憲法

2022年2月 3日 (木)

石原慎太郎氏逝去、日本を愛し復活を願うその意思を継いで、憲法改正を

76kvzow775ln7mnzixjorumhb4  石原慎太郎氏が逝去されました。日本の偉大な保守の重鎮を失った悲しみは大きく、心からお悔やみを申し上げます。石原氏は常に日本を愛し、戦後弱体化された日本の復活を念じて、作家として、政治家として、その生涯を捧げてきました。

 その石原氏が産経新聞紙上にて、都知事就任直後の1999年11月より、月一回ペースで連載してき特集記事「日本よ」があります。その中で今回は、最近の産経NEWSが掲載した、2017年5月3日の記事を取り上げます。タイトルは『白洲次郎が明かした「吉田茂の最大の間違い」とは? あてがいぶちにすぎぬ憲法を考え直す季節が到来している』で、以下に引用して掲載します。

 ◇

今ようやくその改正を問われている日本国憲法の生い立ちについて、大方の国民が忘れていると言うより迂闊に知らずにいる歴史的事実があることをこの今こそ思い起こすべきと思われる。それは共に同盟国として敗戦し連合国に降伏したドイツと日本の敗戦に際しての姿勢の決定的な違いについてだ。未曽有の新兵器原爆によって瞬時に二度も数十万の市民を殺戮されて腰を抜かした日本が無条件降伏をしたのに比べて、ドイツは降伏に際してあくまでも三つの条件をつけ、それが受け入れられぬ限り徹底して戦うと主張した。

その三つの条件とは第一に、敗戦の後の国家の基本法の憲法はあくまでドイツ人自身の手によって作る。第二は戦後の子弟の教育指針はドイツ人自身が決める。第三はたとえ数はごく少なくとも国軍は残すというものだった。

この国家民族の主体性を踏まえた主張は勝者の連合国側にも受け入れられ、ドイツは他国による完全支配を免れた。それに比べ日本は他国による奴隷的な支配の甘受を許容することになった。その国家民族の没個性的な状況を象徴するのが現憲法に他ならない。

混迷し、暗黒だった中世が終わった後の世界の歴史は白人による有色人種への一方的支配だったが、唯一の歴史的例外は日本という国家の存在だった。白人による他地域への支配を象徴する強大な帝国海軍を保有した有色人種の国家は唯一日本であり、世界一巨大で強力な戦艦『大和』や『武蔵』を保有するに至った日本は白人支配に対する歴史的『NO』を示す目障りな存在だった。アメリカによる戦後の日本支配はその復活を半永久的に封じるためのものに他ならなかった。それを象徴するものが彼等が即製し強引にあてがった現憲法に他ならない。

白洲氏「吉田茂の最大の間違い」

今は亡き江藤淳がアメリカの戦後日本における言論統制を痛烈に批判した論文『閉ざされた言語空間』にあったように日本人の正統な日本語による為政者への統制批判を封じるものの象徴的存在は、間違った日本語で綴られた前文に始まる憲法に他ならない。かつてシェイクスピアを全訳もした優れた英文学者でもあった福田恆存が指摘していたように憲法の前文には明らかに慣用の日本語としては間違いの助詞が数多くある。たかが助詞と言うなかれ、一つの助詞は言語の本質からしてそれ一字だけで文章全体の品格を左右しかねないものなのだ。

文章の芯たる助詞の誤訳

かつてドナルド・キーン氏であったろうか、昔の優れた叙景歌人だった永福門院の名歌『真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消え行く』を翻訳して見せられた時、なるほどと感心して読みなおした私に、「でもあそこの一字だけはとても難しくて、英語に訳すのはまず無理ですねえ」と慨嘆してみせ、私も「あれは難しいでしょうな」と相槌を打ったものだが、ここの禅問答みたいな会話の芯は夕日の影ぞの、「ぞ」という間投詞の味わいなのだ。この歌は夕日の影「も」でも成り立つが「ぞ」という助詞一字の味わいがなくしては帝の寵を失った女の悲しみは伝わってこない。それほど助詞というものは文章を支える芯の芯にも値するものなのだ。しかしアメリカ人が英語で即製して日本語に翻訳した憲法にはわれわれが日常使う日本語としてはなりたたないような助詞の誤訳が随所にある。

例えば多くの問題を含む九条を導き出すための前文『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した』という文言の「公正と信義に信頼して」の一行の助詞の『に』だがこれは日本語としての慣用からすればあくまで『を』でなくてはならず誰かに高額の金を貸す時に君に信頼して貸そうとは言わず君を信頼してのはずだろう。さらに後段の『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ』云々の『から』なる助詞は『から』ではなしに慣用としては恐怖『を』免れのはずだが英語の原文の前置詞がFROMとなっているために『から』とされたに違いない。

たかだか僅かな助詞の話ではないかと言う筋も多かろうが正統な国家の正統な基本法はあくまで正統な国語で綴られるべきであって、この日本語の体をなしていない前文なる文章は、悪さをなして先生にひどく叱られ恐縮してひたすらにお詫びする生徒の卑屈な姿勢を象徴しているといわざるを得ない。日本がひきおこした太平洋戦争についてナセルとスカルノは期せずして同じことを述懐していたものだった。曰くに『われわれが独立を果たすことができたのは、敗れはしたが日本が白人とあれだけ戦ったという事実のおかげだ』と。日本という有色人種による軍事国家の誕生が中世以来の白人支配という歴史の原理を変えたことは間違いない。それは歴史の本流を歩んできた白人たちにとって看過できぬことだったに違いない。そうした歴史観に立ったかつての為政者によって現憲法が一方的に作り与えられたことは間違いない。われわれが拝領させられた憲法の歴史的な背景を考えれば民族の主体性が及んだ痕跡などどこにもありはしない。

読み直し考え直す季節だ

私は幸いにしてごく若く世の中に出られたおかげで当時まだ存在していた文壇なるものにも顔が出せ、さまざまな行事を通じて多くの先人たちとまみえることができたが小林秀雄と親交のあった白洲次郎氏ともゴルフの会などで親しく話す機会も得た。そんな会話の中で印象的だったのはかつて吉田茂総理の側近中のだれにもまして側近だった白洲氏が、「吉田茂の犯した最大の間違いは自分も同行していったサンフランシスコの日本の独立がみとめられた講和条約の国際会議でアメリカ制の憲法の破棄を宣言しなかったことだ」と言ったのは極めて印象的だった。

この現世紀にいたって日本を囲む諸状況は緊張を増し新しい危機の到来が予感される今日だが、はたしてわれわれは今の憲法を墨守しそれを与えたかつての支配者にすべてを委ねることで国家民族の主体性を保持できるのだろうか。『天は自ら助くる者をのみ助く』という人の世の原理をわれわれは今ようやく憲法を見直すことで思い起こすべきではなかろうか。

現憲法にはその成立の過程を含めて日本という国家の主体性を疑われる節が多々あることは否めない。だけではなしに官僚支配という民主国家としての体質を損ないかねぬ条項がいくつかあるのだ。例えば予算を通じて官僚が国民を欺きかねぬ事態を保証している国の会計監査に関する第九十条は『国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し』とある。役人が役人たちの税金に関する所行を検査してその矛盾を厳しく指摘するなどということは考えられまい。そのせいで今もってこの日本だけは国家の会計制度は先進国の中でいまだに非発生主義の単式簿記という体たらくで、特別会計制度なる利権の巣窟が温存されつづけているし、まさに藪の中の体たらくで役人天国の温存にもなりかねまい。それらこれらも含めてわれわれはようやく本気であてがいぶちでしかなかった憲法を、われわれの子孫の繁栄のためにも、自分の目で読み直し考え直す季節が到来しているにちがいない。

 ◇

 私もこのブログで、弱体化された日本の復活を願って、様々な記事を取り上げてきました。復活を妨げる勢力の実態や、復活を支援すべき官僚や政治家の不作為の実態なども、指摘して来たつもりです。

 しかしそうした勢力の存在や不作為などより、もっと重要な問題が、石原氏も主張されている、現憲法の存在でしょう。しかも戦後一切改訂されずに、占領時戦った相手でかつ完膚なきまで敗れ去った米国によって、日本を弱体化し二度と刃向かうことのできないように作られた憲法を、何とかしなければなりません。

 石原氏のご冥福をお祈りすると共に、彼の意志を継いで、岸田政権が口先だけでなく、本気で憲法改正に取り組むことを願ってやみません。

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2022年1月21日 (金)

和田政宗氏:憲法改正、「やるやる詐欺」は許されない!

26939_20220120115001  このブログの論点の一つは憲法改正です。過去何度も取り上げてきました。しかし未だに国会での議論は進んでいません。憲法審査会では、〇〇首相の元では改正審議に乗らないとか、国民投票の制度がどうとか、主に反対の党の意見に振り回されてきた歴史があります。

 国民主権を謳った憲法の、中身の検証の判断は国民に委ねられるべきです。その国民の半数以上が改正に賛成であり、かつ議員の過半数が賛成党に属していながら、国会発議どころか、その前段の審査会さえまともに開催できないのはなぜでしょうか。 

 そのあたりの状況を、自民党参議院議員の和田政宗氏が、月刊hanadaプラスに投稿した記事から見てみましょう。タイトルは『憲法改正、「やるやる詐欺」は許されない!』(1/19)で、以下に引用します。

21年11月、吉村洋文大阪府知事から「党是で改憲、改憲と言っているが『やるやる詐欺』だろう」と批判された自民党。「憲法改正推進本部」から「憲法改正実現本部」へと名称は変わったが、岸田政権は本気で憲法改正を実現しようと思っているのか。本音で語れる政治家、和田政宗議員が憲法改正への決意を語る!

************

戦後レジームからの脱却を

今年は寅年で私は年男。この先12年を含め、政治家として何を成し遂げていくかを改めて考えた。

国会議員になってからずっと取り組んできた不妊治療の保険適用は今年4月から始まる予定だが、もっと大きなテーマについては、政治家として生きるなかでもしかしたら一つしかできないのかもしれない。だからこそ絶対に大きな一つのテーマは確実に実現しなくてはならないと決意した。

では、それは何か。私は憲法改正をはじめとし、真に戦後レジームから脱却した日本の実現と考える。現状はいまだ戦後を脱したとは言えない。

ある友人が昨年こんなことを私に言った。彼は寿司職人として米国に移住し、日本国籍から米国籍になった人物である。

「和田さん、いざとなったら俺は尖閣に移り住むよ」

私が「なぜそんなことを急に言うの?」と聞くと、「俺は米国籍だろ。もし尖閣に住んで中国に攻撃を受けたら米国政府や米軍は絶対に私を守りにくる。日本が守れないなら俺が行く」と答えた。

私は情けない気持ちになった。彼のみならず他の米国の友人も、国を圧倒的に信頼している。世界のどこで戦乱や災害に巻き込まれても、いざという時は国が絶対に自分を守ってくれる、助けてくれるという信頼である。

世界でも珍しい憲法の構造

ひるがえって日本はどうか。世界のどこかで誘拐されたり、戦乱に巻き込まれたりしても絶対に日本政府が救いにきてくれると思う日本人はどれだけいるだろうか。

北朝鮮による拉致被害者の方々はいまだに救出できていない。国際法では、自国民を自衛権を行使し救出することが可能であるが、日本は憲法上の制約があり救出ができない。憲法上、世界のどこかで困難な状況におかれた日本人全てを我が国は救えないのだ。

国家は国土を守り国民を守るためにある。こう述べるときになぜ国土が先にくるかといえば、国民の命を軽視しているわけでは決してなく、国土が存在しなければ「国民」は存在しないからである。我が国はそうした国家の使命を果たせる状況になっていない。憲法が大きな足かせとなっているからだ。

実は、我が国は世界でも珍しい憲法の構造になっている。それは憲法に、いざという時にどのように国を守るかが明記されていない点である。

こうした国は日本のほかに、クック諸島、ニウエ、モナコの3カ国しかない。なお、ニウエは南太平洋の小さな島からなる国で人口1860人、クック諸島も南太平洋の島々からなる国で人口2万人、モナコは人口3万8千人と、いずれも国土は小さく、人口も4万人以下の国である。

一定の国土と人口規模を持つ国で、憲法にいざという時に国を守る手段が記されていないのは日本だけなのだ。

もう議論の入口の段階は過ぎた

よく非武装国として例示されるコスタリカやパナマは、いざという時にどのように国を守るか憲法に明記されている。コスタリカ憲法には「国防のため軍隊を組織できる」とあるし、パナマ憲法には「全てのパナマ人は、国家の独立および国の領土を守るために武器を取ることが求められる」とある。

これに対し、他国の領土を掠め取ろうとしたり、攻撃したいと考える国からすれば、反撃できるかどうかすらわからない憲法を持つ国は、攻撃するのにどれだけ楽か。これでは、国土と国民を守れない。

であるならば、速やかに憲法を改正すべきであるが、戦後80年が迫ろうとする現在にあっても憲法改正は実現できていない。

岸田政権が発足し、自民党の「憲法改正推進本部」は名称が「憲法改正実現本部」となった。そして岸田総理は、今月17日の国会での施政方針演説で、「国民的議論を喚起するには、われわれ国会議員が国会の内外で議論を積み重ね、発信していくことが必要だ」と述べた。

国会内外での議論を積み重ねることは重要である。しかし、もう議論の入口の段階は過ぎたのではないか。

自民党がいかに覚悟を持って決断するか

Hw414_as20180412003899_comm 自民党は、すでに4年前に憲法改正の条文イメージ(たたき台素案)を発表している。国会の憲法審査会において、憲法改正が必要と考える各党が具体的な条文案を提示し議論すべきではないか。これは当然、第一党である自民党が引っ張るべきであり、自民党がいかに覚悟を持って決断するかである。

憲法改正の発議の提案、すなわち改正条文案の提出は、憲法審査会が行う提出のほかに、実は国会法において、1人の提出者に対し、衆議院で100人以上の賛成または参議院で50人以上の賛成があれば、国会に提出できる。

憲法改正原案を提出すれば、国会の審議に正式にかけられるわけであり、採決が行われ発議されれば、国民投票となる。自民党は憲法改正原案の提出に必要な議員数はいるわけであり、自民党がどう行動するかに全てがかかっているのである。

中国の覇権的行動などを考えれば、猶予はない。岸田政権は「憲法改正実現本部」の名の通り、今夏の参院選では憲法改正を前面に掲げ、勝ち抜かなくてはならない。「国民的議論の喚起」も我々自民党がいかに行動するかである。

そして、憲法改正の先には、北朝鮮による拉致被害者の奪還、さらには対等な日米同盟へと変えていく。戦後100年を迎えるのは令和27年(2045年)。確実に戦後レジームから脱却し、戦後が終わり、誇りある輝く日本となっているようにしたい。

 ◇

 和田氏の言うとおり、憲法審査会が改正案を提出しなくても、「国会法において、1人の提出者に対し、衆議院で100人以上の賛成または参議院で50人以上の賛成があれば、国会に提出できる」、とあります。なぜ審査会の議論が進まないのか、と言う問題を超えて、議論が進まなければなぜ国会法を元に国会に提出しないのか、と言う疑問もわきます。

 それは最近話題になった「佐渡島の金山」の世界遺産登録申請が、「韓国からの批判」に怯えて外務省が及び腰になり、見送りとした件に顕著に見えてきます。つまり相手の批判に反論せず逃げ回る政治家や官僚の態度です。相手が中韓などの外国でも然り、そして国内では野党相手でも然りです。つまり腰が引けた閣僚や官僚が、そこにいるからです。

 和田氏の指摘の通り、この憲法がいかに日本を弱体化し、国際的な発言力や国民の安全の担保を奪ってきたかは、明らかなところでしょう。櫻井よし子氏のよく言う言葉、「覚悟を持って」事をなさなければ、憲法改正はできません。よく言う「丁寧さ」も必要ですが、それが外交においては「韓国の増長」を許してきたし、国内では「特定野党」の増長を許してきたのです。

 これ以上の日本の弱体化を食い止めるためにも、日本人の手で改正した憲法を持って、日本人のために「強い日本、たくましい日本」に変えていく「覚悟」を、岸田政権に強くお願いした、そう念じて止みません。

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2021年6月29日 (火)

戦勝国からお仕着せられた憲法、その背景(2)

20  今回も前回に引き続き、日本国憲法の制作背景です。前回は現憲法がGHQの手で作られた経緯を矢部宏治氏の著書『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』から引用しました。今回はその続きとして、憲法前文や9条の条文がどこからどのように組み込まれたのか、同著書の一部を引用して解き明かしたいと思います。

憲法9条のルーツをたどる

 憲法9条の問題について調べていくと、やはり「ポツダム宣言」や「降伏文書」とまったく同じ問題に直面します。つまり私たち日本人は、9条というこの憲法上の問題について、基本的な文書をまったく読まずにこれまで「議論」してきたのです。

 その代表が、「戦後日本最高の知識人」として名高い丸山其男なのですから、何とも複雑な思いがしますが、そのことについては本章の最後でお話しします。

 日本国憲法について、それが国連憲章との強い関連のなかから生まれたという話は、比較的よく知られています。

 だとすれば当然、憲法9条や憲法前文について少しでも論じようとするなら、それらの条文が、国連憲章のどの条文にルーツがあるのか、さらにその国連憲章の条文はそれぞれどこにルーツをもっているかについて、まず調べる必要があります。

 そうすれば私のような門外漢でも、国連憲章を語るには最低でも次の①から④までの四つの段階の条文を読まなければならないということが、すぐにわかるのです。

戦後の世界のかたちを決めた大西洋憲章

 詳しくは『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という本に書きましたので、ここでは全体の流れだけを、ざっとご説明しておきます。

 まず、まだ太平洋戦争が始まっていない1941年8月14日の段階で、当時のフランクリン・ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が、まもなくアメリカが対日戦に参戦することを前提に、

Chtotakoeatlanticheskayahartiyapodpisani  「米英が理想とする戦後世界のかたち」を宣言した二ヵ国協定を結びます。それが大西洋憲章です。

 翌1942年1月1日、米英はその大西洋憲章にもとづき、ソ連と中国(中華民国)を含めた26ヵ国の巨大軍事協定を成立させ、第二次大戦を戦う体制を整えます。その参加国をあらわす言葉が「連合国」(United Nations)で、協定の名が②連合国共同宣言です。

 その後、さらに参加国を増やしながら第二次大戦を戦い、連合国の勝利が確実になった1944年10月、米・英・ソ・中の四ヵ国で国連憲章の原案である③ダンバートン・オークス提案をつくります。

 そしてヨーロッパ戦線の戦いがほぼ終了した翌1945年の4月から6月にかけて、③の条文をもとにサンフランシスコで50ヵ国が会議を行い、④国連憲章をつくります。その結果、同年10月に51ヵ国が参加して、軍事上の国家連合から平時の国際機関に衣替えした「国際連合」(United Nations)が誕生したのです(ご覧のとおり、英語では「連合国」と「国連」は同じ表記です)。

 この経緯を簡略化すると次の通りです。

  •  大西洋憲章(米英二ヵ国で基本文書作成/1941年8月)

     ↓

  •  連合国共同宣言(26ヵ国が参加/1942年1月)

     ↓

  •  ダンバートン・オークス提案(米英ソ中の四ヵ国で基本文書作成/1944年10月)

     ↓

  •  国連憲章(五〇ヵ国が参加して作成/1945年6月)

 まず主要国で基本文書をつくり、それにもとづいて加盟国を集める。さらに大きな枠組みをつくって、また同じことをくり返す。非常に論理的かつ戦略的なやり方です。こうした物事の進め方こそ、日本人が最も見習わなければならないところだとつくづく思います。このやり方で米英は第二次大戦に勝利し、そのまま「戦後世界」を支配し続けているわけです。ですから、そのすべてのスタート地点となった「大西洋憲章」は、日本ではあまり知られていませんが、非常に重要な文書なのです。

 現在、私たちが暮らす第二次大戦後の世界は、「領土不拡大の原則」や「民族自決の原則」など、基本的にはまだ、このとき大西洋憲章で示された枠組みの上にあります。

 したがって、本当は現代史を教えるには、まずこの大西洋憲章から教え始めなければならない ― それほど重要なものなのです。

1.両国は、領土その他の拡大を求めない。

2.両国は、当事国の国民が自由に表明した希望と一致しない領土の変更は望まない。

3.両国はすべての民族が、自国の政治体制を選択する権利を尊重する。両国は、かつて強制的に奪われた主権と自治が、人々に返還されることを望む。

4.両国は、現存する債務関係について正しく配慮しながら、すべての国家が、大国、小国を問わず、また戦勝国、敗戦国にかかわらず、経済的繁栄のために必要な、世界における商取引と原料の確保について、平等な条件で利用できるよう努力する。

5.両国は、改善された労働条件、経済的進歩および社会保障をすべての人々に確保するため、経済分野におけるすべての国家間の完全な協力が達成されることを希望する。

6.両国は、ナチスによる暴虐な独裁体制が最終的に破壊されたのち、すべての国民がそれぞれの国境内で安全に居住できるような、またすべての国の民族が、恐怖と欠乏から解放されて、その生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む。

7.そのような平和は、すべての人びとが妨害を受けることなく、公海・外洋を航行できるものでなければならない。

8.両国は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威を与えるか、または与える可能性のある国によって使われ続けるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度〔=のちの国連〕が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる。両国はまた、平和を愛する諸国民のために、軍備の過重な負担を軽減するすべての実行可能な措置を助け、援助する。

フランクリン・D・ルーズベルト ウィンストンーチャーチル

憲法9条のルーツである大西洋憲章・第8項

 大西洋憲章のなかで、日本の憲法9条を議論するにあたり、まず見なければならないのは、第8項です。そこには憲法9条の持つ、

A「平和に対する人類究極の夢(=戦争放棄)」

B「邪悪な敗戦国への懲罰条項(=武装解除)」

 というふたつのルーツが、はっきりと書かれているからです。

 それを読むとわかるように、日本国憲法9条は、ただ素晴らしいだけの「人類の夢」として生まれたものではありません。その条文のなかには、戦争と平和をめぐる人類の歴史の光(A)と闇(B)が、どちらも内包されています。そのふたつの現実を、私たち日本人はよく知らなければならないのです。

 以下がその光(A)と闇(B)に対応する、大西洋憲章の条文です。

A「両国〔米英〕は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる」 (戦争放棄:第8項前半)

B「もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威を与えるか、または与える可能性のある国によって使われ続けるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度[=のちの国連]が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる」 (武装解除‥同後半)

憲法9条は国連軍の存在を前提としていた

 こうした大西洋憲章の理念を三年後、旦一体的な条文にしたのが、国連憲章の原案である「ダンバートンーオークス提案」 (③)でした。この段階で「戦争放棄」の理念も条文化され、世界の安全保障は国連軍を中心に行い、米英ソ中という四大国以外の一般国は、基本的に独自の交戦権は持たないという、戦後世界の大原則が定められました(第8章・12章)。

 これはまさしく日本国憲法9条そのものなんですね。ですから憲法9条とは、完全に国連軍の存在を前提として書かれたものなのです。

 日本ではさまざまな議論が錯綜する憲法9条2項についても、この段階の条文を読めば、あっけなくその本来の意味がわかります。要するに、日本国憲法は国連軍の存在を前提に、自国の武力も交戦権も放棄したということです。

実現しなかった国連軍

 ですから、もしこの「ダンバートンーオークス提案」の条文が、そのまま国連憲章に受け継がれ、戦後世界の基礎となっていれば、日本国憲法9条は新しい時代の到来を告げる理想的な憲法の条文として、世界中の国々のモデルとなったはずなのです。

 ところが現実はどうだったかというと、結局、この段階で想定されていたような正規の国連軍は、ついに一度も編成されることはありませんでした。それどころか、逆にその後、国連憲章に意図的に挿入された「集団的自衛権」などのいくつかの例外条項が、朝鮮戦争をきっかけに猛威を振るい始め、現在まで続く戦争の絶えない「戦後世界」が出現してしまったのです。

 1946年2月3日、マッカーサーの指示のもと、部下のケーディス大佐たちが日本国憲法の草案をつくり始めた日、ロンドンではまさに、第一回・国連安保理決議にもとづく「国連軍創設のための五大国の会議」(第一回軍事参謀委員会会議)が始まっていました。

 そしてその日、マッカーサーが部下たちに示した憲法草案執筆のための三原則(いわゆる「マッカーサー・ノート」)のなかには、

 「日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」

 と書かれていました。

 憲法9条が国連軍を前提として書かれた条文であることに、疑いの余地はありません。そしてその背景にはいま見たように、1941年の大西洋憲章にはじまる、国際的な安全保障体制についての長い議論の積み重ねがあったのです。

 ところが、「9条は日本人が書いた」「幣原首相が書かせた」と主張する人たちが9条に抱いているイメージというのは、安全保障とは基本的に関係のない、おもに「絶対平和主義」という思想上の系譜ですので、ここでどうしても話がかみ合わなくなってしまうのです。

丸山眞男の憲法9条論

 その代表が先にふれた丸山眞男でした。

 意外なことに、この「戦後日本最高の知識人」と称されるほどの人物が、ここまで私がご説明してきた、

 「大西洋憲章」 → 「連合国共同宣言」 → 「ダンバートン・オークス提案」 → 「国連憲章」

 という歴史的経緯をまったく理解しないまま、有名な憲法9条論 (「憲法第九条をめぐる若干の考察」 『後衛の位置から』 未来社 所収)を書いていたことは、すぐにわかるのです。

 それは憲法前文の、

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 という部分について、彼が論じた文章を読めば明らかです。

 丸山は、前文のなかにあるこの一節は、日本人からよく誤解されているといいます。

 というのも、9条と強い関連を持つこの一節の、

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」

 という部分を、日本人が、

「他の国家に依存すること」

 とゴッチャにしているからだ。それは日本人が「ピープル」と「ネイション」と「ステイト」の区別がよくわかっていないための「誤解」なのだと指摘しています。

 丸山によれば、そうではなく、あくまでもこの部分は、

 「普遍的理念に立った行動を通じて、日本国民はみずからも平和愛好諸国民の共同体の名誉ある成員としての地位を実証してゆくのだ」

 という論理であり、決意の表明または思想を意味しているのであって、

 「特定の単数または複数の他国家に日本の安全と生存をゆだねること」

 とは、まったく違っているのだというのです。

「平和を愛する諸国民」とは?

 しかし、この見解は残念ながら、かなり初歩的な間違いなのです。

 なぜなら、丸山が問題にしている「平和を愛する諸国民」とは、彼がいうような抽象的な概念ではなく、本来、

 「第二次大戦に勝利した連合国(およびその国民)」

 を意味する言葉だからです。

 それはこれまで見てきたように、国連憲章や大西洋憲章の条文をさかのぼってみればすぐにわかることなのです。

 そもそも[平和を愛する諸国民]という言葉は、まず先にご紹介した「大西洋憲章」の第8項に登場します。そこでは、これからはじまる世界大戦が、

 「他国へ侵略的脅威をあたえる国」 (=ドイツや日本などの枢軸国)

 「平和を愛する諸国民」 (=のちの連合国)

との戦いであるという、米英の基本的な世界観がはっきりと示されているのです。

 大西洋憲章の条文が、いかに日本国憲法の前文にダイレクトな影響を与えているかについては、いま触れた部分のすぐあとにある、

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 という憲法前文の有名な箇所が、

 「〔米英〕両国は、(略)すべての国の民族が、恐怖と欠乏から解放されて、その生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む」

 という大西洋憲章・第6項の後半を、ほとんどコピーしたような内容であることからもわかります。

 もっとはっきり言ってしまえば、つまり憲法前文の執筆を担当したGHQのハッシー中佐が、大西洋憲章を参照しながら、このあたりの文章を書いていたということです。丸山は同じ「論文」のなかでその箇所についても言及していますが、残念ながらそのルーツが大西洋憲章・第6項にあることも、まったくわかっていないようです。

 「調べたこと」と「頭で思ったこと」

 そして大西洋憲章にもとづいてつくられた「ダンバートン・オークス提案」(第3章)でも、「国連憲章」(第4条1項)でも、「平和愛好国」という言葉が、「国連」の加盟国とほぼ同じ意昧でつかわれていることを思えば、

 「日本国民は(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 という丸山が問題とする憲法前文の一節が、

 「日本は第二次大戦に勝利した連合国(=国連)の集団安全保障体制に入ることを受け入れ、その前提のもと、憲法9条で国家としての軍事力と交戦権を放棄した」

 という意味であることは、あまりにも明らかなのです。

 つまり丸山は、憲法9条という法学上の問題を議論するにあたって、最低限行うべき、条文をさかのぼって「調べたこと」を書くという作業をせず、ただ自分が「頭で思ったこと」を書いているにすぎないのです。

「丸山教団」と日本の知識人の倒錯

 この「論文」のなかで丸山は、

 「〔憲法〕前文と第九条との思想的連関を全面的に考察するには、さらにそこに含まれた理念の思想史的な背景にまで遡らねばならないでしょう」

 とも語っています。

 「9条と前文を考察するなら、まず条文のルーツをさかのぼった方がいいのでは?」

 と突っ込みたくなりますが、丸山はこう続けます。

 「これはサンピエールやカントからガンジーに至るまでの恒久平和あるいは非暴力思想の発展の問題であり、日本の近代思想史においても、横井小楠などからはじまって、植木枝盛、北村透谷、内村鑑三、木下尚江、徳富蘆花などへの流れがありますし、さらに現実の社会運動にあらわれた思想としては……」

 と、さらに述べたあと、

 「……など、いろいろな形態の表現を第九条の思想的前史として追うことができますが、そうしたことは今日の報告では省かせていただきます」

 と、まさかの肩すかしをくらわせます。

 「えっ、説明しないのり‥」と、この部分だけは、読んでいて声をあげそうになりました。

新しい時代を始めるために必要なこと

 説明しないのに、なぜそんなに多くの思想家たちの名前をあげたかといえば、それは単なる権威づけにすぎず、そのあと自分が述べる意見(つまり「自分が頭で思ったこと」)に説得力を持たせたかったからでしょう。けれどもその意見というのが、憲法9条は日本人が自主的に書いたという「絵本のような歴史」なのですから、もうどうしようもありません。

 可能な限り公平な視点から、この「論文」が収録された本(『後衛の位置から』)を読んでみたところ、もっとも評価できたのは次の点です。

 それは付録としておさめられた、アメリカ国務省での勤務経験を持つ日本文学者(コロンビア大学教授)、サイデンステッカーの次のような丸山評を、削除せずそのまま残しているところです。

 「丸山はあくまでも日本的な現象である。さまざまな観念がこんぐらがった(ママ)彼の文章を見てゆくと、それが対象とする日本国民とその過去の倒錯〔=丸山のおもな研究テーマだった戦前の軍国主義やファシズムのこと〕についてのべるところよりも、むしろ、その中にあらわにされている「丸山教団」や日本知識人とその現在の倒錯を探るために読みたいという強い誘惑をおぼえる」

 つまり、基本的に何をいってるかさっぱりわからず、日本の国外ではまったく通用しない文章であり、議論だとはっきりいっているのです。

 私も全面的にこのサイデンステッカーの意見に賛成します。

 丸山のように飛びぬけて優秀な頭脳を持つ必要も、際立って高い社会的地位を持つ必要もありません。

 ただこれから私たちはできるだけ、「頭で思ったこと」ではなく、「調べたこと」を持ち寄って、重要な問題をみんなで話しあっていきましょう。

 おそらく、そこから新しい時代がはじまります。

 ◇

 なるほど憲法前文や9条の条文は、米英二カ国が協定した大西洋憲章の条文から抜き出した文章なのですね。しかも9条は国連軍の存在を前提にしていた。つまりその前提が崩れたからにはもう使い物にならない条文だと言うことです。理想と現実は異なります。しかも戦勝国にとっての理想であって、敗戦国には何の役にも立ちません。

 それを丸山眞男氏を始め、多くの9条教信者の人たちは、さも大事な理想条文として崇めていますが、矢部氏の指摘の通り単なる勘違いが生んだ代物であり、さっさと現実を見つめ直して、現状にあったものに作り替えていく必要があると思います。そうでなければ、竹島や北方領土、拉致被害者の奪還など交渉の入り口にも立てない状態が、今後も続くことになるでしょう。覚醒せよ日本人、今こそ自前の憲法を持とう、と声を上げていきたいですね。

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2021年6月28日 (月)

戦勝国からお仕着せられた憲法、その背景(1)

J191015komoritop700x485  「日本憲法はGHQが起草した」。これは今では周知の事実ですが、その前文や9条の条文がどういう経緯で書かれたのかは私自身知識はありませんでした。ただアメリカを始めその当時日本と戦った国としては、急速に力をつけたアジアの小国に、もう二度と刃向かうことのできないように、徹底的に弱体化を狙ったため、そう思っていました。

 それもその理由の一つとして間違いではないと思いますが、あの「平和を愛する諸国民の、公正と信義に信頼して・・・」や「正義と秩序を基調とする国際平和を・・・」と言う文章は、まさか当時の連合国がそうであったとはとても思えず、その後の米英ソ中の行動を見れば真っ赤な嘘だったことがバレバレです。

 では、果たしてどこから来たのか、それをひもとく鍵は、作家の矢部宏治氏の著書『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』にありました。今回と次回の2回にわたってその裏側の事実を、彼の著書の一部から引用させていただき探っていきたいと思います。今回は第二次世界大戦でポツダム宣言を受諾し降伏した日本を、アメリカがどう戦後処理しようとしたか、その中でその処理の一環として、日本憲法をGHQの手で作成した事実を追います。

 ◇

重要な文書は、最初すべて英語で作成する。

 本書でいま、私がお伝えしているような大きな日本の歪みについて、多くの方が関心を持つようになったきっかけは、2012年にペストセラーとなった孫崎享氏の『戦後史の正体』だったかもしれません。

 外務省の国際情報局長という、インテリジェンス部門のトップを務めた孫崎氏は、同書の第一章を、次のような少し意外な問いかけから始めています。

 「日本はいつ、第二次大戦を終えたのでしょう」

 こう聞くと、ほとんどの人が、「1945年8月15日に決まっているじやないか」というが、それは違う。8月15日が「終戦記念日」だというのは、世界の常識とは、まったくかけ離れているのだと孫崎氏はいうのです。

 「私は米国や英国の外交官に友人がたくさんいます。彼らに「日本と連合国の戦争がいつ終わったか」と聞くと、だれも8月15日とはいいません。かならず9月2日という答えが返ってくるのです」

 世界の常識からいうと、日本の「終戦記念日」である8月15日には何の意味もない。

 国際法上、意味があるのは日本がミズーリ号で「降伏文書」にサインし、[ポツダム宣言]を正式に受け入れた9月2日だけだからです。

 それなのに、なぜ日本では、9月2日のことを誰も知らないのかというと、

 「日本は8月15日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。 「日本は負けた。無条件降伏した」。本当はここから新しい日本を始めるべきだったのです。しかし「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本のきびしい状況について目をつぶりつづけてきた。それが日本の戦後だったといえるでしょう」

自分たちに都合のいい主観的な歴史

 いま読み返してみても、じつにあざやかな書き出しだったと思います。

 私も『戦後史の正体』の編集を担当するまでは、「降伏文書」や 「ポツダム宣言」について、もちろん一度も読んだことがありませんでした。孫崎氏が教授を務めた防衛大学校でも、とくに「降伏文書」は授業でほとんど教えられていなかったそうですから、おそらく普通の日本人は誰も読んだことがないといっていいでしょう。

 けれども、敗戦にあたって日本がどういう法的義務を受け入れたかを書いた「ポツダム宣言」と「降伏文書」は、もちろんその後の日本にとって、なにより重要な国家としてのスタートラインであるはずです。

 にもかかわらず、「戦後日本」という国はそうやって、その出発時点(8月15日)から国際法の世界を見ようとせず、ただ自分たちに都合のいい主観的な歴史だけを見て、これまで過ごしてきてしまったのです。

 もっとも、もちろんそれは戦勝国であるアメリカにとってもそのほうが、都合がよかったからでもありました。もしそうでなければ、そんな勝手な解釈が許されるはずがありません。

 歴史をひも解いてみると、「降伏という厳しい現実」を日本人に骨身に沁みてわからせる別のオプションのほうが、実行される可能性は、はるかに高かったのです。

 それは昭和天皇自身がミズーリ号の艦上で、自ら降伏文書にサインをするというオプションでした。

天皇自身による降伏の表明

 考えてみると、日本は天皇の名のもとに戦争をはじめ、また天皇は憲法上、講和を行う権限も持っていたわけですから(大日本帝国憲法・第13条)、降伏するにあたっても、本来天皇が降伏文書にサインするのか当然のなりゆきでした。

 事実、ミズーリ号の調印式の7ヵ月前、1945年2月時点のアメリカの政策文書では、日本の降伏文書には昭和天皇白身がサインし、さらにそのとき、次のような宣言を行うことが想定されていた

のです。

日本国天皇の宣言

 「私はここに、日本と交戦中の連合国に対して、無条件降伏することを宣言する。

 私は、どの地域にいるかを問わず、すべての日本国の軍隊および日本国民に対し、ただちに敵対行為を中止し、以後、連合国軍最高司令官の求めるすべての要求にしたがうよう命令する。(略)

 私は本日以後、そのすべての権力と権限を、連合国軍最高司令官に委ねる」

(国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)文書21「日本の無条件降伏」)

天皇をつかえば、多くの命が救われる

 もしもこのプランか実行されていたら、日本人が9月2日の「降伏」に目をつぶりつづけることなど、もちろん不可能だったでしょう。

 けれども、日本が8月10日にポツダム宣言の受け入れを表明した直後、このプランは撤回され、天皇に代わって日本政府と軍部の代表が、二人で降伏文書にサインするプランへと変更されます。

 その理由は、アメリカにとって最大の同盟国であるイギリスのアトリー首相とベヴィン外相から、バーンズ国務長官のもとに、

 「天皇個人に直接降伏文書へのサインを求めることが、良い方法かどうかは疑問です」

 というメッセージが届いたからでした(「アメリカ外交文書 (FRUS)」1950年8月11日)。

 なぜならこれから私たちは、天皇を使って、広大な地域に広がる日本軍を確実に武装解除していかなければなりません。それがアメリカ、イギリス、その他、連合国の多くの兵士たちの命を救う方法なのです、と。

 つまり、今後は天皇の命令というかたちで、アジア全域にいる日本軍を武装解除させていく計画なのだから、そのためには、なるべく天皇の権威を傷つけないほうがいいというわけです。

 このメッセージを本国に伝えたアメリカの駐英大使からは、その夜、イギリスのチャーチル前首相からも電話があり、そのとき彼が、

 「天皇をつかえば、遠い場所で多くの兵士の命が救われる」

 と確信をもってのべていたということが報告されています。

意図的に隠された昭和天皇の姿 

 その結果、ミズーリ号の調印式には、日本政府の代表である外務大臣・重光葵と、軍部の代表である陸軍参謀総長・梅津美治郎が二人で出席し、9月2日、降伏文書にサインすることになりました。こうしてこの一大セレモニーから、天皇の姿が意図的に隠されることになったのです。

 その一方で、昭和天皇には8月21日、マニラにいるマッカーサーから英語で書かれた「布告文」が届けられました。それは本来なら天皇自身か調印式に出席して、そこで読みあげる可能性のあった、あの「日本国天皇の宣言」が、その後、アメリカ国務省のなかで何度も改訂されてできあがったものでした。

 日本語に翻訳したその布告文に署名と捺印(御名御璽)をして、9月2日のミズーリ号の調印式にあわせて表明せよと指示してきた。言い換えれば、それさえやってくれれば、昭和天皇は調印式に出席することも、降伏文書にサインすることも、宣言を読みあげることも、すべてやらなくていいということになったわけです。

 こうして占領期を貫く。

 「最初は英語で書かれたアメリカ側の文書を、日本側が翻訳してそこに多少のアレンジを加え、最後はそれに昭和天皇がお墨付きをあたえて国民に布告する」 という基本パターンが、このときスタートすることになりました。

アメリカ国務省の冷静な視点

 私も以前から、ミズーリ号での調印式の映像を見て、

 「なぜ、重光と梅津のふたりがサインしているのだろう。ひとりじゃダメなのか」

 と不思議に思っていたのですが、彼らは昭和天皇の代わりだったわけです。

 その事実を知って、

 「なるほど。さすがにアメリカはよく調べているなあ。戦前の憲法では天皇の「大権」は、政府と軍部の二本立てになっていた。「統帥権」といって、軍を動かす権限は政府を通さず天皇に直結していたから、サインする人間もふたり必要だったわけだな」

 と勝手に感心していたのですが、今回本書を執筆するにあたり、あらためて調べ直してみたところ、さらに意外な事実を知りました。

 もし当初の計画どおり、昭和天皇白身が降伏文書にサインすることになった場合でも、アメリカ国務省は天皇のほかに、やはりもうひとりサインする人間が必要だと考えていたのです。

 それは、誰だと思いますか。

 首相でしょうか。外務大臣でしょうか。

 いや、違います。

 それは、軍部(大本営)の代表で、実際のミズーリ号での署名者でいうと、梅津美治郎だったのです。

 というのも、すでにその前年、1944年11月の時点でアメリカ国務省は、

 「日本軍の統帥権は、名目上は天皇にあるが、実際の権限は軍部 (大本営)が握っており、軍事行動の責任もすべて軍部にある」

 という認識をはっきり持っており、

 「だから降伏文書への署名も、まず天皇によって行われ、続いて大本営の正式な代表者によっても署名されることが望ましい」

 と考えていたからだったのです(国務省戦後計画委員会(PWC)文書284a)。

 日本の軍事上の権限(統帥権)が、政府にないことだけでなく、じつは天皇にもないことをアメリカ国務省はきちんと把握していた。

 つまり、第二次大戦中の日本が、

 「形式上は天皇に全権があるように見えるが、実際は軍部に乗っとられたような国なのだ」

 という分析を、アメリカは冷静かつ正確に行っていたわけです。

 だからこそ、そうした前提の上に立って、戦争に勝ったあと行う日本の占領では、

 「天皇を完全に軍部から切り離し、平和のシンボルとして利用する」

 という基本方針が早くから立てられていたのです。

 「人間官一言」の作成過程

 ここまで「降伏文書」について、なぜこれほど詳しくお話ししたかというと、この降伏文書の受け入れから、7年後の1952年4月にいちおうの独立を回復するまで、日本政府や昭和天皇が自分だけの判断にもとづいて、何か重要な文書を作成したり、発表したりすることなどまったくなかったのだということを、よく覚えておいてほしかったからです。

 「降伏」というひとつのセレモニーで、誰と誰が降伏文書にサインするべきか。その問題ひとつとっても、おどろくほど多くのレポートが書かれ、政策文書がつくられ、それがまた信じられないほど長い時間をかけて、何度も何度も改定されていく。

 それがアメリカという国の「占領」のやり方であり、「戦争」のやり方であり、また「外交」のやり方なのです。日本人をうまく誘導するためにつくられる、イメージ操作用のオモテのストーリー (「絵本のような歴史」)のウラ側には、すべてそうした分厚い研究の裏づけがあるのです。

 もっとも「占領」とは、現実の戦闘行為は終わっているものの、平和条約を結んで国と国の関係が法的に決着するまでは、法的にも政治的にもまだ「武器を使わない戦争」が続いている状態なわけですから、日本に決定権がないのは当然のことなのです。

 たとえば1946年1月1日に発せられた有名な昭和天皇の「人間宣言」も、やはり最初は英文で書かれたものでした。以下は、その日本文がどのような過程を経て生まれたかを、当時学習院の事務官だった浅野長光氏が、チャート化してメモしていたものです(一部、筆者が補足)。

「前半」 昭和天皇の意向を打診し、文案を相談した段階

 「原案(レジナルド・ブライス学習院教師・作成) → 石渡荘太郎宮内相 → 昭和天皇 → 石渡 → 大金益次郎宮内次官、浅野長光学習院事務官 → (吉田茂外相 → 幣原喜重郎首相 → 吉田) → 大金 → 浅野 → ブライス」

「後半」 正式な文章を確定した段階

 「ブライス → ヘンダーソンGHQ(連合国軍総司令部)民間情報教育局課長十ダイク同局長 → マッカーサー元帥 → マッカーサーの承認 → ブライス → 浅野 → 石渡、大金 → 昭和天皇 → 幣原 → 閣議 → 公布」

 アメリカ側も日本側も、じつに多くの人たちが関わっていたことが、おわかりいただけると思います。

 このなかの誰であれ、「人間宣言は、本当は自分が書いたのだ」ということは、主観的には可能です。しかしこのチャートには書かれていないそれ以前の段階には、戦争開始前から長い時間をかけて蓄積された本当に膨大な、アメリカによる日本の天皇と天皇制についてのさまざまな研究が存在するのです。

まず天皇自身に宣言させ、それから日本人に受け入れさせる

 ミズーリ号で「降伏文書」を受け入れたあと、天皇を使った日本軍の武装解除は、予想以上に順調に進みました。800万人ともいわれるアジア全域の日本軍が、天皇の命令によってあっけなく戦闘をやめ、武器を手放したのです。

 これからはじまる日本占領という巨大プロジェクトにおいて、昭和天皇がどれほど重要な存在であるかを痛感したマッカーサーは、天皇を占領政策に協力させ、そのまま利用し続けたいと強く思うようになります。そのための「絶対条件」が、翌1946年5月に開廷することになる東京裁判において、天皇が裁かれないようにすることでした。

 先の「人間宣言」も、その目的のために考え出されたものでした。天皇制をそのままのかたちで残したら、日本はすぐにまた狂信的な軍事国家に戻ってしまうのではないか。そうした国際世論の懸念を払拭し、広く世界にアピールして、昭和天皇を東京裁判にかけないようにするためのものだったのです。

 そして、この計画が大成功をおさめました。非常に好意的な反応が国際社会からあったのです。そこで次は「戦争放棄」という宣言を、天皇白身に行わせてはどうかというプランが、急速に浮上することになったのです。

 つまり「降伏文書」 → 「人間宣言」 → 「戦争放棄」と、重大な政策はすぺて、まず天皇自身に宣言させ、それから日本人に受け入れさせるという基本方針があったわけです。

 1946年1月に、天皇による「戦争放棄の宣言」が検討された理由も、同じく4ヵ月後に迫った東京裁判にありました。そしてそのプランが「人間宣言」のような、単なる声明の発表としてではなく、非常に大きなスケールに形を変えて実現したのが、翌月(1946年2月)に行われたGHQによる日本国憲法の草案の執筆、なかでも9条の執筆と、その国際社会へのアピールだったのです。

 「絵本のような歴史」

 その詳しい経緯については、また別の機会にお話しするとして、占領期に「最初は英語で書かれた」もっとも重要な文書が、日本国憲法であることはいうまでもありません。ですから、もしも前章(略)からお話ししている、

 「現在はその機能が停止している日本国憲法を、どうすれば再生することができるのか」

 という問題について本気で取り組もうとするなら、その憲法の成立過程で何か起きたかを、あくまで事実にもとづいて冷静に検証する必要があります。

 日本国憲法の機能停止という大問題については、第六章(略)でみたとおり、GHQの書いた憲法9条2項の問題が大きな影を落としているからです。

 「日本国憲法の草案は、占領下で占領軍によって書かれたものである」

 まずこの明白な事実を、いかなるあいまいな言い訳もなく、真正面から受け入れる必要があります。たしかに厳しい現実です。大きな心の痛みも伴います。

 でも、そこから出発するしかありません。事実にもとづかない主観的な議論には、いくらやっても着地点というものがないからです。

 「日本国憲法の草案は、本当は日本人が書いた」というのは、「戦争は、8月15日に終わった」

 というのと同じ、日本のなかだけで通用する、口当たりの良い「絵本のような歴史」にすぎないのです。

 たしかにそこには、一面の真実がある。とくに感情面での真実がある。平和憲法は戦争で大きな苦しみを味わった日本人の思いが、形になったものであることは、確かです。

 けれどもその草案を書いたのは百パーセント、占領軍(GHQ)でした。何月何日に、誰がどの条文を、誰とどのように相談しながら書いたかまでわかっている。そこに日本人が書いた条文の話など、いっさい出てこないのです。

 しかもGHQは、憲法草案を執筆した9ヵ月後の1946年11月25日、

 「GHQが憲法草案を書いたことに対する批判といっさいの言及」

 を検閲の対象として、メディアで報じたり、手紙に書くことをすべて禁じました。

 だから私たち日本人は、長年、それを自分たちが書いたと信じこんできたのです。

 このあまりにも明らかな事実に目をつぶって、憲法についてなにか意味のあることを議論することなど、絶対に不可能なのです。

 ◇

 ここまでで、日本国憲法はGHQの手で書かれた、純粋にお仕着せられた憲法だと言うことが再確認できました。従って日本人がその条文に縛られることなく、日本人による日本人のための日本国憲法を新しく作る必要をより強く感じました。なぜなら主権国家の何処の国でもその最高法規たる憲法は、その国民の手で作らなければならないし、しっかりした政府を持つ国で、自国民の手によって作っていない国は日本以外にはないからです。このことだけとっても日本の現状は極めて異常な状態だと言えるでしょう。

 ところでもう一つの疑問、その前文や9条の条文が、なぜあれほど現実離れした理想の文章になったのか、そこには米英の長期にわたる綿密で繊細な戦略と計画があったのです。 その理由は次回に譲ります。

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2020年5月 8日 (金)

日本国憲法、歴史的意識欠如の欠陥と制定時のまやかし

Iwata3  5月3日は憲法記念日でした。新型コロナウィルスの感染拡大に日本全体が巻き込まれ、その話題集中の中で各界要人の出された談話は、マスコミの報道からはすっかりかすんでしまいました。しかし憲法は特措法より上位にあります。その憲法を見直すことは特措法の見直しと並行して重要だと思います。大和大学政治経済学部政治行政学科准教授で政治学者の岩田温氏が産経新聞に歴史的意識欠如の欠陥と制定時のまやかし」と題して寄稿しているので、以下に紹介します。

 憲法を論じる上で最も大切な視点は、国家を全体主義に陥らせないということだ。その意味で、近代立憲主義、つまり法を超えた権力は認めないという思想は重要だ。権力が暴走し、国民が不幸になってはならない。国民が持つ基本的な諸権利を守るため、立憲主義は決してないがしろにしてはいけない。

 立憲主義は大日本国帝国憲法(旧憲法)が制定された明治以後、わが国にしっかりと根付いていた。それは、全体主義国家とさえ評された先の大戦下でも旧憲法が機能し、徴兵や徴用なども法に基づき執行されていたことから明らかだ。また、旧憲法に先立って制定されたオスマン帝国憲法がわずか2年で停止されたことと比べても好対照だ。

 とはいえ、立憲主義だけでは不十分だ。確かに権利の制限はしない方がいい。それでも「危機に陥った時には私権の制限に踏み切る」という、いわゆる緊急事態条項がなければ政治は機能しない。それは、日本国憲法下のわが国が、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるための社会活動抑制を強制できず、混乱を招いたことで証明された。

 立憲主義と緊急事態条項はいわば車の両輪で、いずれも必要だ。「憲法守って国滅ぶ」とならないよう、早急に緊急事態条項を書き加えなければならない。

1条こそ危うい

 ただ、このような議論は、憲法についてほんの一部分しかとらえていない。それは国家について考えてみるとよく分かる。

 国家とは、過去-現在-未来を垂直に貫く歴史的共同体と、水平的、つまり同時代的共同体という縦、横2つの軸の交わりで理解するべきだ。そして憲法を考える際も、両軸を意識する必要がある。どちらを欠いてもおかしな姿になる。

 例えば、ルールを守っている限り、最大限の自由を享受できるという社会契約論が掲げる国家像には横軸しかない。そこには、自分を育ててくれた存在に対して当然抱くはずの感謝や愛着はない。自分の命を守るために国家を作ったのだから、国家のために命を尽くすわけがない。はっきり言って空理空論だ。

 そして、現在の国民が持つ諸権利を守ろうと志向する立憲主義は、横軸しか持たない社会契約論と同根と言わざるを得ない。

 “立憲主義者”を自称する憲法学者らは批判するが、国家最高の法である憲法に「過去どのような国であり、将来どのような姿を目指すのか」という歴史的な理念を書き込むことは、大いにやるべきだ。

 現在の憲法論議に欠けているのは、この意識だ。それを最も象徴しているのが「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とする1条だ。

 この条文はわが国の歴史を語る上で欠かせない天皇陛下の地位を危険にさらす。9条以上に問題だ。

 なぜなら、陛下の地位が国民の総意に基づくのであれば、崩御された際や御代替わりのたびに国民投票を実施するべきだという論理を否定できないからだ。

 そもそも、1条が掲げる「国民主権」という理念はフランス革命期の政治家、エマニュエル=ジョゼフ・シェイエスが編み出したものだ。彼は国民主権を君主主権の対概念として位置付け、王の主権を、人民が奪い取るべきだと考えた。

 このような経緯を持つ概念は、わが国の歴史にはなじまない。

 有史以来、わが国には君臣共治の伝統がある。さらに、旧憲法下でも、陛下は「統治権の総攬者」でしかなかった。王と人民が対立したヨーロッパのような歴史はない。

 そのようなわが国の憲法で、国民主権を強調する必要はない。にも関わらず、なぜこのような内容となったのか。それは、日本国憲法の制定経緯をつぶさに見れば理解できる。

「マック憲法」

 日本国憲法の草案を審議した旧憲法下最後の帝国議会は異例づくめだった。

 昭和21年4月の総選挙に先立ち、連合国軍総司令部(GHQ)は、多くの立候補予定者を恣意的に公職から追放した。その上、選挙後には、比較第一党の党首だった鳩山一郎をも追放した。このような議会でGHQの意向を忖度しない自由な議論がされたと考えることは不可能だ。わが国の歴史を意識した議論など、交わされるはずがない。

 それだけではない。検閲も厳しかった。「こんな憲法を作りやがって」という批判はもちろん、「素晴らしい憲法を作ってもらった」という肯定的な論調も対象だ。GHQが憲法改正に関与したとわずかでもほのめかせば出版を許可しないという徹底ぶりだった。

 憲法を定める権力は帝国議会議員にはなかった。国民にも、昭和天皇にもなかった。GHQの最高司令官、ダグラス・マッカーサーが握っていた。故・中曽根康弘元首相が名付けた「マック憲法」という表現が一番しっくりくる。

 この点からして日本国憲法の三大原則の1つ、国民主権が、いかにまやかしであるか分かる。

「つまらぬ一歩」でも

 日本国憲法は戦後、一言一句変えることができない「不磨の大典」だった。

 そんな中、安倍晋三首相は9条に自衛隊を明記するという案を掲げ、憲法改正に意欲を示した。

 原理原則からいえば、この改正案が可決されても大学の法学部から自衛隊違憲説が消えるだけで、現実はほとんど変わらない。つまらぬ一歩でしかない。

 しかし政治家は革命家ではない。そんな一歩でも進むことこそが大事だ。政治日程を考えると、非常に厳しい。それでも安倍首相には憲法改正を成し遂げてもらいたい。現実は一歩一歩しか変えられないのだから。


6_20200508114901  現実に自衛隊は存在していますし、かつ様々な形で活動し、特に災害などの国難の時に大きな力を発揮していて、殆どの国民にその存在を肯定されていながら、解釈論はいろいろあっても憲法条文9条の2項には完全に違反しています。そして多くの憲法学者が違憲と判断している。こんな条文を自衛隊発足後そのまま70年も放っておいて、なおかつ自衛隊を認めているどの野党も憲法改正を言い出さないのは、本当に異常だと思います。

 この問題は、9条を改正すれば戦争できる国になる、世界の隅々まで自衛隊が行ってまた戦争に加担する、戦前の軍国主義に戻ってしまう、徴兵制もしかれる等々、リベラル左派の主張に国民の多くが洗脳されているからでしょう。マスコミもそういった主張の方に傾いた報道をします。

 岩田氏が述べているように、こうした国民を納得させるためには、つまらない一歩でも、という考えは同調に値します。しかし本当に有事が発生する。今回の新型コロナウィルスの状況をはるかに超えた有事、例えば多数の死者を出す国際テロや北朝鮮のミサイルの本土着弾のような有事が発生しなければ、本当に多くの国民はその必要性を感じないのかもしれません。残念なことですが。

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2020年5月 3日 (日)

憲法記念日に思う、国の独立と主権を毀損する9条を変えよう!

Plt2005030001p1  本日は憲法記念日です。今日が憲法記念日だと言うことは何人の日本人が意識しているのでしょうか。そしてその憲法がかつて国会で審議したとはいえ、GHQ占領下で公布、施行され、しかもその原案がGHQの強い意志が込められたものであったことは。そうです、日本を二度と戦勝国つまり当時の連合国に歯向かえないよう、9条を条文に加えたのです。(天皇の廃位を主張する国もあり、天皇存続の条件だったという説もあります。)

 いずれにせよ、こういった経緯がありながら、並行してWGIPとプレスコードと言う占領下の手段、すなわち戦争責任は日本だけにあるという自虐史観と、連合国批判は一切してはならないという言論封殺で、9条の意味する国の独立と主権の確保への大きな制約を課されても、何も言えなかったのです。

 そしてその後占領が解除されても時の吉田茂政権は、いわゆる吉田ドクトリン、すなわち「防衛は米国に頼り経済を優先する路線」を取り、憲法改正の機会を逃し、一方自虐史観に洗脳された左翼政党とプレスコードの影響抜けぬマスコミは、「敗戦利得者」たる知識人たちと「在日朝鮮、韓国人」たちの強烈な影響下のもとに、東アジア諸国への謝罪に明け暮れ、9条を錦の御旗に、軍に対する異様な嫌悪感を持ち続けてきたのです。

 ようやく今日の安倍政権のもとで、憲法改正、特に9条の改正へと一歩踏み込もうとしましたが、もともと改正がやりにくい憲法改正条文96条、つまり衆参両院の3分の2の賛成での発議と言うハードルもあり、かつ国内の左派勢力とその後押しをする中韓の猛烈な反対で、未だ道半ばというのが現状です。

 武力を持たせず、交戦権もなき憲法を持つ国は、世界広し、と言えども日本位のものです。それでも戦争に巻き込まれなかったのは、ひとえに日米安全保障条約と自衛隊の抑止力があったのは論を俟たないでしょう。

 日本人はもともと芯は強いはずです。オリンピックでも研究開発分野でも、日本人がメダル獲得やノーベル賞受賞することは国民の夢です。何故防衛面でも強くなってはいけないのでしょうか。しかも軍事研究は何にもまして科学研究を発展させると言います。国立大学での軍事研究ができない日本は、早晩研究大国の座から滑り落ちるでしょう。

 ところで私のこうした考えから180度真反対の考えを持つ人たちがいます。そうです、未だに自虐史観の洗脳から回復していない人たちです。彼らの一部が各新聞紙上で、「憲法の意思を変えるな!」という意見広告を出しています。私も読売新聞紙上でこの広告を見ました。以下にそれを引用掲載しますが、もちろん賛同しているからではありません。如何にバカなことを考えているか、お伝えしたいからです。すでに読み終えた方は読み飛ばしていただければと思います。(なぜか朝日新聞は入っていません。多くのオピニオン欄が憲法改正反対で埋まっているからでしょうか)

201905  5月3日憲法記念日、市民意見広告運動は多くの賛同に支えられ、意見広告「憲法の意思を変えるな!」を以下の5紙に掲載しました。賛同10,958件(賛同締切日集計、匿名希望を含む)

沖縄タイムス朝刊(地方紙)、東京新聞朝刊(ブロック紙)、毎日新聞朝刊(全国紙)、読売新聞朝刊(全国紙)、琉球新報朝刊(地方紙)。

◎武力より憲法9条の平和力!

 2020年、世界が新型コロナウイルスの脅威にさらされました。世界中でこの脅威から命と暮らしを守るためにたたかい続けている人びとに対し、私たちは心からの敬意を払うものです。しかし、政府が適切な対応を行わなければ、それは人災ともなりうることを知りました。たとえば、安倍首相が専門家への相談もなく、唐突に学校の一斉休校を要請したことが、人びとの暮らしを混乱させたり、生活が成り立たなくなったりすることにつながったからです。

 さらに安倍政権は、民主的社会でもっとも尊重されるべき行動の自由という市民的権利の行使をためらわせる「緊急事態宣言」を発出しました。根拠となる改定新型インフルエンザ等対策特措法は宣言発出に国会承認すら不要で、違憲の疑いも指摘されています。また、自民党内からは今回の脅威に「緊急事態のひとつ、改憲の実験台に」という声さえあがりました。安倍政権が、ウイルスへの恐怖から人びとが権力に同調的になってしまいがちな心理をたくみに利用しようとしていることが、そこからすけて見えます。ウイルスの脅威とたたかう中でも、このことが私たちの未来を不安なものにしてしまう危険性を注視する必要があるでしょう。

 安倍首相は、自身の任期が切れる前に「憲法改正」を行う熱意を幾度となくにじませてきました。首相は3月11日の参議院本会議においても、憲法審査会での与野党の枠を超えた「憲法改正」論議を呼びかけています。憲法の擁護義務を課される行政の長である首相が、率先して「憲法改正」を持ち出すことなどあってはならないことですが、その目玉としているのは憲法9条に自衛隊の存在を書き込むことです。

 第二次安倍政権以降の日本はこの7年余りの間に、集団的自衛権の行使を容認する安保法成立(2019年9月)、国会審議を経ない中東オマーン湾周辺への自衛隊派遣(2020年1月)など、戦争ができる国への道を着々と進んできました。憲法9条に新項として自衛隊の存在を書き込むことは、「戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」を定めた現第1項と第2項を無力化し、自衛隊を米軍と一体となって世界のどこででも戦争できる軍隊にすることです。それは戻ることのできない戦争への片道キップだ、と私たちは考えます。

 憲法9条は、人権侵害の最たる行為である戦争を二度と政府にさせてはならないという強い意思を表しています。自衛隊の存在の書き込みは、憲法9条を根本から否定し、その意思を真っ向からねじ曲げるものです。現在の憲法9条のもつ平和力を真に実現していくことこそ、戦争のない暮らしを守る唯一の答えです。

◎安倍改憲はいらない

 ここ数年、国会で森友・加計学園問題や桜を見る会問題といった安倍首相の権力スキャンダルに非常に多くの審議時間が割かれていることを、私たちは見てきました。その陰で、本当に慎重に審議されるべきだった種子法や水道法の改定など、人びとの生活に直結する重要法案がほとんど注目されないまま通過成立してしまっています。

 自身のスキャンダルに対する野党の追及を文書改ざんや隠蔽でかわし、ウソにウソを塗り重ねた答弁をして国会の大事な時間を浪費させてきた安倍首相に、「憲法改正」議論を私たち主権者にうながす資格などありません。今私たちに必要なのは、イージス・アショア配備やステルス戦闘機購入などで莫大にふくれあがっている防衛予算案(2020年度、過去最大5兆3133億円)をゼロから見直し、人びとが直面する脅威や損失にしっかりと充てることができる政治です。

 私たちには主権者として政治家を選び、政治を変える権利があります。2019年夏の参議院選挙の平均投票率は48・80%でした。選挙権をもつ人の約半数以上が自分の権利を行使しませんでした。なんともったいないことでしょうか。10人に5人ではなく、10人に6人が選挙に行けば、政治も私たちの暮らしも変わるのです。

 来る選挙では、憲法をいかし実現することができる政治家に投票して、安倍政権を確実に退陣に追い込みましょう。戦争させない未来を選びましょう。

 読んでいて疲れました。9条を守れとは言っていますが、単なる安倍批判ではないですか。この広告を読んで、私は最後に二つのことを言いたいと思います。

 まず第一に「9条の平和力」とは何でしょう。今、国連の常任理事国は世界のGDPのほぼ半分を占めていますが、この5ヵ国がそれぞれが膨大な軍事力を持ち、世界各地の戦争に加担しています。その国々に「日本の9条を見習いなさい。軍事力を手放せば世界は平和になりますよ。安全保障理事国としての責任が果たせますから」とぜひ言ってみてください。聞く耳を持ちますか?例えばこの広告の人たちが日本より好きな中国に、是非薦めていただけないでしょうか。

 そして次に「安倍改憲は要らない」とは何でしょう。改憲するのは国民ではないですか、しかもその改憲の発議をするのは国会です。安倍首相は、国の独立と主権を担保するのに不可欠な防衛力を否定する現憲法に、危機感を感じて提案しているのであって、安倍首相個人が改正できるわけがないでしょう。しかも国会での発議さえ阻止しようとしているのは、国民の改憲の権利を奪うことになるでしょう。この人たちが改憲を阻止したければ、国民投票で「ノー」という人たちを増やすべく、合理的に説得すればいいのです。しかしこのような理想を絵にかいたような、それこそ絵空事をいくら述べても、私はとてもできないと思いますよ

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2019年8月11日 (日)

憲法9条改正、2項の破棄から

Images_20190811115701  今年も8月15日の終戦記念日(戦没者を追悼し平和を祈念する日)が近づいてきました。テレビなどのメディアでは様々な特集報道がなされるでしょう。私はここで戦後GHQが起草したといわれる日本国憲法、特にその第9条について考えてみたいと思います。7日付の産経新聞の「正論」に埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏の記事が掲載されていますので、少し長くなりますがそれをまず紹介します。

 今回の参議院選挙の結果、参院全体でのいわゆる「改憲勢力」が3分の2を下回ることになり、安倍晋三首相も「自民党案にとらわれず」議論を進めてゆくことを提案なさった。これは大変よいことだったと思います。実は憲法9条改正についての自民党案は万全とはいえないものだったからです。

 ≪主権の意味改めて考える≫

 どこが万全でなかったのか-一番の問題点は9条2項がそっくりそのまま残されてしまったというところにあります。実際、9条2項をそのままにして自衛隊の保持を明記するのは矛盾ではないか、という批判も最初からありました。しかし、それだけの問題ではない。9条2項は、もしそれを文言通りに遵守したら、わが国の主権を完全に手放してしまうことになるという、怖ろしい条文を含んでいます。国家の主権のないところに近代成文憲法は存立することができません。9条2項は日本国憲法にとっての自殺条項ともなりうるものなのです。

 主権とはもともと「最高の力」を意味するラテン語を翻訳した言葉で、国内的には(たとえば「国民主権」といった言い方で)政治の決定権のありどころを意味し、対外的にはその国の独立と領土保全の権限を意味します。

 これらの二つは、まるで別物のようにして扱われることが多いのですが、言葉の成り立ちとしても、事柄そのものとしても、同じ一つながりのものに他なりません。すなわち、国家の主権が奪われ、独立が失われた状態にあっては、その国の政治決定権は国内の誰の手中にもなく、「国民主権」も「君主主権」も成り立ちません。そして、そんな状態においては自国憲法も全く無意味になってしまう。だからこそ(日本国憲法前文にも言う通り)どの国も「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とう」とするわけなのです。

 そのために必要不可欠なのは、言うまでもなく物理的な「力」-軍事力です。どんなに経済的な力があっても、軍事力がゼロであったら国家主権を保つことはできません。さらにまた、軍事力の大小にかかわらず、国民にその国の主権を保つ気概がなければ主権は維持できません。

 ≪自国の主権を否定した条項≫

 たとえば1989年の米軍侵攻によって国防軍を解体されたパナマ共和国は憲法に軍隊の不保持を定めていますが、同時に「すべてのパナマ人は、国家の独立と領土保全のために武器をとる義務がある」と定めている。主権維持の重要性を知ればこその規定です。

 では日本国憲法はどうなのか。9条2項は次のように定めています。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 日本が米軍侵攻によって軍の解体を受け、完全な主権喪失状態となったのは74年前のことですが、その後形式上は主権が回復したにもかかわらず、主権放棄の条文はそのままなのです。

 ここでは戦力がゼロと規定されているだけではない。国の交戦権すら否認されています。ここに言う「交戦権」は国際法に定められた個々の細かな権利のことではなく、それらの大前提として認められている、自国の主権維持のために戦う権利です。つまり、もし日本国民がパナマ人と同じように、国家の危機に際して独立と領土保全のために武器をとって戦おうとしても、交戦権が認められていないと、それはただの犯罪行為になってしまうのです。

 これは完全に自国の主権を否定した条文です。そして先に述べた通り、自国の主権のないところに「国民主権」の原理は成り立ち得ない。さらには「生命、自由及び幸福追求に対する」国民の権利を守ることも、このように「力」がゼロの状態では空文とならざるを得ません。

Images-2_20190811115801  ≪国際平和に反する条文≫

 しかもこれによって国際平和が実現できるのかといえば、むしろその正反対なのです。国際平和というものは基本的に主権国家が集まって互いの持つ「最高の力」を均衡させておくことで保たれています。その中に突如として戦力ゼロの軍事的空白地帯が出現したりすれば国際平和にとってこんな危険なことはない。9条2項はもしその条文通りを実行したらばまさしく平和破壊条項となるのです。

 そうした危険を見越して2項の冒頭には「前項の目的を達するため」という但し書きがつけられています。これは2項の規定に、1項の目的に合致する限りで、という制限をつけたものと解釈されてきました。9条1項は基本的には国際法の常識に従った平和条項ですから、この解釈によって9条全体も穏当な平和条項として扱える。まさに苦肉の策でした。

 しかしそれによって9条2項の内容のトンデモなさが人々の目から隠されたままになってしまったのも事実です。一度この条文を直視すれば、その怖ろしさは誰の目にも明らかになるはずなのです。9条2項削除こそ超党派で取り組むべき課題だといえましょう。

 私もこの長谷川氏の意見に賛同します。氏が言うように9条2項の「前項の目的を達するため」という文言(いわゆる芦田修正と言われる)が、1項の目的に合致する限りで、という制限をつけたものと解釈されてきたというのが通説ですが、そうでないという意見もあるのは事実です。条文は次の通りです。

 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この2)項の冒頭「前項の目的を達成するため」を素直に読めば、「前項の目的達成のためにはとにかく戦力保持は認めず、交戦権も認めないのだ」、と採るのが普通です。

 芦田修正を審議した国会はまだGHQによる占領下だったので、「制限をつけたもの」と明確に言ってしまえば認められないと思い、曖昧にしたのかも知れません。芦田氏は後にこれは「制限」を意味しているということを発言しているようですが、修正文を挿入した国会審議の時点での記録には、そのことは明記されていないそうです。

 事実GHQの最高司令官時代、マッカーサーは「マッカーサー・ノート第2原則」に次のように記しています。

 国家の主権的権利としての戦争は、廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争及び自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛及び保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる。

 いかなる日本陸海空軍も認められず、また、いかなる交戦権も日本軍に与えられない。

 これではマッカーサーに拒否される可能性は高かったものと思われます。

38072035_3  その後出された政府見解として、つまり1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言が、パリ不戦条約第1条の「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」の中の、「国家の政策の手段としての戦争」と同じ意味で、具体的には侵略戦争を意味するとしています。

 つまり侵略戦争のための戦力保持は認められないが、自衛戦争のための戦力は持ってもよい、ただそれは反対勢力の批判をかわすため「自衛のため必要最小限のもの」という条件を付け、いまだに自衛隊への手かせ足かせになっているのは周知の通りです。

 私は国の安全保障の観点から、もっと言えば国の独立と主権を守り、国民の安全と財産を守るという観点からは、すでに作られた条文がどうのこうのというより、どうしたらそれを完全に遂行できるのかという現実的な視点で捉え、その遂行を危うくするような事態を回避するために、それに見合った形の具体的な条文にする必要があると思います。

 安倍首相「9条2項を残したまま、自衛隊明記」という見解を述べています。とりあえず改憲しやすいようにとの配慮でしょうが、本質的解決にはなりません。つまり文言の解釈によってかなり違った意味にとられるような条文は意味をなさないし、また長谷川氏の言うように明らかに国の主権を毀損するような条文(第9条2項)は削除してしかるべきだと考えます。


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2018年12月27日 (木)

自主憲法で真の独立国家に

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 護憲派の憲法学者や立憲民主党の議員たちの言う「立憲主義」とは、「政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠する」という考え方です。いわゆる「憲法は国家権力を縛るもの」としています。しかしこの考え方は以前ブログでも述べましたが、これはフランス革命後の共和制時代の古い考えだと、評論家の加地伸行氏は明確に否定しています。


 また西部邁氏も同様に「民主主義が発展成熟する歴史段階に至れば、政府が民意を蹂躙することなどあり得ない」、として否定しています。日本は民主主義国家であり、中国や北朝鮮などの共産主義国家ではないのですから、当然でしょう。

 細谷雄一氏は彼の著書の中で、憲法は「国の形」を示すものという言い方をしていますが、西部氏は
「それには意図的なものと自主的なものがあるが、本来ならば「歴史の試行錯誤を経て成るはずのもの」だと述べています。自然に出来るものではないですから、ある程度意図は入ると思いますが、いずれにしても「自主」が無ければならないと思いますね。

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 そう言う意味では、戦後の日本国憲法はGHQがその原案を起草したと言われています。その過程ではいろいろあったようですが、最大の論点は「皇室存続の取り扱い」であって、細谷氏の著書に因れば、「連合国の中で中華民国、ソ連、豪州などの国は、天皇が開戦の中心にいたのだという思いから天皇制廃止を訴えた。それを説得するために、戦争の放棄を謳わざるを得なかった」と言うことのようです。と言うことは「皇室の存続のために戦争の放棄を取り入れた」というのが真相であって、その起草案を敗戦直後の当時の状況から、日本側も認めざるを得なかったと言うことでしょう。


 はっきり言えることは、日本始まって以来の、外国との大きな戦争に初めて敗れ、GHQによる占領下という、主権のない特殊な状況で、かつ原案がGHQによって作られた憲法は、上記「自主」の部分が全くないと言うことになります。

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 もちろん「歴史の試行錯誤の結果」という要素はありますが、2600年以上続いている日本の歴史全体から見て、ほんの一時期の歴史の結果だけであり、これが試行錯誤の結果と言えるかどうか疑問でもあります。また当時の議会を経て天皇による公布で以て成立した憲法ですから、手続き的には問題なかったにしても、「自主憲法」であるかと言えば「ノー」と言わざるを得ないでしょう。

 そして憲法が「国の形」を示し、その永続性を目指すものであるはずでしょうから、当然国の独立や主権の確立を前提にしなければ成りません。もちろん国を構成する国民の、安全や財産を守るという政府の責任を、担保しうるものでなければならないでしょう。

 その意味では、国民の権利や自由を大幅に盛り込んでいる部分は良いにしても、国防に関して、その戦闘を完全に否定する条項を含んでいるのは、甚だ問題です。一般には9条1項は侵略戦争の否定であり、2項はその侵略戦争のための戦力保持と交戦権を認めないのであって、自衛のための戦力までは否定しない、と言う解釈がされていますが、そうであればそう言う文言に代えればいいのではと思います

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 西部氏の著書に依れば、「国民の93%が自衛隊の存在を認めているのに、9条2項の改正には60%が反対している、余りに不合理に満ちた国民」と記述されています。この60%全員が芦田修正による2項冒頭の、「前項の目的を達成するため」という文言、つまり「侵略戦争のため」を正確に理解しているのでしょうか。

 GHQの総司令官であったマッカーサーが、退任後の1951年の上院の軍事外交共同委員会で有名な証言、即ち
「日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)によるものでした」、と、大平洋戦争が、いわゆる日本による「侵略戦争」とする一般的な見方とは、少し違った見方を示しています。

 このように何が侵略戦争で、何が自衛の戦争なのか、区別するのは難しいと思います。「日本は真珠湾を先制攻撃した」ということで、先制攻撃を仕掛けた方が侵略であれば、米国による「ベトナム戦争」も「イラク戦争」もすべて侵略戦争になります。(もちろん米国は逆の見方を示すでしょうが)

 いずれにせよ、日本側が侵略しなくても、侵略されることはあり得るでしょうし、そのとき侵略した側が、日本から侵略されたと強弁することもあり得るでしょう。また最近は領土の侵略だけではなく、海洋侵略や情報侵略など、多岐にわたる攻撃が予想されます。日本が仕掛けなければ相手は何もしないという、「お人好し」「お花畑」「性善説」を今すぐに捨て去り、憲法を改正し、国と国民を守る防衛体制を、しっかり整えるのが是非必要だと思います。


 
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