歴史・国際

2019年11月10日 (日)

「反日韓国 親日台湾」由来は何か

Images-1_20191110151001  今回は拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏のコラム『「反日韓国 親日台湾」由来は何か』(正論 11/6)を取り上げます。同じ併合統治をした二国なのになぜこうも日本に対する態度が違うのか、氏が語ります。

 韓国が反日的である一方、台湾が親日的なのはなぜか、としばしば問われる。“日本が両者と関わるようになった近代史の起点を振り返れば理解できますよ”というのが私の答えである。

 ≪近代史の起点振り返る≫

 日清戦争での勝利により清国から割譲された海外領土が台湾である。日本が台湾に足を踏み入れた時点、この島に住まっていたのはマレーポリネシア系の原住民と対岸の福建・広東から移住してきた言語と習俗の違う諸群族であり、台湾は典型的な異質社会であった。群族は原住民を山間地に追いやり相互に耕地と支配権を奪い合う殺伐たる状況下にあった。「分類械闘」といわれる。分類とは原籍を異にする者、械闘とは格闘、闘争のことである。コレラ、ペストなどの熱帯病も蔓延(まんえん)していた。

 清国は1684年に台湾を福建省台湾府として自国領とした。しかし台湾の開発には関心がなく、天子の徳の及ぶことのない蕃地(ばんち)「化外の地」として放置した。日本が新たに領有することになったこの島には政治も社会統合も不在であった。統治開始のためには、清国兵と現地住民よりなる反日武装勢力、「土匪(どひ)」と呼ばれるアウトロー集団を排除しなければならない。日本は台湾で「もう一つの日清戦争」を戦わざるを得なかった。その制圧に成功した日本を待っていたのは、社会の末端を深く冒していた熱帯病と「アヘン禍」であった。台湾は文字通り「難治の島」だった。台湾の開発が軌道に乗り始めたのは、総督・児玉源太郎、民政長官・後藤新平が着任して以降のことである。

 台湾には日本が継承すべき歴史や文化は何もなかった。しかし、このことは初期の難題を克服すれば、その後の開発を遮るものがなかったことを意味する。実際、児玉と後藤は自ら描いたデザイン通りに開発を進め、全島の隅々にわたる社会統合を史上初めて実現することができた。以来、第二次大戦での日本の敗北による「台湾放棄」に至るまでの間に、日本が台湾に根付かせたものが、日本の社会秩序と社会規範であった。

 ≪支配エリート「両班」の観念≫

 台湾放棄の後、台湾を占領した国民党の苛烈な政治、38年に及ぶ戒厳令下で、日本時代の社会秩序と社会規範は崩れ去ったかにみえたが、李登輝氏による民主化の時代に入るとともに記憶が鮮やかに蘇(よみがえ)り、台湾アイデンティティの淵源(えんげん)となった。

Images_20191110151001  対照的に朝鮮はどうか。日本の統治が朝鮮に及ぶ以前の500年余、朝鮮は李朝と呼ばれる厳たる王朝国家であった。この時代に支配エリート「両班」の中に強い観念「小中華思想」が刻み込まれた。形式上は清国に「事大」するものの、中華の本流は満族の征服王朝・清朝にではなく、実に「我に在り」と考えられた。中華より中華的なるもの、中華をより純化したものが朝鮮の小中華思想である。日本は小中華の埒外(らちがい)、朝鮮よりはるかに劣る道徳も正義もない「蛮夷」とみなされた。あろうことか、朝鮮はこの蛮夷・日本に併合されたのである。

 李氏朝鮮は朱子学を原理とする圧倒的な専制国家であった。妻は夫に従い、子は親に従い、身分の低いものは高いものに従う。この血族道徳が政治道徳となっては、民は王を取り巻く支配エリートに盲従する以外に生きる道はない。

 血族社会原理が政治統治原理となれば、これはもう一元的専制主義と同義である。この時代の朝鮮には「奪う者と奪われる者」しか存在しなかった。この間、中産階層が生まれることはついぞなかった。ここに身分制の廃止、私有財産の不可侵、契約自由の原則などを持ち込んだのが日本であったが、これは支配エリートには既得権益の侵害以外の何ものでもなかった。日本統治は彼らには心底受け入れ難いものであった。

 ≪日本のなすべき外交は≫

 大戦敗北により日本が統治を放棄、韓国の「光復」がやってきた。しかしたかだか36年の統治により500年以上も続いた観念が払拭されるはずもない。現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリートはその観念において紛れもなく新しき両班なのであろう。統治時代の「対日協力者」が清算されず、独立運動家たちは建国の主役になれなかった。新たな権力者となった李承晩や朴正煕は反共主義者として朝鮮分断の道を歩み、自らを侵した日本、日本と同盟関係にある米国と手を組んで大韓民国を作ってしまった。これは道義において許し難い。文在寅氏の感覚はそういうものに違いない。

 反日の旗を降ろすことは自らの正統性を棄却するに等しいのであろう。エリート達は韓国は「間違って作られた国」だと考えていると李●(火を横に二つ並べ下にワかんむりに水)薫教授は指摘する。そうに違いない。「過去史清算」とか「積弊清算」とかいう物言いは、そういう彼らのセンチメントを政治用語化したものなのであろう。

 日本は韓国には客観的事実を伝えるだけでいい。他方、台湾にはその親日感情に甘えるのみでいいのか。なすべき外交をなさないでいいはずがない。

 氏の言う通り台湾には親日感情に甘えるだけではなく、台湾の国家としての承認と独立へのサポートをすることが必要でしょう。もちろん中国の反発は計り知れないかもしれませんが、アメリカと協力して、少なくともそういった方向への態度を示すべきでしょう。そしてそれを具体化するためには、強力な軍事力が背景になければ、とても中国には太刀打ちできません。もちろん中国対応のみならず、すべての外交力の原点ともいえる軍事力強化のため憲法改正が急がれます。

 また韓国に対しては客観的事実を伝えるだけでは、あの国の姿勢は微塵にも変わらないでしょう。従って思い切った対応策、つまり彼らが言う日本の統治は耐え難い蛮行だったというのなら、その施策の逆を行く対応、つまり一切かかわらないという意味での経済的な面での断交をするべきでしょう。もちろんビザを復活し人の交流も止めるべきです。そこで初めて日本のありがたさを知らしめてみたらどうでしょう。

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2019年10月31日 (木)

徴用工判決から1年、日本に渦巻く「嫌韓」の原点

As20190903003128_comm  今回は東京通信大教授重村智計氏のコラム『徴用工判決から1年、日本に渦巻く「嫌韓」の原点』(iRONNA 10/31)を取り上げます。

 2018年10月30日、韓国大法院(最高裁)は、新日鉄住金(現日本製鉄)に対し、韓国人元徴用工へ計4億ウォン(約4千万円)の賠償支払いを命じた2審判決を支持し、企業側の上告を棄却した。だが、最高裁は、精神的苦痛を与えた加害者を特定する構成要件を明らかにすることはなかった。

 判決の衝撃は大きく、文在寅(ムン・ジェイン)政権を批判する者と嫌韓や怨韓の論調を批判する者、両者の対立が日本で激化した。判決から1年たっても、嫌韓・怨韓感情の収まる気配は一向にないが、その原点は朝鮮半島問題の教科書的存在といえる著名な日本の雑誌が展開した二つの「運動」にある。

 筆者は、1975年に高麗(こうらい)大に留学してから40年以上も韓国・北朝鮮問題を取材し、多くの本や論文を執筆してきた。だから、韓国人と朝鮮人に好意を抱いているし、尊敬すべき多くの韓国人にも助けられてきた。市井の韓国人は素朴で親切だが、政治や運動に携わる人たちは平気で嘘をつく。

 徴用工問題が話題に上るたび、筆者は一人の若者を思い出す。三十数年前、米スタンフォード大のキャンパスで出会った李隆(イ・ヨン)君だ。山口県出身の在日韓国人だが、韓国語は使えない。

 人を「在日の敵か味方か」見極める目つきがギラギラしていたのが印象的だった。でも、韓国人留学生と韓国語で自由に話す様子を認めたのか、警戒を解いた李君はすぐに筆者と打ち溶け、ある日こんなことを話してくれた。

「在日が強制連行で日本に来たのは嘘ですよ。オヤジに日本人に絶対に話すなと言われた」

 李君の父親は戦前徴用工として八幡製鉄所(現日本製鉄)で働かされたが、毎月給与はきちんともらえたし、仕事上で差別もいじめもなかった。それに、終戦で韓国に帰る際には退職金も渡されたし、日本人工員たちも送別会を開いて、餞別(せんべつ)までくれたという。

 ところが、韓国に帰国したものの、仕事がなく食べていけなくなって、再び日本に密航したのであった。「日本人に話すな。強制連行と思い込んでいるから、本当の話をするな」と李君に念押ししたのも無理もない。

 李君の父親のような証言は長きにわたって封印されてきた。こうした証言収集に取り組んだ学者も攻撃に遭い、存在をも否定されてしまった。

 なぜか。戦後の朝鮮半島問題は革新系の学者が先導したからだ。しかも、その多くは戦前に朝鮮の植民地化を支持した人たちだ。

 彼らは韓国を否定し、北朝鮮を肯定する「運動」に取り組むことで、自分の過去を合理化してきた。そうして「日本人にいじめられた朝鮮人もいただろうが、それが全てではない」と主張する者に激しく攻撃を加えたのである。

 筆者は新聞社に勤務していた75年、韓国の延世(ヨンセ)大と高麗大に留学し「韓国はやがて先進国になる」と書いたところ、社の内外から「韓国の手先」と陰口を叩かれて、いじめを受けた。それが、94年に月刊誌『中央公論』で「北朝鮮は石油がないから戦争できない」と指摘すると、「北朝鮮の手先」と攻撃されるようになった。

 日本の新聞は、朝鮮戦争について長い間「北朝鮮が始めた」とは書けず、日本人拉致が「北朝鮮の犯行」と指摘するのもはばかられたころの話である。そのような時代に、「真実」を書く場所を筆者に与えてくれた『中央公論』の宮一穂編集長には本当に感謝しかない。

 筆者は新聞社の先輩に「記者や学者が『運動』に加担するようになったら終わりだ」と口を酸っぱくして言われたので手を染めることはなかったが、運動に乗せられた記者も少なくなかった。運動に加担すれば、目的のために平気で嘘をつくようになる。このように、日本で扱われる朝鮮半島問題は、運動が主流となり、運動の前に「真実」は妨害され続けてきたのである。

 そのような中で、記憶に残る韓国人学者もいる。国民大の韓相一(ハン・サンイル)名誉教授は、著書『知識人の傲慢(ごうまん)と偏見』(韓国・キパラン社)で、月刊誌『世界』の「親北反韓」の姿勢を厳しく批判した。

 韓氏は、日本人と韓国人が友好的で平和的な関係を築くには、互いに尊敬し合えるようになることが重要だと説く。それなのに、『世界』と執筆陣は「南朝鮮(韓国)」への差別感情をむき出しにしながら、「人権抑圧の独裁国家」北朝鮮礼賛に人々を導き、日本人拉致を否定してきた。

 北朝鮮の工作活動として使われた「代表作」が、『世界』で73年から約15年続いた連載「韓国からの通信」だ。駆け出し記者のころの筆者も愛読したほど、多くの新聞記者の「教科書」だった。

 ところが、実はこの連載は日本で書かれていて、ジャーナリズムの基準に照らし合わせれば「捏造(ねつぞう)」であったことが後に分かる。当時の『世界』編集長も韓国月刊誌のインタビューで「自分も執筆している」と認めている。本当に韓国から届いた寄稿だと思っていた記者たちはすっかり騙されたことになる。

 「韓国からの通信」は、韓国でも反体制派学生の翻訳により地下出版されていた。筆者がソウル特派員時代、翻訳本を持参した学生は「日本人が韓国の状況を『宮廷闘争』のように楽しんでいるが、その参考のために翻訳した。日本人の差別意識が分かる」と発刊の理由を語った。この思いは本の序文にもつづられていたほどだ。

 そもそも、『世界』は掲載論文に大韓民国(韓国)という用語を使わせず、84年10月号まで「南朝鮮」と表記させた。明らかな韓国蔑視だが、「韓国という国は存在しない」という北朝鮮の主張に従ったものである。

 エピソードでも分かるように、日本人の心の底にある「韓国・朝鮮人蔑視」の感情を、『世界』が韓国人にだけ向けさせたと韓氏は指摘する。だが、同誌から反省の言葉は聞かれない。

 韓国蔑視、北朝鮮礼賛の「呪縛」から解放されたことで、ようやく日本での論調が変化した。常識的な日本人は「南朝鮮」の表記や「日本人拉致はない」という一連の主張に疑問を感じていたのだ。

 反韓親北の運動を展開した雑誌の部数が激減し、保守論調の雑誌が部数を拡大した現実がそれを物語っている。一部の主張には過激で理解不足も見受けられるが、呪縛からの独立が生んだ反動であり、やがて正常化していくだろう。

 このように、朝鮮半島問題の真実は、日本人の心の底にある「差別意識」を南北朝鮮の当事者双方が利用し、敵対する相手に向けさせた「運動」と「工作」の歴史にある。つまり、北か南か、どちらかの「旗振り役」にさせる運動と工作が展開されてきた。

 この構図は「(日本文化人による)日本的オリエンタリズム」だといえる。「オリエンタリズム」はパレスチナ出身の批評家、エドワード・サイードが解明した欧米によるイスラム蔑視の理論である。

 韓国の革新勢力は、すなわち北朝鮮支持者たちである。徴用工判決の背後には、北朝鮮を支援する日韓左派の「運動協力」がある。

Hqdefault_20191031154401  米コロンビア大のキャロル・グラック教授によれば、日韓対立は「記憶の戦争」であって、真実の解明ではないという。徴用工判決は「日本の植民地支配は違法であった」ことを法的根拠にしたが、日韓併合条約は大韓帝国皇帝が自ら決断したもので合法であると、多くの国際法学者が認めている。

 現在の日本国民が「朝鮮の植民地化はよくない」と反省している事実は、韓国では理解されない。戦後の日本人が変わった事実すら認めない。日本国憲法の掲げる「平和主義」も知られていない。

 「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に尽力した加藤康子元内閣官房参与は、元工員や鉱夫の証言を地道に集め、嘘の証言を検証しながら真実を解明するという、気の遠くなるような仕事に取り組んでいる。それでも、ウェブサイト「軍艦島の真実―朝鮮人徴用工の検証」でも見られる加藤氏の成果は、韓国人に理解されることはないのである。

 子供のころから捏造された歴史をもとにした「日本=悪」の反日教育を受けている韓国人には、どのような真実の歴史に基づく見解も理解されないでしょう。重村氏の言う通り日本でも戦後革新系の学者がこぞって「日本=悪」の主張をしてきた罪は深いと思います。

 その後の日本のお人好し腰砕け外交が、解消どころか油に火を注いだこの「日本=悪」の構図は、容易に解消されないでしょう。しかしそれに乗って反日蛮行を繰り返す韓国には、さすがに一般の日本人もキレだしたようです。それは重村氏の言う歴史に基づいた韓国蔑視とは全く異なる意味での新しい「嫌韓」です。まさにこのコラムのタイトルが示すように「渦巻く嫌韓」のあらしが吹き始めました。ようやく日本も普通の国になろうとしているのでしょうか。

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2019年10月10日 (木)

なぜ韓国は「ライダイハン」に無関心でいられるのか

20400  今回も前回に引き続き「ライダイハン」の話題を取り上げます。元在韓ジャーナリストの竹嶋渉氏の『なぜ韓国は「ライダイハン」に無関心でいられるのか』(iRONNAから引用)がそれです。無関心と言えば聞こえがいいですが、蛮行に対する単なる逃げとしか言いようがありません。

 「他人がやれば不倫、自分がやればロマンス」。韓国で「自分に甘く、他人に厳しい」、つまり「身内びいき」や「ダブルスタンダード」を指して語られる言葉である。

 「ライダイハン」とは、「韓国系のベトナム人」を意味する言葉である。もともとはベトナム語で「Lai Đại Hàn(𤳆大韓)」と表記するが、韓国でも一般に広く用いられている。

 なぜ、韓国の隣国でもないベトナムに「韓国系ベトナム人」が存在するのだろうか。これは、韓国のベトナム戦争参戦が原因である。韓国は1964年からベトナムに派兵し、本格的にベトナム戦争に参戦した。ベトナムに赴いたのは韓国軍の軍人だけではない。軍人とともに数多くの労務者や韓国企業の労働者が特需を求めてベトナムに殺到した。大韓航空を傘下に収める「韓進」は軍需品の輸送で、「ヒュンダイ」の名で知られる「現代」は土木・建設分野で、今はなき「大宇」は繊維製品をはじめとする軍需品の生産で大きく飛躍した企業である。最盛期には、5万人の韓国軍がベトナムに駐留し、それに伴って韓国人労働者の数も2万人まで増加した。その過程で韓国人男性とベトナム人女性の間に数多くの「韓国系ベトナム人=ライダイハン」が誕生することになった。

 1973年のパリ平和協定に伴って韓国軍がベトナムから撤退し、75年の南ベトナム(ベトナム共和国)の崩壊とともに韓国企業や韓国人労働者もベトナムから撤収することになった。統一されたベトナムで「ライダイハン」は「敵軍との間に生まれた子ども」としてさまざまな圧迫や差別に直面することになった。ちなみに「ライダイハン(𤳆大韓)」の「𤳆」は「ハーフ」をあらわす接頭辞であるが、そこには多分に軽蔑の意味が込められている。

 現在、「ライダイハン」の正確な数は把握されていない。1500人から3万人までさまざまな数字が提示されているが、公式的な統計は現在も存在しない。その内幕については公にされていないが、強姦や売買春の他に、韓国人の「現地妻」が生んだ「ライダイハン」も相当数存在すると思われる。「ライダイハン」の居住地は韓国軍が駐屯していたホーチミン(サイゴン)、クィニョンなどであり、首都・ハノイにはほとんど居住していないという。

 92年に韓国とベトナムは国交を回復したが、修好に際し韓国の盧泰愚大統領(当時)は「ライダイハン」に対して、謝罪どころか何の言及もしなかった。ただ、修好が契機となり、韓国国内で「ライダイハン」に対する関心が一時的に高まったことも事実である。修好直後には「『ライダイハン』が生みの父と再会した」などというニュースが「美談」として報じられもした。

 94年2月には韓国南部の馬山の短大に留学していた「ライダイハン」が23年ぶりに韓国人の父親と再会し、韓国のマスコミは「韓国人の父親の国で技術を学びに来て、23年ぶりに生みの父に会う喜びをかみしめた『ライダイハン』」などと浪花節調に報じていた。ただし、そうした関心も一時的なもので、韓国政府が「ライダイハン」に対して積極的な対応策を取ることはなかった。韓国の民間団体やキリスト教宣教団体がベトナム現地で「ライダイハン」に対する支援事業を行うことはあったが、現在に至るまで、韓国政府が公式的に「ライダイハン」について何らかの支援処置を講じたことはない。また、大多数の韓国人も「ライダイハン」については無関心のままであった。

 これは、ベトナムにおける韓国軍の蛮行が韓国国内ではまったく報じられてこなかったためでもある。韓国軍がベトナム戦争において民間人虐殺や婦女子強姦などの悪行を働いてきたことは周知の事実であるが、韓国では、90年代中盤になるまで完全に隠蔽(いんぺい)され、公の場で語られることはなかった。90年代の中盤から韓国の進歩系メディアによって、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行が明らかにされ始めたが、そうした報道がなされる度に、ベトナム参戦兵の団体からの妨害や襲撃が繰り返されてきた。

 「ライダイハン」に対して語ることは、韓国軍の強姦や買春、韓国人労働者の無責任な養育放棄に触れることにほかならず、「自由陣営の一員として民主主義を守るためにベトナムで戦った」韓国の国家的な威信を傷つけることにつながるからである。そうした韓国で「ライダイハン」に注意を払う韓国人が皆無だったとしても不思議ではない。

 韓国のキリスト教系放送局であるCBSは、昨年11月14日、韓国軍の強姦によって生まれた「ライダイハン」が、ベトナムで「敵軍である韓国軍の子」として迫害を受け、就学や就職、就業などでさまざまな差別を受けている実態を放送している。この放送では、韓国の国防部(国防省)が「現在でも、韓国軍の強姦問題については事実関係が明らかではないため、当分の間、別途の調査計画がない」という立場を取っていることも報じられた。日本に対しては慰安婦問題などで「反省」や「謝罪」を要求してくる韓国人であるが、いざ自分のこととなると、「反省」や「謝罪」どころか、調査すらしないのである。

 ベトナムで差別され、韓国からも見放された孤立無援の「ライダイハン」の中には、韓国で訴訟を起こし、自らの父親が韓国人であることを立証して、韓国国籍を取得することができた者もいる。2000年代に入るとこうした父親との血縁関係確認訴訟が相次ぐようになった。

 2002年7月26日、ソウル地方裁判所は産業研修生として韓国に入国した「ライダイハン」R氏が父親を相手に起こした訴訟で、「血縁関係が認められる」という判決を下している。注目されるのは、その「血縁関係」の内幕である。判決は、「父親の李○○氏はベトナムのホーチミン(旧サイゴン)で自動車修理工として勤務していた去る69年にベトナム人女性に出会い、原告が生まれた後、74年にベトナムの国内法に従って結婚したという事実が認められる」として、原告勝訴の判決を下している。要するに現地で結婚しておきながら、妻子を捨てて韓国に帰国していたわけである。李氏は控訴せず、R氏は李氏の戸籍に「子」として記載されることになり、遺産相続や韓国国籍取得も可能になった。ただし、これは父親が韓国人であるということが立証できた場合に限られている。

 また、韓国国籍の取得と韓国国内での就職を目指すR氏のようなケースは、「ライダイハン」の中で少数派である。韓国とベトナムの経済関係が発展するにつれ、「ライダイハン」の境遇もある程度改善されたからである。2世、3世の「ライダイハン」の中には、その出自を生かしてベトナムに進出した韓国企業に就職し、一般のベトナム人よりはるかに高い給与と恩恵を享受している例も散見される。必ずしも「ライダイハン」のすべてが偏見と差別に苦しんでいるわけではないのである。

 「ライダイハン」の境遇は改善されつつあるようだが、ここに来て新たに「新ライダイハン」の問題が台頭している。「新ライダイハン」とは、92年の修交後、ベトナムに進出した韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた子供のことである。なぜか、韓国人は事業で海外などに進出した場合、「現地妻」を囲う傾向があるようで、1999年7月14日付聯合ニュースは、ベトナムに事業目的で居住する韓国人の30%程度が「ベトナム人現地妻」を囲っていると報道している。問題は、こうした韓国人男性が「現地妻」と、「現地妻」に産ませた子供を放棄して帰国してしまう事例が後を絶たないということである。韓国では、いまだ「新ライダイハン」についてあまり公に語られていないが、遠からず問題となることは明らかである。なぜなら、フィリピンに事業目的で進出した韓国人とフィリピン人「現地妻」の間に生まれた子供による認知が、すでに大きな問題になっているからである。

 韓国人とフィリピン人「現地妻」との間に生まれた子供を「コピーノ」と呼ぶ。「ライダイハン」同様、「コピーノ」の数は正確に把握されていないが、ECPAT(アジア観光における児童買春根絶国際キャンペーン)関連団体の集計によると3万人にも達するという。2014年には、「コピーノ」の兄弟が事業家である韓国人男性を相手取って起こした訴訟において、ソウル家庭裁判所が「嫡出子であることを認知する」という原告勝訴判決を言い渡している。

 被告の韓国人男性は90年代末にフィリピンで現地女性と同居し、二人の息子をもうけたが、2004年に韓国に帰国し連絡を絶ったという。この当時、同様の訴訟が9件も進行中で、被告はいずれも事業や留学を目的としてフィリピンに赴いた韓国人男性だった。過去、日本人男性もフィリピンで現地女性との間に子供(「ジャピーノ」と呼ばれる)をもうけた後、養育を放棄する事例があり、大きな社会問題になったことがあるが、それと同様の問題が韓国でも起きているのである。ただし、日本は法改正を行い「ジャピーノ」の国籍取得の簡略化に努めている反面、韓国政府はまったく無関心である。そのため、子供の認知訴訟のために韓国に入国しようとしたフィリピン人女性が、経済事情を理由にビザの発給を受けられないという事態まで起こっている。

Hqdefault_20191010170401  現在、「新ライダイハン」の数は1万人に達しているとされるが、「コピーノ」同様、韓国政府は何らの対策もとっていない。キリスト教系放送局であるCBS「ノーカットニュース」は2008年12月25日、「新ライダイハン」出生の事例と、現在の境遇について報じている。報じられた事例は、ホーチミンに住むベトナム人女性Aさん(32)とBさん(26)のケース。Aさんはベトナムに進出した韓国企業で出会った韓国人男性との間に息子1人をもうけたが、男性は2005年5月に帰国後、連絡を絶った。Aさんはシングルマザーとして息子を育てている。Bさんの夫である韓国人男性(56)は「病院治療に行く」という名目で韓国に帰国、消息不明となった。後にBさんの夫は営んでいた水産事業に失敗し、韓国に逃亡したことが判明。Bさんもシングルマザーとして6歳の息子を育てている。今後、「コピーノ」同様、こうした「新ライダイハン」による認知訴訟が起こされ、韓国の新たな社会問題になることは容易に想像がつく。

 昨年、韓国では、ベトナム修好25周年を記念する映画『パパの川』の制作が発表された。この映画は韓国・ベトナムの共同制作で、「韓国人の父親とベトナム人の母親との間に生まれた主人公が韓国でオーディション番組に参加してスターとなり、父親に会うという内容」だという。昨年の8月30日には撮影地である南東部の都市、蔚山で制作発表会も開かれた。実は、韓国ではこれまでも「ライダイハン」を題材とした映画やドラマが製作されてきた。こうした作品の中には「ライダイハン」が置かれている境遇を真摯(しんし)に扱った作品もあるのだが、報道を見る限り『パパの川』がそうした内容だとは到底思えない。「ライダイハン」が生まれた経緯や実態把握には大した関心がないくせに、こうした興行活動にはやたらとご熱心な韓国人の姿勢には、正直、強い違和感を抱かざるを得ない。日本に対しては、事あるごとに「正しい歴史認識」と、「過去に対する謝罪」を求めている韓国人だから、なおさらなのである。

 やはり、「他人がやれば不倫、自分がやればロマンス」ということか。

 「他人がやれば不倫、自分がやればロマンス」。まさにその通り。日本がやれば強制連行・性奴隷、韓国がやれば合意の下でのロマンス。そんな詭弁が通るわけがありません。前回に続いてこの韓国の蛮行のコラム。ぜひとも実態を国際社会に拡散し、韓国の非道を知ってもらいたいと思います。

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2019年10月 9日 (水)

「ベトナム大虐殺」現地取材で見た韓国の過ちと憎悪の念

2019012321342868f  今回はフォトジャーナリスト村山康文氏によるコラム『「ベトナム大虐殺」現地取材で見た韓国の過ちと憎悪の念』を取り上げます。日本に対し執拗に併合時代の圧政(ほとんどが捏造)を非難し賠償を要求する韓国。その韓国によるベトナム戦争時のベトナム人への蛮行の数々が、赤裸々につづられています。

 ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)は多くの国々が関わった国際的な戦争だった。社会主義を掲げた北ベトナムには中・ソ・北朝鮮が側面支援を主に行い、南ベトナムにはアメリカを筆頭に韓国、台湾、スペイン、東南アジア条約機構(SEATO)の国々が支援した。

 1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇が米軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる「トンキン湾事件」が起きる。これを機に、アメリカは本格的な軍事介入を始め、翌65年2月に北爆を開始。同時期に韓国軍の派兵も始まった。

 朝鮮戦争で壊滅的な被害を受けた韓国。休戦の53年にはアジア最貧国グループの一つとなった。当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は、日本が朝鮮戦争で高度経済成長のきっかけをつかんだことをよく知っていた。韓国を豊かな国に変えるべく、ベトナム戦争を経済発展の絶好の機会ととらえ、韓国軍戦闘部隊のベトナム派兵を決定する。

 韓国の派兵は64年9月に医療班やテコンドー教官などの非戦闘先遣部隊が送り込まれ、翌65年2月、工兵部隊を中心に2000人を派遣。戦況が悪化していくにつれ、同年10月には1万8500人あまりの戦闘部隊を本格的に投入した。その数や、韓国軍が撤退する73年3月までに延べ32万5517人にのぼり、アメリカに次ぐ大量派兵となった。

 韓国軍のベトナム参戦について、ノンフィクション作家の野村進氏が『コリアン世界の旅』(講談社、1997年)の中で、韓国軍元上等兵の発言を次のように書き綴っている。

 「韓国がベトナム戦争に参戦したのは、世界の自由主義を守るためだとか言ってましたけど、本当はカネのためなんですよ。カネ目当てなんだから、早い話がアメリカの“傭兵”ということですよね」

 「カネ」のためにベトナム戦争に参戦した韓国軍。彼らはベトナムの地で歴史上ぬぐい去ることのできない多くの恥辱を残すこととなる。韓国軍戦闘部隊の多くは、ベトナム中部のニントゥアン省からダナン市にかけての海岸沿いを走る国道1号線の主要都市に駐屯し、至るところで罪もない民間人の虐殺を繰り返した。

 1990年代後半に、ホーチミン大大学院でベトナム現代史を勉強していたク・スジョン氏。彼女がベトナム政府局の資料を入手し、韓国の左派紙「ハンギョレ」に提供した情報によると、「韓国兵はきれいに殺して、きれいに燃やし、きれいに破壊するというスローガンのもと、掃討作戦を繰り広げて、民間人を次々と無差別殺戮していった」(『ハンギョレ21』1999年5月 第256号)。

 また、韓国軍の虐殺地が点在しているベトナム中部のフーイエン省で『フーイエン省の歴史書』(2013年12月発行)の作成のために聞き取り調査を行い、編纂(へんさん)したフーイエン新聞社のファン・タン・ビン編集長(54歳=09年9月当時)は次のように話す。

 「韓国兵は村のすべてを焼き払い、無抵抗の子供や妊婦も容赦なく殺害し、年ごろの娘においては輪姦したあとに女性器を銃剣でかき回し、射殺するという暴挙もあった」。そしてついには、「韓国兵に出あうことは死ぬことだ」と、ベトナム人に言わしめたという。

 韓国軍のベトナム戦争参戦によって起きた問題は、「民間人虐殺行為」だけではなく、「ライダイハン」問題がある。ライダイハンとは、「ライ」がベトナム語で混血を表し、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称である。ベトナム戦争時にできたライダイハンの数は、最少1500人(朝日新聞1995年5月2日付)から最大3万人(釜山日報2004年9月18日)と推計されている。

 ベトナム戦争時、中部ビンディン省にできた韓国軍施設でウエートレスをしていたヴォー・ティ・マイ・ディンさん(59歳=09年9月当時)は、19歳のころに施設内の食堂で輪姦され、誰の子だかわからないライダイハンの息子、ヴォー・スアン・ヴィンさん(39歳=同)を身ごもった。

 ヴィンさんは母を前にして寂しそうに話す。

 「戦後、アメラジアン(アメリカ人とアジア人のハーフ)同様、『敵国』との間の子だと差別され、辛かったことを覚えています。小学校のころには、『この学校に敵がいると規律が乱れる』と罵られ、帰り道、同級生に石を投げられたこともありました」

 ヴィンさんは戦後40年以上経った今でもライダイハンというだけで差別を受けて定職に就くことができず、日雇いでトラックの積み荷を降ろす仕事をしている(2015年6月当時)。

 では、ベトナムの地で数々の過ちを犯した韓国は、戦後、どのような補償をしているのだろうか。

 2000年代に入り、ようやく韓国の市民団体らが、韓国軍による民間人虐殺やライダイハンに対する謝罪の意味合いを込めて、韓国軍が駐屯地を中心に「ベトナム平和医療連帯」が無料診療を行い始め、虐殺があったとされる場所の「憎悪碑」や「慰霊碑」などの訪問を始めた。

 また、03年1月には韓国左派紙のハンギョレ新聞社が資金を募り、フーイエン省ドンホア県に8000平方メートルの土地を買い、10万米ドル(およそ1100万円)をかけて、韓越平和公園を造景した。しかし現在、公園は利用者もなく放置され、ゴミが散らばり、廃園となっている。

 韓越平和公園の近くに住み、カフェを営む50代の女性は、「公園はボロボロで汚いし、使い物にならない。手入れされていない木が生い茂っているので、たまに若いカップルが木陰で話しているくらいです。韓国軍が虐殺事件を起こした地域に公園を造るなら話もわかりますが、なぜこの場所にあんな大きな公園を造ったのかが理解できません」と話す。

 韓越平和公園造景後、同地域に韓越友好病院(05年9月)を設立。15年3月には韓国軍の虐殺が行われたフーイエン省タイホア県内に、韓国の民間支援で小学校を創立した。

2_20191009143501  さらに16年春、「平和の少女像(慰安婦像)」を作成した彫刻家のキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻が、ベトナム戦争での韓国軍による民間人虐殺を謝罪する意味で「ベトナム・ピエタ像」を制作。16年中に韓国の済州(チェジュ)江汀(カンジョン)村とベトナムのクアンガイ省ビンソン県に建立される予定だった。ベトナム戦争終結から42年目の17年4月30日、韓国の済州江汀村でお披露目されたが、ベトナムでは未だ世に出ていない。

 また、16年10月11日に韓越平和財団が、ダナン市にある中部最大のダナン博物館に「ベトナム・ピエタ像」を贈呈。さらに同年12月3日、クアンガイ省ビンソン県での韓国軍による民間人虐殺の生き残り、ドアン・ギアさん(50歳=16年9月当時)の自宅訪問の際、「ピエタ像」を持参した。

 しかし、「ピエタ像」は、ダナン博物館では日が当たることもなく地下倉庫に眠り、ギアさんはクアンガイ省庁から受け取ることを拒否するように言われているため、受け取ることができなかった。

 「韓越の関係は今、良くなっています。私らがピエタ像を受け取るということは、今さら過去を掘り返してまで、時代に逆行することはないということでしょう」(ギアさん)

 韓越問題に詳しいベトナムのジャーナリスト、チャン・クアン・ティさん(39歳=同)。フーイエン省で生まれ、祖父母から韓国軍による民間人虐殺の話を聞いて育った。

 「右肩上がりの今のベトナム経済にとって、韓国は切っても切り離せないでしょう。しかし、だからと言って過去の韓国軍による民間人虐殺やライダイハン問題に蓋をして、なかったことにするというのは筋違いです。ベトナム政府も目先の『カネ』ばかりを追うのではなく、じっくりと韓国政府と向き合い解決の糸口を見つけるべきです」

 韓国の政府レベルでは、98年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領が訪越した際に「不本意ながら、過去の一時期、ベトナム国民に苦痛を与えたことを遺憾に思う」と謝罪するも、保守派ハンナラ党(現セリヌ党)副総裁だった朴正煕の娘、朴槿恵(パク・クネ)氏が、金大中の発言に対し、「大統領の歴史認識に不安を抱く。軽はずみな発言は参戦者会の名誉を著しく傷つけた」と強く非難した。

 13年2月、朴槿恵氏が大統領に就任する。9月に初訪越し、ベトナムのチュオン・タン・サン国家主席と会談したが、ベトナムに向けた謝罪の言葉は一切なかった。また17年11月に文在寅(ムン・ジェイン)大統領も初訪越し、チャン・ダイ・クアン国家主席と会談。しかし、そこでも謝罪の言葉はなく、革新派としての姿勢を後退させた。

 「平和の少女像(慰安婦像)」は、ソウル特別市の在大韓民国日本国大使館前(2011年12月設置)を始め、釜山市の在釜山日本国総領事館前(16年12月設置)、加えて海外のカナダ・トロント市(15年11月設置)やアメリカ・サンフランシスコ市(17年9月設置)などに次々と建立している。

 「思わずブロンズ像建立が趣味なのですか?」と問いただしたくなるほど自己主張する韓国の行動。ベトナム戦争時、被害に遭遇したが奇跡的に生き延びた人らは、少なくとも押し付けがましい「ハコモノ設置」や「ブロンズ像建立」よりも、韓国国家の「正しい判断」を求めている。

 この記事で注目すべきは韓国軍のベトナム戦争参戦の目的が自由主義を守るためではなく「カネ」であったこと。そして日本に執拗に謝罪を要求しているのに対し、ベトナムには謝罪をほとんどしていないことでしょう。いかに唯我独尊自己中だということがよくわかります。

 ではなぜベトナムは韓国の過去の蛮行に対して、積極的な賠償要求もせず目をつぶっているのでしょうか。中野亜里氏は以下のように語っています(抜粋)

 <現在のベトナムの公的史観は、「共産党の常に正しい指導」による社会主義革命と民族解放闘争の歴史に沿ったものであり、勝者の側から語られる物語である。一方、韓国軍に虐殺・暴行された人々は、共産党の敵であった南ベトナム地域の住民で、党の「輝かしい勝利」には貢献しなかった人々である。南北統一後、ベトナム共産党政府は南部の市民、宗教者、少数民族などによる、党から独立した活動を警戒し、厳しく統制してきた。韓国軍による虐殺・暴行についても、諸外国の働きかけで南部の人々が自発的に史実を検証し、その情報が国内と国際社会で共有されることは、ベトナム共産党政府にとって警戒すべきことなのである。

 現在のベトナム共産党政府は、もはや過去の民族解放の実績だけでは支配の正当性を主張できない。経済発展の実績のみが共産党支配の正当性のよりどころであり、体制維持に不可欠の条件である。そのため、韓国を含む資本主義諸国との経済関係を拡大することが、自国民の意思よりも優先されるのである。「南朝鮮」を敵視する路線から、「韓国」と歩み寄る路線に転換した国家は、「ライダイハンのための正義」に対してどのような態度をとるのだろうか。>

 やはりベトナム現政権の立場が大きく影響しているようです。それにしても「韓国軍に虐殺・暴行された人々は、共産党の敵であった南ベトナム地域の住民」だということは、味方となるべき南ベトナムの民間人を殺戮・暴行したという、世紀に名だたる悪行をしたということでしょうか。全く許しがたい蛮行で、世界に拡散すべき虐殺・暴行事件だと思います。

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