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2021年8月 3日 (火)

「ゼロコロナ」の主張を利用し、視聴率稼ぎのためにコロナ禍を煽ったテレビマスコミ

Images_20210803103301  東京オリンピックでの熱戦が続く中、新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、デルタ株の影響もあり連日過去最高の新規感染者を出しています。政府の感染防止対策は後手後手という批判が続く中、「ZERO コロナ」戦略を出している立憲民主を中心に、野党の言う「ゼロコロナ」というのが現実的なのか、疑問を感じ得ません。

 それについて京都大学大学院教授の藤井聡氏が、少し前に「正論」に寄稿したコラムがあります。タイトルは『「ゼロコロナ」という病の処方箋』(7/19)で以下に引用します。

≪正当化し難き4度目の宣言≫

菅義偉首相の4度目の緊急事態宣言の発出を耳にしたとき、啞然(あぜん)とした心持ちとなった国民は多かろうと思う。そもそも、「五輪を絶対にやる」という菅首相の方針から言うなら、軽々なる緊急事態宣言などあり得ないはずだったからだ。

緊急事態宣言下では、例えば小中学校の運動会等が中止になるのだから、世紀の大イベントである五輪など開催できるはずなどないというのが大方の見立てだった。だから多くの国民は、「だったら五輪もやめろ!」と強い不満を抱いたのである。

しかも、緊急事態の宣言の基準が「恣意(しい)的」であることも明白だった。今回の緊急事態宣言は、感染拡大の初期的な段階で極めて予防的に発出されたものだったが、これがこれまでの3回の宣言の基準とは全く異なっていたのだった。しかも、高齢者のワクチン接種が進み、今後、「重症者数」が減少し、医療崩壊リスクは大幅に低減するであろうと見込まれてすらいた。

つまり今回の緊急事態宣言は「緊急事態でない状況」だったわけであり、だから多くの国民は、「なるほど…菅首相は五輪開催中の感染拡大を恐れ、それを抑え込みたいという『政治的意図』のために国民の行動を規制するという暴挙に出たのだろう」と解釈したのである。結果、多くの国民はそんな菅氏の「ご都合主義」に辟易(へきえき)し、大きな嫌悪の念を向け始めているのである。

≪不条理な判断の背後に≫

ではなぜ、現政府はこうした正当化し難い宣言を発出したのだろうか。その答えには様々なものを挙げることができようが、最も本質的なものは、政府とりわけ尾身茂氏を中心とした政府系の専門家たちが今、「ゼロコロナ」を志向しているからだ、というものだ。

彼らがゼロコロナを目指している限り、医療崩壊リスクがあろうがなかろうが、とにかく感染のリスクが僅かなりともあれば、それを封じ込めるためにどんな状況でも緊急事態宣言を出すことが正当化されてしまうのだ。

こうしたゼロコロナ志向は極めて「危険」なものだ。

そもそも新しいタイプの風邪ウイルスである新型コロナが、どれだけワクチンが普及しようが「ゼロ」になる可能性は著しく低い。それにもかかわらず無理やり「ゼロ」を目指し、例えば緊急事態宣言を頻発するようになれば(仮に政府が徹底的な補償を行ったとしても、ましてや現下の菅政権のように不十分な補償しかしない状況下ではなおさら)、それによってコロナ被害を上回る被害が生ずるリスクが一気に高まるのだ。

だからこそ我々は、コロナリスクに最大限の注意を向けつつも、「自粛」に伴う、鬱(うつ)病などのリスク、貧困やDV(家庭内暴力)、そして自殺の拡大リスク、さらには教育機会の損失に伴う様々な長期的な社会・経済被害の拡大リスク等のあらゆるリスクにも可能な限りの注意を差し向けることが必要なのだ。

そうすることができてはじめて、コロナ禍を全体として最小化できるのだ。その一方で、ゼロリスクを目指せば目指すほどそれ以外のリスクに対する配慮が蔑(ないがし)ろにされ、かえって被害が拡大してしまうことになるのである。

≪「ゼロ」蔓延させた人々≫

かくして我々は、ゼロコロナ志向をある種の「病」と認識することが必要な事態に立ち至っているのである。ついてはこの度筆者は、感染症学の専門家である木村盛世(もりよ)医師と『ゼロコロナという病』(産経新聞出版)と題した書籍を出版し、ゼロコロナ志向を徹底的に批判する姿勢の重要性を論じているのだが―こうした議論において絶対に必要なのが、「なぜ、こうしたゼロコロナ志向がここまで日本にはびこったのか?」ということについての状況認識だ。

そうした認識があってはじめてその「病」に対する処方箋を考えることが可能となるからである。

そしてこの点について木村医師と筆者が議論した上で導いた結論は、最大の戦犯は「視聴率」のためにコロナリスクを煽(あお)りに煽りまくったTV(テレビ)マスコミに他ならないというものであった。

同時に、そんなTVに加担しコロナリスクを過剰に煽りに煽り立てる専門家たち、さらにはそうしたマスコミに煽られて形成されるゼロコロナを求める世論に棹(さお)さす悪(あ)しきポピュリズムを推進する政治家たちもまた極めて重い罪を負っていることも明白であった。

つまり、TV、専門家、政治家の三者がそれぞれ公益を度外視したご都合主義で「ゼロコロナという病」を蔓延(まんえん)させてしまったのである。

とにかく、この病が我が国に蔓延している限り、日本に明るい未来の到来を期待することは絶望的に困難だ。

ついては一人でも多くの見識ある読者が、ゼロコロナの愚かしさを認識し、それを推進する者たちを徹底批判されんことを、心から祈念したい。

 ◇

 藤井氏がこのコラムを寄稿した7月中旬から現在まで、緊急事態宣言下で新規感染者数の拡大は急速に進み、今では第4波を超え連日のように過去最大を記録しています。

 ここに「ゼロコロナ」とは別の課題、つまり緊急事態宣言はもう感染拡大に効かない、という、新たな問題を提起しているようです。ただこの宣言の効力については当初から疑問視されてきました。つまり強制力と罰則、そして補償の三点セットが必要なのに殆どないと言うことです。最近でもそれは、ロックダウンは日本にはなじまない、とか、できないと言う政府の答弁に表れています。

 つまり憲法の謳う権利と自由の名の下、私権制限ができない、言い換えれば強制的に営業停止はできないし、往来の停止はできない、すべてお願いベースでなければならない、このことが足かせになっているのです。一般的に「緊急事態」というのはその権利と自由をある程度制限できる事態のはずなのに、国家権力の元にそれをすることは憲法違反になるからです。

 そのためには憲法に「緊急事態条項」を追加し、そうした事態に陥った場合は、政府によるある程度の私権制限を認め、その緊急事態への対応を進める権限を与えなければならない、それが普通の国なのに、日本では一部野党の反対によりその追加でさえできていない状態なのです。逆に言えば「ゼロコロナ」を実現するためには「緊急事態条項」は不可欠で、それに与しない立憲民主などの野党は、大きく矛盾していることになります。

 その議論はさておき、藤井氏の言う「ゼロコロナ」論の『最大の戦犯は「視聴率」のためにコロナリスクを煽(あお)りに煽りまくったTV(テレビ)マスコミに他ならない』というのには大きく賛同する部分があります。東京オリンピック中止をあれだけ煽っておいて、始まれば競技結果を報道しまくり、「メダルラッシュ」をことのほか褒め称えています。これらすべて「視聴率」のためなのでしょう。

 一方でコロナ、一方でオリンピックと騒ぎ立て、報道番組ではコロナ下でのオリンピックを批判する一方、メダル獲得者の過去の努力を褒め称える。まさに視聴率を稼ぐための何でもあり、と言うのが今のマスコミの実態です。以前このブログで取り上げたトヨタの社長の「マスコミはもういらない」、テレビを筆頭に今のマスコミは害あって益なしだと言えるでしょう。

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