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2022年2月10日 (木)

福島香織氏:北京五輪にどうしても感じてしまうグロテスクさの正体

Img_4425e2ffc152d77e0019ec113736d6ad9210  今開幕中の北京冬期五輪、開会式のウイグル選手の聖火点灯への参加や、競技中も、ジャンプ団体の高梨沙羅選手を始め5人の失格など、おかしな出来事や思わぬ出来事が続いています。競技での異常な出来事は何も日本選手だけではありません。

 そのあたりの詳細を、ジャーナリストの福島香織氏が、JBpressに寄稿したコラムに見てみましょう。タイトルは『北京五輪にどうしても感じてしまうグロテスクさの正体 開会式も競技も、北京五輪はどこが「おかしい」のか』(2/10)で、以下に引用します。

 ◇

 私はもともと北京冬季五輪は専制国家のプロパガンダに過ぎないと思っており、外交的ボイコットを支持している。だが、日本選手はじめ世界各国のアスリートたちが4年の研鑽の成果を競い合う貴重な機会であり、楽しみにしているファンも多くいるであろうから、あまり大声で五輪開催自体をこき下ろすのは野暮だと思っていた。

 しかし、あの「イマジン」の音楽に合わせて「未来に向かって、一緒に」と一直線に並んで歩く一糸乱れぬ行進、聖火台点灯役にウイグル人女子選手をあえて抜擢した開幕式の演出、さらに高梨沙羅選手ら5人のノルディックスキー・ジャンプ団体競技での「スーツ規定違反」、スピードスケートやスノーボードでの異様な「判定」による有力選手の失格、女子テニスプレイヤー彭帥(ほうすい)の突然の引退発表の不可解・・・などを見て、やはり言わずにはおられない。この五輪は、絶対におかしい。この北京冬季五輪に抱く違和感の正体について紐解いていきたい。

ウイグル人迫害を隠す残酷な演出

 開会式は一見、洗練されて美しかった。総合プロデューサーは2008年の北京夏季五輪と同じく著名映画監督の張芸謀。開幕式カウントダウンは二十四節気の雨水から数えて立春でスタート、春が来た、という演出で、LEDライトでタンポポが芽生えて伸びて綿毛を散らし、黄河の流れが氷になって、溶けて空に蒸発していき氷の五輪マークが登場するなど、自然や時の移ろいを東洋的な概念で表現していた。パフォーマーは延べ3000人(2008年北京五輪では1万2000人)、プロのダンサー役者を雇わず、5歳から70歳までの一般人を動員した。

 花火演出は2008年北京五輪と同じく、ニューヨーク在住の国際的アーティスト、蔡国強の火薬を使わない花火アート。この花火演出もたった3回、トータル3分未満の短いもので、全体的には習近平の「倹約精神」が反映されている。また、本来中国が好きな赤や黄色ではなく、緑や白の色彩を多用し、エコでクリーンなイメージを前面に押し出した。おそらく東京夏季五輪の開幕式よりは洗練されていた、という印象をもった人も多く、さすが張芸謀と言いたいところだ。

 だが同時に、非常に政治的な演出でもあった。国旗掲揚の時、中国国内に暮らす56の民族衣装を着た人たちが五星紅旗をリレー式に渡していく。このときの朝鮮族の衣装がチマ・チョゴリで、これが韓国人視聴者たちの反感を買った。「韓国の服飾文化を中国のものだと誤解させる」と。

 また聖火点灯のクライマックス、点火する重要な役割はクロスカントリースキー女子のジニゲル・イラムジャン選手とノルディックスキー複合男子の趙嘉文選手。あえてウイグル人女子選手を起用したことは、明らかにウイグル人ジェノサイドを批判し外交ボイコットを決定した欧米諸国へのメッセージだ。1936年ベルリン・オリンピックで、ヒトラーがドイツ選手団にユダヤ系のフェンシング選手ヘレン・メイヤーを加え、ユダヤ人が迫害されていないように見せたのと同じやり方ともいえる。

 ヘレン・メイヤーと違うところは、イラムジャン選手はメダルが期待されるスター選手ではなく、メイヤーのように表彰台に乗って愛国パフォーマンスを行う機会はなかったことだ。

 ちなみに2008年北京五輪で聖火リレー走者を務めたウイグル人、カマルトゥルク・ヤルクンは、米メディア「ラジオ・フリー・アジア」に、この演出を見てコメントするように求められたそうだが「心が傷つくから見ない」と答えている。彼は著名文学者で教育家であるヤルクン・ロジの息子だ。ヤルクン・ロジはウイグル語教科書編纂に関わったことで獄中にあり、カマルトゥルク・ヤルクン自身はボストンに亡命している。五輪開催期間もなお投獄されたり強制収容所に入れられたりして、その安否さえわからないウイグル人が多くいることを考えれば、なんとも残酷な演出だ。

 腹立たしいことには、このウイグル人選手による聖火点灯演出のとき、米国で中継していたNBCはじめ多くの海外メディアは、中国のウイグル人ジェノサイド問題について触れていたが、日本のNHKはイラムジャン選手がウイグル人であることすら言及しなかった。

専制国家の平和に通じる「イマジン」の世界

 さらに、ぞっとしたのがジョン・レノンの「イマジン」に合わせて多様な人種の人たちがまっすぐ一列になって歩む姿だ。

 イマジンは東京夏季五輪でも流され、いかにも平和とスポーツの祭典にふさわしいテーマソングのイメージがある。だが、考えてみれば「天国も地獄もなく、国も宗教もなく、飢えることなく平和に暮らせる一つの世界」というのは、まさに専制国家が監視とコントロールで作り出す平和の形ではないか(実際にイマジンに対しては発表当時から共産主義的だという批判がある)。恐怖政治によって異論や反論を封じられ、異なる思想を持ち、考え議論することを禁じられ、権力者に絶対歯向かわない社会ならば、平和が約束される。だが、それは家畜の安寧だ。

 中国は、普通のイスラム教の信仰心を持っているウイグル人らを過激宗教として弾圧し、普通の選挙や言論の自由を求める香港人を国家安全の脅威として逮捕し、新型コロナ感染者や濃厚接触者を社会から徹底的に排除し、隔離施設に押し込め、その存在をなかったことにして、五輪を予定通り開催した。その排除された人々の暮しがどれほど破壊されようと、命が危機にさらされようと、彼らは「少数派」であり、多数派の幸せのために少数派が犠牲になるのが民主だと主張する中国からすれば、「中国の民主こそが対立、分断、争いのない世界を実現できる」というわけだ。

 このロジックは、北京冬季五輪開幕式のために訪中したロシアのプーチン大統領と習近平国家主席が会談して発表した共同声明でも顕著だ。中露は共同声明で次のように述べている。

「民主が全人類の共同の価値であり、少数国家(欧米など)だけの専売特許ではなく、民主を促進し保障することは国際社会の共同事業である、との認識を一致させた」

「各国人民が国情に合った民主主義の実践モデルと方式を選択する権利がある。1つの国家が民主かどうかは、当事国の人民が評価し判断するものである」

「民主や人権を守ることを、他国に圧力を加える道具にすべきではない」

「双方(中露)は、いかなる国家の民主価値の乱用にも反対し、民主・人権擁護を口実にした主権国家の内政干渉、世界を分裂対立させようとする挑発に反対する」

 ウイグル人、香港人らを弾圧している中国と、ウクライナ国境に武力侵攻せんと軍を展開してみせているロシアがともに、我々の民主(専制)こそが真の民主、分断や争いばかりの欧米の民主には欠陥があるので今後の国際社会の統治モデルは中露統治モデルでいくべきだ、と言わんばかりの姿勢を打ち出したのだ。そして「一起向未来(ともに未来へ)」と呼び掛ける。

疑惑だらけの競技

 この中国の「我こそが正義」「我こそがルール」という姿勢は、五輪の競技の中にも表れている気がする。

 ノルディックスキー・ジャンプ団体女子で高梨沙羅選手やノルウェーのシリエ・オプセト選手ら4カ国の有力選手5人が「スーツの規定違反」で失格になった。スーツの規定違反でこれほど大量の失格者が出るのは珍しく、オプセト選手によれば、測り方がこれまでのやり方と異なったらしい。北京冬季五輪のための特別ルールが適用されたということか。

 また、スピードスケート・ショートトラック男子1000メートル準決勝での判定失格を受けて韓国選手団はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴するとしている。韓国のエース黄大憲選手が1組で1位、李俊瑞が2組の2位でそれぞれゴールするも、レーン変更時に反則があったとして失格になり、中国選手が決勝に進んだ。決勝でも、ハンガリーのシャオリンサンドル・リュウ選手が僅差で1位でゴールしたにもかかわらず判定に持ち込まれリュウ選手が失格。任子威、李文龍の中国両選手が金、銀に繰り上がった。

 スピードスケート女子1500メートルでは高木菜那選手が、本来高木選手にコースを譲るべき中国人選手とぶつかって失速し8位に甘んじる結果になった。

 スノーボード女子パラレル大回転では、2014年ソチ五輪銀メダルの竹内智香選手も進路妨害と判定されて途中棄権となり、決勝トーナメント1回戦敗退となった。

 もちろんトップアスリートがぎりぎりの頂点を競いあうのだから判定は難しかろう。だがそれでも、選手やファンがここまで今回の五輪に不信感を募らせるのは、中国そのものへの信用の問題であると言ってよい。

「彭帥事件」の真相は闇の中に

 五輪直前、アスリートたちが中国に不信感を抱く大きな事件があった。女子テニストッププレイヤーの彭帥選手が、元政治局常務委員の張高麗から性虐待を受けていたと告発した事件だ。その後彼女はしばらく「失踪」し、再び現れた時には事件そのものを否定していた。IOCのバッハ会長は2月5日に彭帥と面会したが、それは彭帥の身の自由と安全を確認することにはなっていない。

 さらにこのタイミングでフランスのスポーツ紙「レキップ(L'Equipe)」の単独インタビューを受け、事件を改めて否定するとともに、現役選手引退を電撃発表した。これで今後、彭帥は遠征試合などで海外に出ることはなくなり、また海外メディアの前に登場する機会もなくなるだろう。事件の真相は完全に闇に葬られる流れだ。

 この引退発表をフランスメディアに報じさせたのは、海外メディアが報じなければ国際社会は納得しないと中国当局自身がわかっているからだ。レキップは特ダネと引き換えに中国のプロパガンダの片棒を担いだことになるのだが、カメラマンは彭帥の傍らの鏡に、注意深く彭帥を監視するかのような中国人男性の姿を映り込ませることで、なんとなくインタビューの背後にある当局の気配を伝えている。

北京五輪のグロテスクさの正体

 新型コロナ禍の最中に行われた2021年の東京夏季五輪も、本来の平和とスポーツの祭典といった意義は失われ、一部の利権と不正の巣窟であったことが明るみになっていた。開幕直前まで様々なトラブルが噴出し、スポーツ興行としての経済利益はなく、意義があるとすれば、開催国の政治宣伝と自己満足ぐらいだが、日本の場合、むしろ日本の衰退を印象付けた五輪だった。ただし、東京五輪は“しょぼかった”かもしれないが、北京冬季五輪のようなグロテスクさを感じることはなかっただろう。

 このグロテスクさの正体は、専制統治が世界の平和と安定を導くのだというロジックを臆面もなく打ち出していることなのだが、より不気味なのは、世界が分断や争いに苦しみ、コロナ対策などで個人の利益と公共の利益がぶつかりあう状況に直面すると、ふと、専制統治の方が世界は安定するのかも、と思ってしまいかねない危うさを私たち自身が抱えていることだ。実際、日本の財界人から「専制の方が経済発展するのではないか」「幸せな監視国家というものがあるのではないか」という意見をよく聞く。

 だから、私は、この北京冬季五輪についての問題意識を繰り返し発信することにした。私たちは言論や思想や信仰の自由と引き換えに発展や平和を求めていいのか。家畜の安寧の未来に一緒に向かいたいと本気で思っているのか。私は答えを持っているが、読者の方々はどうだろう。

 ◇

 私は東京五輪はあのコロナ禍の緊急事態宣言下でよくやったと思い、“しょぼかった”とは思いませんが、それはさておき、福島氏の指摘する中国の政治ショーを前面に出した演出とともに、傲慢さをむき出しにした競技判定には、完全に同意します。

 ウィグル選手の起用に代表される政治的意図は、素人目に見てもあからさまで、むしろ見せれば見せるほど、化けの皮が剥がれていくように思います。だが洗脳が行き届いている中国国民にはその意図が見えず、共産党への賛美を増幅させているのだろうと残念に思います。

 いずれにしろ習近平による習近平のための北京五輪。台湾統一を愛国心高揚のために国民にちらつかせながら、秋の党大会で3期目へと政権継続させるための、ロードマップの第一歩として、無事に終わらせることが、習近平の願いであり、「平和の祭典」という意義など何処にも感じていないことが、この五輪を見ていてよく分かりますね。

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