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2022年2月15日 (火)

自公連立、再検討の次期。公明党の母体創価学会に老化衰退の流れ

Photo_20220215124901  以前このブログで、日本共産党組織の衰退を述べました。公明党の母体である創価学会はどうなのでしょうか。最近になって、自民党との選挙協力についてさざ波が立ち始めています。創価学会の中で何かが起こっているのでしょうか。

 このあたりの状況について、宗教学者で作家の島田裕巳氏が、現代ビジネスに寄稿した記事に見てみましょう。タイトルは『「自公連立、迷走」その本当の読み方〜新宗教の時代の終焉と創価学会の弱体化 最盛期の選挙力は今や昔、もはや重荷』(2/12)で、以下に引用して掲載します。

次期参院選で公明は自民を推薦せず

連立を組んでいる自由民主党と公明党の関係がぎくしゃくし始めている。

一時、民主党が政権をとった時代にも、両党の協力関係は崩れなかった。連立がはじまったのは1999年のことだから、それからすでに23年の歳月が経過した。夫婦にたとえれば、もうすぐ銀婚式を迎えることになる。

連立を組むにあたっては、自民党側の都合が大きかった。1993年には非自民・非共産の細川護熙政権が誕生し、自民党は政権の座を追われた。それだけ党としての勢いを失っていたからで、政権を奪い返した後も、社会党やさきがけなどと連立を組まざるを得なかった。

その点で、自民党にとって公明党は格好のパートナーだった。なにしろ、公明党のバックには、創価学会という巨大教団が存在する。連立後の創価学会は、公明党議員の選挙活動を支えるだけではなく、自民党の議員も支援した。連立政権が発足した当所、創価学会員の票がなければ、多くの自民党議員は落選するだろうと指摘された。

公明党の側にも連立を組むことは大きなメリットだった。選挙の面でも、支援する自民党の議員が「比例は公明党へ」と呼びかけ、票の拡大をはかってくれたからである。

しかし、それ以上に与党になることのメリットは大きい。1人ではあるものの、政権ごとに公明党は必ず大臣を出すことができた。しかも、与党として自分たちの政策を実現させることができ、その点をアピールできた。自民党の独走を食い止められる点を誇示できることも大きかった。

にもかかわらず、今年の夏予定されている次の参議院選挙で、公明党は自民党との相互推薦をしない方針を打ち出した。しかも、創価学会の方は、最近、選挙の支援は「人物本位」で行うとあえて明言した。私は、「聖教新聞」にその記事が載ったのを見て、かなり驚いた。

揺らぐ選挙の足許

そこには、岸田政権になって、自民党と公明党のパイプが細くなったことが影響しているとも言われるが、見逃してはならないのは、公明党を支える創価学会で起こっている変化である。

昨年10月31日には第49回衆議院議員選挙が行われたが、その1週間後には東京都の葛飾区で区議会議員選挙が行われた。

その選挙で、公明党は9人の候補者を立てた、これは、その前の2017年の選挙と同じ数である。2017年には9人全員が当選した。

ところが、今回の選挙では1人が落選した。他の政党なら、たとえ落選する候補者が出てもそれほどの大事ではないが、公明党は事情が違う。公明党はここのところ、つねに候補者全員を当選させる「完勝」をめざしてきた。その完勝が果たせなかったのである。

「聖教新聞」では、いつもなら完勝を伝える記事が大々的に掲載される。ところが、葛飾区議会選挙については、小さく8人が当選したことが伝えられただけだった。

公明党は、前回に比べて候補者全体で3300票減らした。しかも、8人目は下から2番目の当選で、次点とはわずか136票差だった。

次回の葛飾区議会議員選挙は2025年だが、そのときには、候補者を7人以下に絞らなければ、完勝は難しい。葛飾区は東京の下町で、創価学会の会員の多い地域である。この出来事は、公明党にとって相当にショックだったはずだ。他の地方選挙でも、公明党の集票能力は低下している。

政権も夢見た、創価学会の最盛期は60年代

公明党の前身は、創価学会の内部に組織された文化部だった。文化部の結成は1954年のことで、翌年には4月の統一地方選挙に候補者を立て、54人のうち52人を当選させた。

1956年には参議院議員選挙に6人の候補者を立て、3人を当選させた。その後は破竹の勢いで、61年には公明政治連盟を結成し、それは64年の公明党の結党に結びついた。67年にははじめて衆議院議員選挙に候補者を立て、32人のうち25人を当選させた。

創価学会の会員の数が大きく伸びるようになるのは1950年代半ばからのことで、60年代は全盛時代だった。それによって膨大な数の会員を抱えるようになる。公明党も大きく拡大し、将来において政権を奪取するという夢を抱くまでに至った。

その最盛期において創価学会の会員がどれほどの数に達したのか、正確なところは分からない。しかし、一度は会員になったことのある人間は1000万人に近いのではないだろうか。その結果、全国各地には規模の大きな創価学会の会館が建てられた。また、当時は密接な関係を持っていた日蓮正宗の総本山である大石寺にも、主に創価学会員の寄進によって巨大な建築物が建てられた。

当時は、強引に相手を説得して入会させる「折伏」という布教手段がとられ、場合によっては他宗教や他宗派の神棚や仏壇を焼き払う「謗法払い」まで実践された。折伏された経験を持つ人間も少なくないはずだ。

中核「婦人部」の著しい高齢化

折伏の中心になり、また選挙活動にもっとも精力を傾けたのが、「婦人部」の会員たちだった。「女子部」が未婚の女性たちの集まりであるのに対して、婦人部は既婚の女性たちの集まりである。彼女たちは、1960年に32歳の若さで第3代の会長に就任した池田大作氏を熱烈に支持してきた。

ところが、昨年5月、婦人部は「女性部」と名を改め、11月には女子部も女性部に合流した。「聖教新聞」が伝えるところでは、会員たちはこの変化を歓迎しているとされるが、なぜ組織の改変が行われたのか、その理由は一切説明されていない。

現在では、生涯にわたって未婚だという女性も増え、既婚と未婚で組織を分けることに意味がなくなったと見ることもできる。

しかし、もっとも大きいのは組織の弱体化が進んでいるということだろう。婦人部と女性部で別々に会合を開いても、多くの会員が集まらない。ならば、組織を統合した方がいい。そうした判断が働いたものと思われる。

婦人部の会員の中心は、1960年代を中心とした組織の拡大期に入会した女性たちである。彼女たちは、40年代の生まれと考えられる。すでに多くの会員たちは後期高齢者になっている。つまり、婦人部の高齢化が著しく進んでいたわけである。

組織の中でさえ進む「創価学会離れ」

創価学会をはじめとする新宗教において、一番の難題は、いかにして信仰を次の世代に伝えるかである。創価学会以外の新宗教はほぼそれに失敗した。その結果、近年会員の大幅な減少という事態に直面している。関西では創価学会のライバルともなったPL教団などは、第3代教祖が2020年12月に亡くなってから、次の教祖が決まっていない。

創価学会は、次の世代に信仰を伝えることにかなり成功はしたものの、信仰に対する熱意はどうしても親の世代よりは劣る。下の世代は、会員や「聖教新聞」の購読者を増やす活動にも、そして選挙活動にもさほど熱心ではない。

しかも、創価学会の会員自体、ここのところ減少しつつある。亡くなった婦人部の元会員も少なくない。

最近では、正月の箱根駅伝で創価大学の活躍が目立つようになった。今やシード校の常連になりつつある。しかし、2022年の10人の選手のなかには、系列校である創価学園の出身者はわずか1人(関西創価)である。補欠を含めても、16人のうち2人である。

「聖教新聞」で、その活躍は伝えられても、個々の選手が取り上げられ、その信仰にふれられることはない。選手の多くが駅伝のために創価大学に入学したのだとすれば、創価大学においてさえ「創価学会離れ」が進んでいることになる。

衰退は時代的な必然

間違いなく言えることは、今後、創価学会の会員が増えることはあり得ないということである。ということは、これから公明党が票を伸ばす余地がなくなってきたことを意味する。共産党も退潮が著しいが、ときには浮動票を集める可能性を持っている。公明党にはそれがない。

しかも、公明党の議員も創価学会の幹部も高齢化が進んでいる。山口那津男代表は今年70歳で、地方議会を見ても、公明党の若い議員は少ない。創価学会では、池田大作氏が94歳で、原田稔会長もすでに80歳だ。

創価学会にとって、会員数の減少、あるいは会員の高齢化は、その経済を脅かす危険性を秘めている。会費を徴収しない創価学会では、「聖教新聞」の購読料がその代わりになっている。そして、毎年12月には「財務」という形で献金が呼びかけられる。

「聖教新聞」は公称550万部だが、今それだけ出ているとは思えない。財務についても、以前に比べて相当に減少していることだろう。

収入の減少が続けば、これからの創価学会は、全国にある会館の維持費の捻出に苦労することになるだろう。戦前には新宗教でもっとも多くの信者を抱えていた天理教では、現在、教会本部の周囲に建設された親里館の維持費の捻出に困るようになり、本部の会議でそれが議題として取り上げられるようになった。

創価学会にとって、選挙活動が重荷になってきている。遠山清彦元議員の事件が起こったのも、それぞれの議員が選挙資金を自前で集めなければならない状況が生まれたからではないだろうか。

創価学会が大きく躍進し、公明党が議員数を伸ばしたのは、戦後の高度経済成長が背景になっていた。労働力の地方から都市部への大規模な移動が起こり、大都市に出てきたばかりで生活に不安を抱えていた人間を、創価学会は折伏し、それで会員を増やしたからだ。

高度経済成長はすっかり過去のものとなった。創価学会や公明党が衰退するのも、それは時代的な必然なのではないだろうか。

 ◇

 公明党は自民党と連立を組んでいますが、安全保障や外交政策、国家観や憲法観が大きく異なっています。自民党が政権から追い出された過去の時期に、集票の手助けとなりまた政権維持に役立った過去があるとは言え、今では公明党と連立を組む必然的な要素が、かなり薄らいできていると思えます。

 これから自民党は、公明党と袂を分かち、単独で安定した政権を維持できるように、国民に支持される政策の立案と共に、スキャンダルの一層に励む事が、何よりも肝要となるでしょう。

 あるいは他の、より政策を共有できる政党との連立を視野に置くことも、一つの選択肢でしょう。何れにしても憲法を速やかに改正し、「普通」の「主権国家」になるために、党の生命をかけてこの日本をリードしていかなければ、日本の未来は見えて来ません。公明党はその使命を負える党ではないことは、間違いないでしょう。

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