エコテロリストが示す「環境社会主義」の終わり ウクライナ戦争で左翼のお遊びは終わった
社会主義・共産主義は19世紀にマルクスとエンゲルスにより提唱された思想です。それは資本を社会の共有財産に変えることによって、当時労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会をめざすとしていました。
しかし20世紀に入り、当時ロシアのレーニンによって暴力革命が唱えられ、ソ連時代、中国共産党時代にその本質の「階級のない協同社会」が失われ、指導者による独裁体制となっていきます。独裁体制を引くための反対派の粛清も大々的に行われました。
今でも「階級のない協同社会」を隠れ蓑に、多くの国が社会主義独裁体制を敷いています。そこでは同様に反対派への弾圧、破壊活動は一般的に行われているようです。このことは、マルクス、エンゲルスの提唱した思想から、完全に乖離しているのが見て取れます。
ところで今西側の世界でも、所謂社会主義思想が浸透してきています。ヨーロッパの社会主義政党や、アメリカの民主党の極左陣営、日本でも共産党をトップに、立憲民主党、れいわ、社民党が、社会主義思想を根底としています。
そして彼等の目指す所謂「ポリティカルコレクトネス」や「多様性の追求」などが、社会主義運動に結びつきつつあります。さらに「環境保護」の世界にも。このあたりの概要をアゴラ研究所所長の池田信夫氏が、JBpressに寄稿したコラムから引用します。タイトルは『エコテロリストが示す「環境社会主義」の終わり ウクライナ戦争で左翼のお遊びは終わった』です。
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11月6日からエジプトの保養地シャルム・エル・シェイクで、国連のCOP27(気候変動枠組条約締約国会議)が始まった。昨年(2021年)のCOP26は「石炭火力の禁止」をめぐる論争で盛り上がったが、今年はほとんど話題にもならない。
その代わり話題になったのが、「エコテロリスト」の破壊活動である。これまでは街頭で死んだふりをする程度だったが、今年は道路を閉鎖したり、ゴッホの絵にスープをかけたりしてニュースになった。これは典型的な左翼運動の末期症状である。
看板をかけかえて生き延びてきた社会主義
これについてマルクス経済学者の斎藤幸平氏は「ゴッホの絵を汚した行動を理解しろ」と書いて批判を浴びた。
彼は「(エコテロリストは)すでにデモも、署名も、政治家への嘆願も、何年間も地道に行ってきた」が、世間が無関心だからテロに及んだのだという。そんな論理が通るなら、統一教会について嘆願を地道に行っても聞いてもらえなかったら、元首相を殺害してもいいということになる。
日本でもかつて極左が破壊活動を行い、多くの死傷者を出した。そういう行動を支持する人は少ないため、彼らはますます少数派になり、注目を集めようとますます極端な暴力行為に発展する・・・という悪循環で、連合赤軍や中核派や革マル派のように自滅した。
マルクスの時代から、左翼の運動は基本的に同じである。社会に不満をもつ大衆のルサンチマン(怨恨)を「反**」というイデオロギーで暴力集団に組織することだ。19世紀にはこの**の部分には資本主義が入ったが、社会主義革命は悲惨な結果を招き、20世紀後半の先進国では暴力革命はなくなった。
日本でも1960年の安保闘争は、社会主義革命ではなく反米運動だった。1968年ごろの大学紛争は、ベトナム反戦運動だった。どちらも若者のルサンチマンに「反**」というスローガンをつけただけだった。
しかし当時の日本経済は絶好調で、若者の就職も順調だったので、ルサンチマンもなくなった。このため彼らを組織するイデオロギーもなくなり、1970年代以降は、「反公害」や「反差別」などと看板を掛け替えて生き延びた。
日本は社会主義者メルケルの罠にはめられた
1990年ごろ冷戦が終了し、旧社会主義国から西側へ大量に左翼が流れ込んできた。その影響が顕著だったのが、ドイツである。同じドイツ人でありながら、所得が旧西ドイツの半分以下の二級市民になった旧東ドイツの国民は、ルサンチマンを抱え込んだ。
彼らがそれを解決するイデオロギーとして見出したのが、環境問題だった。ドイツから始まって世界各地で結成された「緑の党」の当初の目的は反原発運動だったが、90年代に地球温暖化という新しい標的を見つけた。
当初それはイデオロギーを超えた人類の危機だと思われた。アメリカではゴア副大統領(当時)が「温暖化を放置すると海水面が20フィート(6メートル)上昇する」と主張し、1997年には京都議定書で温室効果ガスの削減目標が決まった。
このとき隠れた主役を演じたのが、ドイツのメルケル環境相(当時)である。彼女は京都議定書の温室効果ガス削減枠をヨーロッパ8パーセント、アメリカ7パーセント、日本6パーセントと決める割り当てを主導した。これは日本に有利な削減枠と見え、議長国の日本はこれを歓迎し、京都議定書は国会で全会一致で承認された。
だがこれはメルケルの罠だった。よく考えるとおかしいのは、1997年に決まった削減枠の基準年が1990年だったことである。東ドイツ出身のメルケルは、東西ドイツの統一で大幅に二酸化炭素(CO2)が削減できることを知っていた。東ドイツの古い工場を最新の設備に更新するだけで、大気汚染は大幅に減る。事実1997年には、ドイツのCO2排出量はすでに8パーセント以上減っていた。
アメリカは、ゴアが京都に来る前に「先進国だけが温室効果ガスの削減を負担する議定書は承認しない」と議会が全会一致で決めていたので、7パーセントの削減枠は無意味だった。ゴアは京都議定書に署名したが、議会は承認しなかった。
日本はアメリカとドイツの罠にはめられ、削減枠を満たすためにロシアや中国から排出枠を買い、1兆円近い出費のほとんどは電力利用者が(気づかないで)負担した。
費用対効果を無視する「気候正義」
国連は地球温暖化の被害を検証するIPCC(気候変動に関する政府間パネル)を結成し、2001年にはその第3次評価報告書が発表された。それによると2100年までに地球の平均気温は1.4~5.8℃上がり、海面は9~88センチメートル上がると予測された。
これは予想より小さかったので、IPCCは何度も計算をやり直した結果、今年出た第6次評価報告書では、気温は約3℃上昇し、海面は約60センチ上昇するという予測が出た。ゴアの予測は1桁大きかったのだ。
6メートル海面が上がるのは人類の脅威だが、60センチというのは毎年の防災予算で対応できる。地球温暖化は、先進国では大した問題ではないのだが、そのために必要なコストは、全世界で毎年4兆ドル(世界のGDPの5パーセント)というのがIEA(国際エネルギー機関)の評価である。費用対効果が、まったく見合わないのだ。
これでは「環境危機」をあおってきた左翼は引っ込みがつかないので、気候正義という言葉を持ち出した。これは発展途上国の温暖化で先進国との格差が拡大するという理由で、費用対効果の問題を無視するものだ。
発展途上国の問題を解決するのに必要なのは先進国の脱炭素化ではなく、途上国のインフラ整備などの適応を支援する資金援助である。COP27でも、途上国は開発援助の増額を求めているが、先進国はそれに応じない。脱炭素化は左翼的な正義感を満たすが、開発援助は外務省の予算配分の問題で、わかりにくいからだ。
このように今や気候変動は社会主義的な「正義」の問題になっているので、これを経済問題として語ることは無意味である。それは豊かになって社会主義が魅力を失った先進国で、大衆の正義感にアピールする感情の問題なのだ。
それが今年COPの失速した原因である。地球温暖化は豊かな国のお遊びなので、貧しくなると魅力を失う。今年ウクライナ戦争をきっかけとして、エネルギー価格が大幅に上がり、人々は正義よりパンを求める。
マルクス以来150年、社会主義はいろいろ看板を掛け替えてきたが、その最新版だった「環境社会主義」も崩壊した。ゴッホの絵にスープを投げつけても、地球環境は変わらない。人々がテロリストを嫌悪するだけだ。それは今まで左翼がみんな迷い込んだ袋小路である。
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確かに西側社会に於いて、社会主義運動は経済学的にはむしろマイナスの効果しか生まないようです。これを社会主義と称される国に置き換えても、経済の自由競争がないわけですから、まさに現実に経済の停滞が目の当りにできます。あの中国は鄧小平がそれに気づき、改革開放と銘打って自由経済制度を併用しました。しかし習近平によって、崩されそうになっています。中国は今後経済失速は免れないでしょう。
日本を含む西側自由主義社会でも。池田氏の言うように看板を掛け替えながら、社会主義運動が続いているのも事実です。ただアメリカと違い日本は人口減少社会に首を突っ込んで、経済の弱体化が懸念されています。更には国家ビジョンというものに欠けているために、メルケルの罠やアメリカとの経済戦争でことごとく負けてきた歴史があります。
今思えば明治維新後の「富国強兵」を目指した強い日本が、なくなったように思います。敗戦がその大きな原因でしょうが、気骨のある人物が少なくなったと言えるのではないでしょうか。昨今の野党から追及される閣僚の対応など見ると、この先思いやられる気がします。日本を貶める社会主義系の連中を喝破し、強い日本の再興を目指す猛者が、出てきてほしいものです。
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