教育

2020年5月17日 (日)

日本復活の処方箋、次の世代を育てる大人の役割を全うせよ

48079m  今日は政治や時事問題から少し離れて、APU(立命館アジア太平洋大学)の学長である出口治明氏が、DIAMONDonlineに寄稿したコラムを引用します。タイトルは『「最近の若者は…」という大人が大間違いな理由』です。

APUからハーバード&オックスフォード大学大学院へ!?

世界中から優秀な人にきてほしいという話も聞きます。僕が学長をしているAPU(立命館アジア太平洋大学)は学生の約半分が外国人です。とても優秀な学生が世界中から集まっています。

去年の卒業生の総代は、ダイレクトにハーバード大学大学院に入りました。

一昨年はオックスフォード大学大学院に入っています。

地方の私立大学で、ハーバードやオックスフォードの大学院にダイレクトに入るケースはほとんどないと思います。

でも、彼らはAPUにきて、さらに世界の有名大学の大学院を目指します。

僕が「なぜ?」と聞いたら、

 

「欧米のほうが日本より経済成長率が高いから、若い人にもいろいろなチャンスがある。新しいユニコーンが生まれているから、ワクワク、ドキドキする」というのです。

 

世界中から優秀な人にきてもらおうと思ったら、社会がある程度成長し、ワクワク、ドキドキする、新しいものがどんどん生まれる社会をつくっていかなければなりません。

日本復活の処方箋

そう考えれば、日本を再興させる一番いい方法は、日本でも数十匹単位でユニコーンが生まれるようなオープンな社会をつくっていくように、我々大人が頑張らなければいけないわけです。

そうしないと、この国は衰退の一途をたどるだけです。

よく、こんな声が聞かれます。

「最近の若者は新聞も読まない。本も読まない。上昇意欲もない。保守的だ」

でも僕は根本から間違っていると思います。

若者は大人を映す鏡です。

若者は大人をロールモデルとして行動しているので、「今の若者が新聞も本も読まない」のなら、それは大人がその見本を見せていないからです。

若者がリスクをとらないなら、それは大人がリスクをとって行動していないからです。

そういう意味で、人間は何のために生きているかといえば、「次の世代のために生きている」のです。

これは動物としての根本なので、次の世代を育てることが大人の唯一の役割なのです。

そうであれば、大人がまず「人・本・旅」で一所懸命勉強して新しい産業や起業にチャレンジし、みんなでユニコーンが生まれる社会をつくっていくことが根本なのです。

 これは立命館小学校で行われた出口氏の講演のダイジェストと言うことです。私もかつて企業の能力開発部門に籍を置いていたので、教育や人材育成には興味があります。出口氏の言葉の中で「人は次の世代のために生きている」という部分に強く共感を覚えます。

 昨今自分の子供を虐待したり、またはネグレクトする親が増えているのを見たり、それ以前に結婚しない人たちが増えているのを見ると、人間は生き物の一種でありながら、生き物の最も重要な「種族保存」本能を忘れた、いわば絶滅危惧種なのではないか?と感じることもあります。

 私の好きな動物の番組では、時折自己の危険を顧みず子供を守ろう、助けようという親の行動をとらえたものをよく見かけます。人間も本来そうであるはずです。ですから「人は次の世代のために生きている」という考えは非常に重要な考えだと思うのです。

 しかし個人の自由と権利が強調される現在、ともすると親は親、子供は子供と自己を中心に考えるようになり、上述のような親が出て来たり、未婚の人たちが増えてしまうのでしょう。また子供も高校生くらいになると、逆に親を親とも思わない言動をとる子供も出てきます。極端な例では親に傷害を与えたり極端な場合殺してしまったり。

 たまに動物の中にも子育て放棄の親もいるようですが、それは特殊な例です。それに自分の子にまさか虐待をする動物の親はいないでしょう。

 個人の自由の行きつく先が生き物本来の目的、種の保存にも多大な影響を与えているのだとしたら、重大です。実際先進国と言われる国では人口減少が始まっています。そして日本はその先頭をひた走っているのです。

 日本は戦後75年、徐々に今のような形になりました。確かに豊かになり、安全は保たれているようです。しかし多くの人がどうも満足していないようです。出口氏の言われるように「ワクワク、ドキドキする、新しいユニコーンができる社会」とは、少し離れているのかもしれません。それを若い人たちに期待するのではなくまず大人が実践せよ、と出口氏は言っています(小学校での公演が少し気になりますが。)

 私自身新聞や本をよく読み、旅も海外を含めよくしていますが、若い人に「俺の背中を見ろ」と偉そうに言えるものは残念ながらあまりないような気がします。

 ですがこれだけは言いたいと思います。「世の中を批判的にあるいは分析的に見るのは大いに結構。ただしそれが改善に役立つならば。批判のための批判だけは絶対にするな。それでは世の中の改善に何の役にも立たないから。必ず批判や分析の後は、こうしたほうがいいと言え。理由や根拠をつけて」。実はこれ、今の野党の先生方に最も言いたいことです。

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2019年9月24日 (火)

いじめ自殺と戦後教育

1  今回は明治大学名誉教授・入江隆則氏のコラム「いじめと戦う重要性を教えよ」(正論8/30)を取り上げます。最近のいじめは陰湿さを増し、自殺する被害者も増えています。こうしたいじめの要因の一つに、戦後教育があると氏は述べています。以下その記事を紹介します。

 岐阜市立中学3年の男子生徒がいじめを苦にして今年7月にマンションから飛び降りて自殺した。一昨年には兵庫県尼崎市立中学の女子生徒が、いじめられた末に自殺をしたようだし、その前年には新潟県立高校の男子生徒がやはり似たような理由で自殺している。

 報道されることがなく、表面化していない同様な事件の数は多いはずだから、「いじめ自殺」の問題は現在の教育界の極めて深刻な課題の一つといっていいだろう。

 ≪あらゆる人生の段階で≫

 それが重要な問題だというのは、いじめられる側においての「戦うことの重要性」が教育現場においても、あるいはさまざまなメディアでもほとんど意識されておらず、したがって指摘されていないからである。

 学校の校長や担任教師、地域の教育委員会の人々が、もっと早く問題の所在を把握し、いじめをやめさせるようにしていればよかったのにそうしなかったのが悪かった-という点が、すべてだとの認識で、この問題が論議されているような気がする。

 これがなぜ悪いかというと、人間社会のいじめの問題は、単に小中学校や高校においてだけではなく、われわれが生まれて死ぬまでのあらゆる人生の段階で、社会の中に大同小異、常に存在する問題だからである。

 したがっていじめられている生徒への教育としては、彼あるいは彼女に「いじめと戦うことの重要性」を教えることこそが、もっとも重要であるのにそれが理解されておらず、実行されてもいないのである。

 ここで、私自身の少年時代の経験を語ることをお許しいただきたい。私は昭和10年の横浜の生まれである。だから6歳のときに大東亜戦争が始まった。当時国民学校と呼ばれていた小学校の4年生のときに、戦火を避けるため父の生まれ故郷の島根県の山間部に家族とともに疎開をした。

 今では信じがたいことだが、当時その地域には電気もなく、新聞も3日は遅れてくる僻地(へきち)だった。方言も横浜の言葉とは違い、意思もよく通じなかった。体も弱かったので、一対一で田舎の子供と喧嘩(けんか)をしてもかなわない。

 ≪真っ当な声が無視され≫

 峠を越え4キロの道を歩いて小学校に通う途中、毎日十数人の悪ガキによっていじめられていた。崖から下に突き落とされ、「上がってこい」と言われて木の枝や蔦(つた)をにぎって苦労をして崖を上がっていくと、私に向かって並んで小便をしていて、それを頭から浴びるというようなことが日常茶飯だった。こういう具合に散々土地の子供たちにいじめられたので、この状態にどう対処するかというのが大問題だった。

 その時の私がどうしたのかというと、ほかにもう一人いじめられっ子がいたので、彼と相談をして、どうすればガキ大将をぶん殴ることができるかを考えぬいたのである。その結果われわれは少しずつ仲間を増やしていき、ある日その全員で、ガキ大将を殴りつけることができた。それは村の神社の前の広場だったが、今でも忘れられない記念すべき日となった。

 この経験が私のその後の人生の中で極めて重要な原体験になったのはいうまでもない。この時点で「人生に於(お)ける戦うことの重要性」を学んだからである。

 さて話を、冒頭で述べた岐阜市立中学校でのいじめ自殺の問題に戻すが、報道を読む限りでは、いじめられている子供に対して「戦え」という指導は一切行われなかったようである。同じクラスの女子生徒が「私も一緒に戦います。先生、力を貸してください」とつづって提出した事実があったようだが、その至極真っ当な声は無視されてしまったようである。

 ≪戦後教育の深刻な問題隠され≫

 それはどんな時にも「戦うことは良くない」という認識があったからではないかと思われる。なぜそんな認識があったかという点にこそ、すでに75年になんなんとする、この国の戦後教育の深刻な問題が隠されているのである。

 日本における戦後という時代の特色の一つは、「平和、平和」という掛け声があらゆる場面で連呼されてきた時代だった。これはむろん、米国による洗脳だったのだが、そういう背後の状況は隠蔽(いんぺい)されて、広く「平和ボケ」と称される現象が発生し、その原因となった「平和教」とでもいうべき一種の宗教的とでもいうほかない感情が広がってしまった。

 米国によって書かれて、押し付けられた日本国憲法を厳守し、とりわけその第9条を、世界遺産として残そうというような奇妙な運動が起こっているのも、今に残るその残滓(ざんし)であろう。

 昭和時代について書いている歴史家の多くは、日本人の眼で見るのではなくて、敵国だった米国人の眼で見ているケースが多い。だからこそ「東京裁判史観」だとか「自虐史観」によっていると非難されているわけだ。私はその非難を正しいと思っている。悪い慣習を糾(ただ)すことこそが今日の重要課題なのである。

 私も入江氏ほどひどくはありませんが、同様な経験はあります。私の場合も仲間を見つけ、いじめの相手を殴り返しました。いじめやそれに似た行為は、学校だけでなくほとんどの人が経験しているのではないでしょうか。それに対し何もできずに死を選んでしまう、これほど弱い人間はありません。

 入江氏の言う通り9条教信者などは「攻められたら逃げる、逃げ切れなかったら殺されても仕方がない」などと、動物の本能すら失った発言を繰り返しています。そういう人間こそ実際の戦いの場面に遭遇したら、助かりたい一心で逃げまどい、逃げ切れなかったら命乞いをして助かろうとするに違いありません。

 これからは、攻められたら身を守るため戦う、いじめられたらいじめから逃れるために戦う、そういう教えを、学校も、家庭もすべきでしょう。

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2019年6月10日 (月)

教育行政改革と教科書

Maxresdefault-2_2  国の教育行政は2006年第一次安倍政権のもと、それまでの教育勅語に代え現日本国憲法の理念を大きく取り入れた「旧教育基本法」(1947年施行)を改定し、「新教育基本法」を公布、施行することにより、新たな展開をスタートさせました。その前文は以下の通りであり、下線部がその主たる変更部分です。

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

 そして「家庭教育」や「幼児教育」の条項の追加や、第16条には「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」、と記述して教育行政の責任の明確化を謳っています。

 旧教育基本法のもと、戦後一貫して国を対抗すべき権力と見なし、国の働きかけを不当介入と拒絶し、左翼思想に凝り固まった日教組による教育がなされた結果、公共心や愛国心の欠如、伝統や文化の軽視という、どこの国でも教育の大きな目的部分である、重要な部分が欠落した人作りとなっていました。その一つの具体例が国旗、国歌への冒涜です(この対応は新教育基本法より早く、国旗国歌法を1999年公布)

Download-3_2  それらの弊害を除去し、公共心や愛国心をもち、日本古来の伝統や文化を重んじる、豊かな人間性と創造性を備えた人の育成のために、改訂がなされたのです。

 この新基本法は大方の賛同を得られましたが、当然のごとく左界隈、例によって弁護士会が反対の狼煙を上げています。福島県弁護士会の当時の会長岩渕敬氏の声明文の概要を以下に示します。

 「改正」法案は、次に指摘する様に、教育基本法を「権力」を拘束することを目的とした法から、子ども・親・市民に対して命令する法へと、その性格を根本的に変容する内容であり、「改正」に名を借りつつ、実は基本法とは全く異なる目的・理念に基づく新たな法規範の制定を目指すものとなっている。

 そもそも基本法は、教育に対して国家が介入し、一元的な価値観や一方的な観念を国民に植えつける教育が招いた、我が国自身や近隣諸国の惨禍を反省し、教育の根本法規として、子どもが自由かつ独立の人格として成長するために、必要な理念と基本原則を明らかにする法として制定された。従って、当然に、基本法の名宛人は国家等の教育行政機関となっている。基本法の、この教育行政機関を拘束する法規範であるとの性格は、決して変容させてはならないものである。

 これを見ると「教育基本法の第一の目的は教育行政機関の不当介入を拘束するものであり、教育そのものは教育者に任せ口出しするな」と言っているようなものです。その結果が上記の問題をもたらした反省は全くありません。それに戦前の教育が戦争を招いたような物言いが見られますが、戦争はあらゆる要素が入り交じって発生するものなのに、短絡過ぎる考えでしょう。

 それ以外にもいろいろ述べていますが、要は従来の日教組的教育の踏襲を狙っているだけのものです。教育を受ける対象者への人格形成目的や、日本の未来を担う子供たちの育成という観点が抜け落ちています。

 いずれにしてもこの改正を受けて、新しい学習指導要領のもと、「教科書」、特に中学校の歴史や公民の教科書の改訂の動きが、「新しい歴史教科書をつくる会」を中心に始められました。そこで従来の「自虐史観」に満ちた記述を一変し、我が国を愛し、日本の歴史の特色を分りやすく記述した、歴史教科書や、「愛国心」や「公共の精神」を掲げた公民教科書を製作しました。

1235087_1_2_1  ところが文部科学省の検定に合格しても、採用は0.1%にも満たない結果に終わりました(2011年実績)。それはこの教科書採択の手順の複雑さと、採択の慣習にありました。以下に杉原誠四郎氏著の「保守の使命」から引用します。

 例えば採択のためには、検定合格した教科書を見本本として各地の教育委員会等、採択決定者に送らなければならない。文科省の定める規則によれば、例えば「つくる会」の歴史教科書の場合、12,600冊ほど無償で配布しなければならなかった。そして注文を得たところ、つまり採択してくれたところの冊数の合計は900冊であった。

 公民教科書では約600冊の注文を受けるのに同じく12,600冊の無償配布が事実上義務付けられている。これは、明らかに既存の教科書会社の既得権益を擁護する制度であり、教科書発行の新規参加を事実上拒絶した制度である。教科書の改善のために、教科書の新規参入しようとしても、費用の上で参入できなくなっている。

 このような制度は少しでも新規参入がやりやすくなるように、改善すべきである。今のままでは新規参入は事実上不可能である。その新規参入が事実上できないようにしておいて、日教組状態の教科書市場の下、既存の教科書会社はせっせと偏向した教科書を発行して独占的に売り続けている。子供たちや国民のための教科書制度になっていない。

 せっかく教育基本法を変えて新しい指導要領を導入しても、教科書を変えなければ、教師だけで何とかなるものでもないでしょう。日本に蔓延する既得権益による参入障壁のひとつが、ここにも見られるようです。

 教育委員会や校長などの、採択決定者の思想までは完全には変わっていないのかも知れません。いずれにしろ、日教組をはじめとする左翼陣営が作り上げた岩盤を崩すのは、なかなか大変なようです。

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2019年4月27日 (土)

日本の良さを失わないための教育を

Hqdefault-1  私が中東のある国に滞在中、日本の良さを紹介する映像が人気を呼びました。10年ほど前のことです。

 その映像に映し出された日本は、「財布をなくしても拾った人が交番に届けてくれて、持ち主に返る」「街にゴミは殆どなく、道路も汚れていない」「電車やバスに乗るときも、買い物でレジに並ぶときも、順番はきちんと守る」等々、その国では正反対の事実に対し、啓発するための教材のような位置づけで、取り上げられていました。

 また日本に好意を持つ外国人から、「日本は犯罪が少なく、安全だ」「交通マナーが良く、信号や停止線を良く守る」「店舗やレストラン、ホテルなどの接客対応が凄くいい」「交通機関の発着時間がきちんと守られている」など、日本のいいところの褒め言葉が続きます。

 しかし昨今増加傾向にある様々な出来事が、このような伝統的な日本の良さを、潰して言っている感じがしてなりません。

 その一つが、多発する「相手は誰でも良かった」という、殺傷事件。加えて親子殺人のような親族殺人事件。子供や女性を狙った、通り魔的暴行事件。また実の子や義理の子に対する幼児虐待事件。これら、日々の生活の安全、安心を揺るがす事件です。

 またモンスターペアレント、モンスターカスタマー、モンスターペイシャントと言われる、いわゆる顧客等の立場を利用した唯我独尊の言い掛かりや暴言、これも良く聞くようになりました。

 それに最近報道を賑わしている、あおり運転、また高齢者の暴走事件。交通マナーの崩壊が部分々々で起きつつあります。

10516675_544811868963789_317087367106801  観光地でのゴミの持ち帰りについても、それを無視する人が増え、富士山などあちらこちらでゴミの問題が発生しています。

 更にSNSを利用した、マナー違反行為のアップロード。コンビニやレストランの従業員が、その店の信用を傷つけています。

 日本全体としては、まだまだその良さは辛うじて維持されていますが、そこここにほころびが出始めていると言っていいでしょう。原因は様々でしょうが、戦後教育の欠陥部分、情報過多の影響、生活の豊かさの悪影響、核家族化、政治や行政の怠慢、それらが長い間積み重なって、日本の美点の毀損に繋がっているのでしょう。

 私も外国に滞在したり、旅行したりして、日本の良さを体感してきました。そう言う意味では、日本人が海外に足を向けるのは、いいことだと感じています。願わくば、その際ただ観光だけでなく、その国の生活慣習に触れて、日本の良さを実感できればいいと思います。もちろん同時に、その国に日本にはない良いところも発見し、日本に持ち帰っていただければもっといいでしょう。

 私も、薬を必ず医師の処方箋がないと買えないと言うように、医療制度面で日本は患者には不自由な制度となっているとか、身の回りの土地や建物に対し、国民が皆無防備になりすぎていて、外国人の居留地化しているとか、幾つかの日本の改善すべきところがあることも、体感しています。

Cxgetjguqaax25k  いずれにしろ、その国の慣習は、長い間に積み重ねられた国民の生活習慣や、ものの考え方の発現したものでしょう。そしてその元の多くは教育環境にあると思います。もちろん学校教育のみならず、家庭や社会での教育も重要です。海外を見るのも、本を読むのも自己啓発という教育でしょう。

 韓国の反日は教育の結果です。中国もそれに近い。日本は戦後自虐を教え込み、反日人をかなり生みました。このように教育は思想信条の形成や生活習慣にも影響を及ぼします。

 日本の良さを失わず持続していくためには、日本の伝統とも言うべきその要素を取り出し、その要素を意識して次の世代に残せるよう、教育環境を整えていくことも肝要だと思いますね。

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2019年4月16日 (火)

東大入学式、「祝辞」を利用した「持論」のスピーチか

Photo_1  今月12日、平成31年度東京大学入学式に於いて、名誉教授の上野千鶴子氏の祝辞がありました。氏はまず東京医科大不正入試問題を取り上げ、選抜試験に不公正な男女の差別があったことから話をスタートしています。しかしこの差別は医学部特有で、他の学部には見られないとも述べています。

 続けて東大の入学者の女性比率は2割以下であって、それは女性の方が浪人を避け余裕を持って受験先を決める傾向があり、東大には女性の方が優秀な人が受験していることになる、と男子への逆差別発言が垣間見られます。

 ところが4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%で7ポイントも差がある。つまり「息子は大学まで、娘は短大まで」で良いと考える、親の性差別の結果と断じています。本当に親がそう決めているのでしょうか。

 パキスタンのノーベル平和賞受賞者マララさんの話を引用し、彼女が「女子教育」の必要性を訴えたと言う話から、「それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。」と述べていますが、女性差別が宗教的に極めて激しいイスラム国家と、日本を同じ土俵で比較するのには、非常に違和感を覚えます。

 マララさんのお父さんが「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えたと言います。それに続けて上野氏は「そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです」。これはパキスタンの現状を述べているのでしょうか、それとも日本の現状としてそれを当てつけているのでしょうか。

 その後も「合コン」で東大男子学生はもてるのに、女子学生の場合、退かれるからと言う理由で「東大生」と素直に答えられない、と言った事例を出して、女性の場合は成績の良さと価値が一致しないと述べていますが、とても全員がそのような行動を取るとは思えません。

 東大で女子が入れないサークルがある、この一例から東大にも性差別があると述べています。そして社会に出ればもっとあからさまな性差別横行しているとも述べています。私も確かに性差別はあると認めますが、横行しているとまでは思えませんし、多くは男女がもっている身体的能力の違いによる区別でしょう。スポーツの世界など男女は区別されています。

Hqdefault  更には「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」

 続けて「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。」

 男女差別論から社会の不公正に論を転じ、なぜか努力を社会が潰してしまうような印象操作をしているようにも思います。最後に「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」と述べて、軌道修正していますが、人によっては上から目線の役人根性的発言という意見もあります。

 いずれにしても賛否両論有り、賛同意見もネットでは多く見られます。一方入学の祝辞には相応しくないという意見も多くありました。

 私は率直に言って、この機会に男女差別を取り上げ、社会の不公正さを訴えたい、スピーカーの意図を強く感じました。上野千鶴子氏は京都大学在学時代、全共闘の活動家でマルクスに強く 影響を受け、またその活動の中で男女差別を経験した結果、マルクス主義フェミニストとなった経緯があります。したがって、祝辞よりむしろ持論の展開が目的でこの機会を利用したように思います。私の立場からは東大の新入生、特に人生経験もあまりなく女性差別を意識も経験もしていない男子学生には、意味不明なスピーチだったように思えます。

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2019年3月 1日 (金)

韓国の反日教育の実態は凄まじい

 3月になりました。1ヶ月間お休みしましたが、又筆を執ることにしました。またよろしくお願いします。

 本日3月1日は韓国における1919年の3.1運動の100周年記念日に当たります。日本の統治開始後9年が経過したその年、大韓帝国初代皇帝の高宗が亡くなり、その葬儀に合わせ民族代表として33名の宗教関係者が「独立宣言」を読み上げることを計画し、それが発端となって発生した大規模デモです。

 日本の統治即ち「日韓併合」は、当時の国際情勢や大韓帝国政府の統治能力のなさが理由となって、両国の間で条約を介しての国際法上は何の問題もない統治であったのですが、一般の朝鮮国民にとっては外国に統治を委ねることに関しては、屈辱感があったのは当然のことでしょう。

 その意味では独立運動が起こるのも、ある意味必然と言っていいでしょう。しかしそれが今日まで永遠の記念日として各種のイベントが開催され、かつ「反日」のシンボルとして国民運動になっているのは、その対象である日本としては愉快なものではありません。

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 この記念行事に限らず、慰安婦や徴用工問題など、韓国の反日は異常ですが、その理由の大きな部分を占めるのが、「反日教育」にあるのは論を待たないでしょう。

 韓国人の多くの学者や歴史家が一様に述べているのが、「日帝による植民地時代の圧政、蛮行」です。その多くが事実を誇大化し、ねじ曲げ、捏造までして、物語を作り上げ、教科書に組み込まれています。小学校から大学まで、「歴史」教育のみならず、「国語」、「道徳」、「音楽」の教科書で「反日」を学び、学校のみならず、「博物館」で「イベント」で「公務員試験の問題」で、と言うようにありとあらゆる機会で「反日」を叩き込まれます。(韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態-崔碩栄氏著 参照)

 教科書と言えば、日本の教科書の検定に「周辺国配慮」基準などという、属国にされたような基準がありますが、韓国の教科書はその「真逆の基準」で作られていますね。最近は「独島教科書」という竹島だけを取り上げた教科書も出ているそうです。日本が「竹島教科書」をつくったら韓国は何というのでしょうか。

 このように子供時代から大人になってまで「反日教育」を受け続けた韓国人が「反日」にならない方がおかしいですよね。戦前の統治時代の事実を知っている人たちはかなり少なくなり、戦後の教育を受けた人、特に金泳三大統領時代の1990年以降の教育を受けた人たちは、朝日新聞の慰安婦捏造報道と共に、戦前の日本の蛮行を入れ知恵され、完璧な反日軍団となっています。韓国の20代の8割が「親日残渣を清算すべき」というのは、まさにこの教育の所為でしょう。

 しかし韓国の学者や韓国系のアメリカ人、またそれに同調する人たち(日本人の中にもいます)が、なぜこうまで朝鮮人が日本の統治時代、圧政、蛮行を受けたと言い続けるのでしょうか。その理由は恐らく当時日本を下に見ていた小中華の朝鮮人が、まさかの日本による統治を受けざるを得なかった屈辱感、これが大きいのだと思います。そして大韓帝国の千年の恨みとなって、今でも日本叩きを続けるのでしょう。

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 ジョージ・アキタ、ブランドン・パーマー氏共著による「日本の朝鮮統治を検証する」に詳しく述べられていますが、日本の統治時代は朝鮮人を差別せず、インフラの整備や教育の機会を広げ、農業や工業などの産業の発展に努め、様々な制度改正をしたことが示されています。そして韓国人学者の中でもそれを認める人もいることも事実です。

 ただ、現在の文在寅大統領は親北反日の徹底した大統領ですから、彼の任期中は反日の嵐が吹きまくるでしょう。もっとも彼が大統領でなくても、以上述べた反日教育が続く限り、韓国は決して友好国とはなりません。それを日本人はよく理解して、この国に対応すべきでしょう。特に日本の政治家は。





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2018年10月19日 (金)

日本の教育について考える

 教育は将来の日本の安全と豊かさを担保する、重要な手段の一つであると言えるでしょう。従ってその入り口である学校教育をどう企画、運営し、その結果をどう反映していくかが、まず第一に問われることになります。

 1947年3月、教育勅語に代わって教育基本法(旧法)が施行され、小・中学校は原則男女共学となり、国公立学校での宗教的中立が規定されました。それより前の1945年12月には、GHQの指令により「民主化」の一環として教員組合(とりわけ主に、日本教職員組合、いわゆる日教組)が編成されます。

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 また戦前の思想に固まった教員の大量追放に伴い、この日教組の主流は大きく左翼思想に傾き、主権回復後も戦前の日本を軍国主義として過度に批判し、国旗、国歌を認めず、義務や道徳を軽視し、憲法の規定する自由や権利を主張する教育を推し進め、また政治運動にも大きく関与していくようになりました。

Clm15103114010005p1  いわゆる団塊世代がこの教育の強い影響を受け、彼らが大学生になった70年安保当時に、日共系、反日共系全学連(マル学同革マル派、中核派、社青同解放派等)が組織され、各大学を拠点に反安保の暴力的学生運動を展開しました。しかし彼らを第1世代とした日本は、彼らの大学卒業後は戦前生まれの上司の指導の下、企業戦士となり高度経済を引っ張って行くようになります。

 だが彼らの子の第2世代、いわゆる第2次ベビーブーマーの時代になると、社会の指導層は団塊世代となり、戦後教育のリベラル思想をリーダー、フォロワーとも共有するようになります。そういう社会になって個人主義が行き渡り、地域社会の協調意識も薄らぎ、核家族化が急速に進んで、さまざまな弊害も生まれてくるようになります。経済も第1次、2次オイルショック、バブル崩壊と続き、高度成長の終焉を迎えることになります。
 
Mig  また社会全体が豊かになり、個人の生活の優先からか、急激に結婚しない、結婚しても子どもを産まない世帯が増えていきます。加えて中学、高校で学級崩壊が続くようになり、いじめも陰惨となり、不登校も増加してきます。更にはゆとり教育の弊害で学力が低下し始めて、少し前の状況(平成生まれの第3世代と呼びます)に至っているのが現状です。

 一方組織率大幅低下で、日教組のパワーも下火になり、また2006年ようやく教育基本法も改定されましたが、先進国の中でも最も将来に希望を持てない若者の率が高いという、豊かさとは矛盾した現象が起きています。甘えと自立心の欠如の構造が顕著に表れているように思えます。

 こういった状況の下、行き過ぎた自由や個人主義の転換、現状改善のための自立心や論理的能力の向上、またそれを支える教員の質の向上等課題は多く残っています。
  
 教育行政を預かる文部科学省においては、教科書検定や学習指導要領の策定を通じて、高校までの教育内容の指導を行なってきましたが、その行政内容に一貫性があまりなく、その時々において、いわゆる世論の影響を受けて、右往左往している面も多々あります。さらに最近になって文科省幹部の不正が表に出て来て、文科省自体の省内改革が待ったなしの段階に来ていると言えます。

Sirabee20180901yutori600x404  こうした教育環境の悪化を挽回すべく、最近になってゆとり教育の反省や、歴史教育や道徳教育の強化、いじめや無気力の背景にある問題への対応を、真剣に取り上げるようになってきたのは事実でしょう。ただ一昔前に、甘やかされて育ったその親の再教育も、問われているのが現状ではないかと思われます。また核家族化や近隣住民の無関心化と言う社会の変化も、子供の教育には逆行しているように思われます。

 教育は家庭、学校、社会の三位一体となった指導が必要です。その連携への施策も待たれます。そして自立を以て行動し、とにもかくにも人には迷惑をかけるな、これだけは家庭、学校、社会で徹底して教育してほしいものです。

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