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2021年8月15日 (日)

終戦の日に:再びの敗戦を絶対に回避せよ

20130815115840  今日は「終戦の日」です。政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、全国戦没者追悼式を主催しています。今年もコロナ禍の中、昨年に続いて参列者の人数等、大幅に縮小して行われるようです。

 このブログでは前回、「あの戦争は、誰がなぜ始めたのかよく考えよう」というタイトルで、大東亜戦争のあまり知られていない側面を取り上げました。今回は、終戦以降、日本があの戦争での敗戦を検証し、教訓としてきたか。逆にいたずらに引きずっていないか、その点にも焦点を当てようと思います。それにふさわしい内容の、産経新聞の乾正人論説委員長の「社説:主張」を取り上げます。タイトルは『終戦の日に 再びの敗戦を絶対に回避せよ』で、以下に引用して掲載します。 

 ◇

酒の肴(さかな)として輪切りにしたオニオン・スライスのせいではなかった。

東京五輪の閉会式をテレビで見ていると、古関裕而が作曲し、昭和39年の東京五輪開会式で入場行進曲として使われたオリンピック・マーチが流れてきた。なぜか目頭が熱くなった。

開会式直前、過去のスキャンダルが暴かれて演出家と作曲担当者が相次いで解任され、新たにつくった曲がお蔵入りになったからでは、とも邪推したが、そんなことはどうでもいい。

「世界中の青空を集めたような」快晴の下、旧国立競技場で満員の観客が見守る中、挙行された開会式と、コロナ禍によって無観客で開かれた57年後の閉会式とが、一つの曲で瞬時につながった。

新国立競技場は、旧国立競技場跡に建てられ、旧国立競技場は、幻となった昭和15年の東京五輪会場に擬せられた神宮外苑競技場を取り壊してできた。

神宮外苑競技場では、昭和18年10月21日、東条英機首相も出席して学徒出陣の壮行会が行われた。戦況が悪化し、大学生の徴兵猶予が解除されたのである。古関が、オリンピック・マーチの隠し味としてそっと忍ばせた「君が代」は、壮行会でも当然、演奏されていた。

壮行会と、21年後の開会式両方をスタンドで見守った作家の杉本苑子は、こう綴(つづ)った。

「きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである」

57年前の東京五輪、78年前の学徒出陣と令和3年8月15日は、確実につながっている。

日本に迫る2つの危機

現在の日本の置かれた状況が、80年前の日米開戦前夜ともつながっている、と感じているのは、「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)の著者の一人、杉之尾宜生氏である。「失敗の本質」は、ノモンハン事件やレイテ作戦など6つの事例研究をもとに日本型組織の問題点を摘出した「失敗学」のバイブル的存在で、今なお版を重ねている。

「日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであった」という同書の指摘は、「日本軍」を「日本政府」や「東京都」に、「戦争」を「コロナ禍」に置き換えると、そのまま当てはまる(皮肉なことに文庫本の帯には「各界のリーダーが絶賛!」として小池百合子都知事の名前が、真っ先に書かれている)。

それだけではない。もっと大きな危機が日本に迫っている。

杉之尾氏は、「新型コロナウイルス禍が引き金になって世界秩序の大転換が遠くない将来に予期される」と語る。世界第2位の経済力と強大な軍事力を基盤とした中国が、コロナ禍に乗じてグローバルリーダーの交代を画策しており、「日本は大東亜戦争勃発前夜に酷似した選択の岐路に立たされている」と分析する。

国の安全を担保する対敵基地攻撃能力を米軍に依存してきた日本は、尖閣諸島をはじめとする東シナ海で中国の脅威をまともに受けている。今、そこにある「コロナ危機」と、迫り来る「中国危機」にどう対処すべきか。

消えぬ戦争の後遺症

80年前には、戦争終結時の青写真はもとより、戦略さえ曖昧なまま日米戦争に突入し、亡国の憂き目を見た。

その後遺症は、いまだに消えていない。終戦から76年を経た今も、緊急事態条項を欠く占領下でつくられた不完全な憲法を改正せずに放置してしまったおかげで、コロナ感染爆発という非常事態に「ロックダウン」(都市封鎖)という最終手段が使えず、国家の機能不全を露呈してしまった。

杉本が危惧した「明日」の日本は、57年後の今も「自由と繁栄」を辛うじて享受している。だが、これから先の「明日」は誰にもわからない。

新聞記者であり、政治家でもあった中野正剛は、戦時中の昭和18年元日、朝日新聞に東条首相をあてこすった「戦時宰相論」を発表した。

「難局日本の名宰相は絶対に強くなければならぬ。強からんが為には、誠忠に謹慎に廉潔に、而して気宇広大でなければならぬ」

菅義偉首相も、内閣支持率に一喜一憂せず、強くなってもらわねば困る。そのためには、2つの危機に対処するため希望的観測を排した冷徹な国家戦略づくりが不可欠だ。

再びの敗戦は、絶対に避けねばならない。

 ◇

 敗戦後の占領政策により、戦前の日本の多くは否定され、捨て去られました。もちろん内閣を軍が牛耳った形で、半ば独走した姿は否定しなければなりませんが、社会や教育の良い面まで、そして日本の精神文化の中心、神道まで否定された、その後遺症は今でも色濃く残っています。そしてGHQがもたらした自由と人権が、今では生きすぎた形で、同時に必要な対局の概念、責任と義務を過小にしてしまっています。

 GHQの最大の目的であった、日本の弱体化については、このブログでも散々取り上げてきたので省略しますが、最も重要なことは、その影響が政治家、メディア人、大学教授や文化人の間に未だに強く残っていることです。そして最大の後遺症が、国民の間の緊急事態や安全保障への関心の薄さに凝縮されているようです。

 つまりこれが、乾氏がこの記事の最後に記した「再びの敗戦」だと私は思います。戦後76年GHQの占領政策に見事にはまってきた、この戦後の敗戦を、今後「絶対に避けねばならない」と言うことでしょう。

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