国会改革

2023年4月12日 (水)

小西議員の「サル発言」や「メディア恫喝」問題 進まぬ処分は党だけでなく国会の機能不全か 政治不信の加速に拍車

Images-9_20230411110601  統一地方選の前期の結果が出て、維新の躍進が伝えられているところです。一方立憲民主は、北海道知事選での惨敗以外では現状維持のようです。小西議員の「サル発言」や「メディア批判」問題が影響したのかどうかは分りません。

 その小西議員に対する党内の動きに対し、産経新聞のコラム「政界徒然草」がコメントを出しています。タイトルは『「小西問題」ダンマリの立民』で、以下に引用して掲載します。

立憲民主党が、衆院憲法審査会をめぐる「サル」発言や報道機関を恫喝するような言動を繰り返した小西洋之参院議員への対応にもたついている。参院憲法審の野党筆頭幹事からの更迭で事を収めようとしたが、内外からの批判を受け、執行部は追加処分も検討する。立民内には擁護論もあるが、統一地方選の最中という事情もあり、誰もが小西氏の件に触れようとしない奇妙な沈黙が支配する。

小西氏の問題は岡田克也幹事長が預かり、対応を検討している。党幹部は「政治家の命がかかっている案件だから、幹事長が丁寧に小西氏の言動を精査中だ」と語る。

しかし、小西氏の言動はすでにツイッター上などで明らかになっており、「精査」の余地は乏しい。小西氏は護憲派として知られ、リベラル系の支持者の間では擁護論もある。執行部は追加処分した場合の反発に尻込みし、統一選にも影響を及ぼさないよう、ひとまず様子見を決め込んでいるのが実態のように映る。

そこにはトップのリーダーシップも見えない。

「党として何も問題がないということであれば、私は先週(の記者会見で)謝罪もしないし、幹事長が精査することにもなっていない。われわれは党として対応している」

立民の泉健太代表は7日の会見で、小西氏の言動を「不祥事だと認識しているか」との質問に、開き直るかのように答えた。

ベテラン記者が「重大な不祥事だ」と重ねて迫ると、今度は「その話は1週間遅れている。私は先週『(小西氏の言動は)まかりならん』と言った。すでにその意見を表明している」と反論。あえて反感を買いにいくような対応に終始した。

小西氏は衆院憲法審の毎週開催について「サルがやること」などと記者団に発言した。それを報じたメディアに関して「放送法などあらゆる手段を講じて報道姿勢の改善を求めたい」「産経とフジテレビは今後一切の取材を拒否」「(総務省の)元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だ」などと、恫喝めいた投稿をツイッターに行った。

報道の自由は民主主義を支える根幹だ。立民内でもこれを問題視する意見は強く、産経新聞の複数の記者に対しても、同党関係者から「同じ党の人間として申し訳ない」「私は御社側に立ちます」といったメッセージが寄せられた。統一選の街頭活動で、小西氏の件を有権者から難詰された議員も少なくないはずだ。

一方で立民内には擁護論もあり、原口一博元総務相はツイッターに「小西を守れ!」などと投稿した。小西氏の後任として参院憲法審の野党筆頭幹事に就いた杉尾秀哉参院議員も「憲法審の場で(小西氏が)謝罪しなければいけないということではない」と記者団に述べ、前任者をかばうような姿勢をみせた。

ただ、擁護派もそうでない側も、大勢は「事なかれ」とばかりにダンマリを決め込む。小西氏が端緒となった放送法の解釈をめぐる総務省文書の問題も、国会質疑ではすっかり影をひそめた。一時は小西氏の文書発掘をほめそやした立民幹部も、今では「小西なんぞに時間を使っていたら、本質的なことに時間が取れなくなる」とうそぶく。

自民も小西氏の問題には「全く興味がない」(参院議員)などと関心が薄い。特に参院には野党の不祥事を漫然としたままで済ませる風土もある。衆参の憲法審でも、小西氏の発言に言及した自民議員はほとんどいなかった。

そんな状況下で攻勢に出ているのが日本維新の会だ。馬場伸幸代表は、衆院憲法審の場で小西氏が謝罪する必要があると指摘。「信頼関係は完全に損なわれた」として、立民との政策協調を当面、凍結する意向を示した。立民にとってデリケートな問題で強気の要求を突きつけ、「駄目なところをあぶり出す」(維新関係者)作戦のようだ。

9日投開票された統一地方選の前半戦では、比較的立民の地盤が固い北海道知事選で、同党推薦の新人が自公推薦の現職にトリプルスコア以上で敗れるなど苦戦が目立った。小西氏を巡る一連の問題も少なからず影響しているとみられ、党内には11日に告示される衆参5つの補欠選挙への懸念も広がる。

都合の悪い問題には沈黙を決め込み、不祥事にきっちりけじめを付けることもできず、リーダーには責任から逃げるような姿勢が目立つ立民。そのような組織では党勢回復もおぼつかないのではないか。(千葉倫之)

 立憲民主党は政府関係者、とりわけ閣僚への追及では、その内容の真偽にかかわらず、「疑惑は深まった」などとして、徹底追求姿勢を貫くことが多い事で有名です。

 ところが今回のように、自党に不利な状況になれば、一点「ダンマリ」を決め込む。こんなアンフェアーなことはありません。与党も国会では「査問委員会」を除いて、制度的な追求の場もないことから、なかなか追い込めません。

 このように政権与党と野党の間には、審議に於いて大きな格差があり、それがひいては野党の退廃化を招き、国会の質を下げる結果ともなっています。与野党の区別無く、議員が起こした問題をお互いに議論する場が必要でしょう。第3者に入ってもらう手もあります。

 そうしたことで議員の質を上げていかなければ、日本はよくならないでしょう。なぜなら国民の手本となるべき国会議員の体たらくは、国民の目に常に映り、政治不信を助長するなどマイナスの影響を与えているからです。悪いことは悪いと、けじめをつけることが議員にも必要です。

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2023年3月 4日 (土)

林外相、国会優先でG20欠席 だが答弁は「53秒」だった。そもそも審議は中身がないうえに退屈で、「やる意味があるのか?」

Images-1_20230303163201  インドで開かれたG20外相会議では、今月2日実質的な審議の中で、ロシアのウクライナ侵略をめぐり米欧とロシアの対立が改めて鮮明となったようです。ところで日本がこの会議に林外相が欠席した事により、開催国のインドを初め内外から批判が出ています。

 この問題は、日本の「国会運営」と「国益」の両方の視点から、掘り下げる必要があります。ここでは二つのコラムを取り上げて見てみましょう。先ずは産経新聞の社説である「主張」です。タイトルは『林外相のG20欠席 国会優先は国益を損なう』(3/02公開)で、以下に引用します。

林芳正外相がインドで1日から2日間の日程で始まった20カ国・地域(G20)外相会合への出席を見送り、令和5年度予算案の国会審議を優先した。林氏の代わりは山田賢司副大臣である。

政府と国会の見識を疑う。ロシアや中国などの専制国家の振る舞いが国際情勢を極めて緊迫化させている中での国際会議だ。

にもかかわらず、外交を担う閣僚が国会審議を優先し、そうした会議を欠席するとは驚きだ。国益を損ねる判断というほかない。

国会は1日、参院予算委員会で岸田文雄首相と全閣僚の出席が原則の基本的質疑を開いた。政府は、予算審議の優先を求めた参院自民党と立憲民主党の意向を踏まえ、林氏の出席を見送った。

松野博一官房長官は記者会見で「林氏が出席する可能性を追求したが、国会を含む国内での公務の日程、内容などを総合的に勘案した」と釈明した。全く理解に苦しむ。政府は国会に対し、もっと強く説得すべきだった。

G20の枠組みでは先の財務相・中央銀行総裁会議で、ロシアのウクライナ侵略を巡って、中露両国と先進7カ国(G7)各国などとの意見対立が鮮明になったばかりである。日本は今年のG7首脳会議(サミット)議長国としてG20での議論を主導すべき立場だ。

しかもG20は、対露関係で米欧と距離を置くインドネシアや南アフリカなどの「中間国」も構成国である。

ロシアの侵略を即刻中止させるには、中間国が多い「グローバルサウス」(南半球を中心とする途上国)を積極的に取り込み、広範な対露包囲網を形成することが重要だ。

その際には、伝統的にロシアと友好関係にあるインドとの連携も欠かせない。その意味でインドで開催される今回のG20は、日本の立場を主張し、対露包囲網を呼び掛ける絶好の機会だった。それを自ら逸してしまった政府と国会の判断は、世界に対する責任を果たさないものだといえよう。

これまで岸田首相は「5月のG7広島サミットを成功させ、その成果を9月のG20サミットにつなげ、アジアから世界の平和と繁栄の新しい秩序を主導する」と繰り返し語ってきた。だが、林氏の欠席はインドとの連携にも水を差しかねない。首相と林氏の見識も問われる事態である。

 産経新聞はこの件に関する別の記事で、「閣僚の海外出張を巡っては、昨年2月にも鈴木俊一財務相がG20財務相・中央銀行総裁会議への出席を国会日程のため見合わせており、同様の失態を繰り返したことになる」とも述べています。

 次にデイリー新潮の記事を取り上げます。タイトルは『「G20」欠席して国会での仕事は「53秒」だった林外相を足止めした犯人は誰なのか?』(3/03公開)で、以下に引用します。

林氏の無駄遣い

 3月2日の参議院予算委員会は、審議のために林芳正外相のG20(主要20か国の外相会合)への出席が見送られたことが話題となった。岸田文雄首相は国会の場で説明し、自民党の麻生太郎副総裁は苦言を呈するなどし、各報道番組でも報じられた。実際、林外相が国会で席に座っている意味はほとんどなかったようで、国益を逸しているとの指摘もある。開催国インドのメディアからも批判が出ている。欠席となったのは誰のせいなのか?

Images-2_20230303163301  日本維新の会の音喜多駿氏は参院予算委員会での質疑で、林氏が国会を優先した結果、G20に欠席することになった判断に注文を付けた。

 これに対して岸田首相は、「林氏の出席の可能性を追求したが、国会を含む日程などを総合的に勘案した」と説明したのだが……。

「音喜多氏は、1日の審議で林氏への与野党の質問がたった1問で回答時間が53秒だったことを持ち出して、”林氏の無駄遣いだったと言わざるを得ない“と言っていましたね。誰の目にも、”林さんは国会にいる必要がなかったよね“というのは明らかだったと思います」

 と、政治部デスク。

やる意味があるのか?

 一方で自民党の麻生副総裁も自派閥の会合で、「林外務大臣が、G20外相会合に出られなくなったというのはどうかと思う」と苦言を呈した。

「ロシアのウクライナ侵攻から1年が経過し、G20は関連の話をするにはまたとない会合なのに、ほとんど意味のない国会での論議が足を引っ張って欠席に至ったことを嘆いているようでもありました」(同)

 予算委での基本的質疑については、首相と全閣僚の出席が原則となってきた。副大臣や政務官が代理で答弁してもいいことになっているのだが、往々にして「大臣出席が必要」という声が幅を利かせがちだ。

「国会としては基本や慣例に忠実にということで、林氏のG20出席に待ったをかけたようです。しかし、外務省がしつこいくらいに出席を主張していたら、柔軟な対応ができていたのではないかという声は大きいですね。その他、衆院と同じ扱いを求めたとされる自民党の参院側の“責任”を問う声もあります。世耕弘成参院幹事長が何らかの働きかけを行っていれば話は変わったかもしれません」(同)

みんなでスルー

 実のところ、経緯を見ると、立憲民主党だけではなく自民党も林氏の外遊を認めないというスタンスを主張していた。国民民主党の玉木雄一郎代表は「林大臣はG20に出るべきだ」と主張していたが、彼らと自民党が共闘した形跡もない。

 つまり麻生副総裁は今頃になって苦言を呈しているが、何のことはない、自分たちも「国会優先」という側に立っていたことになる。

 政府与党、あるいは外務省が記者クラブらに対して「国会優先はおかしい」と問題提起を事前にしていたら展開は変わったかもしれないが、そもそも当事者もメディアもほとんどこの件をスルーしていたのだ。

 では、岸田首相は今回の判断にどれくらい関与したのか?

「ほぼ関与していないと見られますが、結果として良くなかったと思います。中身がないうえに退屈で、”やる意味があるのか?”とかねて指摘される国会審議の不要論に拍車がかかりそうですね。まぁそれは言い過ぎだとしても、首相は今回の件でもリーダーシップを発揮すべきだったのにできなかったと言えるのではないでしょうか」(同)

ウクライナ訪問は切望

「首相は自身がウクライナに訪問することには相当前のめりになってきたのに、今回の件には後ろ向きというか冷めた姿勢というか……。自分がスポットライトを浴びる場面とそうでない場面とでは熱意に差が出るのは仕方ないのかもしれませんが、対ロ包囲網で各国が一致結束する好適なタイミングだっただけに、残念な印象を受けますね」(同)

 林氏は首相と同じ宏池会所属で、次の首相候補として名があがる。「外交の岸田」からすると、自分以外が外交で目立つのに抵抗でもあったのだろうか。

「首相は林氏を信頼しつつも、どこかでライバル視するところもあり、晴れ舞台に送り込むのを躊躇したのではないかと邪推する人もいましたね」(同)

 要するに、首相も与党も多くの野党も、林氏がG20に出ても出なくてもどうってことない、という認識で一致していたということだろうか。

 何が国益に資するのかといった子供でもわかるような判断や単純な日程調整がなされていないことは嘆かわしい限りである。

 このブログで何回も主張していますが、今の国会運営は全く基礎からなっていないと思います。先ずは会議形式ではない。企業の会議とは異なると言われるかも知れませんが、もし企業の会議であれば、「テーマ」に対し、関係者各人がそのテーマの中の課題を掘り下げ、様々な意見を述べテーマに沿った最善の施策や解決策に収斂させていく、しかも決められた時間内で、と言うことになるでしょう。

 予算審議であれば、予算案に対し、同様に各党が様々な意見を出し合い、最良の予算に収斂させていく、それが会議の姿でしょう。ところが国会では事務方(官僚)が造った予算案を、事務方が造ったシナリオで担当閣僚が説明し、それに対しあらかじめ造っておいた反対シナリオでもって、主として野党が追及する。時にはテーマ(予算案)の趣旨を逸脱し、的を外れた反対シナリオも混ぜる事も多い。しかも意図的に。これが現実ではないでしょうか。これは会議ではありません。所謂「ショー」ですね。

 しかもそのショーは全く面白くもなんともない。時には馬鹿馬鹿しい限りです。更には最適案に収斂する試みもない。ですから記事中の「かねて指摘される国会審議の不要論に拍車がかかりそう」と言うのも、言いすぎではないと思いますね。

 そして慣習か何だか知りませんが、審議に全閣僚出席など全く意味がありません。副大臣や官僚の代役で十分でしょう。閣僚(大臣)は審議中の無駄(?)な時間に本来の仕事をすべきでしょう。今回の林外相について言えば、G20外相会議出席はマストだったでしょう。

 いずれにしろ国会改革は絶対必要です。私は全く面白くない国会中継ショーなど見ませんが、これを見た若い人などは間違いなく政治不信を抱くでしょうね。言い過ぎかも知れませんが、このくだらなさが投票率の低迷の要因の一つになっているかも知れません。政治不信を招かないような国会にしなければ、日本の未来は暗いと思いますね。

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2022年10月 8日 (土)

日本の現状を憂う:政治行政に関心持たず、政治家・役人を見下す日本人、これでは国が溶けていく

7_20221008100801  秋の通常国会が始まりました。岸田首相の所信表明演説に続き、各党の代表質問が始まっています。5日には立憲民主党の泉代表が旧統一教会問題を取り上げ、議長に答弁を迫るなど、いつも通りの国の重要課題無視の批判だらけの質問に、うんざりした人は多いと思います。

 この野党の態度と共に、新聞やテレビ編集者等のメディア人も、政権批判はすれど、国の課題の解決に手を貸そうという姿勢は極めて弱い感じがします。もちろんかつてのように大物政治家の輩出が殆どなく、最後の大物安部元首相も凶弾に倒れた今、政治の側の発信力も弱い感じもします。それに乗じてか、批判が先行し重要課題に手が付かない日本は、かつてない危機に瀕しているのではないかとも思われます。

 こうした日本の現状とその対応を、日本再生を目指す青山社中(株)の筆頭代表、朝比奈一郎氏がJBpressに寄稿した記事から、引用して紹介します。タイトルは『政治行政に関心持たず、政治家・役人を見下す日本人、これでは国が溶けていく パブリック(公共)に人々が関心を持たない日本に必要な2つの処方箋』です。長文ですが以下に掲載します。

 昨今の日本社会において、懸念することがあります。それは、「パブリック(公共)に人々が関心を持たなくなってしまった」ということです。

 過去には、政治や行政に対して、国民・市民の尊敬がもう少しありました。それに対して今は、批判一辺倒で、政治行政で頑張る人々への尊敬がなくなってしまったように感じます。その結果、官僚や政治家という職を選ぼうと思う人も減り、人材の劣化を招いています。これは、日本という国の弱体化を招きかねない深刻な事態と考えるべきではないでしょうか。

エリザベス女王、ゴルバチョフ氏、安倍元総理、3人の要人の死から見えてくるもの

 最近、国内外において、政治行政に関する重要人物の死が相次ぎました。それを観察していても、少なくとも、今後ますます加速化していく傾向として、公共のために尽くす人への尊敬の薄れ、というものを意識せざるを得ません。そして、日本においては特に、パブリックサービスに勤しむ人への関心が薄れているように思えてならないのです。ここでは具体的に、9月に逝去されたエリザベス女王、8月に他界したゴルバチョフ元書記長、7月に銃弾に倒れた安倍晋三元総理を取り上げて考えたいと思います。

 先月、イギリスではエリザベス女王が亡くなりました。96歳で亡くなるまでの70年間、公的サービスに就かれ、イギリス連邦王国の象徴的存在でもありました。ダイアナ妃の騒動や、フォークランド紛争など、国難において存在を発揮する稀有な存在でもありました。こういう女王・国王はもう出てこないのではないかと思います。

 エリザベス女王の荘厳な国葬は世界的な注目を集めましたが、イギリスの王室自体、日常的にメディアの目や人々の関心にさらされています。そのため公のために懸命に尽くす姿に尊敬が集まる一方、「恵まれた家庭に生まれて、税金で優雅に暮らしている」と人々から言われることもあり、窮屈で、割に合わないと感じている王族もいるのも事実のようです。そのため、愛する人との結婚のために1936年に退位したエドワード8世や、最終的には追い出された形にはなりましたが、独自の自由な歩みを目論んだヘンリー王子とメーガン妃のように王室から離脱する王族もいます。結果として、イギリス王室の公務の担い手が減ってしまうケースがみられます。

 エリザベス女王は、ある意味で、国民的な尊敬を集める最後の国王とも言え、いくら公務に頑張っても、チャールズ新国王には、どうしてもダイアナ妃との不幸な関係という負のイメージが付きまとい、国民の支持は限られたものになると思われます。元をただせば、メディアの過度の関心やスキャンダル暴きが影響しているところもあり、100年前の国王であれば、公務に頑張りさえすれば、もう少し尊敬されていたかもしれません。

 このように、社会の中から「公のために人権制限されながらも尽くす」存在へのリスペクトがなくなってしまうと、残念ながらパブリックサービスも結果的に劣化していくことになります。公務に励まれてきたエリザベス女王も、生前、過度なメディアのスキャンダル暴きによる王室イメージへのダメージそのものよりも、公共・パブリックのために尽くす者が報われなくなる社会の現出を心配していたのではないでしょうか。

寂しかったゴルバチョフ氏の晩年

 ロシアでは8月末にゴルバチョフ元大統領が亡くなりました。ゴルバチョフ氏は、非常に淋しい最期という印象を拭えません。日本人という「よそ者」として私が見る限りにおいては、ゴルバチョフ氏は、ロシア(当時はソ連)のために、そして世界のために大きな貢献をした人物と評価してよいのではないでしょうか。いずれ経済的にソ連は崩壊していたかもしれませんが、あの局面においては、彼なくして、冷戦の終結は考えられません。

 モスクワ大学法学部を卒業した彼は、もともとは検察官志望だったそうですが、その夢は果たせず、故郷に帰って共産党員の青年組織の活動に従事します。ところがそこで頭角を現し、共産党内での出世階段を駆け上り、1985年、54歳になったばかりのゴルバチョフ氏は、チェルネンコ前書記長の死を受けて、電光石火の早業で権力奪取に成功し、ついにソビエト共産党の最高指導者書記長に就任します。

 もしも彼が共産党を延命させることを第一に考えて行動していれば、地位の安泰を手にして、安定的な人生を全うできたかも知れませんが、彼はパブリックのため、ペレストロイカといった思い切った改革に乗り出しました。そして何より、世界平和のため、外交に物凄く尽力しました。結果としての冷戦の終結に向け、ロシアを強く敵視していたレーガン米大統領との4度にわたる会談や、その後のブッシュ大統領との2度の交渉を経て、中距離核ミサイルの廃絶などで合意します。

 ドイツ統一に際しては、それ以上のNATOの拡大がないことを確信して、その統一とNATO入りを承認します(米国の口約束がその後反故になったのは有名な話で、そのことに激怒したプーチンや彼が代表しているところのロシア国民の感情が、今回のウクライナ侵略を引き起こしているのは有名な話です)。

 ゴルバチョフ氏が主導した一連の改革は、経済的に立ち行かなくなっていた当時のソ連にとって絶対的に必要なものだったと、また、国際平和に物凄く貢献したものと私は評価していますが、その大きな副作用として、ソ連の崩壊を招きました。ロシアをはじめとする旧ソ連邦諸国は大いに混乱、経済的に疲弊したのも事実です。

 そのため旧ソ連、ロシアの中ではゴルバチョフ氏は人気がなく、〈混乱に陥れた人〉との烙印を押され、淋しい最期を遂げたとも言えます。パブリックのためにあれだけ頑張った方の他界にしては、寂しい送り出しとなりました。

統一教会問題ばかりをクローズアップし、安倍氏の生前の功績を無視したかのような報道

 7月には、日本では安倍晋三元総理が亡くなりました。誰もが知っているように、母親が旧統一教会に入れ込んでいたという山上徹也容疑者の凶弾に斃れるという、不幸な形での逝去でした。これによって旧統一教会に対し世間から猛烈な批判が巻き起こり、さらには旧統一教会の現総裁を称賛するビデオメッセージを送っていた安倍元総理へも厳しい声が上がりました。

 正直、安倍氏と旧統一教会がどれくらいのつながりがあったのか、今となってはわかりません。教団のイベントにビデオメッセージを送ったりしたことの見返りとして、選挙の際に協力してもらったことはあるのかもしれませんが、おそらく霊感商法に協力したなどということはないでしょう。

 政治においては、物事を動かすために清濁合わせ飲まなければならない側面があります。仕事柄、永田町や霞が関にも頻繁に出入りしている私の目から見て、安倍氏も決して私利私欲のためではなく、自民党政権を安定させて日本の改革を進めるために、清濁合わせ飲むという側面があったと思います。

 これは私の予測・私見ですが、統一教会という存在、宗教については、若干怪しいものを感じつつも、完全なる事実は別として、少なくとも安倍氏の理解として、霊感商法問題はおおむね終わらせた団体、今は世間にある程度受け入れられている団体として認識し、その主張が、いわゆる保守派と近いが故にこれを自らの政策遂行のために利用しよう、と思ったように感じます。

 その「濁」がどの程度までなら許容できるかという点については、歴史の評価と、国民の評価はあると思いますが、「少しでも“濁”を飲み込んだらアウトだ」ということにはならないと思います。なぜなら、功績だってたくさんあるわけですから。

 しかし、岸田総理が「安倍元総理の国葬を執り行う」と言い出したところ、その賛否を巡り、国を二分するような議論が巻き起こりました。国葬の実施が決まったことで、かえって安倍氏の政治家人生を否定するような言説が盛んに流されました。

 安倍元総理のように、政権を長く維持するということは、それだけ苦労やストレスに耐える時間が長く続くわけですから、身体にも大きな負担がかかります。命を削るような思いで首相の任を果たした安倍氏の最期がこれでは、あまりに浮かばれないのではないかと思うのです。

 まずは、パブリックのために、とても尽くしてくれた方を社会として大いに悼むという態度が大前提としてあり、その上で、その負の部分についても正しくスポットライトを当てるべきでしょう(この場合は、統一教会との関係)。あくまで、悼むことがベースにあって、その方式として、国葬か否かなどを論じるべきでしょう。

 どうも、わが国のメディアの議論を見ていると、悼むことはどこかに行ってしまって、その課題だけを炎上させているように見えてしまいます。

一般国民は想像以上に安倍氏への弔意を示したが…

 安倍氏の功績の一つに、国際社会での日本のプレゼンスの向上というものがあったと思います。これも私見ですが、おそらく、安倍氏の存在感を踏まえれば、実際よりもっと多くの諸外国の要人が国葬に参加していたかと思います。しかし、日本国内での批判的報道の盛り上がりを見て二の足を踏んだ各国要人が数多くいた気がします。日本国民・日本社会としては、自業自得とはいえ、とても残念です。

 そんな中、9月27日に行われた国葬では、多くの人が日本武道館まで献花に訪れ、安倍氏を偲びました。献花の列は文字通り長蛇の列となり2万人以上が訪れたと報じられています。友人代表として菅義偉前総理が読んだ弔辞も、聞く人の心を震わせるような素晴らしいもので、これも多くの人を感動させたようです。国葬に際して、こうした反応があったのはせめてもの救いですが、国葬実施までの報道や世論の状況を見ると、やはり日本も「パブリックのために尽くした人々に対する尊敬の念が薄まったな」と感じざるを得ないのです。

優秀な学生が官僚を目指さなくなった

 私は、東京大学法学部出身ですが、昔の東大法学部は、官僚や政治家、弁護士や裁判官など、政治・行政や司法の世界も含めたパブリックサービスに身を捧げようと考えていた学生が多く学ぶ場所でした。

 ところが、最近は、かつてに比べるとパブリックサービスに身を置こうとする優秀な学生が少なくなったと言われています。

 象徴的なのは2021年の入試です。東大の文系は3つに分かれていて、文一(学生の多くは法学部に)と文二(同・経済学部に)、文三(同・文学部に)があります。そしてかつては文一が入るのが圧倒的に難しかったのです。

 しかし、その後、文二の合格者の最低点が文一を上回ります。それだけでも驚きでしたが、2021年はついに文三にも逆転されたのです。

 この現象が象徴しているように、やはり、パブリックセクターで働こうとする優秀な学生が減ってしまったのです。

 前回の参院選、衆院選でも、若者の投票率は低いままでした。政治行政に主体的に権利を行使しようと考える若者が増えていません。政治家や役人のスキャンダルがたびたびメディアを賑わすこともあり、本当に許しがたいものなら良いのですが、針小棒大に、借りた鉛筆を返し忘れた現象を「窃盗だ!」と叫ぶに近いものもあり、ちょっとどうかと感じています。いわんや、「あの政治家が良くやっている」と褒めるような報道はほとんどありません。これも政治家や公務員に対するリスペクトを失わせ、その分野に進もうという若者を減らす原因になっているのではないかと思われます。

 これは国民全体にとっても不幸なことです。まさに、今の日本社会、日本のメディアが行っていることは、天に唾する行為といえるでしょう。

 国立の大学の学費は、私立大学に比べて安く設定されています。これは国立大学に私立大学よりも多くの国費を投入しているからですが、明治時代以来、国立大学には官吏養成学校としての側面があるとも言えます。日本に官立の大学が出来た当時から、学校と学生との間に「税金をつかって高度な教育を施しますから、卒業後は公共のために、お国のために頑張って働いてください」という暗黙の了解があったと言って良いと思います。

 ところが現在はだいぶ事情が変わってきています。まず東大に通う学生の親の年収は、その他の大学に通う学生の親と比べて高いとされています。それにもかかわらず学費は比較的安いままです。そうやって経済的に余裕のある家庭に育ち、安い学費で国内最高峰といってもいい教育を受けた学生はいま、卒業後に外資系のコンサルや金融機関など、高い年収が得られる職業に競うようにして就いています。であれば、税金を使って学費を安く抑える必要もなく、国民から「われわれの税金を使っておきながら何をしているんだ」と叱られても仕方ありません。

 外国人から見て、「日本人は、税金で、優秀な学生を育成して、それを皆、外資系のコンサルや投資銀行に入れて、悪く言えば、日本から富を収奪する手先にしているのだから、本当に不思議な国・社会だよね」と思われても仕方ない現状です。

 もちろんこれらすべてが個々の学生のせいというわけではありません。公ということを考えたときに、日本のため、社会のために優秀層を活かせないということは、この国全体として考えなければならない問題なのです。

永田町や霞が関から世の中を変えるのは「無理ゲー」

 先ほど述べたように、東大を卒業すると外資系など高い報酬が得られそうな職業に就く学生が増えているのですが、一方で地域の課題、困っている人を助けるNPOに行く人なども増えています。社会や公共のことに関心を持つ学生が皆無になったわけではありません。それなのに官僚や政治家を目指す人は、質量ともに減っているのはなぜでしょうか。

 おそらく、「政権を取って世の中を変える」とか「霞が関で力を持ってこれまでやれていなかった施策を打ち出して公共のために尽くす」といったアプローチが「現実的じゃない」ことに若者が気付いているからではないでしょうか。政治や行政の中枢に行く、というアプローチを避けつつ、パブリックに携わる、という流れが出来つつあるのかも知れません。

 最近話題のイェール大助教授の成田悠輔氏の近著『22世紀の民主主義』(SB新書)で、政治で世の中を変えることにリアリティを持てない状況が詳述されていますが、政治や行政の中枢を目指して社会変革を目指すことが「無理ゲー」(解決が無理なゲーム)と思う最近の若手の気持ちも分かります。成田氏の分析とは違うアプローチにはなりますが、アラフィフの私自身の半生の振り返りからも、そのことは実感できます。

「期待を寄せては落胆」を繰り返してきた日本人

 私は現在49歳ですが、物心ついてからこれまでを振り返ると、「政権交代して日本を変える」という試みがほぼ10年刻みで失敗を繰り返してきた歴史になっています。

 高校生時代だった、80年代末から90年代初頭にかけては、バブルが崩壊し、日本新党が誕生、一大ムーブメントを生み出します。ついには同党の党首で元熊本県知事の細川護熙氏が首相となり、日本の中に「世の中がいい方向に大きく変わるかも」という期待が高まりましたが、残念ながら、それほど世の中は変わらず、新党ブームは急速にしぼんでいきました。

 90年代末には、山一證券やメガバンクが破綻し金融危機が起きました。日本が不安に覆われる中で登場したのが小泉純一郎氏でした。「自民党をぶっ壊す」と宣言して臨んだ党総裁選に勝利し首相となると、空前の小泉ブームが起こりました。ぶら下がり会見の一言一言が、連日メディアで好意的に報じられました。

 しかし、公共部門での変革の動きが起きたかというと、確かに郵政民営化は実施されましたが、それで社会の諸問題が抜本的に解決されたかと言えばそうではありませんでした。日本人が期待したほどの実を結ぶことなく、小泉ブームも終わってしまいます。

 2000年代にはリーマンショックが起きて、経済が大混乱に陥りました。その傷が癒えきっていない2008年、民主党による政権交代が起きました。「こんなに日本の改革が進まないのは自民党による一党独裁が続いてきたせいだ」と感じ始めていた有権者は、民主党政権に大きな期待を寄せました。しかし始まってみれば、改革に対する意欲は見えたものの、政権担当能力の低さが目につき、結局は自民党政権時と比べて政治・行政が大きく変わることもなく、人々の期待を裏切るようにして終焉していきました。

 このように、ほぼ8~10年周期で「期待を寄せては落胆」を繰り返してきた私のようなアラフィフ世代は、「有能な政治家を中心に、政権交代を達成し、首相や官邸が主導して世の中を変えていく」という姿にリアリティを持てないのです。ましてや私よりも若い人ならなおさらでしょう。最近では、日本維新の会に期待があつまった時期もありましたし、新たな期待を受けて、小政党が1~数議席を獲得する姿も見えますが、かつてほどの期待感を持たれていない印象です。

 そう考えると、やはり既存の野党に政権交代を望んだり、かつての小泉純一郎氏のような自民党内の異端者に政権獲りを期待したりするのは難しそうです。

 ただ、絶望しても仕方がありません。パブリックセクターが、優秀な人材のコミットメントを得てきちんと機能していくような国になっていくための希望を、どこに見出していくべきでしょう。

東京にはないが、地方にはある「希望」

 私は、一つには、国の政治行政ではなく、地域という切り口に希望があると考えています。

 一見すると荒廃している地域、住民と距離の近い場所で、パブリックのために活躍する人が増えています。

 首長として、その地域の諸問題を解決するために改革を行う人や、民間企業やNPOを運営しながら、地域のために資金を出し、地方創生に貢献している人もいます。首長として頑張るというルートは、割と分かりやすく、典型例として理解しやすいですが、最近は企業・起業家の動きが目立って来ている印象です。

 つまり、金儲けのためだけにビジネスをしているのではなく、地域貢献のために、(1)域外からお金を得て(“外貨”を稼ぎ)、(2)それを地域に投資して頑張っている企業が増えて来ている印象です。こうした方々は、まさに、パブリック(公共)に貢献している人材だと言えます。

 もちろん、昔から、コマツ(小松市)、大塚製薬(鳴門市)、ブルボン(柏崎市)などが、地域を支え、自己犠牲を払っても地域の発展を考える企業として有名ですが、最近新幹線が開通した長崎でのジャパネットの新規投資、前橋での街づくりのためのJINSの投資(先日、田中仁社長に前橋をご案内頂きましたが、まさに私財を投げうって街づくりを考えておられて感銘を受けました)、水戸へのグロービスの投資、三条市でのスノーピークの活躍、ゼビオの各地でのスポーツ施設向け投資など、実は地域を盛り上げるために貢献する企業・企業人が増えている印象です。形を変えた「公務員」と言えます。

 本社機能の一部を祖地である富山に移したYKKや、コロナ下で、本社を地域に移転したパソナグループ(淡路島)などもその一例でしょう。

 このような取り組みの結果として変わっていく地域が増えていけば、やがて日本も変わっていきます。地域でのパブリックでの貢献。そこに期待できると思うのです。

幕末の「地方」にあった驚くほどの気概とパワー

 歴史を振り返れば、地域から日本を変えた例がありました。明治維新です。

 幕末期、幕府が機能不全に陥りつつあった中で、地方の雄藩が明治維新という日本の改革を進めました。薩摩藩や長州藩が突破口を作り日本全体が変わっていったわけです。今考えると信じられませんが、日本のほとんどの藩が守旧的で、改革マインドもなく、門閥による支配が跋扈する中、薩長などごく一部の藩での改革が契機になって、明治維新という世界史的に信じられない一気の大改革・近大化が実現しました。

 現在から振り返ると正気の沙汰とは思えませんが、薩摩藩がイギリスと戦争したり、幕府と競ってパリ万博に独立国的に出品したり、また、長州藩が英仏蘭米の四か国と戦ったりと、とてつもない独立心、自立の気概が日本の各地にありました。戦争が良いわけではないですが、各地や個々人に「自ら立つ」「その地のために全力で貢献する」という気迫が無いと、活性化はままなりません。

 コロナ下のワクチン接種一つとっても、その量が足りない際に、政府に文句を言う自治体はあっても、パブリックのため、自らファイザーと交渉するとの気概を見せた自治体・首長は、寡聞にして聞いたことがありません。例えば、アイスランドという国は35万人の人口ですが、日本で言えば中核市程度。例えばその市長は、アイスランドの首相になったつもりで、世界と渡り合う気概が必要だと思います。

 過去の日本の歴史も紐解きながら、地域活性化に向けたマインドセット、パブリック(公共)への貢献を見習うというのも一つの方法でしょう。

「思想」の力

 明治維新に関して言えば、もう一つ、幕末の日本を大きく変える力になったものがあります。それは「尊王攘夷」運動という「思想」に基づく運動、要するにひとつの社会運動です。力を持った思想が社会に急速に広まると、それは社会を変える大きな原動力になります。政治や行政の公職、すなわち、当時で言えば、幕臣などとして活躍することよりも、思想に基づく運動の展開の方が、社会変革に大きな影響力があるとの見方もできます。

 それは現代でも同じです。人々の行動を大きく変える「思想」は、いつの時代でも生まれてくる可能性があります。

 先述の成田さんの著書では、冒頭から、

<断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない>

と喝破しています。

<何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である>

 と刺激的な言葉を重ねていきます。過激な言説に見えるかもしれませんが、同書を読み進めてみると、日本の人口構成比の中で高齢者層に圧倒されている若者たちの心にはストンと落ちる考え方だと思うのです。

 こうした発想が若い層に広がれば、彼らの投票行動ではなく、彼らの社会変革運動を後押しすることになり、その延長線上に新たな政党が生まれてくる、という現象を生み出すかもしれません。日本を変えていくためには、そういった思想的な動きに期待が持てるのではないかと思います。

 パブリックに関心を持つ若者がいないわけではありません。改革への熱意を持った若者も少なくありません。しかし、そうした人材が永田町や霞が関に足を踏み入れ、そこから公共部門の改革を成し遂げていくというコースは、もはや極めて困難で、ゴールへの到達が不可能なほど目詰まりを起こしているのです。パブリックセクターに就職は出来ても、そこから、何かを変えていくことがとても難しいのも事実です。

 有意な若者は地方行政の責任者や社会起業家として、別の場所で社会を変えようとしています。彼らの思想や行動が、政治家や官僚にはできない社会改革を起こしていく可能性は十分にあると思います。

 そう考えれば、大学も官吏(公務員)養成機関としての機能を持ち続けるだけではなく、地方や企業、NPOなどでパブリックサービスに取り組むような人材の育成に更に力を入れていくべきでしょう。

 青山社中も、その動きを後押ししたいと考えています。今年も10月から、リーダーシップ・公共政策学校を開講します。パブリックリーダーを育成することを目的とし、「リーダーシップ」と「政策」の両方を学ぶことをコンセプトにした学校です。リーダーシップとはすなわち変革。政治行政は、とかく、前例踏襲などが基本と思われがちで、過去の事績・現在の制度などを単に教える公共政策系の学校が多いのが実態ですが、本来は、パブリックセクターこそ、勇気を持った変革が大事です。民間にいながらパブリックにも関わりたい人、政治行政などに関心を持って取り組みたい人に、参加してほしいと思っています。

 地方から日本を変えていく。確かにその可能性はあるでしょう。しかし政治、行政、経済、メディア、文化の殆どの機能が一極集中している中央を、地方から変えて行くには時間がかかりそうです。何とか中央を変える手段はないでしょうか。そういう意味で国会の機能に注目する必要はありそうです。

 国会の論戦で、批判が悪いのだとは言えません。しかし何度も指摘するように、批判の矛先が、国の重要課題に手がつけられていない、あるいはその進行が遅いのに対するものであれば大いにすべきでしょう。しかし今の立憲民主や共産党の批判は、朝比奈氏の指摘のように針小棒大で重箱の隅をつつくような、およそ日本の重要課題とは縁が遠い事案が殆どです。

 そしてその国会での質疑の様子がテレビ中継で流れていますが、まるで犯罪者を吊し上げるような、尊大な態度で質問・追求をしています。これを見ている国民はどう感じるでしょうか。(私は殆ど見ません、時間の無駄ですから)。

 議員から政府への質問ではなく、党をまたいだ議員同士の質疑は殆ど見られません。国会ですから法案審議は議員同士の議論があってもいいはずです。それが少ないのは議員提出の法案が少ないことを物語っています。一体国会議員は何のために高額の報酬を得ているのでしょうか。

 これらの現象を見ていると、報酬と名声を得るために議員になっている人が多いと言うことです。一方政府は行政の善し悪しの結果がすぐ出ますから、芳しくなければすぐに叩かれます。その結果、その下支えをしている官僚に大きな負荷がかかることになります。それだけではありません。政府答弁の下書きや野党の質問に沿った返答のシナリオ作りも彼等の仕事になりますから、くだらない質問が続けば仕事も増え、それもまた無駄な仕事にもなります。

 そういうことが見えて来ていますから、朝比奈氏の言うように、官僚を目指す人も下火になってくるでしょう。原因の大きな部分は、この国会議員(多くは野党議員)の体たらくにあると思います。そしてその議員たちは自分たちが政権を取ることがない、つまり行政側に立つことがないと分かっているので、政府与党の足を引っ張ることしか念頭にない、そうなってしまっているのだと思います。

 ですから、この日本の現状を変えるには国会改革が絶対に必要だと考えます。国会議員になるための資格設定も必要かも知れません。そして与野党ともその議論の目指すところは一点、日本が直面している重要課題に集中し、その解決のために目指すための制度作りだと言うことにすべきです。そうすれば官僚たちも前向きな仕事ができ、意欲も増してくるでしょう。

 更には官僚には担当する部門の現場経験をさせることです。一般人に一定期間公共機関での経験をさせることも重要ですが、官僚にも経験が必要です。そうした現場経験が身につけば知見も広がり発想の向上にもつながるでしょう。今までの農林水産行政を見て、つくづくそう思います。

 何れにしても政治・行政のみならず、経済、防衛、教育いずれの分野でも制度疲労を起こしている日本、この日本の再生を最も重要課題としてみていたのが安部元首相でした。安倍氏亡き後、跡を継ぐ政治リーダーの出現を強く願います。

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2021年11月15日 (月)

野党の体たらくが招く日本の不幸:「国民のための国会に」

2021110200000029nkgendai0001view  国会の改革が叫ばれて久しくなります。なぜ改革しなければならないのか、それは国会が国家、国民のために必要で十分な質疑を行い、法律を制定し、予算を決定し、条約締結のための承認を行い、憲法改正の発議をするところなのに、その機能や権限を十分に発揮していないところにあります。

 その原因は与野党の議論が国家、国民のためという大前提を外れ、党利党略に明け暮れているところにあります。特に野党側にその責任が大きい。つまり批判のための批判しかしない野党が多くを占めていることにあります。いわゆる「健全な野党」が育っていないのです。

 今回はその点に焦点を当てます。産経新聞の政治部長の大谷次郎氏が同紙のコラムで見解を述べています。タイトルは『「健全な野党」なぜ育たない 尾を引く立共「共闘路線」の失敗』で、以下に引用して掲載します。

 ◇

日本には政権交代可能な「健全な野党」が育っていない。今回の衆院選で立憲民主党と共産党は政権奪取した際の「限定的な閣外協力」で手を結び、野党候補の一本化に突き進んだが、結果は惨敗。国民は自民党と公明党の連立与党に軍配をあげた。緊張感のある政治を生むはずの健全な野党が誕生するだろうか。永田町の勢力図がどう変化するのか目が離せない。

***********

相いれない相手と

立憲民主党は12日、国会内で両院議員総会を開き、10月の衆院選で議席を減らした責任をとって辞意を表明していた枝野幸男代表の辞任を正式に了承した。枝野氏は吹っ切れたような表情で、「新しい代表のもと、政権獲得に向けて一致結束してもらいたい」と述べた。

立憲民主党は今回、公示前の110議席から14議席減らし、96議席にとどまった。その大きな要因は、枝野氏が今年9月に共産党の志位和夫委員長と合意した「限定的な閣外協力」だったといえる。複数の野党候補が互いの票を奪い合うことを避けるため候補者の一本化を狙ったとはいえ、あまりに拙速だった。

共産党は「日米安全保障条約の廃棄」「米軍基地の撤退」「自衛隊の解消」を掲げており、枝野氏の「日米同盟を軸とした現実的な外交・安全保障政策」とは本来、全く相いれない。

折しも、中国とロシアの海軍艦艇が日本を周回する特異な行動に出たほか、北朝鮮が新型とみられる弾道ミサイルの発射を繰り返している。日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しており、立共「共闘」路線に国民が違和感を覚えたことは間違いない。

自民党幹部も一斉に批判を展開した。麻生太郎副総裁は街頭演説で「立憲民主党はいま『立憲共産党』になっている。日本のかじ取りを任せるわけにはいかない」と攻撃し、甘利明幹事長(当時)も「政府の意思決定に共産党の意思が入ってくる。日本の政治史上、一度もなかったことだ」と牽制(けんせい)した。

枝野氏は衆院選期間中、「閣外協力ではない。閣外『からの』協力だ」と共産党と一定の距離を置いたが、志位氏は「閣外協力」と言い続けた。共産党は「協力関係を発展させたい」として、来年夏の参院選に向けて共闘路線を続ける構えを見せる。

立憲民主党は枝野氏の代表辞任に伴う代表選を19日告示・30日投開票の日程で行う。新代表は共闘路線を継続するか、見直しにかじを切るのかが焦点となる。

二大政党制は遠く

「政権交代可能な二大政党制」「政策本位の政治体制」を目指した政治改革関連法が成立したのは平成6年のこと。その新しい小選挙区比例代表並立制で初めて衆院選が行われたのが、ちょうど四半世紀前の8年10月だ。以来9回の衆院選が行われている。

21年の衆院選で、当時の民主党が自民党から政権を奪取し、二大政党制が定着するかに思われた。ところが首相が約1年ごとに交代するなど迷走を続けた。政権運営は行き詰まり、「悪夢の民主党政権」とまでいわれた。

自民党が24年の衆院選で再び政権の座に就くと、安倍晋三元首相の長期政権が続く。国政選挙で勝利を重ね、自民党「1強」といわれた。

この間、野党勢力は離合集散を繰り返し「多弱」と揶揄(やゆ)されてきた。

ただ、立憲民主党は昨年9月、たもとを分かった旧国民民主党の大半の議員を取り込む形で、新たな立憲民主党を発足させる。今年4月の衆参3補選・再選挙で野党系候補が全勝した。野党勢力が結束すれば次期衆院選でも勝機が見いだせるとの空気が広まった。

立憲民主党は今回、全選挙区の7割以上にあたる213選挙区で共産党などと野党候補を一本化した。135選挙区で事実上の与野党一騎打ちの構図に持ち込むと、「政権交代を実現する」「政権選択の選挙だ」と息巻いた。

しかし、やはり拙速だったようだ。政策本位でなければ国民の目には単なる数合わせに映る。立憲民主党は支援団体である日本労働組合総連合会(連合)からも距離を置かれた。政権担当能力に疑問符がつくのは当然だ。立共共闘のつまずきは野党第一党の立場さえ揺るがしかねない。

疑似政権交代論

政権を担える「健全な野党」が存在しなければ、今後も自民党と公明党の連立政権が続くことになる。自民党内の「二大派閥体制」を持論とする麻生氏はかつて、こう語っていた。

「学生時代、二大政党が政権交代することが民主主義の最も正しい姿だと学んだ。だが、自民党の中で大きな政策集団(派閥)が切磋琢磨(せっさたくま)する形の方が、よほど政治が安定し、きちんとした政策ができる」

自民党の伝統派閥・宏池会の流れをくむ岸田派(宏池会=42人)と麻生派(志公会=53人)、谷垣グループ(有隣会)が再結集すれば、最大派閥の安倍派(清和政策研究会=93人)と勢力が拮(きっ)抗(こう)する2つの大きな派閥ができる。両派から交互に総裁を出し、党内で疑似政権交代を繰り返すことで政治は安定するという発想だ。

麻生氏は野党の凋落(ちょうらく)を受け、「自民党の二大派閥体制に収斂(しゅうれん)していくだろう。焦る必要はない」と周囲に語っている。今後も政権担当能力のある野党勢力は出てこない、と言わんばかりだ。安倍派は、約9年ぶりに細田派に戻った安倍氏が派閥会長に就任し、衣替えした。二大派閥体制の動きが進む可能性がある。

先の衆院選で、長期政権の「緩み」が指摘される自民党への批判・不満票が流れた先は、「共産アレルギー」も手伝って、立共「共闘」路線と一線を画した日本維新の会だった。「対立より解決」を掲げた国民民主党でもあった。

日本維新の会の松井一郎代表は今月6日、初当選した議員らを前に「41議席をとったから自分が国を動かすなんていうと、それはウソ八百だ。動かす力なんかない。衆院選で約束したことを一つ一つ確実にやることだ」と党内の引き締めを図った。

国民民主党の玉木雄一郎代表も4日の記者会見で「あらゆる政党と、ときには与党とも一致できるところは賛成する。マスコミの前でパフォーマンス的にやることは避けたい」と述べ、政策本位で判断していく考えを強調した。

両党は連携して国会対応などを行うことを確認したが、健全な野党として展望が描けているわけではない。自公連立政権に批判的な立場をとり続けたら立憲民主党などと同じだと見られてしまう。逆に自公政権に近寄り過ぎれば、からめ捕られかねない。第三極としての立ち位置は難しい。

これから立憲民主党が再び野党勢力を糾合する核になるか。第三極が存在感を示し、さらに勢力を拡大させるのか。

いずれにせよ、政権担当能力を備えた健全な野党が誕生するには時間がかかりそうで、自民党内の派閥による疑似政権交代が続く可能性が高い。

 ◇

 二大政党を目指すならば、アメリカやイギリスのような、両方の政党共に政権を担うことのできる、しっかりした理念や現実的な実行力を持たなければならないでしょう。残念ながら今の野党の何処も、外交や経済、安全保障や社会保障などのすべてにおいて、国を動かしていく力は持ち合わしていません。

 ですから結果として、何とか数を増やしたいがために、野合を重ねたり、与党を批判することでしか、存在感を示せないのだと思います。「健全な野党」を生むためにも、国会の機能の原点に返り、国や国民のため十分議論のできる国会議員作りをすることから始めるしかありません。国会議員の質が向上しない限り、「健全な野党」も二大政党制も空論に終わってしまうでしょう。

 また、二大政党制が日本の政治風土に合っているのかも、議論の対象になると思います。国会の制度改革をしっかりすれば、批判やスキャンダル追及だけの質疑はなくせますし、国益や国民の利益に沿わない、無駄な議論もなくせるでしょう。そうなれば多党の中での健全国会も成り立つと思います。要は議員一人一人の質の向上にかかっていますし、それはすなわち、議員を選ぶ側の国民一人一人の真剣な政治参画意識につながっているものだと思います。

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2021年6月17日 (木)

立民、共産、またも党利党略のための決議案連発で深夜国会へ

Pyeldlf7d5l47dzvcv4dq6vtii  このブログでは、「国会の本来の姿を目指し改革すべきだ」との視点で、様々な形で現状と改革案を取り上げてきました。今国会も昨日16日閉幕しましたが、またも間際に一部野党の無意味な抵抗が実施され、本来の姿からはほど遠い姿をさらけ出しました。

 今朝の読売新聞が報じた記事を以下に引用します。タイトルは『立・共 未明まで抗戦 安保土地法成立…解任決議案 連発』です。

 ◇

 立憲民主、共産両党は、16日に成立した「重要土地等調査・規制法」の参院採決を巡り、委員長の解任決議案を連発して抵抗路線を鮮明にした。成立が午前2時半頃にずれ込み、コロナ下で「未明国会」に及んだことには与野党から疑問の声が上がっている。

 立民の安住淳国会対策委員長は16日、同法採決を巡る対応について、国会内で記者団に「(与党が)強引にやってきたから我々も対抗せざるを得なかった」と語気を強めた。

 立民、共産両党は14日、与党側が参院内閣委員会で法案採決を提案したことを受け、森屋宏参院内閣委員長(自民)の解任決議案を提出。15日に委員会で法案が可決され、参院本会議に緊急上程されると、今度は水落敏栄参院議院運営委員長(自民)の解任決議案を提出して徹底抗戦した。安住氏は「私権制限に関わり、慎重に審議すべきだった」と与党側を批判した。

 これに対し、自民党参院幹部は「円満に進めてきた審議を立民、共産が壊した。深夜国会にする必要があったのか」と吐き捨てる。与党側は衆院採決にあたり、立民などの主張に配慮した付帯決議も採択した。それでも立民、共産が抵抗を強めたのは、衆院選を意識して対決姿勢をアピールする狙いがあったとみている。公明党の西田実仁選対委員長は党会合で「立民、共産の一体性が大変強く印象に残った」と皮肉った。

 野党からも苦言が相次いだ。日本維新の会の馬場幹事長は「無駄な時間とお金を使って本当に深夜国会をする必要があったのか」と語り、国民民主党の玉木代表も「コロナ禍で国民に夜8時以降は活動を抑えるようお願いしている中で理解を得にくい。働き方改革の観点からも見直すべきだ」と指摘した。

 ◇

 与野党幹部から苦言が呈されたとありますが、なぜ国会の審議中にこのような無意味な決議案を出した党や人物に、その場でその正当性をしっかり質し、筋が通らなければきちんとした反論を出した上で、その提出を止められないのか。権利だと言っても、それが国会の本質的な役割とかけ離れていれば、それを阻止できるようにしなければ、指摘の通り「無駄なお金と時間」を浪費するだけです。

 企業であればその目的、つまりその企業の存続とそのための利益を高めるために、役員会などの会議を開きます。国会も国の存続、つまり主権の維持や、国民の生命と財産の将来にわたっての安全確保のために議論を重ね、その英知を絞る努力をすべきです。上記に見られるようにそれが全くないがしろにされ、党利党略のためだけに行動しているとすれば何をか言わんやです。

 一部野党にとっては、国のための仕事は「政府」、自分たちの役目はその政府のあら探しだと思っているのでしょうか。それではいつまで経っても政権側に立つことは期待できません。こんな人物や党には、さっさと国会から去っていただきたいものです。

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2021年6月10日 (木)

小西ひろゆきは国民の敵だ!|鈴木宗男

11fedc67  国会議員の質の低下が叫ばれています。国会議員はそもそも国の重要課題に真摯に向き合い、国権の最高機関である国会で、かつ唯一の国の立法機関であることを念頭に、国家と国民のための政策立案、そして法制化を果たす義務を遂行するために存在します。

 ところが多くの国会議員、特に野党議員の中にはその本質をわきまえず、訳のわからない質問を繰り返し、無用なヤジを飛ばし続ける、およそ議員の資格のない輩が散在しています。立憲民主党の小西ひろゆき議員はその最右翼でしょう。

 その小西議員に腹をすねかねた鈴木宗男参議院議員が月刊Hanadaプラスにコラムを寄稿しているので以下に引用します。タイトルは『小西ひろゆきは国民の敵だ!|鈴木宗男』(5月27日公開)です。小西氏は確か以前、自衛官からそう言われたという騒ぎがありましたね。

 ◇

“国会の爆弾男”“立民のエース”などと呼ばれる小西ひろゆき議員。だが、国民の多くは気づいているのではないだろうか。「相手にする価値もない無礼な男」だということを。しかし、彼は国会議員だ。彼の暴挙をこれ以上許してはならない。鈴木宗男議員が、小西ひろゆき議員の言動を一刀両断!

国会遅刻騒動、大ブーメラン!

5月25日、参議院外交防衛委員会で質疑に立ち、20日の当委員会が流会になったことを質した。

2015年3月30日、参議院外交防衛委員長が理事懇談会に2~3分遅れ、この時、立憲民主党(当時民主党)の小西ひろゆき氏が中止に追い込んだ。

4月2日、当委員会で片山さつき委員長は謝罪をしたが、その時、小西氏は『心からお詫びをしていない』と委員長を叱責し、片山委員長は涙声で謝罪した。

6月11日、当委員会においてトップバッターで質問予定の小西ひろゆき氏は3分も遅刻してしまった。

今度は片山委員長から小西氏は注意を受ける羽目になった。まさに大ブーメランである。小西氏は遅刻したが、片山委員長は『十分ご注意いただきたい』と大人の対応をなされ、委員会は予定通り行われた。

中山防衛副大臣が2分遅れたが、岸防衛大臣は来ており、審議に支障はなかった。にも関わらず委員会を流会させる事は、如何なものか

と委員長にお尋ねしたのである。

この事に関し、昨日の小西氏のTwitterで次のように書かれている。

_____________

「相手にする価値もない」と勝利宣言?

「狼藉は早速理事会で問題となった」とあるが、理事会に出ている我が党の浅田委員に聞くと、「狼藉など」という話は理事会では出ていないとの事である。

「マスク無しでの大声の発言も問題になった」とあるも、話題になっていないとの事である。

私が発言したのは、中断中に小西氏がいろいろ言っているので注意したもので、ちょうど水を飲んでいる時に一瞬マスクを外した時の出来事である。

また、小西氏は次のようにも書いている。

________20210610095601 「相手にする価値もない」という言葉を香典倍返しでお返ししたい。小西ひろゆき氏がなんぼのものかと。

私は20年前、国策捜査で逮捕され最高裁まで闘った。司法判断で現職議員として失脚する事になった。私はルールにのっとり、収監に応じた。この時、私は再審請求をし、今も継続中である。そして裁判所の判断は黒判決だったが、2年前の参議院選挙で堂々と当選する事ができ、国民は私に白判決を出してくれたと感謝している。

私は政治家としてやましい事はしていないので、死ぬまで悪しき権力とは闘っていく。

「私が立案し、立憲が国会提出する『歳費返納法』」とあるが、小西氏よりも公明党さんが先に提案し、今、与党で法改正の議論をしている。立憲はまだ提出しておらず、これも身勝手な「いいとこどり」の発言である。

次のような書き込みもある。

_____________-1

多くの人から「小西氏の頭はどこかズレている。虫かばい菌が入っている。鈴木先生、相手にする価値はないのは小西です。こんなものに負けないで下さい」と激励の声があった。

私は小西氏から「文句があるなら直接言ってこい」と言われた事はない。

3月18日の参議院予算委員会で、質問者たる私に向かって後ろからゴチャゴチャ言っているので、私が「委員会終わってから直接言え」と一喝したのである。

どうも小西氏は何かにつけ自分の都合のいいような頭づくりである。

小西よ、自分の頭の中を整理しろ!

_____________-2 5月21日の上記のTwitterも誤魔化しである。正確を期すために、やりとりを紹介したい。

○鈴木宗男君 

先ほど来質疑の中で質問通告で通告があったないの話もありますけれども、武田大臣、私のところには、小西洋之議員は深夜でも役所に電話をして迷惑している、さらには体調を崩したという情報も寄せられておりますけれども、そういう話は聞いておられますか。

○国務大臣(武田良太君) 

詳細について現場の方からは上がってきていないわけですけれども、担当の課長が体調を崩され、休暇をいただいたという事実は私の方には報告が上がっていますが、その理由については私の段階では把握はいたしておりません。(発言する者あり)

答弁で武田大臣が認めている。私にいうのではなく、武田大臣に聞くのが筋ではないか。これもズレた話である。

また、同日のTwitterでは以下のように書いている。

_____________-3

総理も官房長官も遅刻した事に謝罪と注意をするのは当然だ。

私は2分の遅れで大事な委員会を開かせない、止める事は国民から負託されている国会議員のやる事ではないと言っているのである。

私は「媚び」を売らなくても十分政治家としてやっていける。

これもそっくり小西氏に「恥ずかしいことだ。自分の頭の中を整理しろ」とお返ししたい。

限度を超えている格下男

_____________-4 小西氏がどんな権限を持っているのか教えてほしいものだ。

「暴挙に対処する権限を持っている」というのか。何様のつもりでこういう発言をするのか。

「この人の頭づくりは自分中心でしかなく、政治家として失格です。いや、人として問題です」という声も多数、寄せられた。何をかいわんやである。

読者の皆さんのお受け止めはいかがであろうか。

「相手にするほどの男ではありません。自分中心ですから、ここは鈴木先生、正しい指摘をしっかりやって下さい」という声に勇気100倍である。

参議院予算委員会で「嘘でもいいから口頭で質問通告したといえ」と議員をそそのかした小西氏である。私の事をあれこれ言う前に、「嘘でもいいから口頭で質問通告したといえ」と言った事に反省も謝罪もない小西氏は、自分の発言にどんな責任を取るのか。その点、何も弁明、説明はない。

「先ず自分の発言に責任をもて」「この程度の人間性だと思うと逆に情けない」「鈴木先生、相手にすると鈴木先生が軽く見られる恐れがありますが、黙っていると嘘話が本当になりますので、ここは徹底してやって下さい」等々の話が寄せられた。

意を強くして格下ではあるが、向き合って参りたい。

(2021年5月26日「ムネオ日記」を再構成)

 ◇

 なんとも恥ずかしい話です。私は鈴木宗男議員に好き嫌いの感情はなく、彼の肩を持つわけではありませんが、この小西洋之議員の話はまた別です。小西議員は議員の片隅にもおけない、どうしようもない議員だと思っています。こういう議員が選挙で選ばれることが実に不思議だと感じています。

 クイズ質問をしてみたり、事実無根の誹謗中傷をしてみたり、まるで中韓の言い草そのもののような議員と言えますね。個人攻撃に終始し真面目さが全く感じられないと思うのは私だけでしょうか。鈴木議員も個人攻撃的に反撃していますが、日頃の両者の発言履歴を見れば、鈴木議員に肩入れしたくなります。

 立憲民主党の幹部や周りの議員も、「爆弾男」などと言って、鬱憤晴らしの代弁者として薄ら笑いしながら見ているのでしょう。ましてや「立民のエース」などと本当に思っている議員がいるとすれば何をかいわんや、です。立民の支持率が5%前後で一向に上がらないのもうなずけるところでしょう。

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