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2021年8月18日 (水)

対岸の火事ではないカブール陥落、日本も想定すべき米軍の撤退

2021081600000004nshaberu0001view  アフガニスタンでは米国軍の撤退を今月末に控え、タリバンが同国の各地で攻勢を強め、ついに首都カブールを占拠、事実上の政権奪取を実現しました。これに対し各国の反応は様々ですが、同国の人々の多くは恐怖を抱き、海外へ脱出しようと、空港に殺到しているようです。

 それに対しタリバンは女性の就業や子供の教育を認めるというような、20年前とは違うと言う触れ込みでソフト路線を打ち出し、各国の承認を得ようとしているようです。今回は、このアフガニスタン情勢を取り上げます。産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が、JBpressに投稿したコラム『対岸の火事ではないカブール陥落、日本も想定すべき米軍の撤退 アフガニスタン崩壊で蘇ったサイゴン陥落の光景』(8/18)を引用し以下に掲載します。

 アフガニスタンの政権崩壊はベトナム戦争の最終場面を想起させた。

 米国の首都ワシントンで知ったアフガニスタンの悲劇は、私自身が体験した南ベトナムの悲劇に似た部分が多い。その背後には、アフガニスタン、南ベトナムと同様に自国の防衛を米国に委ねる日本への教訓も浮かんでくる。

バイデン政権を批判する米メディア

 8月16日のワシントンは、アフガニスタン崩壊のニュースの激震に一日中襲われた。過去20年にわたる米国歴代政権の努力が、ジョセフ・バイデン大統領の拙速な決定によって水泡に帰したとの非難が超党派で沸き起こった。

 バイデン政権を一貫して支持してきたニューヨーク・タイムズでさえ、「バイデン氏のアフガニスタン撤退に関する錯誤は、同氏の政治評価に測り切れないほどの打撃を与えた」(同紙の国際問題記者デービッド・サンガ―氏による8月16日付の論評)と批判した。

 バイデン政権とは一定の距離をおくウォールストリート・ジャーナルは、「バイデン大統領はアフガニスタン撤退措置により米国の歴史で最も恥ずべき最高指導者となる」(同16日付の社説)とまで酷評した。

 米軍のアフガニスタンからの撤退は、トランプ前政権が基本方針として定めていた。とはいえ、バイデン政権はあまりに唐突に撤退を実行し、しかも撤退後の見通しを誤り、現地の反タリバン市民たちの生命を危険にさらした。

 バイデン大統領はつい数日前まで、「米軍が撤退しても、アフガニスタンの政府や国軍が統治を堅固に続ける」と将来の安全性を明言していた。だが現地では、米国が全面支援し、日本も緊密な外交関係を保ってきたアフガニスタン・イスラム共和国はあっというまに崩壊してしまった。代わってイスラム過激派として国際テロをも支援してきたタリバンが全土を支配する形勢となった。

サイゴン陥落の忘れられない光景

 この危機のなかでワシントンでは、識者たちがある言葉を口にし、その言葉が多くのメディアに登場している。それは、「サイゴンの悲劇」だ。アフガニスタン、とくに首都のカブールで現在起きている事態は、1975年4月末に南ベトナム(当時のベトナム共和国)の首都サイゴン(現ホーチミン市)で起きたことと酷似しているという指摘である。

 当時のサイゴンでは、ベトナム戦争最後の日の4月30日、国外に脱出しようとするベトナム市民たちが米国大使館に押し掛けた。北ベトナム軍の大部隊がサイゴンに迫り、南ベトナムの政権も軍隊も崩壊が明白だったからだ。

 米国大使館の屋上からは、南シナ海の米海軍第7艦隊への避難者を運ぶヘリが飛び立っていた。私はその至近距離にいた。忘れられない光景である。

 もっともその前から、国外に退避しようとする南ベトナム市民は多かった。大多数は共産勢力の北ベトナムに反発し、アメリカ側について戦ってきた人たちだった。

 毎日新聞のサイゴン駐在特派員として現地に3年も住んでいた私は、ベトナム人の知人や友人も多く、国外脱出の手助けを求められた。若くて独身だった私に、一時的な結婚相手になってくれと懇願するベトナム女性もいた。外国人と結婚した証明書があれば国外に出られるからだ。

9-1  それから46年後のカブールの光景も似ていた。米国大使館の構内からヘリで避難していく人たちや、空港で米軍の大型輸送機に乗り込もうと殺到する人たちの様子は、ベトナム戦争の最後とまったく同じだった。

 ただし南ベトナムでは、戦争終結の2年前に米軍戦闘部隊はすでにすべて撤退していた。米軍撤退後の2年間、南ベトナムと北ベトナムが総力をあげて戦い、北ベトナムが南ベトナムの国家を軍事粉砕したのだ。

 ところがアフガニスタンの場合、米軍戦闘部隊が突然20年の駐留を終えて全面撤退し、それと同時に敵対勢力のタリバンがほぼ全土を制圧して首都カブールにもなだれ込んできた。アメリカの支援を受けたアフガニスタン共和国の統治下で生きてきた市民たちが、タリバンの支配の復活にパニックを感じるのは、もっともなことであろう。

タリバンの再支配に怯える一般市民

 私は、米軍がアフガニスタンに軍事介入して間もない時期、カブールで1カ月ほどを過ごしたことがある。2002年2月から3月にかけてのことだ。米国は当時の2代目ブッシュ大統領がタリバンに対して宣戦を布告し、空爆を実施した。

 2001年9月11日の同時多発テロで、米国はイスラム原理主義テロ組織、アルカーイダの攻撃を受け3000人の死者を出した。アルカーイダはアフガニスタンを支配していたタリバン政権に保護され、アフガニスタンでの訓練などを許されていた。米国はタリバン政権にアルカーイダ一派の引き渡しを求めたが拒まれた。そこで宣戦布告となったわけだ。

 米国はアフガニスタンの反タリバン勢力、ムジャヒディーンなどと連携し、タリバンを攻撃して、首都カブールから撃退した。私はその直後にワシントンからの出張という形でアフガニスタンでの取材にあたった。

 ほとんどを首都カブールで過ごしたが、その間に多数の現地の人たちと接触して、タリバンの原理主義的な支配がきわめて過酷だったこと、外国からきたアルカーイダの戦士たちが軍事訓練も含めて自由な行動を許されていたこと、大多数の市民はタリバン支配からの解放と新たな社会の到来を喜んでいたこと、などを知った。

 当時はアメリカも、アフガニスタンに民主主義を基盤とする新しい国をつくることに熱心だった。だからこそ、タリバンが再び全土を支配したことへの多数の一般市民の恐怖や嫌悪は当然だと思われるのだ。

対岸の火事ではない

 南ベトナムとアフガニスタンは、どちらも首都が陥落したという点に加え、大きな共通点が1つある。それは両国がともに、自国の国家安全保障、つまり防衛を米国に大きく依存していたという事実である。南ベトナム以上に唐突に、そして完全に米国が手を引くことになったアフガニスタンは、国家や社会の支えがなくなったと言っても過言ではない。

 日本は今回の事態を対岸の火事として冷ややかにみることはできない。日本もアフガニスタンや南ベトナムと同様に、自国の防衛を米国に委ねているからである。

 米国としては防衛を誓った相手国、同盟パートナーであっても、国内世論や国際情勢が変わればその誓約を一変させる。この現実をカブールの悲劇は冷徹に示しているということだろう。

 ◇

 アフガニスタンやベトナムと日本とでは、統治形態や経済力など全く異なる面が多いのですが、古森氏の言うとおり、アメリカに国の安全保障、つまり防衛を大きく依存している点では同じだと言うことが言えるでしょう。

 日米安全保障条約そのものは、相互条約ですから、一方的な依存とは行かないまでも、基地の提供は依存そのものです。そして撤退される前にむしろ、依存関係を縮小して自衛隊の防衛に移行していくべきでしょう。一気に基地の解消は無理にしても、まずは地位協定の大幅な見直し、その上で少しずつ米軍から自衛隊に基地の管理を代替させていく必要があります。そのためには大前提、憲法、特に9条の改正が必要不可欠になります。もういい加減に一方的な依存関係は解消しましょう。

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