いつまで「欧米のモノマネ」を続けるのか? イノベーションに立ち後れた日本
日本の国際競争力が右肩下がりに落ちはじめて久しくなります。同時に大学の国際ランキングも右肩下がり、一人あたりGDPも右肩下がり。いつからそうなったのでしょうか?おおよその起点を言えば、おそらく平成になってからでしょう。
そのときを境にバブル崩壊と安定成長の終焉。バブルの後処理のミスも重なってデフレが常態化します。そして平成初期の1995年をピークに生産年齢人口が減少し始め、GDPの停滞に拍車をかけます。そうです失われた20年(あるいは30年)が始まるのです。
生産年齢人口減少下で経済の停滞を救うのは生産性の向上、そしてそのためにはイノベーションが欠かせません。ところが実態はそうなっていないようです。そのあたりの状況を、同志社大学政策学部教授の太田肇氏の著書、「同調圧力の正体」より内容を抜粋編集して「WEBVoice」に寄稿された記事『いつまで「欧米のモノマネ」を続けるのか? 日本のイノベーションが“口だけで終わる”理由』(7/9)から引用して、以下に掲載します。
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戦後、先進国のキャッチアップをすることで成長してきた日本。しかし、ここにイノベーションが生まれない理由があると、同志社大学教授の太田肇氏は指摘する。なぜ、日本はいつまでも変われないのか?
組織と個人の蜜月時代が終わった
振り返ってみると昭和の時代は、組織と個人にとってまれにみる共存共栄の時代だったといえるだろう。個別の問題はあるにしろ、組織が成長し、繁栄することはメンバー個々人の利益にもつながった。そして組織の同調圧力も、その効果や必要性が実感できるだけに抵抗も小さかった。
ところが時代の変化によって組織と個人の利害が必ずしも一致しないケースが増えてきた。「蜜月時代」の終焉である。蜜月時代のつぎに訪れたのは、組織による引き締めの時代である。その意味で共同体主義がいっそう露骨になったといえる。
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇の崩御によって長く続いた昭和の時代が終わり、平成という新たな時代の幕が開いた。
平成とほぼ同時にスタートした1990年代。世界に視野を広げれば、1989年にベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終結した。そしてインターネットの普及に代表されるIT革命により、グローバル化、ボーダレス化がさらに加速した。
そう、平成時代の始まりを告げる1990年代を象徴するキーワードは「グローバル化」「ボーダレス化」「IT化」である。
けれども日本社会の動きはこうした世界の潮流と連動しないばかりか、むしろ逆行するかのような様相さえ呈した。
象徴的な写真がある。某大企業の入社式風景を平成初期と現在とで比較した写真をみると、平成初期の写真は服装も髪型も個性的で、会場は自然な笑顔に溢れている。
いっぽう、現在の写真は全員がリクルートスーツに身を固め、髪型も一緒。マナー研修で教えられたとおり背筋をピンと伸ばして手を前に組み、緊張した面持ちで視線をまっすぐ前に向けている。
この会社が特異なわけではなく、どこの会社にもみられる変化のようである。そして外見の変化があらわすように、現場の声に耳を傾けてみても同調を促す社内の圧力が強まったことがうかがえる。
背景には社会全体の空気がいっそう内向きになったことがあると指摘する人が多い。1995年に発生した阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災を機に、「絆」という言葉が独り歩きし、運命共同体的な連帯が称揚されるようになったことも大きい。
平成は「敗北の時代」
そして平成時代の日本は、グローバル化の潮流から取り残されて世界の中での地位、プレゼンスを低下させ、当初の予想をはるかに超える長い低迷期を経験したのである。それが顕著にあらわれたのは、やはり経済面である。
経済同友会の代表幹事だった小林喜光氏は、朝日新聞のインタビューで「平成の30年間、日本は敗北の時代だった」と喝破した。(注1)たしかに国民一人あたりのGDP(国内総生産)は1992年には7位だったのが、2000年には16位に低下した。(注2)国際競争力も1992年の1位から、2000年には21位にまで急落している。(注3)
ちなみに両指標とも、その後さらに低落傾向が続き、今日まで回復の兆しがみられない。このことからも、工業社会における成功体験が新たな時代に適応するうえでいかに重い足かせとなっているかがわかる。
グローバル化にしてもボーダレス化にしても、閉鎖的な共同体の論理と真っ向から対立する。
またIT化は人間に求められる要素を根本から変えた。共同体型組織の特徴である均質な知識・能力や、統制のとれた働き方を必要とする仕事がITに取って代わられたのだ。
とはいえ分野によっては統制のとれた働き方と、そこから得られる仕事の「完璧」さが求められることに変わりはない。それどころか、世界全体がシステムとしてつながったいまの時代には、一つのミスさえ許されなくなっている。
しかし、人間がいくら完璧を目指しても限界がある。そこで完璧さが不可欠な仕事はITなどに任せ、人間は創造や洞察、高度な判断といった人間特有の能力を生かせる仕事に専念する。
世界の趨勢(すうせい)として、このような役割分担が徹底されつつある。ところが日本では、いまだに人間の力でそれに立ち向かおうとしているようにみえる。
イノベーションと相容れない共同体の論理
そしてポスト工業社会では、企業にとっても社会にとってもイノベーションこそが成長の原動力になった。しかし同調圧力が強い日本の職場では、メンバーの合意が得られやすい改善活動は盛んだが、異端者や少数派から生まれるイノベーションは起こりにくい。
また、イノベーションには、突出した意欲や個性の発揮が必要である。そもそもアイデアや創造などソフトの世界において、他人と一緒では価値がない。さらに同調圧力によって生じる「やらされ感」は、イノベーションに不可欠な自発的モチベーションと対極にある。
したがって共同体型組織に特有の同質性と閉鎖性、そして共同体主義がもたらす同調圧力はイノベーションの大敵だといえる。
職場の同調圧力を発見した古典的な研究として知られるのが、いまから一世紀ほど前の1924年~32年にアメリカのウェスタンエレクトリック社、ホーソン工場で行われた「ホーソン研究」である。(注4)
この研究では、職場に公式な組織とは別の非公式組織が存在すること、その中でメンバー自身によってつくられた独自の標準が生産性を左右することが明らかになった。
仕事をさぼっても、逆にがんばりすぎても仲間に迷惑をかけるので、「標準」に従うよう周りから圧力がかけられるのだ。とりわけ「出る杭は打たれる」日本的風土のもとでは、集団の中で突出することがいっそう困難なのは想像に難くない。
また共同体型組織では会社の人事評価も減点主義で、前述した「裏の承認」が中心になる。
研究開発の世界には「千三つ」という言葉がある。千回挑戦して三回成功すればよいという意味であり、それだけ失敗を恐れず挑戦すること、失敗から学ぶことが大切なわけである。
ところが減点主義の風土では、リスクを冒さず無難な仕事をしていたほうが得だという計算が働く。イノベーションと共同体の論理がいかに相容れないものかわかるだろう。
ただ、これは評価だけの問題にとどまらず、獲得できるリターン(見返り)の問題でもある。社内でいくら加点主義を取り入れ、「出る杭」を伸ばそうとしても社内で得られるものには限界があるのも事実だ。
巨万の富を手に入れたい、世界に自分の名をとどろかせたい、自分が理想とする会社をつくって社会に貢献したい、といった野心を社内で満たすことは困難だからである。
したがって画期的なイノベーションやブレークスルーを引き出そうとすれば、社員を組織の中に留めようとするのではなく、社員の独立や起業も視野に入れて制度や慣行を見直す必要がある。
1990年代に日本経済が凋落していくのを尻目に、アメリカ経済は逆にV字回復を遂げたが、その原動力となったのが、既存企業をスピンアウトしてシリコンバレーなどで夢を実現した起業家たちだったことを忘れてはならない。
イノベーションが「攻め」の経営に大切なのはいうまでもないが、じつは「守り」にも必要だといわれる。
福島の原発事故とJR福知山線の列車転覆事故には「技術経営の過失」があり、その根源は東電もJR西日本もイノベーションを要しない組織だったからではないか。
こう指摘するのは、イノベーション理論を研究する山口栄一である。山口によると熾烈な国際競争のさなかにあるハイテク企業と違って、両社は事実上の寡占ないし独占企業であり、そこでは職員の評価は減点法になる。そして減点法の世界におけるリスク・マネジメントは、想定外のことが起きたときに「いかに被害を最小限にとどめるか」ではなく、「いかにリスクに近寄らないか」という発想に陥りがちだという。(注5)
このように共同体は、イノベーションの源泉である"やる気"にも「天井」をつくってしまい、それが企業経営にも社会の利益にも多様な形でマイナスの影響をもたらしていると考えられる。
さらにイノベーションは共同体の利益と真っ向から対立するケースが多い。仕事のプロセスが効率化されたら部署や人員の削減につながり、製品のイノベーションは旧製品の製造に携わる人の職場を奪うからである。
そのため共同体とそのメンバーはイノベーションに消極的であるばかりか、逆にそれを阻止しようという動機を抱きやすい。
「キャッチアップ型」から抜け出せない現実
共同体の論理がもたらすイノベーションの阻害は、高等教育の分野にも起きている。しかも皮肉な形で。
前述したように日本の大学は近年、世界ランキングでその地位を落とし、アジアの中でも中国などの後塵(こうじん)を拝しているのが現実だ。そうした現実を受け止めて近年、日本の大学はグローバル化に適応するため語学(とくに英語)教育に力を入れ始めた。
同時に「入りにくいが出やすい」現状が学生の学力低下を招いているという認識から、単位の認定や卒業要件を厳しくし、「学生の質を保証して世の中に送り出すのが大学の役目だ」と公言されるようになった。
しかし考えてみれば、先頭を走る欧米などの大学を目標に定め、語学力の向上に主眼を置く方針こそ、イノベーションとは対極の「キャッチアップ型」ではないか。
キャッチアップ型を続けるかぎり、目標はいくら追っても蜃気楼のように先へ、先へ逃げてしまう。いつまでたっても追いかけるばかりで、追い越すことはおろか、トップに並ぶこともできない。
欧米にハンディなくイノベーションの競争を勝ち抜こうとするなら、むしろ日本が競争優位なものは何かを探す必要がある。教育社会学者の苅谷剛彦がいうように、グローバル化の時代だからこそ英語教育より日本的な特殊性を前面に出すという戦略もあるだろう。(注6)
また「質を保証して世の中に送り出す」という発想は、工業社会における品質管理の発想そのものである。人間はモノと違って「質」を測れるわけではないし、絶えず変化・成長する。
高度な能力になればなおさらだ。少し皮肉を交えていえば、あらかじめ測れるような能力がそもそもイノベーティブだといえるかどうか疑わしい。
このようなキャッチアップ型、工業社会型の発想は個別組織のレベルにとどまらず、社会全体に浸透している。その弊害が表面化するのは、大きな方向転換や迅速な行動が要求されるときだ。
少数意見を抑圧するような風土では改革の芽は育たないし、成功したときの評価より失敗したときの責任追及が厳しい社会では、客観的にみてメリットが明らかにデメリットを上回るような政策でも為政者を尻込みさせる。
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世界のイノベーションの潮流は、インターネットの世界とそれを応用したデジタル化に集中しています。かつては後進国と言われていた中国の技術革新も、そこに目標を定め成功しています。もっともその大きな目的は、軍事技術への応用と国民監視のための個人情報管理技術です。顔認証などその好例でしょう。
日本はこの中国の取り組む方向へは進めません。つまり科学技術の軍事への応用には高いハードルが、個人情報保護や私権侵害という大きなハードルとともに、こうした技術への取り組みを阻害し、周回遅れどころか2周3周遅れた状況に陥っています。結果半導体や電気業界は衰退の一途です。
遅きに失したとは言え、デジタル庁の新設に見られるように、日本も一歩前進への舵を切り始めました。しかしコロナ下で見えてきた申請や認可の、あまりにも遅く前近代的なやり方を変えるには、まだまだ時間がかかりそうです。そして個人情報保護や私権侵害へのハードルをどう超えていくか。イノベーションの前にこういった現実にメスを入れていき、官民双方の意識を変えていく必要がありそうです。
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