日本大使館はだれの役に立っているのか 続:アフガン検証
このブログでは、アフガニスタンからの米軍の撤退に伴う日本の対応を、何回か取り上げました。いずれも政府、とりわけ外務省の無策ぶりが、際立っていたことの検証記事が中心でした。これは今に始まったことではありませんが、省庁、現場を含めて危機意識が乏しく、その上プライドが高いので、外からどう思われようとも、結果を取り繕うことにはとりわけ長けているようです。
私がサウジアラビアに滞在したときの記憶では、大使館との接点は、海外居住者の総選挙の投票で利用したことくらいでしょうか。それに年に一度の新年会で、酒が飲めた記憶(サウジでは飲酒ができません)があるくらいです。滞在者にとって決して身近な存在ではないのです。
その途中でアラブの春の騒動が起こり、隣の国エジプトの大使が、空港の大混乱の前に脱出したという話を聞きました。これは以前述べましたが。
そんな日本外交の最前線、日本大使館がこのアフガンの混乱時どう対応したか、以前にも取り上げましたが再度取り上げてみます。その詳細を作家でエッセイストの勢古浩爾氏が、JBpressに寄稿したコラム『日本大使館はだれの役に立っているのか アフガニスタンで日本大使館が示した狼狽ぶり』(9/22)を引用して、以下に掲載します。
◇
8月15日、タリバンが予想を裏切るスピードで、アフガニスタンの首都カブールを制圧した。その2日後、日本の大使館員12人がドバイに脱出した、というニュースが報じられた。そのニュースを見て最初に思ったことは、そんなケツに火が付いたように大慌てで逃げ出さんでもいいんじゃないか、というものだった。それとも日本は、タリバンに恨まれるような悪いことでもしたのか。普段からタリバンとどんなに細いものでもいいから(かれらはISとちがい、犯罪集団ではない)、パイプを繋ごうと努力をしてこなかったのか、まあかれらがそんな仕事をするわけがないかと思いなおし、自分で納得したことであった。
その後日本は、やっと自衛隊機がカブールまで行ったと思ったら、救出したのはわずかに日本人女性1人だったということが報じられ、また日本はなにかへまをやらかしたなと思っていたころに、産経新聞の8月30日付けの「産経抄」を読んだのである。
「産経抄」は、「杉原千畝」の偉業を引いたあとで、このように書いている。「アフガニスタンの首都が陥落した直後、日本の大使館員は現地職員を置き去りにしてさっさと逃げ出し、救出作戦にも失敗した。韓国紙に『カブールの恥辱』とばかにされても仕方のない大失態だった。英国の大使は、カブールにとどまってアフガニスタン協力者のビザを出し続けていたというのに」。
過去、我さきに逃げ出した人たち
追って9月14日、産経新聞論説委員長の乾正人は、12人の日本人外交官は「英国軍機で逃げ出した」のであり、「第一、司令官たる岡田隆大使が、カブールに不在だったのは、更迭に値する」と怒りの記事を書いた。岡田大使はそんな大事な時期にのんびりと日本に帰っていたらしいのだが、急遽アフガニスタンに戻ろうとしてイスタンブールで足止めを食らっている。
これを読んでわたしも、満州にいた日本人開拓民をほったらかしにして我さきに逃げ出した「精強」関東軍や、おれもあとから行くと特攻隊員を激励し、米軍がくると飛行機で真っ先に台湾まで逃げた在フィリピン第4航空軍司令官を思い出した。その反対に自分の責務を果たしたひとのことも思い出した。当然、杉原千畝を思い出し、またミッドウェー海戦で空母飛龍と共に沈んだ第二航空戦隊司令官の山口多聞を思い出したりもした(艦と共に死ななくてもいいと思うが、そこは時代のちがいである)。
米軍のアフガニスタン撤退の発表から、実際に各国が撤退するまでの経緯を簡単に記しておこう。韓国の用意周到な準備に比べ、日本大使館・外務省・日本政府の思考停止した無能さと、いざとなったときの狼狽ぶりがわかるだろう。
4月 米軍がアフガニスタンから8月末までに撤退することを表明。
6月 各国は自国の関係者の脱出準備に入る。韓国は早々に、国民と関係者を出国させはじめたという。
7月上旬 日本大使館の現地職員が最悪の事態を想定して退避計画を進言。しかし館員は、カブールが陥落することはないとこれを無視。ところが政権崩壊後、大使館の判断の誤りをマスコミに口外しないよう、その職員に命令した。
8月上旬 各国脱出準備完了。
8月15日 タリバンがカブールを制圧。
8月17日 日本人職員12人は英軍機でドバイへ脱出。JICA(国際協力機構)の6人、現地関係者・家族の500人が置き去りになった。他方、英・仏大使はぎりぎりまで残り、現地関係者にビザを発給しつづけた。
8月22日 自民党外交部会の激しい突き上げもあり、やっと政府・防衛省は救援機派遣を決定。
8月23日 自衛隊輸送機3機、政府専用機1機、隊員300人出発。
8月24日 カブール空港到着。しかしタリバンによる空港検問が厳重をきわめたため、500人は空港に入れず(そもそも500人と連絡がついていたのか、500人がまとまっていたのかも不明)。
8月25日 韓国は輸送機3機、特殊部隊員66人を投入。現地に残った4人の職員が米軍と交渉して米軍が押さえていたバス6台を確保。365人と米軍人を乗せて、空港の検問を通過。そこに自力で空港入りした26人が合流、合計391人全員の脱出に成功(もし日本人職員も何人か残っていたなら、米軍と同様の交渉ができたはず)。
8月26日 ISの自爆テロ。日本は米軍に依頼された旧アフガン政府関係者14人を輸送機で救出。
8月27日 日本は、自力で空港まで来た日本人女性1人を救出したのみ。ちなみに28日までに実現した各国の出国状況は、アメリカ11万人、カタール4万人、UAE36500人、イギリス1万500人、ドイツ5000人、イタリア500人、フランス3000人である。
大混乱と緊迫した様子が想像できる気がする(1981年イランで起きたアメリカ大使館職員の脱出事件を描いた映画『アルゴ』を思い出す)。米軍でさえタリバンの首都奪還はまだ先だと思っていたくらいだから、すべての情報をアメリカに頼っていた日本大使館もまだ大丈夫と高をくくっていたのはわからないではない、というかといえば、冗談じゃないのである。そんなことは言い訳にもならない。
現に韓国は早々と計画を立てて準備し、見事に成功させているのである。先の乾正人も、「米軍撤収の1カ月前には、『ごく近いうちにカブールは陥落する』との情報」が「東京にいる私の耳にも入っていた」といっているくらいである。
官僚は何をしても正しいのか
最悪のことを考えて早めに退避準備をしたほうがいいのでは? と進言してくる現地職員は鼻であしらい、いざとなると慌てふためいて、なんとかコネをつけて英軍機に乗せてもらい、一目散にとんずらした大使館職員の無様さは非難されてしかるべきである。ところがそんなばかなことはない、大使館員が邦人を「『置き去りにして逃げる』などあり得ない」と大使館側を擁護したのは外務省出身の外交評論家・宮家邦彦である。
宮家が直接反論したのは先の「産経抄」に対してだが、かれは、やめればいいのに、このように書いている。擁護にもなっていない。「筆者の体験でも、日本の外務省員で在留邦人や現地職員を『置き去りにして逃げる』輩(やから)がいるとは思えない。現地大使館は8月初旬の段階で邦人・現地職員らの退避につき検討を本格化させ、カブール陥落前には民間チャーター機による邦人・現地職員らの退避と大使館撤収の計画をほぼ整えていた。結果的に計画が実現しなかったことは事実だが、少なくともカブール陥落までに退避を希望した邦人は、大使館員よりも前にすでに退避していたという。『置き去りにして逃げる』などあり得ないことだ」。
ばかいっちゃいけない。もしそれが事実だったのなら、問題はなぜその「計画が実現しなかった」のかということだ。宮家は「あり得ない」というが、実際に「あり得た」から問題なのである。ここには、官僚はなにをしでかしてもつねに正しいという、官僚無謬説が見られる。また宮家は「杉原千畝を持ち出したこと」が気に食わない。「筆者がユダヤ人であれば、欧州でのホロコーストとアフガニスタンでのアフガン人救出を同列に扱うことなど絶対に認めない」とわけのわからんことをいっている。宮家はもちろん「ユダヤ人」ではない。「絶対に認めない」もへちまもないのである。
岡田隆大使の不在(あまりにも好機の不在で、胡乱である)や、館員たちの脱兎のような逃亡の話を聞くと、「杉原千畝」を思い出すのはふつうである。とくに英仏の大使がぎりぎりまで残ってビザを出し続けたという話をきけば、なおさらである。元時事通信外信部長で拓殖大学海外事情研究所教授の名越健郎も、「時代や状況は異なれど、ナチスに迫害されたユダヤ人を救うために『命のビザ』を発給し続けた杉原千畝のような外交官はいなかったのか」と書いている(「週刊新潮」2021年9月9日号)。
外務省にとって、杉原千畝はいまでも本省の命令に従わなかった裏切り者なのである。杉原は「金のためにビザを書いた」などと誹謗中傷し、依願退職に追い込んだのである。外務省の抵抗を押し切って、杉原千畝が政府によって公式に名誉回復されたのは、なんと戦後55年経った2000年(平成12年)のことである。ついこの間である。
なおもアフガニスタンにとどまる日本人
名越健郎はさらにこうも指摘している。「日本政府は過去20年で約7700億円もの援助をアフガンに行い、欧米諸国と違って自衛隊を派遣してタリバンと戦ってはいません。日本人外交官が危害を加えられることは考えられない。現地に踏みとどまる気概はなかったのでしょうか」。わたしもおなじような疑問を持つ。早くも中国はタリバンに食い込んでいる。日本は自ら蚊帳の外に逃げ出してしまったのである。
大使館員が去ったあと、なおもアフガニスタンにとどまっている日本人はいる。そのひとりは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)カブール事務所の森山毅氏である。かれはカブールに2020年9月から勤務しているが、タリバンと交渉し「人道支援活動は今後も継続してほしい」といわれたという。高慢なだけの大使館員より、よっぽど骨も身もあるのである。
「UNHCRで20年以上難民や避難民の支援を続けてきた。今回の仕事をやらなけらば、何をやってきたのかということになる。今までは一番重要だ」「アフガンはこれからも人道援助が必要。ステイ・アンド・デリバー(残って支援)が我々の任務だ」(「アフガン支援続ける日本人「タリバン政権でも残る」
もうひとりいる。ICRC(赤十字国際委員会)に所属し、アフガニスタン南部で人道支援を行っている藪崎拡子さんである。「生きるか死ぬかの状況に数週間、数ヵ月でなってくると思います。今以上の支援が必要になってきます」。またICRCは紛争地での人道支援のために「中立の立場でタリバンとも定期的に対話をしている」という。藪崎さんには「日本政府から退避勧告はありましたが、ICRCが明確に攻撃のターゲットにならない限り現地での活動を続けていく方針です」「ICRCの使命として紛争地で働くのが私の仕事ですので『日本にチャーター機で帰国する必要はありません』と回答しました」。
日本大使館はどんな仕事をしているのか
いったい日本大使館とはなにか。どんな仕事をしているのか。だれの役に立っているのか。もともとこれらの問いは、外務省に対するものである。かれらはなんの仕事をしているのか。外務省には本省2550人、在外公館3450人、合計6000人がいる。在外公館数は大使館が153、総領事館は66もある。
この6000人は料理屋・ホテル・タクシー利用などで「プール金」を貯めこみ、外交機密費から課長レベルで月20万~30万円、局長レベル50万円の枠で散財している。海外勤務の3450人の頂点に立つ「大使は閣下と呼ばれ、館内では王侯貴族のように振舞う」。「大使が交代するたびに、調度品や内装の変更が厳命され」て、「改装には、数千万から億単位のカネがかかる」。下っ端は下っ端でろくな仕事もしないのに、法外な海外勤務手当をもらっている。小林氏は、大使館や総領事館など在外公館は外務省にとって「聖域」、「在外公館の経理は、外務省の恥部」と書いている(小林祐武『私(ノンキャリア)とキャリアが外務省を腐らせました 汚れ仕事ザンゲ録』講談社、2004)。
かれらが仕事をまともにする気になれないのには、多少同情の余地がある。海外視察の議員(これがまたろくでもない連中)のばかばかしい接待があることである。また3、4年も海外勤務をする民間商社マンにくらべても外交官は無知といわれるのも、「キャリア外交官の海外勤務には1回の在勤が平均して2年間という硬直した慣行が存在する」からだともいわれる。「どうせ2年しかいないのだから、適当にやっておけばよい」という気分になるのも無理はない。
そのうえ、アメリカ通の財界人がハンガリー大使、中国通がブラジル駐在大使、ドイツ語の専門家がモンゴル大使になるなどの「不適在不適所の人事」がまかりとおっている(古森義久『亡国の日本大使館』小学館、2002)。
他省庁から外務省不要論が出るのも当然である。が、当然のごとくなくならない。それだけでなく、国益も国民も眼中になく、省益だけが行動原理である内向きの「傲慢でモラルの弛緩しきった組織」(小林祐武氏)の体質はこれからも存続しつづける。これがまともな組織に生まれ変わるなど、到底考えられない。
余談になるが、小林氏の本にこんなことが紹介されている。2000年に行われた九州・沖縄サミットで、歓迎レセプションや晩さん会を仕切ったのは電通。テーマ曲は小室哲哉に依頼し、小室はロイヤルスイートに滞在。「NEVER END」を歌った安室奈美恵のバックダンサーはアメリカから呼んだが、かれらの交通費や滞在費までサミット予算から支払った。サミット終了後、電通からなんと10億円の請求書が届いたという。もう公金に群がるハイエナのような連中は官民を問わず、すべてでたらめである。
9月、ロシアが北方領土全域で税制優遇措置を導入した。さらなる外国資本の呼び込みや外国企業の誘致を狙ったものだ。加藤勝信官房長官はいつもの口癖のように「遺憾だ」と抗議したとされるが、外務省関係者は「必要以上に反応する必要はない」と語っただけである(「毎日新聞」2021.9.7)。
ふふ、このざまである。大臣官房に外務報道官という部署がある。なにをやっているのか。もう北方領土4島返還などどうでもいいのだ。なにもしたくないのである。外務省批判とおなじで「必要以上に反応する必要はない」、じっとしていれば、みんな忘れるのである。
◇
ネットでは外務省を「害務省」と呼ぶ向きもあります。無駄な公金を使ってろくな仕事をしない、いやむしろこの記事の例のように、仕事を投げ出して逃亡する。そんな事例でもって「害務省」と名付けたのでしょう。
私もサウジアラビア滞在中に友人のすすめで「呆然!ニッポン大使館-外務省医務官の泣き笑い駐在記」を読みましたが、瀬古氏の記事とよく似たことが書かれています。昔から変わっていないのですね。ご興味があれば一読を。
それにしても日本の外交の最前線で、日本の国益を守るための大使館が、すべてではないにしてもこういう体たらくの状況では、背筋が寒くなってきます。改革待ったなし、自民党総裁候補にも是非念頭に置いていただければと思います。
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