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2021年10月14日 (木)

朝日:韓国のごり押しのユネスコ決議に同調する売国新聞

Images-11_20211014103701 「軍艦島」に関する不当なユネスコの決議について、このブログでも以前に取り上げましたが、韓国側のごり押しと共に、その背景には朝日新聞がユネスコと同じ論調で非難する事実がありました。証拠も明らかでないのに、飽くなき反日攻撃を続ける朝日。そこには日本の新聞という片鱗もなく、第3国の影が色濃く映っています。

 産業遺産情報センター長の加藤康子氏がJAPANForwardに寄稿したコラムに、その詳細が語られています。タイトルは『産業遺産情報センターと朝日新聞10/11で以下に引用します。

 ◇

「展示改めよ」への疑問

長崎市の端島(はしま)炭坑(通称・軍艦島)を含む世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」について、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は7月22日、戦時徴用された朝鮮人労働者に関する「産業遺産情報センター」の説明が不十分だとして「強い遺憾」を盛り込んだ決議を採択した。決議に付されたユネスコとイコモス(国際記念物遺跡会議)の合同調査報告書は、日本政府が東京都新宿区に開設した「産業遺産情報センター」の端島炭坑の展示に対し、「犠牲者を記憶にとどめる」措置としては「より暗い側面」を含め「多様な証言」を提示するよう求めている。

決議に呼応し、7月27日の朝日新聞に「産業革命遺産 約束守り、展示改めよ」という社説が掲載された。「必要なのは、情報センターのあり方を改めることだ。犠牲者の記憶の展示と情報発信を確立するよう、幅広い専門家の意見を仰がねばならない。どの遺産であれ、多くの歴史には陰と陽の両面があり、その史実全体を認めてこそ世界共有の財産になりうる。日本政府は決議を謙虚に受け入れ、ユネスコとの約束を果たすべきだ」との主張である。

朝日新聞の言及する「史実」とは何を意味するものなのだろうか。私は平成27年に「明治日本の産業革命遺産」が登録されてから、端島については元島民たちと共に、一次情報や証言を集め、戦時中の端島の暮らしや労働について真正面から向き合ってきた。社説をみた端島元島民から「到底受け入れられない。なかったことを有ったことにするのか」と抗議のメールや電話が相次いだ。

だが朝日のこのような論調は今に始まったものではない。産業遺産情報センターが開館して以来、一貫して端島の展示に不満を表明してきた。昨年7月には社説で情報センターの端島元島民の証言の展示内容が問題であると言及し、「朝鮮半島出身者の労務動員に暴力を伴うケースがあったことや、過酷な労働を強いたことは、当時の政府の公文書などで判明しており、日本の裁判でも被害事実は認められている」と論評した。

ユネスコと朝日の論調同じ

このような史実は実際に端島にあったのだろうか? 端島元島民たちが政府に確認したところ、結局そのような公文書はみつからなかった。さらに元島民は弁護士を通じ、三菱マテリアルに「終戦までの端島及び端島以外の『三菱』経営の炭鉱現場に関し、【1】朝鮮半島出身者に対する(ア)暴力や虐待(イ)差別的な扱い(ウ)過酷な強制労働並びに労務動員に暴力を伴うケースのいずれかが認定された裁判例が存在するのか」と問い合わせた。同社からは「弊社が国内裁判で被告になっている事例はございません」との回答を得ている。つまるところ端島に関しては、朝日の主張するような、朝鮮半島出身者が、奴隷労働を強いられたと証明するような裁判事例も政府の公文書も存在しない。

では何を根拠に、公文書や裁判事例に言及したのであろうか。朝日に問い合わせたところ次のような回答(昨年8月)を得た。それによると「この記述は、当時の徴用工の労働現場一般についての言及で、端島に特定して記述したものではありません。日本国内で上記のようなケースがあったことを示す公文書などがあることは公知の事実です」とのことである。

残念ながら、今回のユネスコの決議と朝日新聞の社説の論調は同じである。「あっただろう」ということを前提に、「端島の犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」として、「暗い側面」の展示を要求した。だが立ち止まってよく考えてほしい。ユネスコも朝日もここでいうところの犠牲者をどのように特定するのだろうか。

センターの「あり方」は一貫

犠牲者という言葉を使うのであれば、その犠牲者とは誰かを定義し、その存在を立証する必要がある。立証するには被害の実態を明らかにする証拠が必要で、その被害を裏付ける史料や複数の証言も重要である。犠牲者がいるということは、そこに加害者がいるわけである。公文書も裁判例もないなかで弱者に寄り添う正義感から罪のない元島民に汚名をきせ、冤罪(えんざい)をつくることはしてはならない。

情報センターでは今後、端島の炭鉱事故について、確実な事故の記録があるものを、その時の記事や当事者の手記などを紹介していきたいが、あったかどうかも立証できない、あやふやな情報で島民の人権を侵害することはできない。証拠もないのに一般論を端島にあてはめるような安易な発想は間違いである。

歴史の解釈は「政治」や「運動」によるものではなく、一次史料や証言を基本としなければならない。歴史においては思想や正義の押しつけは危険である。歴史には百人の研究者がいたら、百人の解釈がある。情報センターの役割は正確な一次史料や証言を提供することであり、解釈は個々の研究者に委ねるべきだと思っている。情報センターがその「あり方」を改めることはない。

 ◇

 この一件だけでも、朝日新聞が「韓国」およびその韓国に踊らされた「ユネスコ」の代弁者である事が、一目瞭然でしょう。もちろん韓国だけでなく日本に敵対する国の代弁者でもあり続けています。そこには明確に反日・売国の社是にも似た論調が跋扈するわけです。

 このように反日を続ける記事を書き続ける新聞は、購読者を洗脳し日本を貶める勢力の司令塔とも言うべき役割を示しているのです。今朝の読売新聞に「新聞が信頼できると回答した人が75%というアンケート結果」が記載されていましたが、もしそうであれば、事実が明確でもなくまた事実に反する記事でも、言い切ってしまえば購読者の4分の3は信じることになります。恐ろしいことです。このような犯罪にも似た新聞は即刻廃刊してもらいたいと強く思います。

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2021年8月16日 (月)

新型コロナ「武漢流出説」を、日本のマスコミが「報道できない」情けない理由

2021081235175154cnn0001view  今回は新型コロナウイルスの話題です。その起源が中国武漢であることはほぼ間違いないようですが、このブログでも取り上げているように、最近ますます「武漢ウイルス研究所」流出説が、信憑性を帯びた形でクローズアップされてきています。

 しかしこの件に関し、日本のマスコミは今ひとつ報道が鈍い。と言うより殆どニュース扱いしていません。その要因をジャーナリストの長谷川幸洋氏が現代にコラムを寄稿しています。タイトルは『新型コロナ「武漢流出説」を、日本のマスコミが「報道できない」情けない理由 英語を読めず、聞けず、話せない』(8/13)で、以下に引用します。

 ◇

「ウイルス起源問題」でまた進展が

新型コロナウイルスの起源に関する米議会下院・共和党の報告書を紹介した先週のコラムは幸い、多くの読者を得た。情けないのは、日本のマスコミだ。私が見た限り、この話は朝日新聞と産経新聞が小さく報じただけだった。なぜ、こうなるのか。

8月1日に発表された報告書は、多くの状況証拠を基に「ウイルスは中国の武漢ウイルス研究所から誤って流出した」と結論付けた。研究所からの流出説は散発的に唱えられていたが、全体像を包括的にまとめたのは、これが初めてだ。

その後、CNNが8月6日、驚くべき特ダネを報じた。「米情報機関は武漢ウイルス研究所のデータベース情報を入手し、解析を始めた」というのだ。データベースの情報は、流出説を裏付ける「決定的な証拠」になる可能性がある。

共和党の報告書でも「研究所のデータベースが2019年9月12日の午前2時から3時の間に突然、シャットダウンされた」という事実が、流出説を裏付ける重要な根拠の1つになっている。中国にとって、データベースが最高機密であるのは間違いない。

ウイルス起源をめぐる調査や報道は、ジョー・バイデン米大統領が情報機関に指示した報告の提出期限である8月24日を控えて、活発になっている。共和党には、大統領が中途半端な結論を出さないように、独自報告書の発表で牽制する意図があるのは当然だ。CNNに重大情報をリークした関係者も、同じ思惑があったのではないか。おそらく、まだ続くだろう。

日本のマスコミはほとんど報じていない

世界で430万人の死者と2億人を超す感染者を出した新型コロナの起源問題は、今後の米中関係だけでなく、世界と中国の関係に大きな影響を及ぼす。にもかかわらず、日本のマスコミの冷淡さを、どう理解したらいいのか。

私がネットでチェックした限り、共和党の報告書を報じたのは、朝日新聞と産経新聞だけだった。その扱いは、と言えば、朝日新聞が8月3日付夕刊の第2社会面2段、産経新聞も8月4日付け朝刊5面3段である。ゴミネタとは言わないまでも、ほとんど「申し訳に近い程度」の扱いだ。テレビの報道は見つからなかった。

CNNの特ダネに至っては、共同通信がキャリーした記事を、中日新聞が掲載したくらいである。なぜ、こうなるのか。

単に「ニュース価値がないから」では、まったくない。こんな「世紀の大問題」について、追及しようとしないのは、マスコミの取材体制と「記者たちの決定的な能力不足」が真の原因である。彼らの大多数は「英語を読めず、聞けず、話せない」のだ。

「報道しない」ではなく「できない」

日本のマスコミがこの話を報じるとしたら、どんなプロセスを辿るのか。

共和党の報告書もCNN記事も、記者が最初にそれを知るのは、報告書や記事そのものからではない。ロイターやAP、AFPといった国際的通信社が流す記事を通じて、第1報をキャッチする。そのために、各社は高い加盟料を支払っている。

日本の新聞やテレビはどこも、本社と海外支局にロイターなどと連動したコンピュータを備えている。かつては、ティッカーと呼ばれる専用端末もあった。文字通り24時間、ティクタクと音を出しながら、ロール紙を吐き出すところから、この名が付いた。いまは音は出さないが、24時間体制は同じである。

本社の外報部記者や海外支局の特派員は毎日、コンピュータをにらんで「これは」と思う記事を見つけ、必要に応じて、その情報を基に自分の記事を仕立てる。その際「ロイターが情報源」などと記す必要はない。自分の名前で記事を発信できる。いわば、ロイターやAPは原材料だ。

今回のケースでも、ワシントン特派員にとって、まずは通信社電が最初の情報源になる。ワシントンに複数の特派員を置いている社であれば、政治あるいは科学、国際問題担当の特派員がカバーする。

政治担当のワシントン特派員がどんな記者か、と言えば、ワシントン赴任前は永田町を担当していた政治記者だ。ソツなく仕事をこなし、社内に敵も作らず、淡々と永田町を歩いていた記者が、めでたく上り詰めた栄光の座が「ワシントン特派員」なのだ。

英語ができる記者も中にはいるが、多くは純ドメ(スティック)の浪花節タイプである。そうでなければ、永田町の世界を生き抜いていけない。英語など、ひけらかそうものなら、敵を作るだけで、なんの得にもならない。

そんな彼らがワシントンに赴任すると、ひたすらコンピュータ画面の通信社電をにらみ続ける毎日になる。自分で読むなら、まだいい。英語ができない特派員は全部、支局の助手任せにして、記事を書くのも「助手の日本語が頼り」というケースも少なくない。

自ら「取材先に出かけて話を聞く」のは、めったにない。あったとしても、せいぜい月に1度あれば、多いほうだろう。彼らの守備範囲は全米である。いちいち取材に出かけていたら、その間に発生するかも知れない重大ニュースに対応できなくなる。

主要な米メディアに追従するばかり

そんな事情で、朝日や産経が報じた共和党報告書の記事も、私には、通信社電を基にしたように見えた。報告書本体に盛り込まれている細かい情報が、まったく含まれていなかったからだ。

いったい、報告書の全文を読んだ日本の特派員はいるのだろうか。残念ながら、疑わしい。日本の新聞には、いまだに報告書の全容を報じた記事がない。それは、ニューヨークタイムズやワシントンポストといった米国の主要紙が、大きく報じていないからでもある。

ニューヨークタイムズやワシントンポストといった主流紙は、いまや「ジョー・バイデン政権の応援団」と化している。したがって、共和党に冷たいのは当然だ。そんな米マスコミの構図に「英語ができない特派員」という事情も加わって、そのまま日本のマスコミに反映している。だから、報告書は無視されたのだ。

そもそも、ウイルス起源問題は、中国の言いなりで信用を失った世界保健機関(WHO)を含めて、ほとんどすべてが英語情報である。真相を追及しようと思えば、独自にネットを検索しまくって、情報を集めるしかないが、日本の新聞社にそんな記者がいるとは思えない。

省庁と同じ「縦割り主義」の弊害

記者たちはそれぞれ、カバーする担当分野が決まっている。基本的には政治部も社会部も、霞が関の役所に準じて取材分野が割り振られている。「ネット担当」とか「ウイルス起源担当」のようなポジションはないのだ。

霞が関の官僚はどうか、と言えば、厚生労働省は国内対応に手一杯で、とても余裕がなさそうに見える。外務省は仮に情報を集めていたとしても、大きな外交問題にならない限り、当分は「知らん顔」だろう。新型コロナ問題は、彼らの本来業務ではないからだ。

かくて、日本の新聞は、起源問題について全体像を示す記事がないままになっている。だが、ネット上では、英語情報を中心に、それなりに拡散している。私の記事もその1つになった、とすれば、ありがたい。

日本の新聞はいまや、世界の情勢から完全に取り残されている。部数が激減している最大の理由は、肝心な情報を読者に伝えていないからだ。空白が続くウイルス起源報道は、その象徴である。これが、どうやら「最後のダメ押し」になるのではないか。少なくとも、私は価値ある情報を求めて、いまさら日本の新聞を読むつもりはない。

以上は、新聞の問題だ。だが、「日本最大のシンクタンク」でもある霞が関も似たような状態だとしたら、日本が陥ってしまった情報落差は、とてつもなく深い。かつての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」はどこへやら。はるか彼方に消え去ってしまったようだ。

 ◇

 このコラムはウイルス起源の問題より、日本のメディア、とりわけ新聞の情報取得の問題を取り上げているようです。更には官僚の情報の取り扱いにも。

 私も海外赴任経験があり、多少の英語の読み書きはできますが、こと大量で専門的な英文情報を目の前にすると、とても手に負えません。ですから新聞社の海外特派員は、最低限英語の読み書きや会話の能力は、身につけていなければ役立たずだと言うことでしょう。

 そうでないのに特派員にしている日本の新聞社は、そもそも海外の情報を本当に重要視しているのか疑わしいと言えますね。ガラパゴス化は携帯電話の世界だけではないようです。そして結果的には読み手としての情報価値を失い、やがて捨てられてゆく運命にあるのかも知れません。ますゴミとして。

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2021年7月22日 (木)

トヨタ社長:「マスコミはもういらない」

Img_52440c7e95b157c9318d77efac6bef733127  トヨタ自動車が、東京オリンピックに関するテレビCMの放送取りやめを決めました。また開会式への出席も見送りました。それに続いて経団連会長やその他の大手企業も開会式の出席を見合わせたようです。コロナ下の無観客大会になった事への配慮からのようです。

 それはそれとしてトヨタのメディア不信は、我々同様かなり根深いものがあるようです。昨年のことになりますが、週刊現代の記事からその辺の事情をくみ取ります。トヨタ社長の豊田章男氏へのインタビュー記事で、タイトルは『マスコミはもういらない…トヨタ社長の「ロバの話」を考える 皆さんはどう思いますか』(20/9/7)で、以下に引用します。

 ◇

「好き勝手に書きやがって」「監視するのが我々の役目」。古くから行われてきた、企業とメディアの丁々発止のやり取り。いまここに、日本一の企業の社長が、大きな波紋を投げかけようとしている。発売中の『週刊現代』が特集する。

唐突に始まった寓話

「話は長くなりますが、ロバを連れている老夫婦の話をさせていただきたい」

6月11日に開かれたトヨタの定時株主総会の壇上、話題が2021年3月期決算の業績見通しに及ぶと、豊田章男社長(64歳)はおもむろに語りだした。

「ロバを連れながら、夫婦二人が一緒に歩いていると、こう言われます。

『ロバがいるのに乗らないのか?』と。

また、ご主人がロバに乗って、奥様が歩いていると、こう言われるそうです。『威張った旦那だ』。

奥様がロバに乗って、ご主人が歩いていると、こう言われるそうです。『あの旦那さんは奥さんに頭が上がらない』。

夫婦揃ってロバに乗っていると、こう言われるそうです。『ロバがかわいそうだ』。

要は『言論の自由』という名のもとに、何をやっても批判されるということだと思います。

最近のメディアを見ておりますと『何がニュースかは自分たちが決める』という傲慢さを感じずにはいられません」

遡ること1ヵ月ほど前、トヨタが発表した見通しを元に、マスコミ各社は、「トヨタの今期営業利益、8割減の5000億円」(日本経済新聞)、「トヨタ衝撃『8割減益』危機再び」(朝日新聞)と報じていた。

豊田氏の不満は、こうした報道に対して向けられたものだった。

「マスコミの報道について、私も決算発表の当日は、いろんな方から『よく予想を出しましたね』『感動しましたよ』と言っていただきました。

ただ、次の日になると『トヨタさん大丈夫』『本当に大丈夫なの』と言われてしまい、一晩明けたときの報道の力に、正直悲しくなりました」

なぜ「こんな状況でも臆さずに決算予想を発表した」ことを評価せず、「8割減益」というネガティブな報じ方をするのか。豊田氏は、そう言いたかったのだろう。

豊田氏は、社長に就任して以来、幾度となくメディアの「掌返し」を味わってきた。

社長に就任した'09年から'10年にかけて、トヨタでは「大規模リコール」が発生し、一時は「経営危機」とまで報じられた。

ところが、'13年に世界の自動車メーカーで初の生産台数1000万台を超え、'15年3月期決算で日本企業として初の純利益2兆円超えを達成すると、今度は一転、豊田氏の経営を称賛する報道が相次ぐ。

その後も、コストをカットすれば「下請け叩き」と非難されたし、執行役員の数を減らせば「独裁体制」と言われた。

そして今度は、あらゆる企業が苦しんでいるコロナ危機のなかで、トヨタの減益だけがことさら大々的に報じられ―。

何を言おうが、何をしようが、その時々の気分で好き勝手に報じるだけのマスコミの相手はしていられない。今回の決算報道のみならず、積年の思いが込められたのが、「ロバの話」だったのだ。

だからキレてしまった

他の企業の経営者たちは、いったいどのようにこの寓話を受け止めたのだろうか。

「すき家」「ココス」などを展開する外食チェーン大手・ゼンショーホールディングスの代表取締役会長兼社長の小川賢太郎氏は「豊田さんの気持ちは理解できる」と語る。

「民主主義国家である以上、それぞれのメディアが変な忖度をせず、自由に報道すべきなのは大前提です。しかし企業側の感覚からすると、メディアの取材を受けても、『こちらの真意がきちんと伝わった』と思えることはめったにありません。

たとえば、テレビであれば10分の取材を受けても、都合のいい10秒だけが切り取られて放送されることもある。『それは、あまりにもアンフェアだよ』という気持ちは、僕が知っている多くの経営者が持っています。

豊田さんは、日本を代表する企業のトップとして常に矢面に立ってきたから、なおのことでしょう。

企業の責務として山ほど社会貢献をしてもほとんど報じてもらえない一方、ほんの少しでもヘマをすれば、『それ見たことか』と鬼の首をとったように書きたてられる。経営する側も人間ですから、苛立たないほうがおかしいのです」

別の一部上場メーカーの広報担当役員も、大手マスコミの取材手法に対する不満を打ち明ける。

「新聞やテレビの記者さんたちと話していて思うのは、とにかく勉強不足だということ。彼らは頻繁に『担当替え』があるので、業界や企業のことをあまり勉強しないまま取材に来る。

別に、難しいことを要求するつもりはありませんが、ホームページで逐一公開しているIR情報とか、有価証券報告書に記載している基本的な経営事項すら頭に入っていない状態はさすがに困ります。

『そんなことも知らないで、ウチの経営を評価する記事を書くんですか?』と思ってしまいます」

くわえて、前出の小川氏は、メディアの報道姿勢が「結論ありき」になっていることにも疑問を感じているという。

「現場の若い記者さんと話していると、『私の考えとは違うのですが、デスクや次長が話の方向性をあらかじめ決めつけていて、異論を受け入れてくれないんです』と言われることが多々あります。

我々の商売もそうですが、本質は現場の人間が一番わかっているものです。しかし、それを重視せず、会社にいる上司が記事の方向性を決めるというのは時代遅れです」

こうした思いを、豊田氏もずっと感じ続けてきたのだろう。'19年には、豊田氏は自ら肝いりでオウンド(自社)メディア「トヨタイムズ」の運用を開始する。

マスコミを見捨てた

一時期、「編集長」を拝命した香川照之が、テレビ電話で豊田氏に取材するCMがやたらと流れていたので、このサイトの名前を知っている人も多いだろう。

ページを開いてみると、アナウンサー・小谷真生子の司会のもと、豊田氏とスズキの鈴木修会長が語らう対談動画から、先述の株主総会の一部始終を書き起こした記事まで、コンテンツがずらりと並んでいる。

デザインも機能も、大手メディアのニュースサイト顔負けの作りで、トヨタの「本気」が伝わってくる。

トヨタイムズが本格始動して以来、豊田氏は大手メディアのインタビューをほとんど受けなくなった。

決算後の会見も、現行の年4回から、年2回(中間、本決算)に減らすという。代わりに、トヨタイムズの記事や動画には頻繁に登場し、経営の理念や考えを事細かに語っている。

消費者に対し、自前でメッセージを発することのできる環境が整ったのだから、もはや大手マスコミを介する必要はないということだろう。

「ここのところ、大手各社が豊田社長にインタビューを依頼しても、すべて断られる状況が続いています。

7月7日には、めずらしく中日新聞にインタビュー記事が載りましたが、後に、まったく同じ内容が『トヨタイムズ』に掲載された。『あれでは、もはや取材ではなく広告だろう』と言われています」(在京キー局記者)

こうしたトヨタの姿勢を、当の大手メディアの記者たちは複雑な思いで見つめている。

「今回の『5000億円の減益』という業績予想だって、客観的な数字を報じているだけで、どの社もトヨタを過剰に批判したり、叩いたりしたわけではありません。

東証一部上場企業であるトヨタは、株主にも、車の消費者に対しても、大きな責任を負っている。それを監視し、情報を提供するのはマスメディアの責務です。

企業の目線で選別された都合のいい情報だけを伝えるのであれば、我々の存在は必要ない」(全国紙経済部デスク)

元日本経済新聞記者でジャーナリストの磯山友幸氏は、「ロバの話」そのものに異論を唱える。

「なぜロバに自分が乗るのか、なぜ妻を乗せるのか、あるいは、なぜ乗らないのか。あらゆる場面ごとに意図を丁寧に説明して、世の中に納得してもらうことこそが、経営者の仕事でしょう。

そもそも、消費者の側だって、オウンドメディアが企業のPRの延長上にあることくらいわかります。

ひとたび自分たちに都合の良い情報だけしか発信されていないと思われれば、常に眉に唾して読まれる媒体になってしまう。そのことをよく考えなければいけません」

インターネットやSNSの普及と共に、大手メディアの報道を「マスゴミ」「ウソばかり」とこき下ろす流れは、次第に大きくなっている。

「新聞通信調査会が行った調査によれば、『新聞の情報は信頼できますか』という質問に対し、70代以上であれば60%以上の人が『信頼できる』と評価したのに対し、30代になると50%弱、20代になると40%弱まで落ちてしまいます。

企業はそういう状況を見て、『マスコミよりも自分達が直に出す情報のほうが消費者に支持される』と踏んでいるのです。

だから、かつては決して表に出すことはなかったオールドメディアへの不満を露にすることをためらわなくなってきた」(元共同通信社記者で名古屋外国語大学教授の小野展克氏)

世間のメディアに対する不信の目は、今年の5月、東京高検の黒川弘務検事長(当時)と大手新聞2社の記者たちがコロナ禍の真っ最中に「賭け麻雀」をしていたことが発覚したのをピークに、更に広がっている。

「メディアのスタンスが問われているいま、取材対象と身内レベルで懇意になってネタをとるというかつての手法は、読者の理解を得られなくなっている。だからこそ、なおさら企業の意向を忖度するような報道はできません」(全国紙経済部記者)

だが、コロナ禍においては、企業トップへの取材が、以前にも増して難しくなっているという。

「多くの企業の会見がオンライン化したため、広報担当者がチャットで事前に記者からの質問をチェックしたうえで、会見に関係のある内容しか、経営者に回答させないようになりました。質問数も各社1問と限定されることがほとんど。

これでは、予想外の質問をして経営者の反応を見たり、追加の質問を重ねて企業の本音に迫りにくい」(前出・全国紙経済部記者)

損をするのは誰か

こうした、報じる側と報じられる側の「相互不信」は、企業報道のみならず、官邸とメディアの間でも顕著になっている。

「一昨年、森友学園問題に関して『私たちは国民の代表として聞いているんですから、ちゃんと対応してください』と官邸に要求した東京新聞の記者に対し、官邸側が『国民の代表は国会議員。あなたたちは人事で官邸クラブに所属されているだけでしょ』と突き放したことがありました。以前の官邸なら、こんな態度に出ることはなかった。

ネットの普及と同時に、『マスコミなんて信用されていないし、取るに足りないものだ』と考える政治家や経営者は、今後どんどん増えていくでしょう」(前出・小野氏)

かつて広報部門の責任者を務めた経験もあるキリンホールディングスの磯崎功典社長は「どんな状況でも、企業とマスコミは対等に、誠実にやっていかなければいけない」と語る。

「メディアから厳しく書かれて悔しい思いをすることもあります。でも、それを報じるのが彼らの仕事であり、逃げずに対応するのが我々の仕事。耳が痛い内容であっても、事実であれば素直に耳を傾けることが、状況の改善に繋がります。

一方で、メディアの側も、『見出しありき』の記事が通用する時代ではなくなったと認識する必要がある。

トヨタさんのように、企業が世の中に広く発信することも可能になった以上、結論ありきの報道では読者の支持も得られなくなる。『反目はしないけれど緊張感のある関係』を保っていくことが、一番大切でしょう」

豊田社長の「ロバの話」が図らずも浮き彫りにした問題。書く側にも、書かれる側にもいずれも理はある。しかし、相互不信のまま、不完全な情報公開が続けば、損をするのは受け取る側だ。

皆さんは、どうお考えになるだろうか。

 ◇

 メディアも千差万別で事実を歪曲せずにしっかりと伝え、その背景や影響も現実的で論理的な判断で行おうと、誠実に対応しているところももちろんあるでしょう。そういう姿勢で対応すれば、良い記事となり受け取る側も信頼できるし、取材を受ける側も安心ですね。しかしどこかの新聞社などのように、社の方針に沿って始めから結論ありきの角度がついた記事や、つごうのいい切り取り記事を何度も発信すれば、これはもう信頼感が完全に失われます。

 そういうメディアにとって、トヨタも政府同様、権力を持つ側に捉えて書く傾向があるのでしょう。しかし私はメディアの側こそ「言論の自由」を御旗に「筆の権力」を大上段に振りかざしているように思います。「『見出しありき』の記事が通用する時代ではなくなった」と言う意見も記事の中にはありますが、まだまだ見出しで読者を洗脳しようとしている記事が多いと思いますね。

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2020年10月 6日 (火)

櫻井よしこさん、ニュース番組までメダカの学校になってどうする

Cc29097385ee34f543f955746c68d44c  以前「ワイドショー民」という、報道とバラエティーをミックスしたような番組に対する田中秀臣の批評を取り上げました。どれも似たり寄ったりで素人の集団がニュースをもとに社会、政治をテーマにして、まるで井戸端会議のように好き勝手に語り合う、いわゆるショー番組です。

 少し前になりますが、今の形の原型が作り上げられて少し経った頃、櫻井よしこさんがiRONNAに、それらの番組に対して『櫻井よしこ手記 「ニュース番組までメダカの学校になってどうする」』(18/09/03)というコラムを寄稿していましたので、以下に引用して記載します。

 ニュース報道は誰が仕切るべきか。そんなテーマでiRONNAに原稿を依頼された。どこから始めようか。

 日本のニュース報道の主な現場は二つある。報道局の手になるニュース番組がニュース報道の唯一の主役だった時代は疾(と)うの昔に過ぎ去り、主たる伝え手は社会情報系が作るワイドショーになってしまった感がある。ニュースに割く時間の多寡を考えればまさにワイドショーがニュース報道の主役と言ってよい。

 ワイドショーはいつの頃か、ニュースを扱えば視聴率をとれることを学んだ。これでもかこれでもかと、朝から晩までニュースを取り込み、報道の現場に乱入し続けて今日に至る。その結果、報道番組にも変化が生じてきた。従来の固いイメージのニュース番組がさまざまな意味でやわらかくなり始めた。ワイドショーがニュース番組に近づき、ニュース番組がワイドショーに近づいたのである。こんな状況下でニュース報道は誰が仕切るべきかを語るのは、今や似た者同士となった二つを語ることである。

 そこでまず各局のニュース番組だ。局ごとに顕著な違いがある。日本テレビの場合、ニュース番組の主役はタレントである。他方、NHKをはじめその他の局のニュース番組の主役はアナウンサーである。

 もっとも、TBSの『NEWS23』のように朝日新聞の記者を中心に据えるケースもあるが、それでも日本のニュース番組は、➀タレント中心、➁アナウンサー中心に大別できる。➀は人気者の登用で視聴率を狙っているのであろう。➁は自局のアナウンサーなら、タレント並みの高額出演料が不要である。従ってコスト抑制が大きな要因だろう。

 どちらも欧米諸国ではおよそ見られない異端のニュース番組である。➀のタレントがニュース番組の担い手になる例は、少なくとも欧米先進諸国では、見当たらない。➁もない。そもそも読みに徹するアナウンサーという職種自体がない。日本のニュース番組は本当に異端の存在なのだ。

 久しぶりに早朝からテレビをつけた。ある局のワイドショーで、若い女性4人が横一列に並んで立って、各自が担当するニュースを紹介していた。4人は、女性というより可憐さが先に立つ少女のいでたちである。くるんとした目と爽やかな色彩の洋服が愛らしい。可愛いことはいいことだけれど、それでもどうしてこんなに可愛らしくなければいけないのだろう。そしてなぜ4人も必要なんだろう。

 いや待てよ、こんなに可憐な少女っぽい人たちに、1人だけでニュースを伝える力はあるのだろうか。集団で担ってようやく責任を果たせているのではないか。4人のそろい踏みにはもしかしてそんな理由があるのかしら。複数でにぎやかにする方が視聴率にも貢献するかもしれない。はたまた、何年かたって4人の中の1人でも2人でも成長してモノになるかもしれない。局側はそんなふうに考えているのかもしれない。いずれにしてもそんな人材の使い方をテレビ局がしているのは明らかだ。

 彼女たちに話を戻すと、自分に割り振られたニュース項目のリード部分を読んでいたが、ニュースの中身について質問でもされたら、おそらく、ほとんど答えられないであろう儚さを漂わせていた。どう見ても記者修業中の新人でもなさそうだ。物書きを目指しているわけでもなさそうだ。4人ともプロダクションに所属するタレントであろうか。

 早朝だけではない。昼間、夕方、さらに夜のワイドショーも程度の差こそあれ同質の問題を抱えている。伝える側の人数が多い。出演者のほとんどが記者ではない。学者でもない。多くがタレントである。

 といっても、この頃は売り出し中の学者がテレビ番組に出て知名度を上げるためにあえてプロダクションに所属する事例がある。従って、吉本興業をはじめとするプロダクション事務所に所属するからといって、それだけで判断しては間違うかもしれない。

 ワイドショーの出演者は各自、専門芸を持っている人たちではあろうが、ニュースのコメントに関しては的外れだったり、月並みすぎたりで、評価に値するコメントは非常に少ない。この件については私の尊敬する立派な学者である加地伸行さんが書かれた『マスコミ偽善者列伝 建前を言いつのる人々』(飛鳥新社)がある。ぜひお読みになるようお勧めして、次に報道番組について語ってみよう。

 日本の報道番組と欧米諸国のそれを比べると明確な相違がある。先述したように海外の報道番組では、例えばBBC、ABC、CNN、France2もFOXニュースも、歌手であれ役者であれタレントをキャスターに登用している事例を、私は寡聞にして知らない。

 海外では報道番組の伝え手は激しい競争の中から勝ち上がってくるジャーナリストたちが圧倒的に多い。それぞれの専門分野を持ち、特派員としての経験なども積み、報道の現場で鍛えられ、認められた者だけがニュースキャスターの地位を手にする。

 そこにたどり着いたからといって安心はできない。視聴者の目がある。誤報や歪曲(わいきょく)はニュースキャスター個人としても局としても許されない。信頼を失えば降板ともなる。その種の職業的な実績は、良きにつけ悪しきにつけ、長くメディア論の中で取り上げられる。

 つまり、ニュースの伝え手に問われるのは、何よりも報道のプロとしての質である。ニュース番組はプロのニュースマン、ジャーナリストたちによる、あらゆる意味での競争と闘いの現場なのである。だから海外のニュース番組のキャスターたちは往々にしてそれ程若くはない。

 とびきりの美男でも美女でもない。生まれつき美男美女であったとしても、その美しさを意識的に際立たせることはない。かわい子ぶりは絶対にしない。頼りなさ、儚さなどはむしろ退けられる。彼らは視聴者に信頼される成熟した大人として、まっとう果敢に取材し、報じようとする。番組の担い手として、強く大きな太い柱であろうとする。

 日本はどうか。前述したように、まず、キャリアを積んだ記者が中心になっている番組が少ない。人気のあるタレントが仕切っている番組と局アナと呼ばれるアナウンサーが仕切るものとに二分される。報道についておよそ素人の彼らは、一体どのようにして、キャスターやコメンテーターの役割を担っているのだろうか。

 通常、ニュースのリードやコメントは番組のプロデューサーや記者が書いてくれる。それらはプロンプターで読める。読みの専門家である局アナにとっては得意分野であり、上手に読むことで基本的にニュースキャスターの形は整えられる。そういう仕組みの中で初めて局アナやタレントがキャスターの役割を果たし得ていると言ってよいだろう。

 ここでずっと昔の私の体験を語ってもよいだろうか。古い話だが、私はかつてニュース番組のキャスターだった。各ニュース項目のリードは報道局の記者たちが書いた。コメントは記者やプロデューサーが知恵を絞ってまとめたものが、私の手元にきた。

 形の上では今と同じである。しかし当時、私はリードやコメントについて、それぞれの担当記者やプロデューサーと、時には嫌になるほど議論をしたり修正を加えたりした。ひとつひとつのニュースの取材に、私自身が直接関わることがないとしても、私はジャーナリストとしての自分の在り方を強く意識していた。周りもそのことを意識し、そして受け入れてくれていた。報道局の兵(つわもの)と私の間には、取材する者としての対等の感覚があったと思う。そのようなプロデューサー及び報道局の記者全員に対する敬意と、自分に対する信頼があって初めて、私の16年間のニュースキャスターとしての仕事が完うされたと思う。

 報道にはどうしても、その記者、その番組の価値観が反映される。基本的にどのニュース番組も取捨選択の段階ですでに価値観が反映されているのである。それが昂(こう)じると偏りにつながっていきかねない。

 アメリカのCNNは明らかに左に偏っている。だが面白いことに、CNNとは逆の右に偏りがちなFOXニュースも高い視聴率をとっている。左の人はCNNを見て満足し、右の人はFOXで盛り上がる。対極にあるテレビ局同士が互いに逆方向に傾斜することで社会全体の情報供給のバランスがとれていると見ることが可能だ。 

19595975  対照的なのが日本である。わが国のテレビ局はメダカの学校である。ニュースの報じ方がおよそ一色に染まる。同じ方向にドーッと走る。方向は左系統への偏り一本道である。往々にしてNHKがその先頭を走り、TBS、テレビ朝日、NTV、そしてフジまで含めて同一方向に雪崩を打つ。実に日本の悪しき実態である。アメリカのように対極的な価値観や方針を持つ複数のテレビ局は日本には存在しない。

 再び私自身の話で申し訳ないが、ニュースに関して私にも明確な価値観がある。だが現役キャスターだったとき、心掛けていたことが二つあった。報道の基本として大切にしていたことである。

 まず事象の一側面だけでなく、全体像を伝えることの重要さだ。全体像を描いて見せることなく部分だけに焦点を当てれば、間違ったメッセージを送ることになりかねない。この1~2年のニュース番組やワイドショーでいえば、その典型的事例が「モリカケ」問題の報道だったと思う。どのテレビ局のどのニュース番組でもワイドショーでも、モリカケ問題の全体像は全くといってよい程伝えられなかったと断じてよいと思う。

 事象の一部のみの報道は、結果として歪曲報道になる。社会にも、国民にも、全くためにならない。こんな異常な偏った報道はない。そこで私は自分のネット番組『言論テレビ』で事柄の全体像を大いに発信した。

 二つ目の大事な点は、立場の弱い側に心を添わせることだ。それは「弱者」を絶対善と見做(みな)したり、過度に大事にすることではない。彼らの抱える問題を、自分のことのように心に感じ、解決を願い、そのために必要なさまざまな情報を伝えることである。表面的な正邪の観念や建前論から離れて、考えを深める最大限の取材と努力が大事なのだ。

 もうひとつ、思い出した。日本で女性がニュース番組の柱になったその最初のケースが私だった。私は自分の責務を番組全体に責任を持つことだととらえていた。むろん、それは現実とは異なるのだが。例えば、対外的に番組に責任を持つのはプロデューサーであり報道局、テレビ局そのものである。それは確かにそうなのだが、それでも現場ではすべてが最終的に私にかかってくるのも事実である。

 例えば、飛行機がハイジャックされるように、スタジオがハイジャックされた場合はどうなるのか。番組の責任者であるプロデューサーはスタジオの中にはいない。スタジオ全体に目を光らせるサブコントロールルームにいる。従って、スタジオに入ったが最後、全責任を持つのはキャスターの自分であると、私は認識していた。私のジュニアパートナー、お天気情報の担当者、カメラマン、ディレクター、こうした人たち全員を守らなければならないと、いつも私は考えていた。

 危機に直面したときは、犯人たちをよく観察して冷静に対処する。決して興奮しない、させない。落ち着いた声と態度で対応する。思想的な話にもよく耳を傾ける。武器を持っている場合、武器に反応して恐れの表情を見せてはならない。反抗はしない。相手の要求には真面目に応える。その上でスタジオ内のスタッフをできるだけ早く、外に出してもらう。

 究極の危機対応としてこんなことを考えていたのは、大げさかもしれない。滑稽に思われるかもしれない。けれども、ニュース番組の担い手として、オンエア中に危機が生じたときには、毅然(きぜん)として筋の通った対処をするのは最低限の責任だ。そのことを、自分の中で確認して、私はスタジオ入りしていた。幸いにも16年間のキャリアの中でそのような経験はなかったが、危機はいつでもあり得ることを忘れていたり、考えなかったりするようでは失格だと、私は認識していた。

 そこまで力を入れて臨んだのが『きょうの出来事』という報道番組だった。だからなおさら感じるのである。ワイドショーのニュース報道は本当に的外れで無責任で見ていられない、と。アナウンサーの報じるニュース番組はとても異質だ、と。

 おっしゃる通りですね。そして今ではMCの多くはアナウンサーからタレントへ、それも芸人へとシフトしてきているのが現状でしょう。そして後ろに多くのコメンテーターを控えさせ、MCは適当に彼らに振ってコメントをさせる。彼らはそつなくこなしているように見えますが、私でも答えられるようなつまらない返しが多い。

 それに櫻井さんがいみじくも述べているように、「メダカの学校」さながらに各局横並びのコピー報道。有名人がなくなれば訃報報道一色。芸能人や政治家のスキャンダルがあればこれも一斉に、朝から晩まで。

 考えてみればそれこそ視聴者をバカにしていませんか。だから知見のある人たちはどんどんテレビ離れをする。自分でテーマや内容が選べる他のメディアやネットに走る。当然の帰結でしょう。ですから少しでもテレビの前に座らさせるために、櫻井さんの指摘した、顔や容姿の優れたアナウンサー、俗にいう「かわいい子」に頼っているのでしょう。この手のワイドショーも、もう黄昏が近づいているのかもしれません。

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2020年9月11日 (金)

おもしろくない「お笑い」を乱造する同業者とテレビ

Main  以前にも話題にしましたが、今回も「お笑い芸人」に関して取り上げます。最近思うのは、なぜこんなにお笑い芸人が地上波テレビで目に付くのか、と言うことです。本来の漫才番組やバラエティ番組だけでなく、報道番組の司会やコメンテーター、クイズ番組の司会や回答者、食べ歩きや旅番組のナビゲーターや随行者、歌番組、特集番組の進行役、そしてドラマやCMの出演者等々、あらゆるところに出没しています。

 俗に6000人と言われる吉本興業所属タレント、また5000組と言われるM1グランプリの出場者から見ても、1万人と言われる俳優、女優の数に匹敵します。俳優、女優でも実力、人気のある人はそのうちの僅かでしょうが、お笑い芸人でも同じことです。

 でも俳優、女優は、様々なキャラクターをカバーしなければならないため、役柄につぶしがききますが、お笑い芸人は基本面白く人を笑わせなければ、それほどつぶしは効きません。勢い、場違いなトークやしぐさで失笑を買うような、軽薄なタレントは多くいます。それでも番組側が使いたがるのは、出演料でしょうか、それともシナリオを作る手間が省けるからでしょうか。

 そして彼らの最大の価値、「面白さ」に疑問を持たせるような失格芸人の詳細を、評論家でエッセイストの勢古浩爾氏がJBpressにコラムを寄稿しています。タイトルは『お笑い芸人がおもしろくないのは当たり前 おもしろくない「お笑い」を乱造する同業者とテレビ』(9/9)です。多少独善的な要素が入り混じっていますが、以下に引用して掲載します。

 お笑い芸人がおもしろくない。「お笑い」と自称しているくせに、腹が立つほどおもしろくないものがいる。

 漫才・コント番組以外にも、「ジョブチューン」「秘密のケンミンSHOW極」「世界一受けたい授業」「アメトーク」などのバラエティ番組を見れば一目瞭然である。それで本人たちは、笑わせてやったぜ、と得意顔なのが腹立たしい。「おまえ個人の感想ではないか」といわれればそのとおりだが、しかしすべての感想は個人の感想である。

 ここ10年ほどで「街ブラ」や「バス旅」番組がやたら増えた。そこに、明石家さんまの「これはテレビや、声を張らんかい」が浸透していると見えて、街なかや店なかやバス内で、大声をあげて我が物顔にふるまうものがいる。もともとテレビが傲慢なのだ。そんな芸人に接して泣かんばかりにありがたがる一般人もいるが、「邪魔だな」と迷惑に感じている人もいるはずである。

 わたしは「お笑い」が嫌いではない。夢路いとし・喜味こいし、獅子てんや・瀬戸わんや、ダイラケ(中田ダイマル・ラケット)、岡八郎(岡八朗)・花紀京の時代から見ている。電撃ネットワークが懐かしい。大晦日の「笑ってはいけない」シリーズは、周囲からばかじゃないの? といわれながらも毎年録画し、正月の真夜中にみっちり6時間見ている。あれは9割くだらんが、1割おもしろいのだ。

 もちろん、おもしろいと思う芸人もいる。ナイツ、サンドウィッチマン、銀シャリ、中川家、麒麟の川島、クリームシチューの上田。その次に、ハライチ特に澤部、千鳥特にノブ、かまいたち特に濱家、ジャルジャル、和牛、ミルクボーイらである。かれらはみな本業のネタ作りがしっかりしていて、しかもわたしの笑いのツボに合うのである。それだけでなく、当意即妙で発言やアドリブもうまい。

おもしろくない原因を作っているのはテレビだ

 わたしには全然おもしろくない芸人のお笑いを一番笑うのは同時に出演している同業者の芸人たちである。かれらはおなじ笑いのプロのはずなのに、どうしてそんな程度のネタで笑えるのだろうと不思議だったが、お笑い芸人の世界は互助会だったのである。仲間の気づかれないネタや発言や合いの手も、他の仲間たちが「拾って」やり、お付き合い笑いをしてやるのである。発言の少ない人間には、話を「振って」(助け舟を出して)救ってやる。芸人は相身互いというわけである。

 どの番組のだれがおもしろくないのか、ここで実名を挙げるべきかもしれないが、そこまで日本の言論は自由ではないから差し控える。おもしろくない原因を作っているのは、かれらを使いつづけるテレビ局の責任でもあろう。テレビでは「まずいもの」や「おもしろくないもの」はあってはならないのである。そして、いまや芸人たちがいなければ大半の番組が成立しない。

 いまの「笑点」で、おもしろくない答えに一番笑っているのは司会の春風亭昇太である。役目柄しかたがないのだろうが、昔、立川談志が司会をやっていたときは、平気で「おもしろくねえや、座布団とれ」とやっていた。あの頃の「笑点」はおもしろかった。いまではすべてにおいて馴れ合いになってしまった。見ているほうは白けているのだ。テレビで正論やホンネをいえば「毒舌」「辛口」「面倒くさい」と忌避される。

「おもしろくない」ことを批判せよ

 いまでは軒並み衰退したが、小説にも映画にも音楽にも批評が存在する。しかしお笑いの世界には批評がほとんど存在しかなった。

 3年前、茂木健一郎が日本のお笑い芸人を批判したことがある。海外の芸人は権力者批判や政治風刺をするが、日本の芸人は「上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無」、さらに「大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』」と痛罵した。ところが爆笑問題や松本人志らから反論されるや、茂木はいささかも抗戦することなく、あっさり尻尾を巻いて遁走したのである。

 松本人志に「(茂木は)笑いのセンスが全くないから、この人に言われても刺さらない、ムカッともこない」といわれたのがなぜか、茂木には一番堪えたらしい。茂木は「一番刺さったのが、松本さんの“センスがない”だった」というが、茂木健一郎に笑いのセンスがあるかないかなど、どうでもいい話である。松本は、茂木には笑いがわからない、といいたかったのだろうが、それを指摘する方も、指摘されて反省する方も、まったくピントがずれている。

 お笑い芸人批判をするのはいいが、茂木のいう権力批判だの政治風刺だのはどうでもいいのである。日本の芸人にそんなことできるわけがないし、だれも芸人に権力批判など求めてはいない。むしろ首相の桜を見る会に招待されれば嬉々として出かけるのである。首相に呼ばれれば手もなく会食するのである。「終わっている」か否かも、「国際水準のコメディアン」も、どうでもいい。お笑い芸人を批判するなら、眼目は、お笑い芸人なのに笑えない、つまりおもしろくないという一点でなければならない。

「おもしろい」が社会的価値になってしまった

 いまやお笑い芸人は偉くなってしまった。ダウンタウンはテレビ局の幹部連が玄関口まで出迎え・お見送りをするという。すっかり芸人枠というものができて、映画、テレビドラマ、コメンテーターに起用されるのもあたりまえになった。CMにも起用され、ワイドショーの司会者(生意気にもMCという)にも抜擢されるようになった。

 一発当てれば、バカみたいな報酬が払われる。「ヒロシです」のヒロシでさえ、全盛時の月収が4000万円あったという。80年代の漫才ブームのとき、ビートたけしは「200億円稼いで税金が180億円」だったという。

「おもしろい」ということが社会的価値になった。政治家たちが受け狙いで笑わせようとして失言して問題になり、俳優もおもしろいと思われたくて芸人にすりよる。芸人はいまや、ほとんど怖いものなしの状況である。

 一攫千金と女にもてることを夢見ているのか、漫才のコンクール「M-1グランプリ」の参加者がほぼ5000組いるという。いかにも供給過多である。仕込まれたかのように「お笑い第7世代」と称されて、芸人が次々と誕生する。その結果、やっているパフォーマンスと破格のギャラとが釣り合わない。お笑いというも愚か、ただの軽口と悪ふざけに堕しているものが多くなってくる。

おもしろくないのになぜ大御所

 まるでおもしろくないのに、いまだにテレビ界で大御所として君臨しているのがビートたけしである。やはりたけしはまだ視聴率が取れるのだろう。お笑い界のビッグ3はビートたけし、明石家さんま、タモリらしい。これに所ジョージを加えてビッグ4ともいうらしい。この4人がなぜビッグになったのかわからないが、日本の芸能界ではそういうことがある。内田裕也然り、和田アキ子然り。

 漫才のおもしろさからいえば、B&Bのほうがツービートよりもおもしろかったのである。ビートたけしはもともと「コマネチ」のジェスチャーと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」だけである。しかしいまではビッグ4のなかで押しも押されもしない一番の大物である。

 芸人のなかでもインテリで、芸人の価値を高めた。数学の計算を解き、映画監督もやり、絵もうまく、エッセイも小説も書き、ピアノも弾く。しかも信じられないほどの高額所得者。タモリもインテリではあるが、多芸多才ということでいえばたけしは抜群である。

 わたしはたけしは好きでも嫌いでもない。かれの漫才をおもしろいと思ったことも、映画に感心したこともない。「その男、狂暴につき」や「キッズ・リターン」などはよかったが、「BROTHER」「龍三と七人の子分たち」は最悪だった。フランスで勲章をもらっても、ベネチアで賞をとってもだめなものはだめ。小説は読んだことがないが、ビートたけしの才能で一番すぐれているのは、週刊誌に連載して本になったエッセイだと思う。

 蛭子能収はたけしを芸能界で一番尊敬するといっている。蛭子にたいしても謙虚で偉ぶらず、ていねいで敬語を使ったというから、人間的にはいい男なのだろうと思う(たけしと蛭子は昭和22年生まれの同い年)。日本人がフランス料理やワインの蘊蓄を語るようになったとき、なに生意気をいってやがる、味噌汁とタクアンで育ってきたくせしやがって、というようなことをいったたけしはよかった。無理せず、素のままのたけしはいいのである。

 たけしは各局にそれぞれレギュラー番組をもっている。しかしたけしは介添えがいないと番組に出られない。「情報7daysニュースキャスター」では安住紳一郎、「たけしのニッポンのミカタ!」の国分太一、「ビートたけしのTVタックル」の阿川佐和子。そのあたりが所ジョージやタモリやさんまと違うところだ。「情報7days」でコロナ以前に「刮目ニュース」をやっているころはまだよかった。滑舌がわるく、なにをしゃべっているかわからなかったが、それなりの企まざるおもしろみがあった。それが、おもしろいことをいおうとすると失敗するのだ。

 8月22日の「情報7days」で、福岡の女子小学生記者が藤井聡太2冠に、走るのが速いらしいがどれくらい速いのですか? とインタビューした映像が流れた。ところがこれを見たたけしが「どんな女が好きか、とか、もう女は知ってるのか、とか聞けばいいのに。だめかな」というようなことをいったのである。わたしは、あほか、と思った。自分ではおもしろいことをいったつもりだったのか? 安住は流したが、自分でなにをいったかの判断がつかなくなっているたけしは、ほとんど老害であった。

 もともと「お笑い」芸人だからおもしろい、というのが錯覚だったのである。そんなばかなこと、あるはずがないのだ。また、いつまでもおもしろいなんてこともない。いまも昔も、ごく一部のすぐれた芸人のある時期しかおもしろくないのである。

 勢古浩爾氏の述べていることすべてには賛同はしませんが、少なくとも粗製乱造で毎年新人が何人も出てくる芸人の中で、本当に面白いのはほんの一握り。そんな面白くもない芸人をここまで使うテレビは、他に価値を見出せないからでしょうか。

 番組の中でお笑い芸人同士がバカな事を言い合って、お互い馬鹿笑いしているシーンをよく見かけます。本人たちは面白いことを言っていると思っているのでしょうが、見ている側はバカな事を言っているとしか思えない、そう言うことがよくあります。

 彼ら芸人の持つ芸の限界のため、持ちネタの希薄さから単なるギャグの連発で、番組を流しているのでしょう。そこには創意工夫でもって番組の質を上げようと言う、番組ディレクターの思考の限界もあるのでしょう。彼らには面白くすれば見る人がいる、という思い入れがあるのかもしれません。でも面白くないのです。

 ですから面白さを狙って、お笑い芸人を利用しようとしているその思惑が、結果として面白くない番組となってしまっているのです。早晩番組の構成を練り直さないと、ますますテレビ離れが進んでいくのは止められないでしょうね。地上波テレビ番組がなくなっても、ネット番組やスカパーなどがあるので一向にかまわない、と言う人は多いと思います。

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2020年7月28日 (火)

もはや高齢者専用メディア? 視聴者離れの危機感が薄いテレビ局

1_20200728124101  テレビ番組の劣化が叫ばれて久しくなります。「一億総白痴化」、60年以上前の1957年に、社会評論家だった大宅壮一氏が生み出した流行語でした。当時の週刊誌『週刊東京』における、以下の論評が広まったものでした。(Wikipediaより)

 「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。」

 以来面々とこの白痴番組が続いているわけですが、近年のインターネットの普及に伴って、かなりテレビ離れが進んでいるようです。かつて80%近くあったゴールデンタイムの総世帯視聴率も今や60%近く、特に若者のテレビ離れが進んでいるようです。

 テレビ局側もドラマやバラエティー、クイズ番組や特集物をそろえて、何とか若者をつなぎ留めたいようですが、空回りのようです。ドラマもかつての大ヒット作品は消え去り、今は相変わらずの同じパターンのネタですから、飽きられても仕方ないでしょう。バラエティーなどばかばかしすぎて、一部のお笑い好きにしか合わないでしょうし、クイズも同様マンネリ化が激しくあまり見たいという気を起こさせません。

 朝から夕方までは、MCを取り囲んで多くのコメンターがワイワイやっている井戸端会議風の報道番組のオンパレード。これも情報の伝達・拡散と言う意味合いもありますが、何しろ数が多すぎて各局毎回同じようなケースを取り上げるのですから、「もういい、うんざりする」、と思ってしまいます。

 それに何といっても一方通行で、しかも選択肢が極めて少ない、と言ったことから、インターネットの視聴に流れるのは、当然だろうと思います。選択の自由度の多さと、SNSのように双方向の情報のやり取りができる魅力があります。又文章だけでなく画像や映像のアップも可能です。テレビにはない魅力がそこにはあるのです。

 若者のテレビ離れと言いますが、高齢者の私でも利用時間はネットの方がかなり多い。そしてテレビは海外ドラマのような、あらかじめ録画したものを見るのに多く使いますから、生の放送を見るのはごくわずかです。

 ですからタイトルに少し違和感がありますが、若者のテレビ離れについて記述したコラムがありましたので、以下に引用します。そのタイトルは『もはや高齢者専用メディア? いま視聴者たちがテレビに求めるもの』(マネーポストWEB 7/27)です。

 若者を中心に「テレビ離れ」が進行中と言われるが、その傾向に外出自粛が拍車をかけている面もあるのかもしれない。インプレス総合研究所によると、外出自粛により在宅時間が増えたことで、どのような活動が増加したかを聞いたところ、「無料の動画を見る」が27.5%でトップ。次いで、「テレビ番組を見る」が26.3%だった。注目は「無料の動画を見る」が「テレビ番組を見る」を僅かながら上回ったことだ。

 緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ自粛ムードは続いている。家にいる時間の過ごし方として、テレビ番組の視聴が選ばれなくなりつつある理由とは何か。そして、テレビに求めるものとは――。視聴者の本音を探った。

 40代の男性会社員・Aさんは、外出自粛の間、一時期テレビ視聴の時間が増えたが、現在はほとんど見ない。それでも、たまに視聴しては疑問が沸くという。

「よく『若者のテレビ離れ』と言いますが、そもそもテレビが好きなシニア向けの番組ばかりですよね。しかもコロナ禍では、ネットで話題になっていることばかり取り上げていた。そんなのある程度ネットを見ている人にとっては『遅い』と感じるうえに、『テレビで取り上げるようなことじゃない』って感じで、興ざめです」(Aさん)

 Aさんの70代の両親は、テレビを一日中つけっぱなしだ。そんな両親の姿を知るAさんは、「もはや高齢者のための“専用メディア”ですよね」と語る。

「とくに外出自粛期間中は、両親はテレビ番組ばかり見ていた。僕たちくらいの世代になれば、地上波に見たいものがないと動画を見たりしますが、スマホも持たないシニアは、もっぱらテレビ。実家のテレビもネットにもつないであげたんですが、いまいち見方がわからないようです。

 テレビでは、積極的に若いタレントを起用して、若者ウケを狙っているものもあると思いますが、いっそシニア向けと割り切った番組だけでいいのでは。『若者のテレビ離れ』なんて別に問題ではない。もしシニアがテレビ離れしたら、相当深刻なものになるでしょうが」(Aさん)

◆「事実だけを淡々と伝えてほしい」

 20代の女性会社員・Bさんは、バラエティ番組の予定調和感や出演者だけが楽しむ身内感などに嫌気がさして、テレビではアニメとドラマ以外は見なくなったという。

「それなりに予算があるのだから、ドラマに力を入れればいいと思います。演出や編集、脚本など、作り込まれた世界こそがテレビの魅力。ちゃんとした構成や演出といった部分で、本気の勝負をして欲しいです」(Bさん)

 Bさんは、コロナ禍の芸能人のYouTube参入ラッシュにも違和感を覚えていると話す。

「素顔やその人らしさが見えて、良い面もあるのでしょうが、プロっぽい編集が多くて、結局テレビを見ている感覚になってしまうのが残念でなりません。YouTube の“素人らしさ”が消えつつあって……。YouTubeの『急上昇』の上位が、ほぼ芸能人ということが増えていて、それもどこかで見たような内容。効果音の付け方やテロップなど編集の仕方も似たりよったりで、最近はとても複雑な気持ちです」(Bさん)

 30代の男性会社員・Cさんは、出演者の主観や感情が入る情報番組に嫌気が差していると明かす。だからこそ、ニュースで「アナウンサーが事実だけを淡々と伝えること」がいま求められているのではないかと語る。

「僕の家庭では子どもの頃、夕食時はNHKニュースというのが定番でした。いま思えば、アナウンサーがニュースを読み上げるだけにほぼ終始している。他に登場する人がいたとしても、“ちゃんとした専門家”。感情的な解釈や批判のようなものがなくて、不快にならない。

 コロナ騒動になる前は、日中テレビを見なかったのでわかりませんでしたが、“情報番組”をうたっていても、ただただ専門家でもない出演者が好き勝手な意見を言っているものが多いんですね。情報を扱うのはニュースだけでいいと思います。やっぱり、訓練されたアナウンサーの声で聞いて、きちんとした映像が見られるのは安心です。それはやっぱり、テレビならではだと思います」(Cさん)

 テレビ離れが進むいま、あらためてテレビに求められているものは何か。視聴者たちにもそれぞれの意見があるようだ。

 こういう声を、テレビの編集者は耳にしないのでしょうか。テレビも今や「作ったから見てくれ」では、誰も見ないでしょう。このコラムにあるように、他の映像を伴う情報メディアにアクセスできない高齢者は、他の手段がないので視聴するでしょうが、この先数年、十数年すれば、そういう情報難民はどんどん減っていくでしょう。今のままではテレビ局の将来は暗澹たるものになるのは間違いないように思います。つまり必要性のないものは淘汰されていく。自然の成り行きです。

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2020年5月 9日 (土)

取材内容を捻じ曲げるテレビ朝日、自身の主張に合わせ悪質な編集

96148619_3006177692830981_27578306442968  本日の産経新聞の「産経抄」では、以前このブログで取り上げた「日本はイタリアの医療崩壊から学んでいない」の引用元である記事を書かれた、心臓外科医の渋谷泰介氏が、自身のフェイスブックで「テレビ朝日の報道は取材で話した内容と大きく異なっている」という趣旨の投稿に関して取り上げています。以下にその内容を転載します。

 ◇

 政府や安倍さん(晋三首相)批判のためのデマや偏向報道はやめませんか-。危機管理血液内科医の中村幸嗣さんは8日、自身のブログで呼び掛けた。それによると心臓外科医の渋谷泰介さんが7日に、テレビ朝日番組に関してフェイスブックに記した投稿が医療界で話題になっている。

 ▼渋谷さんは同局の取材を受けた際、新型コロナウイルス対策に関して「PCR検査をいたずらに増やそうとするのは得策ではない」と繰り返し答えた。にもかかわらずインタビュー映像は7日、PCR検査を大至急増やすべきだとのメッセージの一部として放送されたのだった。

 ▼PCR検査拡充の是非はさておき、自分の意見が逆さまにすり替えられてはたまらない。一方で何より伝えたかった医療現場へのサポート要請については、全てカットされていた。「メディアの強い論調は視聴者に強く響き不安を煽(あお)ります。(中略)正しく伝えるって難しいですね…」。投稿はこう締めくくられていた。

 ▼「SNSの時代、デマはすぐに検証されてしまいます」。中村さんは戒めているが、自民党の和田政宗参院議員も8日のブログでテレ朝の別番組の事実誤認を指摘した。同党の会議で議員の一人が、密集する報道陣に対し「3密だよ」と声を上げたのが、会議自体が3密だと述べたかのように報じられたと。

 ▼8日のNHK番組は、インターネット上のデマで風評被害にあった居酒屋の苦境を取り上げ、出所不明の情報が拡散される恐ろしさを訴えていた。もっともな話だが、出所が明らかでもメディアが情報をゆがめては元も子もない。

 ▼皮肉にもコロナ禍は、在宅時間が増えた日本人のネット利用を促進している。メディアの意識が一番遅れているのかもしれない。

 ◇

 参考までに渋谷医師のフェイスブックの全文を以下に転載させていただきます。

 ◇

本日テレビ朝日の朝のニュース番組グッド!モーニングで私がコロナウイルス診療に関してインタビューされたものが放送されました。

昨日の朝、テレビ朝日の方から取材の依頼が来て、夕方にzoomを用いたリモートでの取材という形で依頼を受けました。

取材の依頼内容としましては、コロナウイルスへのヨーロッパ と日本の対応に関して現場の生の声を聞きたいとのことでしたので、専門家でないので一医療従事者の声としてしか答えられませんとお断りした上で取材に応じさせていただきました。

が、編集で取材内容とはかなり異なった報道をされてしまい、放送を見て正直愕然としました。

取材では、ヨーロッパ での感染状況に関して、私がベルギーから日本に戻ってきてコロナウイルスに関する診療をするに至った経緯、帰国時に感じた日本の診療体制に関する率直な意見、また日本で再度働き始めて1ヶ月ほど経って現場はどう変わったか、現在の現場の様子、日本のPCR検査への対応に関して、現在医療現場で必要とされているもの、最後に一言、という感じで40分程度質問に答える形で進んでいきました。

その中でも、PCR検査に関してはこれから検査数をどんどん増やすべきだというコメントが欲しかったようで繰り返しコメントを求められましたが、私は今の段階でPC検査をいたずらに増やそうとするのは得策ではないとその都度コメントさせていただきました。

確かに潤沢な検査をこなせる体制というのは本当に必要な方に対してはもちろん必要です。

ただ、無作為な大規模検査は現場としては全く必要としていない事をコメントさせていただきましたが完全にカットされていましました。

(※大規模検査が必要ない理由に関しては、調べていただければ感染症や公衆衛生の専門家の方々の意見などたくさん出てきます)

カットだけならまだいいのですが、僕がヨーロッパ 帰りということで、欧州でのPCR検査は日本よりかなり多い(日本はかなり遅れている)といった論調のなかで僕のインタビュー映像が使用されて次のコメンテーターの方の映像に変わっていき、だからPCR検査を大至急増やすべきだ!というメッセージの一部として僕の映像が編集され真逆の意見として見えるように放送されてしまいとても悲しくなりました。

また、現場の生の声として、物資の手配と医療従事者への金銭面や精神面での補助に関しても強調してコメントさせていただきましたがそちらも全てカットされてしまいました。

物資の手配に関してはたくさんのコメンテーターの方が繰り返し言っているのでまだいいのですが、最前線への医療従事者の方には危険手当のような補助がないと続かないということは強く言わせてもらったつもりです。

家族などへウイルス感染を持ち込んでしまうことを恐れて1人病院に泊まったり、病院の近くにホテルやマンションを借りて自主的に隔離をしているスタッフも知っています(もちろん自腹です)。

愛する家族子供とも会えずに、身体的精神的な負担だけでも計り知れないのに、金銭面な負担までのし掛かるのは本当に残酷でしかありません。

医療者のプロフェッショナルとしての気概だけで現場を回すのには限界があると思い、そういった部分に行政などからサポートを入れて欲しいと強くコメントさせていただきましたが、全てカットになってしまい本当に悲しい限りです。

忙しい最前線の医療スタッフは取材に応じる時間も気持ちの余裕も全くないです。

僕はたまたま非常勤として働いており時間があったので現場の生の声を多くの方に知ってもらえればと思い取材に応じさせてもらいましたが、実際には生の声すら全く届けることは出来ず不甲斐ない気持ちです。

メディアの強い論調は視聴者に強く響き不安を煽ります。

情報が過剰な現在で、どうか正しい知識と情報がみなさんに行き渡って欲しいと切に思いました。

正しく伝えるって難しいですね。

 ◇

 以前から週刊誌などで、政治家やその他有名人が取材を受け話した内容が、記事になると全く異なっていたという話はよくありましたが、テレビの取材でもあるのですね。渋谷氏のおっしゃるように異なった内容になったり、強調した部分がカットされていたりと言うのは、取材した人の名を語って、自身の主張に合わせた番組を編集するという、極めて悪質な報道詐欺でしょう。

 朝日系列の報道グループは、新聞も週刊誌もネットもテレビも、そろってこうした捏造詐欺を働く、悪質なマスコミですね。テレビ朝日は渋谷氏のフェイスブックでの指摘を受けて「7日の『グッド!モーニング』で放送しましたが、お考えを十分紹介しきれなかったため、あらためて12日の放送で先生のお考えを紹介します」とコメントを発表したそうですが、何が「お考えを十分紹介しきれなかった」のでしょう。しらじらしいにもほどがあります。

 テレビ朝日の報道に関してはさらにもう一つ、ジャーナリストの江川紹子氏のコメントを東京スポーツが『「報道ステーション」の主張にダメ出し「誰もおかしいと思わないのか」』(5/8)と題して記載しているので転載します。

 ジャーナリストの江川紹子氏(61)が7日夜、自身のツイッターでテレビ朝日系「報道ステーション」の報道姿勢に疑問を呈した。

 7日放送の「報道ステーション」では解説員が「ドイツや台湾、アイスランド、フィンランド、デンマーク、ノルウェーなど女性リーダーの国がコロナ抑え込みに成功している」などといった主張を展開した。

 これに江川氏は「リーダーが女だからコロナにうまく対応した、という主張をしたい人たちには文在寅韓国大統領は邪魔みたい。まるで無視、というのはすごいわ」と隣国が抑え込みに成功した事実に触れなかった点を指摘。

 加えて「ダメだと思うのは、『報道』番組なのに、『事実』より『主張』を優先するところ。『事実』から傾向を分析するんじゃなくて、自分たちの『主張』に沿う事実だけを伝えているのが目に余る」と厳しい論調で批判。

 その上で「こういう発言を誰もおかしいと思わなかったのだろうか…?」と疑問を呈した。

 ちなみに、女性がリーダーを務める国の人口100万人あたりの死亡数は、6日現在で台湾が0・25人と圧倒的に少ないが、ニュージーランドは4・16人と日本の4・22人とほぼ同じ。その他、ドイツが85・2人、デンマークが89・7人、フィンランドが44・6人、ノルウェー40・5人、アイスランドが27・4人となっており江川氏の指摘通り「報道ステーション」のフェニミズムを前面に出した主張には無理があると言わざるを得ない。

 ◇

 文在寅韓国大統領の話はさておき、江川氏も指摘しているように、初めに自身の主張ありき、その主張に沿って物語を作っていく、フィクション作家であればそうするのは当然でしょうが、事実を取り扱うべき報道番組がそれでは何をかいわんや、です。以前からこうした創作作家然としたスタイルがDNAに刷り込まれているようです。この姿勢が代わらなければ本当に廃刊、廃局が望ましいという気がします。

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2020年4月11日 (土)

「不安」「不満」「困惑」の声では、何の解決策にもならない

5e4a531d2400005f00942f2b  今やテレビのスイッチを入れれば、新型コロナウィルの話題ばかり。新聞も週刊誌もその話題で持ちきりです。実はこの話題に限ったことではないのですが、テレビでの街角インタビューや今クローズアップされている自粛要請業種へのインタビュー、「不安」「不満」「困惑」の言葉が飛び交っています。

 確かに得体のしれない疫病で、どこまで感染が拡大するかわからない、感染拡大のための自粛もいつまで続くか見当がつかない、業者としてもどれだけ来店が減り、収入が減っていくのかわからない、休業要請を受けてもどれだけどのように補償してくれるのかわからない。

 当然「不安です」、「不満です」、「困惑しています」という言葉が出てくるでしょう。それが連日、報道番組の度に街の声として映し出されます。

 局とすればそうした街の声を拾って報道すれば、それはそれで実態を示すものとして有益かもしれません。しかしこうした声は感染拡大を防止させる効果は殆どないと言っていいでしょう。インタビューを受けた人は実感を述べたものと思いますが、半分以上はストレス解消にしかなりません。何故ならそれによって問題解決にはならないからです。

 「不安です」という言葉の裏にも、いろいろな要因があると思いますから、一律には言えませんが、効果的な答えとしては「こういう不安があるが、これにはこうした解決策を考えている」。こうした答えの方が他の人に参考になります。

 「不満です」も同様です。「ここに不満があるのですが、これついてはこうした対策をしていただければ、より良い形になると思います。」「効果と実現性を考えればこれが可能な方法だと思います。」というように。

 「困惑しています」も同様でしょう。つまり「不安」「不満」「困惑」を言いっぱなしでは何の解決策にもなりませんし、そういうシーンを見ていても、「インタビュアーが言わせているのではないか。又繰り返し報道している。うんざりしてくる」としか思えないのは私だけでしょうか。

 もちろん感染の統計的な分析や、医療現場の実態報道、疫病の感染予防などの報道は有益ですし、それは評価すべき点が多いと感じます。しかし街の声に限って言えば、ほとんどの番組がその声に同調し、コメンテーターがそれに上乗せして「不安」「不満」「困惑」を煽っているようにも感じます。

 繰り返しますが、それは何の解決にもなりません。野党の政権批判と同じ類の論調です。「ではこうしたらいい」、「こういう対策や処置を取るべきだ」という提案型に変えることが求められます。もちろん効果と実現性を基にした提案です。尤も野党と同様、これをテレビ局に求めるのは無理でしょうか。

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2020年3月17日 (火)

「上から目線と権威主義」の朝日新聞

Asahilogo 今回は久しぶりに識者のコラムを紹介します。上武大学ビジネス情報学部教授田中秀臣氏のiRONNAに投稿した『編集委員が見せた朝日の「上から目線」は1枚の写真でハッキリします』です。日頃からネットで朝日新聞デジタルでの同紙の記事を見ていますが、田中氏と同じ感想を強く持ちます。その記事の抜粋を以下に引用します。

 朝日新聞の関係者たちによる発言や記事のひどさが目立つ。特に3月13日、朝日新聞の小滝ちひろ編集委員が、ツイッターの個人アカウントで「(略)戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄(おのの)く。新型コロナはある意味で、痛快な存在かもしれない」と投稿した問題は最たるものといえる。

 小滝氏は朝日のソーシャルメディア記者として、ツイッターから発信を続けていた。朝日のガイドラインによれば、「ソーシャルメディア記者は、ソーシャルメディア上の『朝日新聞社の顔』」である。

 朝日新聞の顔である人物が非倫理的な発言をしたのは、どう考えても不謹慎というより、まずいと言わざるを得ない。しかも、社会的な批判を浴びて、説明や謝罪もなく、発言もろともアカウントを削除して「逃亡」した。

 昨今の朝日新聞の新型コロナウイルス(COVID-19)問題についての報道に、不信と強い批判の思いを抱く人も多いだろう。「朝日新聞社の顔」であることが、ソーシャルメディア記者の性格であるならば、やはり組織を代表しての存在になってしまうのはやむを得ない。

 言い換えれば、朝日新聞社が公認記者たちのリスク管理を十分にしていないのだ。組織としては、個人記者に社会からの批判を丸投げして逃げてしまっていると表現されても仕方がないだろう。

 小滝氏の発言から感じるものは、自らの地位を他に優越したものとする目線の強さである。要するに、傲慢(ごうまん)な姿勢だ。

 朝日の記事を読むと気づくのだが、この姿勢は会社の組織自体が傲慢な社員の態度を育てているともいえないか。最近、それを感じたのは1枚の写真にある。

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 東日本大震災で被災し、14日に9年ぶりの全線再開を果たしたJR常磐線を報じた写真で、映像報道部の公式ツイッターでも紹介されている。そのツイートには、「写真は、大野駅(大熊町)近くの #帰還困難区域 を通る列車です」とつづられ、帰還困難区域による立ち入り禁止を示した立て看板と、保護柵の横を電車が通過する画像が載せられていた。

 全線復帰を祝う地元の人たちの目線よりも、なんだか薄っぺらい反政府の姿勢だけが感じられただけである。実にうすら寒い。「反政府」も「反権力」も、ひたすら上から目線なのだ。そこには人々への共感はない。

 このあとコラムは同時に「権威主義的な側面」を併せ持つことに言及していて、「この上から目線的な姿勢は、権威をありがたがる心理と表裏一体かもしれない」と述べています。以前このブログで朝日新聞の創刊時の社訓

「勧善懲悪ノ趣旨ヲ以テ専ラ俗人婦女子ヲ教化ニ導ク」

すなわち意訳すれば、

「勧善懲悪を主なねらいとし、もっぱら、風流を解さない教養の低い者、女性や子どもを教化して導いていく」(意訳は木佐芳男氏)

を紹介しましたが、勧善懲悪の狙いはいいとしても、創刊時から知識の乏しい一般大衆を教育していくという「立派な上から目線の思想」があって、時代を経ても脈々と受け継がれてきたのでしょう。

 ただ昨今の記者のサラリーマン化が進み、ジャーナリストとしての公正な見方はどこかへ吹き飛んで「勧善懲悪」も消え去り、単に「上から目線と権威主義」のみが残って、社の方針を拡散する道具になってしまったと言えるでしょう。廃刊に向かって突き進んで行ってほしいものです。

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2019年7月25日 (木)

芸人の「闇営業問題」騒動、テレビはもう三文週刊誌

Miya2  今テレビを席捲している吉本興業の所属芸人闇営業問題に端を発した騒動。その闇営業に関して、相手は反社会的組織だったとか、そこからの金銭の授受があったとか、それを隠蔽していたことや、公表する際の会社側と当該芸人との意見の食い違い、そしてお互いの涙の記者会見とまたその内容の食い違い、芸人の記者会見に絡んで契約解除を迫られたとか、そのつもりではなかったのでまた元に戻すとか、会見の後も当該芸人以外の所属芸人の会社への抗議や、逆に会社への擁護発言など、これでもかというくらい目まぐるしい展開を見せています。

 この騒動に関して元社会的組織の一人の話も含めて、ダイヤモンドオンラインは次のように述べています。

 吉本興業の所属芸人が、振り込め詐欺集団のパーティーに出て金銭を受け取った、いわゆる闇営業問題。「パワハラ経営者vs同情すべき芸人とその仲間たち」という構図のもとに、衆目の中で進行する劇場型不祥事だ。

 しかし事態の展開に違和感を覚える向きも多いだろう。発端は宮迫博之氏、田村亮氏ら芸人が、反社会的勢力から金銭を受領したことだ。素性を事前に知っていようといまいと、結果として犯罪集団から大金を得る副業をしたなら、普通の会社員であれば懲戒解雇にもなりかねない。吉本は芸人を社員として雇用してはいないが、社会的責任を負う大企業として、関係者の不正行為に厳正に対処する義務がある。それが涙混じりの感情論にすり替わっているとは、議論の逸脱も甚だしい。

 この脱線ぶりに対し、「芸人も吉本もテレビ局も、関係者は全員アウトや」と喝破するのは猫組長氏。山口組系二次団体で長く幹部をつとめ、反社の世界を熟知している。アウトサイダーの問題を見る角度は、意外なほどに「超真っ当」だった。

7011905_ext_col_03_1  そうです。吉本興業も当該芸人も一般の会社と会社員だったとすれば、ありえない展開です。しかもこの記事の通り「テレビ」もアウトでしょう。以前のブログ「ジャニー喜多川氏の訃報報道に思う」で述べたように、どの局も一斉にかつこれでもかと朝昼晩くリ返し報道する。内容もまさにタブロイド誌と同じ、誇張と揶揄と擁護と攻撃をふんだんに混ぜ合わせて、コメンテーター同士の井戸端会議が展開されています。

 こんなテレビは見たくありません。チャンネルを他に回せば、韓国ドラマだの社会批判番組だの、勢い録画していたテニスの試合や動物番組を見ることになります。そうです、テレビはもうアウトです。もちろん現状の地上波やBSのほとんどが、です。自民党のNHK出身の和田政宗議員に、彼の持論の「電波オークション」の採用が早まるよう働きかけてもらって、この状況を打破してもらうしかありません。でもそれまでは残念ながら三文週刊誌的報道は続くでしょうね。


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