中共の毒牙に洗脳されたノーベル賞作家大江健三郎氏
ある人によれば、日本には日本をおとしめるための「奥の院」(仮称)という地下組織があるそうです。その「奥の院」、決して表には現れないが影で絶大な権力を持ち、反日勢力を操っているそうです。そこには当然多額の中共の地下マネーが流れ、反日メディアをも牛耳っているのでしょう。
かつてのコミンテルンに端を発し、この日本を共産化し、戦中戦後にはソ連、そして現在は中共の属国としようと企む「奥の院」に、思想を同化・洗脳された数々の知識人たち、その先頭を走った一人に、かのノーベル賞作家大江健三郎氏がいます。
原子力関連技術に詳しい物理学者の高田純氏が、その著書「脱原発は中共の罠」で、大江健三郎氏のノーベル賞作家にはほど遠い反日の奇行を述べていますので、以下に引用します。少し長いのですがご容赦を。
◇
東日本大震災が発生した2011年以来、「反原発」や「脱原発」感情を煽る集団がいる。その先導者の一人はノーベル文学賞の大江健三郎氏で、象徴的な「トロイの木馬」だ。
震災のあった平成3年6月に始まった「さようなら原発1000万人アクション」は、9人の呼びかけ人 = 内橋克人氏、大江健三郎氏、落合恵子氏、鎌田慧氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏を担いだ、脱原発運動である。
一千万人署名市民の会の都内記者会見では「安倍新政権の原発を増設・再稼働させようとする行為は許せない」と主張。そして2013年1月10日に、大江氏は言った。
「原発に対して、憲法改悪に対してNOと言うには、デモンストレーションしかない」。
「脱原発」と「憲法改正」は全くの無関係である。それなのに、「憲法改悪にNO」とは支離滅裂ではないか。
彼は「脱原発」の先導者として適任者なのか、はなはだ疑問である。その理由は明快だ。
彼は昭和時代、1964年10月に始まった中共の核実験・核武装に対して、「核実験成功のキノコ雲を見守る中国の若い研究者や労働者の喜びの表情が、いかにも美しく感動的であった(『世界』67年9月号)と言った。その地は、中共に侵略された新疆ウイグルである。
中共の核武装はYESで、日本の核エネルギーの平和利用はNOとする大江氏の矛盾。
ならば、脱原発後の日本が核武装することに、大江氏は賛成するのか。さらに言えば、「さようなら原発」一千万人署名市民の会は、日本の核武装に賛成するのか。バカバカしい限りだ。
彼らの目標は、「日本文明の発展と国防強化を阻止することにある」。すなわち、反国益、反日行動である。こうした「市民」運動を大々的、好意的に取り上げるマスコミは、異常だ。「市民の声」は「国民の声」なのか。
大江氏が『世界』で中共の核実験を絶賛した年の6月17日、中共は2メガトン威力の大型水爆実験を強行した。そこは、ウイグル人たちが暮らす楼蘭遺跡周辺地域で、やってはいけない危ない地表核爆発だった。
地表核爆発は莫大な放射能を含む砂を広大な風下地域に降下させるので危ない。風下住民に致死リスクがある。中共は、この内陸で3回もメガトン級の地表核爆発を強行した。そのため、9万人以上が放射線で急性死亡したと推計されている。被害はこれ以上である。総核爆発回数46回、22メガトンは、広島核の1375倍だ。(『中国の核実験』)
米ソは危険回避のために、太平洋や北極海で、人口地域から100m以上も離して水爆実験場とした。
だから、内陸での中共の水爆実験は世界最悪の蛮行である。それを侵略したウイグル人たちの土地で強行した。北京から遠く離れた西方で爆発させた第一の理由は、危険を知っていたからである。
この中共の核武装に対する彼の感情は、平成になっても変わらなかった。それは、フランスと中共の両者の核実験に対しての反応に顕著に表れた。
1991年から96年までの核実験を両国で比べる。フランスが12回南太平洋で、他方、中共は9回ウイグル地区で行った。
フランスが核実験を始めると、彼は猛烈にフランス批判を始めた。フランス産のワインは飲まずに、カリフォルニア産ワインを飲むという写真が新聞で報じられたほどである。
一方で、彼は中共のウイグル地区での核実験にたいしては、完全に沈黙を続けたのだ。
一般人から見れば、大江氏の核に対する言動は明らかに矛盾している。
しかし、彼自身の嗜好は一貫している。彼は、中共が大好きだった。彼は、それを貫いている。だから、日本国内の中共大好き派の集団には人気がある。
大江氏はチャイナが好きなのではなく、共産主義のチャイナ(中共)が好きなのだ。そう解釈したほうが納得できる事実がある。彼が、建国間もない中共を旅行した際の言動が、その理解につながる。
1949(昭和24)年10月1日、毛沢東が北京の天安門の壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言した。ただし、内戦は終息していなかった。11月30日に重慶を陥落させて蒋介石深いる国民党政府を台湾島に追いやっても、翌年6月まで小規模な戦いが継続した。
建国当初、新民主主義社会の建設を目標に、穏健で秩序ある改革が進められていた。しかし毛沢東は、1952年9月4日、突如として社会主義への移行を表明した。
その後、共産党に批判的な知識人層を排除した。非道な人民裁判による処刑や投獄だった。こうして、毛は、急進的に社会主義建設路線の完成をめざした。
1957年の反右派闘争で党内主導権を得た中央委員会主席の毛沢東は、1958年から1961年までの間、農業と工業の大増産政策である大躍進政策を発動した。
大量の鉄増産を試みたが、農村での人海戦術に頼る原始的な製造法のため、使えない大量の鉄くずができただけだった。農村では「人民公社」が組織されたが、かえって農民の生産意欲を奪い、農業も失敗した。
こうして大躍進政策は失敗し、数年間で2000万人から5000万人以上の餓死者を出した。
1960年5月20日より38日間にわたり、日本から6人の作家・評論家が、まだ国交のない中共を訪問した。その中に大江氏はいた。その時期は、まさに、暴走した共産党が打ち出した大躍進政策が発動された只中だった。
その印象記は、『写真 中国の顔』として、同年10月に出版された。それによると、日本文学代表団の中国訪問旅行は日本中国文化交流協会と中国人民外交協会の間に結ばれた「日中両国人民の文化交流に関する共同声明」に基づき行われた。中国人民対外文化協会、中国作家協会の招待であった。
この時代は、毛沢東が共産党中央委員会主席および中央軍事委員会主席を務める、
最高指導者の地位にあった。当然、この日本からの訪中団の物語全てが、毛の放った対日工作というお盆の上の出来事である。
日本訪問団は広州、北京、蘇州を順に訪れて、主に日本国内での日米安全保障条約(安保)反対闘争を詳しく伝えるために時間を費やした。
これに対して、「中国人民、労働者、農民、学者、文学者、政権の中枢にある人々から、熱烈な歓迎を受け、日本の安保反対闘争にたいして大きな支持を得た」という。
すなわち、日本訪問団は日米安保の反対闘争に関し、中共から熱烈な工作を現地で受けたのだった。これが、大江氏の中共大好きの源流になった。
帰国後に、日本で多くの写真を含む出版を企画する意向を中共側へ相談したが、合意され、積極的に協力を受けた。向こうからしてみれば、全てが工作なのだから当然である。
見て回るところ、会合も、全てが中共にお膳立てされている。だから、不都合な場面を、彼らが見ることはなかった。
そんなわけで、彼は、非道な権力闘争の粛清や投獄を見ることはなかったのではないか。あるいは、それらを感じながらも、革命の空想のなかで正当化したのではないか。
そうして、彼はこう言った。
「もっとも重要な印象は、この東洋の一部に、たしかに希望をもった若い人たちが生きて明日に向かっているということであった」。
一員の野間宏氏も言う。
「1949年の開放以来大きな発展をつづけている中国は、1958年の『大躍進』以来、さらに大きく前進している。私達はこの中国のなかで日本と中国の結合という問題についてたえず考えていた」。
この意味は、日本が中共体制にのみ込まれることを指しているのであろう。とんでもない思考だ。帰国後の彼らは、中共の日本支部代表になっていたのではないか。そんな想像ができる怖い実話だ。
共産党独裁社会の現実の悲劇に目を向けず、彼らが空想する共産理想社会のメガネを通して、日本社会の変革を語っている。これこそが危険な木馬である。
中共中央委員会主席・毛沢東主導の権力闘争である「文化大革命」が1966年に始まり、1976年まで続いた。その間の虐殺は最大2000万人と推計されている。この文革は日本へも輸出された。日本語雑誌である『人民中国』、『北京周報』、『中国画報』や『毛沢東選集』などの出版物や北京放送などの国際放送で、対日世論工作の宣伝がなされた。日本国内での暴力革命事件と文革期間が完全に重なっている。
「天安門事件」は、1989年6月4日に勃発した。北京市にある天安門広場に学生たちを中心に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した。多数の戦車部隊の武力行使や、踏みつけられた死体の写真が世界中に報じられた。この弾圧で、数万人が殺されたとの推計がある。
その後、中共独裁の悲劇のいくつかは世界が報じた。天安門事件、チベット仏教の弾圧、南モンゴルの土地収奪、ウイグルでの核爆発災害、ウイグル人や法輪功など無実の囚人からの臓器狩りと移植ビジネスなどの暗部を、世界の大多数はそれとなく知っている。
当然、大江氏もその暗部の報道を知っているはずだ。にもかかわらず、1960年と1984年に訪中した。
さらに、天安門事件後の2000年9月、ノーベル賞作家となった彼は、中国社会科学院外国文学研究所の招きに応じ、北京を訪れた。
彼は、「今度の中国行きでは、若い世代の率直な意見を聞きたい。未来に向かうあなた方にとって、日本人は信頼に値するのか。アジア人にとって日本人は信頼に値するのかどうか。そして世界の人々にとって日本人は共に生きることのできる在なのか.…」と語っていた。
この気持ちは、香港の民主主義が死んだ2020年でも、大江氏の心にあるのだろうか。世界の大多数の人からすれば、中共は信頼されない存在だ。他国の発明を奪い、模倣品を製造する多数の工場。周辺国へ武力行使し、圧力をかける存在。尖閣諸島は中共のものだという。
武漢で発生した、さらに言えば、発生させた新型コロナウイルスの感染爆発の事実を隠蔽し、世界中にバイオハザードを巻き起こした張本人。
しかし、彼は中共が大好きだ。一般の人には理解不能の信念の作家は、間違いなく危険な「トロイの木馬」である。
◇
大江健三郎氏は北朝鮮についても『地上の楽園』と称して礼賛していますし、根っからの反米、反日、反天皇制、つまり極左思想の持ち主であることは疑いのないところでしょう。彼がその呼びかけ人の一人となった『さようなら原発1000万人アクション』のメンバーには、そうそうたる人物が参加していますが、皆「奥の院」に洗脳された日本弱体化の中共の手先となった人たちです。
私自身は原発を何が何でも今以上に推進する派には属しませんが、しかし一方折角設備があるのに、必要以上に厳しい規制を押しつけ、稼働停止状態を長く放置している現状には異を唱えます。少なくとも国産エネルギーをほとんど持たなく、かつ経済的にも長期低落状況の日本が、このような無駄を放置するのではなく、なんとか稼働に持って行くのが国や国民のためでしょう。
原発反対者に申し上げたい。原発を止めている間に垂れ流す原油や天然ガスの輸入費用をどこから出すのか。反対者がそれを補填するのか。いずれにしろ反日左翼の人たちは、日本を弱体化することにばかり力を注いでいるとしか思えません。もちろんそれは中共の狙いの一つでしょうが。
歴史を振り返れば、GHQがもたらした戦後日本の左傾化。もちろん占領途中でソ連の台頭、中共の勃興、朝鮮戦争勃発等により、共産化の脅威に気づいたマッカーサーは、レッドパージで共産党を地下に追いやりますが、大学やメディア、言論界、組合等に根付いた共産主義思想はしぶとく残り続け、今も一定の存在感を示しています。
彼らの大きな目的の一つは日本の防衛力、抑止力の拡大阻止、そのための憲法改正阻止です。未だに戦前の軍国主義を持ち出し、軍アレルギーをばらまいています。
そして大学、左翼メディア、日本学術会議、日本弁護士連盟等々、彼らの巣窟で日本弱体化を狙っています。それはまさしく中共の意図するところ。彼らを糾弾することが中共から日本を守り、日本の未来を思う我々の最大の課題だと強く感じます。
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