政治体制

2022年8月29日 (月)

習近平の『皇帝化』は歴史の必然、「悪党」を生み出す中国というシステム

Images-1_20220829095201  中国は習近平国家主席の登場により、一段と権威主義化が進み今や個人独裁の様相を呈しています。本人は毛沢東を目指すという見方もありますが、何故中国では独裁者が生まれるのでしょう。

 それを紐解く興味ある説が、京都府立大学教授の岡本隆氏の著書「悪党たちの中華帝国」に記されています。今回はデイリー新潮に記載された、著者岡本氏とのインタビュー記事を引用して以下に紹介します。タイトルは『「習近平の『皇帝化』は歴史の必然」――中国史の第一人者が暴露した「悪党を生み出す中国というシステム」』です。

 習近平はもちろん、ポスト習近平も必ず「悪党」にならざるをえない――中国史の第一人者がそのように結論づけた新刊『悪党たちの中華帝国』が話題を呼んでいる。この本の著者で、京都府立大学教授の岡本隆司さんに話を聞いた。

 ***

719cu964il ――『悪党たちの中華帝国』とは剣呑なタイトルですね。失礼ですが、岡本さんは「反中」思想の持ち主なのですか?

 これでも歴史家・研究者のはしくれなので、「反中」とか「親中」といった政治的な立場やイデオロギーで、中国を見ることはありません。本書も、中国史上「悪党」とされた人物を取り上げて、なぜそのような評価を下されたのかを考察したものです。

中国の偉人はなぜ「悪党」ばかりなのか――? 安禄山、永楽帝から、朱子、梁啓超まで12人の「闇落ち」した男たち。彼らが「悪の道」に堕ちた背景を解き明かす。現代中国の悪党も射程に入れた、圧巻の1400年史!

――「中華帝国」とは、いつの時代の中国を指しているのですか?

 1915年末からの数カ月、ごく短期間ながら袁世凱(えんせいがい)を皇帝とする「中華帝国(Empire of China)」という国号を称した時期がありました。

 しかし通常「中華帝国」といえば、皇帝(emperor)を戴いた秦の始皇帝以降の二千年がそうであり、実際、中国語もその意味で使います。

 本書では「帝国=異なる文化圏を含む広域支配を実現している国」という点を重視して、隋・唐の時代以降を「中華帝国」としています。

中国史の年表

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――すると、広域支配を実現している現在の中国も「中華帝国」になるのですか?

 そこがポイントです。実際、現在の中国共産党が抱えている統治上の課題は、隋・唐以降の1400年にわたる歴代王朝が抱えてきたものと、大きくは変わっていないと思います。

 結論を先取りすれば、もともと「一つの国」とはとてもいえないような広域で多元的な社会を、一元統合しようとするところに矛盾が生じる。それゆえに、中国の統治者は無理に無理を重ねて、どんどん「悪党」に堕していく。

 辛亥革命で共和制になっても、共産革命で社会主義国になっても、結局、蒋介石や毛沢東といった「悪党」の独裁に陥り「帝国」化していく。今に至る中国の歴史は、そのくりかえしともいえます。

――たしかに、本書に出てくる「唐の太宗」や「明の永楽帝」などの悪党たちの行状を見ていると、習近平の顔が思い起こされるようなところがありますね。

 明君の自己顕示に余念のないところは唐の太宗でしょうし、対外威嚇に忙しいところは明の永楽帝でしょうか。まさに歴代王朝の帝国統治の延長線上にあるといっていいでしょう。

 くわえていまは20世紀以来の「国民国家」形成の課題があります。「一つの中国」を標榜して、香港に圧政を敷き、新疆ウイグルやチベットを弾圧し、台湾を力づくで併合しようとしています。

 このようにして習近平はこれからも「悪党」であり続けるでしょうし、またポスト習近平が誰になろうと「悪党」にならざるをえない。これは個人の道徳的資質の問題ではなく、中華帝国を受け継いだ「中国」というシステムが必然的に統治者を悪党にしてしまうのです。

――では、中国が「一つの中国」を無理に追求することをやめれば、「悪党」も「帝国」も解消に向かうということでしょうか?

 中心至高を意味する「中国」という概念は、「一つ」「唯一無二」の意味もあわせ内蔵していますので、それは不可能だと思います。「一つ」でないと「中国」ではなくなります。台湾はさておき、新疆ウイグルやチベットなどを手放すことはないでしょう。かといって、ウイグル人やチベット人を漢人社会と調和的に統合するのが難しいことも歴史が証明しているところです。

――ということは、これからも私たち日本人は、「悪党」が率いる「中華帝国」と向き合い続けなければならないということですね。

 そうなる可能性は高いと思います。だからといって悲観する必要はありません。日本人は有史以来、中国とさまざまなあつれきを抱えながらも、ほとんどの時期はつかず離れずの距離で比較的うまく付き合ってきたといえます。これからも、それを続けていけばいいのです。決してたやすくはありませんが。

――中国と付き合っていく上で、気を付けなくてはならないことは何でしょうか?

 重要なのは、中国は日本とはまったく異なる価値観・行動原理を持っている国だと、しっかり肝に銘じておくことです。日本人のように「普遍的価値」を尊重するなどとは夢にも思ってはいけません。ロシアのプーチンが西側諸国の予想を裏切ってウクライナに侵攻したように、中国も独自の論理で動きます。

 ですから、彼らがなぜ「悪党」となり、どうして「帝国」のように振る舞うのか、その内在論理を歴史からしっかり学んでおく必要があるのです。

 岡本氏の言うように「習近平はこれからも「悪党」であり続けるでしょうし、またポスト習近平が誰になろうと「悪党」にならざるをえない。これは個人の道徳的資質の問題ではなく、中華帝国を受け継いだ「中国」というシステムが必然的に統治者を悪党にしてしまうのです」と言う見解ににわかに賛同できないとしても、うなずける部分もあります。

 ただ「悪党」と知りながらうまく付き合っていく、これは非常に難しい課題のようです。近代になって明治維新以降、戦前の日本がアジアで最強だった時代は、中国は日本が侵攻することはあるにしても、さほど相手にもならなかった国でしたし、戦後も毛沢東時代までの中国は、国力も日本とは比較にならないほど弱かったのですが、鄧小平の改革開放以降、現在の習近平中国に至っては、日本の数倍の経済力と軍事力を持つモンスターになってしまいました。

 つまり力の弱い相手だった中国とはうまく付き合って来られたにしても、力をつけた「悪党」とどう向き合うのか、と言うよりどう立ち向かうのか、それが日本の政権に突きつけられた課題でしょう。岡本氏が言うように「性善説」をもって普遍的価値を共有しよう、などと思っても絶対に受け入れる要素はありません。日米同盟やクワッドなど、国際的な同盟の枠組みの中で対峙していかねばなりませんが、最低限日本の領土と国民を守れるだけの軍事・非軍事的抑止力だけは早急に装備する必要はありそうです。

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2022年1月17日 (月)

民主主義と権威主義、どちらの「社会経済パフォーマンス」が上なのか?

Img_c220a728010bcb0e7769aeb184fab0064947  中国やロシアなど、いわゆる権威主義国家と言われる国が、現状変更の動きと共に周辺国を脅かしています。特に急速に経済力を増大させてきた中国の動きが、目を引くところです。

 ところでこの権威主義という民主主義とは一線を画す、と言うより対極にある国家が、なぜかこの地球上には増えている印象があります。それは経済的な優位性なのか、社会的安定性なのか。

 この問題を解き明かそうと研究を重ねている、東北大学大学院准教授で比較政治経済学、権威主義体制、中央アジア政治が専門の東島雅昌氏が、現代ビジネスに小論文を記載しました。今回はこの話題を取り上げます。タイトルは『民主主義と権威主義、どちらの「社会経済パフォーマンス」が上なのか? データ分析が示す驚きの結果』(1/9)で、以下に引用します。

 ◇

「民主主義の危機」?

「民主主義の危機」が叫ばれている。代表民主制への高まる不信、ポピュリスト政治家の台頭、そして極端な党派対立の進展などがその背景をなしている。一方、中国をはじめとした権威主義諸国は、自らの統治の実績上の優位を強調している。新型コロナウイルスへの迅速な対応や、急速な経済成長の喧伝は、その一端だろう。

危機にある民主主義と影響力を増す権威主義の対峙は、米バイデン大統領の主導で先月おこなわれた「民主主義サミット」やそれに対する中国・ロシアの反発によって、いっそう深刻なものとなっている。エスカレートする民主主義と権威主義の対立は、国際政治を規定する最重要のファクターとなっているといえよう。

しかし、はたして、民主主義は権威主義よりも社会経済パフォーマンスで劣っているといえるのであろうか。この小論では、民主主義体制、権威主義体制といった「政治体制の違い」が、多様な社会経済的帰結に与える影響について、政治学や経済学で蓄積されてきた実証的知見をもとに考える。結論を先取りしておけば、民主主義はそれ自体改善の余地があるものの、過去のデータを分析する限り、少なくとも権威主義と比較して望ましい社会経済的パフォーマンスをもたらしてきた、ということになる。

まず、民主主義とはどのような体制として位置付けられるだろうか。現代の民主主義とは、権力の抑制と均衡の仕組みを憲法に規定し、市民への政治的権利と自由の保障をつうじて公正な選挙をおこなう政治体制である。…と言うと、かなり堅く聞こえてしまうと思うので、順次説明しよう。

この民主主義の定義には2つの次元がある。一つは、多様な考えや利害をもつ人々の代表が相互に競争し、過剰な権力行使を抑制しあう「自由主義」の側面であり、執行府・立法府・司法府(日本の国政で言えば、政府・国会・最高裁)や様々な監視機関のあいだの権力のバランスを意味する「水平的アカウンタビリティ」を含む。もう一つは、自由かつ公正な選挙をつうじて、市民の意思(民意)に政策決定者が応えようとする「民主主義」の側面であり、「垂直的アカウンタビリティ」と呼ばれる。

逆に、権威主義体制とは、2つのアカウンタビリティが十分機能せず、1人の政治指導者(独裁者)が権力を専有し、選挙が公正ではない政治体制を指す。

自由民主主義の2つの要素は、功罪両方の側面があると考えられてきた。「自由主義」の側面は、恣意的な権力の行使を抑え、いわゆる「多数者の専制」を食い止めることが期待される。他方、そうした制約はタイムリーな政策対応を困難にするかもしれない。

「民主主義」の側面は、大衆の求めることを政治家が実行に移すことを促す。他方、政治家は選挙で再選されることを望むあまり、長期的視野に立たず大衆に「パンとサーカス」を与える近視眼的な政策を実施するかもしれない。

こうした自由民主主義体制の負の側面を強調して、権威主義体制の利点を考えてみるとどうなるだろうか。権威主義体制の場合、意思決定は独裁者1人の手に委ねられているため、(たとえばパンデミックなどの)様々な事態に臨機応変に対応でき、選挙など目先の利益を考えずに長い目で物事を決められるという「開発独裁論」の主張に行き着く。

民主主義と権威主義の特徴、そしてそれらの功罪を念頭に置き、社会科学者たちは政治体制と様々な社会経済パフォーマンスの関係について、多くの実証的知見を積み上げてきた。以下では、筆者が共同研究者たちと発表してきた実証分析を中心に据えながら、権威主義と民主主義のうち、いずれが優れた社会経済パフォーマンスを生み出しているのかみていこう。

民主主義は経済成長を阻害するのか?

民主主義の社会経済パフォーマンスを実証的に考えるとき、政治学者や経済学者によってもっとも旺盛に研究が進められてきたトピックの一つが、民主主義が経済成長に与える影響についての分析である。民主主義は、水平的アカウンタビリティをつうじて法の支配が尊重され、市民の財産権を保障する。財産権が保障された市民は、財産が公権力に没収されるのを恐れず投資に専念できるため、結果として経済成長につながる。

他方、民主主義には垂直的アカウンタビリティの経路もある。選挙で勝利するために、政府は投資指向のビジネスエリートよりも消費志向の大衆の支持を優先しうる。そうであるなら、民主主義の導入は経済成長の原動力である投資を減退させる。この見方をとれば、投資指向のビジネスエリートの意見に耳を傾けやすい権威主義体制の方が、経済成長に向いているかもしれない。

データによる実証分析は、これら2つの相反する理論的予測のいずれを支持するのか。政治体制と経済成長の膨大な研究は、サンプルや統計モデルの違いなどにより異なる実証結果が報告されてきた。

しかし最近、イタリアのサクロ・クオーレ・カトリック大学のロシグノリ助教授らの研究グループは、過去約35年の間に発表された、民主主義と経済成長の関係について調査した188本の論文、計2047 の統計モデルを含めた過去最大規模のメタ分析をおこない、既存の研究知見が全体としていかなる傾向を示しているのか検討している (Colagrossi et al. 2020)。彼らのメタ分析が示唆するのは、民主主義が経済成長に対して正の直接効果をもつこと、そしてそのような傾向は、因果推論手法や洗練されたデータをつうじ信憑性の高い統計分析を用いる最近の研究でより顕著にみられることだ。

経済成長率など経済パフォーマンスに関するマクロ経済指標は、権威主義体制において政権に都合よく操作されやすいことは複数の研究で指摘されている (Magee and Doces 2015; Martinez 2021)。独裁政府に有利なバイアスがかかりやすい経済成長率であるにもかかわらず、それが民主主義と頑健な正の相関関係をもつというメタ分析の知見は、民主主義は経済成長を阻害するものではなく、むしろ促進するものである、という見方を支持している。

民主主義は公衆衛生を改善するのか?

民主主義と経済成長の議論は、民主主義の水平的アカウンタビリティよりも垂直的アカウンタビリティの方が、経済パフォーマンスに負の影響をもたらすかもしれない、という可能性を示唆していたと考えることができるかもしれない。しかしながら、公正で自由な選挙の存在、そして選挙をつうじて政治家が大衆に目を向けることは、本当に大衆へおもねる「衆愚政治」をもたらすのだろうか。

社会政策や公共政策をつうじて国民の健康を守るのは、政府の重要な役割の一つである。お金持ちは自らの財力をつうじて十分な医療や福祉を享受できるが、貧しい人々は自らの力で必要な社会福祉を受けられない。公正で自由な選挙の導入は、選挙での勝利を望む政治家に、少数派のお金持ちよりも多数派の貧しい人々へ耳を傾けやすくする。その結果、貧しい人々の健康を向上させる政策が推進されて医療が改善し、人々の社会厚生が向上するだろう。

言い換えれば、垂直的アカウンタビリティは、公衆衛生という人々の根本的な政策ニーズへの政治家の真摯な対応を高める可能性がある。

このことを実証的に確かめるために、早稲田大学の安中進講師と筆者は、172カ国の1800年から2015年までをカバーする乳幼児死亡率のパネル・データを用いて、公正な選挙の導入が公衆衛生の改善にどれだけ寄与するのかを分析した (Annaka and Higashijima 2021)。

分析結果が示唆するのは、政府は民主化後直ちに社会政策や公共政策を貧しい人々寄りにシフトさせ、そうした政策変更は、公衆衛生の向上という政策帰結に長い持続力をもって正の効果をもつというものだ。すなわち、政府は自由選挙の導入直後には、公共政策をより広範な人々をターゲットにした内容へと変更し、さらにそうした公共政策の変更は、その後の乳幼児死亡率の漸進的改善に貢献していた。逆に、自由で公正な選挙の実施が妨げられたとき、そうした権威主義化は徐々に乳幼児死亡率に負の影響をもたらしていた。

また、テキサス大学オースティン校のゲリング教授らの研究グループがおこなった調査では、公正な選挙の実施が継続し、したがって民主主義が長く持続すればするほど、乳幼児死亡率の減少により大きく寄与することが示されている (Gerring et al. 2020)。これらのデータ分析が示唆するのは、垂直的アカウンタビリティの導入とその持続によって、政治家が社会的弱者の政策ニーズを汲み取るようになり、結果として多くの市民の公衆衛生が顕著に改善する傾向にあることだ。

民主主義と経済政策

これまで見てきた分析は、経済成長や公衆衛生といった政策帰結に関して民主主義が与える影響についてであった。しかしそもそも、国家は経済政策をとおしてこれらの社会経済パフォーマンスを生み出そうとする。政策帰結に政治体制が影響しているのだとすれば、経済政策にも民主主義と権威主義の違いが影響することになると考えることができるだろう。

多くの国では、政府は財政政策を策定し、中央銀行は金融政策を決定するというかたちをとっている。不景気のときには、金回りを良くするために拡張的な財政金融政策をとって経済を刺激する。アベノミクスの金融政策はその典型例だろう。他方、好景気のときには、インフレやバブルを抑制するためにこれらの政策を引き締める。経済状況に応じた適切な経済政策の決定が、物価高騰を防いだり、財政を健全したりして、長期的には経済成長や貧困の削減につながっていく。

こうした政策合理性と天秤にかけられるのが、為政者の近視眼的な、政治的生き残りの手段としての経済政策である。特に政治競争が存在する民主主義体制下で、有権者の歓心を得るために、政治指導者は経済政策を利用しやすいのではないか、という懸念は常に存在してきた。政策合理性ではなく、政権維持という思惑により経済政策が決定されるとすれば、民主主義の方が権威主義よりも恒常的に拡張的な財政金融政策が採られ、結果として深刻な財政赤字やインフレにつながってしまうかもしれない。

しかし、この民主主義と経済政策の関係の見方は民主主義の垂直的アカウンタビリティの側面を過度に強調したものであり、水平的アカウンタビリティの側面を過小評価している。ミシガン州立大学のボデア准教授と筆者は、いかなる条件のもとで法律上規定された「中央銀行の独立性」が政府の財政政策を統制できるのか検討した (Bodea and Higashijima 2017)。

中央銀行は、金融政策を引き締めることで――すなわち公定歩合を引き上げ、政府への貸し出しを制限することで ――政府の財政政策を律することができる。この中央銀行の金融政策の権限と自律性の程度は、中央銀行法に定められている。問題は、こうした中銀の独立性に関する法律上の定めを政府が遵守するかどうかだ。

権威主義体制の場合、独裁者は一手に権力を握っているため、法律上の取り決めをやぶってしまうかもしれない。したがって、中銀の独立性の高さは、法律に規定されていても金融政策への期待形成をおこなう多くの人々にとって信憑性をもたないかもしれない。逆に、民主主義体制の場合、執行府の首長は一度取り決めた法律を遵守するよう立法府や司法府、メディアなどによって監視・統制されている。したがって、法律上の中銀の独立性は高い信憑性をもつこととなり、政府の財政政策、そして人々の政策期待に大きな影響を与えるようになる。

民主主義は財政赤字を深刻化させるのか?

我々は、世界78カ国の財政収支と中銀独立性のデータを用いて、財政赤字が拡大する条件について実証分析をおこなった。我々の分析は、その国が権力の抑制と均衡を発達させ、メディアの透明性や司法の独立性が担保されていればいるほど、法律上規定された中央銀行の独立性の高さが財政赤字を改善する傾向にあることを見出した。

つまり、民主主義の両輪の1つをなす水平的アカウンタビリティがあるからこそ、中央銀行は「張子の虎」を超えて政府の財政政策を縛ることができ、政策合理性を高める可能性を、分析結果は示唆するのである。

選挙目的の政府の経済政策の操作、いわゆる政治的景気循環について考える際にも、水平的アカウンタビリティは重要になる。数多くの研究が示唆するのは、インフレや財政赤字を生み出す選挙目的の財政政策操作は、先進民主主義諸国で観察されにくく、民主化したばかりの国で特に生み出されやすいということだ。

筆者は、民主主義国と権威主義国を含む131カ国のサンプルを用いて、いかなる条件下で、選挙年の財政赤字の悪化が起こるか統計的に分析した。民主主義国家ではあるものの未だ民主主義の諸制度がしっかり確立されていない国々、あるいは複数政党選挙をおこなうものの選挙不正が原因で政権交代が起きない「選挙権威主義体制」と呼ばれる国々において、選挙年の財政赤字が統計的に有意に悪化していた (Higashijima 2016)。

民主化したばかりの国々では、選挙は自由かつ公正になったものの、執行府の権力を縛る水平的アカウンタビリティが未だ十分発達していない (O’Donnell 1994)。また選挙独裁制の国々は、権力の十分な統制がないことはもちろん、選挙前に大規模な財政出動をして市民の票を買い取り、選挙に圧倒的に勝利することで体制の頑健さや人気をアピールする誘因をもつ (Higashijima 2022)。

つまり、民主主義が高度に発達し水平的アカウンタビリティが担保される条件においてこそ、政策合理性をもった経済政策が採用されやすいのである。民主主義を「衆愚政治」と捉える見方とは、相反するものであろう。

民主主義は富の不平等を減らすのか?

ここまでみてきた様々な社会経済的帰結に関する実証分析の知見は、民主主義の発展がもたらす正の効果に軍配を上げるものであった。では、民主主義体制は万能であるといえるのであろうか。残念ながら、必ずしもそうであるとはいえない。いくつかの社会経済的帰結に関して、民主主義のメカニズムでは不十分なことが示唆されている。

最も深刻な事象は、富の不平等である。多数派である貧しい人々に寛容な政策が民主主義のもとで取られやすいのであれば、民主主義は富裕層への課税や低所得者への再分配をつうじて富の平準化を促進すると期待できる。しかし、民主主義と経済不平等の実証分析は頑健なかたちでそのような傾向を見出していない。

ニューヨーク大学のスタサヴェージ教授とスタンフォード大学のシーヴ教授は、富の平準化をもたらす上で富裕層に課税するという政策は理にかなっているが、現代では、たとえ低所得者であっても富裕層への課税が公平かどうかをめぐって意見の相違があるため、十分な政策支持が得られない事実を指摘する。

また、米国など経済不平等が高まった国々では、富裕層が豊富な資金を背景に政党や政治家にロビー活動をおこなう結果、高所得の有権者に有利な税制が維持されやすい (Stasavage and Scheve 2016)。有権者間の公正性認識の断絶や富裕層のロビー活動が原因となり富の不平等が維持・強化されているのだとすれば、民主主義に内在する2次元のアカウンタビリティをいくら高めたとしても、解決できる問題ではない。

民主主義の「意図せざる帰結」: 民主主義と金融危機

また、民主主義を発展させることで我々が警戒しなければならない「意図せざる帰結」もある。その一つが経済危機に対する政府の対応である。

トロント大学のリプシー准教授は、1800年から2009 年をカバーする69カ国のパネル・データを用いて、政治体制が金融危機発生に及ぼす影響を調査している。彼の分析は、民主主義が発達した国であるほど、金融危機、つまり銀行の閉鎖・合併・国有化につながる取り付け騒ぎに代表される深刻な信用逼迫が起こりやすいことを示す。そして、水平的アカウンタビリティが強く迅速な政策対応が遅れることが、銀行危機を生み出すメカニズムの1つとなっていると主張する (Lipscy 2018)。

また、カーネギーメロン大学のハンセン氏の研究は、低インフレの政策選好をもつ中央銀行が高い独立性をもつとき、銀行危機後の失業率が高止まりし、さらには国内銀行信用や株式時価総額をも引き下げてしまうことを示す (Hansen 2021)。これらの分析結果は、民主主義の権力の抑制と均衡の原理の負の側面は、とくに危機への迅速な対応が必要となる段階では、如実に現れてしまうかもしれないことを示唆する。

民主主義と権威主義の対立が深まる今日、権威主義諸国は自らの統治の優位性を誇示するかもしれない。そして、民主主義国に生きる人々は、民主主義が抱える様々な問題の深刻さの前に立ち尽くしてしまうかもしれない。

しかしながら、政治体制と様々な社会経済的帰結に関する多くの研究が示すのは、民主主義の諸制度を発展させていった先人たちの努力が、結果的に望ましい社会や経済へと我々を導いていったという事実だ。

しかしこのことは、民主主義の現状に我々が満足していいということを意味するわけでもない。ハンガリーのオルバン政権やトルコのエルドアン政権、ベネズエラのマドゥロ政権などを典型例として、水平的アカウンタビリティが、民主主義の後退や民主主義の崩壊によって切り崩される国が相次ぐなか、民主主義が望ましい社会経済的帰結をもたらす基盤は危機にある。

また、先にみた富の偏りなど、既存の民主主義の枠組みでは解決できそうにない課題も浮き彫りになっている。民主主義が「未完の革命」である以上、現在の民主主義の仕組みでは解決できない問題を正しく理解し、民主主義刷新の道筋を定めることが喫緊の課題だ。

 ◇

 民主主義において選挙での勝利を得るために、その公正で有効な政策を提言するよりも、より短期的な利益を与えること(いわゆるバラマキ)をアピールして支持を得ようとする、ポピュリスト政治家が多いのが現実です。そしてそれが多くの財政赤字を生む元凶になります。

 更には民主主義国家の多くは、資本主義的経済運営により、貧富の格差を生む必然的な傾向もあります。アメリカの実業家のトップや、著名なスポーツ選手など、一般の人が1000人以上かかっても稼げない報酬を、得ているのも現実です。

 この記事にあるように、民主主義の至らないところはあるのは事実です。所詮人間はその他の生き物にはない「欲」というものがあり、どうしてもそれがその至らないところを増大させる。そうした宿命はなかなか消えることはないでしょう。

 しかし財政赤字にしても、格差にしても、権威主義国家が優れているのかというと、甚だ疑わしいと思います。経済指標や結果を正確に公開しているのかは不明ですし、特に独裁制を敷いている国の指導者層と、一般市民の間の格差は想像以上だと推定されます。

 そして何よりも、個人の行動や思想の自由が、担保されているかどうかの違いは、決定的と言えると思います。中国など、個人の行動は常に監視され、政府に批判的な市民は拘束され、更には当局の非民主的な裁判で投獄される。少数民族は弾圧される。この違いは何よりも大きいと言えます。

 いくら中国やロシアが、その統治形態を誇っても、そうした個人の表現や思想信条の自由が制限される限り、民主主義の方が勝っていると断言できるでしょう。かりに経済的豊かさは大事だとしても、経済結果だけがすべてではないと言えます。

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