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2021年10月25日 (月)

美辞麗句を並べ立てた「バラ色」の政策に騙されるな

21_20211025103501  「バラマキ」批判をした財務次官がいます。彼の本音はきちんと財源を考慮して、現金一時支給や消費税のカットをしなければ、財政は持たない、と言う意味でしょう。それに対し「タイミングが悪い」「今の時期は国債を発行してでも経済を動かす必要がある」という反論が聞かれます。これもまたその通りでしょう。

 こうした財政論議は別にして、確かに野党の中には消費税ゼロや5%にとか、10万円の現金支給とか、最低賃金を1500円にとか、所得税をゼロなど、大盤振る舞いの「バラマキ」の大合唱。しかしその財源は決まって富裕層への一層の負担と、富裕層からどれだけ税がとれるのかも知らずに、同じような文言が並べられPhoto_20211025103601 て、実現性は極めて低いように思います。

 これらは究極のポピュリズムで、無責任な公約です。大方の知見を有した人はこんな絵空事に乗っかることはないでしょうが、そうでない人も多い。ふらふらと美辞麗句に酔わされて、一票を投じる可能性も大です。そうした人たちに是非読んでいただきたいコラムがあります。東洋学園大学客員教授で元空将の織田邦男氏が産経新聞の「正論」に寄稿したのがそれです。タイトルは『「下の句」のない公約は欺瞞だ』(10/25)で、以下に引用して掲載します。

 ◇

≪選挙向けの美辞麗句では≫

「親思う 心にまさる 親心 今日のおとずれ 何と聞くらん」吉田松陰の辞世の句である。誰が何を言おうが自分が正しいと思えば行動に移し、至誠を貫き通した松陰は、江戸末期の動乱期に多くの若者に思想的影響を与えた。

「今日のおとずれ…」という「下の句」は、刑死に臨み、自分の死で、両親がどんなに悲しむかという思いが込められている。この「下の句」があって初めて松陰の人となりの全貌が明らかになる。何事も「上の句」と「下の句」が相まって完結する。選挙公約も同じである。

衆議院選挙の真っ最中だが、各党の選挙公約を見ると「下の句」がないものが多い。完結しない小説のようで、欲求不満になる。「下の句」は通常、耳に痛い。選挙になると「下の句」は避け、美辞麗句満載の人気取りに堕することが多い。

辺野古移設中止というなら「普天間の危険性は是正できない」という「下の句」を言うべきだろう。消費税率5%引き下げなら年10兆円超の代替財源という「下の句」がないと政策たりえない。原発に依存しないと主張するなら「再生エネルギーで足りない分は停電で我慢しよう」と言わねばならぬ。「新しい資本主義」の「下の句」は何か。素人にはサッパリ分からない。良いことばかりならとっくに実行しているはずだ。

現役時代、米国ニューハンプシャー州に出張した際、米軍の友人から聞いた話だ。当時、ニューハンプシャー州は、州税(消費税)を撤廃した後だった。その財源として、なんと消防署を廃止したという。「州は消費税をとらない」という「上の句」に対し、「だから火事になっても自分で消火しろ」という「下の句」を州民投票で決めた。「下の句」を詳(つまび)らかにした上での州民の選択。さすがは民主主義の国だと感動したことを覚えている。

≪「バラ色」の政策に注意を≫

日本ではどうか。もう数十年も前になる。道路建設をめぐって周辺住民の反対運動が起こった。革新知事は、学者出身らしく西欧の警句を引用して反対運動に迎合した。「一人でも反対があれば、私は橋をかけない」と。実はこの警句には「下の句」があった。「だから冬でも泳いで渡れ」という「下の句」が。彼はそれを言わなかった。「道路は作らない。だから交通渋滞が起きても我慢しろ」と言って初めて政策は完結する。結果、いまなお慢性的な交通渋滞は続いている。

自衛隊はいらない、日米同盟にも反対だと主張するなら、「侵略されれば、殺されようが、自由を奪われようが仕方ない」と言うべきだろう。「公務員は減らせ。でも公共サービスは今まで通りで低下させるな」では、まるで駄々をこねる子供ではないか。「上の句」だけのバラ色の政策などあり得ない。選挙だからこそ国民は賢くならねばならない。

国民にも「下の句」を軽んじて恥じない人がいるのは残念だ。軍事研究はしないとする学術会議に所属した学者が、軍民融合の中国に招聘(しょうへい)されて研究をしている。かつて成田闘争でバリバリの活動家だった人が、何の恥じらいもなく成田空港を利用する。組合活動で授業をサボタージュする公立中学の先生が、自分の子供は私立の学校に入れる。「公立中学は荒れているから」とあっけらかんと言い放つ。なんだか割り切れない話が多い。

≪国民が試されている≫

「下の句」をないがしろにするのは恥ずかしいことだ。かつての日本では恥は死に値した。権利の主張は控えめでも、義務は当然のこととし、責任は命を賭(と)してでも果たす武士道の国だった。西欧にはノーブレス・オブリージュという言葉がある。高い地位に伴う道徳的、精神的義務を表す言葉だ。日本では高い地位でなくても、一般の庶民が責任と義務を果たすのを当たり前のこととしてきた。

大正末期から昭和に駐日大使を務めたフランスの詩人ポール・クローデルは、こういう日本を次のように述べた。「日本は貧しい、しかし高貴だ。地上で決して滅んでほしくない民族をただ一つ挙げるとすれば、それは日本だ」と。

「自由」には「責任」が、「権利」には「義務」が付随するという当たり前のことを、戦後日本は軽んじてきた。その結果、「自由と権利」は主張するが、「責任と義務」という「下の句」を回避する無責任体質が蔓延(まんえん)するようになった。今は「自己責任」という言葉さえタブーになりつつある。「自助、共助、公助」と言った途端、「政府が『自助』を言うとは何事だ」と批判されるようになった。これでは国家はもたない。

国家はスーパーマンでもなければ、打ち出の小槌(こづち)でもない。「下の句」のない耳にやさしい選挙公約なんぞ欺瞞(ぎまん)である。我々国民は常に「その『下の句』は何だ」と厳しく問い詰める姿勢が必要だ。でなければ日本に真の民主主義は育たず、いつまでたっても自立できない。選挙では国民が試されているのだ。

 ◇

 残念ながら国民の中には左向きのメディアに洗脳され、自分を弱者と見立て、弱者に手厚い政策をするのが政治だと、勘違いしている人が多くいます。世界には今晩の飯にもありつかない何億もの人たちがいて、またいつ爆弾が落ちて命を落とさないかと、部屋の片隅でひたすら縮こまっている、数千万の戦火の中の人もいます。

 少しくらい人より収入が少ないくらいで、弱者だ貧困だと騒ぐ人は、そういう国に行って現実を見ればいいと思います。政府に文句ばかり言うのではなく、どうすればこの国が少子化から脱するか、失われた30年から脱するか、中国などから揺すり、たかりを受けなくなるか、そのことを日本人として真剣に考えて欲しい、そう思いますね。

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