世の憤りも当然、回転寿司での迷惑行為が破壊した日本の食文化と安全神話
数日前、回転寿司店における客による迷惑動画が拡散し、大きな反響を呼んでいます。その行為そのものも不衛生で、他の客の大迷惑になる事なのに、またそれをご丁寧にSNSにアップする行為に至っては、全く開いた口が塞がりません。昨日はまたアルコール除菌スプレーに火をつけて遊ぶ、トンデモ動画がアップされています。
当人は面白がってやったのでしょうが、SNSを使うことにより、模倣犯を拡散しています。最近はこうした迷惑行為に加えて、強盗や無差別傷害・殺人事件が頻発しています。家庭や学校、そして社会の教育が地に落ちてしまったようにも思います。
この回転寿司の迷惑行為に関し、ジャーナリストの青沼陽一郎氏がJBpressにコラムを寄稿していますので、以下に引用します。タイトルは『世の憤りも当然、回転寿司での迷惑行為が破壊した日本の食文化と安全神話 まかり間違えれば食中毒の原因にも、当事者は事の重大さを認識しているか』(2/06公開)
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回転寿司店での迷惑行為の動画が拡散して問題になっている。
それでとても嫌なことを思い出した。中学校に通っていた時、同じクラスの男子生徒の弟が回転寿司店の寿司を食べて死んだ。サルモネラ菌による食中毒だった。店の杜撰な衛生管理が原因で、それでサルモネラ菌の存在を知ったし、普通に生活を送っていても簡単に人は死んでしまうのだと思わされた。
動画拡散でますますエスカレートする非常識行為
男子生徒はしばらく学校にやってこなかったが、再び教室で顔を合わせた時には、どう言葉をかけていいのか戸惑った。だが、向こうが何事もなかったように話しかけてきたから、それに調子を合わせてやり過ごすことができた。それでも、同じ場所で同じものを食べていた家族が死んでしまうこと、ひょっとしたら自分が死んでいたかも知れないと思うことを想像すると、辛くなった。
今回の問題が大きくなったのは、回転寿司チェーンの「スシロー」で、高校生の少年が未使用の湯呑みの縁や醤油ボトルの注ぎ口を舌で舐め回したり、回転レーンを流れる寿司に唾液をこすりつけたり、皿から1カンだけ取って食べるなどの動画がSNSで拡散したことだった。
それ以前には、「はま寿司」で他の客が注文した寿司に勝手にわさびを乗せる動画が出回っていて、これがきっかけとなって迷惑動画がエスカレートしたようだ。
「スシロー」を運営するあきんどスシローはすでに被害届を警察に出した。さらにこの動画を投稿した少年と保護者から連絡があり、直接会って謝罪を受けたことを明らかにしたが、それでも「当社としましては、引き続き刑事、民事の両面から厳正に対処してまいります」と声明を発表して、厳しい姿勢を貫いている。
「はま寿司」を運営するゼンショーホールディングスでは、加害者からの謝罪の申し入れを断って、警察へ被害届を出した。
もしもあれが唾液ではなく毒物だったら…
この動画を見たことによって、SNSでは「回転寿司には行きたくない」という声も広まっている。動画がニュースで報じられると、スシローの株価が下がって、時価総額で約168億円を失った。回転寿司店にとっては死活問題だ。
それ以上にこれは、日本に生まれたからには、安全なものを安心して食べられるという、日本人なら誰もが共有して守ってきた社会規範と伝統を破壊する行為で、それこそ日々の平和を脅かす。
極端なことを言えば、これがわさびや唾液でなく、毒物であれば人を殺せる。新型コロナウイルスで多くの日本人は忘れてしまっただろうが、2017年の夏には全国で腸管出血性大腸菌O157による食中毒が相次ぎ、その当時は総菜店や焼肉店で客に共有されるトングが問題となったこともあった。唾液に細菌やウイルスが潜んでいるかも知れない。O157や新型コロナウイルスは無症状でも陽性者はいる。そうでなくても、私の友人は弟を亡くしている。
脅かされ始めた、「日本の食物は清潔」という共通認識
そもそも、魚を生で食べるという文化は日本独特のもので、いまでこそ世界に寿司文化が知れ渡るが、それ以前には野蛮なものとして扱われた。そんな食文化が育まれたのも、日本の国土と環境による。
日本はその地形から急流河川が多く、水にも恵まれ、常に洗い流されていることから、きれいな水質を保てた。その河川が流れ込む近海もきれいだったことが、刺身の文化を育んだとされる。
例えは悪いかも知れないが、これが中国のような大陸をじっくりと時間をかけて流れる大河であれば、およそ魚を生で食べるような文化は生まれなかったはずだ。中国は食材に必ず火を通す食文化だ。野菜でさえ、火を通す。今世紀の初頭まで、中国で生野菜のサラダなんて信じられない食べ物だった。栽培した野菜にしても、家畜や人の糞尿を肥料に与えたものなど、生のままでは食べられなかった。
裏を返せば、日本の食物は清潔である、という共通認識がそこに暮らす人々の前提にある。それが独自の文化を育み、社会の規範もその信用の上に成り立つ。
いま高騰して社会問題にもなっている卵。生卵をごはんにかけて食べるというのも日本特有のものだ。他国では卵を生のまま食べない。それこそサルモネラ菌による汚染が懸念されるからだ。香港では輸入される日本の卵がブランドになって、卵かけごはんが流行っているほどだ。勿論、日本の生産者の厳しい衛生管理と努力が清潔な食文化を保っている。
湯飲みや醤油ボトル「ぺろり」は日本文化の冒涜
いまは世界中に寿司の店舗がある。モスクワでの寿司のエピソードは以前にも書いた(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70427)。だが、外国人は寿司を簡単に受け入れたわけではなかった。それも生魚を食べる習慣がなかったことだけが理由ではない。もうひとつ、生の魚を素手で握って出すことに抵抗があった。他人が素手の掌で握ったものを、箸や素手で食べる。それも日本特有で、他にあるとすればおにぎり(おむすび)くらいだ。
そこでは信頼関係が重要となる。毒を盛ることは絶対になければ、調理する人間も清潔であって、衛生的で安全なものを提供するという結びつきと日本の心。むしろ、おにぎりには時としてむすんでくれた相手の愛情すら感じられる。
そうした日本人のもつ規範や伝統をぶち壊したのが、回転寿司店での迷惑行為だった。だからこそ、これだけの物議を醸すはずだ。
もっと言えば、飲食店の椅子に座って「お冷や」や「お茶」が無料で提供されるのも日本独自のものだ。豊かな水資源がそうさせたのであって、海外を旅行したことのある人ならわかるように、水は飲食店でも買うものだ。醤油は、最後の味付けを調理人ではなく、食べる人間が行うという独特のもので、卓上調味料の起源とされる。米国のハインツのケチャップも醤油を念頭に開発されたものだ。
客が自由に飲めるお茶のための湯飲みの縁と、醤油の注ぎ口を舌で舐め回す。もはや日本のよき文化をことごとく冒涜しているに等しい。
壊してはならない店と客との信頼関係
スシローでは迷惑行為を受けて、店舗の運営方法を一時的に変更するとしている。レーンと客の間にはアクリル板を置き、注文を受けたものだけ客に届ける。これでは回転寿司ではない。
訪日した外国人観光客が喜び、海外に持ち出された日本の文化に、写真付きのメニューがある。言葉がわからなくても、どんなものが食べられるのか眼で見てわかるからだ。模造した食品サンプルも日本独自のもので、外国人が土産に買っていくこともある。
その上をいって、実物を並べたものが回転寿司だった。実際に目で確かめて、しかも座ったまま、おいしそうなものを自分で選んで食べる。それも店舗を共有する他の客との信頼関係があって成り立つ。その画期的な日本の発明も存亡の危機にある。
迷惑行為を行った加害者には猛省を促したい。同時に、この日本の美しくて人に優しい文化を再考してほしい。
そして、回転寿司に限らず、飲食の場は家族や仲間たちが笑顔になれるところであってほしいと切に願う。
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かつて我々は子供の頃、「他人に迷惑をかけるな」と親からくどいほど躾けられました。「ものを盗むな」という事と同じウェイトで躾けられたような気がします。それほど迷惑行為は日本人の恥として、行き渡っていました。
しかし今では迷惑行為は至る所にあります。騒音や暴走、いじめや嫌がらせ、あおり運転など、違法行為と迷惑行為の境目が分らなくなるほど、あふれています。もちろん犯罪行為は許されるものではありませんが、迷惑行為も度が過ぎれば犯罪でしょう。
日本は戦後新憲法の下、自由や権利が強調され、その下敷きとなる義務や責任が軽んじられてきた歴史があります。それでも戦後間もない間は戦前生まれの親のおかげで、「他人に迷惑をかけるな」という教育は残されてきました。
日本人の多くはまだその感覚を持ち続けているようですが、そうでない人間も少なからずいて、傍若無人な振る舞いをしているのが現実です。この日本人の態度や習慣も「戦後レジームからの脱却」の一つのテーマになるかも知れません。そしてその対策の為にも、「教育勅語」の復活が効果的な手段としてあげられるのではないでしょうか。
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