殺人犯であっても精神障害で刑事責任能力がなければ無罪に!それでは被害者家族は浮かばれない。「結果責任」で「隔離」に法改正を
山上徹也が安部元首相を襲撃(暗殺)してから、半年以上が経ちました。単独犯なのかどうか疑問も残りますが、先月殺人と銃刀法違反の罪で起訴されました。ただこの間半年近くにわたって被告は「鑑定留置」で、精神鑑定をされていたのです。もし精神障害があれば刑事責任能力なしと言うことで、無罪の可能性があったのです。結果は責任能力ありで上記罪状で起訴されましたが。
ただここで疑問が残ります。被害者は被疑者に刑事責任能力があろうがなかろうが、被害を受けた結果には変わりがありません。特に殺人となれば家族関係者は塗炭の苦しみを受けているのです。そこへ責任能力なしで無罪となれば、全く浮かばれないでしょう。
2018年発生した事件で、精神障害で昨年無罪となった判決があります。朝日新聞の記事を引用しましょう。タイトルは『乳児暴行死、母親に無罪 横浜地裁「心神喪失状態だった疑い残る」』(22/01/12公開)です。
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生後1カ月の長男に暴行を加え死亡させたとして、傷害致死罪に問われた神奈川県大和市の無職女性(39)の裁判員裁判で、横浜地裁は12日、無罪(求刑懲役5年)を言い渡した。奥山豪裁判長は、女性は統合失調症の影響下にあり、罪に問えない心神喪失状態だった疑いが残ると判断した。
女性は2018年8月、大和市の自宅で長男を床に放り投げるなどして、急性硬膜下血腫により死亡させたとして起訴された。公判で女性は、長男を投げ飛ばすよう命令する「声」が聞こえたなどと供述しており、責任能力の有無と程度が争点となっていた。
判決は、女性が事件当時、統合失調症にかかっていたとする精神鑑定の信用性を認めた上で責任能力について検討。暴行の内容や程度などから、「統合失調症による幻聴などの圧倒的な影響下にあった」と結論づけ、完全責任能力があったとする検察側の主張を退けた。
判決を受け、横浜地検の安藤浄人次席検事は「判決内容を精査し、上級庁とも協議の上、適切に対応したい」とコメントを出した。
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その後地検がどう対応したかはわかりませんが、この事例は被害者は幼児で加害者はその被害者の母親ですから、特段その判決に他からの異論も薄いものと思われます。
ところが2017年神戸で発生した5人殺傷事件の裁判で、2021年神戸地裁が下した判決は、もっと衝撃的なものです。神戸新聞NEXTの記事から引用します。タイトルは『「お母さん返して」「こんなこと許されるのか」立ち尽くす遺族 5人殺傷、無罪判決に騒然』(21/11/04公開)です。
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責任能力はあったのか、なかったのか-。4日にあった神戸5人殺傷事件の判決。男性の被告(30)の事件当時の精神状態を巡って専門医の見解が分かれる中、神戸地裁は無罪を言い渡した。閉廷後、ショックでぼう然とする遺族関係者ら。一方、無期懲役と無罪の間で「究極の選択」を迫られた裁判員。刑法の専門家は「負担は相当だったはず。裁判員裁判という制度の見直し議論も必要」と指摘した。
「被告人をいずれも無罪とする」。神戸地裁101号法廷。約40分の判決文朗読の後、後回しにされていた主文が言い渡された。
男性の被告はこれまでの公判同様、身じろぎ一つせず前を向いていた。
「無罪ですが、行ったことは取り返しがつかないことは分かっていますね」。裁判長の問いかけに、小さくうなずいた。
落ち着いた様子は、被告が事件時に抱いていたとされる妄想の荒唐無稽さとは対照的だった。判決によると、被告は事件2日前から元同級生の女性の幻聴が聞こえ始め、妄想により女性を「超常的な存在」と思うようになったという。
周りの人は人間の形をした「自我や意識のない存在」で、倒すのが女性と結婚するための試練だと考えていた、とこれまでの公判で証言していた。
閉廷が告げられると、傍聴していた被害者関係者らは困惑の表情を浮かべた。被告の伯父(67)は、3人の位牌を手に傍聴していた。殺害された祖父母と、その長女で公判前に亡くなった妻だ。
発生から4年余りがたっての無罪判決に「本当にむごい。3人にどう報告すればいいのか分からない」と立ち尽くした。
徐々に地裁内は騒然とし始めた。「お母さん返してよ!」「人が3人死んでんねんで!」。被害者の関係者とみられる女性は、地裁庁舎内で叫んだ。「こんな判決おかしいやんか。遺族の気持ちはどうなるの!」
4日夕、亡くなった女性=当時(79)=の遺族は「何の罪もない3人が無法に命を奪われたのに、被告は法律で守られたことは到底納得できない」とのコメントを発表した。
負傷した女性(69)も「こんなことが許されるのかと落胆している。4年間かけてようやく取り戻しつつあった安心が一気に崩れ去りました」とし、神戸地検に控訴を求めた。
【園田寿・甲南大名誉教授(刑法)の話】 複数人が殺害された事件でも、刑事責任能力が争点になって無罪になるケースはある。刑事責任能力の有無を判断するには非常に専門的な知識が求められ、特に裁判員は、専門家の意見を信用せざるを得ない。精神鑑定の手続きなどに問題ないかで判断することになる。
今回は精神鑑定を担当した専門医2人の見解が分かれた。11回にわたって面接した1回目と、5分程度あいさつを交わしたのみという2回目を比べると、1回目を信用するのは自然な判断だ。「疑わしきは被告の利益に」の原則に沿った判決だ。ただ、それでも無期懲役か無罪かの判断を迫られた裁判員は、相当な負担を感じたはず。
裁判員制度の趣旨は、裁判の進め方や内容に国民の視点を反映することだが、「究極の選択」を一般人に強いるのは問題だ。制度導入前には、懲役10年以下の犯罪などを対象とするという議論もあったはずで、制度を考え直す議論も必要ではないか。
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この事案も地検が控訴を選択したようですが、その後の裁判がどうなったか、ネットでは確認できませんでした。この裁判、裁判員制度への注目もそうですが、それよりこの精神鑑定による刑事責任能力の有無で、有罪か無罪にする現制度の方を問題視したいと思います。
橋下琴絵氏が氏の著書「日本は核武装せよ!」の中で、『刑法は「有害な存在を隔離して社会秩序を守る」為にある』という項に、次のような記述があります(抜粋)ので引用します。
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精神障害者の免罪規定は、1907年に施行された現行刑法が採用している。 刑法には第三十五条から第三十九条まで「違法性阻却事由」といって、罪にならないケースを定めている。この中の第三十九条に精神障害者の免罪規定がある。これは、大日本帝国がドイツの刑法を輸入した際、そのまま準用された規定である。
一般的に、世界の刑法には四つの目的がある。応報、抑止、隔離、矯正である。ドイツ刑法は応報と抑止を目的にしており、イギリス刑法は隔離と矯正を目的にしている。日本も、戦前から戦後まで、一貫してその運用は応報と抑止を主目的にしているが、最近では矯正を主眼に置いている。全国の刑務所を統括する部局の名称が「法務省矯正局」となったのも、このためである。
ドイツ刑法は、犯罪の原因を「犯罪の故意」に求め、これを処罰するという目的がある。よって、犯罪者に対して正義の執行をせしめ、被害者に代わって国家権力が報復するという考え方が 「応報」である。また、社会に潜在する犯罪予備群に対して、刑罰が確実に執行されることを示して威嚇し、犯罪を抑止する目的を併せ持つ。
精神障害免罪論はドイツ観念論の考え方だ。 精神障害者は「犯罪の故意」がないと考えるため、応報の対象にはならず、また損得勘定もできないため抑止効果もない。だから、「心神喪失」で罪に問えないという理屈である。
一方、イギリス刑法は、犯罪の故意ではなく「犯罪の結果」を重視する。何故ならば、健常者に殺されても精神障害者に殺されても、被害者遺族の苦痛は変わらないからだ。 刑法の目的も、社会に有害な存在を社会から隔離して「社会」を防衛することにある。よって、その有害性が消滅するまで隔離するか矯正を試みるということになる。このため、精神障害者が重大犯罪をした場合、ドイツや日本と同じような免罪規定はない。
イギリスで精神障害者が凶悪犯罪をした場合に注目されるのは、「公判能力があるかないか」ということである。よって、公判に参加して弁論する能力の有無が審査される。この審査の結果、被告人に公判能力がないと判断された場合、訴訟能力が回復するまで特別な精神病院で強制的に治療を受けさせられる。この治療は制度上更新制となっているが、目的は「公判能力を回復させる」ことであるから、回復するまで治療に専念する義務がある。また、裁判を受ける能力はあるものの精神障害が顕著な場合も、同じく特別な精神病院での治療に専念することになる。この治療目的は「裁判を受ける能力または刑罰の執行を受ける能力を「回復させること」であり「社会復帰」ではない。
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私もこの「犯罪の結果」責任論に同調したいと思います。いくら何でも上記の事例のように3人の殺人を含む5人の殺傷事件で、無罪はないと思います。もちろん精神疾患の強制的な治療は受けさせるかも知れませんが、それがイギリスのように「隔離」を重視し、同一犯罪を阻止する方向であればいいのですが、日本は「隔離」ではなく「社会復帰の促進」を法で謳っているのです。
もともと刑事責任能力がないという程の、重度の精神疾患(例えば統合失調症)であれば、完治し社会復帰は難しいとされています。そのような矛盾した対応で処理が行われれば、万が一何かの理由で途中で退院したり脱走したりすれば、同様の被害者を出す恐れがあるでしょう。国民の安全の為に「結果責任」で「隔離」にするよう法改正を願いたいものです。
日本では冤罪を出さない為に、様々な面で加害者の権利を保護しています。弁護士帯同もその初歩的な部分です。憲法にも10条にわたってその規定があります。戦前の特高などによる行き過ぎた容疑者取り扱いの反省からでしょうが、そこから逆に被害者の視点がすっぽり抜けてしまっています。
最近になって被害者質問の解禁など少しは改善されているようですが、あまりに酷い極悪犯罪でも殺人二人までは死刑にならないなど、被害者の無念を晴らすには高い壁があります。特にこの精神障害による無罪など、完全に被害者を置き去りにしています。再度被害者の無念を晴らす為にも、「結果責任」で「隔離」にするよう法改正を願うと共に、神戸の事件の例などは死刑も視野に入れて欲しいと思いますね。
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