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2021年6月29日 (火)

戦勝国からお仕着せられた憲法、その背景(2)

20  今回も前回に引き続き、日本国憲法の制作背景です。前回は現憲法がGHQの手で作られた経緯を矢部宏治氏の著書『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』から引用しました。今回はその続きとして、憲法前文や9条の条文がどこからどのように組み込まれたのか、同著書の一部を引用して解き明かしたいと思います。

憲法9条のルーツをたどる

 憲法9条の問題について調べていくと、やはり「ポツダム宣言」や「降伏文書」とまったく同じ問題に直面します。つまり私たち日本人は、9条というこの憲法上の問題について、基本的な文書をまったく読まずにこれまで「議論」してきたのです。

 その代表が、「戦後日本最高の知識人」として名高い丸山其男なのですから、何とも複雑な思いがしますが、そのことについては本章の最後でお話しします。

 日本国憲法について、それが国連憲章との強い関連のなかから生まれたという話は、比較的よく知られています。

 だとすれば当然、憲法9条や憲法前文について少しでも論じようとするなら、それらの条文が、国連憲章のどの条文にルーツがあるのか、さらにその国連憲章の条文はそれぞれどこにルーツをもっているかについて、まず調べる必要があります。

 そうすれば私のような門外漢でも、国連憲章を語るには最低でも次の①から④までの四つの段階の条文を読まなければならないということが、すぐにわかるのです。

戦後の世界のかたちを決めた大西洋憲章

 詳しくは『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という本に書きましたので、ここでは全体の流れだけを、ざっとご説明しておきます。

 まず、まだ太平洋戦争が始まっていない1941年8月14日の段階で、当時のフランクリン・ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が、まもなくアメリカが対日戦に参戦することを前提に、

Chtotakoeatlanticheskayahartiyapodpisani  「米英が理想とする戦後世界のかたち」を宣言した二ヵ国協定を結びます。それが大西洋憲章です。

 翌1942年1月1日、米英はその大西洋憲章にもとづき、ソ連と中国(中華民国)を含めた26ヵ国の巨大軍事協定を成立させ、第二次大戦を戦う体制を整えます。その参加国をあらわす言葉が「連合国」(United Nations)で、協定の名が②連合国共同宣言です。

 その後、さらに参加国を増やしながら第二次大戦を戦い、連合国の勝利が確実になった1944年10月、米・英・ソ・中の四ヵ国で国連憲章の原案である③ダンバートン・オークス提案をつくります。

 そしてヨーロッパ戦線の戦いがほぼ終了した翌1945年の4月から6月にかけて、③の条文をもとにサンフランシスコで50ヵ国が会議を行い、④国連憲章をつくります。その結果、同年10月に51ヵ国が参加して、軍事上の国家連合から平時の国際機関に衣替えした「国際連合」(United Nations)が誕生したのです(ご覧のとおり、英語では「連合国」と「国連」は同じ表記です)。

 この経緯を簡略化すると次の通りです。

  •  大西洋憲章(米英二ヵ国で基本文書作成/1941年8月)

     ↓

  •  連合国共同宣言(26ヵ国が参加/1942年1月)

     ↓

  •  ダンバートン・オークス提案(米英ソ中の四ヵ国で基本文書作成/1944年10月)

     ↓

  •  国連憲章(五〇ヵ国が参加して作成/1945年6月)

 まず主要国で基本文書をつくり、それにもとづいて加盟国を集める。さらに大きな枠組みをつくって、また同じことをくり返す。非常に論理的かつ戦略的なやり方です。こうした物事の進め方こそ、日本人が最も見習わなければならないところだとつくづく思います。このやり方で米英は第二次大戦に勝利し、そのまま「戦後世界」を支配し続けているわけです。ですから、そのすべてのスタート地点となった「大西洋憲章」は、日本ではあまり知られていませんが、非常に重要な文書なのです。

 現在、私たちが暮らす第二次大戦後の世界は、「領土不拡大の原則」や「民族自決の原則」など、基本的にはまだ、このとき大西洋憲章で示された枠組みの上にあります。

 したがって、本当は現代史を教えるには、まずこの大西洋憲章から教え始めなければならない ― それほど重要なものなのです。

1.両国は、領土その他の拡大を求めない。

2.両国は、当事国の国民が自由に表明した希望と一致しない領土の変更は望まない。

3.両国はすべての民族が、自国の政治体制を選択する権利を尊重する。両国は、かつて強制的に奪われた主権と自治が、人々に返還されることを望む。

4.両国は、現存する債務関係について正しく配慮しながら、すべての国家が、大国、小国を問わず、また戦勝国、敗戦国にかかわらず、経済的繁栄のために必要な、世界における商取引と原料の確保について、平等な条件で利用できるよう努力する。

5.両国は、改善された労働条件、経済的進歩および社会保障をすべての人々に確保するため、経済分野におけるすべての国家間の完全な協力が達成されることを希望する。

6.両国は、ナチスによる暴虐な独裁体制が最終的に破壊されたのち、すべての国民がそれぞれの国境内で安全に居住できるような、またすべての国の民族が、恐怖と欠乏から解放されて、その生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む。

7.そのような平和は、すべての人びとが妨害を受けることなく、公海・外洋を航行できるものでなければならない。

8.両国は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威を与えるか、または与える可能性のある国によって使われ続けるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度〔=のちの国連〕が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる。両国はまた、平和を愛する諸国民のために、軍備の過重な負担を軽減するすべての実行可能な措置を助け、援助する。

フランクリン・D・ルーズベルト ウィンストンーチャーチル

憲法9条のルーツである大西洋憲章・第8項

 大西洋憲章のなかで、日本の憲法9条を議論するにあたり、まず見なければならないのは、第8項です。そこには憲法9条の持つ、

A「平和に対する人類究極の夢(=戦争放棄)」

B「邪悪な敗戦国への懲罰条項(=武装解除)」

 というふたつのルーツが、はっきりと書かれているからです。

 それを読むとわかるように、日本国憲法9条は、ただ素晴らしいだけの「人類の夢」として生まれたものではありません。その条文のなかには、戦争と平和をめぐる人類の歴史の光(A)と闇(B)が、どちらも内包されています。そのふたつの現実を、私たち日本人はよく知らなければならないのです。

 以下がその光(A)と闇(B)に対応する、大西洋憲章の条文です。

A「両国〔米英〕は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる」 (戦争放棄:第8項前半)

B「もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威を与えるか、または与える可能性のある国によって使われ続けるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度[=のちの国連]が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる」 (武装解除‥同後半)

憲法9条は国連軍の存在を前提としていた

 こうした大西洋憲章の理念を三年後、旦一体的な条文にしたのが、国連憲章の原案である「ダンバートンーオークス提案」 (③)でした。この段階で「戦争放棄」の理念も条文化され、世界の安全保障は国連軍を中心に行い、米英ソ中という四大国以外の一般国は、基本的に独自の交戦権は持たないという、戦後世界の大原則が定められました(第8章・12章)。

 これはまさしく日本国憲法9条そのものなんですね。ですから憲法9条とは、完全に国連軍の存在を前提として書かれたものなのです。

 日本ではさまざまな議論が錯綜する憲法9条2項についても、この段階の条文を読めば、あっけなくその本来の意味がわかります。要するに、日本国憲法は国連軍の存在を前提に、自国の武力も交戦権も放棄したということです。

実現しなかった国連軍

 ですから、もしこの「ダンバートンーオークス提案」の条文が、そのまま国連憲章に受け継がれ、戦後世界の基礎となっていれば、日本国憲法9条は新しい時代の到来を告げる理想的な憲法の条文として、世界中の国々のモデルとなったはずなのです。

 ところが現実はどうだったかというと、結局、この段階で想定されていたような正規の国連軍は、ついに一度も編成されることはありませんでした。それどころか、逆にその後、国連憲章に意図的に挿入された「集団的自衛権」などのいくつかの例外条項が、朝鮮戦争をきっかけに猛威を振るい始め、現在まで続く戦争の絶えない「戦後世界」が出現してしまったのです。

 1946年2月3日、マッカーサーの指示のもと、部下のケーディス大佐たちが日本国憲法の草案をつくり始めた日、ロンドンではまさに、第一回・国連安保理決議にもとづく「国連軍創設のための五大国の会議」(第一回軍事参謀委員会会議)が始まっていました。

 そしてその日、マッカーサーが部下たちに示した憲法草案執筆のための三原則(いわゆる「マッカーサー・ノート」)のなかには、

 「日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」

 と書かれていました。

 憲法9条が国連軍を前提として書かれた条文であることに、疑いの余地はありません。そしてその背景にはいま見たように、1941年の大西洋憲章にはじまる、国際的な安全保障体制についての長い議論の積み重ねがあったのです。

 ところが、「9条は日本人が書いた」「幣原首相が書かせた」と主張する人たちが9条に抱いているイメージというのは、安全保障とは基本的に関係のない、おもに「絶対平和主義」という思想上の系譜ですので、ここでどうしても話がかみ合わなくなってしまうのです。

丸山眞男の憲法9条論

 その代表が先にふれた丸山眞男でした。

 意外なことに、この「戦後日本最高の知識人」と称されるほどの人物が、ここまで私がご説明してきた、

 「大西洋憲章」 → 「連合国共同宣言」 → 「ダンバートン・オークス提案」 → 「国連憲章」

 という歴史的経緯をまったく理解しないまま、有名な憲法9条論 (「憲法第九条をめぐる若干の考察」 『後衛の位置から』 未来社 所収)を書いていたことは、すぐにわかるのです。

 それは憲法前文の、

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 という部分について、彼が論じた文章を読めば明らかです。

 丸山は、前文のなかにあるこの一節は、日本人からよく誤解されているといいます。

 というのも、9条と強い関連を持つこの一節の、

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」

 という部分を、日本人が、

「他の国家に依存すること」

 とゴッチャにしているからだ。それは日本人が「ピープル」と「ネイション」と「ステイト」の区別がよくわかっていないための「誤解」なのだと指摘しています。

 丸山によれば、そうではなく、あくまでもこの部分は、

 「普遍的理念に立った行動を通じて、日本国民はみずからも平和愛好諸国民の共同体の名誉ある成員としての地位を実証してゆくのだ」

 という論理であり、決意の表明または思想を意味しているのであって、

 「特定の単数または複数の他国家に日本の安全と生存をゆだねること」

 とは、まったく違っているのだというのです。

「平和を愛する諸国民」とは?

 しかし、この見解は残念ながら、かなり初歩的な間違いなのです。

 なぜなら、丸山が問題にしている「平和を愛する諸国民」とは、彼がいうような抽象的な概念ではなく、本来、

 「第二次大戦に勝利した連合国(およびその国民)」

 を意味する言葉だからです。

 それはこれまで見てきたように、国連憲章や大西洋憲章の条文をさかのぼってみればすぐにわかることなのです。

 そもそも[平和を愛する諸国民]という言葉は、まず先にご紹介した「大西洋憲章」の第8項に登場します。そこでは、これからはじまる世界大戦が、

 「他国へ侵略的脅威をあたえる国」 (=ドイツや日本などの枢軸国)

 「平和を愛する諸国民」 (=のちの連合国)

との戦いであるという、米英の基本的な世界観がはっきりと示されているのです。

 大西洋憲章の条文が、いかに日本国憲法の前文にダイレクトな影響を与えているかについては、いま触れた部分のすぐあとにある、

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 という憲法前文の有名な箇所が、

 「〔米英〕両国は、(略)すべての国の民族が、恐怖と欠乏から解放されて、その生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む」

 という大西洋憲章・第6項の後半を、ほとんどコピーしたような内容であることからもわかります。

 もっとはっきり言ってしまえば、つまり憲法前文の執筆を担当したGHQのハッシー中佐が、大西洋憲章を参照しながら、このあたりの文章を書いていたということです。丸山は同じ「論文」のなかでその箇所についても言及していますが、残念ながらそのルーツが大西洋憲章・第6項にあることも、まったくわかっていないようです。

 「調べたこと」と「頭で思ったこと」

 そして大西洋憲章にもとづいてつくられた「ダンバートン・オークス提案」(第3章)でも、「国連憲章」(第4条1項)でも、「平和愛好国」という言葉が、「国連」の加盟国とほぼ同じ意昧でつかわれていることを思えば、

 「日本国民は(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 という丸山が問題とする憲法前文の一節が、

 「日本は第二次大戦に勝利した連合国(=国連)の集団安全保障体制に入ることを受け入れ、その前提のもと、憲法9条で国家としての軍事力と交戦権を放棄した」

 という意味であることは、あまりにも明らかなのです。

 つまり丸山は、憲法9条という法学上の問題を議論するにあたって、最低限行うべき、条文をさかのぼって「調べたこと」を書くという作業をせず、ただ自分が「頭で思ったこと」を書いているにすぎないのです。

「丸山教団」と日本の知識人の倒錯

 この「論文」のなかで丸山は、

 「〔憲法〕前文と第九条との思想的連関を全面的に考察するには、さらにそこに含まれた理念の思想史的な背景にまで遡らねばならないでしょう」

 とも語っています。

 「9条と前文を考察するなら、まず条文のルーツをさかのぼった方がいいのでは?」

 と突っ込みたくなりますが、丸山はこう続けます。

 「これはサンピエールやカントからガンジーに至るまでの恒久平和あるいは非暴力思想の発展の問題であり、日本の近代思想史においても、横井小楠などからはじまって、植木枝盛、北村透谷、内村鑑三、木下尚江、徳富蘆花などへの流れがありますし、さらに現実の社会運動にあらわれた思想としては……」

 と、さらに述べたあと、

 「……など、いろいろな形態の表現を第九条の思想的前史として追うことができますが、そうしたことは今日の報告では省かせていただきます」

 と、まさかの肩すかしをくらわせます。

 「えっ、説明しないのり‥」と、この部分だけは、読んでいて声をあげそうになりました。

新しい時代を始めるために必要なこと

 説明しないのに、なぜそんなに多くの思想家たちの名前をあげたかといえば、それは単なる権威づけにすぎず、そのあと自分が述べる意見(つまり「自分が頭で思ったこと」)に説得力を持たせたかったからでしょう。けれどもその意見というのが、憲法9条は日本人が自主的に書いたという「絵本のような歴史」なのですから、もうどうしようもありません。

 可能な限り公平な視点から、この「論文」が収録された本(『後衛の位置から』)を読んでみたところ、もっとも評価できたのは次の点です。

 それは付録としておさめられた、アメリカ国務省での勤務経験を持つ日本文学者(コロンビア大学教授)、サイデンステッカーの次のような丸山評を、削除せずそのまま残しているところです。

 「丸山はあくまでも日本的な現象である。さまざまな観念がこんぐらがった(ママ)彼の文章を見てゆくと、それが対象とする日本国民とその過去の倒錯〔=丸山のおもな研究テーマだった戦前の軍国主義やファシズムのこと〕についてのべるところよりも、むしろ、その中にあらわにされている「丸山教団」や日本知識人とその現在の倒錯を探るために読みたいという強い誘惑をおぼえる」

 つまり、基本的に何をいってるかさっぱりわからず、日本の国外ではまったく通用しない文章であり、議論だとはっきりいっているのです。

 私も全面的にこのサイデンステッカーの意見に賛成します。

 丸山のように飛びぬけて優秀な頭脳を持つ必要も、際立って高い社会的地位を持つ必要もありません。

 ただこれから私たちはできるだけ、「頭で思ったこと」ではなく、「調べたこと」を持ち寄って、重要な問題をみんなで話しあっていきましょう。

 おそらく、そこから新しい時代がはじまります。

 ◇

 なるほど憲法前文や9条の条文は、米英二カ国が協定した大西洋憲章の条文から抜き出した文章なのですね。しかも9条は国連軍の存在を前提にしていた。つまりその前提が崩れたからにはもう使い物にならない条文だと言うことです。理想と現実は異なります。しかも戦勝国にとっての理想であって、敗戦国には何の役にも立ちません。

 それを丸山眞男氏を始め、多くの9条教信者の人たちは、さも大事な理想条文として崇めていますが、矢部氏の指摘の通り単なる勘違いが生んだ代物であり、さっさと現実を見つめ直して、現状にあったものに作り替えていく必要があると思います。そうでなければ、竹島や北方領土、拉致被害者の奪還など交渉の入り口にも立てない状態が、今後も続くことになるでしょう。覚醒せよ日本人、今こそ自前の憲法を持とう、と声を上げていきたいですね。

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