« 衰退か暴発か、「小物」?すぎる習近平が導く中国の危ないこれから | トップページ | 30年間経済停滞の日本、「経常収支」の赤信号が示すその深刻度 »

2022年9月19日 (月)

旧統一教会問題の本質はどこにある?何故メディアはここまで取り上げるのか

Images-8_20220919100301  安部元首相の国葬儀が27日行われますが、マスコミではその賛否を巡る報道が連日のように繰返されています。しかも反対の視点からの報道が目立ちます。日本を愛し、強い日本を復活させようと頑張ってきた、そして歴代最長の首相在任期間の安倍氏を、亡くなった後まで貶めようとする勢力が反対の大合唱をしています。

 そして襲撃事件の容疑者の犯行経緯から急速に持ち上がった、旧統一教会問題。今や宗教団体という枠を超えて、反社会的集団のような扱いで報道する各種メディア。その背景には反安部、そして反自民、もっと言えば反日の集団が、現政権の転覆を狙った一大キャンペーンのような様相も呈しています。

 確かに旧統一教会の問題は、政治家との癒着と共に霊感療法など裏の顔も見え隠れしています。しかし本当の実態はどうなのでしょうか。その詳細を、宗教学者の島田裕巳氏が、現代ビジネスに寄稿した記事から引用して紹介します。タイトルは『今やすっかり「強大な力を持つ宗教団体」、統一教会問題の実像を探る 「政治と宗教の癒着」疑念はどこから』です。

そもそも今、日本の宗教は

統一教会(現在は、世界平和統一家庭連合)はすっかり「強大な力を持つ宗教団体」になってしまった。たんに自民党などの議員と関係を持つだけではなく、自民党の政策までも統一教会に左右されているというイメージがふくらんできた。

本当に統一教会はそれほど恐るべき宗教団体なのだろうか。

合同結婚式のことで騒がれた1990年代はじめから、この30年のあいだ、統一教会のことがほとんど話題にならなかっただけに、元首相の狙撃事件の衝撃はあるものの、今日の取り上げ方にいささか唐突な感があることは否めない。

統一教会の信者数については、宗教情報リサーチセンター(公益財団法人国際宗教研究所)が2015年の数字として56万人という数字をあげている。全国に広がった宗教法人の場合には、文化庁に信者数を届け出ることになっているが、統一教会は都道府県で認証された団体であり、報告をしていない。したがって、文化庁が出している『宗教年鑑』には、信者数の記載はない。

『宗教年鑑』に報告された信者数にしても、あくまで宗教法人の側が示したもので、公称であり、実態に即しているという保障はない。既成仏教教団の例になるが、浄土宗となると、少なくともここ25年以上にわたって信者数はまったく変わっていない。1人も増えていないし、1人も減っていないのだ。

信者数、たったの2万2000人!?

新宗教の信者数について、私が参考にしている数字は2つある。

1つは、1996年にNHK放送文化研究所が行った県民気質の調査である。4万人を超える調査対象者のうち、創価学会が3パーセント、立正佼成会が0.5パーセントという数字が出ている。これだと信者数はおよそ360万人と60万人ということになる。

もう1つは、大阪商業大学が20年以上続けている世論調査で、JGSSと呼ばれるもので、信仰についても尋ねている。単年度だと調査対象となる数が少ないので、各教団の信者数を割り出すことはできない。ただ、20年以上にわたるデータの蓄積があり、対象者の総数は4万2373人に及んでいる。

それをもとに新宗教の信者数を出してみたのだが、統一教会の場合には2万2000人という数字が出た。これは信者としての自覚をはっきりと持っている人間の数と考えられる。事実上やめている、あるいは活動していない信者を合わせれば、その倍くらいにはなるだろう。それでも5万人には達しない。

56万人という数字の10分の1にも満たない。統一教会の元信者である仲正昌樹氏とは、ある雑誌の座談会で同席したが、彼がいた1980年代でも、信者数は2万人に満たなかったと語っていた。統一教会の信者数は2万人前後と考えて間違いないだろう。

新宗教の衰退は止まらない

統一教会が大教団でないことは確かだが、では他の新宗教はどこだろうか。

大阪商業大学の調査をもとにすると、創価学会が217万人、天理教が38万人、顕正会が33万人、立正佼成会が20万という数字が出てくる。創価学会の217万人は、県民気質調査の数字と大きくは変わらない。全体の1.7パーセントだからである。

おそらく、この数字を見ると、新宗教の信者数は意外に少ないという印象を持たれるかもしれない。

ちなみに、公称で1100万人の信者を抱えている幸福の科学は3万8000人である。

PL教団は、高度経済成長の時代には大きく発展したが、こちらはなんと1万2000人であり、統一教会よりも少ない。たしかに、PL教団では最近教祖が亡くなったが、後継者も決まっていない。教団としてほとんど機能していないのではないだろうか。

宗教団体は、既成宗教、新宗教を問わず、バブルの時代が信者数はピークだった。その後、平成の30年のあいだに、どこも信者数は相当に減らしている。したがって、大阪商業大学の調査をもとにした数字も、20年間の中間、2010年頃の数字と考えた方がいいかもしれない。今はもっと減っているはずだからだ。

この実態で選挙に影響力を持てやしない

選挙になれば、創価学会がもっとも顕著だが、信者は知り合いにも声をかけ、投票依頼を積極的に行う。その点では、統一教会には数万票を動かす力はあるかもしれないが、教団単独で当選者を出すのは不可能だ。

統一教会に多くの信者が入ったのは、創立者が同じ文鮮明で密接不可分な関係にある国際勝共連合が活発に活動していた時代である。その後、冷戦構造が崩れたことで、反共運動はその意義を失い、文も亡くなった。亡くなった後には分裂騒ぎも起こり、それを契機に脱会した信者も少なくない。

たしかに、統一教会が選挙運動に協力することなどで自民党の議員と関係を結んでいることは事実だ。ただ、自民党の主張と統一教会の主張が重なって見えるのは、統一教会が影響を与えたからではなく、統一教会の側が自民党に擦り寄るために、そうした主張を取り入れた結果だろう。

夫婦別姓反対など、統一教会の母国韓国が夫婦別姓であることを考えれば、統一教会にはむしろそぐわない。憲法改正についても、韓国生まれの統一教会がそれに関心を持つとは思えない。

統一教会は、安倍元首相やアメリカのトランプ元大統領がメッセージを寄せるようなイベントを開いてきた。だが、それ以上、何か具体的な成果をあげているのかという点になると、それが見えてこない。

イベント要員としての自民党

統一教会は、霊感商法や信者に高額献金を求めることで、多くの資金を稼ぎ出してきた。そうした資金は、関連団体を維持運営することや、イベントの開催に使われてきたはずだ。逆に、イベントを盛んなものにするために、もっと言えば見せかけるために、多額の資金を必要とした。

そして、自民党などの議員と関係を持ったのは、イベントに参加してもらい、祝電を打ってもらうためで、その目的はひとえにイベントを盛り上げるためにあったと言えるのではないだろうか。

文鮮明が発案した日韓トンネルの事業などは、たしかに莫大な費用を要するものである。だからこそ、九州の政治家たちが利権を求めて、そこに集まってきたわけだが、実現性には乏しい。実際、九州側で少しトンネルを掘っただけである。到底、これが実現するとは思えない。

こうした事業も、政治家に統一教会とその関連団体に関心を持たせるための手段で、それ以上の意味を持ってはいないのではないだろうか。

「無党派」の増加、「無宗教」の増加

統一教会が霊感商法をはじめ、問題のある活動を行ってきたことは事実である。また、反共運動としての性格を持っている以上、共産党などと対立してきたことも事実である。

けれども、統一教会の力を過大に評価することは危険である。統一教会があたかも日本の政治を牛耳っているかのようにとらえてしまうと、実態を見誤ることになり、かえって教団を宣伝することにも結びつきかねない。

30年ほど前、合同結婚式やマインドコントロールで騒がれたとき、自民党との関係が問題視されなかったのは、その時点で自民党は下野し、政権の座になかったからである。

その点をおさえておく必要はあるが、今回、統一教会の自民党との関係にこれだけ注目が集まったのはそれだけではないだろう。

この30年で変わったものは何だろうか。

それは、各宗教団体が信者数を減らすことで、無宗教の人間が増加したこともあるが、一方で、政党の支持についても、「無党派」が増えている。

NHK放送文化研究所が5年ごとに行ってきた「日本人の意識」調査では、1993年の調査では支持政党なしが41パーセントだったのが、2018年の調査では60パーセントに増えている。当然、各政党の支持率も軒並み低下している。

「無党派」から見て宗教団体は怪しい

無党派が増えた原因としては、政治不信の高まりが指摘されることが多いが、むしろ「圧力団体」が軒並み力を失ってきたことの方が影響は大きいのではないだろうか。

圧力団体とは、特定の利害にもとづいて、政治に影響力を及ぼす各種の集団のことで、農協や医師会などの職能集団、遺族会、あるいは労働組合、宗教団体が含まれる。

農協の力もかなり落ちているし、遺族会など、かつては相当な政治力を発揮したが、今は高齢化で会員も激減した。労働組合も、総評が解体され、連合に変わったものの、その存在意義は薄れた。だからこそ総評を支持母体とした社会党は消滅したのだ。

国民が政治に強い関心を持つのも、そのあり方が直接自分たちに影響を及ぼす時である。圧力団体の一員になることは、まさに政治の世界と利害関係を結ぶことにつながる。そうした圧力団体の力が弱まり、集団に加わる人間が減れば、政治は自分たちとは遠い世界のものになってしまう。無党派は、まさにそういう立場におかれた人間たちのことである。

無党派の人間からすれば、政治は一部の人間たちだけが深くかかわっているもので、自分とは無縁なものに思える。特定の政党を支持する理由も見出せない。結局、政治や政治家、あるいはそうした政治家とかかわる一部の人間たちが、自分たちの利害のために悪事を働いているかのように見えてしまうのだ。

とくに宗教団体は、外側からはその活動やそこに属する人間たちの姿が見えてこない。その分、悪事を働いているのではないかという疑惑を生むことになりやすい。そして、陰で悪事を働く宗教団体やそれに巣くう政治家は許せないと感じてしまうのである。

日本人はなにゆえ我慢できないと思うのか

かつての多くの日本人が暮らしていた村社会は、共同体の規制が厳しかったものの、相互扶助というあり方が浸透し、個人を孤独にさせることはなかった。

ところが、近代化によって、さらには戦後の高度経済成長によって、村を出て都会に出てきた人々は、自由を得た代わりに、村社会のように自分を支えてくれる共同体を失った。

その分、企業や労働組合、あるいは新宗教が、それを代替する役割を担うようになり、多くの人を引き寄せた。企業への就職も、金銭を得るためだけではなく、自分を支えてくれる共同体を求めるという面があった。

時代が変わり、国際化が進むなかで、そうした共同体の役割を担う集団の力が衰え、そこに属する個人との関係も大きく変わった。私たちのほとんどは、かつての村社会にあたるような共同体との関係を取り結んではいない。その分、個人として、社会と、さらには国際社会と対峙するしかない。

そうなると、どうしても自分の無力さを強く意識し、依然として共同体に属している人間に対して複雑な感情を抱かざるを得なくなる。

統一教会の問題は、そうした状況にある私たちのあり方と、その問題点を浮上させることにもなったのではないだろうか。

やがて統一教会の騒ぎはおさまるだろうが、多くの国民がよるべない境遇にあることは変わらない。むしろ、その傾向がより強くなる可能性が高い。そして、政治はさらに遠のいていく。

政治と宗教の癒着に我慢がならないと思うのはなぜか。私たちは、その問いを私たち自身に向ける必要があるのではないだろうか。

 旧統一教会の実態と言うよりは、日本社会の大衆マインドの変化を述べているような内容です。興味深いのは政治無関心派が増えているその要因の記述よりも、そうした政治無関心派がかえって、政治圧力団体やその圧力団体によって支持されている政治家や政党に、不満を持つだろうと示唆していることです。

 そして、国民の半数以上を占める、そう言った政治には無関心の集団は、逆に政治を動かしている裏の何かが取り上げられると、一気にそこに興味を示す姿勢は強くなるでしょう。何しろ利害がないのですから批判のトーンも強くなるはずです。

 実は多くのメディアはそこを狙っているように思えます。購読者を引き留め視聴率を上げるには、どうしてもこの多数を占める、政治的無関心でかつ政治的スキャンダルに敏感な層に、的を絞って取り上げる傾向があります。旧統一教会問題や国葬儀の問題は、その格好の対象(えじき)になっていると思いますね。

 問題は、この政治的無関心層に向けた問題の取り上げ方が、特定野党や反日集団に心地よいように、本質的なものにフィルターをかけて、魔女狩り的な傾向になっていると言うことでしょう。我々は踊らされることなく、その本質を見分けていかねばなりません。

(よろしければ下記バナーの応援クリックをお願いします。)


保守ランキング

(お手数ですがこちらもポチッとクリックをお願いします)


にほんブログ村

« 衰退か暴発か、「小物」?すぎる習近平が導く中国の危ないこれから | トップページ | 30年間経済停滞の日本、「経常収支」の赤信号が示すその深刻度 »

宗教と政治」カテゴリの記事

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フォト
無料ブログはココログ