが錯覚だったのである。そんなばかなこと、あるはずがないのだ。また、いつまでもおもしろいなんてこともない。いまも昔も、ごく一部のすぐれた芸人のある時期しかおもしろくないのである。

 勢古浩爾氏の述べていることすべてには賛同はしませんが、少なくとも粗製乱造で毎年新人が何人も出てくる芸人の中で、本当に面白いのはほんの一握り。そんな面白くもない芸人をここまで使うテレビは、他に価値を見出せないからでしょうか。

 番組の中でお笑い芸人同士がバカな事を言い合って、お互い馬鹿笑いしているシーンをよく見かけます。本人たちは面白いことを言っていると思っているのでしょうが、見ている側はバカな事を言っているとしか思えない、そう言うことがよくあります。

 彼ら芸人の持つ芸の限界のため、持ちネタの希薄さから単なるギャグの連発で、番組を流しているのでしょう。そこには創意工夫でもって番組の質を上げようと言う、番組ディレクターの思考の限界もあるのでしょう。彼らには面白くすれば見る人がいる、という思い入れがあるのかもしれません。でも面白くないのです。

 ですから面白さを狙って、お笑い芸人を利用しようとしているその思惑が、結果として面白くない番組となってしまっているのです。早晩番組の構成を練り直さないと、ますますテレビ離れが進んでいくのは止められないでしょうね。地上波テレビ番組がなくなっても、ネット番組やスカパーなどがあるので一向にかまわない、と言う人は多いと思います。

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