中国で連行されたジャーナリストの体験、監視社会で人権無視の恐怖
新型コロナの収束を待って、海外旅行を計画されている方も多いのではと思います。しかしコロナ発生源でもある中国は、昨年末にこのブログでも取り上げたように、理由が分からず連行され、いつの間にか行方不明になっている人が、外国人も含めて多いと聞いています。
実際に中国で連行された経験のある、作家でジャーナリストの青沼陽一郎氏が、JBpressにその体験を寄稿しています。タイトルは『連行されて分かった、中国は外国人をここまで監視している 尾行・監視は当たり前、そんな国で五輪を開催させていいのか』(1/3)で、以下に引用して、掲載します。
◇
今年は中国が威信をかけるという北京オリンピックがある。それも1カ月後に迫った。だが、こんな国でオリンピックを開催していいものだろうか。
その中国で私は身柄を拘束されたことがある。それも田圃の写真を撮っていただけで。そのとんでもない実態を語ってみたい。
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「ご同行いただけませんか」
最後に私が中国を訪れたのは2015年7月のことになる。そこで毛沢東の出生地である湖南省に足を延ばした。「魚米の里」と呼ばれ、古くから水資源が豊富で淡水魚と米の産地として知られた場所だ。ところが、ここから隣の広東省広州市圏に出荷された米から、許容量を超えるカドミウムが検出されて問題となっていた。その前年には同省の衡陽市衡東県大浦鎮で、子どもたちの血中鉛濃度が国の基準値を最大で3倍以上にもなっていたことを、国営の新華社通信やAFP通信が伝えている。地元の化学工場から排出された汚染物質が原因とみられ、この工場は捜査のため一時閉鎖されたという。
しかも2014年4月に中国環境保護省が公表した資料によると、湖南省は甘粛省と並んでもっとも土壌汚染の拡散している地域だった。それも湖南省では稲耕作地の実に4分の3以上が汚染されていたことがわかったという。
揚子江より南の地域では二期作が主流で、当時も田植えの済んだ隣の田圃で収穫作業が行われていた。そんな風景を写真に撮っている時だった。
カメラに夢中になっていると、背後から声がした。振り返ると、いつの間にか「中国公安」と文字の入ったパトカーが止まっていて、2人の制服の警官が降りてきた。ひとりは胸ポケットから小型のカメラレンズをぶら下げて、こちらの態度を録画監視している。
「外国人が写真を撮っているという通報がありました。通報を受けた以上、住民に説明をしなければならない。手続きのため、ご同行いただけませんか」
上司にあたる初老の警官が言った。
派手なシャツにビーチサンダルの男が実は地区の共産党書記
連れていかれたのは、町の中心を少し外れた場所にある古びた地元警察の建物だった。中に入るように言われ、奥まった会議室のさらにその奥の部屋に通された。
入口から一番遠い壁際の机の向こうに座らされると、初老の警官に続いて、スマートフォンだけを持ってビーチサンダルを履いた男が入ってきた。痩身に張り付くような派手なシャツやパンツからして、田舎のチンピラのように見えたが、彼がこの地区の共産党書記だった。さらにパソコンやビデオカメラを持った私服の男たちが入って来る。
まずパスポートの提示を求められた。それから、カメラと鞄を調べると言った。「任意」とされながらも、こちらが拒否できるような状況にはない。
「録音機器や、他に小型のカメラがないか、確認させてください」
そう言うと、手荷物のすべてを隣の部屋に持っていってしまった。私の目に見えないところで、全てがいじくられる。所持品を写真に撮るシャッター音がする。あとで返された時には、財布のクレジットカードまで抜き取られていた形跡があった。
渡航費用と滞在費用の出所をしつこく尋問
それから、ビデオを回しながら、尋問がはじまる。
「ここへ来た目的はなんだ?」
観光ビザで入国していたから「観光」と答える。
「観光、ほう・・・。観光なら、その旅費はどうした?」
費用は自分で用意している、と答える。
「渡航費用は? 滞在費は? 誰が出している?」
だから自分で準備した、と答える。当たり前のことだ。取材であれば費用は自分で捻出するなり、大手メディアから自らの努力で引っ張ってこなければならない。
すると警官はすぐに、
「あなたは、長沙市内(省都)の○○というホテルに宿泊している」
と言い当て、さらにこう言い放った。
「あなたの年収では、あのホテルに泊まるのは無理だ」
それから「この旅行費用はどこから出ているのか、言え」と問い質してきた。そして彼の発した次の言葉に、私は驚かされた。
「東京にある出版社から、中国の旅行代理店に送金があったことを我々は知っている」
中国では、ホテルにチェックインした段階でパスポート情報が登録され、政府に関連する機関と共有するシステムになっている。日本人観光客の個人情報など筒抜けだ。しかし、東京からの送金実績まで事前に把握しているとは思いもよらなかった。
スパイ行為を認めさせようという意図がありありと
「代理店の担当者は、その資金で旅程を組んでいることを認めている!」
当局によって自分が裸にされている不気味さと恐怖を実感する。
「そこから依頼を受けて、“調査活動”が目的でここへやって来たのだろう!?」
調査活動、すなわちスパイの容疑をかけて、それを認めさせようとする。中国では習近平体制になってから「反スパイ法」が制定され、日本人もその容疑ですでに拘束されている。
「なぜ、取材なら取材申請をしなかった」
「なぜ、観光と嘘をついて入国したのか」
ここへ来る前、私は西安に滞在していた。そこから高速鉄道と車を利用して「梁家河」という谷間の小さな村を訪ねていた。習近平が若い頃、下放されて暮らしていた「窯洞(ヤオトン)」と呼ばれる洞窟の住居がある場所だった。そこは、この7月からは観光地化し、入場料をとっている。習近平の生い立ち調査が目的とはいえ、これを観光ではないと言い張る中国人がいるだろうか。
その旨を伝えると警官は黙った。ところが、それまで黙っていた共産党書記が蒸し返す。
「だけど、わからないな。出版社からの送金でここまで来ているのなら、それは調査だろう!」
「そうだ。どうなんだ」
エンドレスで続く「同じ質問」
そこから堂々巡りと押し問答が続く。
気が付いてはいた。この地域に入ってからずっと、車窓に黒いフィルムを貼ったセダンが私の車のあとをつけていることを。最初は白で、昼を過ぎてからは黒い車体に代わった。監視されている。目立つことはしないほうがいい。だから、町中や田園をまわりながらも、写真は車の中から撮っていた。その度に車を停めると、セダンも一定の距離を保って停まった。
「ここなら、大丈夫でしょう」
町外れに出て、一緒だった通訳の青年が言った。そこではじめて車を降りて写真を撮った。そして、ここに連れてこられた。いま、その青年は取り調べを通訳している。
するとそのうち、初老の警官が私のスマートフォンの中まで勝手に覗き、こう言った。
「偶然に見てしまったのだが、この地域に関する記事が添付されたメールがある。やはり、調査が目的なのだろう?」
日本語の中に「鉛」の文字を見つけて問い詰めてきた。
「数年前に報じられたことを、いまさら蒸し返すつもりか!」
外国人であろうと、都合の悪いことは黙らせたい。中国共産党の言論封殺の本性がそこにある。
あとで気が付くのだが、この初老の警官もスマートフォンを持っていた。その待受画面は毛沢東の肖像だった。
「だいたい、田圃の写真を撮っているだけで、どうして土壌が汚染されていることがわかるんですか」
私は言い返した。見ただけで土壌中の汚染実態などわかるはずもない。そのカメラも没収されていた。
「じゃあ、なんでここへ来た!?」
中国側は執拗に同じ質問を繰り返す。繰り返しの説明は、疲労を伴う。なるほど、こうしてイライラと疲れの蓄積で、調査目的=スパイ容疑を認めさせようという魂胆か。
取調中も開け放たれたままの扉から、入れ替わり立ち替わり室内を覗きにきた地元の人間がスマートフォンでこちらの写真を撮る。まるで動物園の猿を見るような目つきだった。不愉快だった。これが正当な手続きと言えるのか。
「もう制服から着替えたのに、まだ帰れないのは誰のせいなのか」
午後1時過ぎに連れて来られて、ずっと同じ部屋に留め置かれたままだった。どう処遇されるのかもわからない、気の抜けない状態が続く。やがて午後の7時をまわった頃に、肥った私服の中年男性が部屋に入ってきた。緊張した空気が漂う。
「先生、まだこんなことを続けますか」
眼鏡をかけ髪の薄くなりかけている男は、私の正面に机を挟んで座ると、そう言った。彼がこの警察でもっとも権限を持つ、署長にあたる人物だった。
「私が制服から私服に着替えて、まだ帰れないのは誰のせいだと思いますか」
主張を曲げない私を責めた。そうやって威圧する。
「私は、人の善悪を見抜く力を持っている」
彼はそう言って私の目を直視しながら、再び送金の事実から尋問をはじめた。だが、相手に同調して調査目的を認めようものなら、それこそ罪に問われる可能性がある。
「先生、このままいつまでも続けますか」
では、どうしたらいいのか、こちらから訊ねた。
すると、真っ白なA4サイズの紙とボールペンを出してきて、これから言うことを日本語で書くように指示された。とにかく「事情説明」と題された、いわば「自己批判」を書かせようとする。
実は取調中から、この通り日本語に訳して書き写せ、と中国語の文書を示された。こんな田舎に日本語のわかる人物もいないはずと、意訳して書いて渡したが、その度に、内容が違う、これではダメだ、と突き返されていた。スマートフォンで文面を写真撮影し、それをどこかに送って確認をとっていた。
彼らとしても面子を保たなければ、私を解放できなかったのだろう。とはいえ、相手の都合のいいことばかりでは、どんな罪に問われるか、わかったものではない。そこで相手の意向と妥協点を探りながら文章を構成する。異様な労力に屈辱感が胸元から湧き上がる。この屈辱に先行きの見えない恐怖が私のトラウマに変わる。
この直筆の文章に尋問形式の調書に指印させられて、ようやく解放された。午後9時前だった。カメラにあった写真データは全て消去された。外には街灯らしいものもなく、あたり一面が真っ暗だった。
翌日には120人超の人権派弁護士が一斉に身柄拘束
写真を撮る自由さえない中国。執拗に罪を認めさせようとする地元警察。
私がこの警察署に留め置かれた翌日には、中国全土で120人を超す人権派と呼ばれる弁護士たちが一斉に身柄を拘束されている。現地では「暗黒の金曜日」と騒がれた。その延長に香港の現状がある。先月29日にも、香港の民主派ネットメディア、立場新聞(スタンド・ニュース)は発刊が停止され、編集担当幹部ら7人が逮捕されている。
オリンピック選手や関係者、報道陣も厳しい監視下に置かれることは目に見えている。
米国をはじめ自由主義諸国は北京オリンピックの「外交的ボイコット」を表明している。日本はその言葉すら使わないが、閣僚を派遣しない方針を示している。だが、こんな体験をさせられた私の立場からすれば、もっと厳しい姿勢を示すべきだと考えている。いや、人権すら無視するような国ではオリンピックを開催するべきではないとすら思う。
◇
まさに平和の祭典と銘打ったオリンピックを、人権監視・無視が日常でかつ民族弾圧を繰り返すこの国でやるべきではないでしょう。ただ習近平政権の権威発揚に利用されるだけで、何の意味もありません。
青沼さんはその日に解放されましたが、数日あるいは数ヶ月にわたって拘束された日本人もいますし、未だに拘束を解かれていない人もいます。こんなことを日本が中国人に行えば中国はなんと言うでしょう。先ず間違いなく倍返し以上はして来るでしょう。
コロナを世界に蔓延させた罪は計り知れないものがありますが、損害賠償は事実上無理だとは思います。ただそのコロナが収束に向かっても、海外旅行先は中国を外すべきでしょう。連行の危険が付きまといます。
ビジネス関係者はやむを得ず訪問せざるを得ませんが、監視社会だと言うことをくれぐれも忘れないよう、細心の注意を払って行動すべきです。青沼さんのような体験を阻止するためにも。
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