社会

2019年11月15日 (金)

謝罪の声が聞こえない、神戸いじめ教師と教育委員会

Photo_20191115180501  今回は神奈川大学人間科学部教授杉山崇氏のコラム『神戸いじめ教師と教育委員会が逃げ込んだ「いつもの世界」』(iRONNA 11/11)を取り上げます。

 「学校」は、日本人であれば誰もが経験してきた場です。良い思い出が詰まっている人もいれば、苦い思い出を残す人もいることでしょう。

 人生初期の多感な時期を過ごす場ですから、子供同士のいさかいもあるわけで、決して「天国」ではありません。しかし、その場が「地獄」にならないように、力を尽くしてくれる存在が教師です。

 私はたくさんの公立学校でスクールカウンセラーを務めてきましたが、「教師を信頼しているから、辛いことがあっても学校に行ける…」と漏らす生徒さんもいました。信頼できる教師の存在が生徒の支えになっているのです。

 しかし残念ながら、学校と教師に対する信頼が揺らぐ出来事が神戸市でありました。市内の小学校で起きた同僚教師に対する集団いじめです。

 被害教師たちの日々の絶望や苦悩を思うと、胸が痛くなります。被害教師にとって、小学校は地獄のように感じられていたかもしれません。

 この出来事だけでも十分酷いことで、あってはならないことです。しかし、その後の学校や教育委員会の対応にも疑問の声が上がっています。

 まず、加害者は被害者に対して謝罪することが何よりも必要なはずですが、加害教師ら本人の謝罪の声が聞こえません。神戸市教育委が謝罪の言葉を公表していますが、被害者当人よりも家族に謝罪している加害教員もいます。

 あまりにトンチンカンな内容に、インターネット上で謝罪文を添削する「赤ペン先生」が全国で続出するありさまです。私も文章を読ませてもらいましたが、被害者へのおわびの気持ちが伝わらない印象はぬぐえませんでした。

 また、ツイッターでは「教師たちの反省文じゃないからです。教育委員会が、事情聴取で聞いた言葉を拾って作りました(中略)」という指摘もあります。この指摘が本当であれば、加害教員らは何の反省もしていないのかもしれません。

 被害者は被害教師だけにとどまりません。ショックで不登校になった児童もいると報じられています。

 また、登校している児童も、学校と教師に不信感を抱いている可能性は十分にあるわけで、心中穏やかでないことでしょう。学校に行かせている保護者も心配のことと思われます。

7023147_ext_col_03_0  そのような中で、校長が涙の謝罪会見を行ったのは救いです。ただ、カレーが暴行に使われたということで、市教委が打ち出した「給食のカレーを休止する」「家庭科室を改装する」などといった対応策は、児童や保護者の心中をどこまで考えているのか、疑問に思ってしまいます。

 では、なぜこのような事態に陥ってしまったのでしょうか。私がスクールカウンセラーを務めていて、まず気づいたのは教師の構造的な忙しさです。

 2018年調査の経済協力開発機構(OECD)国際教員指導環境調査(TALIS)によると、世界で最も勤務時間が長いのは日本の教師で、小学校で1週間あたり54・4時間、中学校では56・0時間にも上りました。世界平均では38・3時間なので、ダントツに長いことが分かります。授業時間そのものは世界平均の水準なのですが、特に課外活動の指導や事務業務、授業の計画や準備の時間が長いのが特徴です。

 私は教育委に勤務していたこともありますが、教師と同じく極めて多忙です。統計や国際比較のデータはありませんが、学校現場と同様に業務に忙殺されていることと思われます。

 このような忙しさの中では、「いつも通り」物事をこなすのが精いっぱいになってしまいます。今回のような問題が起こったとしても、真剣に事態と向き合って考える余裕もないことでしょう。

 また、多忙は、考えると苦しくなる問題から目をそらして否認する「道具」にもなり得ます。「強迫性障害」という異常心理がありますが、これは気にしなくてもよいことを気にしてしまって、無意味な行動を繰り返したり、本当に必要な行動が取れなくなる状態を言います。

 強迫性障害の全ての人に当てはまるわけではないですが、何かを気にして心を忙しくすることで「本当にヤバいこと」を考えないように逃げていることが知られています。

Images-10_20191115180601  実際、いじめの「首謀者」とされる女性教師の謝罪の言葉に、「子供たちを精いっぱい愛してきたつもりですが…」という件(くだり)があります。被害者と向き合うのではなく、教師としての自分の仕事に向き合おうとする姿勢がうかがえます。これでは、加害者としての自分から逃げているかのように感じられてしまいます。

 心理学では、このように「いつも通り」に逃げ込んで、問題と向き合わない現象を「恒常性錯覚」と呼びます。この錯覚は、防災などの危機管理を考える際のキーワードとしてよく使われます。危機的な状況でこの錯覚に陥ると、危機がさらに拡大するからです。全ての人とは言いませんが、加害教師らも市教委も恒常性錯覚に陥っているのかもしれません。

 錯覚にはまる要因は、先に指摘した多忙さだけではありません。日本の学校には、100年以上も脈々と受け継がれた文化と伝統があります。

 また、義務教育は日本国憲法で定められた国民の三大義務であり、決して無くなりません。実は、このような特徴にも恒常性錯覚を起こしやすい背景があると言えるでしょう。

 今回の教師いじめは一種の集団暴行であり、学校教育は大きな危機を迎えたといっても過言ではありません。その中で恒常性錯覚に陥ったままに対応を誤ると、学校教育への信頼がますます揺らぐことでしょう。

 恒常性錯覚は、心理学者としての私が指摘した懸念ではありますが、これが本当に懸念にすぎないことを祈っています。日本の学校教育に育ててもらった一人として、国民に広く信頼される学校教育であってほしいと思うばかりです。

 学校における教師同士のいじめ事件、それも先輩教師が後輩の教師をいじめる、その手口ややり方はいじめを通り越してもはや暴行です。そしてまた今度は消防署で同様な事件が起こりました。それはむしろもっとひどい手口のような気もします。

 両方とも狭い閉鎖された組織内の出来事です。以前のブログでも取り上げましたが、公序の欠落した個人の自由を謳歌する戦後教育の影響は少なからずあるものと思われます。日本が少しずつ崩壊しているように思われてなりません。

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2019年11月13日 (水)

池袋暴走事故、なぜ「上級国民」を「容疑者」と呼べないのか

Images-6_20191113142001  今回は上武大学ビジネス情報学部教授田中秀臣氏のコラム『池袋暴走事故、なぜ「上級国民」を「容疑者」と呼べないのか』(iRONNA 11/12)を取り上げます。

 今年4月、東京・池袋で自動車の暴走事故を引き起こした旧通商産業省工業技術院元院長が、書類送検される方針が固まったことが、捜査関係者の話としてマスコミに報じられた。この暴走事故で、はねられた母子2人が死亡し、元院長と同乗していた妻を含む男女8人が重軽傷を負った。誠に悲惨な事件であった。

 事故現場は、筆者も30年ほど利用する生活道路というべき所で、事故当日も現場の近くの都電を利用していた。道路は事故後の対応で、警察によって閉鎖されていて、物々しい雰囲気が漂っていた。

 重軽傷を負われた方の精神的や肉体的な後遺症も深刻だろうし、亡くなられた小さいお子さんとお母さんのことや、残された遺族の心中を思うと、本当にやりきれない気分になってしまう。車の運転を行う者としても、慎重で安全な運転をしなくてはいけないと改めて自戒している。

 また、この事件を契機にして「上級国民」という言葉が注目を浴びた。身柄を拘束されないことや、また「容疑者」ではなく常に「元院長」などの肩書で、テレビや新聞などで呼称されたことも問題視されていた。

 「特権」的な優遇がありはしないか、そう多くの国民が考えていたため、元院長に「上級国民」という言葉が与えられたのだろう。だが、筆者はこの論説であえて「飯塚幸三容疑者」を使わせていただきたい。

 飯塚容疑者は当初「ブレーキをかけたが利かず、またアクセルが戻らなかった」と証言していたという。だが、捜査関係者の話では、事故直後から車に異常は認められなかったことが明らかになっており、飯塚容疑者がブレーキとアクセルを踏み間違えた疑いが極めて強い。

 飯塚容疑者本人も最近では、踏み間違いを認める証言をしているという。書類送検の結果が、飯塚容疑者に対する重い罰則になることを、筆者はやはり願わずにはいられない。なぜなら、飯塚容疑者の現在の発言があまりに無責任で、信じられないくらい人の道を違えたものだからだ。

 あくまで私見であるが、飯塚容疑者の犯した罪は法規にのっとり、厳正に処断されることを期待したい。彼がいわゆる「上級国民」や高齢であろうがなかろうが、法は誰にも等しく適用されるべきだと思う。

 日本銀行前副総裁で学習院大の岩田規久男名誉教授は、著書『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)の中で、明治の啓蒙(けいもう)思想家、福澤諭吉の議論を借りて、次のように述べている。

 多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)のいうように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。【岩田規久男『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)】

 岩田氏の指摘を今回の事件に援用すれば、飯塚容疑者について、メディアは「元院長」ではなく「容疑者」と呼称すべきだし、マスコミの一部も飯塚容疑者の自己弁護も甚だしい発言を安易に報道すべきではないのだ。その「自己弁護甚だしい発言」というのは以下のような趣旨である。

O1200063014635544750  TBSのインタビューに答えた飯塚容疑者は「安全な車を開発するようメーカーに心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい」という旨を述べた。被害者への配慮はごくわずかであり、ほとんどが自分の行いよりも自動車メーカーなどへの注文であった。まさに驚くべき責任逃れの発言である。

 福澤諭吉の先の発言では、このような人物にも法的な適用は差別してはならないという。だが、同時に、福澤はこのような官僚臭の強い詭弁(きべん)に厳しい人であったことを忘れてはならない。このような人物が社会的な批判にさらされるのは当然と考える。

 飯塚容疑者に厳罰を求める署名が約39万筆集まったという。この署名が裁判で証拠として採用されるなどすれば、量刑の判断に影響することができる。

 これもあくまで私見ではあるが、飯塚容疑者の上記のインタビューがあまりにも責任逃れにしか思えず、反省の無さを処断するために、署名が証拠として採用され、効果を持つことを期待したい。

 日本の官僚組織、また個々の官僚は「無責任」の別名だといえる。著名な政治学者の丸山真男はかつて、人が目標を明示し、その達成を意図してはっきりと行動することを「作為の契機」と表現した。

 それに対して、官僚としては成功者といえる飯塚容疑者は、それとは全く真逆の「不作為の契機」、つまり責任をいつまでも取らない、むしろ責任というものが存在しない官僚組織の中で、職業的な習性がおそらく培われていたに違いない。そして、その習性が仕事だけではなく、彼の私的領域にも及んでいたのではないか。

 ここに私がこの問題をどうしても論評したかった一つの側面がある。飯塚容疑者の発言のパターンが、今まで日本の長期停滞をもたらしてきた官僚たちや官僚的政治家たちと全く似ているからだ。

 もちろん、高齢ドライバーをめぐる問題は、論理と事実検証を積み重ねた上で取り組んでいかなければならない。飯塚容疑者だけを糾弾して済む話ではないのだ。何より冒頭にも書いたように、筆者も自動車運転をする身として、今回の事件はまさに何度も自省を迫られる問題にもなっていることを忘れてはいない。

 田中氏の言う「責任をいつまでも取らない、むしろ責任というものが存在しない官僚組織の中で、職業的な習性がおそらく培われていたに違いない」と言う言葉から、すぐに天下り斡旋をはじめ数々の不祥事を起こしながら、辞任してもなおかつその非を全く認めず、嘘と悪意に満ちた政府批判を繰り返す、前川喜平氏を思い出しました。

 それと同時に反社会的組織や反日外国人とのつながりが噂されながら、追及もされず言いたいことを発言しまくっている、議員と言う特権の職にある辻元氏のように、「上級国民」はそこら中にいます。つまり「上級国民」とは日本の国のための「上級」ではなく、あくまで本人の特権のための上級だということでしょう。

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2019年9月 4日 (水)

あおり運転暴行、自らハマった「囚人のジレンマ」

Images-9  今回は政治から少し離れて、最近特にメディアを騒がせているあおり運転についてのコラム、上武大学ビジネス情報学部教授田中秀臣氏の『あおり運転暴行、自らハマった「囚人のジレンマ」』を取り上げます。

 お盆休みの日本列島の注目を集めた事件は、茨城県の常磐自動車道で起きた「あおり運転暴行事件」だろう。若い男性が運転する乗用車に対して、白いSUV(スポーツタイプ多目的車)タイプの高級外車が過剰なあおり運転を繰り返したドライブレコーダーの映像が、SNS(会員制交流サイト)などで拡散した。

 しまいには、男性の車の前に入るなどして停止させたそのSUVから男女2人が出てきて、中年の男の方が、若い男性に暴行を加えた。その一部始終は録画され、その日のニュースやインターネットで大きな反響を招いた。

 あおり運転のうえに暴行した中年の男は数日後、傷害の疑いで全国に指名手配され、やがて大阪市内で逮捕された。この逮捕時の様子も近くの住民によって動画で収録されて、SNSやテレビなどで多くの国民が目にすることになった。

 筆者も仕事で高速道路を利用することがよくある。自分で運転する場合もあるが、ラジオやテレビに出演するときは、タクシーに身を任せることも多い。

 日常的に高速で運転していると気が付くことは、普段はあおり運転をあまり経験しないことだ。無茶な運転をする人はそれほどおらず、特に平日は日ごろ高速を利用している人が多いのか、流れがスムーズで、互いに無理をしない印象が強い。

 今までも高速で運転していて、幅寄せや急激なブレーキ、パッシングなどを受けることは、それほど多くはなかった。単に運がいいだけなのかもしれないが、日本の実態調査を確認すると、高速で起きているあおり運転は全体の1割ほどで、それほど多くない。このような個人的経験もあって、今回の事件は極めて衝撃的だった。

 警視庁交通局交通指導課の矢武陽子氏が、ここ最近のあおり運転を統計的にまとめている(「日本におけるあおり運転の事例調査」2019年)。この調査は限られた期間と事例ではあったが、いくつか興味深い点が見て取れる。

 まず、あおり運転の加害者は、同調査の対象期間中は全て男性であり、被害者もまた大半が男性であった。加害者の年齢では、30代が最も多く、50代にも2番目のピークが存在する。被害者は40代が最も多い。

 この調査で興味深いのは、経済的な階層分析に近い視点があることだ。被害者と加害者の車種や車の価格による分類をしている。

 その分類によると、加害者の40%が500万円以上の四輪車に乗っていたことだ(2番目に多いのは200万円以上499万円までの四輪車で29%)。一方被害者は、高級車両(500万円以上の四輪車)はわずか10%で、調査対象の中で最もウエートが低い。

 被害者の車種で一番多かったのが、200万円から499万円までの四輪車で40%、次いで200万円未満の四輪車が35%となり、合わせて8割近くになる。トラックは被害、加害両方ともに1割程度である。

 つまり、中高年の高級車を運転している男性が、中年の比較的安い車に乗っている多くの場合は男性をあおっているということが、この調査からイメージとして浮かび上がる。今後、この典型例が正しいかどうか、より緻密で包括的な調査が行われることを期待したい。

 あおり運転の発生しやすい時間について、ドイツなどの研究では、車が集中する通勤時間帯だという。ただし日本の上記調査だと、時間帯・曜日では目立った違いがない。

 あおり運転が発生するメカニズムは、「怒り」だという。「路上の激怒=ロードレイジ」と専門的には名付けられている。

 このロードレイジが発生するメカニズムは、道路という公共空間と運転手が互いに閉ざされている匿名性の高い空間にいることが、環境的要因として重要視されている。この場合、交通心理学や社会心理学からの視点は、それぞれの専門家の考察を参考にすべきだ。

 特に、道幅の広い公共道路では多くの人が参入する。交通心理学では、このとき多くの人との交流が突然に発生することで、対人行動が攻撃的なものになりやすいという。いわば、過剰警戒しているのである。

 また、車の中にいるために、互いがコミュニケーションを取りにくい状況にある。例えば、道を譲ってくれたときには、譲られた車が軽くクラクションを鳴らしたり、ハザードランプをつけたりして、相手に「あいさつ」することがあるだろう。

 だが、この軽いクラクションやハザードさえも、ひょっとしたら相手には違うメッセージを伝えている可能性がある。あるいは、譲られた車がその「習慣」を知らなかったために、「せっかく道を譲ったのになんのあいさつもない」と不満に思うこともあるかもしれない。

 実際、コミュニケーションが十分に取れないときに、対人関係で最適な行動をすることは非常に難しい。経済学で「囚人のジレンマ」といわれる状況がそれにあたる。共同で犯罪を行った者たちが全く連絡を取ることができない取調室に入れられたときに発生する事例である。

 警察は、おのおのの共犯者に「お前だけが自白すれば罪を許し、相手は罰する」という取引を持ち出す。互いに黙秘した方が有利なのに、互いが連絡を取れないために確認できる手段がない。結局、それぞれが自白してしまい、「自分だけが自白して罪を逃れる」という選択肢が実現されず、両方が最も重い罪を科されるというジレンマである。

 車の運転は、「暗黙の了解」ともいえる共通ルールを互いに守っている限り、このような極端な「囚人のジレンマ」に陥ることはない。また、相手の顔もしぐさもはっきり確認できない運転中では、運転手の持つ匿名性が過剰な攻撃に移りやすい要因であることも、専門家は指摘している。

 先の調査では、「路上の激怒」の引き金は、進行を邪魔されたり、割り込まれた場合などが4割ほどに上る。これに車内でのジェスチャー(指を立てるなど)や信号無視などを加えると7割を超える。

 では、経済学の見地からはどのようなことが言えるだろうか。まず、広い公共道路に多くの人が自由に参入可能であり、彼らを排除することが難しいことが、注目に値する。これは典型的なフリーライダー(ただ乗り)が発生しやすい状況である。

 あおり運転をする人には「怒り」を発揮するメリットがある。対して、「怒り」にはさらなるストレスを招き、他者の批判を被(こうむ)るというコストも存在する。

 このメリットがコストよりも大きいときに、「路上の激怒」は発生する。何車線もある広い道であおり運転が起きやすいのは、「怒り」を示した後に、それこそ現場からすぐに走って逃げることがしやすいからではないか。これが「路上の激怒」のコストを引き下げる。

 今回の常磐道の「あおり暴行事件」は、被害者のドライブレコーダーに一部始終が記録されていたために、加害者は逃げることができなかった。これは「路上の激怒」のコストを高める役割を担っている。「怒り」を鎮める有効な手段の一つは、暴力の可視化と記録なのかもしれない。

 前の車がのろいと思う運転をしているときなど、多少のイライラ感が起こるのはよくあることです。逆に後続車に接近されて、パッシングされた経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。しかし高速道路上で車を止めてまで、怒鳴り散らしたり暴力に訴えるなど、そもそも自分にも命にかかわる危険があることはすっかり忘れています。これは「怒り」を通り越して「鬼畜の仕業」と言うほかありません。

 今回はドライブレコーダーの映像が動かぬ証拠となりました。私もこういった事件から身を守るため、ドライブレコーダーを予約しました。カー用品店舗では取り付けに一か月近く待たされます。だがいまや車の必需品と言えなくもありません。すべての車がドライブレコーダーを敷設し、あおり運転の状況を記録するようになれば、あおりはかなり減るようになるものと思われます。もちろん法の厳格化も必要ですが。

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2019年7月27日 (土)

高校野球1県1校代表制について考える

D730dc3d6550f03e2c71056d9e5e81ca  もうすぐ甲子園球場で夏の高校野球が始まります。正式には「全国高等学校野球選手権大会」と言うそうです。この夏は岩手県予選で大船渡高校が県大会決勝で、163キロ右腕・佐々木朗希を温存し、結果的に花巻東高校に敗戦したため、監督の采配をめぐって賛否の渦が巻いていますね。岩手県大会では、優勝チームの花巻東は5戦戦って甲子園出場を勝ち取りました。

 ここで少し疑問がわいてきました。私の住む神奈川では、シード校でなければ7戦戦い勝ち抜かねばなりません。そこで調べてみました。一番人口の少ない鳥取では4回、シードされると3回勝てば甲子園に行けるのです。逆に大阪や愛知はシード校以外では8回と全国一のようです。東京は東西に、北海道は南北に分かれて2校代表になっているので、北北海道は6回その他は7回のようです。

 学校数そのものも違います。代表1校当たりの学校数トップは大阪で260校、一番少ない鳥取は32校(2018年調査)、実に8倍強の差があります。県代表だからいいではないかとも思いますが、ちょっと違いすぎはしませんか。せめて200校を超える県は2校出したらという気もします(東京、北海道以外に、大阪、神奈川、愛知、兵庫など6都道府県)。かつて記念大会で試みたこともあったような気がします。

 県代表ですから何校も代表なんておかしい、とも言えますし、学校数の少ない県が必ずしも弱いとは言えず、過去に優勝している高校も多いので、今のままで何が悪い、という声も聞こえてきそうです。でも3,4回の予選試合と7,8回の試合数では疲労度がまるで違うと思います。いずれにしろ県によって格差があるのは事実でしょう。

 日本人は理よりも情が強いと思いますので、あまり気に留めていないのかもしれませんし、高校野球自体にあまり興味がない人もいます。目くじら立てる必要はありませんが、ただ憲法にうたわれている「平等」に照らしてみた場合、少し気になる点でもあります。

Https___imgixproxyn8sjp_dsxmzo2246064019  そういえば選挙の一票の格差、最高裁の違憲判決が繰り返された結果、衆議院はおおむね2倍以内、参議院は3倍以内に落ち着いています。しかし2倍や3倍が憲法上許されるというのは、どうしてでしょうか。よく分かりません。もちろん最高裁が決定したことは、憲法に準ずる法と同等の価値があるそうですから、それで決定のようです。しかし理詰めで考えればおかしいと思いますね。

 いずれにしろ様々な意見が交錯する日本、大事だということもすんなり決まらないことが多いし、おかしいと思われることも手付かずなところが結構あります。憲法9条の条文も近代国家としては異常ですし、同時に異常この上ない在日特権や特別永住者への制度変更も、まるで議論の対象にすらなっていません。外国人への生活保護支給もまだ行われているようです。とかくの批判はあるにしても、トランプ氏のような真に国益を重視し、手付かずな問題に大胆に切り込める指導者がでてくることを強く望みますね。

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2019年7月19日 (金)

日本の格差問題、その現実は?

Img_column_pro004_16_01  格差の問題がたびたび社会問題や政治課題として取り上げられます。日本の左翼人は日本は格差社会だ、あるいは格差が拡大している、とよく騒ぎ立てます。小泉政権以降の新自由主義や、最近ではアベノミクスの企業優遇政策などを取り上げ、政府の政策にその責を問う論調があります。

 ただ冷静に見れば、小泉政権時代以前から拡大した、世界的な自由貿易を柱とするグローバリズム化が、海外の低賃金による安価な製品の内外への拡散を促し、その結果として企業の海外移転の加速と、国内企業内の賃金抑制のための非正規雇用を生み出したといえるでしょう。そういう意味ではそれまでの一億総中流の社会から、正規、非正規による格差は顕在化したのは事実でしょう。

 しかしその時、企業も政府も無策で成り行きを放っていたら、グローバリズムの波の中で、日本企業の多くは壊滅していたに違いありません。その後の民主党政権下の日銀による金融政策の失敗に起因する超円高が、さらに企業を追い詰め海外移転と賃金抑制を加速させました。左界隈の論者はそのことには口をつぐみます。

 アベノミクスはむしろその民主党政権の尻拭いをし それを修正した結果、円高は修正され、株価は上がり、企業業績は好転し、失業率は低減し、求人有効倍率大卒求人倍率は史上最高となっています。左側の人は株価や企業業績の向上は金持ちに対してのみ見返りをもたらす、金持ち優遇政策だと言いますが、民主党時代の方が良かったとでもいうのでしょうか。

 ここで世界に目をやれば、中国を代表する社会主義独裁国サウジアラビアのような宗教独裁国、そしてアフリカなどに多くみられる指導者による独裁国。これらの国は独裁の中枢を占める人たちによる、富の集中が起きており、一般大衆や底辺で苦しむ人との格差は天文学的数字となるでしょう。

Nichi_kakusa  そして自由主義国の世界でも、アメリカに代表されるように、金融やITのリーダーたちは、巨万の財をなしています。日本は大金持ちに対する嫉妬も絡んだ否定感がありますが、アメリカはアメリカンドリームという言葉が示すように、むしろ喝采する雰囲気を持ちます。

 企業以外のいい例が、スポーツ選手の報酬です。特に野球やバスケット、アメフトのように多くの観客を動員するボールゲームでは、数十億の年俸受領者が山ほどいます。最近テニスで大坂なおみ選手の優勝で日本でも明確になった、全米オープンでの優勝賞金は四億円を超えます。テニスやゴルフなどは個人ゲームで成績に報酬は直結します。そしてその賞金額は有名タイトル戦であればあるほどかなり大きいといえます。

 起業家であれスポーツ選手であれ、自由社会では傑出した業績や能力を発揮すれば、報酬は多いのはうなずけます。問題はその金額が天井知らずのうなぎ登りだということでしょう。起業家はもちろん金が金を生む資本主義の利点を利用して、資産を膨らませます。 スポーツでも選手の背景には競技場経営者、スポンサーなどの企業がついていて、有名選手を獲得することにより、その業績アップにつながりますから、少数の逸材をめぐって獲得ゲームが展開され、高報酬につながるという構図でしょう。

 いずれにせよ、世界中どこでも一部の高額報酬受領者と多くの相対的低報酬者たちの社会があり、後者の中でいくつかの階層があるというのが現実です。その幾つかの階層の中で一般的に言えば自由主義国では努力すれば上の階層に行くことはできるでしょう。

 左側の人はそこを否定します。しかし考えてみてください。上に述べた独裁国家でそれができますか。貧困階層は犯罪以外に、どんなことをしても這い上がれません。犯罪は一歩間違えれば死を意味します。それに独裁国家でなくてもバングラデシュやミャンマーのような国では同様に貧困層が簡単には這い上がれません。上もまた貧困ですから。

 日本は貧困といっても、生活保護もありその金額だけでもこれらの国の一般国民の収入をはるかに上回り、間違いなく上流階級に位置するでしょう。貧困とは相対的なものです。そして日本はGDP世界3位でもトップの資産家は世界41位の柳井正氏まで出てきません。そうです、格差は確かにありますが、世界的に見れば左側の人が言うような格差社会とは言えないでしょう。

Images-1_20190719125101  要は政権批判をしたいがために、格差を声高に言っているに過ぎないでしょう。一度アフリカのエリトリアやソマリア人として、又は中国で農民工として生活してみればよくわかるのではないでしょうか。

 そして問題の本質はその人が努力したかどうかを正当に評価する仕組み作りと同時に、子供時代の環境がその人の経済的地位に影響する傾向があることから、母子家庭や私生児、孤児に対する制度の確立。つまり失った親であれば親と同等の行政の支援、分かれたあるいは生物学的実親に対しては養育支援の強制など、制度上の抜本的改正をして、貧困の芽をつぶすことが肝要だと思います。

 また非正規労働者の生まれた要因、それは諸外国との賃金格差だとすれば、その解消は生産性の向上しかありません。これはかなり難しい課題でしょう。逆にいま日本の一番の問題でもあります。官民一体となって解消しなければなりません。格差社会だと政権批判しても前に進みませんね。その処方箋でも出してもらいたいものです。

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2019年6月23日 (日)

適切か?神奈川逃亡犯の保釈の判断

B9b9c966cf65e786031baa4a922665ab  窃盗罪などで実刑が確定し、横浜地検が収容しようとして逃走していた、神奈川県愛川町の小林誠受刑者が本日、横須賀市内で身柄を確保されました。朝日新聞デジタルの記事から引用します。

 実刑判決の確定後、刑務所に収容される前に無職小林誠容疑者(43)が逃走した事件で、小林容疑者が神奈川県横須賀市森崎のアパートで見つかり、横浜地検は23日午前6時38分、公務執行妨害の疑いで緊急逮捕した。県警が全国に指名手配して行方を追っていた。

 この逃走事件、様々な不手際が指摘されています。主なものは3つ。「収監の不手際」「保釈の判断」「発表の遅延」。以下にFNNPRIMEの記事から引用します。

【ミスその1】収監の不手際
 19日午後1時過ぎ神奈川県愛川町で横浜地検の職員5人と警察官2人が小林容疑者を収監するため自宅を訪れた。すると小林容疑者は「お前らだましたな。準備するから出て行け!」と叫び、突如警察官らに向け刃物を振り回したという。その後、刃物を持ったまま自宅近くに止めてあった黒い車で逃走した。
フジテレビ社会部 平松秀敏デスク:
 地検の職員と警察官合わせて7人も行ったにも関わらず、刃物を振り回されたからといって結局収監できなかった…再三の出頭要請にも応じてもらえず、しかも家庭訪問までして延々と収監できなかった。

【ミスその2】保釈の判断
 小林容疑者は傷害・窃盗・覚醒剤取締法違反などの罪で、2019年2月に懲役3年8か月の実刑判決が確定していたが、その時小林容疑者は保釈中だった。保釈中の小林容疑者に出頭を促すために、横浜地検は複数回自宅を訪れたが接触はできなかったという。
フジテレビ社会部 平松秀敏デスク:
 これは裁判所の判断ミスではないかということは指摘されて当然だと思います。3年8カ月という重い罪が確定している。これは保釈を認めるべきではなかったのではないか。

 FNNの取材に対し最高裁と横浜地裁は、それぞれ小林容疑者の保釈の判断について個別の事件のことには答えられないとしている。

【ミスその3】発表はなぜ遅れたのか?
 小林容疑者が自宅から車で逃走したのが19日午後1時過ぎ。ところが発生から4時間近く経った午後5時前、ようやく横浜地検が小林容疑者の逃走を発表する。緊急配備が敷かれたのは午後5時半ごろで、その直後に相模原南署の近くの国道を走っているところを警察が発見し追跡したものの車はそのまま逃走してしまった。
フジテレビ社会部 平松秀敏デスク:
 緊急配備は迅速に行われるべき、4時間半以上たっているのであれば、これは緊急とは言わない。はっきり言って“不手際中の不手際”と言ってもいいかも知れないです。

 横浜地検は「このような事案を起こしてしまい大変申し訳なく思っています。発表が遅くなって申し訳ありません」としている。

 この記事で指摘されているように、検察の対応に明らかな不手際があり、それが周辺住民に迷惑や恐怖を与え、余計な捜査員の動員を必要とさせた罪は重いと思います。しかし一方、容疑者に保釈を与えたことについても、大いに疑問が残ります。産経新聞デジタルの記事から引用してみます。

 刑事訴訟法は被告らから保釈請求があった場合、証拠隠滅の恐れがある場合などを除き保釈を認めなければならないと規定。「権利保釈」と呼ばれるが、小林容疑者は常習として長期3年以上の懲役または禁錮に当たる罪を犯しており、例外として保釈は認められない。ただ、健康状態や裁判準備など被告の不利益の程度を考慮して裁判官の裁量で保釈を認めることができ、今回は、この「裁量保釈」で認められていた。

E059ead61e480953c4577b41e4904cce  数多くの犯歴などを理由に検察側は保釈に反対していた。それだけに、ある検察幹部は「被告に逃げられた全責任は検察にある」としつつも「何度も実刑判決を受け、逃走や再犯の恐れが極めて高い被告の保釈を許可した裁判所の判断には疑問がある」と話す。

 一方、元東京高裁部総括判事門野博弁護士は「保釈にあたって裁判官は諸々の要素を考えて判断している。再犯防止は保釈を認めない要件に入っておらず、一般的な治安維持の観点で保釈制度を考えるのは良くない」との見方を示す。

 元検事高井康行弁護士は「保釈保証金を納付させ、逃亡するなどした場合に没収することで逃亡を防ぐとの考えだが、最近は逃走したり、再犯に及んだりするケースが増えており、従来の考え方が通用しなくなっている」と指摘する。

714ad1bd3d3f0ffbe2a16e4761c436f9  この引用文から窺えることは、裁判所としては被告の権利擁護に傾いた判断をしていて、検察とは真逆の考え方が目立ちます。裁判所が「裁量保釈」という判断までして保釈をするのは、被告の人権保護に立脚しているからでしょう。以前このブログでも取り上げましたが、裁判所と検察とは司法と行政という明確な対立関係にあり、考え方が違うのはその通りでしょう。

 しかしどう見てもこの保釈については釈然としません。確かに検察の逃走を許した不手際は大いに責められますが、保釈していなかったらこのような住民に大きな迷惑を掛けるような事案は発生しなかった、と言えます。裁判所も被告人の人権だけでなく、被告人の罪状履歴をよく見て、保釈で起こりうる危険性や、それによる被害者のこともよく考えて判断して欲しいと思いますね。

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2019年6月18日 (火)

治安を守るには「性善説」の転換が必要

Shinkiba21  今朝の「とくダネ!」で、京葉線の新木場駅でホームを降り、線路上を歩く男の映像が映し出されました。同じフジテレビの「めざましテレビ」でこれより早く報じられたようです。JCCの記事から引用します。

「騒然・一体なぜ?線路を歩く男・面識のない男女が口論か…」

 JR京葉線の新木場駅で線路を男が歩く映像を紹介。このため運転は見合わせ。電車内は満員となり、ホームには乗客の列が。警視庁によると面識のない男女がホーム上でトラブルとなり、突然線路に飛び降りて歩いて行ったという。そして線路に侵入した男がホームまで戻ってきた。男は駅から約400m先まで歩いていたという。男はその後最寄りの警察署へ。JR東日本によるとこのトラブルで最大45分間の遅れが出たという。

 乗客が映したと思われるスマホによる映像が流れていました。この男の線路への進入と共に、ホームではブザーのような警告音が鳴り、駅員がホーム上でこの男を追いかけ、警告をしていたようです。だが男はそれを無視して歩き続けていました。また別のニュース(ニュース速報Japan)ではこの男は痴漢したと疑われていると述べています。

 このあとMCの小倉氏が「なんで駅員がホームにおりて追いかけないのだろうか」と言っていましたが、本当にそう思います。もちろん一般の乗客が線路内に入るのは法で禁止されていますが、駅員や警備員などの鉄道関係者まで禁止されているのでしょうか。もし禁止されていないとしたら、なぜ降りていってこの違法行為を止めないのでしょうか。

 逆に法で禁止されていると言っても、線路上における身の安全は、近くにいる列車に緊急停止処置を施せば良いし、駅関係者は直ちに線路上に降りてこの男を確保すべきです。そうすれば45分も乗客を待たせることもなかったでしょう。そしてきちんと損害賠償を請求して欲しいと思います。

Globalpeaceindexresultsmap  この例に限らず、日本は違法行為をする人に優しすぎる気がします。もちろん警察国家になれというのではなく、安全な国、治安の良い国というこれまでの評価を覆すような、事件や事案が非常に多くなっているように感じます。

 人質立てこもり事件や、凶悪犯による無差別殺傷事件などの対応は、人命優先が行き届いていて、極めて長時間の説得対応をしているのが見受けられます。もちろんアメリカなどのように、狙撃や即射殺がいいとは思いませんが、余りにも犯人の人権を考えすぎてはいないでしょうか。逆にそのことにより被害者の人権が軽視されることなどあってはなりません。

Download_8  凶悪犯ではなくても今回の例のような事件、店員や役所の窓口における暴言や暴力事件、近隣住民への悪質な迷惑行為、あおり運転や暴走・爆音運転など、もう少し毅然とした対応をして欲しいと思いますね。マナーや道徳が次第に欠落していく日本を見ていると、もはや性善説による、警察等の取り締まり姿勢は転換期に来ていると思います。

 

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2019年6月11日 (火)

なぜ防げない、児童・幼児虐待死

Download-4_2  またも幼児虐待死事件が発生しました。札幌市で2歳の女児が母親とその交際相手の男性に暴行を受けて、今月5日搬送先の病院で死亡した事件です。この事件では児童相談所の対応にかなり不備があったことが分っています。以下に時事ドットコムの記事から引用します。

 2歳の長女に暴行したとして、札幌市の飲食店従業員池田莉菜容疑者(21)らが傷害容疑で逮捕された事件で、市と北海道警は6日、事件前に虐待を疑う近隣住民らから計3件の通報を受けていたことを明らかにした。長女は5日、搬送先の病院で死亡が確認され、札幌市児童相談所の高橋誠所長は「認識が甘かった」と釈明した。

 札幌市によると、昨年9月28日に住民から「育児放棄が疑われる」との通報が児童相談所に寄せられた。児相の職員が同日に家庭訪問し、長女の詩梨ちゃんと面会したが、「体にあざや傷はなかった」として、虐待は確認できなかった。

 今年4月5日にも別の住民が「昼夜を問わず、子供の泣き叫ぶ声が聞こえ心配だ」と通報。児相は池田容疑者に電話したが会えず、4日後に折り返し連絡があった。同容疑者は電話口で面会を了承したが、その後連絡が途絶えたという。

 東京都目黒区で5歳女児が虐待死した事件を受け、国は昨年7月、児相が通告を受けてから48時間以内に子供の安全が確認できない場合、立ち入り調査を行うよう求めた。札幌市の児相は4月に通報を受けた際、このルールを守っておらず、高橋所長は「(昨年の)9月に会っているという甘さがあったかもしれない」と話した。

 一方、道警によると、「子供の泣き声がする」と5月12日夜に110番があった。同15日に警察官が容疑者宅を訪ね、詩梨ちゃんの体を確認したが池田容疑者の説明に不自然な点はないと判断。緊急性は認められないと児相に報告したという。

 この記事によると児相は「認識が甘かった」と言っていますが、認識が甘いのではなく積極的に対応しようとしていないと疑われても仕方ありません。12日夜の近隣住民の通報を受けて、道警が13日夜児相に同行を求めましたが、夜間であったため人繰りが厳しいと返答し、同行しなかったそうですが、逆に夜間であれば誰でもいけたのではないでしょうか。

 そして警察は池田容疑者の説明に不自然な点はない」と判断したと、児相に報告したそうですが、警察の目では虐待の詳細な点は分らず、また幼児をきちんと確認した上での判断かどうか分りません。ですから報告を受けた後でも再確認をすべきだった。そうすれば死に至ることはなかったのではないかと悔やまれます。

 2回目の通報を受けての対応も杜撰です。48時間以内の立ち入り調査のルールも活かされておらず、この時点でもきちんと対応していれば、致死事件の発生は防げた可能性も大きいと思います。

Free_l  今年1月発生した野田市小学4年の女児の虐待死事件でも、教育委員会が女児による「父親によるいじめを受けている」というアンケートを父に見せてしまったり、児相が女児の「お父さんに叩かれたというのは嘘です」「早く家族4人で暮らしたいと思っていました」という文書を「父による強制」だと疑わずに信じてしまったり、きちんと対応していれば防げた虐待死を、未然に防ぐことは出来ませんでした。

 昨年3月発生の東京目黒5歳女児虐待死事件もやはり児相の対応不備があったようです。「AERAdot.」の記事から引用します。

 虐待をしている親は、児童相談所から逃れるために他府県に引っ越すことが多いそうですが、昨年末、結愛ちゃんの親も東京に引っ越しました。香川児童相談所では「指導措置を解除したが、支援の必要はあり、緊急性の高い事案として継続した対応を求めた」としています。しかし品川児童相談所では「緊急性が高いと言う説明はなかった」と反論したと報じられています。

Download_7  どちらが嘘をついているか、より無責任なのかは今の時点では判りませんが、引っ越し早々、叫んでいるような泣き方だという通報が、近所からもなされたようです。

 2月9日に品川児童相談所は結愛ちゃん宅を訪問しています。母親が「関わってほしくない」と言ったということは、重度の虐待のサインですが、すごすごと引き下がっていますが、この時点でも厳正に対処すれば、警察と連携して命を救えたはずです。

 そして2月20日に地元小学校の入学説明会にも結愛ちゃんが来なかった段階で、過去の彼らの履歴と引っ越しと、9日の面会拒絶と数々の教訓を考えれば、結愛ちゃんに何が起きているか、素人でも判断がつくことです。

 このように児童相談所はその仕事の役割と責任をまっとうできていません。その結果と言っていいかどうか、毎年のようにこの虐待死傷事件は発生していますし、減少していません。私はこの児相の問題には二つ理由があり、一つは人員の欠如の問題、そしてもう一つは強制調査権限が弱いというのがあると思います。

 札幌の児相の相談員が、虐待を疑われる家族との信頼関係が必要、と言うようなことを話したと聞きましたが、もし相談員の多くがそう考えているとしたら、強制的な調査は困難でしょう。すべてではないと思いますが、今回の母親やその交際相手の男性は、性善説を持って対応しても、埒はあかないと思います。寧ろ彼らは児相を敵対視しているはずです。

 この問題の根源には戦後の教育や社会風潮があります。公民と言う概念や道徳の重要性をしっかり教え込まなかった教育と、善悪入り交じった情報の氾濫した社会風土が、健全な心の発達を阻害し、ごく一部でしょうがこの事件のような鬼畜のような親を産んでいると考えます。

 したがってこう言う虐待やいじめをする恐れのある親に対しては、性悪説を持って対応する必要があります。「疑わしきは罰せよ」、ではないですが、あらゆる面からその兆候を嗅ぎ取り、未然に防がなければならないと思います。

 ですから児相の中にもと警察官の人を入れたり、警察とより強固に連携したりして、強制調査のやりやすい環境をつくることを望みます。子供はこれからの少子化の中で、まさに金の卵です。もちろん児相だけでなく、社会全体で守っていく必要を強く感じます。

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2019年6月 5日 (水)

またも高齢者の暴走事故発生

Tbs_news3691537_6_thum800  昨夜また高齢者の運転する自動車重大事故が発生しました。NHK NEWS WEBからその記事を引用します。

 4日夜、福岡市早良区で80代の男性が運転する車が猛スピードで逆走して交差点に突っ込み、男性と同乗していた妻の2人が死亡、7人がけがをした事故で、死亡した男性が先月、運転免許の返納について知人に相談していたことがわかりました。警察は詳しい状況や事故の原因を調べています。

 4日夜7時すぎ、福岡市早良区で乗用車が反対車線を猛スピードで逆走したうえ、複数の車と衝突しながら交差点に突っ込み、乗用車を運転していた早良区の小島吉正さん(81)と同乗していた妻の節子(76)さんの2人が死亡し、歩道にいた男性1人を含む男女7人がけがをしました。

 ここ最近高齢者ドライバー運転ミスによる死傷事故が目立ちます。朝日新聞DIGITALによると次の通り発生しています。

・17年5月 大分市で76歳女性の軽乗用車が病院の待合室に突っ込み、17人が重軽傷。女性はブレーキを踏もうとして、誤ってアクセルを踏んだとされる。

・18年1月 前橋市で85歳男性の乗用車が、登校中だった自転車の女子高校生2人をはね、1人が死亡。

・   5月 神奈川県茅ケ崎市で90歳女性の乗用車が歩道に突っ込み、横断歩道を渡っていた4人が死傷。女性は、赤信号にもかかわらず、左折した。

・19年4月 東京・池袋で87歳男性の乗用車が暴走し、自転車の母子2人が死亡、10人が負傷。交差点を走り抜け、通行人やごみ収集車に衝突したとみられる。捜査関係者によると、法定の時速50キロの2倍近い90キロ台後半まで加速していたという。

・   6月 大阪市此花(このはな)区で、80歳男性の乗用車が幼児を含む男女4人をはねる。大阪府警の調べでは、男性はスーパーの駐車場で後進して突っ込んだという。

 今回の事故は、特に今年4月の池袋の暴走事故と似たケースで、いずれも交差点に猛スピードで突っ込み、大惨事となっています。池袋の事故では、運転手は怪我ですみ、被害者2人が死亡しましたが、今回の事故は運転手と同乗者が死亡、幸い被害者は全員命に異常はありませんでした。

 前にもこのブログで取り上げましたが、自動車は運転を間違えると、恐ろしい凶器となります。被害を受けた人は銃やナイフの代わりに、車という凶器で死傷させられることになります。

Th_  それなのに、過失運転と言うことになれば、7年以下の懲役にしかなりません。ただ危険運転致死傷と認定されれば、20年以下の懲役と一挙に罪は重くなりますが、しかし滅多に適用されません。法による危険運転致死傷罪の規定は次の通りです。

・アルコール又は薬物の影響により、正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為(アルコール又は薬物の影響により、正常な運転に支障が生じる恐れがある状態で自動車を運転する行為であって、結果としてアルコール又は薬物の影響により、正常な運転が困難な状態に陥ったもの……第3条)

・その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為

・その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為

・人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為

・赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為

・通行禁止道路を進行し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為

・自動車の運転に支障を及ぼすおそれがある病気として政令で定めるものの影響により、その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転する行為であって、結果としてその病気の影響により正常な運転が困難な状態に陥ったもの(適用対象となる病気は後述)

 この規定によれば、上記のような大事故に繋がる運転をした場合、すべて危険運転に相当すると思われますが、なぜか適用は少なく、殆どが過失運転と認定されるようです。しかし前述のように被害者にとっては、銃や凶器で死傷させられた場合と何ら変わりがありません。これでは被害を受けた方、特に家族が事故死した人にとっては、まさに殺人の被害者と全く同じ状況です。

 こうした危険運転が生じないように、運転手側、自動車メーカー側、道路行政側、そして起こしてしまった事故の処罰、それぞれの改善のアプローチが必要ですが、まずは運転手側の改善が第一です。

 自動車をいくら安全に設計し、自動化を進めても限界があるでしょう。コストの問題もありますし、安全に懲りすぎてセンサーだらけにし、いつでもどこでも止まってしまうような車などにしたら、渋滞は発生するし車の利便性はなくなってしまいます。

 それに自動運転に頼ってしまい、運転技術が低下する恐れもあります。

 また道路行政に関しても、改善の余地はあっても、すべて安全設計の道路に造り替えるなどとしたら、そのコストはとてつもなく膨大になり、現実的ではないでしょう。

 処罰に関しては、法の条文に則って危険運転の適用を拡大すべきだと思います。それによる抑止効果はある程度期待できるでしょう。ただこれで劇的に減るとも思えません。

Download_6  やはり運転手側、特に免許行政からの改善が一番です。事故に関しては高齢者だけでなく、若年者もかなり多く、また30代から50代に掛けても一定の割合で起こしています。ですから年齢を区切ることなく、毎年技能検定を行なうべきです。

 費用や検定員の問題もあるでしょうが、毎年多額の自動車税を取り立てているのでそれで賄うか、必要なら運転者から徴収すれば良いでしょう。

 そして特に80歳を超えたら、更新ではなくて免許は一旦返納し、続けて運転を希望する人は取得申請を必要とし、認知機能検査に加えて必要かつ十分な技能検定を行なって、一定の技能に満たない場合は申請却下とすべきだと思います。

 猟銃等の銃や刀剣の保持には許可が必要です。自動車も一種の凶器ですからこのように運転の許可を厳しくしていく必要があるのではないでしょうか。

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2019年5月14日 (火)

復讐できない被害者

Muroiyuzukikorea  タレントで小説家の室井佑月氏が以前テレビ番組で、韓国の一連の反日行動に対する日本の報復の話題が出たとき、「韓国と同じことをしてもダメ、日本はもっと節度ある対応を取らないと」と言うような、韓国を擁護するような反論をしたのを、見た記憶があります。

 この室井氏、同様にテレビ番組で、「天皇陛下に過去の歴史を謝罪せよ」、などと発言した韓国国会議長の発言に対し、「私は考えてみる余地がある」、と言うトンデモ発言もしています。

 それはさておき、古代バビロニアを統一したハムラビ王が制定、発布した、あの有名な「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典は、いわゆる「復讐法」と言われていますが、近代の法ではもちろんこれは否定されています。

Lguwtkzqq16vath1544597958_15445979731  復讐は日本でも江戸時代までは、武士の階級に於いて「仇討ち」という形で半ば認められてきました。赤穂浪士の逸話は美談だとの評価が高いのは、周知の通りです。

 しかし現代では、個人の復讐は、正当防衛が認められるような特殊な場合を除き法で禁止され、被害者は公的機関(警察や、検察)に加害者への対応を任さざるを得ません。加害者と同様なことをその加害者にしてしまえば、被害者が加害者と全く同じ罪をかぶってしまいます。

 しかしここには大きな問題があります。被害者が受けたと同じ報復行為を、公的機関はやってくれません。正確に言うとやれないのです。憲法が加害者の人権を擁護しているからです。

 つまり、被害者が殴られ瀕死の重傷を負ったからと言って、警察や検察は加害者を重症を負うまで殴り返せません。被害者が殺された場合でも、加害者が複数の殺人を、しかも意図的にかつ残忍な形でやった場合でなければ、死刑になりません。

O0450033714186757459  殺人や傷害事件以外でも、例えば「奈良の騒音おばさん」の事件や、各地で発生している「ゴミ屋敷」事件、また「危険な廃屋の放置」事件、さらには「危険なあおり運転」事件など、近隣住民や他のドライバーに大迷惑を掛けている事案が多くありますが、近隣住民や他のドライバーが勝手に報復処置は執れないので、警察や役所などの公的機関に依頼するしかありません。

 ただこの場合の警察や役所の対応は、プライバシー保護法やその他の法の下で様々な制約があり、すぐには対応できないのが現状です。と言うことは解決されるまで被害者は泣き寝入りせざるを得ない、と言うことで現実もそのような状況です。

 私は、法の下での平等を謳う憲法があるのですから、こうした事件の加害者には、被害者の受けた被害と等価の罪を負わせるべきと考えます(もちろん人権無視は出来ませんが)。つまり殺人には1人でも故意であれば死刑を、傷害にはその傷を治す医療費や、精神的苦痛に対する慰謝料に相当する対価を、懲役での作業に課して被害者に賠償する。騒音や異臭被害等にも、その迷惑料を法で定めて加害者に課す。これで少しは被害者は、平等とは言えないまでも、現状よりは満足度は増すのではないでしょうか。

 そうすれば、それがまた加害者側への抑止力になって、犯罪が減る効果もあるのではないでしょうか。日本では戦前の特高や憲兵の特権捜査の記憶から「羮に懲りて膾を吹く」ようになったためか、犯罪者にかなり優しい気がします。ただそうは言っても、刑法を変えるのには、特に人権派弁護士等から怒濤のように反対意見が出てくるでしょうから、困難だとは思われます。世論に頼るしかないのでしょうか。

5735511_ext_col_03_0  ところで冒頭の室井氏の発言、何故か加害者の人権を優先する、この被害者と加害者のような関係に似ています。つまり慰安婦や徴用工問題で、執拗に日本批判や賠償を要求する、いわば加害者の「韓国の国情をよく考えて、日本は大人の対応をしろ」、そう言っているようです。たとえ韓国が国際法を無視して(つまり国際法違反の国家的犯罪をおかしても)、日本は報復するな、と。

 余談ですが、前大統領の朴槿恵さんは、有名な「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」と言う言葉を残しましたが、今では韓国が加害者、日本が被害者というのは客観的事実ではないでしょうか。

 室井氏に限らず左側の人たちは、概ねこの韓国側に立った論調です。そしてその根底には「戦前迷惑を掛けた国への特別配慮」の思想が色濃く反映されています。いくら謝罪に賠償を繰り返しても、まだ足りないと言い続けています。これは韓国と全く同じ立場です。

 ですから私はこの人達は韓国に帰化されたらいいと、いつも思うのですが、そうしませんね。恐らく韓国に行けば、今のような自由な発言は出来ず、報酬も減るという現実的思考がそうさせないのでしょう。そして韓国には日本のように法の下で平等、と言う概念が薄いことに気づいているからでしょう。

 しかしこれら左側の人が言うように、報復は大人の対応ではない、とは思えません。相手が国際法を犯しているのですから、その報復は認められるはずです。しかし政府がそれをためらうのは、ただ日本が弱腰だからだと考えます。そして背景には憲法9条があるからというのは、自明の理でしょう。そこまで解っているのに、憲法改正が出来ないのは、一つにはこうした左巻の人たちや、マスコミが世論操作をしているからです。そこを何とかしなければ、いつまでもこうした屈辱を味わい続けることになりますね。

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