国連

2020年4月29日 (水)

日本にとって国連は価値ある組織なのか

Be650d3811c342e68d1e3aa0dd837e35  WHOのテドロス事務局長の中国寄りの姿勢が取りざたされていますが、WHOに限らず、国連をはじめ様々な国際組織分野で、中国がその主導権を握ろうと画策してるのは事実です。その内情と動きの現実を、人間経済科学研究所執行パートナーで国際投資アナリストの大原浩氏が鋭く指摘していますので以下に紹介します。タイトルは『 国連“再編”で中国追放を! 「二大独裁国家」が常任理事国にいる異常…G7参加国ベースに民主主義国主導へ 』(iza 4/28)です。

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)をめぐり、中国と世界保健機関(WHO)に対する国際社会の怒りは強まるばかりだ。国際投資アナリストの大原浩氏は緊急寄稿で、根本的な問題として、共産党独裁の中国が大きな権限を持ち、日本を敵国とみなす国際連合の機能不全があると指摘。中国を「追放」して民主主義国家による「新国連」の再編を提言する。

 トランプ米大統領は4月14日、新型コロナウイルスのパンデミックへの対応を誤ったとしてWHOへの資金拠出を少なくとも一時的に停止すべきだと述べた。

 WHOとその背後にいる中国共産党の「火元隠蔽(いんぺい)」のための情報工作に振り回されていた日本国民だけではなく、世界中の多くの人々が喝采を送った。もっとも、WHOや中国と同じように左翼偏向したメディアはお気に召さないようだが…。

 日本も米国に続いて拠出金の停止を行うべきだ。今は「有事」だからという声もあるが、有事だからこそ、信頼のおけない情報をバラまく組織をサポートすべきではないし、WHOに拠出する資金があるのなら、新型コロナウイルスで多大な被害を受けた日本国民に還元すべきである。

 自虐歴史観で洗脳されてきた日本人は、「世界の人々は立派で“お花畑”に住んでいる」と思い込まされているが、実際に「お花畑」といえる世界に住んでいるのは、戦後75年間も平和で豊かな社会を維持してきた日本人である。その周りを邪悪なオオカミがうろついているのが現実なのだ。

 国連はもともと第二次世界大戦の戦勝国が「戦勝利権」を確定するために創設した組織である。母体は戦争に勝った「連合国」であり、連合国に歯向かった日本などは、今でも国連憲章の中の「敵国条項」で差別的扱いを受けている。

 中韓との歴史戦争で日本が不利な立場に立たされているのは、歴代日本政府の弱腰のせいだけではない。日本を「敵国」として扱う国連も「日本たたき」を事実上サポートしているからなのだ。

 端的な例が、2015年に中国申請の「南京大虐殺文書」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に登録されたことである。「資料としての信憑(しんぴょう)性が低い」「登録を決める審議の場に、文書の原資料もそのコピーもなかった」などずさんな申請内容にも関わらずごり押しで登録されてしまった。日本人は世界遺産をありがたがっているが、その程度の組織に過ぎない。

 実際米国は、15年にユネスコが「聖地エルサレム」の管理をめぐってイスラエルを非難する決議を採択したり、17年に一部をイスラエルが管理している「ヘブロン旧市街」を、「パレスチナの世界遺産」として登録したことに激怒し、ユネスコを脱退している。

 その背後には、戦勝国である本当の中国(中華民国、台湾)に背乗りして、常任理事国になってしまった共産主義中国がいる。国連は、常任理事国以外はどのような小さな国でも1票の対等な権利を持つから、WHO事務局長のテドロス氏の出身国エチオピアだけではなく、数の上で優勢なアフリカ諸国などを牛耳って支配することなど簡単なのだ。

 さらなる災難は、07年から16年の間、韓国出身の潘基文(パン・ギムン)氏が国連事務総長を務めたことである。 その間に、中国の国連支配は完了したのだ。

 4月15日の韓国総選挙では、従北、媚中である文在寅(ムン・ジェイン)大統領の与党「共に民主党」が圧勝した。これは韓国の「反民主主義・独裁志向」を示しているようだ。

 われわれはこの現状に対処しなければならない。国連を解体した後には、「自由主義」「民主主義」を堅持する国々がリーダーシップをとる組織の構築が必要だ。現状の国連では、中国とロシアという「世界二大独裁国家」が常任理事国の地位にあるという異常な状態が続いている。

 「新国連」のベースはG7参加国であるべきだ。フランス、米国、英国、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7つの先進国がリードすれば、世界はもっと良くなる。この中に「反民主主義国家」は存在しない。

 実際、日本の反日左翼勢力が加担したとはいえ、慰安婦強制連行を結論付けたあの「クマラスワミ報告」や、近年になっても日本の人権問題やメディア規制問題など、反日勢力の言い分を鵜呑みにしたような、事実に基づかない報告が出されています。このように日本叩きとも言える報告の背景には、各組織が中国、韓国や、この二国に迎合する国内の反日勢力の温床となっていると言えるでしょう。

 大原氏の言う国連からの中国追放や、現国連に代わる新組織の構築は一朝一夕にはできないでしょうが、少なくとも米国のユネスコ脱退やWHOへの資金拠出停止などを参考にして、日本も分担金停止など思い切った対応をして、このような日本を貶める組織へ怒りをぶつけるべきだと思います。そして日本にとって本当に価値ある組織なのか、再考してみる必要がありそうです。

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2019年9月 9日 (月)

似て非なるアメリカと国際連合

130624_87524_2640x360  今回は国連がテーマです。元駐米大使・加藤良三氏の「似て非なるアメリカと国際連合」(正論2019.8.28)を取り上げます。

 日本では国連の通りがよい。五輪とノーベル賞も同様だ。しかしアメリカではだいぶ違う。多くのアメリカ国民は国連の存在を知らないのではなかろうか?

 国連創立の経緯から言えば、第二次大戦中、枢軸国との戦争を終わらせるという意味での「平和目的」で、当時の米英中心の連合国側によって構想された組織である。従って53条、107条の枢軸国に対する「敵国条項」が残っている。しかし、時代の変遷によって、これは死文化し、1995年、露中を含む賛成国多数で次回憲章改正の際、削除されることが決まっている。

 ≪安保理決定が加盟国拘束≫

 構想段階では戦争終了後、米、英、ソ連、中華民国の4者が警察官となって平和を守るという発想だった。その後フランスが加わった5常任理事国の安保理が出来上がった。

 そこには国際社会の一体化、組織化を追求する理想や理念も確かにあった。国際連盟がうまく機能しなかったことへの反省から「正戦」という概念は無くなり、およそ「武力行使は違法」となった。

 それまで絶対であった国家の主権も制限を受けることになり、安保理の決定が加盟国を法的に拘束するという条項(25条)が設けられた。国際法、国際組織法の観点からは画期的なことといえる。

 しかし、およそ組織は規模が大きくなるほど機関決定の「正当性」は増すが、適時的確に決定に至る「実効性」は低下する。193の国連加盟国数に照らせば、憲章下の実質的最高決定機関である安保理のメンバー数を15(常任5+非常任10)に絞る規模感は組織論的には妥当だったと思われる。

 国連創設に当たり国連(United Nations)の構造モデルとしてアメリカ(United States)が当時のルーズベルト米大統領やチャーチル英首相の念頭にあったことを明示する資料は見当たらないようだ。

 それでもアメリカと国連が構造的に似ているところはあるような気もする。例えば、アメリカでの基本単位は州(国連では加盟国に当たる)であり、州には高度の自立性がある。連邦憲法で列挙された国防、条約締結、一部の税、貨幣鋳造など一定の事項以外の権限は全て州にある。教育に関する権限を連邦は持たない。教育は国(連邦)に任せるなという民意がアメリカにはあるようだ。死刑の有無も各州の判断に委ねられている。

 軍になるとアメリカの州は独自の軍隊を有する。さらに「ミリシア」(義勇軍)がある。これらは国家の有事の際、動員されて連邦軍に組み込まれる。一方、国連軍は、独自の常備軍が存在するのではなく、いざというときに加盟国が提供する軍の寄せ集めである。

 ≪民主性に欠ける安保理≫

 ただ組織論から見て国連とアメリカが決定的に違う点がある。制度次元の「民主性」である。

 前述したとおり、国連の最高決定機関である安保理の規模感(常任、非常任理事国合わせて15)は組織の実効性担保の上で妥当と思われるが、米英仏ソ中の5カ国を常任(つまり終身。非常任理事国は2年ごとの選挙にさらされる)とし、「拒否権」を付与した。

 これは民主主義的制度と相いれない。実際、そのつけは巨大であった。5カ国の間に共通の価値観があればともかく、発足直後から米英仏とソは水と油であり、71年に中華民国が中華人民共和国に入れ替わってからは米英仏対ソ中の3対2に色分けされた。

 これでは大事の時に国連が機能するはずがなかった。自由民主主義側が犯した取り返しのつかない戦略的誤りであり、国際安全保障の根幹にかかる国連の実効性は当てにならないままである。

 今日の国際情勢に照らして、米英仏露中だけが世界を代表して規格外の特権を享受する資格のある5カ国と誰が信じるだろうか?

 アメリカはそれ自体が国際社会の縮図といえる国柄である。何だかんだといわれるが民主主義が健全に機能している代表国である。近年ではイラク戦争の折などにアメリカの「ユニラテラリズム」(単独行動主義)が批判を呼んだ。しかし、時に行き過ぎがあるかもしれないが、危急の時に「能動的単独行動主義」を取る国と構造的要因のために「受動的」多数国間主義(マルチラテラリズム)、すなわち、「拱手傍観(きょうしゅぼうかん)」に陥らざるを得ない組織のいずれを恃(たの)むのか。答えはおのずと明らかだろう。

 ≪緊迫下で姿見えぬ国連≫

 今、日米同盟の信頼性、実効性を維持し強化するのは、基本的価値観の観点からも投資効率の観点からも最も妥当で合理的な選択だろう。日本国民は言わず語らず、そこをのみ込んでいると思うが、昨今の緊迫を増す国際情勢の下で国連の姿が見えないのはどうしたことだろう?

 近年国際社会のより高度な組織化、一体化を目指すはずの国連の理念とは逆に世界は宗教的信条、非理性的感性と行動が幅を利かせる中世的世界に先祖返りしようというのだろうか。

 加藤氏は国連とアメリカを対比させ、類似点と相違点を述べていますが、アメリカにおける州と、国連における加盟国の関係は似て非なるものでしかありません。国連の機構の説明にはこの比較は有効でも、そもそも比較対象とするのは無理でしょう。

 それより日本にとって国連と言う存在は国益にかなうものかという視点で考える必要があります。まず安全保障面に関して言えば、安保理常任理事国の存在とその拒否権保有という仕組みがあり、それはまったく民主的な仕組みではなく、そのため世界の安全保障にほとんど寄与していないという現実があり、加藤氏の指摘の通り、日米同盟のほうがより日本にとっては有効であること。

 さらにこのコラムでは触れていませんが人権理事会などの下部組織が、一部の国にその委員長や委員のポストを握られ、またはその委員会等で一部の国の意見のごり押し等が行われている等、民主的な運営とは程遠い実態があり、時に日本がその非難の対象にされることが多い点も指摘されています。

 私は多くの日本人が「国連中心主義」的考えを持ち、国連に期待していて、多くの分担金を受けもっている現実があるように思いますが、加藤氏の指摘のように国連の真の実態をつぶさに見れば、日本の国益にプラスになることは少ないと思わざるを得ません。もう一度国益に照らしてみて国連にどう対応していくのがベストか、考えてみる必要がありそうです。

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