前川喜平氏:戦後最悪の官僚の「面従腹背」の経歴と売国の実態
自民党総裁選も終盤にさしかかってきましたが、野田氏以外の3氏が熾烈な戦いをしているようです。高市氏は一部のメディアによると岸田氏を抜いて2位につけたとか。まあ下駄を履くまでは結果は分かりませんが。
その高市氏を強力に推す安倍元首相、その安倍元首相の時代にとんでもない人が次官になりました。文科省の前川喜平元次官です。ここ毎回引用させていただいている月刊hanadaプラスに公開された、元月刊hanada編集部員のライターの梶原麻衣子氏が寄稿したコラム『元次官の「面従腹背」は続いている? 前川喜平「権力は腐敗する」』(9/24)、今回これを引用掲載します。
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その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!
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安倍政権最大の失政?
歴代最長内閣となった安倍政権にも、失政と言われても仕方ないものはあった。「え、月刊『Hanada』のサイトでそれを言うの」と驚かれる向きもあるかもしれない。
だが「前川喜平の文部科学次官就任」を挙げれば、安倍政権を評価する人であっても頷かざるを得ないのではないか。
前川氏が次官に就任したのは2016年6月。安倍政権真っ盛りのさなかのことである。
安倍政権に対しては菅官房長官のグリップ力と相まって、「官邸が官僚を人事でコントロールし、強権をふるって異論を排除したことで、逆らう官僚はいなくなった」といったトーンの批判も少なくない。
だが、前川氏の「面従腹背」を見破ることができなかったのも事実。官邸がそこまで個別の官僚の人となりを網羅できなかったのか、前川氏の演技がそれほどまでに高度なものだったのか。
「私の『本性』を知っていたら…」と前川氏
おそらく両方なのだろう。前者については、ほかでもない前川氏が今回取り上げる新著『権力は腐敗する』(毎日新聞出版)に次のように書いている。
<かく言う私自身も、2016年6月第二次安倍政権の下で文部科学省の事務次官に任命されたわけだが、この人事は菅氏に取り立ててもらったというものではない。私はすでに事務次官昇任への待機ポストである文部科学審議官になっていたので、特に不自然な人事ではなかった。
しかし、私の事務次官就任人事は官邸から見れば明らかな失敗だった。私の「本性」を知っていたら、安倍氏も菅氏も決して私を事務次官にしようとは思わなかっただろう。人物のチェックが不十分だったわけだ。
なぜなら、私は安保法制反対のデモに参加していたからだ。>
しかしもう一方で後者、つまり「前川氏は大嫌いな安倍・菅体制にあっても面従腹背で、本性を隠し切った」面も否定できない。そしてそれは今も続いているのではないか、という気さえするのだ。
「やってこなかったことを、やってきたかのようには書けない」
「面従腹背」は官僚としての前川氏のモットーであったらしく、今回の『権力は腐敗する』の前作のタイトルにもなっている。『面従腹背』についても以前、取り上げたことがあるが、この時も指摘したように、前川氏は「面従腹背して権力に従った、リベラルからどつかれそうな案件」については無視を決め込んでいる。
今回の『権力は腐敗する』でも、さすが文科官僚だけあって、安倍政権下でのコロナ「全国一斉休校」などには詳細に検証し、苦言を呈しているが、食い足りないのはまさにそこで、「内部の手続き論などを詳しく書いてはいるけれど、自分がその場にいたらどういう手法や論理でそれを覆したのか」についての言及はない。
「あったことをなかったことにはできない」も前川氏の名言であるように、「やってこなかったことを、やってきたかのようには書けない」のかもしれない。
つまり面従腹背してきた前川氏は、内心では「安保法制反対デモに参加してしまうような反体制的思考」を持ってはいても、「安倍政権下での腑に落ちない文科行政に対し、実際に反対論をぶつ」ことはなかったのだろう。
本書では「ふるさと納税」に反対して飛ばされた総務官僚についての言及があり、〈菅首相は官房長官の頃から、気に入らない官僚は排除してきた〉としている。
順当に事務次官になった前川氏の「面従腹背」ぶりはさぞや見事なものだったのだろう、と思わざるを得ない。
「日本の学校は軍隊にならって作られた」
そして現在。日の丸・君が代への嫌悪を抱きながら、親方日の丸の霞が関官僚として「面従腹背」して生きてきた前川氏の習い性は、そう簡単には抜けないのではないかと推察する。
本書では、あえて言えば、教育の多様性を言いながらも「不登校の増加は義務教育の失敗」としているところや、賭けマージャンがばれて退職した黒川弘務元東京高検検事長に対する評価(官邸に弱みを握られていたのでは、賭け麻雀は自らタレ込んだ自爆だったのではないかという指摘)などは、気にはなった。
だが、それ以外は「前川氏ならそう言うだろうな」という予想の範疇内にびったり収まっている。つまり「お客さん向け」に持論を調整して書いているのではないかという疑いだ。
憲法を重んじ、上皇陛下の「護憲精神」に感銘を受け、日の丸君が代の強制を嫌悪する。学校制度を所管する省の次官にまでなりながら、「日本の学校は軍隊にならって作られた」「詰襟は軍服」「ランドセルは背嚢」「体育は軍事訓練そのもの」「入場行進は軍隊の分列行進」「運動会は野戦演習」などと吐き捨てるように書いている前川氏の精神状態が結構、心配になる。
「こんなところにいたくないと思いながら、しかし面従腹背で出世ラインを上っていく」ことによる精神衛生への影響を心配する一方で、前川氏が今書いていることも、「相手が求めるものを(自らの本当の思いを度外視しても)描いて見せる」ことができるだけなのではないか、という気がするのだ。
森功本にも登場しているが……
さて、安倍・菅政権については同時期に森功『墜落 「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか 』(文藝春秋)も刊行されており、『官邸官僚』(同)を出した森氏らしく、こちらも政治家と官僚の関係性にかなり踏み込んでいる。また、前川氏の証言も会話調で収録されているが、併せて読むと前川氏の自著のトーンとの違いに気づかされる。
まさかこれも森氏への「面従腹背」だろうか。
ご興味ある向きには、ぜひ併読をお勧めする。それほど前川氏に興味はないかもしれないが……。
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前川氏には貧困調査と強弁する出会い系バー通いの件や、辞職のきっかけとなった天下り斡旋工作とか、ツイッター裏アカウントでの反日投稿とか、国家官僚にあるまじき行為の数々が公になっています。
そんな前川氏なる人物には、興味ではなく嫌悪感が大なるものがあります。国の官僚でありながら、安保法制反対のデモに参加し、そして文部科学省という省庁にいながら、梶原氏の言を借りれば、「日本の学校は軍隊にならって作られた」「詰襟は軍服」「ランドセルは背嚢」「体育は軍事訓練そのもの」「入場行進は軍隊の分列行進」「運動会は野戦演習」と言う考えだったことを、しゃあしゃあと述べています。
後日談で済ませようとしているのでしょうが、これほど腹黒い官僚はいません。国の税金で堂々と「面従腹背」し、辞職後は堰を切ったように反日反政権論をまくし立てているのです。戦後最大の悪官僚でしょうね。
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