李相哲氏:現実を直視しない日本が心配だ このままで良いのか?
日本に帰化した外国人で、保守の論壇を飾っているジャーナリストや教授はかなりいますが、龍谷大学の李相哲氏もその一人。彼は石平氏と同様中国から日本に帰化した論客です(両親は朝鮮出身の中国移民)。
その李相哲氏が産経新聞の「正論」に寄稿した記事が、今の日本の実態を反映していると思い、今回取り上げます。タイトルは『現実を直視しない日本が心配だ』で、以下に引用します。
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大学教員になってかれこれ25年になるが、学生を叱ったことはない。偉そうに説教するよりは褒めて伸ばすほうが良いと思うのと、学生のメンタルを心配するからだ。話は飛躍しすぎるかもしれないが、日本に対しても私は褒めることはあっても、批判することはあまりしなかった。しかしこのごろの日本が心配になってきた。このままで良いのかと。
つらくても現実は現実
私が留学のため中国から日本にやってきたのは昭和62(1987)年、時の日本はバブルがはじけ始めたころだった。それでもすべてが「世界最高」の国だった。物価も賃金も土地も、家電もエンターテインメントもだ。
日本に来る前に中国で日刊紙記者として働いた私の月給は日本円で3200円(当時の為替レート)、日本では大学生が4時間ほどのアルバイトで稼げる金額だった。ところが35年たったいま、中国のサラリーマンの月給は50倍、業種によっては100倍も上がった。日本といえばほぼ横ばいだ。
日本経済研究センターの予測では、後4年ほどで韓国の1人当たりの名目国内総生産(GDP)は日本を追い越す。世界知的所有権機関(WIPO)によれば2022年の「世界イノベーション指数」で韓国は世界6位とアジアではトップ、情報通信技術インフラや保有する知的財産権の数などで世界首位の評価を得た。
韓国は外見上危なっかしい政治状況に加え、国民は理念や党派で四分五裂し、日々デモに明け暮れる不安定な国に見えるが、勢いがある。韓国ドラマ、映画、音楽はアジアだけでなく世界を席巻している。
私は、学生に対し「1年だけ死ぬほど頑張って、外国語一つでもマスターすれば人生が変わるよ」ということもあるが、「なぜ変えるんですか」と反問される。おそらく多くの日本人は人生を変える必要性を感じないはずだ。その潜在的意識には、日本は永遠に今のように平和で安全、少々努力すれば食うに困ることはない、病気で治療を受けられない心配もない国であり続けるという前提がある。
日本は分岐点に立っている
しかし、ロシアのウクライナ侵略が物語るのは、国際社会はいまなお弱肉強食のジャングルのような世界だということではないか。日本だけが危険にさらされることもなく、いつまでも今のような平和で安全な環境が保障されているとは到底いえない。
日本はさまざまな意味で歴史の分岐点に立っている。住み心地さえよければよいか、国際的地位を維持すべきか。韓国に負けても中国に少々横暴な扱いをされても戦争さえ回避できれば良しとするのか。国家の安全保障、安危を大国に委ねるべきか、自分の国は自分で守り抜く実力を備えるべきかの分岐点に差しかかっている。
李氏朝鮮末期の啓蒙(けいもう)思想家たちは日本の明治維新に倣って朝鮮を改革、開化させようと、日本を訪れては福澤諭吉先生に教えを仰いだ。すると先生は「教育、新聞、軍事」の3つを興せと話されたそうだ。国家の基本はこの3つにあると考えたのだろう。いまの日本もまさにこの3つにメスを入れるべきではないか。
筆者が体感する大学教育の最大の問題は、日本の学生たちは成績をあまり気にしないことだ。いや学生を採用する企業が大学の成績を気にしないことだ。大学教育に期待していないということだろう。ならば大学教育の存在意義をそろそろ考えるべきではないか。
福澤先生の教えにヒント
メディアも同じだ。記者や編集者も専門職というべきだが、メディア企業の多くは大学の専門、成績と関係なく人材を採用する。日本では会社が人を育てるという「良き」伝統があるが、いまは、そのように悠長に構えられる余裕はないはずだ。
グローバル規模で職業の選択が自由になり、会社が優秀で戦力になる人材を育てても、その企業に居続けるとはかぎらない。また国民の平均的な素養に絶大な影響をおよぼすテレビは、お笑いなど「娯楽」に傾倒、「1億総白痴化」を加速させていると指摘されて久しい。
軍事、すなわち安保分野はより深刻だ。まずいまの若者は、国防や国家の安危に責任を感じ、義務を負わなければならないという意識がないようだ。少なくとも自由を謳歌(おうか)するには義務が伴うということを知る必要がある。そのための教育なり制度設計が必要だ。若者が一定期間、国家のために無条件奉仕する制度はどうだろうか。
日本の防衛予算は規模の上で、すでに韓国に追い越されてしまったが、ハード面でも決して優位とは言えない。昨今の日本では研究者が武器の研究を忌避することを良しとする風潮があるからだ。
衰退を食い止め、未来においても住み心地のよい平和で安全な国である続けるためには3つの分野だけ立て直せばよいというものではない。必要なのは現実を直視し、危機感をもって現状を変えるため果敢に挑戦することだろう。
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多くの部分で李氏の見解に賛同します。福沢諭吉の「教育、新聞、軍事」の3つを興せと訓示されたその三つが、今の日本ではアキレス腱になっている実態を、鋭く突いています。またそれ以上に日本人のマインドを変える必要がある、つまり未だにお花畑志向で現実を見ようとしないそのマインドを、根底から覆す必要があると言うことでしょう。
そしてそれを阻害する要因が、皮肉にも「教育、新聞(今ではテレビを含む)、軍事(憲法と置き換えた方がいい)」にあるのが今の日本です。30年前とはがらりと一変した、日本周辺の安全保障環境の中、李氏の言う「現実を直視しない日本が心配だ」と、真に思います。政府・民間一丸となってここを何とか変えなければ、日本の未来は危ういでしょう。
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