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2022年10月25日 (火)

山口敬之氏:伊藤詩織氏の「いいね」訴訟はジャーナリズムの自殺行為だ そして首をかしげたくなる判決が

22_20221025094401  自身を中傷する複数のツイッター投稿に「いいね」を押され、名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの伊藤詩織さんが自民党の杉田水脈衆院議員に220万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が今月20日、東京高裁であり、石井浩裁判長は、請求を棄却した1審東京地裁判決を変更し、杉田氏に55万円の賠償を命じました。原告側によると、「いいね」を押す行為が不法行為に当たると判断されたのは初めてということです。

 この伊藤詩織の訴訟に違和感を持ち続けたフリージャーナリストの山口敬之氏が、同じ伊藤詩織氏に訴訟を起こされたその経験も踏まえて、月刊hanadaプラスに寄稿した記事を紹介します。タイトルは『伊藤詩織氏の「いいね」訴訟はジャーナリズムの自殺行為だ』で、以下に引用して掲載します。

伊藤詩織氏は、ジャーナリストを自称している。ジャーナリストを標榜するのであれば、言論や表現の自由を出来るだけ制限しない社会を目指すのが当然だ。だが、伊藤氏が作り出そうとしているのは、「気軽にSNSボタンも押せない息苦しい社会」である――。

伊藤詩織氏に対する強い違和感

21_20221025094401 伊藤詩織氏(33)が、自身を誹謗中傷するツイッター上の投稿に「いいね」を押され名誉を傷つけられたとして、自民党の杉田水脈衆院議員に220万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁の石井浩裁判長は10月20日、杉田氏に55万円の支払いを命じた。

一審の東京地裁は、「『いいね』を押す行為そのものは、原ツイートへの賛意や肯定的意志を示すとは限らない」などとして、伊藤氏の訴えを退けていた。

まず読者の皆さんに把握していただきたいのは、伊藤詩織氏は私に「薬物を盛られた」などと事実でないことを記者会見などで繰り返し述べるという「不法行為」が認定され、私の名誉を毀損したとして損害を賠償することを求めた判決が確定している人物であるということである。

妄想をあたかも事実であるかのように世界中に喧伝して私の名誉を毀損した伊藤詩織氏が、他者の「いいね」によって損害を受けたとして訴訟を提起した経緯には、そもそも強い違和感を覚えていた。

気軽に「いいね」を押せない社会

「『いいね』はツィートへの賛意とは限らない」という、ごく常識的な判断を下していた一審判決をひっくり返した今回の高裁判決を聞いて、私は暗澹たる思いになった。

SNSは現代社会に生きる我々にとって、娯楽の域を超えて生活の必需品であり、情報インフラの根幹を為すものとなっている。

そしてTwitterやFacebookには、他者の投稿などに対する反応として「いいね」やリツイートなど、様々なアクションを取る「ボタン」が付いている。

この「いいね」などの各種ボタンは、投稿への賛意を示す意図だけでなく、備忘録として押す方も、賛同できないが注目せざるを得ないという意味で押す方など、使い方は様々だろう。

そして「わざわざコメントを書く程ではないが、原ツイートの指摘する問題に関心があるという意志を示しておこう」という、気軽な意思表示であり、ネット上での議論に対するある種の「消極的参政権」として機能してきた。

ところが伊藤詩織氏は、こうした行為で自身が傷ついたとして訴訟を起こした。

伊藤詩織氏は、「いいね」ボタンに込められた多様な意志を自身への攻撃と決めつけ、そうした行為をやめさせようとした。

判決後に記者会見した伊藤詩織氏は、今回の判決をインターネット上の誹謗中傷の解消に向けた「第一歩」と評価し、「指先一つのアクションだけでどれだけ誰かを傷つけてしまうかを『いいね』を押す前に考えてほしい」と笑顔で語った。

この訴訟と判決で、日本は「いいね」を押すだけで数十万円もの賠償が命じられる可能性がある国となったのだ。

読者の皆さん一人一人のインターネット上での意思表示にも、今後は大きな逡巡が生じるだろう。

「気軽にSNSボタンも押せない息苦しい社会」を作り出そうとしているのが、伊藤詩織氏だ。

ジャーナリズムは言論と意思表示の自由に依拠

伊藤詩織氏は、ジャーナリストを自称している。

ジャーナリズムとは、そもそも憲法21条に明記された「言論の自由」があって初めて自由闊達に機能する職業だ。しかし「言論の自由」は大日本帝国憲法でも29条に明記されていた。

29条は「日本国民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する」とした。戦前は「法律の範囲において」という但し書きを逆手にとった言論弾圧が横行した。

現行憲法の21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」となっている。

ジャーナリズムとは、国民一人一人の意思表示の自由の上に成り立っている商売である。そしてその自由のレベルは、憲法と法律の解釈と運用によっていかようにも変更しうるものであることは、大日本帝国憲法下の日本を見れば明確である。

現行憲法下においても、裁判所の判決いかんで、言論の自由の範囲や程度は自在に変化する。

ジャーナリストを標榜するのであれば、言論や表現の自由を出来るだけ制限しない社会を目指すのが当然だ。

私はこれまで、伊藤詩織氏との訴訟に関連して数えきれない誹謗中傷を受けてきた。もちろん限度を超えた侮蔑については複数の訴訟を提起している。

しかし私を明らかに誹謗中傷するツイートやFacebook投稿に「いいね」を押した人に対して訴訟を起こそうなどとは考えたこともなかった。それは、ジャーナリズムという自身の職業の地盤を危うくする自殺行為だと感じていたからだ。

私への誹謗中傷ツイートへの「いいね」について

私は伊藤詩織氏との裁判を通じて、伊藤詩織氏の嘘や矛盾を証拠や証言を添えて数多く証明した。しかし裁判所は、「当時は混乱していた」などとして本質的な矛盾にも目を瞑り、伊藤詩織氏が創作した矛盾に満ちたストーリーを追認した。

人間が人間を裁く以上、裁判に完璧はない。声高に被害者であることを強調し、メディアや一定勢力に守られた人物の主張を根幹から否定するのは、裁判長にとっても容易なことではなかろう。

今回の高裁審理で伊藤詩織氏の被害者しぐさは、判決にどの位影響を与えたのだろうか。

これを確認する手がひとつある。私に対する過激で違法な名誉毀損ツイートに「いいね」を押した人物に対して、私が訴訟を起こしてみることである。

日本の裁判所が、先入観なく事実を見つめ、公平公正な判決を下すのであれば、私にも同じ判決が下るはずだ。私の周りには、「司法の健全性を確認するためにも、ぜひ同様の訴訟を起こして欲しい」と申し出る方もいる。

伊藤詩織氏のアクションと今回の石井浩裁判長の判決によって、日本はより息苦しい社会となってしまった。そのことに対する問題提起として自分で何をするべきか、皆さんのご意見を拝聴しながら、しばらく考えたいと思っている。

 この判決に限らず、首をかしげるような違和感のある判決も少なからずあります。もちろん、人が判断することであり、原告側、被告側双方にほぼ同程度の説得性のある理由がある場合は、判定も困難でしょうが、社会通念に照らし合わせて、どうも納得がいかないとなれば、放任できないと思います。

 なお判決では『今回の行為が多数回に及び、杉田氏が自身のブログやツイッターで伊藤さんに対する揶揄や批判を繰り返していた経緯を踏まえ「名誉感情を害する意図があった」と認定。杉田氏が現役国会議員で約11万人のフォロワーがいる点についても「一般人と比較し得ない影響力があった」とした。』とあります。

 こうした別の要因も、「いいね」の訴訟理由に加えて判断しているのが妥当かどうか、私には分かりませんが、いずれにしろこの伊藤詩織氏が青木理氏や望月衣塑子氏らと懇意にしているようで、政府・与党側の山口敬之氏や杉田水脈氏を標的にして訴訟を繰返しているように、勘ぐってしまいますね。

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