日本共産党、中国との間で二転三転、それより日本になぜ共産主義政党が?
前回、中国共産党の習近平政権について取り上げましたが、その中国共産党と日本共産党はどういう関係なのでしょうか。実は時として親交を深め、時として絶縁状態になるという、恋人関係ではありませんが、ついたり離れたりしているようです。
そのあたりの詳細を産経新聞の特集記事から拾ってみます。タイトルは『日本共産党、親密・仲違い繰り返す〝兄弟党〟 日本共産党の「ご都合主義」』(8/30)で以下に引用します。
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7月の中国共産党創建100年に際し、自民党幹事長の二階俊博、公明党代表の山口那津男、立憲民主党代表の枝野幸男はそれぞれ、中国共産党に祝意のメッセージを伝えた。
対照的に祝電を送らなかったのが日本共産党委員長の志位和夫だ。なぜか-。
日本共産党は1922年、前年に創建された中国共産党同様、国際共産主義運動の指導センター「共産主義インターナショナル」(コミンテルン)の支部として活動を開始した。
戦後の46年に理論誌「前衛」を創刊すると、45年の中国共産党大会における毛沢東の政治報告を掲載。戦時中、中国共産党に合流し活動していた野坂参三は、46年の衆院選で日本共産党から初当選している。
59年には、日本共産党議長の野坂率いる代表団が北京を訪れて毛と会談。中国共産党との間で「アメリカ帝国主義が日中両国人民の共通の敵」などとする共同声明を発表した。
61年の中国共産党創建40年に当たっては、日本共産党はこんな祝賀メッセージを送っている。「中国共産党と日本共産党の戦闘的兄弟的連帯万歳!」
今からちょうど60年前の日中の共産党は、まさに蜜月状態だった。
ところが、中ソ対立や中国内の権力闘争の影響で、両党の関係は一変する。
66年3月、書記長の宮本顕治を団長とする日本共産党代表団が訪中し、周恩来をトップとする中国共産党代表団と共同コミュニケをまとめたが、毛は「ソ連を名指しで批判していない」などとして書き換えを要求。日本共産党側が応じなかったため交渉は決裂し、コミュニケは幻となった。
毛は宮本らの帰国後、日本共産党への攻撃を開始。その年、国内の権力闘争の一環で文化大革命を発動すると、「四つの敵」としてアメリカ帝国主義、ソ連修正主義などと並び「宮本修正主義集団」と批判した。
断絶していた両党の関係に変化が訪れたのは98年。6月に中国共産党が毛時代の「干渉」について「真剣な総括と是正」を表明し、両党は相互尊重などの原則を確認。7月には委員長の不破哲三らが訪中し、中国共産党総書記だった江沢民と会談した。32年ぶりに関係を正常化したのである。
元日本共産党幹部の筆坂秀世が忘れられないのは2001年のことだ。
当時、党政策委員長だった筆坂は、東シナ海で発生した北朝鮮不審船追跡事件を受け、船を撃沈した海上保安庁の対応を肯定する党見解をまとめようとした。しかし、党議長に転じていた不破が「中国は『海保はやりすぎだ』と批判している」と主張し、そうした見解は発表されなかった。
04年の日本共産党大会では、党綱領が改定され、「社会主義をめざす新しい探究が開始され(中略)21世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしている」と明記された。
具体名はないが、議長の不破は党大会の報告で「中国のことだ」と説明している。筆坂はいう。
「中国に自由も人権もないことは、ずっと前から分かっていた。にもかかわらず、不破時代は中国ベッタリだった」
不破が議長を退任した06年以降、トップとして日本共産党を率いるのが志位だ。今月4日、日本共産党創建99年の記念講演で、現在の中国について「自由も人権も民主主義もない社会、他国への覇権を振るう体制」と断じた。
志位は昨年1月、04年党大会で党綱領に明記された中国を評価するくだりを削除し、「大国主義・覇権主義が強まっている」と変更。一転して中国を批判する綱領改定を行っている。
16年末まで日本共産党に所属していた元東京都板橋区議の松崎参(いたる)は、「関係改善を自慢していたと思ったら、中国の評判が悪くなると見解を変える。まさにご都合主義だ」と話す。
一時は「兄弟的連帯」を誇った日本共産党と中国共産党。同じ「共産党」を名乗る両党の関係はこれまで、時々の情勢によって親密と仲違(たが)いを繰り返してきた。今後、両党が蜜月に戻ることがあるとしたら、それは日本やアジアにとってどんな時代なのだろうか。
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日本共産党と中国の関係がどのようになっているかは別にして、共産党という党や組織が、果たして日本にとって必要なのか、と言う根本的な問題に立ち入らなければなりません。もともと共産主義が目指すのは、プロレタリアート独裁でした。マルクスは資本主義が高度に発達した最終過程で矛盾が噴出し、自然に共産主義化すると言う論法をとりましたが、途中レーニンやスターリンの登場で、それが暴力革命に取って代わり、最初の共産主義国家ソビエト連邦ができあがったのでした。
しかし資本主義社会の否定、生産手段の国有化つまり私有財産の保持否定と言う根本的思想は変わっていないはずです。中国は資本主義的要素と共産主義要素が入れ混じった、特殊な国ですから、もはや共産主義国家とは言えないでしょう。別の言い方をすれば、覇権主義独裁国家といった方がいいかもしれません。
日本共産党は今は大人しくしているようですが、おそらく純粋に共産主義国家を目指しているものと思われます。このような政党を非合法にしていない国は先進国では日本とフランスだけです。そのフランスも共産党はかなり変化をしているようです。なぜ日本に共産主義政党が残っているのでしょうか。そのあたりのいきさつをKOGENSYAのコラムから引用します。タイトルは『共産党が非合法化されなかった経緯』(中村学氏:19/12/17)です。
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世界では共産党という政党をつくることが禁じられている国があります。そして禁じられていないにしても、日本のように国会議員がいて、ある程度の勢力を維持している国はかなり珍しいといえます。
もっと言うと、そういう国はほとんどが発展途上国であって、先進国では日本とフランスだけです。フランスでは、代表者がそろそろ解散すると自分で言っています。
つまり世界の先進国の中では日本だけが、共産党が国会で堂々と活動する唯一の国なのです。
考えてみれば、日本は資本主義の世界の中で、第2位か3位の実力を持っています。
テレビでは「格差社会だ」とかいわれていますが、実際には日本の労働者の待遇はかなり恵まれています。社会保障も充実しています。
それなのに、今から日本がわざわざ資本主義を捨てて、共産主義に移行するというのは普通では考えられません。
ソ連や中国では共産主義経済を導入して大失敗しました。たくさんの餓死者も出ました。
貧しくてどうせ餓死してしまう、だったら革命を起こして金持ちのお金をぶんどって貧乏人に回せ、というならまだ少しは理解できますが、日本で革命を起こす理由が見当たりません。
日本になぜ共産党があるのか、世界では全く理解されないでしょう。
実は日本でも戦後、共産党が非合法になる、つまり法律として禁じられるのではないか、という時期がありました。1950年ごろの話です。
戦後すぐに日本を占領統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は共産党員を刑務所から解放し、全国に活動の足場となる労働組合をつくることを積極的に奨励しました。そして1949年の衆議院選挙では、日本共産党の議員が35人も誕生しました。
ところが、ソ連や中国の共産主義勢力の脅威が増すにつれて、GHQは、これはまずいと考えるようになりました。
そして日本を対共産主義の砦(とりで)にしようと考えました。日本が独立したのはそのためでした。
日本国内では、共産主義が貧しい労働者の間にかなり広がっていて、全国で過激なデモやストライキなどが行われていました。
現在のJR、当時は国鉄といったのですが、そのトップが突然行方不明になって、翌朝死体で発見されるという事件が起きました(下山事件)。
朝になってみたら、鉄道の上で電車に引かれて死んでいたのです。その人物は当時、共産主義者らを中心に、たくさんの労働者を解雇していました。そして労働組合と激しく対立していました。
「国鉄の職員はみんな鉄道を愛している。そのトップが自分から線路に飛び込んで自殺するはずなんかない」
そんな話もあって、これは共産党員が殺害したんじゃないか、といううわさが広がりました。
国鉄では、他にも不可解な同じような事件が二つ起こりました。
1950年には、皇居前の広場で「人民広場事件」が起きました。
ちなみに「人民広場」というのは、天皇を否定する共産党が皇居前の広場は人民のものだ、という場合の呼び名です。
そこに共産党員ら5万人が全国から結集して占領軍と衝突しました。
GHQは、日本の共産化の危険を感じました。そして共産党員を公職から追放する命令を出しました。これを「レッドパージ」といいます。
GHQは、民間企業に対しても大企業では共産党員を解雇するよう指示しました。これによって、1万人を超える共産党員が解雇されました。
この時、GHQのトップのマッカーサーは共産党の非合法化を考えていました。しかしマッカーサーは、このことを自分で決めないで、日本政府が自主的に決めるべきだと言いました。
そして当時の吉田茂首相は、これは国民の判断を待つべきだと考えたのです。
国民から意見が出たら、そうしよう。でも、GHQからの指示とはいっても、国民からの意見がないのにそうは決められないと考えたのです。
それで共産党は非合法化されませんでした。
でも吉田氏はその後、「後になって考えるに、やはり実行しておけばよかったような気もする」と自叙伝で書いています。
これが、共産党が非合法化されなかった経緯です。
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憲法改正より経済回復を優先した吉田茂元首相。その吉田茂氏が共産党の非合法化にも躊躇したとすれば、日本の弱体化の張本人と行ってもいいかもしれません。もちろん戦後の日本を立て直した一面もあり、彼の功績をすべて否定するつもりはありませんが、この二つは今でもかなり尾を引きずっているようです。
いずれにせよ、日本共産党はしたたかでずる賢い党です。甘い顔でメディアや学者、文化人や芸能人に食い入り、シンパを増やしています。政党間でも盛んに野党連合構想を打ち立て、脇の甘い立憲民主などを引き入れようとしています。とにかく騙されないように、気をつけたいものです。
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